最近、ごく普通の医学雑誌になってしまった感のある"The British Medical Journal"で、ここしばらく引用することもなかったが、この20日に発行されるクリスマス特集号は久々の圧巻である。私の医学センスなどは軽く飛び越えた大論文がメジロ押しで、どれから紹介していいか迷うほどだ。昨年はまとめて紹介したが、今回はゆっくりと別々に紹介していきたい。
さしあたっては小品から、というわけで「彼らの心はいつまで続いたか?タイタニック事故から」("How long did their hearts go on? A Titanic study ")をまず紹介したい。外傷性ストレス体験がその後の健康状態に影響し、その体験者の余命も短くなるという説に対する検証を意図したものであるが、その題材に、かのタイタニック号の沈没事故(1912年4月18-19日)を用いている。
題名の"How long did their hearts go on? "は、97年の映画「タイタニック」の主題歌、"My heart will go on"をもじったもの。論文の中にも、タイタニック号の事故を扱った、他の映画の題名をうまく盛り込んであったりするような遊びが見られたりする。著者はカナダ、マックギール大学の疫学教室の教授と学生たちである。
著者たちは乗客情報を、"Encyclopedia Titanica"というウェブサイトから得ている。タイタニックの乗客やクルーたちにかんする、最も正確な情報を集めているところなんだそうである。そこから500人の生存乗客のリストを得て、435人について追跡調査が行われた。といって、彼らの生年月日とその死亡年齢をたしかめて、1912年から2003年までの、事故のあった日における彼らの生存率を計算しただけのことなんだけれど。
1等と2等乗客の大半は米英国人で、3等乗客はヨーロッパから米国への移民であった。この構成に対して、その社会背景も換算した対照グループを得るのは難しかったため、次善の策として、当時の米国とスウェーデンの統計から、タイタニックの生存者とほぼ同じ年齢と性割合をもつ2グループを作り、比較した。
そうして作られたのがこのグラフである。一見して明らかなように、乗り込んでいた等級とも関係なく、タイタニック号生存者のその後の生存率は、対照グループとほとんど差が見られず、わずかながら高い傾向すらみられる(統計的に有意なのは1等と2等の女性乗客だけ)。
論文の最後は映画「タイタニック」主題歌への言及で結ばれている。「生存者たちはその後の人生が一般と比べて短かったわけではないが、主題歌の歌詞のように、いつまでも続くというわけにもいかなかった」。少々強引かつ恣意的なデータ収集が目立つとはいえ、ごく常識的結論に至ったといえましょうか。 (2003/12/19)
前回に引き続き、BMJのクリスマス特別号論文の紹介。
医学的研究というか、日常的な医療手段効果判定レベルでも正統的な方法論としてみなされるEBM(Evidence Based Medicine:証拠に基礎を置く医学)という立場は、確かに形式論理的には正しいものなのだが、同時に常識というか、人間の健全な判断力というものは無視しているともいえる。昔からの経験的論理を愛する人々からは、からかいというか、その形式性への反駁があるのも事実。
昨年も、EBMをある腫の宗教にみたてた論文が掲載されたBMJは、ある意味極端なEBM的立場に対する批判的勢力の急先鋒であるのだが、今年もその立場は変わらないようだ。この論文はEBM原理主義を装って、そのナンセンスさを告発するという手法を用いている。(元論文はこちら)
論文の著者はケンブリッジ大学の産婦人科学教授と、国民健康サービス機構公衆衛生部会の研究員である。題目どおりの事故防止への医学的提言としてこの論文が採用されたとはとても思えず、この雑誌の編集者たち自身、すきあらばEBMへの有効な反論を意図していることがうかがわれる。
論文の骨子だけを以下に述べる。
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パラシュートは高所からの降下時に、死亡や重篤な傷害を防止する手段として使用されている。しかし、その効果を客観的に判定するという作業は、今までおこなわれてきたとはいえない。高所からの落下時において、パラシュートを使わなくても死亡に至らなかった事例はあり、パラシュートの使用によって引き起こされた事故というものも存在する。
パラシュートの効果を客観的に判定するためには、適切なメタ‐アナリシスに基づく、ランダム化比較試験が必要である。さまざまな手段で文献検索を行ったが、結果的傷害の評価を客観的に設定し、パラシュート使用時と、擬似的手段使用時の結果を、100m以上の高所から降下した状況をもちいて客観的に比較した、適切な研究報告を見出すことはできなかった。
したがって、パラシュートの使用は純粋に経験的なものであって、たまたま良好な結果が出た例から事後的に正当化されるに過ぎない。介入的手段の正当性はランダム化比較試験によってのみ判定されるという立場に立つ人々は、高所からの降下においては、パラシュートを使わずに率先して飛び降りて、データ蓄積に協力すべきであろう。(最後は多少面倒になったので、かなりはしょった)
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英国式皮肉と韜晦に満ち満ちた論文であるが、その意図はあきらかだろう。いわゆるコモンセンスというものを否定する極端なEBM的な立場は、上のように戯画化された内容よりもバカバカしいことを主張していることも本当にあるのである。
といって、昔からの慣例的な治療手段とされるものが、無意味であるにもかかわらず、疑われもせずに使われているということも実際にあるわけで、EBMという立場がまったくスカなのかというと、そうでもないのがまた難しいところ。結局最後は、豊かな良識に支えられたコモンセンスで判断するしかない、というところなのですな。(2003/12/20)
BMJ論文の紹介の続編。
本日は実用的なところで、「車の色と怪我人が出るような交通事故との間に、関係はあるのか?」という研究である。一般的に、暗い色の車は見えにくいので事故が起こりやすいとはいわれるが、どの程度本当なのか、本当だとしたらその危険性はどのぐらい増えるのか、なかなか気になるところだ。著者たちはニュージーランド、オークランド大学公衆衛生学教室の研究員。(元論文はこちら)
著者たちは、1998年4月から1999年6月までのあいだに、オークランド地域で起こった571例の交通事故(運転者もしくは同乗者が一人以上怪我を負って病院に搬送されたか、もしくは死亡したもの)を取り出した。その総数は571件であったが、車の色は4例において不明であった。
