夢幾夜




別に夢分析などに興味があるわけでもなく、そもそも意味があるとも思っていないのだが、日記のほうでネタ切れ対策にけったいな夢について書いたりしたのがいくつかたまっていて、そのまま忘却してしまうのもなんだし、マンネリ対策にもなるかと思って、ここに集めておくことにした。要は痴呆症状の初期に来る、収集癖の始まりということかも。



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週刊投票箱


「選挙をエンターテインメントに!」というコンセプトの雑誌が発刊された、というTVニュースを夢の中でみていた。

「プリンセス、プリンスたちの横顔」というグラビア記事では、二世三世候補たちを完全にセレブとして扱っていて、逆にその意外な交友関係とか閨閥が知られて実に興味深いのであった。

創刊号の目玉は、「格闘技系候補の強さを実証する」と称して、出馬を予定しているプロレスラーの試合に、新米記者が乱入するというもの。当然、身体の貧弱な記者がギタギタにやられるのだが、素人相手のファイトをどううまく盛り上げるかというところが議員としての適格性につながるのだ、というような内容にそこそこ上手にまとめられているのだった。

案外、こんな雑誌本当に発刊されるかも知れませんな。(2004/06/24)


アルカイダ掃討作戦


アルカイダ関連のテロリストが日本国中に展開してしまい、米軍は日本政府は頼りにならぬと、あちこちに基地出張所をつくり、軍事行動を展開することになる。私は嘱託の臨時戦闘員に任命され、とある山村に派遣されるのである。どうも、以前米軍配布の無料ゲームをダウンロードしていて、そこそこステージが進んでいる連中が選ばれたようだ。

指定された出張所は、"USARMY"と書かれたでかい看板がかかっているだけの、古めかしい藁葺き屋根の農家である。着任報告なんてどうやるのだろうと思いつつ中をのぞくと、一応軍服は着ているが、頭には農協の帽子をかぶった、田舎のおっちゃんがいるだけである。

「こらようきやはった。まあ、お茶でものみなはれ」といって、秘書をよぶ。秘書というのがあき竹城みたいなオバハンで、こいつが妙になまめかしい目つきで、私に体を変に押し付けたりしながらお茶を出すのである。

「後家さんですよってに、期待してますのやろ」と上官は耳元でささやく。「ゆっくりしてもらいたいとこやけど、役場の裏山にどうもテロリストがおる様子なんですわ。いま消防団が山狩りしとりますさかいに、追われてでてきたとこをズドンとお願いしますわ」。

役場の屋上に陣取り、M82狙撃銃を構えていると、カモ柄軍服に目だし帽という、明らかにゲームのキャラそのままのテロリストが二人ほど山から狩り出されてきて、カラシニコフ乱射のかいもなく、私に撃ち倒されてしまうのであった。

そのあと村の体育館のようなところで"WELCOME USARMY"の垂れ幕のもと、大宴会になり、人々は口々に私をねぎらうのである。「米軍はんのおかげでこの村にもやっと元気が出てきましたわ、月に一回はこのイベントですさかいにな、若いもんも帰ってきてほんまに万々歳や」と。

そして急に声をひそめてこうもいう。「ほんまはいうたらあかんのやけど、一番えらいのはアルカイダはんやね。あの人らがきてくれはるからわしらがうるおうわけで。亡くならはったテロリストはんらは、村の神社で守り神になってもらいますんや。有難いこっちゃ、ナンマンダブ、ナンマンダブ」。

村人皆が念仏を唱えはじめるのを見つつ、ここまで不謹慎な夢を見るものかねと、いささか自分にあきれながら目覚めるのであった。(2004/04/07)


定岡監督の新作映画


妙な夢を見た。

元巨人の定岡が映画をつくったというので、なぜか業界人風の態度で試写会に行くのである。映画の舞台は東京なのだが、主演女優は若い頃のアンナ・カリーナみたいな外人美女で、それにからむのはやはり毛唐の男で、会話もすべてフランス語なのであった。

