フェルメール展
ささやかな夏休みが取れたのはいいが、特にすることもないので、上野の東京都美術館まで「フェルメール展-光の天才画家とデルフトの巨匠たち-」を見に行く。
本邦初公開というのを含めて、七点のフェルメールと、同時代のデルフト画家たちの作品幾点かを公開するというもの。かなりの混雑を覚悟していたものの、平日だからか、宣伝が足らなくてオリンピックに客を奪われたのか、閑散とまでは言わないけれど、ゆっくりと鑑賞できる状況にいささか拍子抜け。
フェルメールが活躍した(といっても30数点の作品を残すのみだが)時代は、オランダが世界の覇権を握っていた短い時期とほぼ重なり、やがて衰退の道を歩む運命の儚さが、文字通りその光と影の表現に表れているとも言える。バブルで浮かれて、気がついたらスッカラカンの日本人には、とりわけ受ける要素が多いと思われる。
本当は「絵画芸術」、別名「画家のアトリエ」という作品も来る予定だったらしいが、暑苦しい日本なんぞに貸し出したら絵が痛む、という所蔵先の判断で中止となったそうな。まあ、何年か前にやっぱり東京都美術館で見たことがあるような気がするので、そう残念でもないけど。
こういう有名絵画展を見たら、何か洒落た感想でも書きたいが、何せ私はゲージツ的素養を徹底的に欠くので大したことは言えない。よくゲージツ関連の有名人が、「絵画の前にじっと立って眺め、何らかの感動が来ればその原因を追究する」なんて鑑賞法を教えてくれている。私の場合、そうしたって、ああきれいだなとか、よくここまで書きこんだものだというような感想以外、何も湧いてこんので。
もっとも、同時代の画家の作品には同じような構図も多く比較もしやすかったおかげで、やはりフェルメールの濃密さは数段違うということだけは実感できた。もうひとつ気がついたのは、同時代画家たちがデルフト市民の生活を描いたものには、必ずと言っていいほど犬が書き込まれていること。
なにせ、教会の中だって犬が連れ込まれていて、勝手なことをしているのだ。ふつう、ああいうとことろは連れ込み禁止じゃないのかしら。もちろん、普段の生活風景なら何匹も描かれていることが多いのだ(不思議なのが猫はほとんど書かれておらず、この展示作品群では一点だけ、これはもしかしたら猫かなぁというのがあった程度)。
それが、フェルメールの絵画には全く動物が出てこない。唯一、初期作品の神話を題材にしたものに、でかいブチ犬が一匹描かれているだけ。リアルな日常生活描写に透視図法と陰影を持ち込んだデルフトの画家たちは、当然のようにそこらにいた犬たちを書き込んだが、フェルメールはペットを排除して、ただ人々の陰影に迫ろうとした、というところだろうか。
どなたか、この視点からフェルメールを論じておられる方がいれば、是非とも詳しく知りたいものだと思う。(注:ほとんど冗談なので、本気にされぬよう)



8 月 28th, 2008 at 1:25 AM
論じている、というほどではありませんが、犬を描いたのは「ディアナとニンフたち」だけなので、犬が嫌いなのか、それとも「描かないのは逆に犬好きなんじゃないのか」というのは良く聞く話ですね。
この時代の絵画に対しては、評論家の「この果物は性の堕落を示している」とか「ワイングラスは誘惑を暗示している」とか「宝石は虚栄を象徴している」とかの、僕のような素人には到底理解できない解釈がなされているので、犬にも何か意味があるのでしょう。
8 月 29th, 2008 at 12:59 PM
動物みたいに、こちらの意図に反して動き回ったりするような被写体は、フェルメールのような超写実的な絵画手法とは合わなかった、と思うのは技術屋だからかなw?