今朝の毎日新聞に表題の記事が出ていた。ネット記事でもほぼ同様のものがよめる。今度のイラク派遣は、いままでのPKO活動みたいに、向こうで土木工事やってればすむような任務ではないので、激しいストレス下で心身不調を起こす隊員がでると予想しているようだ。
毎日の記事では、コンバット・ストレス対策は99年ごろにクリントン政権下ではじまったようなことが書いてあるが、米軍がこれを本格的に始めたのは朝鮮戦争のときである。それまではどの国の軍隊でも「戦争ノイローゼ」対策には苦慮しており、後方で症状が緩和しても、前線にでればたちどころに悪化したりするので、かなりの戦力がこれで奪われていたものらしい。かっての皇軍などは、米軍と比べてもこいつにやられる率は高かったという話。
「コンバット・ストレス」といい、「戦争ノイローゼ」といい、パニック症候群からヒステリー反応などの神経症圏のものから、一過性の精神病反応にいたるかなり範囲の広いものだ。こいつが厄介なのは、なんといっても誰でも推察されるように、基底にあるのが「死にたくない」「戦場なんかまっぴら」というはなはだ当然な心理であるわけで、意識的無意識的にうまく戦闘状況を避けるための手練手管が使われることになるのはこれ必定。
これを国家への貢献とか、軍人魂で克服するというのはまず無理なことで、そこに精神科医が出てきて何をするのかというのは、かなり疑問なのである。新聞記事を読んでみれば、精神科医というのは「ストレス対策」の秘訣を、なにか医学的秘伝として持っているような書き方だが、そんなお目出度いこと信じているとしたら、この新聞記者はちょっとお気の毒。私らは、普通ならこなせるはずの仕事や義務が、病的状態のためにうまくいかなくなった人たちへ手助けするのであって、どんな困難な状況も乗り越えられるような人間に生まれ変わらせるようなことは出来まへん。
まして米国のパシリで歓心をかい、政治的立場を安定させようと考えているような政権のために、あえて死地に赴くことに生きがいを見出すような、滅私奉公のスーパー兵士をメンテするようなことが出来るわけがない。朝鮮戦争のときの、前線精神科治療ユニットがかなりの効果を見せたのは、兵士がいくら精神症状を見せても、後方には移送せずにその場で治療したというのが大きい。どうせ弾が飛んでくる場所から動けないのなら、腹すえて銃を持つほうがまだ事態を切り開けるというもの。
そもそも朝鮮戦争の時代、現在使われているような向精神薬がまだなかった。メプロバメートぐらいしかなかったはず。ほかはせいぜいバルビツールを使うぐらい。それでもかなり重度の精神症状に対応し、ほどほどの治療成績をえていたらしいから、詐病と紙一重のものがかなり混じっていたと考えてもよさそう。「精神療法」をちゃんとやっていたからだ、という可能性もあるだろうといわれても、それは買いかぶり。「死にたくない」という根源的要求をどうやったら「処理」できると思う?
その点、いまは薬剤はたっぷり選択できるので、パニックや抑うつ反応、ちょっとした不眠なんかにはいくらでも対応できるだろう。そこで精神科医ができることは、参っている人をみて、姑息的な対応でなんとかやっていけるのか、入院とか休養のために帰国させるべきなのかの振り分けぐらいで、戦争というシビアな状況でのストレスを無化するような神業がやれるわけはないのである。いわゆるストレスコントロールというのは、現実へ誤った対処をして破綻を自ら招く人への対策なので、困難な現実をそのままにして、なんでも対処できるようにするというものではない。そんなこと周知のことだと思うのだけれど、あんまりそうではない様子。
あ、そうだ。理不尽な任務でもハイな気分で乗り切るというのには、多少の心得がある精神科医なら役立つかもしれませんな。物資の強制徴発とか、民間人の虐殺とか。その辺の薬物「療法」に関しては、私は結構くわしいので、十分な報酬さえもらえれば防衛関係者に教えてやらんでもない。(2003/08/03)
ちょっと前に、米国の医学ポータルサイト"Medscape"について書いたことがある。インターネットというものを利用し始めてからずっと、私はこのサイトの熱心な利用者だった。何しろ、自分の専門領域を登録しておけば、ほぼすべての分野を網羅した関連医学雑誌の要約とレビューを探してきてくれるし、ここ独自の解説論文や検索サービスなどがいくらでも、それも無料で利用出来るのである。
日本語論文だけは読めないが、この国ではどうせ2年遅れで向こうの二番煎じが出るぐらいなので、まず関係ない。それに、私がどうしても日本語で本当に読みたいものは、古典的な精神病理学関係の論文なので、これに関しては新しいもので価値があるものが出ることはまずない。もう完全に枯れてしまっているジャンルなもので。
それが一年ちょっと前からおかしなことになって、このサイトが利用できなくなってしまっていた。今はどうか知らないけれど、Medscapeを利用し始めるときには結構苦労したのである。医師免許の写しをアメリカにファックスしたりして、専門家であることを証明したりした。そこまでして登録したのに、某日本企業が自分で中途半端な医学ポータルサイトを立ち上げ、そのサービスの一環にこのMedscapeを組み入れたのである。
今までどおり利用しようとすると、日本からの接続はその何とかという日本のポータルを通せといって、接続拒否されるようになった。しかたなくその医学ポータルに登録しようとすると、お宅の病院に出入りしているMRに利用IDとパスワードをもらえというのである。普段MRさんとは口をきくこともないので、えらく苦労して接続できるようにしたのだが、昔のような利用法は出来なくなってしまった。
以前は個人としてアクセスできていたのが、この日本ポータル経由だと、「日本からのお客様一般」としてみなされるだけとなり、専門領域向けのきめ細かいコンテンツ選択など全くなくなってしまっていたのである。これでは利用価値は半減である。自分の専門が特定できるから便利なのであって、それが出来ないなら、元記事をコンジョ入れて検索した方がよっぽどまし。
2週間ほど前、検索でMedscapeの記事が出てきたので、どうせ日本サイトに飛ばされるんだろうなとアクセスしてみたところ、そうならなくなっていた。トップページもちゃんと表示され、私が昔使っていたIDとパスワードもちゃんと通るのである。どうも例の日本の医学ポータルは、ここに小判鮫するのをあきらめたらしい。確認するためにアクセスするだけで、自分にもアホがうつりそうなので、調べてみる気もしないのだが。
というわけで、ちょっと使い勝手が違うところもあるが、セコイ日本企業の目論見もついえて、昔のように便利なMedscapeの復活である。目先の利益に吊られたのかどうか知らないが、開設直後からのお得意さんに一年以上不便をしいたのはちょっと許せない気もするのだが、またタダで使えるのだから文句なしである。
それにしてもS●NYさん、ちょっとしゃれた先進企業なんてポーズをとっているが、こと専門的ウェブビジネスに関しては、あんたらのセンスも、運営姿勢も最低だ。私にはあんたたちのグループが凋落していくザマが、はっきり予見できましたね。(2003/08/11)
使えるようになったMedscapeからの、早速の引用。登録者以外にはリンクしても意味がないので、こちらの記事をリンク。
この8月に発行されたばかりの"Neurology"誌に掲載された論文によれば、パーキンソン病治療に使われるドーパミン受容体刺激薬の一部に、患者に病的賭博行動を引き起こす副作用があるとのこと。この論文では、L-ドーパ製剤にプラミペキソール(日本では未認可)というドーパミン受容体刺激薬を併用した9例のパーキンソン病患者のうち、2例に深刻な病的賭博行動が見られるようになり、それぞれ6万ドル以上の経済的損失を喰らったのだという。
統計的には、普通の人の間で、病的賭博行動が見られる確率は0.05%なのだそうで、ドーパミン受容体刺激薬を投与されている場合、それが1.5%から0.3%という率に高まるとのこと。パーキンソンで思うように身動きできなかった人が、そこそこ動けるようになって、喜び勇んでカジノに出かけただけではないのかな、なんて思ったりするのだが、博打でスったのは薬のせいだなんて訴訟がホントにおこるこの昨今、「学問的」考察はしておかないとまずいらしい。
日本で使えるドーパミン受容体刺激薬はいまの所3種類しかなく、その中では比較的最近出たペルゴシドという薬にだけこの「副作用」が報告されているらしい。一番多いのは日本で認可出願中のプラミペキソールとのこと。論文の著者は、薬の種別というよりは、ドーパミン受容体刺激薬という薬剤クラスの問題だろうと考えているようだ。
田舎の病院にいると、私らも神経内科医の役割をさせられることが多く、パーキンソン病の場合は抑うつとか、せん妄などの精神症状を併発することもまれではないため、結構パーキンソンの症例は見ている(多分普通の神経内科医以上に)のだが、今まで自分の患者で病的賭博に陥ったような例はありませんなぁ。私はL-ドーパの副作用でひどい目にあった人を多く見てきたので、ここでいわれるドーパミン受容体刺激薬をメインに使うことが多いのだけれども。