女優がアンナ・カリーナ風だからゴダールのような映画かというとそうではなく、えらくあっさりした情景がオサレに切り替えられて積み上げられていく、「男と女」を思わせるつくりで、私のような世代には実にこころよい映像なのだった。

小奇麗なオフィスで働くアンナ風美女のところへ、毛唐男が粉かけに通っていて、コジャレた会話を重ねつつ、男はなにか国際的陰謀みたいなのに偶然巻き込まれ、結果として都心部での大規模な核テロにかかわってしまうというような話であった。ラストは核爆発で壊滅する都心の情景であるが、それをものすごく美しく撮ってあって、定岡監督、タダモノではないなと感心してしまうのであった。

試写会後、記者会見がおこなわれ、あの定岡があのとおりの情けな顔で現れ、記者の質問に答えるのだが、やはりいつものバラエティ番組と同じような間抜けな受け答えしか出来ないのであった。定岡の隣にはなぜかナベツネ氏が座っていて、「このように意外な才能を見出せたのはまことに喜ばしい。今後、世界にうってでる定岡君のため、讀賣新聞社は総力をささげたい」と、なんだか後見人のようなことを言い出すのである。

人は見かけによらないのだ、可能性というのはどこに転がっているのかわからないのだと思いつつ、なぜか気持ちはえらく暗澹となって目覚めたのであった。(2004/03/21)


夕日の丘


夕方、紫野のあたりに用事が出来たので、バスで出かけることにした。

近所のバス発着所は小高い丘にあり、木造の事務所とその前にある砂利引きの広場だけの、こじんまりしたもの。

ホコリだらけのボンネットバスが二台、発着所に止まっているが、人の姿はみえない。「紫野行き」のほうに乗り込もうとすると、事務所から出てきた女車掌が、「運転手がこないのでちょっと待っていてくれ」という。

車掌はそのまま広場の隅まで歩いていき、「おーい、ノモリさーん」と、彼方にいるらしい運転手に手を振っている。彼女には襟ボクロがあって、夕日にそまるその後ろ姿は結構絵になっているのだった。

半分目覚めながら、これは石原裕次郎の「夕日の丘」の情景を夢に見ているのだな、と気がつく。それにしても何で「紫野」なんだろうと思い、もう一台のバスに目を向けると、それは「標野行き」になっているのだった。

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

額田王って、バスの車掌だったのか。それにしても、「標野」ってどこだよ(2004/01/14)


コイズミ・ザ・ジャイアント計画


コイズミ首相が何故か巨大化してしまい、それを逆に政権基盤強化に利用しようと、「コイズミ・ザ・ジャイアント計画」なるパフォーマンスをそこかしこで繰り返すのである。その第一弾が、正月早々現れた万景峰号を埠頭の外でむかえ、タグボート代わりに巨大首相がヒモで引っ張り接岸させるというもの。

なんだか、ガリバー旅行記を思いおこさせる場面だなと、得意満面で万景峰号を引っ張る首相を見ているのである。「いや、気持ちいいね。こういう具合に事態のほうも引っ張っていけるといいね」という首相のコメント。「わが共和国人民の財産である万景峰号を、ブッシュの戦争に加担する血塗られた手で触れるとは、侮辱以外のなにものでもない」というのがあちらからの公式意見。

これが今年の初夢かとちょっとへこんだが、初夢というのは1月2日の朝に見るものらしいので一安心。(2004/01/01)


大団円

「さて」と、私は集まった一同にむけて話し始める。
「ここにおられる皆さんには、ひとつの共通点があります。あの事件の当日、あの現場にいたということです。そして、一部始終を見ておられた」