一方、同時期にオークランド地域で車の運転をしていた一般運転者から、ランダムに選択して得られた588例を対照群とした。対照群の車の色は全例判明している。途中で別の色の車に買い換えた人はいなかったらしい。この対照群の車の色割合と、事故群の色割合を比較して、色別の傷害事故発生率に差があるかどうかを検討しているわけだ。
事故と関連がある他の要因として、運転者の年齢、性、教育レベル、民族性、6時間以内の飲酒状況、薬物使用、シートベルト着用、週にしめる運転時間、運転スピード、車の年式、エンジンのサイズ、事故の時間、天候など、他にもいっぱいあるが、統計的にその程度が知られている事故増加要因がある場合は、その危険性を補正したデータとの比較も同時に行っている。
それらの要因で補正した場合、数が一番多い白い車の事故率を1とすると、もっとも傷害事故が多いのは茶色で、2.1倍という結果が出た。ついで黒が2.0倍、緑が1.8倍であった。青、黄、赤、灰色がそれぞれ0.9、0.8、0.7、0.6で、いずれも白い車より傷害事故率が少ないという結果がえられた。一番少なかったのは銀色で、0.4倍の傷害発生率であった。著者たちは銀色の車で傷害率が明らかに低いことの理由を説明していないが、傷害事故を減らすために、銀色の車をもっと増やすよう提言している。
この論文に対して、BMJのウェブにアップされた12月19日だけで、実に10人の反応が寄せられている。そのトップを切っているのが、「夕方にメタリックシルバーの車を運転していて、それが全く見えなかったらしい歩行者をはねそうになった」というもの。他にも2名が、銀色と灰色は曇天や夕方には見えにくいと、この論文の調査結果に疑義をはさんでいる。
確かに私の経験でもそう思うのだが、この論文が調べているのは車に乗っている側が傷害を負う場合だけで、車が歩行者や自転車に乗っている人をはねる事故のことは考えていないらしいのが、ズレを生んでいるのかもしれない。銀色の車に乗っていると、日ごろからチョコチョコとぶつけられる機会が多いので、自然と安全運転するようになる、という可能性もある。
銀色というとメルセデスがこれである場合が多いので、周りの車がヤーサンではないかと敬遠するのが理由、ってわけではないですわね。(2003/12/21)
今まで3回ほど、祈祷による疾病治療効果を検証しようとした論文を紹介したことがある。一般的な医学治療を受けている患者群と、それにくわえて祈祷者によって病気の平癒を祈ってもらう群を比較するというものである。一番初めに紹介したときには完全なキワモノ論文だと思っていたが、二度目の時には、かなりの数の研究がなされているのを知って、ちょっと驚いたものである。
そんな中で、2001年、BMJのクリスマス特集号にのった論文は文字通り驚天動地モノであった。こちらの3番目に簡単な解説をつけているが、もう一度しつこく書くならば、この研究は現在進行形の病気治療に対しての「祈り」の効果を見るのではなくて、すでに過去となってしまった治療に対しての「祈り」の効果を見るものだったのである。
1990年6月の時点で敗血症となって入院した3000余りの症例を、10年後にランダムに2群にわけ、その片方に対して平癒を願う祈りをささげるのである。もちろん、この時には治療はとっくに終わっていて、多くは治癒しており、不幸な転帰に終わった人もいる。ところが祈祷された群の入院日数は有意に短く、死亡率もわずかに低いことが示された。治療の10年後におこなわれた祈りが、時間をさかのぼって「治癒効果」を示したともいえる結果が得られたのだ。
この論文には現時点で90近いコメントが寄せられていて、当惑を方法論的な疑義で包み隠したような反応がほとんどであった。論文の形でこれをフォローしたものはほとんどなかったが、今年のBMJクリスマス特集号に、ようやく肯定的にとらえる論文が載せられるに至った。
肯定的とは言っても、祈祷群と非祈祷群への振り分けのさい、本当にちゃんとしたランダム化ができたのか、大体祈祷者といったって、どの程度の専門家がどの程度真面目に祈ってくれたかわからんではないかという(真面目にやれば効果は上がるのかと思わないでもないが)、当然の疑問はきっちりと指摘されている。後者のほうは「真面目にやった」といわれたら検証のしようはないが、前者の場合、元論文に書かれていた「コイントス」では、ちょっと手先の器用な人の手にかかれば、いくらでも操作は可能になる。
そういう疑問を勘案しても、祈祷者の祈りが過去に影響しうるということは事実として認めようではないか、というような結論である。その根拠というわけではないが、超ひも理論のような物理理論にだって、意識や実在というようなことは判らないのだから、というようなありがちの理屈がくっつけられているのは少々難ではある。
臨床記録はどこでも保存してあるのだから、あとはサイコロふって2群にわけ、坊主か神主か神父さんを呼んできたら、追試は比較的簡単にやれると思えるのだが、全くその後追試もされないというのは、元論文が示唆する、時間をさかのぼって因果が働くという現象への拒否感であろうか。今回の論文のように、一つの調査研究の評価を述べるだけのために長い論文を書くというのは、医学業界ではそうないことである。神秘主義と中途半端な物理理論を適当につないだ、ちょっと前のニューアカ連中が書きそうな内容とはいうものの、ある種、勇気のある態度といえぬこともない。
考えてみれば、私らもマージャンなんかしているときには、とても引いてきそうにもない牌であっても、気合を込めれば何とかなると少なくともそのときは信じるというか、実感しているわけだ。祈りとは少し違うが、意志の力は積まれた牌の山という、過去に決定された配列すら変えるという信念は、それほど奇矯なものでもない。
なんであれ、病気と闘っていた人が身近にいる方は、たとえその疾患にすでに決着がついていたとしても、彼らの回復に対して祈りをささげるべきなのであろう。幸に快癒が得られているのであれば感謝の祈りを、不幸にして死に至っていたとしても、その魂の平安を願うという形で。どんな対象に祈るのかというのは、人それぞれであるにせよ。(2003/12/24)
幼少期に適度に感染と付き合うことがアレルギー疾患の発生を予防するらしいということは、「笑うカイチュウ」という本で有名な藤田紘一郎医科歯科大教授も主張しておられる。これにはオリジナルがあり、その数年前にロンドン大学のStrachanが、アレルギー疾患である枯草熱(これは『花粉症』と言った方がわかりやすい)の発生と家族サイズには関連があることを見出している。
