地方公立病院で、精神科外来を担当していたふた昔前ほどのことである。そこでは精神科医は私だけだが、病棟管理の必要はない。外来での診療のほかには、他科から身体疾患に伴う精神症状管理の依頼を受けたり、内科病棟でも管理できるような疾患をみるという、のんびりした生活だった。

もっとも、地域で長年問題が続いているような症例について相談を受ける事もあり、これはなかなか骨だった。関連の精神科専門病院はあるにはあったが、やはりこちらの判断だけで入退院が決められないし、何よりそのころは、入院治療に依拠しない、地域での治療というのをそれなりに目標にしていた。

といっても重症例ではそうも言っておられず、どうやって入院させるか、ということを第一目標にせざるを得ないこともある。A氏の事例はそうしたなかでも、かなり困難な例の一つだった。

A氏はその地方の造り酒屋の一人息子だった。父親は町会議員を何期も務め、町長に推されたこともある実力者であった。A氏が高校のころ、母親が死亡し、父親は会社の経理をやっていた女性と再婚する。A氏はこの頃からグレ始め、あるとき多額の金を持ち出して家出し、暴力団の準構成員となっていたらしい。やがて彼は覚せい剤所持および使用のために逮捕され、一年ほど服役することになる。初犯であったが、暴力団関係者と言う事で実刑をくらったようだ。父親はそれを苦にしたのか、寝込むようになり、ほどなくしてあっさり死亡する。

父親の葬式もおわり、造り酒屋の経営再編を後妻や親族が検討している場に、釈放されたばかりのA氏があらわれる。彼は覚せい剤中毒のためか、一種の精神病状態になっており、父親の死を認めなかった。「皆がオレを騙そうとしている」と家の中で大暴れし、義母、親族、酒屋の従業員たちも皆追い出してしまい、店と工場の中に立てこもってしまう。

警察でも呼んで、とっ捕まえればいいではないか、精神症状が理由なら、強制入院にすればいい、と私は思うのだが、問題は微妙であった。義母、と書いたが後妻さんは本人との間に養子関係を結んでいなかった。親族と言うのも一番近くて従兄弟で、父親が遺言もなく死んだため、この異常事態にイニシアティブを取って事態を収めようという人間がいないのである。この周辺の人間の及び腰が、A氏の問題を意味不明に長引かせる事になった。田舎のなあなあ体質では、実力者の息子で、町中にある広大な地所の相続人という立場の人間に、原則的な対応をすることがなかなか出来ないのである。

私がこの町の町長を通じて相談を受けたのは、大騒ぎがあって3ヶ月ほどたったときだった。町長は死んだ父親の友人だったという。町長室で義母から事情を聞く。要は波風立てないように、本人をなだめて治療を受けるように仕向け、会社の整理なり存続なりを進めさせてほしい、というのである。

それは警察の仕事ではないか、と私は反論したが、警察には既に相談してあり、「自分の家にこもっている事を理由に検挙は出来ない」と言われたとのこと。現に会社の業務存続あるいは法的整理を邪魔しているのだから、威力業務妨害とかにあたりそうなものだが、その辺はのらりくらりとかわされ、ゆっくり頭を冷やさせるしかない、と言われたとも。

とにかく一度本人を診てくれ、ということになり、渋々と、小さな町の外れにある会社に出かける。通りに面した店舗の裏がそのまま工場になっていて、全体が高い塀に囲まれる、かなり大きな建物だった。義母が何度も呼びかけるが本人は出てこず、合鍵を使って店の方から中に入ると、日本酒の芳香がかすかにしてくる。店も工場も真っ暗で、これは本人が電気の検針もさせぬため、ちょっと前から切られているためだという。

おそらく工場の仮眠室にいるのだろうというので、気が進まぬまま裏手のほうに進む。造り酒屋というのはだだっ広いところに、大きなタンクが何本も林立し、それが窓の隙間から入ってくる弱々しい光だけの薄暗い状態では、ほとんどホラー映画のセットである。こうしてビクビクしながら歩いていて、ホラ出るぞ出るぞと思わせ、ヌッと殺人鬼が出て来るんだよな、と思っていたらまさしくそのとおり、タンクの陰から本人が飛び出してきた。

「なんだ!お前らは!帰れ!帰れ!」と絶叫するその姿は、晩秋だと言うのにブリーフだけの裸で、手には包丁が握られている。伸びかけた髪の毛と、かなり後退した額のせいで、落ち武者の亡霊を思わせた。充分間を取って、接触を試みるが、彼の言うことは「帰れ!」だけである。ここは無理しても仕方ないと撤退。結局興奮している、ということしか判らない。

その後も何度か接触を試みるが、いずれも同じ結果に終わる。本人は店に残されていたわずかの金とか、清酒を引き換えに近所の店に買い物に出かけるらしいが(さすがに上着を引っ掛けていくらしい)、近所の人は気味悪がるのと、もしかしたら将来自分たちの地主になるかもしれない(そのあたりの地所はみな父親の名義なのだ)A氏に対し、正当な料金を請求する事も出来ないらしい。

私は義母に措置入院通報をしてもらい、それで事態を打開しようとするが、思わぬ伏兵に阻まれる。措置の際は入院となる予定の病院からきた鑑定医が、覚せい剤中毒後遺症、それも暴力団がらみという前歴にビビッて、官僚的事なかれ主義で逃げを図ったのである。曰く、「自傷他害とはいえない。自分の家に侵入してきた人間に怒鳴ることをもって、精神症状とはいえない」と。「不要措置。要医療」というのがこの腑抜け医者の結論であった。「要医療」と言うのがミソである。この患者はお前がちゃんと診ろよ、俺は知らない、と言う事である。

頭にきた私は、この例から手を引くことも考えたが、別にそれでこの問題がなくなるわけではない。義母が食事を差し入れ、それに薬を混ぜる事なども検討したが、A氏は義母の持ってきたものは絶対食べないらしい。近所の八百屋のダイコンを生でかじっているときでも、義母が置いておいた弁当は腐らせるままなのである。

時おり義母と連絡をとりつつ、この状態で約一年が経過した。A氏は夜になると奇声を上げるなど異常行動はさらに目立ち、さすがに近所の人も食べ物を恵んだりはしなくなったらしい。徘徊しているときの様子も、やせこけてこの世のものではないと言う。そんなところを警官が職務質問でもして、そのまま保護してくれたら話は簡単なのに、と思うが、どれだけ妙であれ、有力者の息子のしっぽは引きずっているわけで、あたらず触らずの対応しかできないようだ。

私は実力強行突破しかないと判断した。このままでは冬が越せない。長期の引きこもり、自分の健康をも管理できない退行行動様式、という強制的入院にははなはだ根拠のうすい理由でそれを行わなければならない。前とは別の病院と前もって相談し、義母が精神衛生法上の保護義務者となり得るかを確認し、同意入院(現在では医療保護入院と言われる)で強制的入院を行うことにする。はじめからそうすれば良かったのかもしれないが、関係者がみな意思一致できていたわけではなく、経済的な思惑から不当入院の訴えを起こされる危険もあったのである。

さて、往診当日の朝方、私は実にいやな夢を見た。私はあの造り酒屋にいて、裸で包丁をかざしているA氏と相対している。A氏を難なく押さえ込み、まだ空しい抵抗を続けるのを見て、私はA氏に静脈麻酔をうつのだが、そこでA氏はたちまち息絶え、私の手の中で日の光にあたった吸血鬼のごとく塵となって消えてしまうのである。気になった私は、往診に出かけるとき、往診カバンに普段は入れないような救急用具一式を詰め込んでいった。

さていよいよあの醸造所である。保健所職員たちと一緒に入っていくと、程なくしてA氏がタンクの陰から現れた。垢だらけでブリーフ一つの裸である。そのブリーフは去年のものと同じらしく、お尻の部分がきれいにすり切れてしまい、メガネみたいになっている。手には包丁が握られているが、動きは鈍く、「帰れ」と怒鳴る声にも迫力はない。「こんなことではどうにもならないから、ゆっくり休んでやり直しましょう」と形だけ声をかけるが、迫力がないなりに彼の興奮はたかまり、こちらに突進してくる。数人で押さえ込んでもなお暴れるA氏に、やむなく麻酔剤を少量うつと、落ち着いたかと思うまもなく、彼の呼吸は止まってしまった。