でも、うまく回復チャンスを失って、大量の抗うつ剤を飲みつつ遷延してしまったうつ病の人なんかで、何も出来ないがパチンコ屋には行く、というようなふてくされ系引っ掛かりケースに遭遇することはよくあり、たぶん多少の関連はあるのでしょうな。抗うつ剤もある意味、ドーパミン系列の作動薬ではあるわけで。
ドストエフスキーが深遠に描いたような破滅的賭博者の行動も、要はドーパミン関連の物質の問題なんだ、といわれているようでもう一つ面白くはないのだが、真面目に観察していかないといけない問題ではありましょう。(2003/08/13)
NHK・民放を問わず、健康をテーマにしてクイズ仕立てで解説するような番組がいっぱいあり、私なんかはどれがどれなのかほとんど区別がつかないのだが、少なくとも今日やっていた、「爆笑問題」が司会をしていた番組でのこと。
なんでも、「太る汗、やせる汗」というものがあるのだそうで、体温調節機能と密接に結びついた発汗が出来る汗腺と、反応性が鈍っている汗腺があるのだそうである。反応性が鈍った汗腺は、最終的にはオーバーフローみたいな形で汗がほとばしるので、鉄やマグネシウムが失われ、それが原因で貧血や赤血球変形能がそこなわれ、最後は基礎代謝が落ちるのだというかなり苦しい論理。たかが発汗で失われる量が、そんなにストレートに基礎代謝低下につながるのかかなり疑問がある。それでも、「風が吹いたら…」の類ではあれ、一応の理屈にはなってますがね。
最後のほうは、なんだかよくわからなくなり、歳をくったら発汗能力が落ちるので、それを取り戻そうというような話。大豆レシチンをとったらどうのこうの、といっていたけれど、発汗が多いと必要なミネラルも失われるのではなかったっけ。不必要な老廃物だけでるような、都合のいい発汗能力がうまく得られるものかしら。
そのあたりはまあご愛嬌なんだけど、一番気になったのが、コメンテーターの一人に「パシフィック・ウェスタン大学医学部教授」なる人物が登場したこと。その大学というのは、例えば「火星の土地権利書」みたいな、いうなら一種の冗談商品を売る企業で、ジイ様の還暦記念に孫が金を出し合って「博士号」をプレゼントするような使われ方をするところではなかったっけ。
もちろん、功なり名遂げて、一代で財を築いたのはいいが、イマイチ押し出しに不足があるなんてコンプレックスがある人にもよく利用されるし、怪しげな健康本などの著者にはこういう類の「大学」や「大学院」をでたとする人がいっぱい見つかる。
何しろ、その大学自体が「全ての学位は、学生がすでに学んだことに対して授与される。もし学生が有能で、顕著に資格があるのなら、大学は相応の学位を授与する」とパンフでうたっているのである。これこれの業績に関して、学位をくれ」と要求すればもらえるということだ。もちろん結構な料金は必要だろうけど。当然、講義も研究もないから教授なんかいないはずだ。それなのに教授を自称する人がいるのはまことに奇妙なことである。
私はTVに出てきて「学説」を述べるなら、医師免許や医学博士号がないといけないといっているのではなく、客観的にも正当性を主張できる信念があるなら何でもいえばいいと思うし、それで何らかの「治療」を人におこなうのも自由にするべきだと思っている。でも、いかにも既存の権威であるかのごときポーズをとって、人をだまくらかすのは明らかに詐欺である。
TV番組制作するほうも、もうちょっと批判精神をもって、詐欺の片棒担ぎをする愚は避けるべきだろう。それがかなわぬなら、せめて30分でいいからグーグル検索の画面に向き合ってほしいものだ。
怪しげな団体に抗議されても困るので、リンクはなし。タイトル大学名で検索すれば、いっぱい面白いサイトが見つかります。 (2003/08/21)
TVをぼんやり見ていたら、古館伊知朗が爆笑問題と一緒に司会するクイズ番組をやっていて、それがたまたま医療問題を扱っていたのか、そういう専門の番組だったのか、よくわからないのだが、いい医療機関の見分け方というような内容だった。
ちゃんと明細のある領収書を出さないところはインチキをやっている、なんていう素人思い込みをあおるようなことを言っているので、マスコミ式の腐れ正義感だけに依拠して番組作りしているのは明白だ。ちょっと前にインチキな「ニンニク注射」何ぞで、不当な利益を得ている医院の提灯持ちをしてたのは、どこの局だったですかね。
いまだに手作業で経理をして、くわしい明細を出せないような個人医院だってあるはずで、おかしいと思うならくわしく聞けばいいだけのこと。明細を示していたって、インチキしているところはやっていますよ。そもそも、必要ない治療とか検査を、明細の有無で見分けられますか?
最悪だと思ったのが、小児科の診療に関することで、子どもをみるとき、はじめに何をするかでいい医者であるかどうかが判るが、それは何かという問題。この番組作りのレベルでは、子どもにまず声をかける医者がいい医者という答えを正解にするんだろうな、でもそんなの全く間違いだぞ、ちゃんと病歴を取るためには、まず家族からちゃんと話を聞くことを優先するのが正しいんだけどな、と思ってみていたら、果たして「たとえ赤ん坊であっても、子どもに『どうしました?』と聞く医者がいい医者」という、噴飯ものの正解が示される。
馬鹿も休み休みいいなさい。赤ん坊にどうしましたなんて聞いて、何がわかる。そりゃもちろん、ユーザーフレンドリーなポーズを示すために、糞ガキにもいちおうの愛想をこぼしてやりつつ、そいつの言語能力を踏んで、一応の情報をえる姿勢を示し、かつ無用の緊張を取り除くのは大事なこと(もちろん、いい子にしてないとタダでは済まさんぞという、無言の念をタップリ送るわけ)。でも、ちゃんとした言語化情報は、別にきちんと得る必要が優先されるのは自明である。
最近は、満足にしゃべれもしない子どもをつれてきて、「ちゃんと説明しなさい」なんぞと強要する馬鹿親をよく目にするが、こういう下らんマスコミのあおりによって、プロは子どもとでもちゃんとコミュニケーションが取れると誤解しているからかもしれない。当然それは、自分の子どもの病状もちゃんと把握していないというのと、常識的な手当てもしていない無責任さともセットになっている。
自分の子どもに、日常生活での危険を回避させるような最低限の配慮もしないでおいて、それが外傷などを呼び起こせば、たまたま見た医療機関にその責任を押し付けるような親もまた目立つが、そういう恥知らずな態度をあおっているのは、基本的には馬鹿なマスコミだとおもう。行政とか政治の無責任さというのは、いくらでも批判できるが、何よりも無責任なのはマスコミなんだということを、人はもっと知るべきであろう。
ところで、古館さん、自分の意見もなく、台本を面白おかしく読むだけの能力では、久米宏の後釜は無理だと思うよ。(2003/08/28)
毎日新聞の報道によれば、日本の理化学研究所グループは、躁うつ病の発症の仕組みを遺伝子レベルで解明することに、世界で初めて成功したととのこと。
その論文は、本日発刊された"Nature genetic"電子版に掲載されたとのことなので、早速探してみたが残念なことにアブストラクトしか読めない(タダでは)。それから判ることはほぼ新聞記事程度で、なんだかよくわからないことも多いのだが、おおよそ、精神疾患の身体的レベルからの研究が作業仮説にしている、神経伝達の抑制機能障害ということにうまく合致するように読み取れるような気がする。まるっきり誤解かもしれないが。
理化学研究所グループは、一卵性双生児で、片方だけが躁うつ病を発症した二組からリンパ芽球の提供を受け、その遺伝子配列を検討したところ、XBP1と呼ばれる細胞原形質網のストレス反応を調整する遺伝子機能に違いがあることがわかったという。
一卵性双生児なのだから遺伝子配列は同じはずで、その機能が違うというのは、ふたつの胚に分かれた時点で遺伝子の組み替えがあって変化したということなのだろうか。それとも別要因で遺伝子機能に違いがあるということなのだろうか。XBP1の開始部位に多形性があると書いてあるのだが、あとの多人数の比較調査の結果なのか、双生児研究でのことなのか、もう一つハッキリしない。
18ドル払えば全部読めるのだから、プロとしてはその程度の出費は惜しまず読んでおくべきであろうが、元論文のほうもあいまいに誤魔化しているような予感がしてならない。遺伝子というのはそれが設計図になって、たんぱく質を合成することを通じて機能を発揮するわけで、その合成過程での障害があっても同じ結果になりそうな気もする。
研究グループはこの結果をもとに、400人以上の健康な人と、200人ほどの躁うつ病患者の遺伝子を比較し、患者グループは4.6倍の比率で、XBP1の機能低下があることを見出したとのこと。結構な比率であるが、遺伝子レベルで解明というなら、ほぼ100%がそうでないとおかしいような気もしますがな。まあ、200例も集めれば診断レベルでいい加減なものが結構混じるだろうし、ラッキーで発病しない奴もいるんだよ、とすませばいいけど。