兄弟たちからの不潔な接触が多くなる大家族育ちの場合、明らかにアトピー性疾患の発生がすくないのだそうだ。当然、生まれ順とアトピー発生にも関係があり、長子はアトピーもちであることが多いという。藤田紘一郎氏に言わせれば、長子のときは一生懸命哺乳瓶を薬物で殺菌したりするが、二番目以降は親が面倒になってやらなくなるのでアトピーになりにくいのだそうだけど。我が家などははじめから面倒だったので、全然そんな殺菌手順なんかやらなかったおかげなのか、子ども達はアトピーなんか無関係に育ちましたが。
とにかく、適度にバッチく暮らすということの健康への寄与というのは、かなり常識になりつつあるといってもいいのだが、今回のBMJクリスマス特集号に論文を寄せたPerkin,Michael R.は、それに加え、さらにサッカーのポジションと生まれ順の関係についての敷衍的論考をおこなっている。
というのは、著者のPerkinには3人の息子がいるらしいのだが、彼らがサッカーをやるときは、一番下はいつもキーパーをやり、年かさがストライカーをやりたがるのだそうだ。この傾向が一般的であるかを確かめるため、著者は英国プレミアリーグの20チームに質問し、選手たちの兄弟構成を調べた。2チームは回答を拒否し、もう1チームは直接選手に聞いてくれと答えたそうである。著者はディヴィジョン3の24チームにも質問し、総数で232の選手についての情報を得た。その内訳はゴールキーパー23人、デフェンダー72人、ミッドフィルダー68人、フォワード69人である。
その結果、ポジションと家族のサイズには明らかな関連が見られた。キーパーの平均兄弟数は1.13であったが、デフェンダーは1.79で、ミッドフィルダーは2.4、フォワードは2.0であった。キーパーは一人っ子の場合が多いということだが、これは兄弟がいないためにローテーションができなかったということの表れであろうと考察されている。
一人っ子である場合を除いた全例のうち、長子は68選手、真ん中が54選手、110人の選手が末子であった(男の子だけを考察しているらしい)。しかし残念ながら、生まれ順によるポジション分布との相関は確認できなかった。フォワードが長子である率は幾分低いという結果だけが得られたが、統計的有意性は充分ではなかった。
はじめの仮説とは反対のあいまいな結果は出てくるわ、そもそも、アトピーとの関連で書き出された論文が、いつの間にやら生まれ順とサッカーポジション適性の話だけになっているではないかと、思いっきりツッコミたくなる内容である。本当は著者の仮説が証明されて、キーパーは末子が多いのでアトピーは少なく、ストライカーにはアトピー罹患者が多いなんて結果が得たかったんだろうな、と好意的にはみてあげたいのだけれど。
多分一番興味があったのは、自分の子どもたちをどのポジションに置くのがいいか、ということなんでしょうけどね。 (2003/12/25)
BMJクリスマス特集号論文。ここ百年間のオーストラリア対ニュージーランドのラグビー公式戦を取り上げ、医学論文などでしばしば使われる、データを恣意的に引用することで都合のいい結論を導く手法の例を示すのが目的だという。いわゆるEBMへの嫌味を意図しているようなのだが、例にあげているラグビーのAUとNZの因縁対決自体にかなりの思い入れがあるらしく、狙いがどこにあるのか良くわからなくなっているところがある。著者はオーストラリア、ニューキャッスル大学医学部公衆衛生教室(Population Healthをそう呼んでいいんだろうか?)の助教授。元論文はこちら。
1903年から2000年の間、両国間では114ゲームが行われ、NZの76勝に対し、AUは33勝で、引き分けが5試合であった。著者たちは、ゲームをあらかじめ定めたクライテリアによって、いくつかのグループにわけた(ルール変更を基準とした年代、ホームかアウェイか、など)。そのグループ分けは相互排除的ではなく、ひとつのグループが他のグループの一部を含んでいることもある。その上で、各ゲームグループの得点差の平均値と標準偏差を計算した。
その結果得られたグラフがこれである。以下、考察の部分をある程度忠実に訳してみる。
医学研究においては、このラグビーでの結果と同じように、最近の結果を選択的評価することができるが、そうすることで異なる結果を検討できなくなってしまう。グループ比較によって示されるエビデンツと、研究者の先入観とが、選択的評価へしむければ、それ以外のデータは無意味になってしまう。
例えば、薬剤放出型の冠動脈ステント(閉塞部に埋め込む再閉塞防止の内張りみたいなもの)の評価をするとき、昔からのバルーンを使った冠動脈拡張術の蓄積されたデータを使って、何をすることができるだろう?医学的治療は時とともに改良されることはないのだろうか?古いデータは捨て去ることはできないが、それらがより新しい治療法の結果を予見する助けになるだろうか?(ウェールズの黄金時代を思い出されたい)
医学とラグビーの類似点は厳密には成り立たないが、形式的には同じであろう。よっぽど熱心なAUサポーターでもないと、長い間NZが覇者であったことを否定などしないだろう。しかし、2003年のワールドカップで示されたように、今日のAUチームのほうが優勢であるのは明らかだ。お互いのファンたちがなんだかんだと言い合っても、所詮空騒ぎである。薬剤放出ステントと内科的療法のどちらを好もうと、結局イングランドチームのことは考えに入ってはいないのである。(引用ここまで)
医学研究における治療結果比較でしばしば使われる恣意的なグループ分けをして、しかもあまり意味がないような比較をして、一部の優位性をエビデンツだと取り上げるやり方にたいする皮肉らしいが、この百年間のAU対NZの試合結果や、もちろん今年のワールドカップのことなどは当然周知の事として例えにされているので、流し読みしただけではなんだか全然判らない。昔と今を比べたって、回顧にはなっても、今後の事に役なんかたたんぞと言いたいのだろうな、とは思うのだが。
読者のコメントがいくつか寄せられているが、例えのほうに引っ張られてしまっていて、「NZが強かったユニオン制ラグビーのことだけを取り上げているのはおかしい。AUが強いリーグラグビーのことも考察しろ」とか、「NZチームといったって、トンガ、サモア、フィジーとの連合軍じゃないか」といった反応。ちょっと例えに凝りすぎて、本論の方の展開がおろそかになった1例といえようか。(2003/12/26)
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またまたBMJクリスマス特集論文からの引用。今回はワーグナーのオペラ、「トリスタンとイゾルデ」を薬理作用的に分析する試みである。(元論文はこちら)
