未だアスペルガー・ADHDを知らず
スミルノフ先生のブログでこういう記事が紹介されていたので読み、今でもこうした「社会が障害を規定する」というような考え方が生きているんだなぁと感心する。スミルノフ先生の論調は、それに対する「はてブ」コメントに、フーコーやら中井久夫についての言及がやたらに多い事への感想に移るのだが、全くその思いには同意するしかない。
ホント、疾患の社会性なんてテーマで中井やフーコーを出してくるってどんな連中なんだよ。お前らみんな人文社会系の研究者か、と言いたくなる。私も短い間医学部学生を教えていたことがあるが、そこそこの偏差値が要求される筈の医学生に、社会歴史関係の結構有名な学者の名前やその学説を紹介しても、当惑以外の反応が返ってきたことはない。
しょうがないので、症例として漱石なんかを出すがそれもダメ。大衆文学なら良かろうかと、大量殺人の関連で、横溝正史の「八つ墓村」を例に出してもきょとんとしている。連中には国家試験の問題集を覚えこむ以外の関心はないのである。当然、それが卒業後も続くわけで、医師一般の「教養」というものの平均値は、かなり低いと思ってまず間違いない。
もっともそれがまずいことかと言うとそうでもない訳で、臨床をちゃんとこなして行く上では、つまらん人文社会系耳学問なんぞはかえって邪魔になる事の方が多いと言えるかもしれない。ましてや、フーコーや中井久夫の場合、少なくとも精神医学分野においては、人間理解の一助となるよりは、素人系の勘違いを触発する危険の方が高いと思われる。
他者に自分を印象づけようとして、有名人とのつながりを強調すると言うのはよく行われる戦術の一つである。著名な人との密接な関係を主張することで、その人の本来の能力や魅力以上のものが相手に伝わるに違いないと人は期待するのだが、果たしてこれは効果的な戦術なのであろうか。
アニメに登場するキャラクターには、当然その民族的出自が設定されている。多くのアニメは日本製であることから、彼らの多くは日本人、もしくは日系である場合が多い。