生物現象以外の自然の因果というものは、常に一定の法則に支配されていて、ある因果系列現象が二度目からは条件が変わるということはない。ある物質が発火する温度は決まっていて、何度か同じことが起こっているうちに、「今夜のオレは燃え燃えだぜい!」とばかりに、低めの温度で燃え上がることはないのだ。
ところが、生物現象ではこれはある。その刺激反応系のかなりの部分で、「何度も反応しているうちに、反応域値が下がってくる」という現象が見られるのだ。神経細胞反応のレベルでは「燃え上がり現象」とよばれ、動物行動のレベルでは「学習」と呼ばれる現象がこれである(図式的にいっているので、両者を全く同じものだとするのは無理がある)。
てんかん発作が続いて重積発作になったり、不安発作がどんどんと悪化していき、ちょっとした刺激にも耐えられなくなったり、幻覚妄想がさらなる幻覚妄想の発展をひきおこし、やがては人格荒廃をもたらすこと、精神活動の奔出に歯止めが利かなくなることなど、ほとんどの精神疾患の単一ニューロンレベルのモデルはここにあるのではないかと、昔々からいわれつづけてきているのである。神経の興奮が、さらなる易興奮性をよび、コントロール不能になるという仮説に、実によく合致する遺伝子レベル研究がこれというわけ。
したがって、多少のあいまいさなどは問題にされず、これが脚光を浴びるのはまず間違いない。しかし、よく考えてみれば、それはどう臨床応用されるべきか、見当などつかないのである。遺伝子修復すればいいということ?なんでも、バルプロ酸(デパケン)にはXBP1の機能低下を調整する働きがあるそうで、薬物選択の根拠には役に立ちそうなのだけれど、バルプロ酸はだいぶ前から躁うつ病に対するファースト・チョイス薬剤なんですね。なるほど、あの薬が効くのはこのせいだったのか、と事後的確認するのには確かに役に立つのですが。
仮に、個体レベル丸ごとの遺伝子修復が可能になったとして、それは人類にメリットをもたらすだろうか。それは進化と発展に大いに寄与してきた、オッチョコチョイと調子乗り連中を絶滅させ、人類に沈滞と低迷をもたらすだけのような気がするのだけれど。(2003/09/01)
昨日紹介した理化学研究所グループによる「躁うつ病の遺伝子研究」について、掲示板のほうで理研によるプレス発表のリンクを紹介していただいたので、それを読んでみてよくわからなかったことがちょっとはっきりしてきたような気がする。
大学というところに籍がなくて困ることは、この生文献に直接アクセスしにくいという点だけですな。月に5千円ほどの利用料で、大学図書館を自由にネット利用できる制度があれば、喜んでお金を払うんですけどね。パシフィック・ウェスタン大学なんか、そういう商売はじめたらいかがでしょう。怪しい博士号売るようなことするより、よっぽど社会に貢献できまっせ。
判明した疑問点の最たるものは、一卵性双生児の遺伝子の違いとは何かという点。それは遺伝子配列ではなく、「遺伝子発現量」なんだそうである。プレスによれば、「遺伝子の発現とは、DNAが、蛋白質を作るためにRNAに転写されることを言います。今回調べた双生児の方々の間で、なぜ遺伝子の発現量に違いがあるのかは不明です」とのこと。その理由がわからないのなら、遺伝子レベルの解明ができたとは、ちょっといえないのではないだろうか。(一卵性双生児でも、DNAの塩基配列に違いがある場合や、染色体に違いがある場合はあるという注記もされている)
それと、日本人で調査した健常群451例と、躁うつ病群197例のXBP1遺伝子の機能低下率は、それぞれ約85.5%と95.4%だということ。つまりXBP1遺伝子の機能低下を持っている人間は、発病しようがしまいが、少なくとも日本人では圧倒的多数派なのだ。もう、オッチョコチョイばっかなんですな。オッド比なんて目くらましで(そういう言い方で数値化するのはわかるんですが)、4.6倍発病しやすいなんていうのは、ミスリードといわれてもしかたない。
この研究の概要をみていると、マスコミが依拠するような高校生物レベルの遺伝子理解というのは、むしろ本質を見えなくする危険が多いということがわかる。先端研究者も、そういう誤解を利用して自分の研究を夢の研究の如く粉飾しているのではないかと、疑いたくなってくるほど。
遺伝子といっても、要はそれが機能するのは生物個体という場の中以外ではありえず、一元的に生物現象そのものを支配しているわけではないのだ。遺伝子の機能そのものの研究が、それが生物の本質ではないということを明らかにするという点で、やはりこれは画期的な研究なのであろう。
なお、XBP1遺伝子というのは、要は神経興奮の累進反応性をダウンレギュレーションすることに関与しているのだろうという私の思い込みは、正しいのかどうかわからない。そうだったら実にすっきりと説明がまとまるんですけどね。(2003/09/02追加)
"Nature"という有名科学雑誌が無料で概要を見せてくれるというので、タダにつられてさっそく登録してみたところ、いろいろと内容紹介メールが来るようになったのだが、そのなかで興味ある記事を見つけた。「ビデオゲームは視覚能力を高める」という記事である。
この記事は、本年5月に掲載された「ビデオゲームは視覚の選択的注意力を高める」という元論文をわかりやすく解説してくれたものだ。
題名の書き方が違うことでわかるように、解説記事のほうでは、もっぱら車の運転とか、飛行機の操縦などへの効能が中心に書かれているのだが、元論文はアブストラクトから類推する限りでは、注意欠陥障害を持つ人に対するリハビリ効果をうたっているようである。それも、いままで試みられてきたような知覚訓練より、よっぽど包括的ではっきりとした効果を持つと主張されている。
脳波への無知に居直って「ゲーム脳の恐怖」なんてインチキ本をかくセンセイも世の中にはいるのだけれど、こういう論文を丹念に読んで再検討したりすることはまずないでしょうな。あの人の場合、ちゃんとしたケース検討なんかしていないのだから、それ以前の問題なんだけど。
なお、この目的のためにはゲームならなんでもいいというわけではなく、例えばテトリスのようなゲームは役に立たず、もっとリアルな3Dアクションゲームがいいとのこと。ゾンビがわさわさと出てきて、次々に撃ち殺すようなゲームが一番いいらしい。(2003/09/04)
こんな「学術論文」の紹介をしていたところ、その目的には最適といえる「ゲーム」が紹介されているのをみつけた。
こちらの掲示板で紹介されていたもので、。この世に再びつかわされたイエス・キリスト自身になって、聖ペテロがリストに上げた敵、ユダヤ人、イスラム教徒、異教徒、無神論者、反体制主義者、フェミニスト、ホモセクシャルたちを殺戮していく3Dシューティングゲームであるという。
題名は"Jesus Freakin"、「チャンスはない、命乞いは無用だ、終末はわが手にあり」というのが宣伝コピーの一部。 ゲーム主人公のイエス・キリストには、聖書原理主義者、テレビ伝道師、共和党員、キリスト自身がよみがえらせた歴代法王やヒットラーのゾンビたちが味方につく。
使える武器は伝統的な石にはじまり、スコップ、こん棒、剣、もちろん突撃銃、拳銃、グレネードランチャー、火炎瓶に爆弾までお好みのものが選べる。これらの武器を駆使して現代のソドムとゴモラをさまよい、2千年まえの恥辱をそそぎ、背徳の民どもに対価を払わせるのがミッションである。スクリーンショット(?)はこれ。
「発売元」のサイトでは、ゲームは現在発売準備中とされ、Tシャツやマグカップ、マウスパッドといった関連商品しか売り出されていないが、若干のゲームシナリオの修正が終われば、大々的に売りだされるという。 むこうには、保守的教会をおちょくるようなものとか、あえてタブーに挑戦するようなフエイクサイトがよくあり、例えばこんなところが有名だが、このゲーム会社サイトも多分同じ狙いで、そこそこのヒネリをきかせて作ったのだろう。
昔、マックのソフトで、神になって人間を絶滅させるさまざまな手段を下界におくるというゲームがあったが、そのあたりが発想元になっているのかも。本当に発売されたら、ちょっとやってみたくならないでもないゲームではあります。なにしろ、視覚注意力までよくなるのだから。(2003/09/26追加)
某ニュースサイトで、本家スラッシュドットでにぎわっている話題が紹介されていた。それはまずこちらが取り上げたもので、英国の言語学研究者が発見したという「所見」を、ソース抜きで紹介したもの。
"Aoccdrnig to a rscheearch at an Elingsh uinervtisy, it deosn't mttaer in waht oredr the ltteers in a wrod are, the olny iprmoetnt tihng is taht frist and lsat ltteer is at the rghit pclae. The rset can be a toatl mses and you can sitll raed it wouthit porbelm. Tihs is bcuseae we do not raed ervey lteter by it slef but the wrod as a wlohe. ceehiro."