一般的に、オペラというものは、作劇法という観点から見れば、まるっきり破綻しているものが多い。このストーリー展開は、小学校の学芸会でも通用しないぞ、といいたくなるようなものもあるが、実際に見ていると、派手な衣装と音楽という、祝祭感覚の氾濫で引っ張っていかれるので、ドラマツルギー的な疑問というのはそう出てくる幕がないのである。
ヒットラーとコイズミ首相が好きなことで知られるワーグナーのオペラもその例に漏れず、必然性だのを問い出せばきりがない物件なのだが、その重厚な音楽を聴くだけでも「感動」の側に容易に引き込まれる不思議な体験ができる。考えてみれば、ヒットラーとコイズミ首相も、まるっきり破綻した政策を掲げながら、感情的なアピールは末期まで結構維持できていた(後者を過去形で語るのはおかしいけれど)という点ではよく似ている。
「トリスタンとイゾルデ」というのは、王に輿入れする他国の王女イゾルデと、彼女を護衛する役目の武人トリスタンとの悲恋物語である。かって戦地で傷を負ったトリスタンの手当てをして以来、ひそかに彼に恋心を抱いていたイゾルデは、薄情にも自分の上司なんぞと結婚させる役目をかって出てきたトリスタンと無理心中を目論み、毒薬を飲ませようとするが、侍女の機転で媚薬とすりかえられる。
媚薬のおかげでタガの外れたトリスタンは、もともとの片思いと薬で、完全に吹っ飛んでしまったイゾルデと肉欲の限りを尽くすのだが、やがてそれは上司の王に知られ、刺客の手によって粛清されてしまう。王は最後はふたりをゆるすものの、イゾルデは恋人の死骸を抱きつつ、最後には息を引き取る(というか、そんな風に受け取れるラストになる)。
あらすじだけ書けば、イカレたねーちゃんに片思いされるとひどい目にあう、人生どこに災難が転がっているか判らないという、他山の石教訓オペラであるわけだが、その強引な筋運びの根幹を成している「媚薬」について考察しているのがこの論文である。
そもそも、無理心中のつもりで飲ませようとした薬は媚薬にすり替えらているのだから、トリスタンが王の刺客に殺されるのは仕方ないとして、イゾルデまで死んでしまうのが解せない。ワーグナーフリークはこのあたりを、愛によって支えられた「意志」によって命をたったのだと主張するのだが、そんなアホなことがあるわけがないのだ。
このBMJ論文は、毒薬にも媚薬にもなりえるナス科植物から得られた抗コリン作用をもつアルカロイドがその「媚薬」であったのだと推論する。ナス科植物には毒性アルカロイドを持つものが多く、花岡青洲が麻酔に使ったチョウセンアサガオや、アトロピンやスコポラミンを含むハシリドコロなどが有名だ。ジャガイモもナス科だが、ソラニンという毒物を持つことがあるのが知られている。「秋茄子は嫁に食わすな」というのも、ナス科植物がもつ潜在的危険性を古人が知っていたからこそ、言われるのだろう。
この論文の著者は、中世の媚薬はしばしばナス科植物から得られた抗コリン作用を持つアルカロイドであり、19世紀にはそれが大衆的な知識になっていたことを指摘している。そして、オペラの脚本の考察から、トリスタンたちの症状がまさしく抗コリン作用薬物から説明できるとする。最後のイゾルデの不可解な死も、抗コリン薬物の中毒症状として説明可能であると。
だからなんなんだ、と言ってしまえばそれまでで、同時に掲載されているコメント論文"Signs of love, not a love potion "では、「面白いアイデアではあるが、あまりに瑣末的だ」と批判されている。彼らは死を覚悟して薬を飲んだことで、互いの愛を確かめあう機会を得ただけなのだと。読者からのコメントでも、「彼らの症状は、MDMA(いわゆる『エクスタシー』)によるものとしたほうがいいのでは」というような茶々が入れられている。
とはいえ、ワーグナーのオペラにも結構合理的側面から議論できる余地があるのだと再認識できるのが面白いところなのかなと。その原理的信奉者に置かれては、決意だ、意志だ、感動だ、などだけではなく、そこそこ納得できる理屈の側面も検討していただければ有り難いかな、なんて控えめに感じてしまうのであった。 (2003/12/27)
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TVを見ていたら、NHK教育の福祉何とかという番組で、デヴィッド・ヘルフゴットについて放送していた。97年のアカデミー賞主演男優賞をとった映画、「シャイン」のモデルとなったピアニストであるとのこと。
NHKのサイトなどから付け焼刃で得た知識によれば、彼はオーストラリアの貧しい家庭に生まれた。父親は亡命ユダヤ人共産主義者で、一度は音楽家を目指したことがあった。その父親の指導の下、幼いときからその才能を開花させるのだが、父親はそんなデヴィッドに嫉妬し、独占するためにプロへの道を閉ざそうとしたのであった。
何とかイギリスに留学したものの、そこで精神異常を来たして帰国し、精神病院に10年以上入院、退院後は福祉施設に暮らしながら場末のバーでピアノを弾いて生活の糧を得ていたところを、現在の妻、ギリアンと出合い、プロのピアニストとして復活を果たしたということのようだ。
NHKは昨年7月に来日したヘルフゴット夫妻にインタビューしているのだが、肝腎の本人がわずらっている疾患についてあいまいにしか触れないので、「傷つきやすい」だの「その傷つきやすさが音楽的な才能をはぐくんだ」などというような、どうかと思うような「神話」に加担するばかりの構成なのだった。病名も「不安神経症」などと誤魔化しているし。
あの人はどう見ても分裂病*の欠陥状態だろう。薬物療法を続けながら、なんとか再増悪を防いでいるというところだと思う。そんな状態でも、なんとかコンサートツアーを続けていけるのは、マネジャー役のギリアン夫人の強力な支えと、何よりも疾患にも崩されなかった彼自身の音楽的才能という核があったからと思われる。
「シャイン」という映画は見たことがないが、解説を読むと、精神疾患によって失われたかにみえたデビッドの音楽的才能を、夫人の愛の助けで取り戻すという話になっているらしい。でも、そんなやつぁおらんぞ、普通。急性期にはピアノ弾いてる余裕はないだろうが、程ほどに落ち着けば音楽活動はやれる範囲でやったろうし、それが彼の拠りどころになっていたはずだ。
もちろん、人に聞かせるレベルに洗練するためには、心置きなく練習する環境が必要なはずで、福祉施設で暮らしているのではそれは少々心もとないだろう。そんな彼を見出したギリアン夫人が、強力なイニシアティブでその才能を表に出させるべくプロモートした、ということなんでしょうな。もちろんその一環として、愛と感動の物語を脚色することも。別に私は貶めようと思っているわけではない。客を呼ぶにはそれも大事なことだと思う。