あまりにも夢の成り行きと同じなのに驚きつつ、その後の処置は自分でも感心する程手早かった。カバンから気管チューブを取り出すと、土間の上で喉頭鏡も使わずにブラインド挿管し、ストレッチャーに移し、静脈確保。後は人工呼吸しながら病院にまっしぐら。麻酔科医でもこうは行かないはずだ。

A氏は極度の低栄養状態で、超短時間作用型の麻酔剤を使ったにもかかわらず、呼吸が戻ってきたのは翌日であった。しかし、その後のA氏の回復は目を見張るものがあり、長期にわたる引きこもり期間の記憶が今ひとつはっきりしない事をのぞけば、充分な疎通性と病識をもった、対人緊張傾向のつよい抑うつ神経症といえるような状態に落ち着いた。

義母とも信頼関係が生じ、退院後は養子縁組をへて同居している。会社は清算し、残った土地の片隅に家を建てて地代で暮しているのだが、義母は、精神疾患に対しては周囲の理解が必要だと実感したといって、自分の家を社会復帰のための作業所に解放している。A氏は仕事をもつまでには至っていないが、その作業所の手伝いをしながら、程ほどに暮しているらしい。

結果オーライとはいうものの、今考えてもラッキーのみの症例である。特殊な状況でインフォーマントが得られず、ほとんど病像も捉えられていないのに、強行突破を図るというのはちょっと強引だった。とはいえ、例えば民事裁判でも起こして、会社の清算のために立ち入りをもとめ、それへの反応を利用するような方法も考えられるが、そんな悠長な方法では、A氏は先に餓死していたような気もする。

夢のお告げが何といってもラッキーなのだが、これは常識でわかるリスクの再確認だったとおもっている。ずっと引っかかっていた問題にけりをつけようとするあまり、身体リスクのことが意識から押しやられていた。緊張して浅眠状態でいたため、意識しておくべきリスクの確認作業が図らずも出来た、ということだろう。その後、こういう状況では必ず救急セットを持っていくようにしているが、幸運なことにそれを使う機会はいまのところない。(2001/10/08)

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去年の正月頃書いた記事の中で、出身大学の精神医学教室(いわゆる医局である)の先代教授に付いて触れたことがある。そのときはこの教授の、普通なら型破りと言われるような臨床スタイルについて肯定的に述べたのだが、ちらりと書いたように、この方はある種、常に自分の観客を意識して行動される面があり、それが色々な形で影響を及ぼした。なんでこの人について書くのかというと、同業者が主宰する高名サイトがあって、そこでこの方の本が評されていたからだ。事実は色々な側面を持つ、という一つの例として取り出してみたい。

あいまいにいっても仕方がないので、はっきり名前をだすと、この人は西丸四方という、稀代の精神医学者である。中央で精神医学界の重鎮となられても不思議のない能力と押し出しの持ち主だったが、いかんせん根が正直というか、子供っぽいというか、小状況の政治に無頓着すぎる面があった。

私が精神医学の道を選んだのも、この人の啓蒙書を読んだことがきっかけの一つになっている。ついでに、大学の選択もそれが理由だ。私らの頃は、国立系は一期、二期と分けられていて、旧帝大系中心の一期校に落っこちると、地方大学の二期校を受けるしかなく、半分やけくそなのでどこだっていいわ、という気分になるのだが、もしそうなったら西丸教授のいるところに行こう、と思ったのである。結果から言うと、自分にとってはそう間違っていない選択だった。

西丸教授は大叔父にかの島崎藤村、兄弟には西丸震哉、島崎敏樹(従兄弟だったっけな)という大学者を輩出しているサラブレッドの家系出身である。彼が大学やその関連病院、地方医療行政に残した影響は計り知れないものがあり、それらは様々な神話として語り継がれている。

私が例に出した女性現代芸術家の発見とか、薬物も充分使えなかった時代に、驚異的なまでの社会復帰率をしめしたとか。当時、研修医だった私の先輩たちは、教授の診療録を神格化して、丸々ノートに書き写したものだったという(この時代にはコピー機がないというのが大きいが)。朝は早くから病棟に現れ、教官、研修医の受け持ちを問わず患者の面接をして、実に適切なコメントをカルテに書き加えてくれたと言う。

患者たちへの面倒見もよく、彼らの社会復帰のためには自腹も辞さなかった。医学部生が発病すると(これはすべて分裂病の事を言っている)、経済的な負担を軽くするために学用患者にして、試験準備の手伝いから、知り合いの精神病院に就職させる口利きまでした。ただし、研究生にすることはあっても、医局員にはしなかった。どこの大学の精神医学教室にも、ちょっとその気のある人が紛れ込む傾向があるものだが、その大学では「分裂病を経た人間には研究者は無理。何とか飯を食っていくための手段としてなら協力する」と直言されたのである。中井久夫氏の意見とはまるきり違う。

彼が関連病院に紹介した人たちは、医師免許がないとやれないが、そう判断力を要求されないような仕事、定期薬の処方箋書きとか、検査伝票の発行などを手伝い、具合が悪いときには文字通りレジデント(病棟住み込み医)となって治療を受けていた。私が在籍した頃にもそういう人を受け入れているところがあって、あの病院では当直医が保護室に入っていることがよくあるぞ、なんて冗談がよく言われていた。しかもそれは時には事実だったのである。

彼が大学を去る理由が、その面倒見のよさであった。ある基礎系教室に新進気鋭の教授が赴任してきたのだが、助教授、講師があまりに覇気がない。論文も書かなければ学会発表もしない。それに、充分なコミュニケーションが取れないようなのだ#。

#この点は、新進気鋭、上昇志向の新教授の言い分に過ぎない。この人たちに私は現に基礎系科目を習っている。確かにつまらん授業であったが、必要充分なものであったし、新教授さまの授業だって大同小異というか、早く中央に戻りたいという態度がミエミエな分、余計しらけるものだった。要はこの新教授さまは人事管理能力がなく、地方で充足して覇気をなくしている研究者をうまくコントロールできないので、連中は病気だと言う錦の御旗で一点突破しようとしたのである。たとえ実際に病気であろうが、もう少しスマートな方法はあったわけで、この教授の専門バカ(専門でもたいしたことなかったけど)が招いた不徳でしかない、というのは周囲はみんな感じていた。

この教授は西丸教授に相談した。あの連中は病気なのではないかと。いま出版されている西丸氏の回想録(「 彷徨記 狂気を担って 」:批評社)によれば、彼らは西丸氏のかっての患者なのだった。西丸氏は、助教授、講師の再就職先を世話してやろうと動き始めた、ということになっている。

ところが、少なくとも当時、周囲はそう受け取らなかったし、西丸氏の行動も本に書いてあることとは微妙に違った。彼は教授会で「連中は慢性分裂病」と放言し、再就職先があるだけ御の字ではないか、という言い方をしてしまった。これには教授会の良識派がまず疑問を感じたし、それを聞いた若手教官、学生が黙ってはいなかった。いわゆる大学闘争(紛争と言ったほうがいいか)のきっかけを、皆が求めていた時代に、この放言はまずかった。

それに私は、西丸氏が書いているような、その教室の助教授、講師がかって西丸氏の患者であって、西丸氏が苦労して治療し、なんとか基礎系教官として適応させた、という事実そのものを疑う。まともに分裂病の臨床をしている人間なら、当然持つ疑問だろう。この記述をそのまま受け入れる精神科医が、この世にいるとは思われない。分裂病がそんな甘いものであるはずがないではないか。

一度や二度、精神的危機の際に相談した事ぐらいあったかもしれないが、はっきりとした分裂病を発病していた人を、あんなポコペン大学とはいえ、教官にまで仕上げることが現実に可能とは思われない。西丸氏の側には、治療して世話してやったという意識があったかもしれないが、実際はクライアントが彼の権威に寄り添って一時的安心感をえただけ、というところだろう。ほとんど分裂病になりかけた危機を乗りきったとすれば、それは乗り切った本人の力である。治療者がそうさせたのではない。

有能な(と自分で思っている)精神科医ほど、この手のパターナリズムに毒されていることが多い。かなり重篤な精神病状態の人たちだって、治療者がすべてを手取り足取りして導いてやる事など出来はしないし、またそんなことしなくたって、基本的なところでは程ほど自己決定してくれるものだ。まして、人生の節目で危機に陥っている人々には、治療者がその危機を代わりにやり過ごす事なんか出来ないので、やれる事はただ助言と見守りだけだ。だのに、あんたには自己決定能力はない、言うとおりにすればいい、という態度に出る治療者は数多い。