私にも、最後の"ceehiro"という謎の単語以外はちゃんと読める。(初出サイトはロシア語なんだけど、サイト案内の要所が日本語記述になっているのは何でだろう?)
英語では、単語のはじめと終わりの文字さえちゃんとしていれば、あとは文字の順序なんかデタラメでもちゃんと読める、何故なら人は単語を全体として認識していて、ちゃんと個別文字まで読んでいないという主張である。残念なことに、英国の大学というのはどこで、研究者が誰なのかというのはわからず、それを次々に引用しているBloggerたちや本家slashdoterたちも、勝手な憶測をくわえているばかりである。
こちらのBlogでは関連の言語学資料をあたって、かなりくわしく検討していているが、ある程度類似しているといえないこともない概念を主張している言語学者がいることは認めつつ、結局、具体的に定説として主張している研究者がいるというように伝えられるのは、ある意味「都市伝説の一種では」という結論になっている。
しかし、現に私みたいないい加減にしか英語を読めない表意文字文化人間にも、上の文章がそう苦労なく読めるのは確か。英語みたいに、一定の冗長性をもった音素表記だけで成り立つ言葉の場合、多少の文字揺らぎなどは自動的に吸収してしまうような機構が脳に組み込まれるのかもしれませんなぁ。そのあたりが、逆に読字障害者が向こうに多い理由になるのか、なんて考えたり。
なんていいながら、「おこめ券」の看板を街角で見るたび、ドキンとしている私なのでありますが。(2003/09/17)
別に上の話題を踏まえているわけではないのだが、英単語つづりの脳内変換を前提にしたような化粧品ブランドがあって、それに対して「良識派」が抗議運動を展開しているという話がたまたま紹介されていた。。
Target Corp.というアメリカの日用品販売チェーンがあり、そこは関連子会社をいくつも運営しているのだが、その一つにMarshall Field's という、本社よりは多少差別化を図ったような商品を売るところがある。そこがさらに若年層向けの化粧品会社を運営していて、その名前がFCUKというわけ。こういう業界にはくわしく無いのだけれど、イトーヨーカ堂みたいなところが、ちょっと専門的なブランド店をつくり、さらに実験的アンテナショップ経営に乗り出しているような構造かも。
そして問題が、その孫会社である化粧品会社が名乗る"FCUK"である。一応、"French Connection United Kingdom"の頭文字ということになっているのだが、昨日の話を参照しなくとも、これがFUCKと読まれることを狙っているのは明らかであろう。Flashばかりで構成されていて、読みにくいことこの上ないそこのページを読んでみると、もともとのFrench Connectionという没個性的な名前に、無理にUKを付け足したのが察せられて、その意図はあまりに露出しすぎともいえる。
しかも、男性用商品は"Fcuk him"、女性用は"Fcuk her"である。知り合いにリンク紹介するのを"Fcuk a Friend"、"Fcuk buddy"と書く念の入れよう。そのコピーも、"sent to bed"、ベッドにいざなう香りとでも訳しますか、そのものズバリのイメージ付けだ。これに保守的道徳にこり固まっている連中が反発しないわけがなく、OnemillionDads.comというサイトを先鋒にして、抗議運動が巻き起こっているというわけ。
OnemillionDads.comというのは、超保守のプロテスタント層が中心になった、アメリカ家族協会(American Family Association)が運営しているらしい。多少スベリ気味のブランドイメージ戦略のあざとさと、百年一日の退屈な保守層の道徳訓話が対になって観察できるという点で、それなりに興味ある現象といえようか。((2003/09/18)
もう二十年以上前のことである。「グラマン疑惑」なる事件が、世間を騒がせた。米国の航空機メーカーのグラマン社が、自衛隊に自社の戦闘機を納入するために、日本での代理店であった日商岩井を通じて、政府高官にたいして巨額の賄賂を贈っていたとされる事件である。
この事件は、かのロッキード事件に先行していて、むしろロッキード事件のほうがこれを真似したともいわれていたのだが、結局、「政府高官」というのにはかなり不釣合いな小物であった某議員と、日商岩井の経営陣だけが立件される形になって、あいまいなまま収束した。超大物政治家の影がちらつく中、明らかにトカゲのシッポ切りだったといえよう。
ここまで読まれた方は、お前、この記事の題名書き間違えてるぞといいたいだろうが、私はこの事件を通じて、表題の「本態性振戦とパーキンソン病」の鑑別診断を学んだのである。国会に喚問された、当時の日商岩井副社長、海部八郎氏が、宣誓書にサインしようとして、手のふるえのためにうまくいかないという場面が、何度もニュースで放映されたのだった。その時海部氏は、「私はパーキンソン病の治療中で、緊張するとうまく字がかけない」という意味の弁解をしておられた。
私は彼がハメられたに違いないという同情の念でそのニュースを見ていたので、あんなふうに病気の症状をしつこく撮らなくてもいいではないかと憤慨するとともに、はて、何かおかしいぞと感じたものだった。
そのころ、私はようやく駆け出し期を脱したばかりで、そう症例を重ねていたわけではないのだが、字を書こうとすると余計にふるえるのは本態性振戦で、パーキンソン病の特徴ではないという程度のことは知っていた。海部氏ともなると、一流の医療機関で治療を受けているであろうから、そういうところで間違えられているはずもなしと、かなり訝しんだのである。そもそも、当時水に落ちた犬のように袋叩きされていた海部氏は、それでも堂々の押しだしを維持していて、体の動きが独特のぎこちなさを示すパーキンソン病にはまるで見えなかった。
彼が実際はどんな症状を持っていて、その後どういう経過を示したのかはしらない。確か70歳ぐらいで、比較的若くして亡くなっておられるはずなので、やはりパーキンソン病をわずらっておられたのかもしれない。パーキンソン病の人に本態性振戦様の症状が加わることもあるかもしれない(見たことはないが)。私が見たのはそういう状態だったのかもしれない。
少なくとも私はその国会喚問の映像を見た時から、この二つの状態の区別には、かなりの注意を払うようになった。治療も全然違うし、なにより予後が違うので、これをいい加減にすると患者側の被害はかなりのものになるのである。といって、そのために専門的なテクニックなどあるわけではなく、単に症状をちゃんとチェックするだけである。例えばこのサイトなどをみると、抑えるところを抑えておけば、素人目にも間違うことなどないことがよくわかる。
ところが一般診療の場で、この二つがちゃんと区別つけられているかというと、ちょっと怪しいのである。どう見ても典型的な本態性振戦の人に対して、パーキンソン病という、そう多い病気ではないはずの病名が実に安易につけられ、副作用をかなり覚悟しないといけないL-ドーパという薬剤が、最初から大量処方されていたりするのをしばしば見るのである。じつに情けないが、それが現状である。
海部八郎氏という、パワーと勤勉さと有能さで高度成長を支えた立役者の一人だった人が、巨視的な視点に若干乏しかったためか、米国産軍複合体と日本の悪徳政治家にうまくハメられ、法的、社会的非難を浴びただけでなく、ひいては会社自体も傾かせる原因を作ってしまうのである。その無念さは量りがたい。せめて彼が身をもって示してくれた、「本態性振戦とパーキンソン病」の区別をちゃんとつけることで、その無念さにいくらかでも報いられるのではと思うのである。(2003/10/02)
私は海部氏について、「ハメられた」などと擁護的なことをいっているが、これには全く根拠はない。単に、なんとなく憎めない人だなという第一印象を持っただけ。けっこうエグイこともやってきてはいたと思うけれど、彼自身も、会社のほうも、エスタブリッシュメントではないところに共感しているといえるか。