人々は私と眼が合うと、そ知らぬ振りでそれを避け、平静をよそおう。
「ここで、あの時の皆さんの行動を、時間を追って再現してみましょう。まず、あなたから」

指名された男は気にもしない様子で、顔も向けずに答える。「覚えちゃいないよ。あの日というけど、いつのこと?」

あれ、そこまでとぼけるかな、この男。ちょっとまずい……。「まさか、あの事件のことも知らないと?」

「知らないよ。事件とか、現場とか、何のことなの?」

私は動揺をさとられまいと、ゆっくりと話を進める。「仕方ありません、私からまず概略を述べましょう。そもそも、……」そこで詰まってしまった私を、一同が注視する。

「そもそも、何があったというんですか?なんでこんなことやってるの?」

そうか。この連中が説明して、自動的に展開してくれると思ったのに、ダメだったか。実は自分でも何があったかわからないんだよな。当惑と気まずさの中、このあと出来ることは、さっさと眼を覚まして起き出すことだけ。

当然目覚めもやたらに悪い。ええい、今日は仕事休みにしようかな。(2003/10/18) 


納涼演芸会

職場で納涼演芸会を開くので、職員は全員何かの芸を披露するように、というお達しがくる。芸なんて何もないよといっても認められず、自分から申告できない奴はくじ引きで強制的に芸を割り振るとのこと。

事務の女の子が回ってきて、三角くじをひかされ、開いてみると「ベース漫談」と書いてあって当惑しながら目が覚めた。夢でよかったと思うことは多いが、ホント救われた思いでしたわ。

「ベース漫談」ねぇ。牧伸二とか、堺すすむの要領で、小話を基本的なベースラインにあわせて、トーキングブルースみたいな感じでやればいいのかもね、とおきぬけの頭で考える。

ふと思いついて、「ベース漫談」で検索してみたら、「はなわ」という芸人がいまこれでうけているらしい。某手段で音源を確保して聞いてみたら、私の想像とはまるで違うものだった。あれでは単なるコミックソングを、ベース伴奏で歌っているというだけではないか。もうちょっと「芸」の形式にこだわってほしいものだと、朝から不機嫌。(2003/07/20)


お寺のホスピス

東山のほうにある寺で、ホスピスをはじめたというので見学にいくという夢を見る。

お寺の外観が変に中国風で、屋根はやたらに反り返っているし、窓に入った格子が鮮やかな赤と青に塗り分けられていて、眼にさわるほど。山門の仁王像の代わりに、金ぴかの布袋さまみたいなのがあったりして、こういう外人の東洋趣味風ミスマッチみたいなのをわざと狙っているのかと思ったりする。

迎えてくれたのはデザート・カモ図柄の作務衣を着込んだ高校の同級生で、そういえばこいつはお寺の息子だったなと思い出すのだった。「うちの寺にはたいした仏像もあらへんし、本堂をそのままホスピスに改造したんや」という。

お堂に入ると、薄暗いなかにスポット照明が当てられた9つほどの蓮華坐があって、そこにヨレヨレの老人たちが横になっているのである。カモ柄作務衣の小坊主たちが、かいがいしくその老人たちの世話をしている。「もうすぐあちらにいかはる老人をそのまま仏さまにみたてた、ちゅうわけやね」と、同級生は得意満面。お参りに来る人も増え、けっこうお賽銭もあつまるのだと小声でいう。

ホスピスというよりは末期痴呆老人施設みたいだなと感じつつ、お堂の中に極端なまでにお香が焚きこまれているのに気づく。なるほど、臭気対策をやっているわけか。でもこれでは老人たちが呼吸困難になってしまうぞとアドバイスしようとするが、もしかしたらそうやって死期を早めて回転を維持しようとしているのかな、と同級生の顔をうかがうのだが、すっかり企業家風になっているその表情からは、なにも読み取れないのだった。

夢でリアルに「香り」を感じたのは、生まれて初めて。カモ柄の作務衣というのは、どこから引用してきたのか分からないけれど、ちょっと変わっててなかなか良かったな。(2003/06/27)


フィッシャー・ディスカウのプールサイドコンサート

こんな夢を見た。

たまには街はずれの公営プールのほうに行こうと、はるばる出かけるのである。今日は入場料が特別に1800円だといわれ、何でだと聞くと、今日はプールサイドで、フィッシャー・ディスカウの特別コンサートがあるのだとのこと。フィッシャー・ディスカウのコンサートが1800円ならえらくお徳ともいえるので、文句も言わずに支払うのである。