卓越した治療家であった西丸氏には、その手の傲慢がしばしば見られたという伝承は、まるで弘法大師伝説に類似した超越的治療者逸話には事欠かぬ一方で、結構語り継がれている。彼はどうもインテリとか、生意気な口を利くタイプの患者があまり好きでなかったようで(私も大嫌い)、こういう患者はしばしばロボトミー手術対象にされた。それも関連病院で数分診察しただけの患者に対して、その方針を宣告をしたらしい。関連病院は、大学からえらい先生が診察に来てくれるというので、気の効いた受け答えができる初発患者、それも田舎から東京の大学に行って発病したような若者を用意しておいたら、あ、この人は治りませんね、ロボトミーの適応でしょう、といわれたと、古手の看護者からよく聞いたものだ。

もちろん、医療というのは時代的な制約を強く受ける分野なので、当時それほど疑問をもたれていなかったロボトミー手術をやたらに指示したからといって、非難できるものではない。でも、当時の家庭内暴力のような症例にロボトミーを指示されて、悩んだあげく、まとまった金を渡して、こっそり離院を手伝った若手医師もいたのだ。そのような素朴な感覚と、西丸氏の感覚がかなりずれていたのは事実である。

一方でよるべない思春期の不安を示すような患者には、最大限の受容と理解を示すのである。得意不得意があるのは誰しもとはいえ、先の教官に対する態度もこれと同形であるのが見て取れる。面倒をみてやる弱い立場のときには気を使ってやれても、いったん公務員の立場に安住するダメ教官になってしまえば、排斥対象になるのだ。現代芸術家のK女史の場合は永らく庇護者であったが、あれは彼の女性観とも関係あるだろう。考えてみれば、私は彼が関わったロボトミー症例で、女性例をみたことがない(もちろん、全例を知っているわけではない)。

残念なことに西丸氏から直接薫陶を受ける機会はなかった。退職の経緯からか、彼は大学には決してあらわれず、かっての直弟子が開く私的研究会などで話を聞く機会があった程度だ。しかし、彼に直接指導を受けた先輩たちや、その特異な著書を通じて、私の臨床スタイルを間接的に決定してくれた恩人だと思っている。何よりも、その実像と伝説は全く別物であって、冷静にその業績を自分の立場にたって評価する事が重要だと知らしめてくれた、生きた学問の実例として崇敬する人である。(2001/11/03)

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更新日記のほうで、珍しくもマンガのことなどにふれたが、その理由を書いてみたい。そこで紹介した、いがらしみきおの「SINK」が妙に印象的だった理由には、こんな経験があったからだ。

かなり昔、田舎の病院で一人医長をしていた頃のこと。一人の少年が両親に連れられて私の外来を訪れた。まだ小学校5年生である。両親によれば、学校に行かなくなってしまったという。無理に学校に連れて行っても、いつのまにか抜け出し、家には入らないでまわりで過ごしているらしい。そのあたりは農村地帯で、山や原っぱには共同作業用の小屋などがあちこちにある。そういうところを何ヶ所か隠れ家にしているらしい。

ふてくされて小知恵がついているようなタイプでなければ、この年代の不登校はそう難しくなく、過剰な負担を取り除いてやればそのうち収まるところに収まるものである。少年は今にも消え入りそうな雰囲気で、悪さを積極的にするタイプとも見えず、引きこもらずに一応は家の外に出て行く、と言うのがなんとなく一般的でないような気がする。自分の部屋がないというような即物的問題かなどとも考えたが、一家は大邸宅に住む豪農のようだ。

淡々と事実を説明する父親の隣で、母親ははじめから表情をゆがめてすすり泣いていて、父親の説明が終わるのもまたずに、憎々しげにこう追加した。「この子はね、私を馬鹿にしているんですよ。私にあてつけるためにあんな事するんだ」と。

どういうことかと聞くと、少年は自宅周辺でただブラブラしているわけではなく、一種のオブジェのようなものを作るらしい。ゴミ捨て場からひろってきた自転車の部品をいくつかくくりつけて電信柱にぶら下げてみたり(そう、まさしく「SINK」に出てきたようなものだ)、棒で作った枠に、縄と廃材を組み合わせたものをぶら下げたような構造物をつくって、その傍らに立って、じっと眺めているのだという。

「この子を探して裏山に行ったら、この子が薄笑いしながらそれを見ているんです。私はぞっとしましたよ。私への嫌がらせなんです。この子はおかしくなって、そんな嫌がらせしか出来なくなったんです」と母親は泣きつづける。

なんでそのオブジェが自分への嫌がらせと感じられるのか、その根拠を聞いてみるが、「そうに決まっている」と言うばかりである。少年のほうは無表情なまま。少年だけと話をしてみるが、感情がこもらないながら、コミュニケーション能力にはいささかの障害もない。ただ淡々と通り一遍のことをいう。学校が面白くないから行かない。することがないから一人遊びしていた。夕方には帰っているから、そんなに心配かけたと思っていなかった、などなど。

定番のやり方として、登校を強いることなく、週に1−2回心理療法士と面接をさせる。私はガキは苦手なので、報告だけを受けることにする。そうこうするうち、少年の母親と院内で出食わした。なんでも姑、つまり少年の祖母が急変して入院したのだと言う。午前中だったが、母親はかなりのアルコール臭を漂わせていた。

次の面接のとき、私は苦手覚悟で少年と直接話して見た。母親はいつから酒浸りになっているのか、と。面接テクニックもクソもなく、単刀直入路線である。少年はしばらく押し黙っていたが、そのうち自分から話し出す。もう1年以上、朝から酒を飲んでいる。もともと祖母と折り合いが悪く、口ゲンカで言い負かされては台所で飲むのだと言う。

少年はそんな母親が心配で、家を離れられずに裏山から様子をうかがっていたらしい。奇妙なぶら下げアートは、おまじないのつもりだったと。いつも傍にいられないので、母親に悪いことが起こらないようにと念じてあれを作った。ブラブラしているものがそのままであれば、母親は守られると思っていたらしい。母親が自分へのあてつけと感じたのは、ちょっと方向違いだったわけだ。その創作センスは全面的に了解できるものではないが、切ない気持ちはわからぬではない。

この少年はそのうち自分から登校し始めた。祖母が結局意識が戻らぬまま死亡し、母親がさしあたって程ほどに安定した、というのが一番の理由だと思う。いくら姑との葛藤がなくなったとはいえ、その程度のことで母親の問題がかたずくとは思えず、そのうちまた別の形で再燃するに違いないが。でもまあ、その時には少年はもっとふてぶてしく育っているだろう。少なくとも私がその病院にいる間は、その一家が再び相談に現れることはなかった。

いがらしみきおの「SINK」をよんで、あの少年がつくったオブジェはこんなものだったのだろうな、といささかビックリしてしまった。もちろん、いがらしみきおの作品とは何の関係もないことなのだけれど。(2001/11/16)

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妙な論文を掲載することでは定評のあるBritish Medical Journalが、ここのところあたり前の論文ばかりをのせていて、ちょっと残念だったのだけれど、今回クリスマス特集ということからか、重厚超絶系を3本もまとめてくれている。

これらは"Beyond science?"「科学を超える?」というシリーズにひっくるめられていて、これらの論文周囲にちりばめられた小コラムとあわせ読むと、編集陣のスタンスが良く分かるつくりになっている。それは個々の内容はともかくも、学問とは何よりも楽しむもの、という弾む心の発露であろう。

まず最初の論文の紹介から。"The Hound of the Baskervilles effect:natural experiment on the influence of psychological stress on timing of death" 、of とonばっかりだが、「『バスカヴィル家の犬』効果について:死期についての心理的ストレスの影響の研究」と題された、UCSD社会学講座の研究者による論文である。

「バスカヴィル家の犬」はご存知、医者でもあったコナンドイルによるホームズ物で、心疾患をもった被害者が、犯人から死期を暗示する工作を受けつづけ、その死を早められる事件である。著者たちは、人は死の暗示によって本当に死期が早まるのではないかと考え、その考察を行う対象として、日本人と中国人が「4」という数字を不吉なものとする感覚に注目した。