かって、衰退する大英帝国をそれなりに持ち直したと評価される、かのマーガレット・サッチャー元英国首相(77)が、深刻な健康状態に陥っているという報道がある。これを報じているのがサンデイ・ミラーという日曜版の大衆向けタブロイド紙で、BBCニュースなどをみても全くふれられていないので、ガセや誇張記事の可能性も高いが、文面からは結構真実味も感じ取れるので、あえて紹介。
今月5日付のサンデイ・ミラー紙によれば、ある夜、午前2時に彼女は起きだし、きちんと着替えをした上で、警護責任者を呼びつけ、自分を「次の会合」に連れて行くように命じたという。そのとき彼女は、今年6月に亡くなった、夫のデニス卿はどこにいるのかと尋ねたともいう。
彼女は数回の脳虚血発作を起こしており、そのたびに痴呆症状が進行してきていて、側近を不安がらせている。関係者の一人はこう語る。「元首相はとてもはっきりしているときがあるかと思うと、次の瞬間には夫君の死も忘れているという状態なんです。世界にそのタフさと決断力、影響力をしめした女性が、こんなになってしまうなんて悲劇としかいえません」。
老人医学の専門家がサッチャー元首相専属となっており、薬が処方されている。彼女の病状が表面化したのは、夫君のデニス卿が88歳で死亡した今年の6月以降で、家族はそのとき以後、看護師をフルタイムでつけるようになった。
元首相のスポークスマンは、健康状態については楽観的な見通しを述べている。「今は夫君が亡くなられたばかりという困難な時期です。段々と元の生活を取り戻していかれるでしょう。保守党の会合に出ていないのは、後進に道を譲るために、以前から決定していたことです」。(引用は以上)
この報道が事実だとしても、意識水準の変動レベルで、痴呆が固定してきている段階ではないようだが、今後の進展は運次第という印象が強い。彼女の盟友だったレーガン元大統領はアルツハイマー病になるし、彼女のほうは脳血管性痴呆(の前駆症状)というのは、なんとなく宿命みたいなものを感じないでもない。しょせんなるようにしかならないこの浮世なので、あんまり一所懸命に職務に尽くすと消耗が速いらしいというのが凡夫の教訓になるかも。(2003/10/06)
レーガン元大統領が身を粉にして働いたかといわれると、ちょっと違うような気もするが、サッチャー元首相はそういっても間違いはないだろう。
合衆国ファーストレディ、ローラ・ブッシュ夫人は、10月3日に開かれた国民ブックフェスティバルの席上で、ブッシュ大統領が彼女に贈った「詩」を披露した。それは、ローラ夫人が先月末からヨーロッパを巡り、フランスのブックフェスティバルに出席した際、シラク大統領から手にキスされた情景に対してかかれたものだという。
バラは赤く、スミレは青い
我がいとしのベットのコブよ (*)
君を待ち焦れるバラはなお赤く、我もまたブルー
あのカッコつけフランス野郎が君に唇を寄せるのをみて
犬と猫もまた、君を待ち焦がれる
君が取り落としたるバーニー(**)はなお怒り気味いとしの人よ、こんなにも離れ、二人は遠い
君がまた冒険を望むなら、共に空母に着陸しよう
(*大統領は妻を『ベットのコブ』と呼ぶそうだ。理由?知りまへん。<ベッドの中のお肉ちゃんというような感じでは>という指摘が掲示板でされたが、気色の悪さはそうかわらんような。)
(**大統領夫妻の飼い犬。空港で夫人が腕から落っことしたので有名だそうな)
これは私の語学力のなさから来た、まったくの誤解だと思いたい。これが有名なシェイクスピアの一篇をもじっていたり、英語圏の人なら誰でもわかるようなアレゴリーを踏まえている可能性だってあるわけで。まして、ちょっと酔っ払いながら読んでいるので、見当はずれに訳しているのかもしれないし。でももし、そう間違ってもいないということなら、ほとんどこれそのまんま。
でも、これを論じている複数の英語圏掲示板でも、"I hope this was a joke..........."などという、私と同じような当惑コメントをよく目にするので、これだけのグローバルスタンダードな文学作品を前にすれば、人が感じる感想などほとんど変わらないといえるのかもしれない。
引用はこちらから。なぜかCNNでは元ページが削除されている。表示し続けるのが恥ずかしかったのか、ホワイトハウスの横槍か。
一方、ホワイトハウスのほうでは、こんなのが堂々と表示されていたりする。11月4日に誕生日を迎えたローラ夫人に、大統領が自筆で送った詩の全文である。ついでなので、訳出しておこう。
古漬けチャン*の誕生日に捧げる詩
君のダンナより(11/4/2003)
わが妻よ、私は輝く甲胄に身を包むあなたの騎士**
そしてあなたを愛する
あなたは私の人生に火を点し
希望を与え続けてくれる
私はあなたの名誉のために戦う男
あなたが夢見続けたヒーロー
私は鷹よりも高く飛ぶ
あなたが私の風のもとに翼となってくれるから
今宵、私はあなたへの愛を祝う
そして夜半に調べは輝くだろう
あなたは私の人生の意味
あなたは全てのはじまり
私は知りたい、愛のすがたを
私はあなたに全てを示したい
さあ、私はここにいる
激しい嵐のように私を揺り動かしておくれ
誕生日おめでとう
誕生日おめでとう
誕生日おめでとう、いとしのローラ
誕生日おめでとう
(*注:Picklesとあるので、しかたなくこう訳した)
(**注:なぜかKnightではなく、nightになっている。高度の掛詞と解して、夜の騎士とでもすべきか)
いやはや、これだけの詩人を一国の大統領なんかにしておくのはもったいないですな。ノーベル文学賞でも送った後、国連主導で厳重に隔離されたサンクチュアリでもつくり、そこで末永い文学活動を送っていただきたいと念ずる次第。とにかく個々の作品がかもし出すあまりの感動に、夜中にうなされてしまいそう。(2003/10/07)
なぜか日本ではあまり報道されない、ラスベガスでの「ジークフリード&ロイ」ショーでの事故。
私なんかは、バブル真っ盛りのころの「ツムラ・イリュージョン」の出し物という風に記憶している、猛獣を使ったマジックショーを行うイリュージョニストの片割れ、ロイ・ホーン氏(59)が、公演中に当のトラに襲われて、瀕死の重傷をおったのが先週の土曜日。(記事はこちら)
幸いロイ氏は一命を取り留めたようだが、彼らのショーを売り物にしていたラスベガスのミラージュホテルは、彼らの公演予定をすべてキャンセルし、ショー関係で雇用していた300人近い人々に対して、ホテルが直接雇用していた人は配置転換し、他は解雇する予定らしい。
ロイ氏が入院している病院の外では、ろうそくに火を点して彼の回復を願う人々が集まっているというが、その中にはかなりの数の従業員が混じっている様子。一番かわいそうなのは、ロイ氏に強めにじゃれついてしまった、ホワイトタイガーのモンティコア(7才♂)。今も隔離されているというが、散々彼らのために働いてやったので、たまにはじっくり遊んで欲しかっただけなのとちがいますかなぁ。薬殺なんかされることになったら、あまりに気の毒。
事故のあった日は、ロイ氏の誕生日だったそうで、ショーではちょっとしたお祝いイベントがあった直後だったらしい。それで気がゆるんでいたのか、今年は白黒ジマのトラが意味不明に元気だということを忘れていたのか。
写真はミラージュホテルサイトからの借り物。この人気イベントに完全に依存していたホテル側の混乱は、察するに余りある。一枚看板というのはかなり脆弱性が高いものだというのが、危機管理一般への教訓でしょうか。(2003/10/08)
その後某サイトで、当日の事故の様子が詳細に記録された動画がアップされているのを発見した、かなり凄惨なものなので、覚悟してご覧いただきたい。リンクはこちら。