プールサイドに置かれたスタインウェイのピアノを見て、湿気は大丈夫なのかと心配してみていると、水着姿の観衆達に囲まれて、フィッシャー・ディスカウのコンサートは始まるのである。いかにも彼らしいレパートリーが何曲か紹介されたあと、彼が言うには、引退して久しぶりのコンサートなので、今日は特別に最近練習しているカウンターテナーの楽曲を披露するとのことで、アベ・マリアかなんかを歌いだすのである。

それがまたえらく上手で、なるほど、カウンターテナーってのはもともとバリトンの人が多いのだというのは本当なのだと関心してしまうのである。大歓声を受けたディスカウは、誰でも歌えるカウンターテナーの極意というのを教え始める。これを知っていればあなたも宴会の寵児だというのだが、まあ確かにそうかもしれない。

私の隣にいたオッサンが指名され、「オヤジでも歌えるオンブラマイフ」というのを、ディスカウに指導されるままに歌いだすのだが、これがまたやたらに見事なのである。世の中の人はオンブラマイフぐらいの歌詞とスコアぐらいは基本的素養として知っているのだな、自分が指名されたら大恥をかいていたなと、えらく心苦しい気分で目覚めたのであった。(20003/06/14)


ニセ明石家さんま事件

こんな夢を見た。

TVを見ていたら、関口弘が出てきて、「最近巷を騒がしているニセ明石家さんま事件」なるものについて語り始める。「すでに多くの人がだまされているのですが、今回はなんとあのジーコ監督がひっかりました」とのこと。そこでジーコが出てきて同時通訳つきで語り始める。はじめは街でばったり会い一緒に食事をして、いままで3回飲み食いをしたという。被害と言っても食事代を払ったぐらいで、会っている間は実に楽しい時間がすごせて、いまだにあれが偽者であったのが信じられないという。

さんまとジーコねぇ、やはりサッカーつながりなんだろうか。ばったり会って一緒にメシ食うことになるほど暇な時間があるもんなんだなあ。当のさんまもインタビューされていて、「そないに似てて、結構オモロイんやったら、スケジュール半分持ってほしいわ。なんやったら一緒に営業するんもよろしいな」とかなり本気の発言。

Wさんまか、でもそれでは絶対人気は落ちてしまうだろうな、となぜか確信したりするのだった。それにしても、ジーコとニセさんまは、どうやって会話したのだろう?(2003/05/03)


吊るし上げ

ある夜、当直で寝ていたら、当直室に寝ている、というそのまんまの夢を一晩見続けるのである。しかも寝ている自分自身を無理やり起き上がらせて、ぶつぶつと文句を言い続ける黒子みたいな連中が回りに入れ代わり立ち代わりあらわれるのだ。

「これこれ、そこのあんた、寝ている場合じゃないでしょうが。わたしゃね、ここでホントひどい目にあったんだから。文句の一つも言いたいんだけどね、誰も聞いてくれないんだな。あんたには少なくとも聞こえはするでしょ」

「この人はあんまり事情も知らないんだから、そう責めてみてもねえ」

「そういう甘い事言ってるからダメなんですよ。関係者には違いないんだから。他にも言うことがある人いっぱいいるんですよ」

「私だってね、そりゃ言いたいことはありますよ。でもたまたま関係者がそこにいるからって、恨み言いうのもどんなもんでしょうか」

あれれれ、何で自分はベットの上に座らされて、吊るし上げみたいなことされているんだろうと思うが、気がつけばちゃんと普通に寝ているのである。ほとんど同じパターンで数回に及ぶ途中覚醒。なんだか寝た気もせず朝6時には完全に目が覚めてしまい、身づくろいしていると病棟から電話。老人患者のA氏が急変したと。