著者たちは、1973年から1998年までの、米国内での総死亡をコンピュータ分析し、日系と中国系をあわせたものと、他の白人系米人の死亡とを比較した。その結果、心疾患による死亡に限れば、日系および中国系はすべての月の4日に死亡する率が、他の日に死亡するよりも13%高いことが示された。カリフォルニア州だけを取れば、27%の増加で、特に入院患者に限れば、実に45%の増加率を示すという(グラフ1参照)。前後の死亡率低下がないことを見ても、死亡届だけをその日にしている、といった可能性もない。ついでに、白人は13日にたくさん死ぬか、というとそんなことはない。

心疾患で入院している中国系と日系人は、カレンダーを眺めながら、ああ、もうじき4日が来るのか、俺の命もそこまでなんだなぁ、と嘆息し、事実その日にみまかる、ということが米国では起こっているらしい。不思議なのは、日本で臨床をしていると、まるっきりそんな傾向に気づかず、せいぜいが仏滅の日に退院するのは嫌だと主張する人がいるぐらいなんですがねぇ。異文化で暮らすと、余計迷信深くなるということなんだろうか。

この現象について著者たちは別の説明も検討しているが、むしろ合理的ではないとする。この現象は厳然として存在する、としかいえないようだ。「コナンドイルは大作家であったばかりではなく、直観力にとんだ臨床家であった」というのが著者たちの結論。

さてその次のページ。"Effect of rosary prayer and yoga mantoras on autonomic cardiovascular rhythms:comparative study" 「ロザリオの祈りとヨガのマントラが自律的循環リズムにおよぼす影響に付いて:比較的研究」、著者たちはイタリアの循環器専門医である。

これは健康なボランティアによる生理学的実験で、ロザリオもマントラも、ほぼ同じように呼吸と循環を規則的にし、血流改善に効果が高いことが示されている。著者たちは、キリスト教のロザリオはその起源をヨガ行者やチベット仏教にあることを指摘し、これらが信仰と健康維持両方に役立つと主張している。たぶんそのうち、みのもんたあたりがTVで言うはずなので、その前に流行らせましょうね。

2番目はわりに常識的だったが、最後は重量級である。"Effect of remote, retroactive intercessory prayer on outcomes in patients with bloodstream infection:randamaised controlled trial"「敗血症患者の転帰に関する、遠隔的、遡及的祈祷効果について:ランダム化比較研究」今まで2回ほど、祈祷者による祈り効果を検討する論文を紹介したことはあるが、今回のこの論文が驚天動地なところは、「遡及的」とうたっているように、過去の出来事に対する祈祷効果を検討していることである。

いうならば、この論文はランダム化された手続きで、神への祈りは時空をこえて届くことを証明しようとしている。この発想は、八百万の神しか相手にしない我々には、ちょっと出てこないものだ。

研究の概要を説明する。1990年6月に、対象となる大学病院に入院し、敗血症と診断された3393例の成人患者のデータをまず取り出す。そして2000年の7月にこれをコイントスと乱数の組み合わせで2群に分ける。1群のファーストネームのリストを作り、祈祷者はそのリストに対して、健康回復を祈るのである。この時点で、患者たちの運命はすでに決しているわけだが、もちろん祈祷者はそれを知らず、患者たちは10年前の時点で、のちにこのような経緯で祈りが捧げられるということは知らない。いうならば、究極の二重盲検法である。

祈祷群、非祈祷群両方とも疾患の重篤さ、一般的な身体的精神的状況に有意の差はなく、もちろん本来の治療にも差はない。ところがそれらのデータを比較してみると、祈祷群の入院期間は、非祈祷群の実に半分であった(165日/320日)。ごくわずかではあるが、祈祷群の死亡率は低かった(28.1%/30.3%)

祈祷を受けたグループは、10年後にそれが行われるという運命にあったから、その時点でよりよい経過を見せたのだ、という結論になる。「これらのことがなされたのは、すでに定められていたからである」というところか。

著者たちは結論として、「この治療的介入は経費がかからず、おそらく副作用もない。臨床的適用が検討されるべきである」としている。なお著者はイスラエル、ラビンメディカルセンターの教授である。なるほどな、といわざるを得ない。それにしても向こうの神様はドライなもので、専門家による祈祷という、一定の手続きがない限り、福音の安売りはしないようだ。契約と義務によって律せられる、まことに厳しい神様で、私らがイメージするような軟弱いいとこ取り可能な優しさとは無縁、というところか。

なお、この論文内容とはまったく無関係なのだが、たまたま同じページに掲載されていた顕微鏡写真が面白いのでついでに紹介しておく。膣頚部のスメア検体なのだけれど、「赤鼻のトナカイ」にみえますなぁ。これは上記3論文への、編集陣の秀逸なコメントにもなっているようで。(2001/12/21)

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私の外来に、中年女性が訪れた。20台半ばの息子のことで相談したいという。二つ違いの姉も付き添っている。母親が言うには、息子は一年近く二階の自室に閉じこもり、ここ半年ほどは皆で食事をとることもない。食事を用意しておけば、真夜中におりてきて食べてはいる。ときどきイライラするのか、大声をあげて壁を叩いていることもある。

姉の婚約者とは結構話もして、そのとき断片的に訴えたことによると、自分には変なことが起きるようになった、見えるはずのないものがみえたり、変な音が聞こえたりする、何でこんなことが起こるのか、不安で仕方がないのだ、と。

その家の父親は以前自営業をやっていたが、2年前に不況で倒産し、いまは行方をくらましているのだという。息子は一緒にその仕事をやっていたが、それ以後はすこしアルバイトをした程度で、そのうち引きこもるようになった。父親の力になれなかったことを深く悔いていて、こんな変なことが起こるようになったのはそのせいではないか、などということもある。時には母親や姉に対して、こんなことが起こるようになった原因を知っているのではないか、と問い詰めたりすることもあるらしい。暴力を振るうようなことはないが「こんなことがいつ終わるかぐらいは知っているのではないか?」と不安げにたずねられると、みな困惑するしかない。

本人は3年程前から片頭痛発作が起きていて、近くの大学病院の神経内科に通っているという。そこの主治医は信頼しているようだというので、私はその主治医に連絡をとって、何らかの精神疾患であるかもしれないので、受診をすすめてもらえないかと頼んだ。向こうは快諾してくれ、できる限りやってみるという返事だった。

さて本人が受診する以前から、私の予想はまず分裂病(いや、統合失調症というべきか)だろうというものだった。けっこう複雑そうな家庭事情が引き金となって発病にいたったのだろう。幻聴もあるようだし、妄想的にもなっているようだ。「見えるはずのないものがみえ」るというのがちょっと妙だが、何らかの妄想的解釈なのかもしれない。

さて、はじめの相談から二週間もたたないころ、本人が受診してきた。家族はほとんどパニック状態で電話してきて、「信頼している姉の婚約者といっしょに行くが、すでに相談しに行ったことだけはなんとか伏せてくれ」とのこと。カルテを一ページ飛ばして、今までの記載を見えないようにする、というセコイ対応で行くことにした。

診察室に入ってきた本人をみて、私はアレレレ、と感じた。発病からそう時間をへていない分裂病者を予想していたのに、本人はごく普通の若者だった。こう言うと、一般の人だけでなく、他科の医者からも、お前らはひと目で分裂病がわかるのかと言われそうだが、実はかなりの確率でこれがわかるのである。

リュムケというオランダの精神科医が六十年程前にいいだした概念で、「プレコックス感」(分裂病臭さ、とも言う)というのがあり、分裂病者と相対した人間の側に起こる、主観的にして普遍的な感覚とされる。主観的なのに普遍的とはなんじゃい、といわれるのは承知のうえで、これは例えば名画を前にした感動などとも同じようなもので、言葉にしようとしても言葉にならない種類の体験なのである。

その体験を分析しようとすれば、表情の乏しさとか、本人はかなり特殊な状況に置かれていると確信しているにもかかわらず、周囲に対して独特の無関心があると感じられることなどがその理由になるのかもしれない。若い頃はそんなアホな診断根拠があるかい、もっと客観的な診断基準を示せないと無意味だ、なんて思っていたのだが、今ではこれにはかなり本質的な部分があるように感じている。少なくともDSM-VIなんぞで、とおりいっぺんの診断しているだけではけっして見えないものの代表であろう。