私の住む町が属する選挙区からは、某与党の若手議員(といったって私より一つ上ぐらい)がでていて、同じ選挙区の有力野党議員と激しく競り合っているらしい。公示前なのに、毎日のように宣伝カーが路地裏まで入ってきて、個人講演会のお誘いというような形ではあるが、すでに選挙終盤のような悲痛な調子でお願いをされるので当惑してしまう。
Sというこの議員は、反コイズミの最大派閥に属しながら、早い段階でコイズミ支持の姿勢をあきらかにし、結構マスコミに露出して、「改革を頓挫させることだけは許されない」といい続けてきた。以前からコイズミとしっかり握手しているポスターを散々使いまわしていて、今回のコイズミ降ろしの中でも差し替えしなかった。
当然ながら二世議員で、親の利権地盤をしっかり引き継ぎ、最大派閥でなおかつコイズミ人気あやかりのいいとこ取りなのに、この人が必死になるには少し理由がある。というのは、この人はかの鈴木ムネヲ氏が権勢を振るっていた当時はその腰巾着で、「ムネムネ会」という議員によるムネヲファンクラブの会長だったのだ。
いくら物覚えが悪いこの国の選挙民も、あそこまで叩かれた人のことは覚えているので、S議員が街頭演説なんかしていると、「いよっ、ムネムネ会会長!」などという野次が入って、聴衆大爆笑。何とか「改革の旗頭」のイメージを優先させないと、命取りになるという危機感丸出しなのだ。
けさ、この人のビラが新聞に入っていたが、今度はあのアベ幹事長と肩を組んだ写真が表紙である。コイズミと固く握手した写真と全く同じ狙い。もうちょっと他に手はないのかね、と失笑。思うに、この人は徹底した「子分肌」なのだろう。回りで一番ウケそうな人間のところにすりより、パシリとなって自分の地位を築くわけだ。ただ、そのすりよる先の選択があまり正しくない、というのがちょっと悲しいところ。
そのビラだけを読めば、いい事いってるんですよ。既得権の過剰保護をやめ、都市住民の利害を優先した政治に組み替え、社会活力を再生させようという姿勢を前面に出している。それを、既得権バリバリの旧勢力地盤にたち、かつ最大派閥の陣笠という立場でどうやるのかというのは、なかなかの見ものではあるけれど。ぜひ子分肌を貫徹してあちこちにすりより、支持者たちがいいとこ取りだけできるように、頑張ってほしいとおもう。
なお、「子分肌」という言葉は、殊能将之さんがフジTVの笠井信輔アナをさして、「親分肌」から作った造語だと思っていたら、Googleで調べると3000件以上も出てきたのでビックリした。こんな日本語がすでに定着していたとは。(2003/10/20)
付記:なお、その後の衆議院選の結果、この方は選挙区では落選となったものの、比例区でゾンビのごとく蘇り、無事議員となられた。選挙区民の良識が示されたことと、こういう場当たり公約乱発政治家が、最後はどうなるのか観察する機会が今後もあたえられたことをよしとすべきであろう。(記:12月吉日)
いま人気をよんでいる「裸のシェフ」、ジェイミー・オリバーの猥褻系ニセ写真カレンダーが某商用サイトに掲げられたという噂(結局最後は勘違いであることが判明)のことを書いたのだけれど(こちらとこちら)、考えてみれば、イギリスでも「シェフ」といえば、「料理のプロ」のことを意味するのが面白いというか、なかなか興味あることといえる。
日本語には板前さんとか、調理師さんという言葉があって、日本料理に従事する人はそちらで呼ばれる。英語だってCOOKという言葉があるわけだが、西洋料理というか、非和食料理の場合、なんとなく「達人」というような意味合いをこめて、シェフと呼ぶことになっているようだ。TVなんかでは、ガーナ料理とか、トルコ料理、はたまた中華料理の場合だってそう呼んでいることがある。
イギリスの場合も同じような事情なのだろうか。典型的フランス料理でなくても、ジェイミーみたいなイタリア系の創作料理を作る人なら、そう呼ぶということなのか。イギリス伝統のローストビーフを作る人はなんと呼ばれるのか、ちょっと気になる。
そもそも、シェフ("Chef")というのは英語の"Chief"と同じで、「親方」とか「主任」という意味であるのは容易に類推でき、実際その通りである。料理長の「長」という部分だけが、料理人トップの意味に換喩的に拡張されているわけ。
であるから、本来は他の分野にだっていっぱいシェフはいるのである。土木工事のシェフ、スーパー売り場のシェフ、部品組み立てラインのシェフ、ソフト開発のシェフなんかが。前衛シャンソン歌手のブリジット・フォンテーヌには"Lettre a Monsieur le Chef de la Gare de la Tour de Carol"、「キャロル塔駅のシェフへの手紙」という歌があって、駅のシェフとはなんじゃいなと思えば、それは駅長さんなのである。
フランスに留学していた知り合いがいうには、向こうの病院では、日本なら医長と呼ばれる科別の主任はやはりシェフとよばれ、しかも臨床の達人という意味あいがつよく、管理者の院長などより、医療機関利用者の信頼を一身に集める存在なのだそうだ。レストランで、客が注目するのはまず料理人の腕であって、支配人の経営手腕ではないというのと、全く同じ構図である。
というわけで、シェフという言葉を料理人に独占させず、もっと広く使おうではないかというのが今回の主張である。私も明日からはシェフと呼んでもらうよう、職員に提案してみたい。え、「親方」が似合っているって?(2003/11/19)
「ダーウィン賞」サイトより。「権威ある医学雑誌からの引用」、とある。原文に「ダーウィン賞」側の解説が、「医学専門用語をわかりやすくするため」カッコをつけて付記されている。
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31歳の男性が、2時間続いた激しい腹痛と嘔吐のために救急病棟に入院した(彼は2時間の間、自分の問題をちゃんと認識できるほどしっかりしていた)。腹部レントゲン検査は腸閉塞所見を示し、続く検査では空腸右側に陰影欠損像が認められた(彼の腸は何かが詰まって動かなくなっていた)。詳しい病歴聴取の結果(彼はあまり語りたくなかった)、患者は前日の夜、ミュンヘンのオクトーバー・フェストにでかけ、その際にビールが満たされたコンドームを飲み込んだことが判明した(理由?そんなもの知らないよ)。
内視鏡による除去術は成功しなかった(引っ張り出せなかった)。コンドームが腹壁に密着していたため、CT観察下に長針による穿刺をおこなった(針で突いてパンクさせた)。40ccの黄色液体を吸引すると(それがビールかどうかはっきり書けなかったのは、笑い転げてしまって検査に出すのを忘れたから)、コンドームは自然に嵌頓状態から脱した。翌朝、コンドームは患者の便中に確認され(高品質で漏れのないコンドームのおかげで、この男はもう少しで人類の遺伝子プールから自分の影響を無化できるところだった)、患者は良好な状態で退院した。
著者たちはこう記している。「知る限りにおいて、これはアルコール飲料を満たしたコンドームを飲み込んだことによる腸閉塞と、それを成功裏に経皮的処置しえたことについての世界初の報告である」(医者ってのは、いつも『世界初』を狙っている)。
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本当にこんな論文があるのだろうかと、"Beer"と"Condom""intestinal obstruction"で検索してみたら、ちゃんと見つかったのが大笑い。ミュンヘン大学の正式名称は「ルードビッヒ・マキシミリアン*大学」だというのを知るおまけつき。(2003/11/30)
(*例の「狂王・ルードビッヒII世の親父さん)
ちょっと前の日記に、書くことがなくて当直の夜にDVDを見ていることなんかを書いていたら、結構意外に思われてしまったようだ。いつもあんなものなんですけどね。今の職場は一般科もあるとはいえ、やはり精神科主体の病院なので、そんなにすることなんかない。多くて数人の時間外患者をみて、あとは病棟からの問いあわせに電話指示するぐらいのもの。