DNR(DO NOT RESUSCITATE)(救命処置に及ばず)の指示が出ている人だったので、死亡だけ確認して書類書きしていると、別の看護者が血相変えて詰め所に飛び込んでくる。比較的若年のB氏が急変したと。こちらもいつ急変してもおかしくない状態を抱えつつ、一応昨日までは元気にしていた人なので、思わず救命処置をしそうになったが、ぐっとこらえてそのまま見送ることに。本人から、一時的な延命だけはしてくれるなと念を押されていたのだった。

オカルト志向だけは厳しく自分に禁じているのだけれど、昨夜の夢に出てきた連中、この人たちを迎えに来ていたのかな、なんて考えてしまったのでありました。医療ミスで寿命を縮められたという恨み言でなく、安らかに死を迎えたいのに無意味な延命された、という恨み言だったに違いないと確信しているのだけれど、それは医療関係者側の傲慢と言われるかも。(2003/04/05)


サバイバル・ゴルフ

友人が「サバイバル・ゴルフ」というものに誘ってくれた、という夢を見た。

まだあちこちに煙が上がっているような、瓦礫だらけの都市廃墟でゴルフをやるのだ。ヒビだらけのアスファルトの上におかれたボールを思い切り打つと、クラブは摩擦で火花を発するのである。

最終ホール、崩れかけた高速道路上の超ロングコースである。車の残骸を避け、うまくバウンドを使えば1km以上のロングショットも可能だ。私の第一打はあまりにいい当たりだったので、予測を大きく超えてバンカーにつかまる。バンカーといっても、崩れた高架が汚水のなかに落ち込んでいる部分である。

よどみに浮かんだボールを思い切り打とうとしたのだが、バランスを崩して汚水の流れに転落してしまう。なすすべもなく流されながら、ゴルフなんぞに命をかけるというのは、何ぼなんでもアホといわれても仕方ないなぁと、妙に達観しているのだった。 (2003/02/24)


恋するサビオ

街角の小劇場で素人芝居の公演準備をしている、という夢をみる。

街は昭和30年代の住宅街という雰囲気で、焼杉板の塀とか、タールが塗られた木の電信柱に公演予告のポスターを貼って歩いているのである。そのポスターというのがやたらに妙で、でっかいピンク色のカットバン、つまりサビオの拡大模型みたいなものなのである。

芝居の題名は「恋するサビオ」。一緒にポスターを貼って歩いている男がどうも脚本兼演出家のようなので、一体どんな話なんだとたずねると、「実は脚本が全然出来ていない」と打ち明けられるのである。でっかいピンクのサビオをポスターにするというのを思いついただけなのだ、と。でもこんなものは勢いの問題だから、こうしてポスター貼りをやって雰囲気が盛り上がってくれば、芝居なんておのずから形になるものなんだ、とも。

あきれて、役者たちにどう説明するつもりなんだと問い詰めると、「心配するな、役者はまだ集まっていないから」と涼しい顔をしている。こいつの行き当たりばったりに付き合わされて、どうも大恥をかかされることになるのだなと観念したところで、その脚本家というのはじつは自分自身のことなんだというのに気がつき目覚める。

その場を取り繕うだけの日常に対する、それなりの危機感が表明されておるのですかな。「恋するサビオ」という題名と、でかいサビオのポスターというアイデアはけっこういいような気がするので、パクりたい人は御自由に。(2003/01/23)


レジストリ最適化

PCの高速化のため、レジストリを最適化する必要があるといわれて、その作業をするのである。

大事なのは、レジストリを完全に外部的ファイルにしてから作業することだと言われる。regeditなどで内部的にいじると、PCのほうに筒抜けだから、先回りしてサボるやり方を用意してしまうので、完全な最適化にならないというのだ。

加茂監督ではだめで、岡ちゃんで何ぼかましになってもやはりだめ、結局部外者のトルシエでほどほどよくなったのと同じだ、というのだがそれはよくわからない比喩。

とにかく大福帳みたいな紙になぜか毛筆書きで書き出されたレジストリ相手に、頭をひねりながら修正しているのである。そのさい、電卓だってつかうとその電気的作動を通じてPCにこちらの手を見抜かれてしまうので、使う計算機はソロバンまでが上限と厳命される。そこでえらく古めかしい五つ玉のソロバンをつかって、レジストリを直していて目が覚めた。