何であれ、番組でちょっと流した彼の演奏は、緊張感がどの音にも満ち満ちた素晴らしいものだった。メリハリという面からみれば、ハリばっかでメリがないぞといえないこともないのだけれど。重い精神疾患に耐えてきた彼には、全体的構成に目を配る余裕がなく、その瞬間瞬間にベストを尽くすしかないのでしょうな。今後の、そう無理をしない活躍を期待したいものだとおもう。(2004/01/05)
*なんでお前はいまだに分裂病という病名を使い、「統合失調症」という学会が決めた正式名称を使わないのだ、という質問を頂くことがある。以前どこかで書いたような気がするのだが、私はこういう意味のない言い換えがきらいで、統合失調症という病名も出来がいいとおもわないから使わないだけ。すでに業界ではこの言葉が「慢性化」してきていて、「統失」なんぞと略す奴もいる。お前はピッチャーエラーを治療するつもりかと、思いっきり突っ込みたくなることもある。
自分の診ていた患者、200余名を殺し、"Dr.Death"として知られたイングランドの開業医、ハロルド・シップマン(57)が、本日朝6:20(日本時間午後3:20)、服役中のウェークフィールド刑務所の独房で、首吊り自殺を図っているところを発見される。刑務官はすぐに救命処置を行ったが、8時過ぎに死亡が確認された。(記事はこちらとこちら)
1998年、ハロルド・シップマンはイングランド北西部グレーター・マンチェスター州ハイドで開業していたが、自分が診ていた81歳の女性患者にモルヒネを注射して殺し、遺産が自分に相続されるように遺書を改ざんしたという容疑で逮捕された。その後の捜査で、シップマン医師は自分の患者を、少なくとも215人は殺したと見積もられている(1000人を超えるという報道もある)。手口は全てモルヒネ注射によるものであった。
実際に立件起訴されたのは15件の殺人と、逮捕事案の遺言書改ざんで、2000年1月に終身刑の判決が確定して服役していた。政府は彼の事件の全体像を探るべく調査を続け、シップマン医師が殺害した可能性のある被害者は最低215人、最大260人という結論を2002年7月に出しているが、再び裁判が行われる可能性はまずないだろうと言う意見を表明している。
シップマンは1970年に医学部を卒業し、4年間総合病院で研修した後、家庭医として登録しているが、そのころからしばしば意識消失発作をおこすようになり、合成麻薬系鎮痛剤ペチジンの中毒に陥っていることが発覚した。彼は自分自身に、違法に処方箋を発行していた事も判明した。彼は罰金刑に処せられ、薬物依存治療プログラムを受けた後、77年にハイドで、グループで再開業した。
同僚たちは彼の仕事振りを評価していたが、患者に対して傲慢で恩着せがましいという見方をするものもあった。93年、彼は仲間から離れて単独開業をするが、彼の診療所は多くの患者に利用されていた。そして98年、彼にとって運命の日が訪れるのである。
シップマン医師は全ての嫌疑に対して無罪を主張し、これは服役後も同様であった。取調べ中も彼は捜査員に対して傲慢な態度を崩さず、まるでゲームを楽しむがごとき態度をとり続けた。捜査過程で精神科医が彼と面接しているが、いわゆる「快楽殺人」であることは否定し、一種の無意識的不安回避行動であったと示唆している。なお、彼はその犯行で金銭的な利害を求めることは、最後の遺言書改ざんの一件を除いてなかったらしい。
被害者の家族たちは、シップマン医師がこういう形で決着をつけたことを意外とは思わないとした上で、これで完全に事件の全貌があきらかになる道が閉ざされたと無念がっているという。
普通に精神科なんかやっていると、自殺以外に受け持ち患者の死をみることはそう多くない。私の場合、合併症や痴呆老人の受け持ちが多くなって、自然と内科疾患も診るようになったころ、最後まで付き合ってその死を見取った初めての経験で感じたことは、正直言って、実にすがすがしい達成感であった。
合併症だらけの高齢患者を、そう無理な延命をするでもなく、といってほっぽらかすわけでなし、という微妙なバランスを保ちつつ、安らかな最期をうまく演出するというのはなかなか難しい。
精神科疾患というのは、基本的に完結することのないものであるから、小康を得られたとしてもまた思わぬ展開があるやも知れず、その時々の危機を何とか乗り越えたというささやかな満足で終えるしかない。その点、身体的死というのは一回で終わりだから、やるだけのことをやりおえた満足は大きい。
どうもシップマン医師は、このあたりの満足への誘惑に妙な形で耽溺してしまったんではないのかな、というのが私の感想である。医療というのは一種のゲームであるとは思うが、常にオープンな条件で執り行なわれるからこそ、公正性やゲームとしての醍醐味が保たれるのである。壷振りが賽の目を動かして、プレーヤーの運命を勝手に決めたらいけません。
いうならば彼は、ローカルな神様になろうとしたわけだ。患者の運命を操作したり、取調べや公判、および事後調査の場面をつうじて、ある状況を支配することができなくなってしまったら、もはや彼には死を選ぶしかなくなったということなのかも知れない。J (2004/01/13)
昔、ある地方都市の大規模病院で働いていた頃のことである。私はある覚醒剤中毒の青年を受け持つことになった。もう詳しい事情は忘れてしまったが、彼の家はかなり複雑な事情をかかえていて、そのためか彼は職も定まらず、遊び人仲間とたむろするような生活を送っており、いつしか覚せい剤に手を出し、やがて幻覚妄想に脅かされるようになっていたのである。
彼の兄は若い頃に出奔して都会に出ており、チンピラから出発してその業界で苦労した結果、ある広域暴力団の戦闘部隊として知られる、自分の小さな組を持つまでになったヤクザだった。兄は覚せい剤におかされつつあった弟に、治療をうけてカタギとして故郷で暮らすよう諭し、何とか治療に持ち込むことが出来たのである。
本人の入院手続きを終えた後、兄は主治医と話がしたいと診察室に現れた。兄が入室すると、ボディガードと思しき手下がさっと出入り口を固める、そのフォーメーションが見事である。黒いカシミアのコートに白いマフラーを引っ掛けた兄は、まるでマフィア映画から抜け出たアル・パチーノみたいであった。
「先生、オレはご覧のとおりの極道だが、自分の家族だけはカタギとしてまっとうに暮らしてほしいと願ってきた。弟は結構ヤンチャもしたが、ヤクザでやっていけるような男ではない。それがシャブなんかに手を出したのは、オレのせいといわれても仕方ない。だからせめて罪滅ぼしのために、弟には納得のいく治療を受けさせてやりたい。出来ることは何でもする。先生も極道の弟ではやりにくいだろうが、全力であいつを治してやってほしい。」