もっとも、以前は救急を売り物にする総合病院のいくつかで仕事してきているので、夜中に救急車を8〜9台受け入れるんなんてこともしょっちゅうあった。でも、それを「忙しい」と思ったことはあまりない。どこかでかいた覚えもあるが、身体疾患の処置というのは手順が決まっていて、なーんも頭を使う必要がなく、次から次に救急患者が来ようと、決まりきったことをやっていけばいいだけなのだ。時間が早く過ぎるので、かえって楽だともいえる。
手術が必要な外科疾患とか重度外傷だったら、指し当たっての応急処置をして、あとは外科医を呼ぶかその設備のあるところに転送すればいいので、むしろラッキーという感じである。あとあとまで責任持つこともない。内科系疾患で特殊な処置、例えば緊急ペーシングがいるとか、冠血管の拡張術をやらねばならんような場合だって、全体的な見立てさえ立てれば、差し当たっての適切な応急処置をやっておいて、専門医に後日まかせればいい事で、専門的高度処置が今すぐ必要なんてことはまず例外である。
事態の評価と今後の予測をしっかりしておけば、バタバタ走り回ることもないのだが、なにか世の中の人には、この商売というものを、患者の状態の微妙な変化に一喜一憂しながら全生活をささげているような誤解があって、医者の側もそういう物語に乗っかって、自分の仕事を崇高なものに見せかけようとしているような印象がある。
それはお前が精神科という、どうせそう治りもしない患者を相手にして、鍵かけて独房に放り込んでおけば一件落着、というような呑気な領域をやってるからだ、といわれる向きもあるかもしれないが、案外そういうものでもない。マニュアルというものがそう確立しているわけではないこの領域では、忙しそうにしようと思ったらいくらでもやれるし、いままで一緒に仕事してきた人にもそういう人はいっぱいいた。こういう人に限って連絡とうと思っても取れないし、ルチーンの仕事を他人に押し付けて平気だったりするのでかなわない。
何であれ、私は今までの人生の半分以上この仕事をやってきているのだが、「忙しくて困る」という経験をしたことがない。予測を大きく外れる事態や、突発的例外事項が時折起こるのは事実ではあるが、普段からそれを盛り込んだスタイル(つまりいつでもブラブラしているということなんだけど)で仕事をこなしていたら、大概のことはそれですむものである。もっとも、朝だけは人より早くきて、その日の仕事を一度イメージトレーニング的になぞっておく、という作業はしたほうがいいけどね。バタバタしている医者に限って、まず間違いなく朝の出勤が遅いというのは、かなり早いうちにえた洞察でありました。
というわけで、昼休みに薬屋さんなんかがやってきて「お忙しいところ恐縮です」と面会を求められると、嫌味もいい加減にしろよと思うばかりなのだ。あんたそれ、人が昼寝してたり、PCゲームやってるのを見ててそういうわけ?(2003/12/07)
TVをぼんやりみていたら、某病院の放射線照射量ミスについての調査報告が報道されていた。放射線技師が、医師の指示とは全然違う基準で放射線を当てていたというもので、素人目にはありえないようなミスと思われるかもしれないが、医療の実情を知るものとしては、やっぱ、放射線でも同じなんだねぇ、と安堵(?)の声が漏れてしまう出来事である。
そのニュースでも関連事項として、処方箋記載が必ずしも正しく薬剤師によって読み取られていないことが例にあげられていた。こちらのほうが一般の医療機関利用者にとって切実な問題で、結構これで事故が起こっているのに、全然対応策がとられないという不思議な状態が続いている。
問題は何点かあるのだが、主要なものは、散剤で処方される薬物の場合、製剤としての量なのか、薬効量をいっているのかが明確ではないということだ。例えば、ハロペリドールという向精神病薬の常用量6mgを処方するとき、普通は処方箋にハロペリドール末6mgと書く。ところが、中には親切な医者がいて、ハロペリドール末0.6というふうに製剤量を処方箋に書くのである。どの製薬会社もこの薬の細粒を1%で製品化しているので、細粒0.6g=薬効量6mgとして問題ないのだが、0.6=薬効量600mgととる人がいないとは限らない。もっとも、1%散剤で600mg出そうと思うと、一日量は細粒60gになるわけで、これはまず間違えようがない(でも、私は同種の間違いを見つけたことはありますが)。
それが、含有率10%の散剤だったりすると話はややこしい。例えば抗てんかん薬のアレビアチンは常用量が300mgぐらいである。これを10%散剤で処方するには3.0gが必要になる。ところが、アレビアチンはちょっと前まで原末(つまり100%)も使われていたので、これを10%末と同じ量だす間違い(つまり10倍量ということ)はそこら中で起こっていた。その対策として、10%散剤に統一されたのはつい最近である。しかも、そうなった後は、アレビアチンをいくら処方してもさっぱり血中濃度が上がらない、ということがよく起こるようになった。
明らかに、原末あつかいされて10分の1の量しか調剤されていないのだ。1%散剤みたいに、極端な量の差にならないので、そのまま通ってしまいやすい。私は間違えられないよう、アレビアチン300mg(ジフェニールヒダントインとして300mg)などとしつこく書くこともあるが、それでも間違えられ、最近ではこれを散剤で処方することは止めた。抗てんかん薬には66.7%散なんて妙な含有率の薬も多く、これは薬効量でこれは製剤量などと、はなはだ判りにくい慣用があるのだが、是正への動きはまずない。少ないほうに間違えられるのはまだましともいえるが、それで発作頻発するのは患者側もたまらんだろう。
抗生物質でも同じである。セフゾンという抗生物質の細粒は10%であるが、セフゾン細粒2.0と書く人と、セフゾン細粒200mgと書く人にわかれる(後者のほうが多数派だと思っていたが、前者も結構見る)。初めから区分けされた製剤なら間違えないが、そうでない場合も多いわけで、ホントにちゃんと処方されているか、疑心暗鬼になることもある。
処方箋の書き方はこうしなければダメという基準がなく、いままでこうやってきたという惰性だけがそれを決めているといってもいい。今までのやり方を共有できない人がそこに入ってくると、たちまち混乱してしまうのである。混乱だけならまだいいが、薬によっては命にかかわるのが一番の問題だ。
ニュースでは、医師のうち、ちゃんと処方箋の書き方を習ったのは少数みたいなことを言っていたが、そんな事はないはずだ。薬理学のつけたし授業で絶対やっているはずだが、まだ基礎医学を習っている時にあんな授業やってもほとんど意味がないので、臨床系の授業が始まってから、ちゃんと教えるべきであろう。
さしあたっての解決策として、商品名で書かずに成分名で書くようにして、原則として量は力価で書くということにすればいいのだが、同じ成分の薬剤でも、製薬会社によって明らかに効果に差がある場合が困る(稀だが)。それに、ビオフェルミンみたいな微生物製剤とか、半分がやさしさで出来ている薬の場合なんか、どう書けばいいのか困ってしまうし。まあ、えらい人がどこかで考えてくれているのだろうが、ちゃんと基準ができるまでは最大限の注意を払うしかない。
処方箋の書き方には出身大学によってかなりの差があって、学問文化の違いというのを感じさせてくれ、それはそれで面白いものだ。それについては後日。(2003/12/08)
処方箋の書き方に基準がイマイチはっきりしないところがあるという話をしたのだが、そもそも、慣用的に使われているフォーマット自体、漢方医学の伝統と明治以降のドイツ医学が入り混じったもので、日本式の書き方では海外で通用しないという奇妙な現状がある。
私は東大植民地の地方大学を出たので、日本で一番標準的な処方箋フォーマットをつかっているのだと思っている。基本的に、ドイツ語略語を使うやり方である。例えば痛み止めのロキソニンを、一週間1日3錠食後に飲んでもらおうと思ったら、以下のごとき書き方をする。