いったい、あのレジストリ最適化を指示していたのは誰だったのだろう。そこらで気の効いたオチがつかなかったので、そこそこストーリー性のある夢にならなかったのだろうな。 (2003/01/05)


国連査察団

国連かなにかの査察団の一員となって、中東某国首都の空港を査察しにいくという夢を見る。

民間航路専用といいつつ、軍事使用されている疑いがある、というのである。えらく派手で薄っぺらい建物の横に、なぜか漢字で「忠魂」と書かれた石碑があるので、これが軍事空港の証拠かなぁなどと写真をとったりする。しかし、かんじんの施設は、つぎはぎだらけのアスファルト舗装がされた短い滑走路が一本あるだけ。こんなものゼロ戦ぐらいしか発着できないぞ、いい加減に見回って早く帰ろうと思っていたら、向こうの軍人さんがなにか騒いでいる。

滑走路上に何箇所かあるマンホールのふたが紛失していて、滑走路が使用できなくなっているというのだ。滑走路にマンホールなんぞ作るなよと思いつつ、これが査察団の仕業だなどと因縁つけられても困るな、と自分たちの乗ってきたランドクルーザーをみれば、きっちりマンホールのふたが入っているではないか。車にはちゃんと鍵をかけておけ、ということだなと思う間もなくあたりは騒然となる。

お前らを破壊工作の疑いで拘束すると向こうの軍人が言い出し、赤いターバンをまいたえらく腹の出たTVアナウンサーがマイクを突き出して感想を求めるので、「こういう安っぽいトリックをしかけるような国家は恥を知るべきだ」といおうとして、"It must be shamed to make such a cheap trick, "という風に受身でいうべきか、国家名のほうを主語にしたほうがいいかといいよどむ。大体、ここなんていう国だったっけ。

こんなのが初夢でなくてよかった。(2002/12/31)


ある種夢ともいえる

昼飯食ったあと、職場の自室のソファに寝そべって本を読んでいたら、いつのまにか寝入っていた。回りがやけに騒がしいので目覚め、昼休みが終わったから、みな自分の持ち場に移動しているのだな、こちらも起きださにゃ、と思うのに体が動かない。ドア越しに聞こえるのは足音で、それも大群衆がなにか口々に叫びながら駆けているような、緊張感をはらんだ異様なものだ。

あ、こりゃかなり久々の金縛りだ。この物音も幻聴なんだよな、と頭の片隅ではわかっていても、一方ではその群集が部屋の中に今にもなだれ込んでくるような切迫感があって、とにかく動かなければならんと必死になる。こちらの意識自体にもかなりの変容があって、あんまり客観的に自分の状況を把握できているわけではないのだろう。

幻聴を訴える人に対しては、「それにとらわれず、距離をおきなさいね」なんて、その場限りのアドバイスしているのだが、こうして自分の番になってみると、我ながら間抜けなことをいっているものだと実感してしまう。でも、「困りましたねぇ」では情けないしなあ。それ以外に言うことはないのだけれど。

ここ数年起こっていなかったのに、どうしたわけだろう。この金縛り体験=入眠時幻覚・出眠時幻覚+睡眠麻痺は、活発な脳の活動が前提で、歳をとると滅多に出現しないと思ってたんだけど。脳みそがちょっと若返ってきたのか、ローソクが消える時のきらめきみたいなものか。(2002/10/04)


オランダの精神科治療施設

オランダに、革新的コンセプトの精神科複合治療施設ができたというので、はるばる見学にいくことになった、という夢をみる。

空港から直通モノレールがあるその施設は、遠目には、巨大なUFOが小高い丘に着陸しているように見える。形もユニークだが、その色合いも独特で、G・オキーフの花の絵みたいなのが全面に描かれている。