そういって兄は手下に目配せしして、かなり分厚い紙包みをもってこさせた。それが成田山のお札でなく、現金だとしたら最低200万はあっただろう。「何でもするといったって、無学なヤクザに出来ることはこれぐらいだ。弾の下くぐって生きてきたオレには、たよれるものはこれしかねぇ。けっこう使いでがある分を揃えたので、好きに使ってくれてかまわない。それがオレの弟に対する気持ちだと思って欲しい」
私の頭の中では自動演算が勝手に進行し、これは貰うとまずいという結論がでた。兄貴の顔をみすえて、「弟さんへの気持ちはよく判りましたが、これは納めてください。私もプロなので、自分の仕事には常に全力を尽くしている。給料以外のものを受け取るわけには行かない」と紙包みを押し返した。目と目があったまま、私にとっては永遠と思えた時間が流れた後、兄貴は紙包みを手下に引き取らせた。
「オレたちの世界では、一度出したものを引っ込めるわけには行かないんだがね。そこまで腹が据わってるセンセイなら、弟を任せて間違いないだろう。あんたの信じることをやってあげてくれ」、そう兄はいって、手下たちとともに引き上げていった。
その後弟の症状は幸いにしてすぐに改善して退院に至り、またシャブに手を出すこともなく真面目に働くようになった。たぶん兄貴の組がそちらの世界から手を回して、弟に薬を売りつける売人を放逐したのではないかとも思う。
2年もたたぬ頃、弟から兄貴が死んだということを聞かされた。以前から肝炎があり、吐血して入院したがそのまま悪化したという。意識がなくなる前に、私によろしく伝えてくれといっていたそうだ。思わず、「紙包みは託されませんでしたか?」と聞きそうになったものだった。(2004/01.19)
上に書いた、いわゆる「医師への謝礼」に関する経験談が一部で好評だったので、別の話を一席。
これもある地方小都市の大規模病院にいたときの経験である。その病院の精神科病棟は比較的若い人が中心で、スタッフはとにかく長期入院を悪と考え、なにがなんでも平均在院日数を減らそうという、今考えるとそう意味があるとも思えない方針に(なんせ治療の質とか、顧客満足度なんてこれっぽっちも考えていないのだから)明け暮れていた。
そういう雰囲気の病棟であったから、老人性痴呆の患者さんとその家族が外来を訪れても、スタッフはあまり親切心を示さなかった。そんなもの、家族がめんどう見るのが筋ですよ、病院を姥捨て山だと思われちゃかないませんな、で済ましていたのである。その地域は農村に囲まれたささやかな旧城郭小都市という条件もあり、痴呆老人でもなんとか家庭や地域社会で支えることが出来ていたということもあるのだろう。
しかし、そのような伝統的社会構造はとっくに解体過程が進んでいて、痴呆老人をどうみるのかという問題は、今までのような知らん振りですまされないような比重をしめるようになっていたのである。目端の利く医療機関なら、デイケア施設とか専門病棟を作るなりして、それなりに新しい事業展開を考えるところだが、なにせそこは某やんごとなき方が名誉総裁をつとめられる、およそこれ以上の官僚組織はあるまいと思われる組織であった。まず時代に即応した方針転換など無理だ。
実際に病棟構造からして老人を受け入れにくく、看護スタッフもさっぱり慣れていないところで無原則に患者をとっても無責任なだけだ。どんどん増える老人の入院依頼に対して、私たちスタッフは「アリの一穴」を認めてはいけないという決意で、木で鼻を括った応対に終始していた。それでも例外ということはある。私が結構長い間うつ病としてみていた初老の男性が、急速に痴呆症状を進行させたのである。
その人は早くに妻を亡くし、軽い身体障害をもつ娘と一緒に暮らしていた。夜間にせん妄をおこし、幻の声に誘われて戸外に出かけてしまおうとする父親を、娘は追いかけていくことも難しかった。何度か事故寸前の事態があり、ある日娘は病院を訪れ涙ながらに入院を請うた。職場に警察から父親を保護したと連絡があり、引き取ったその足でやってきたという。いつも外からカギをかけて働きにいくが、その日は本人が窓を壊して出て行ったという。
「うつ状態の時には気の進まぬ本人を説得して入院させたではないか。よくしてもらえて感謝しているが、ボケたら知らないというのはあまりにつれない。いつまでも入院させてくれといっているのではない。せめて徘徊がおさまるまで何とかならないかと言っているだけだ」と。
確かに娘の言うとおりなのだ。専門外の疾患ならよそに回せばすむことだが、自分の守備範囲なのに、ここから先は知らんというのはやはりこちらも忍びない(こういう考え方を、医師のパターナリズムとして忌み嫌う人がいるが、私にはあまり理解できない)。看護スタッフにつるし上げくらうのを覚悟して、徘徊がおさまるまでという条件をつけて入院してもらうことにした。娘は泣き腫らした目をあげ、私の手をとって何度も「有難うございます」と繰り返したのであった。
そのあと娘は、背後においてあった紫色の風呂敷包みを取り出した。新書数冊分の厚みがある包みを手にもち、「それでは」と口をひらくので、私は「いや、そういうことは困りますので」と受け取れない事をつたえた。すると娘はキョトンとした表情で私をみすえている。私は「そういうものは受け取れません」と繰り返し、その包みを指し示した。
すると娘はゆっくりと自分がもっている紫の包みに目をむけ、やっと気づいたように、身をすくめてこういったのである。「いえ……、これは私の弁当箱でして……」。
その後、老人は少量の投薬で夜間せん妄もコントロール可能となり、ほかの若い患者さんにも大事にされて、そこそこの落ち着きを取り戻し、3ヶ月ほどで家に帰った。落ち着いたのはいいが、全体に元気がなくなってほとんど寝たきりになってしまい、開業医の往診を受けていたものの、一年あまりで亡くなられた。娘は不自由な身体で、最後までかいがいしく世話をしていたと言うことだ。
なんであの弁当箱を心付けだと思ってしまったのだろうと、今でも時々考える。やはり特別に診てやるのだよ、という意識がこちらにあったんだろうな。だから向こうだって、特別な態度を示すのがあたりまえだと思ってしまった。受け取りを拒絶するにせよ、そういう傲岸さは同じ事なのだ。
まあ、かなり気まずい思いをしたおかげか、とにかく早くなんとか格好をつけにゃならんと、必死になって対応を考えたので、学んだことも数多く、その後私が老人痴呆患者をみていく上で一大ターニングポイントとなった例ではあったのだけれど。(2004/01/30)
去る2月1日まで、東京国際フォーラムで「人体の不思議展」というイベントが開催されていたのを、ご存知の方は多いであろう。その広報サイトによれば、プラストミックという技術で、人体の水分と脂肪をプラスチックに置き換え、実物と同じ重量と感触を維持しつつ、長期の保存と展示を可能にした死体標本が167点も展示してあるという触れ込みである。
