講演原稿
本日、ここで皆様がたの前で、「精神疾患にどのように向き合うか」というテーマについてお話させていただける機会を得たことは、まことにもって光栄であります。皆様はこの地域において、精神科ケースワーキングやその関連業種に就いておられると聞いておりますが、はたしてその関心に見合う内容の話が出来るか、少々危惧もいだいております。
私はご覧のとおり、ベテランというのもいささか恥ずかしい窓際精神科医ではございますが、それなりに30年余を精神科領域医療で過ごしてきました。そこでは、皆様には信じられないようなものも見て来ました。オリオン座の近くで燃えた宇宙船、タンホイザーゲートのオーロラ、そんな思い出も時がきたら消えていきます。えっと、何の話でしたっけ。
まず、精神科医療とは何か、というところから話をはじめたいと思います。よく言われることですが、世界には多くの職業がありますが、精神科医というのは二番目に古い職種なのだそうです。当然、一番目は何かという疑問が出る訳ですが……、えーっと、聴衆の皆様は圧倒的に女性が多いということを忘れておりました。申し上げにくいのですが、時間を膨らませる必要からあえて申しますと、これは売春だといわれておるのですね。
一番目も二番目も、あまり道具が要らないサービス業である点が似通っておりまして、正直言えば、身一つあって舌先三寸でどうにでもなるとも言えないことはありません。一番目にはもう少し、具体的なフィジカルワークが必要ですが、我々の場合はフィジカルな活動に出る事はごくまれと言えましょう。どんなものかというと、関節技とか、状況を見てスタコラ逃げ出す、といったことですね。
もちろん薬というものを我々は使うのですが、一番目の方だって使うことはあると聞いておりますし、そう本質的に違うものではないのかもしれません。えっと、ただ今主催者よりメモを頂まして、医療の話に戻せという御指摘です。本当は、この一番目と二番目の対比をより詳しくたどりつつ、望まれる精神科医療サービスを探るという内容を考えていたのですが、それはまたの機会にいたしましょう。
精神科医療におきまして、その対象は当然精神科疾患であるわけですが、大多数の精神科疾患は、普通の身体的疾患と比べて、ちょっとその様相が違うという特徴があります。もっとも、知った風な事をいう文学者などが「異常と正常を分かつものは何か?」などと、深刻ぶった言い方をするようなところには、そんな問題点がないのは明らかです。
私なんか、どんな人を見たって、異常と正常どちらに属するかぐらい瞬間的に見分けられます。これは皆様だって同じはずです。そんなもの、言葉で基準を作ろうと思えばややこしいが、誰だって見りゃわかる。最近、脳科学者の人々が研究を重ねてくれまして、人間にはミラーニューロンという物があるという説が有力になっておるわけです。大概の人のやることや感じることは、第3者から見ても共感が出来るように作られているというのです。ウソかもしれませんが、まことに判りやすい仮説ではあるものの、別にそんなものを持ち出すまでもなく、人は人に共感できるものです。
軽症のうつ状態ぐらいまではこの共感というか、観察者がその人の気持ちを了解できる感覚は持続するわけですが、それが出来なくなる限界点という物がある。あまりに程度を超えた悲哀感や、居直りにもならぬ逆ギレ風躁的防衛などは、そろそろこの限界点に差し掛かっていると言えましょうか。もっとも、その限界点を超えれば、言語コミュニケーションは不能になるわけで、ある意味苦労は少なくなります。実際に困惑するのは、その限界点のギリギリ内側に位置する人々なのです。
