スターリンが死んだ日
1953年3月5日、ソビエト連邦人民委員会議長にして、国家防衛委員会議長、赤軍最高司令官をかねていた、その名のとおりの独裁者、ヨシフ・スターリンが死ぬ。享年74。公式発表は脳出血であった。<2004年3月5日の記事より>
第2位以下を大きく引き離し、人類史最高の大量殺人者の称号を誇るヨセフ・スターリンには、ロシア独特のアネクドートと呼ばれる笑い話がたくさん作られていて、以下のものはその一つ。
実際に行われた大粛正の事情も似たようなものだった、と言うのが一番の笑いどころ。
ある日、スターリンは生まれ故郷のグルジアから訪れた代表団と会談していた。長い会談が終わり、代表団がオフィスから退出した後、スターリンは愛用していたパイプがなくなっているのに気付いた。
そこで彼は秘密警察長官のジェルジンスキーを呼び、代表団の誰かがパイプを持って行ったかどうか、調べるように命じた。
30分後、スターリンはオフィスのテーブルの下に自分のパイプがあるのを見つけ、ジェルジンスキーに代表団を帰らせて良いと伝えた。
ジェルジンスキーが答えていわく、「同志、残念な事ではありますが、代表団の半数は同志のパイプを盗んだ事を既に白状しております。残りの半数は、尋問の際に死亡致しました」。



3 月 7th, 2008 at 12:02 AM
> 第2位以下を大きく引き離し、
> 人類史最高の大量殺人者の称号を誇るヨセフ・スターリン
犠牲者の数では毛沢東の方が多いという説もあるようです。
どちらも、正確な数は把握されていませんが。
3 月 7th, 2008 at 7:47 AM
>犠牲者の数では毛沢東の方が多い
よく言われる、スターリンによる粛清死者2000万人、毛沢東が引き起こした混乱による死者6500万人、と言う奴ですね。
はっきりした数字は判らないらしいが、スターリンのほうは、あくまで彼の命で処刑されたり、シベリア送りになった結果死亡という数で、毛沢東は大躍進政策の失敗による餓死者や、文化大革命の時の内戦死者も含んでの数のようで、「直接手をくだした」というところがちょっと弱いわけ。
犠牲者にしてみれば同じことですが。
3 月 7th, 2008 at 9:31 PM
スターリンの死についてのエピソードをひとつ。
その日の彼はいつもより朝起きてくるのが遅かった。
しかし、彼の部屋に勝手に入ってはいけないことになっている。
結局、重要な用事が出来たので使用人が部屋に入った時はすでに夜。
そこで、パジャマ姿のままで床に倒れている彼が発見される。
どうやら朝起きてすぐ倒れ、そのまま半日放りっぱなしだったらしい。
翌朝医者が到着するが、お前の治療のせいで死んだんだ、と言われるのを恐れた医者は根本的な治療も出来ず、彼は帰らぬ人に。
独裁者の最後って・・
3 月 8th, 2008 at 8:52 PM
スターリンの秘書を勤めたという女性がご存命ですが(今は知らんけど)、その方の証言によると彼はよく執務室の机に突っ伏して居眠りしつつ脂汗を流し、
「…イギリスが…ドイツが…攻めてくる…」
とうなされながら何かを払いのけるしぐさをしていたと。
本当に、外交とは疑心暗鬼の賜物です。
3 月 10th, 2008 at 12:44 AM
ホー・チミンもそうですが、社会主義国家(共産主義)と同胞大量殺戮とは切っても切れない因縁があるようなw。
結果的に人類史上最大の釣りである、マルクス・レーニン主義はやはりカルト宗教でしかないというのが、私の持論。
3 月 10th, 2008 at 10:40 PM
>朝医者が到着するが、お前の治療のせいで死んだんだ、と言われるのを恐れた医者は根本的な治療も出来ず、彼は帰らぬ人に。
なるほど、医療崩壊の元祖はスターリンだったわけですな。