とにかく、本人にはこのプレコックス感が全くないのである。話もハキハキとよどみなく、思路の障害などみじんも感じさせない。「いやー、大学の先生に頭痛以外で困ってることがあるんでしょ、と言われて初めて相談したんですよ。確かに困ってはいたんだけれど、とてもいう気にはなれなかったもんで」と、照れながら症状を説明する。

彼によれば、父親が失踪した頃から、ときどき妙な発作が起きる。目の前に小人があらわれ、しばらくの間、そのまま見えている。視界の真中がその小人に邪魔されるが、自分の立ち振る舞いにはそれほど困らない。小人は知人だったり、TV登場人物だったり、たまには動物であることもある。カラーで見えている様に思うが、そんなに意識していない。立体的といえるかどうか、自信がない。それが見えているとき、耳鳴がいっしょに来ることがあり、これは単音だったり海鳴りみたいな音だったり色々だという。人の声なんかではない。また独特のめまい感もおこる。単にふらふらするだけでなく、自分の身体が歪んでいくような、すぐそこにある机に手が届かなくなるような、いいようのない感覚を感じることもある。そうこうする間に、片頭痛発作が来ることもあり、来ないこともある。

あんまり妙な出来事なので、何かオカルトじみたことなのではないか、と心配してしまった。家の商売がつぶれて、父親が失踪したとき、ちゃんと力になってやれなかった。父親は多分どこかで死んでいるとおもうが、その悔しい思いがこんなかたちで自分に伝わってきているのではないか、と思ったりした。母や姉にもそれが伝わっていないか気になったので、問い詰めたりしたことがあったけど、考えてみれば馬鹿な話だ、とも。

どうもこれは器質的な幻覚症であるようで、それも片頭痛発作と関連しているらしきことがうかがわれる。私が、妄想症状だと予断したのも、不思議な症状をオカルト的に解釈しようとしただけのことのようだ。脳脚幻覚症という、幻視をメインにした症状をしめす、もっぱら脳血管障害をもつ老人患者におこる病態があるが、それに類似した病態なのだろう。すでに大学病院で片頭痛の予防薬は処方されているが、もう少し強力な薬にしたほうがいいかもしれない。脳脚幻覚症は向精神病薬の少量投与で著効するが、この人の場合もそれに準じていいように思われた。MRIやCTは大学でやっていて、まったく異常がないといわれたとのことで、こちらでは脳波検査を予約して、次回の受診とした。

頭の片隅に、小人幻覚と自分の身体のゆがみというのでなにか引っかかっていたので、検索してみたら、「不思議の国のアリス症候群」という名称があるのを発見した。なんでもアリスを書いたルイス・キャロルは片頭痛もちであって、自分の体験をもとにあの物語をかいたのではないか、と言われているそうな。

PubMedで"Alice in Wonderland syndrome"で検索してみると、本来は片頭痛の随伴症候群として記載されたようだが、かなり多くの病態を基礎にして起こりえるものであることがわかった。この例もSPECTだのPETだのをしつこくやれば、論文のひとつにでもなるだろうが、それは大学病院のいままでの主治医にゆずっておくことにする。コントロールがそう難しくないとはいえ、けっこう腰をいれて対応しなければならないのは、ふつうの精神疾患とおなじだし、いろいろ先端的検査をやったからといって、べつに治療手段につながるわけでもない。

それにしても、ふだんみている分裂病がこんな風に、患者自身が症状を客観的にとらえられるようなものならどれほど楽なことか、というのを実感した症例だった。同じような症状がもし分裂病と診断できる範疇の人に起これば、この症例にあったような一時的な想像は、たちまち確信へとかわり、その確信はさらに別の思い込みを生んで堂々巡りになっていく。弱い自我はそうした意味の氾濫にたえられず、解体の危機にまっしぐらに向かっていくことになる。「不思議の国のアリス症候群」というのはその名のとおり、まことに不思議なものではあるけれど、分裂病の不思議さに比べると、せいぜい小結級というところか。(2002/01/27)

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先日TVをみていたら、「がんばらない」という本を書かれた諏訪中央病院院長、鎌田実氏が出演しておられ、病院での苦労話や御自分の医療姿勢について語っておられた。私は以前、あいまいなかたちではあったが、このかたが仕事してこられた病院について記事を書いたことがある。この病院の軌跡はまことに興味あるもので、その一部をうかがうことが出来たのはまことに貴重な体験であった、と思ってはいる。でも、この本については私はあまり受け入れられない。単に「気に入らない」と言うだけのことなのかもしれないけれど。

実はこの人の本をそんなにくわしく読みこんでいないので、間違っているかもしれないのだが、「がんばらない」という題名はもちろん医療を受けるがわに向けられたもので、医療供給側は当然がんばるのだろう。医療技術神話よりはやさしさ物語のほうがましだとは思うものの、やはり私のようなヒネクレものは、ちょっとカンベンしてくれといいたくなってしまうのだ。

取り立ててこの病院だけに特別なことでもない医療経営の建前とか、ポーズにすぎぬものを、なにか大層な人のあり方みたいにいわれてもなとおもう。病院というところは本来、生きるか死ぬか、自分が壊れるかどうかの瀬戸際という、非常時に利用すべきところなので、そんなときに「人との出会い」だの、「人の尊厳」がどうのだのというような世迷い事はでる幕がない。「患者の目線」なんぞで医療がおこなわれていたら、なーんもできゃしませんよ、ホンマ。「専門家の目線」が最優先されるべきものでしょう、当然。

近代医療は疾病を対象化し、個別の患者におこるさまざまな体験を一律に抽象的事実として取り出すことで進歩してきた。あなたの痛み、私の苦しみは、操作可能な抽象的実体なのであって、体験する人からはもはや離れたものなのだ。

もちろんそれは基本的なハードの部分でのとらえかたで、物事にはソフトの部分もあるのは事実。それらが離れがたくあいまって、ある疾病とそれを克服する医療の物語がはじまるわけだ。それは一種のゲームといってもよく、有限の生と避けがたい老化という限界の中で、チャレンジによる一時的勝利とか、手ひどい敗退という結果を追い求めるわけだ。理想的な治療者−患者のタッグが疾病に向かうさまは、まるでブリューゲルの「死の勝利」のなかで、せまりくる死の軍勢に剣を構える騎士たちのように美しい。

確かに今までの医療機関が、客商売という前提を忘れて、患者がわにたいして利益をもたらすわけでもない治療を一方的におしつけてきたのはそのとおり。かなり厳しい結果も覚悟しなければならない医療というゲームに参加する人々には、もっとサービス精神豊かに接するべきなのは当然だ。

私が理想としてイメージするのは、賭場に出入りする旦那衆にたいする極道の態度である。公平性が保障される秩序をまもり、ツキなく往生する客への配慮は忘れず、もちろん無意味な同情をするのではなく、再チャレンジへの意欲をうまく引き出し、当然テラ銭はきっちりいただく。

ゲームだからルールは関係者に熟知され、かつ守られる必要がある。そこらあたりは確かにまずかった面が多い。十分な情報公開と説明が医療側の義務になるし、あまっちょろい幻想をすてて、腰を入れて医療というゲームに参加するのが患者側の態度であるべきだ。

そこをいい加減にした、腑抜けたやさしさ物語ばかりが主張されるのがいやなのだ。もともとの本は決してそんな内容ではないとは思うが、いまの医療の状況では、そういう風にしか理解されないのも悲しい事実。アマゾンのコメント見ても、そんなんばっかし。

あの病院が多くの人の努力の結果、先端設備と関係者の高い士気にささえられる、日本でも有数の優良病院となったことは承知の上で、医療従事者精神訓話だけがそこから取り出されるのでは、あまりに実りがないと思うのだ。(2002/01/06)

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ネタ系論文探しに重宝しているBritish Medical Journalだが、今回はまじめな記事を。いわゆる風邪に対する薬物処方に効果はあるのか、というランダム化比較研究のレビューで、なかなか考えさせられるところが多い。

結論から先に言えば、風邪症状に対する鎮咳剤(セキ止め)の使用はやめたほうがいいというのと(ほとんどの調査で、治癒までにかかる時間が有意に延びる)、そのほかの薬(抗ヒスタミン剤とか、喀痰融解剤とか)については、はっきりしたことはいえず、治癒にいたる期間が短縮されることもあり、かえって長引くこともあるというもの。