レセプションの女性に見学の意を告げるが、オランダ人にしては言葉が不自由で、オランダ語以外は出来ないから、そこの電話を取って待機しているボランティアと話してくれという。「日本語」という電話機を取ると、おばさんが出て、「私は話相手になるだけで、施設とは無関係。見学したいなら勝手にやればいいのでは」などという。何のための電話なのかわからないが、なるほどこれこそオランダ流なのかもしれないとも思う。

受付近くのホールは、音楽療法の部屋になっているらしい。参加者はおのおの得意の楽器をもってきて、適当に即興で演奏している様子だ。次々に人がいれかわって、演奏だけは延々とつづけられるという仕組み。その演奏は、シュトックハウゼンとフランク・ザッパのジャムセッションというおもむきで、それなりに音楽的素養がいりそうな、まるっきり出鱈目でもよさそうな、なんともいえないもの。

ホールの外には展示場があって、施設を後援している企業が提供した車がおいてある。メルセデスのE320ワゴンだ。芸術療法コースの人たちが、その車にいろいろな工芸細工をほどこしたとのこと。見てみれば、シートはすべて金ぴかの西陣織、運転席の造作も、書院造りみたいな雰囲気にかえられている。ハンドルなど、渋い竹細工になっていて、窓も雪見障子ふう。ボディもすべて漆ぬりで、見事な金蒔絵が描かれている。中国風とごっちゃになっていないところが立派だ、と妙に感心してしまう。

このあたりで、これは夢だというのに気付き、いったいこういう見たこともないイメージを、自分はどこから参照しているのだろうという疑問に、その夢の中でとらわれる。想像だけにしてはあまりに具体的だしな。具体的だと思っているだけで、本当はつぎはぎイメージしか体験していないのかも、と考えたりもする。

でも、病歴が長そうな分裂病のオランダ人がサックスを吹いているところなんか、決して見たことはないわけで、人は想像だけで具体的イメージをつくりあげることも出来るらしい、という結論にいたって目覚める。(2002/09/19)


猫マージャン

昼飯を食って、デスクのまえでウトウトしていたら、変な夢をみた。

友人が、久しぶりに麻雀をやろうと言い出す。しぶしぶ付き合うことにして、寺内貫太郎一家の茶の間そのまんまの部屋でゲームが始まる。牌はむかし11PMで使われていたような、でっかいゲタ牌だ。背中の部分が黒いのがちょっとちがう。

一巡目に白を引き、いらないので捨てたら、その牌が畳のうえに転がり落ち、白黒タックス模様の子ネコに変身し、庭に逃げていってしまう。なんだ、ネコだったら捨てなかったのにな、と思いながら目覚める。

職場でも仕事のことなんか、これっぽっちも考えていない証拠のような夢ですな。


漂泊の俳人

変な夢を見た。

私はよれよれのボロ布団をかぶり、薄暗い納屋のようなところに寝ている。入り口には扉代わりにムシロがぶら下がっていて、「ギャンブル・レーサー」の飲み屋みたいだ、とつい笑ってしまう。

「いやー、この環境で笑顔みせる余裕、さすがでんな」

気がつけば私の横には、いかにも軽薄な風体の若い男が座り込み、私を見ている。

「漂泊の果てのついの宿り、そこで漏らす達観の笑み、泣けてきまんがな」

そうなのだ、私は漂泊の俳人で、いま人生をこのあばら屋で終わろうとしているのだ。それにしても、このうるさい男は何者だろう。

「決まってまんがな、先生のファンですがな。」男は私の心がよめるかのように続ける。「ここで先生の辞世の句を聞かしてもろうて、マスコミに発表させてもらいまっさかい」

迷惑な男だが、後始末の手助けにはなるか。それにしても、のどが渇く。水が欲しい。

「『のどがかわく みづがほしい』でっか?なんやいまいちでんな。もうちょっと絶唱ちゅう感じでまへん?」

ほんとに水が欲しいんだよ。役たたずめ。だいたいお前がそこにいるので、日陰になっていけない。どいてくれ、せめて日向で死にたいとおもう。

「『どいてくれ せめてひなたで しにたいとおもう』ねぇ。さっきよりマシやけど、もひとつやねぇ。自由律いうより、単なる字余りでんがな」

何を言うとるんじゃこいつは。「お前とはもう、やってられんわ」

「あ、それが一番よろしいようで」

(20032/04/01)