ところがこのイベントの主催団体が今ひとつはっきりしない。国際フォーラムの展示では、「人体の不思議展実行委員会」と称していたが、それでは何のことかわからないし、併記してある「日本アナトミー研究所」なるものにいたれば、ウェブ上にはこのイベント関連でしか出てこない。監修委員会なるものには、かの「バカの壁」で知られる養老孟司氏をはじめ、有名どころの医学者が、一杯名前を並べているんだけれど。
今後の予定をみると4月から6月まで札幌に移動し、その後も静岡、沖縄、京都を巡るとあるが、詳しいことは決まっていないようだ。ちょっと前まではオーストラリアに向かうと書いてあったんだが。サイトURLをwhoisしてみると、どうもゴルフ場の会員権とか、古物売買をやっている会社がとったものらしく、「人体解剖」とどこで関係するのかかなり不思議に感じてしまう。まあ、古物ではあるかもしれないが。
このイベントを訪問した人が結構自分のサイトに感想を書いていて、それらを総合すると、多少エグめの狙いと学術的な意図がたくみに交じり合った展示がされているらしい。その中に、死体はすべて中国で調達されたものだという記述があって、私のあやふやな記憶の何かにひっかかるものを感じたのである。
そこで早速検索。それはかなり以前からBBCなどで報じられていた、ドイツの解剖学者ギュンター・フォン・ハーゲンス博士が主催する「解剖死体ショー」であった。BBCがこれについて初めて報じたのは2001年の2月である。その記事は、フォン・ハーゲンス博士がベルリンで開催した、「人体の世界」という展覧会が、猟奇的で堕落したものだと批判されているというもの。
博士はBBCの取材に答え、「プラスチネーション」という技術(プラストミックとは微妙にネーミングが違う)を使って生々しい展示を可能にしたこと、人体への学術的興味だけでなく、その美しさにも触れてもらう目的があるのだと述べている。その後、BBCの記事を追っていくだけでも、この展示会はさまざまな形で批判や疑惑を呼んでいることがわかる。
例えばロシアにおける遺体盗難事件の黒幕ではないかとか、中国で処刑された死刑囚の死体を使っているといった疑惑である。実際、博士はその死体処理工房を3年前から大連に移していて、献体もほとんど中国の人々から得ていることを認めている。死刑囚を使っているという非難に関しては、一応否定しながらも、すべてを完全にチェックしきれるわけではないと、含みを持たせる返答をしている。(こちらとこちら、そしてちょっと変わった演出を紹介しているこちらを参照のこと。大連の死体処理工房に関してはこちら。この博士、どうも帽子がトレードマークらしい。解剖中にかぶってるぐらいで)
BBCの記事の写真やビデオを見る限り、国際フォーラムで展示された死体標本群は、まさしくフォン・ハーゲンス博士の「工房」で処理されたものとほとんど同じようなものだと私には見える。彼のオリジナルな標本はかなりお茶目な演出がしてあって、例えば脳みそむき出しの死体がチェス盤に向き合っていたり、ナポレオンみたいに、いななく馬にまたがらせてみたりといった感じなのだが、日本での展示標本はかなりおとなしくなっているように思える。でも、この標本なんか、どうみてもこちらからチェス盤を取り除いただけなのと違うかねぇ。位置が違うからなんともいえないが。
少なくともフォン・ハーゲン博士の事業団体は、あの特異な人格を表に出しているだけまだ正体がつかめるのだが、日本の展示を行っている連中は、金でつられた学者がコメントを書いているだけで、全く実態が不明である。学問を弾除けの口実にするつもりなら、少なくとも自分たちの正体ぐらいは明らかにすべきではないのかねぇ。東京のど真ん中でやられているイベントなのに、マスコミが何のコメントも出さないというのも不思議。「バカの壁」に幻惑されてしまったのか。(2004/02/06)
その後、掲示板で貴重な御意見をいただいた。まず、東京国際フォーラムであのイベントをおこなった団体と、ヨーロッパでさまざまな批判にさらされているハーゲンス博士とは、直接関係がないということ、また主催団体に名を出す連中は、いままでかなりうさんくさい商売にかかわっている経歴があるということである。
ただし、ハーゲンス博士が「発明」したという、プラスチネーションという死体保存技術とまったく同じ技術が、国際フォーラムでの展示に使われているのは間違いないとおもう。プラストミックという微妙に違う名前でその技術を呼んで、同じものではないようにごまかしているだけなのだろう。
ハーゲンス博士側のサイトには、東京での展示はイミテーションであるという声明が掲載されているが、それに対して何らかのアクションを起こすようなことは示唆されていない。これはおそらく、ハーゲンス博士が大連で運営している死体処理工房にかかわっていたスタッフが、死体の供給、その処理というノウハウを盗んで、そのまま別のところでやりだしたということだと思う。
なにせ中国である。他人のオリジナリティを尊重するというような風土ではない。まして、ハーゲンス博士のやってること自体、非合法すれすれだと告発されている。どうせ怪しいことをやるなら、ロイヤリティを掠められないように独自にやったほうが儲かるのは当然で、もともとモラルなんかない連中、類は友を呼んで怪しい二番煎じ死体ビジネスをはじめたということだと思う。
掲示板で情報をいただいたPOCHI氏のサイトには、氏が調べられた主催団体についての資料がアップされている。ハーゲンス博士の怪しさのお株を奪う、さらに怪しい詐欺系ビジネスの一端に触れられるので、ぜひご一覧を。(2004/02/07追加)
今日、2月10日は、日露戦争宣戦布告の日なんだそうである。近代化しつつあった日本が精一杯の軍事的見栄をはり、しかもその一か八かの賭けが成功したという、記念すべき日である。もちろん、百年前にそれを始めたときには、その政策当事者たちはほとんどヤケクソの冒険主義だったわけだが。
この戦争に関しては、相反した評価があると言っていい。一つはアサヒ新聞に代表される民主的リベラリズムのクリシェである。無謀としかいえなかったその戦争開始決定を批判しつつ、幸運な勝利に終わったことが、かえってその後の日本の帝国主義的慢心を決定づけてしまったとする。たしかにその通りである。
もう一つは結構土俗的というか、ある意味多数派を成す意見であって、近代的日本のアイデンティティは、実にあの戦争によって形成されとするものだ。実際、私の乏しい知識からしても、あの時代のロシア南下政策は明白なものであった。開戦直前、ロシア軍は当時の朝鮮領域に進出し、数千の無辜を虐殺する事件をおこしていたはずだ。