こんなことバラすと驚かれるかもしれないが、病院で採用している風邪薬は普通、二種類だけである。ひとつはPL顆粒という抗ヒスタミン剤と少量の抗炎症剤二剤の合剤で、もうひとつはダンリッチという鎮咳剤と抗ヒスタミン剤、抗コリン剤の合剤である。前者には鎮咳剤がないので、別の咳止めを組み合わせ、後者には抗炎症剤が入っていないので、痛みが強かったり、熱が出ていたら抗炎症剤を別に足したりする。もうひとつ、漢方製剤と軽い抗炎症剤を組み合わせた、アスゲンというマイナーな医家向け感冒薬をつかうところもあるが、これは一番市販感冒剤にちかい。私はこれがいちばん使いやすいような気がするが、古い薬で今採用している病院は少ないだろう。

病院ではさまざまな手段で治療が受けられるはずだと思っていても、内容はその程度のものなのだ。もちろん、漢方に習熟しているような医師は、かなりきめ細かく病期を判断して、独自の漢方処方をする。私は抗ヒスタミン剤にやたらに弱いので、鼻かぜを引いたら葛根湯か小青竜湯を規定の三倍ほど飲んでしのぐことが多いけれど、それはただ眠くならないから、という理由だけ。放っておいても治るときには治るし、続くときには続く。

市販の風邪薬には実に色々な成分が少量ずつ入っているが、病院でああいう風に枯れ木も山の賑わいのごとく処方しようとすると、服薬だけで腹いっぱいになるほど薬が増える。しかも先のBMJのレビューからすれば(もちろん、医師ならだれでもうすうす感じていることだが)、咳止めは無意味だし、そのほかの薬もなんともいえないのである。

それは熱がガンガン出たり、咳で夜も眠れぬ、というときに症状を緩和して体力温存をはかる、というのは意味あることだと私もおもう。でも、病院に風邪でくるかなりの部分の人は、「ひどくならないうちに早く治しておこうと思って」などという。医療機関の客寄せコピーの代表が、早期発見早期治療であるが、すくなくとも普通の風邪にかんしてはこれは全くのウソ。早めに薬を飲んでどうなるものでもないし、ちょっと弱りかけているときに、本物の強力なウイルス感染者と出くわす危険の多い病院などにやってくるのは、全くの無意味。

そりゃ世の中には運の悪い人がいて、風邪症状がちょっと続いていたかと思うと、本格的な症状が出てきてたちまち危篤状態ということもある。でもその人が軽症期に医療機関に来ていても、やはりとおりいっぺんの無意味処方がされるだけで、まず重症化の兆候が見つかることはないだろう。持病などがある場合はまた別だけど。

というようなわけで、そう重症でもない風邪ぐらいで病院を利用するのはやめたほうがいい、というのが今回の提案。鼻水ぐずぐずで、ちょっと頭ぼんやり、という程度なら、私のお勧めは「タイガーバーム」とかメンタム類を胸にぬりこんで早めに寝るというもの。もちろん、かぶれが出るような人は別途工夫を。なんであれ、休養をとるのが一番で、仕事に行かねばならぬから薬をだせ、点滴をしろなどというのは論外なのだ。(2002/02/09)

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じつはこの題目で書き始めるのは、これで数回目である。いつも途中で挫折する。なんと言っても医学領域全般を対象にするのは手があまることと、ごくまれなラッキーケースを盾にした反論が予測されることによる。検診でたまたまガンが見つかり、それを治療したおかげで今もこんなに元気に暮らしている、という類の「美談」である。

はっきりいって、こういうのには言い返す気持ちもわかない。まるで風水グッズを買ったから金持ちになった、と怪しげな勧誘ビラに書かれている喜びの声をみる思いだ。インチキ商品なら多少の損で終わりだが、検診でみつかる致命的疾患の治療に否応なく巻き込まれるとすれば、並みでは済まないダメージを覚悟しなければならない。なんの自覚症状もなく過ぎてきたなら、それを享受しておけばいいではないか、なんでわざわざ自分から早めに苦痛を選び取って「医学の成果」の証人にならねばならんのだ、と感じるのは論外なのだろうか。

いくら健康だと思っていても、この世は諸行無常で、どこかに破滅の暗い影がさしているかもしれない、というような人生観の持ち主が検診をうけるのか、というとそんなことはなく、それを受けるのは「健康づくり」のためなのだと、ほとんどの人が信じているのである。医師たちのかかげる「早期発見・早期治療」標語を、ここまで人が素直に信じるのはなぜなのだろう。まるで現代に機能する唯一の護符であるかのようだ。

世の中には運の悪い人がいる。若い人でも、軽い風邪だと思っていたらたちまち高熱がでて、重度の肺炎になって命を落とすようなことは現実にある。一家の大黒柱が突然クモ膜下出血、まったくなすすべもない、ということもある。当人や家族にとってみれば理不尽きわまる話であろう。だからといって、運命というものから逃れられる人はいないのである。

厚労省の統計によれば、平成12年、50歳代でのくも膜下出血死亡は総数2624名にのぼる。この疾患はそれまで健康だった人が突然発症することが多いため、現役の働き手には怖い病気だ。いわゆる「脳ドック」がその不安に付け込んで商売しているのだが、考えてみれば妙な話だ。脳ドックはもっぱら脳動脈瘤を見つけることを目的にしているのだが、仮に見つかったとしても、くも膜下出血をおこす危険性を予防するためには、いままで何の不都合もなかった人が、リスクの高い開頭術を受けるしかない。もちろん、軽度のものなら血圧管理などを厳重にして経過を見て、破裂は時間の問題というようなものだけを手術対象にするというような柔軟な対応をするだろう(そう思いたい)が、見つけられた人は不安が増すだけであろう。

さきの統計からからいえば、同年の交通事故や不慮の事故での同年代の死亡は6000を越す。自殺も含めるとその倍以上だ。理不尽さでは同じで、可能性はよっぽどこれらのほうが高い。脳ドックが商売のネタにしている不安は、かなりバランスを逸しているとしかいえない。

それは脳ドック特殊の話だろう、と言われるかもしれないが、ガン検診などもまったく同じであることは、「がんは切ればなおるのか」の著者として知られる近藤誠医師が巻き起こした論争によって明らかであろう。権威あるとされている専門家たちが、近藤氏に悪罵を投げかけているのをいまもネットで確認できるが、その理屈はまったく顛倒したものだ。

例えばここでは国立がんセンター名誉理事という肩書きの持ち主が、こういっている。「日本でたくさん見つかっている早期胃ガンは、ほとんど"がんもどき"であり、放置しておいて、それが進行ガンになったのは見たことがないと近藤氏は言う。ここに至っては、そういう症例をたくさん見ているであろう本誌(注:『胃と腸』という専門雑誌)の読者は、とても耐えられなくなってくる」と。

この記述はおかしい。すべての早期胃ガンが進行ガンになるという信仰の蔓延している日本の医学業界で、早期胃ガンを見つけて放っておく医師がどこにいるというのか。近藤氏の「がんもどき」理論というのは確かに正確さを欠くのだが、検診で見つけた早期胃ガンを、それを飯の種にしてきた連中が、みすみす取り逃がすことなんかあるわけがない。ほとんど切ってしまうのだから、本当に全部が進行ガンになるかどうかなんて確認しようがない。そもそも不安に駆られてガン検診を受けるような人が、ガンが見つかったという脅しに屈しないはずがないじゃないか。もちろん、そうして必要がない可能性が高い手術を受けたために、体力低下をきたして本来はそうなるはずもなかった進行ガンへの移行、という事態も多いはずだと私は思う。

またこの人は、近藤氏が「日本の外科医の平均的手術レベルの高さには目を覆っている」などとおめでたいこともいっている。平均的手術死は1%以下なのだと。そりゃいかに健康な人ばっかり切り刻んでいるか、ということの証明だろう。この人はさらに「世界の先進国ドイツ、オランダ、イギリスなどは、およそその(注:日本の胃ガン手術死亡率)50−150倍の死亡率であることは率直に認めるべきであろう」などと続けるのだが、そういうしょぼい腕の持ち主しかいないはずのそれら先進国では、そもそも胃ガン死亡が圧倒的に少ないことにもふれるべきであろう。ガンというのは生活スタイルによってその内訳が変わってくるので、昔多数をしめた胃ガン死亡が減少したのは検診の結果でも、外科医の腕の差でもなく、単に食生活の欧米化の結果でしかないのだ。もちろん、「早期胃ガン」という当面汲めども尽きぬ「利権」を開発した日本医学界の力は大きいのだが。(単純化して言うと、早期ガンだとインネンをつけ、必要もない手術をして、直してやったのはオレのおかげだ、といってるだけであるかもしれないのだ)

