青銅の悲劇 瀕死の王
相変わらず休みですることがなく、日がな推理小説を読んで過ごす。
まず、笠井潔の「待望の矢吹駆シリーズ!!」と題された「青銅の悲劇 瀕死の王」。B6判ながら772ページもある大部なものだが、いつになったら矢吹駆が出てくるのか?という点だけに集中して読み進んだら、二日で読めてしまった。
笠井潔の矢吹駆シリーズは、何の因果か一作目から全部読んでいて(参照1・2)、久々に出た続編なので読むしか無かろうと観念した結果とはいえ、読了するのはなかなかつらい作業ではあった。読み終わったときはホント、自分をほめてやりたくなったものだった。
時代設定は1988年暮れ、裕仁天皇が死の床についていたバブル絶頂期。山梨との県境に近い架空の地方都市、頼拓市が舞台である。「矢吹駆」物を思わせる推理小説でデビューし、今はもっぱら伝奇小説で知られる作家、宗像冬樹の視点からこの物語は語られる。
正直言うと、飛ばし読みのせいでほかの登場人物やその関係はかなり朧げ。なんか、主人公の初小説の挿絵を描いたという女性の依頼で、遠縁の旧家で起こりつつある奇妙な事件についての調査を頼まれるというような導入だった。
笠井のこのシリーズは、事件の展開や解決とはそう関係しているとは思えぬ哲学的屁理屈のコキ合いで知られるのだが、今回はほとんどそれはないものの、60~70年代の学生運動への追憶が妙にストレートなかたちで出てきて、その語り口がまたやたらにウザい。
どこの世界にもちょっと騒ぎがあると便乗してきて、えげつないことする奴らがいてまいりますなぁ。流行りは粋にやり過ごし、生じる責任はそれなりに果たして行きたいものですなぁ、で済せられないもんかしら。何を今になってあんな、正当化とも自己否定ともとれるくどい言い回しをせにゃならんのか、私にはよくわからない。
事件そのものの展開とか、その解決に至る論理の組み立てはまるっきりさえず、うんざりするばかり。本の帯に書いてある宣伝文句にどんでん返しがあるだけ、というのはなんぼなんでもあんまり。おそらく何種類も構想はあったのだろうが(何せ、放っておかれている伏線が数限りなくある)、こういう脱色系展開を選ぶしかないのが現在の状況なのだろうか。
とはいえ、私が昔書いていた矢吹シリーズ続編への提言も、少しは取り上げられているような気がするのが、ちょっといい気分。