例えば、とっくに昼飯どきになっていて、まだまだ患者がいっぱい待っているというのに、旦那や姑への愚痴や恨みつらみをいつまでも止めないオバサンの話なんか、理解しようと言う意欲すら出てこないものです。カルテには中身など当然書きません。「焦燥・集中困難高度。攻撃性亢進あり。」で済ませ、本当はハロペリドールの大量療法でも行いたいところですが、まあ、いい加減にマイナーでも処方し、いかにスムーズに追い返すかと考えているものです。
ここで肝腎なのは、この手の話の腰を折って「まああなたの気持ちはよく判りましたので、また次の機会に」といってもこういう人は絶対満足しないわけでして、余計にグジャラグジャラとした枝葉末節を持ち出してくるばかりだということです。ここは明確な「理解したぞ」というメッセージが発せられたと、相手に受け取ってもらう必要があるのですが、そこが一番難しい。
この場で職業上の秘密ノウハウをばらすなら、「くどい話は止めてはダメ、うまく畳み込ませろ」ということになります。起承転結でもいいし、序破急でもいいし、強烈なオチを用意するのでもいい、とにかくある種の「完結した物語」にする触媒をうまく提供することが大事なのです。
私はこれを実際にやるために、一時は構造主義的手法を用いておりましたが、なに、人の愚痴などほとんど同じようなワンパターンなのです。リフレインにならないよう、次の段落の頭をさっとこちらが用意すればいいのです。「起」の部分は仕方ないとして、次の「承」に進めるタイミングを察知したらすぐにそれを用意し、以下それを続けていくことになります。
例:「(起)うちの姑はひどい人なんです。(内容ごちゃこちゃ)」⇒ご主人もそんな姑さんの味方をするだけなんだ⇒「(承)そうなんです。あの人はマザコンで…」⇒子供さんも味方にはならない?⇒「(転)子供はわかってくれて、いつか一緒に家をでようと」⇒でも、まだ中学生なんですよね⇒「(結)そうなんです。せめて子供が高校を出るまで頑張ろうと」⇒気持ちを強くもたれることです。はい、これが処方箋。では次の方。
これは慣れてくると序破急の3段階にも短縮できますし、更なる境地に達すると、禅問答風の「そもさん」「せっぱ」に抽象化することすら可能です。皆様もぜひ研鑽を積まれ、その境地に至られることを願ってやみません。本日は「精神疾患にどのように向き合うか」という内容をお話するはずだったのですが、時間の都合もありまして、ある種の不安・抑うつ障害に付随するくどい愚痴にどう対処するのか、という内容に限らせていただくことになりました。御清聴有難うございました。



10月 2nd, 2009 at 11:00 PM
>「リフレインにならないよう、次の段落の頭をさっとこちらが用意すればいいのです。
なるほど。
10年ぐらい前でしたか、夫の管理職研修か何かのビデオテープに「部下の愚痴の聞き方」というようなのが有りましたが、ビデオテープの内容を要約すると「共感して聞く。自分から答えを導き出すような聞き方をする」という様な物だったと記憶しています。
「次の段落の頭をさっと用意する」のは、多分相手の話を良く聞いていないと無理でしょうし、相手はあたかも自分で答えを導き出したような気になるでしょうから、あながち管理職研修のテープも出鱈目じゃ無かったってところでしょうか?
最近愚痴は聞き役に回ることが多くなりました。何故って・・・?自分の愚痴はいつも同じ内容だから、もう人に話すのも面倒だから。それに年取って色々諦めが付いたって感じも有るかな?