私は近藤氏の言うことがすべて正しいとは思わないが、日本でもガン告知が進んだのは彼のおかげによるところが多いとおもうし、いろいろな選択枝を患者側が選ぶ端緒になったことはいくら評価しても足らないと思う。今までのように、患者家族にむやみなパニック起こさせ、重大な侵襲のある治療を言うがままに受けさせるようなことは今後減っていくだろう。少しづつではあるだろうけれど。

本当は私の領域である精神疾患の「早期発見・早期治療」論をメインにするつもりだった。私は研修医の頃から教授に「精神疾患で早期発見・早期治療なんか無意味」といわれていて、それが常識だと思っていたのだ。ところが案外そうでもないらしい。行政なんかがポーズとして言うだけなんだろうと思っていたら、けっこう専門家が使うのである。本の題名として、明らかに別の内容なのに、このもんどころをつかっているまである。これについてはまた別に述べたい。(2002/03/22)

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近代医学が果たした犯罪的あやまちについて語られるとき、おそらくその筆頭に来るのが、ロボトミーとひとくくりされる精神外科手法であろう(ロボトミーの簡単な説明についてはこちらがわかりやすい。無断リンクゴメン)。他にも細菌兵器とか化学兵器などの大量殺人手段の開発とか、合理的合目的的拷問方法の考案などといった物騒なものにかかわっていた医学関係者は数多いはずなのに、少なくとも善意の治療的意図から考え出された(筈の)精神外科が、まるで悪魔的人類敵対行為のように言われ続けているのが、ちょっと気の毒に思えるほどだ。

ちょっとネットをひとまわりしてみても、この「治療方法」に対するいささか神話的なまでの嫌悪感を感じることができる。それは「脳の中でも最も人間らしい知的活動をつかさどっているといわれている前頭葉」に傷害をあたえ、人間が人間であるゆえんを否定し、人を思うがままに支配しようとする悪意の体現であるとされる。実際はそんな大層なことはなく、脳科学が進歩していなかった時代の、あまりにつたない蛮勇の結果でしかないのだが、科学的操作主義の典型のように言われてしまう。

この手術の原型は十九世紀の終わりごろ、スイスのブルクハルトによって精神病者の行動変容を起こす目的で脳組織を切除されたのが最初らしい。しかし、この結果はあまりちゃんと報告されなかったようだ。たぶんかなりヤバイ結果に終わったのだろう。また二十世紀初頭に、ロシアの医師によっても同様の手術がおこなわれたというが、その経緯は充分知られていない。普通、精神外科の創始者という名誉(?)を担うのはポルトガルのエガス・モニス(1874-1955)である。この人の一生はなかなか興味あるものなのでちょっと紹介してみたい。

彼の本名はアントニオ・カエターノ・ドゥ・アブレウ・フレイレという。名前にドゥなどがついているということは、貴族の出なのだろう。彼は名付け親からエガス・モニスという別名をもらい、それを愛称とし、後にはペンネームとした。エガス・モニスはかってムーア人から祖国ポルトガルの独立を勝ち取った、民族的英雄の名前である。コインブラ大学での学生時代、彼は群を抜いた俊英として、また熱心な反王政共和派政治活動家としても知られた。モニスの名前で王政打倒のアジビラを書きまくり、大衆的抗議行動を組織する(王政にとっては)かなりの危険人物だったようである。彼は数学や工学でも優秀な成績をおさめたが、最終的に医学にすすみ、神経学で学位取得後、フランスへ留学してかのバビンスキーやマリーという当時の錚々たる神経学者について学んでいる。そしてわずか28歳にしてコインブラ大学の教授となり、九年後にはリスボン大学の神経学教授となった。

おりしもその頃ポルトガルは、王政から第一共和制への移行という政治の季節を迎えていて、彼は成立したばかりの共和制政府に請われて(というよりは彼自身がその成立にかなりの働きをしたようだ)、第一線の政治家として活躍することになる。彼はまずスペイン大使をつとめ、第一次大戦時には外務大臣になっている。かのベルサイユ会議には戦勝国側のポルトガル全権代表として参加した。しかしその後、ポルトガルには王政復古の揺り返しがきて、モニスは失意のなか、象牙の塔に帰ることになる。

大学に戻ったモニスは、当時の最新テクニックであった気脳写(髄液を空気で置換し、脳の立体的構造をX線写真で調べる技術。後でやたらにひどい頭痛がくるので有名)を研究し、さらにくわしい所見を得るために脳動脈撮影法を考案する。死体を使って適切な造影剤を見つける実験から始めた、ということなので、そもそも血管造影法自体の創始者と言ってもいいのかもしれない。彼は1927年にこれを臨床応用し、頭蓋内の正常血管分布にかんする論文や、脳腫瘍の診断について大量の論文を発行している。

そしていよいよ彼が真打になる日がやってくる。1935年、国際学会で発表された、チンパンジーの実験的神経症が前頭葉の外科的切除で改善した、という報告を聞いたのである。彼は人間にも適用できるに違いないと直感した。それをそのまま人間にもやってみようという気になるのは少々不思議ともいえるが、モニスの場合、脳動脈撮影の経験が豊富で、脳内血管分布を熟知していたため、どうすれば致命的出血という合併症を避けられるか、という知識だけはたっぷりあったのが、軽はずみとしかいえない試みへ踏み出した根拠だろう。

もちろん、頭部外傷患者の観察などから、前頭葉への傷害はそれほど目に見える機能障害をきたさない、という報告がすでにあったこともこの実験に踏み切った理由のひとつとはいえる。しかし、たいした障害がおこらないということと、精神病への治療的効果があるということは全然違うことなのである。これはやはりその当時に、精神病は脳病であって、基本的には治るものではない、という確信が一般化したことと無関係ではあるまい。腐りかけた脳みそなら、多少の操作をしようがどうということはないだろう、という軽率な決め付けがその実験的手術の根拠となったことはまず間違いない。

彼は36年に20例の手術を行い、その成果を六ヶ国語で発表した。13例が激越性うつ病で7例が分裂病だった。うつ病はすべて著明改善、分裂病は2例だけに改善があったとされる。しかし、全体に無関心になり、ぼんやりしたことをもって彼はよくなったしるしだとした。確かに苦悶を中心症状とする激越性うつ病なら、ボケてしまえばそんなに苦痛はなくなるだろう。彼のやり方は場当たり的で、術後の観察もせいぜい二ヶ月ぐらいだったが、少なくともその間、致命的な合併症はなかった。本当はもっと症例を重ねるつもりであったらしい。しかし患者を紹介する立場の精神病院院長は、この手術自体には初めから批判的だったが、彼の政治的力量に押し切られた形で実験的手術に同意していた。しかも、その結果にはもっと批判的だったため、モニス自身がかかわった手術は20例に終わったのである。

この発表は世界的センセーションを呼び起こした。それまでの内因性精神病に関する精神医学論文といえば、症状論とか分類論、せいぜい長期観察結果から予後をうんぬんするといった程度だった。それが、多少怪しげとはいえ、20例中15例に改善をもたらしたと言うのである。彼の方法は各国で追試され、術式は改良され、手当たり次第の患者に適用されていった。なお、彼自身は最初の報告以後はこの手術に全くかかわっていない。先の事情に加え、後に述べる事情もあったのだけれど。

彼は欧米各国からその栄誉をたたえる賞をもらい、母国では記念切手にまでなった。医学研究のかたわら、彼は粋なプレイボーイとしてもしられた。歴史研究や文芸評論にも進出し、作曲家としても活動している。なぜかトランプゲームの本まで出している。モニスに批判的な論者のなかには(といって、好意的な論者などいないのだけれど)、彼が正式に出版した書物がそれであることをもって(実際は先の評論や論文集などが出版されている)、彼は一種の詐欺師であって、そもそもまともな医学教育すら受けていないと批判する人までいる。彼はリスボンの夜を徘徊する賭博師だったのだと。しかしそれは全くの言いがかりであり、実際は上に述べたように、多少ならず自己アピール意識が強い人とはいえ、正統的な教育を受け、精神疾患とそれなりに戦おうとした学者なのだ。彼は当時、小国ポルトガルの知的スーパーマンとしてもてはやされたのだが、好事魔多し。1939年、ロボトミー考案のわずか三年後、彼は自分の患者(ロボトミー手術を受けた人ではないようだ)に銃撃されて下半身麻痺となり、車椅子生活を余儀なくされるようになる。