参考:「漂泊の俳人たち」(著:金子兜太 NHK出版)


洞窟のある遊園地

変な夢を見た。

私は大きな湖の上の高速道路を走っている。小島がサービスエリアになっていて、そこに車を止める。そこには売店だけでなく、なにかうらびれた感じの遊園地もあり、ガキどもが汚いプールで水遊びしていたり、赤錆だらけのジエットコースターにのって歓声をあげていたりする。

地下道の入り口があるので降りていくと、中は安っぽいモルタル仕上げの洞窟風になっていて、昔デパートの屋上にあったりした、10円玉を放り込むとベルトが回って、その上に書いてある道にそってミニュチアの車を運転するような、情けなげな遊戯具がずらりと並んでいる。通路はとても長く、しばらく歩くと別の小島に出るのだが、そこは私の目的地のすぐそばなのだ。では車に戻ってこちらに来ればいいのだと思うのだが、同じような地下道入り口がたくさんあって、どこから来たのかわからなくなってしまう。確かここだというところに戻るが、先ほどとは微妙に違う様子なのである。

そうこうすると、薄汚れたウサギの着ぐるみをかぶった男が現れる。遊園地のスタッフだろう。駅の売店で昔売っていたような、アミに入ったゆで卵をバスケットにいっぱい入れている。もとの島に戻る道をたずねるのだが、さっぱり要領を得ない。

「一応案内係ですんやけど、実はよう知りまへんのや。なんちゅうかえらい複雑でしてな、ここ。確かそこあがったら東寺はんの前で、そっち行ったらリオデジャネイロですわ。なんせ本家でもウサギの案内係は人を余計迷わすだけ、ちゅうのが伝統ですさかい。いまのシーズン、タマゴ売るほうがメインですのや、ひとついりまへんか?仕入れはそこの先のミネソタですわ、品質保証でっせ」

なるほど、これはネットをイメージ化した夢なんだ、と気づきながら目覚める。題名をつけるなら、「インターネットは貧相な洞窟」、というところか。(2002/03/21)


龍を封じる

変な夢を見た。

都会で龍が天に昇る怪異が続き、大きな被害が出る。相手は超常現象なので警備当局も打つ手がなく、これは龍が住む場所を失って都会などにうろうろしているからいけないのだと、各地の水郷とか、水にゆかりのある場所に幼い龍を分散させて、安住してもらおうということになる。

水資源開発公団という、廃止寸前の公団がそれを担うことになり、ちっちゃな龍を連れて湿地帯みたいな所に行くのである。何せ夢なので、こちらは龍があばれて逃げ惑う市民だったり、警備計画をたてる官僚だったり、妙な仕事をさせられる公団職員だったりする。

適当なところで、子供の龍を放すのだが(なんか細長いムーミンみたいな情けない奴である)、さすがに龍なので、餌と一緒にほうっておけばいいというわけには行かず、封じ込めのための和歌を詠んで、それを碑に書きしるすのである。しかもなぜか公団職員である私が、その場で頭をひねってでっち上げるのだ。

葦原に満ちてうるおう天つ水 憂いをたつと人の言うらむ

さあお役ごめん、と帰ろうとすると子龍が文句を言い出す。「ダンはん、こんな殺風景なトコに放り出すのんは殺生だっせ。悪さしまへんよってに、連れて帰っておくれやす。ワシ、結構役に立ちまっせ」

一体何の役に立つのだ、と聞くと「これからのシーズン、ワシ無しでは暮らせまへんがな。オヤジも保証、冬はコタツにお任せを」。

最後は落語ネタ。半眠半覚醒状態とはいえ、ホントに夢でみたんだから。(2001/10/27)


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