10月 3rd, 2009 at 1:34 AM
>異常と正常どちらに属するかぐらい瞬間的に見分けられます。
わかるんですが・・・後者の人が多い職場にいると、やっぱりどこからが異常なのか、自分もやはり異常なのではないかと、いろいろわからなくなります。
>次の段落の頭をさっとこちらが用意
読むとみのもんたの声が頭に浮かびますね(^^
10月 3rd, 2009 at 11:10 AM
> 一番目と二番目の対比をより詳しくたどりつつ、
> 望まれる精神科医療サービスを探るという内容を考えていたのですが、
> それはまたの機会にいたしましょう。
近いうちに、是非、お願いします。
10月 3rd, 2009 at 11:10 PM
>管理職研修か何かのビデオテープに「部下の愚痴の聞き方」というようなのが有りました
アメリカ経由のビジネス心理学には、アドラー系の「自己実現」が基本理念となった精神療法テクニックがうまく(?)使われているものが多いように思います。
私も昔は「一分間マネジメント」なんてのを立ち読みして、短い時間で患者をさばくテクニックのヒントはないかと考えたものです。
ただ、その手のものには浅薄な現状肯定とトンデモな「自己啓発」の双方向性にむかう危険性があることは自覚しないとまずいですけれどね。
みのもんたは、俗流モラルに基づく物語に相手の話を流し込み、そこで違和がある部分には、脅しつけやらほめ殺しを巧みに使って、世間の道理の方向に納得させる方法を取っていると思います。
70%はそれでうまくいくでしょう。あとの30%は事前チェックして放送に流さなければ良いわけで。
なお、言語的理解の限界点を超えた例に関する話を出しておきながら、それから話をすりかえていたので、ちょっと書き換えておきました。
言語がうまく通じない相手にはどうすれば良いか?実際はこちらの方が難しいように思われるのですが、そうではないんですね。治療のやさしさとはまた別ですが。
10月 7th, 2009 at 4:42 AM
腹に一物ありげな聴衆が挙手。
愚痴がしつこい人は、聞き手のノリが悪いと思ったら結局どこか他に行くんですよ。
医者には「自分は決して仮病じゃないんだぞ」というアリバイのために惰性で通っておいて、
周囲で「同病」の人、水をむければ自分のノリに巻き込めそうな、そのケがありそうな人を探し出して、
あるいはまたネット掲示板の類においておおいに愚痴を垂れ流し、
またそういうところで古くなってくると聞き役の楽しみも覚え、いっぱしの治療者面しだしたり。
“共感餓鬼道”みたいなところで生きていくことになる。
「カウンセラーを紹介しますから、いくらでも(時間課金制で)ぶちまけて下さい」
というのが誠実な態度ではないですか。
私にかかればそうやって適当にさばいてるうちに、また毒にもならないような薬出してるうちに、
愚痴が主症状みたいな半チクな人もけっこう「治せる」よ、と言われれば
不承不承引き下がるほかないけども
10月 7th, 2009 at 4:51 AM
まあ
だからそういうような話はまたいつか、と言ってるじゃないか、と
それこそ困惑されてしまうのかもしれませんが
「だってあなた、お医者さんでしょ!?お医者さんがそんな、ふざけてていいんですか」と
詰め寄りたい気持ちもやはりあるのです
10月 7th, 2009 at 10:44 AM
こういうことは多分書くだけ無駄でしょうが、まず、「ネタ」と明記していることに「ふざけている」といわれてもなぁ、というのが1点。専門家はそういうところでジョークを言ってはいけないという倫理観は持ちあせておりません。
それと自己憐憫の垂れ流しは病状を悪化させるだけですので、ひとつの簡単な物語の中に閉じ込める作業は治療的です。
>私にかかればそうやって適当にさばいてるうちに、また毒にもならないような薬出してるうちに、
愚痴が主症状みたいな半チクな人もけっこう「治せる」よ
そう、一部は間違っていますが(半チクではないからね)、大筋はそのとおりです。延々と自己憐憫愚痴に自らをとじこめてきた人が、このやりかた(といっても本当はもう少し手がこんでますが)で「どう?」「まずまずですね」で納得してもらえるようになるのをみるのは、実に達成感があるものです。
もちろん、毒にも薬にもならない薬ではなく、ちゃんと効く薬を根拠付きで処方するからこそ、改善できるのですけれど。
10月 7th, 2009 at 7:17 PM
玄人のユーモアは私には消化の悪いところがあるので
「解説してくれ」と言うかわりに「噛み付いて、反応を見てやれ」という…
そちらさまはイラッとされたでしょうが私は満足です。
不正確なものいいについてもお詫びします。どうもすいません。
10月 10th, 2009 at 4:21 PM
レプリカントが短命であることも医学・生物学では対処しようがないという設定でしたよね.
誠実さのみでプロフェッショナルな仕事を貫徹するのは大変で,冷静さや効率を考えることも必要なはずですよね.
精神科医のHPは4つほど見ていますが,ネタが全くない先生の方が,的確ながらも冷たい人だなという印象を個人的には持っています.