1949年、モニスはスイスの脳科学者W・R・ヘスとの共同受賞(べつに共同研究していたわけではない)という形で、ノーベル医学生理学賞をもらっている。このわずか三年後、向精神病薬クロールプロマジンが精神病治療に導入され、ロボトミーがすたれていくことをおもうと、絶妙のタイミングであったと言わざるをえない。冷静に判断すれば、先に彼が創始した血管造影術自体、充分ノーベル賞受賞に値する業績なのだ。それがロボトミー手術で受賞したという事情の影には、当時も根強い批判があり、実際、夢の治療法というには綻びが目立ちすぎていた技術に、創始者という依代をつくり、その上で祭り捨てようという当時の学界の無意識的思惑が働いていたようにも思えるのである。

しかしモニス自身にはその告発は届くことなく、ノーベル賞受賞の六年後、故郷の農園で彼は安らかな死を迎えた。享年81であった。彼の人生とその「功績」から、医学にかかわるものが今学ぶことは実に多いと私は思う。(2002/05/09)

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二日おくれの感想になってしまうのだが、一昨日は「憲法記念日」だったのだ。「憲法」というと私は、かって京都府知事が蜷川虎三氏であったころのことを思い出す。

蜷川氏は1950年から実に7期28年間、京都府知事をつとめられた。私が生まれてからそこそこの若造になるまで、知事といえば蜷川さんだったのだ。「一休さん」にくわしい人なら、足利将軍のブレーンに蜷川新右衛門という人がいるのをご存知だろうが、私なんか、なるほど蜷川さんは室町時代から京都権力の中枢にいたのだな、と思っていたものだった。(蜷川新右衛門は実在の人物であるが、蜷川虎三氏の先祖であるかどうかは知らない)

与党の日本共産党、社会党(旧)は「地方自治の灯台」と自画自賛し、民主連合政府が出来たら、初代首相は蜷川さんだと持ち上げた。反対勢力は「京都人民独裁政権」と非難し、府庁の場所から「釜座(かまんざ)幕府」と揶揄した。

蜷川氏は、戦時中は熱心な翼賛愛国知識人で、聖戦遂行のアジをやりまくった人であるのだが、戦後は官僚を経て、どういう経緯か革新派知事になられた。たいがいの保守政治家が若いころはマルクス主義者であったのと正反対であるが、よく観察してみると、民主的政治家と呼ばれる人にこのパターンはけっこう多い。市川房枝とか。

彼の民主府政はなんであったのか、と大上段にかたる材料は私にはない。ただ、どこの自治体でもある程度ささやかれる、情実行政がかなり横行するものであったという印象はある。もっとも、それは地域で革新派の小ボスが跳梁するということで、裏で金が変に動くような噂はなかったし、その情実は一応住民の側に向いていたと思う。大企業や国の側だけを向いていなかったことは確かで、80年代まで京都では巨大プロジェクトという名の自然破壊がそんなに進むこともなく、街並みとそれがはぐくんだ地場産業や人間関係(これらはある意味での既得利権そのものなのだが)は程々に守られた。

あのころは大企業家たちや、普通はそこに絡んで利権を得られるはずの保守政治家にとっては、我慢ならない時代だったろう。その後保守府政が回復してからも、バブルに浮かれるには出足が遅れていて、おかげでそれほど地域経済が壊滅的打撃を受けることも避けられた。市内に妙にサイバーなビルはいっぱい出来たけど、それは南禅寺の境内にレンガ造りの上水路作ってしまったりする、昔からの伝統と言えないことはない。蜷川府政がなかったら、某花札屋なんかくだらんテーマパークみたいなのに手を出したりして絶対つぶれていたに違いない、と思う。不充分とはいえ、あの街が今もそこそこの情緒を維持しているのは、間違いなく蜷川さんの功績だろう。

その評価はさておき、この蜷川府政が事あるごとに強調したのが護憲である。府庁の建物からはいつも「憲法を暮らしに生かそう」という垂れ幕が下がっていた。それはいまだに革新(反保守の意味ね)政治勢力の錦の御旗になってるのだが、考えてみればこれほど間抜けなスローガンもない。よりよい暮らしのために憲法があるので、憲法を暮らしに生かす必要なんかない。古い道徳や因習にとらわれている人を、「進んだ」思想で救ってやるかのごとき、ずれまくったモダニズムがその背景には感じられ、しかもそれは自前のものですらないのだ。

だいたい、憲法に書いてあるから基本的人権が守られるのではない。基本的人権は固有のものとしてあり、ただ法的に判りやすく明記されているだけだ。それは常に勝ち取られていくものであって、法の文面に与えてもらうものではない。もし人間固有の権利や原則と憲法がバッティングすることがあるならば、それは迷わず憲法が改正されるべきなので、憲法自体をご神託のように持ち上げなければならぬ理由はどこにもない。

医療問題などで、患者側の権利や治療者の守るべき原則の話になると、「憲法をベースにすべき」なんて眠たいこと言い出す手合いがいて、ああこれが戦後民主主義ボケというものなのか、と感じいる。そんなもの、専門家としての良心をベースに、患者側からの批判をオープンに交流させるところからつくらねばならないものに決まってるだろう。私が府庁の垂れ幕に感じた違和感は、至極当たり前のものだとおもっていたのだが、単に「憲法=ありがたいお経」ととらえる人はけっこういるみたいで、それが個別的なところで馬脚を現す。蜷川民主府政の限界も、また今もなお「憲法を暮らしに生かす」政治が今の閉塞的状況を打ち砕くと考えている多幸的な人々の限界も、そのあたりにあるのではないかと思う。

それはさておき、当時、この「憲法を暮らしに生かそう」はあちこちでお目にかかった。うそだと思うかも知れないが、「憲法を暮らしに生かす**建設」という看板まで見た。そういう姿勢を見せないと、当時の談合には乗れなかったんでしょうな。一番傑作だと思ったのは、ある格闘技の道場のもの。そこには「拳法を暮らしに生かそう!」と誇らしげに書いてあったのである。これならまことに納得できるスローガンである。(2002/05/05)

(記憶が不確かな面があるので、「京都では巨大プロジェクトという名の自然破壊がそんなに進むこともなく」あたりには異論がある方も多いかもしれない。)

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ナンシー関が死んで思うことは、この日本という国でTV番組に対する批評という行為が、今後成立することはないだろう、ということ。森茉莉という一時的例外はあったが、批評という密度でTVを見続けた人は、おそらくナンシー関が最後であったろう。

この国では、大衆が見聞きできる現象に関しての批評行為は、何故かまず不可能である。政治状況に関しては批評されているではないか、という意見もあるかもしれないが、あれにしたって、毒にも薬にもならないレベルの、決まりきった言説が流通しているだけである。それなりに鋭い批評がマスコミに現れることはまずない。政治家のモラル向上で政治危機が解消される、なんてバカバカしいことを信じている人が実際にいるか?

ナンシー関がやっていたことを政治言論一般に適用していたら、彼女はおそらく吉本隆明などを軽く越える存在になっていたろう。もしかしたら、ミシェル・フーコーすら越えていたかもしれない。自分の言葉で事物への愛を、あるいは嫌悪を語る、というのは誰にもできることではない。言ってはいけないことかもしれないが、「ブスの僻み」という煙幕が、彼女の言論活動には有利に作用したことは事実であろう。でも、林真理子や、ランディ何とかみたいな、それに最大限すがってなんぼの連中のように、自分から依拠しようとしたわけではないはずだ。

非自覚的天然要素が優先しているとはいえ、彼女の批評手腕は卓越していたのだが、たぶん長らく記憶されることはないだろう。なにしろ、その批評対象であるTV(もちろん、表現行為としてのTV番組という意味)の命脈が尽きているのである。肥満の危険と、生活スタイル改善への提言という形で、あっさりと人生を総括されてしまいそうなのが、彼女にとっては一番無念なことかもしれない。(2002/06/13)

半分酔っ払って書いたので、自分でも無視していた文章だが、えらく意外なところで丸ごと引用されているのを見たのを記念して残しておくことにする。それにしても、大月隆寛氏に読まれているとは。

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