企業組織における外在と欠如
経営学はラカン分析学を適用することで進歩が可能か? たぶんこの研究論文(PDF)が説明しているのは、そういうことであろう。
著者はボロメアンリングという呼ばれる概念を例にとって説明する。(ボロメアンリングはジャック・ラカンが自らの理論を説明するときに使う、三つの輪が組み合わさったヨーロッパの伝統的紋章)
この三つの輪は互いに絡み合って離れないのだが、そのうちの一つが欠けると、他の二つの輪の結びつきもなくなる。ラカンはこの輪を人間精神の三つの要素、象徴界、想像界、現実界を画像的に表象したものだと考えた。
後にラカンは、ジェームズ・ジョイスに関する論文の中で、三つの輪の解体を防ぐ第四の輪、サントームという概念を導入する。そして、輪によって囲まれる空間を穴-欠如と呼び、とくに、四つの輪によって囲まれる部分を空虚な穴と呼んだ。
それは良いとして、それがどう経営学に関係するのか?著者はこう説明する。「サントームから見れば、象徴界は『穴-欠如の表象』に他ならず、不完全さと失敗のテーマを示している」。組織内で働いたことがあり、管理される対象であった経験を持つ人間には、実にお馴染みのことである。
ラカンはまた、享楽を定義するに当たり、ほのめかされる意味とは異なって、「どんな目的にも役立たない」ものだとする。著者はそれを受けて、次のように論を進める。
「組織内での従業員の享楽活動を調べるさいには、仕事中に『何の役にも立たない』行為が続けられていることを知る必要がある。ここでは噂話や冗談、ネットなどで暇を潰すというような行為を、享楽的活動として取り上げることが出来る」。<こちらより部分引用>
元の記事はラカンの「学説」なるものと、それを無批判かつ見当外れに別分野に導入する研究者に対する、かなりの皮肉が込められていると私には思えるが、多少はラカンの理屈に通じていないと、その辛辣さがよく判らないのが難点。
私にはラカンという人は出来の悪い詐欺師だと思える。入門レベルの言語学から密輸入した概念を適当にねじ曲げ、妙な言葉に入れ替えて、今度はその言葉のイメージを利用して、いい加減な概念を広げるそのやり口があまりにも見え透いている。それなのに、教祖のごとく奉る人が一杯いるのが何と言っても謎。
サントームなる概念も、世の中には危機のさい無為を武器にして乗り切る人もいるという、ごく単純な臨床的な経験を(私もつい先日、ゲームに関して似たようなことを言った覚えがある)、妙に固定化するだけのものだと私には思える。大した臨床的洞察の支えがないから、平気で無意味な一般的シェーマにしてしまえるのだろう。
従って、それをそのまま経営学に導入しても、それほど大成功をえる理論にならないのもまた自明でありましょう。企業理念とか、当面の目標とかを従業員に意識させ続けるようなやり方では息が詰まるから、多少は息抜きの余地も必要ですよ、というだけのことではないのかねぇ。
まあ、この手の屁理屈を提供する人にすれば、経営者がコロリと騙されてくれて、ギャラがバカ高い講演でもして、あわよくば顧問にでもなればいいわけだけど。その意味では、ラカン理論に精通することがそう経営的成功に結びつくとは思えない精神医学分野よりは、まだ有効な使われ方をしていることになりますか。