Rp) ロキソニン3Tab
3xn.d.e.x7T.D
ちょっと昔の医者だったら、はじめの3xはAuf dreimalと書く人もいる。n.d.eというのはnach dem Essenの略である。食後ということ。寝る前ならv.d.s.で、vor dem Schlafの略である。T.DはTage Doseの略。同じことをラテン語の略でp.c.(post cibum)、h.s(hora somni)と書く慣習がある大学もあるようだ。ちょっとスマートかもしれない。その場合、何日分というのをどう書くのかは知らないが。
これは日本語で書けば分3食後という意味なのだが、よく考えてみればこのドイツ語略語での書き方はおかしいのだ。Auf dreimalにせよ3xと簡略化して書くにせよ、あの書き方を文字通りに受け取ると、上記の薬を3回、全部で9錠飲めといっていることになる。寝る前に一回飲めという場合は、問題ないのだが。
ヨーロッパではどうか知らないが、アメリカではここのところはかなりはっきりしている(私には留学経験はないので、こういうのは全部向こうの医者から聞いたり、留学した知り合いからの受売りである)。向こうでは一回分の薬の量を書いて、それから飲み方を指示するという書き方をする。その際、ラテン語の略語を使う場合が多いようだ。さっきの痛み止めならこうなる。薬の名前はカタカナ書きのままだが。
Rp) ロキソニン1T
t.i.dx7days Disp #21
t.i.dはter in dieというラテン語で、1日に3回という意味。それを7日間、総量で21錠という記載になる。おそらくドイツ語で処方箋を書く場合も、これに準ずると思うのだが、日本では何故かドイツ語略語を使うにせよ、ラテン語を使うにせよ、まず一日量を書き、分服という意味で3xと書くのでややこしい。もっとも、海外からの紹介状をもらうと、まず薬の量に関しては一日量で書いてあって、直感的にはこちらのほうが判りやすいのは向こうでも同じらしい。
日本の中でも、分3を3xなどと書かない地域もあって、そういうところに移動すると薬剤師さんは理解してくれても、看護スタッフなどはかなり混乱する。よく間違えないものだと思う。ところが注射処方箋の場合は、どんなところでも、あくまで一回に打つ内容と量を指定するのだから、一体原則はどこにあるのだ、といいたくなることもある。
処方箋の書き方で一番感動したのは、阪大系病院の独自記載である。なんと言っても、適塾以来の日本型プラグマティズムの総本山で、そこが編み出した表記法の合理性にはいささか度肝を抜かれるほどだった。
例えば、食後投与の場合は、n.d.e.だのp.c.だのというような、大和心をないがしろにした、ますらおぶりに欠ける書き方などしない。「食後すぐ」からとられたのであろう、「ス」というカタカナを変形した記号を使うのだ。スの上辺を延長して、処方薬のグループ化をするための傍線にもつかえる。「フ」というカタカナであることもあったような気がするが、これはきっと「服用」ということだけを指示していて、食後食前どっちでもいい、ということなのだと思う。勘違いかもしれないが。横長の十字みたいなのもあったが、きっとあれは「食間」だろう。
眠前に飲む場合は「ネ」である。この場合もネの横線を延ばして、傍線としてつかう。薬自体の表記もしばしば漢字による簡略化が使われ、例えばアリナミンFなら「有F」だったりする。それも、薬の量自体もその漢字表記に含まれている。有Fスで、アリナミンF3T3xndeを意味するという超合理性なのだ。コランチルという胃薬なんか、「叱」という漢字になっていて、「コラ!」ってことなんだろうが、プロの関西人を自称する私にも、ちょっとこれにはついていけなかった。
阪大系の病院で働いたのは二年足らずだったこともあり、くわしいことは忘れてしまった。ちょっと検索してみたら、ここで紹介されている。そのサイトでも、コンピュータ入力が一般化するようになると、そういう表記は消えていくのではという危惧が表明されているが、確かに同感である。あの表記は、日本が生んだ伝統医学医療文化として、ぜひ保存していただきたいものだとおもう。(2003/12/11)
ロイターの報道によれば、12月中旬に発刊される"Biological Psychiatry"において、小児期からのリタリン投与は、脳機能に対して長期の影響を及ぼすことが示された論文が一度に3本掲載されるとのこと。
肝腎の"Biological Psychiatry"のサイトをみても、その中のメインとなる論文は予定稿としても触れられていないのだが、ロイター報道によれば、それはハーバード大医学部のW.カールゾンのグループによるラットを使った研究であるようだ。(判りにくいリンクをたどり、やっと見つけたのがこちら)
カールゾンらは、幼若ラットを2群にわけ、人間の思春期に当たる期間、一方にはリタリンを、もう一方には食塩水を注射した。そして、ラットが成熟した後、「獲得性無力」の評価をおこなった。これは、ストレス下で課題を断念する程度を調べるものらしい。えさにたどり着く迷路に電気ショックでも流すようにしておいて、その粘りと頑張りをみるようなものですかな(と思ったら、無理やり泳がせて、あきらめて溺れるまでの時間を計るというものだった。こんなテストに付き合わされるラットはお気の毒)。
その結果、成長期にリタリンを投与された群の「獲得性無力」は明らかに増加していた。コンジョなしネズミに成り果てていたということらしい。これは抑うつ傾向に陥っていることを示しているとカールゾンらは主張している。
もっとも興味ある所見は、リタリンを与えられていたラットは、コカインが含まれた餌を好まなくなる傾向があるということだという。ラットは一般的にコカインが好きらしく、これを褒賞刺激にできるらしいのだが、成長期にリタリンを与えられていると欲しがらなくなるそうな。ほかの二つの研究もそれぞれ、早期のリタリン摂取が全般的な褒賞刺激への反応低下をもたらすことと、ドーパミン系ニューロンの反応性変化が起こることを主張している。
もちろん、この研究は成長期のリタリンは、今まで考えられていた以上に、脳に長期間の影響を与えるということをいいたいのであって、子どものときからリタリンを与えておけばコカイン嗜癖になるのを防げるということを実証しようという意図ではじめられたものではない。(でも、この思いがけない結果は、もっと別の視点での研究展開を可能にするような気もするが)
一部マスコミがいうようなリタリン排斥の理由の一つが、リタリンはコカインをはじめとする、ハードドラッグ嗜癖への入り口になるというものだったわけで、それを判りやすく示そうとしたら、えらく思いがけず逆の結果が出たというものではないかと想像する。大体、中枢神経系が完成されるのがかなりおそい人間と、生後短時間で交尾まで可能になるラットを一緒くたにするような、えらく大雑把な実験計画で、一般的な薬物への不安に乗っかった安易なものだったが、そんなに問題は単純ではないのがわかったというところか。
「小児ー思春期の脳の神経化学と機能的特徴や、精神刺激剤が脳の発達に及ぼす影響について、いかに我々の知識が限られているかを、これらの研究は思い起こさせてくれる」というコメントが専門家によって寄せられているが、まこと、正直な感慨といえる。少なくとも、一方的に一つの薬を悪者にしておけばすむような問題ではないので、毎日新聞の山本紀子記者とか、アホなジャーナリストをあおっている一部の精神科医は、虚心に元論文に当たって熟考して欲しいものだ。
私は原著読むために本登録する金出すのがもったいないので、こういう報道とか抜粋で我慢しておきますけど。(2003/12/09)
*その後、読者から掲示板で教えていただき、著者のサイトから直接元論文を参照できる道筋がついた。先達はあらま欲しきものなり、である。