この立場からは、朝鮮に軍事進出し、利権を形成しつつあった当時の日本に、それを無視しておとなしく引き下がるという選択枝はなく、朝鮮の人々を守る口実と、日本という国家を守る切実な理由のためにも、対ロシアの戦いは避けるわけには行かなかったとされる。背に腹をかえられぬ戦いとしてあの戦争は戦われ、その幸運な勝利こそが日本の現在の地位を勝ち取った(太平洋戦争の敗北すらチャラにする程度の効果で)とする。ある意味、これも正しい主張であろう。
冷静な結果論からいえば、日露戦争の勝利で守った朝鮮権益なるものは、その後、あらゆる意味で大赤字をこいた。歴史のIFを言い出したらきりがないのだが、ロシアが朝鮮進出を果たしていたとして、それが本当に日本への脅威になったかどうかというのは怪しいと思わないでもない。国内に不穏を抱えていたロシアのこと、朝鮮進出→日本への直接的ちょっかいという風に進めたかどうかは疑問だ。
時間的な問題はあるだろうが、明石大佐がやっていたような、ロシア革命派への援助をもっと大々的にやる政策だってあったのではないかと思う。何ならシベリア鉄道に日本革命義勇軍を乗せた封印列車を走らせてもよかったのである。そりゃもちろん、一番流れやすいところに歴史は進むわけで、あの時代にはやはりロシアの脅威は切実であり、当時の選択には、そんなのんびりしたものはなかったのだろうけれど。
何であれ、当時の政策決定者も驚いたのだろうが、一応あの戦争は日本の勝利に終わり(といったって、ベトナム戦争における北ベトナムの勝利みたいなものなんだけれど)、日本はアジアの国々から実力以上の畏敬を獲得し、彼らの民族主義にも油を注ぐ結果になった。旧覇権国家からは、それなりの警戒と評価も得て、その後の国家経営にかなりの効果を得たのは間違いない。
だからといって、やはり正当化はできないと私は思う。もちろん、あの戦争がなければ、今の日本という国家はなかったかもしれないという指摘は確かにその通りだ。いまの私が享受している自由と繁栄の生活が、この国家という「枠組み」に依拠しているのは事実で、旧ロシアやその支配域を受け継いだソ連、もちろん現ロシアであったって、その統治を受けるようなことになっていれば、民族的苦難以外の何者でもなかったと思う。
IFを前提に考えてみたってはじまらない。結局、日露戦争の勝利のためか、太平洋戦争で示した日本人兵士の勇敢さのためなのか、敗戦国としては望外の扱いを得て、そのうえに実力以上の繁栄を手にしたのが我々なのである。いままでのラッキーを噛み締め、先祖の遺産を細々と維持するに控えるべきだと思う。
アホ官僚跳梁の結果、もはやこの国家なんてものに面倒見てもらうという発想自体、もう現実的ではないと誰もが感じはじめているはずなのだ。でも、野垂れ死にする覚悟をもって、自立を目指す姿勢がないところで、心地よい秩序を求める朝日新聞式リベラリスムのいやらしさにも人々はもう聞く耳を持たない。まして国家経営能力のなさを露呈している連中にはとっくに愛想を尽かしている。それなのに、それ以外の選択枝がないことこそ、問題なのだと思う。(2004/02/10)
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外来の待合室で私のみている19歳の少女が、一心不乱に携帯メールをうっている。「ご熱心ですな」と声をかけると、「生活かかってるんですからー」と屈託のない笑顔を向けてくる。
診察のときに打ち明けるには、彼女は顧客たちにバレンタイン・ディー勧誘メールをうっていたのだという。彼女はいわゆるキャバクラで働いているのだ。「チョコ用意しているから今夜も来てね」、という内容なのだが、「大枠の文章は同じでも、要所を変えておくのがポイント」だという。
彼女は1年前まで引きこもりの上にリストカットを繰り返す、「きわめて対応の難しい境界例、もしくは分裂病との鑑別が必要な例」ということになっていた。中学時代の不登校のころから通院歴があり、高校に進学はしたがすぐに中退し、家出してカルトまがいの団体に所属してみたり、売春スレスレの行為で補導されてみたり、なかなか多彩なエピソードがある人だということだった。デイケアを勧めているが、参加を嫌がる。社会性欠如が著しいと。
私がみるようになったのは前の主治医が転勤したためだが、カルテに記された上のようなサマリーをみて、どうも妙な思いを感じたものだった。波はあるが結構活発で、本人なりにかなりの社交性があって、問題はそれが持続しないという生活史が、分裂病とも境界例とも判断しがたい例にはふさわしくないように思えたのである。
私はかなり古典的な診断基準と病態理解で患者をみるので、分裂病というのは基本的に「早発性痴呆」だと思っている。間違うと廃人になっていくだけの病気だと思っているから、わき道にずれているとはいえ、かなりの社会的パワーを一時的にせよ示す人を分裂病圏と診断するのには抵抗を感じるのである。
そういう先入観もあったが、実際に本人をみると、境界例とか分裂病と診断する根拠はさらにどこにもなかった。確かに引きこもってリストカットを繰り返していたが、別にそれは診断基準にならない。疎通性はきわめてよく、幻覚妄想もなければ、思考もきわめて明晰といえる。人生総体をデスペレートにとらえ、ガキっぽく拗ねまくっているだけである。オレンジ色のツンツン髪に鼻ピアス、田舎にはふさわしくないパンク装束であるが、それを「衒奇性」だとみる医者は単なるバカであろう。デイケアなんて勧めても、パンク娘がそんなものに参加するわけがない。
この年代の若者例によくあることだが、自分の苦境を説明するのに詩的表現を多用し、それが凡庸なものでなければないだけ、ある種の病的表現に近いものになる傾向がある。治療者側にそういうことへの感受性がかけていると、まずそれは病的症状の発露とされてしまうのである。そんなアホなと思われるかもしれないが、例えばドストエフスキーの文章を示されると、こいつはかなり病的だなと8割以上の精神科医は判断するとおもう。
この例もまさしくそれであった。「世界が夕闇の底に沈んでいくとき、聞こえぬ声が空に響く。偽りの私が私の仮面をつけて語るのは私の墓碑銘」……なんだかんだ、というようなヘボな、でもそれなりに一生懸命な文章が書かれたノートを持ってきて自分の苦しさを表現するので、ああ、幻聴もあるのかと安易に判断されてしまうのである。
私の診断は単純に「うつ病」。小娘悲哀系にはSSRIがよく効くが、精神運動抑制もかなり強いので初めのうちは三環系をどっさり使うことにする。邪道を承知でドグマチールも併用する。これはデブになるし、月経は止まるし、乳汁分泌は始まるしという副作用のオンパレード薬剤であるが、効果発現が即時的で、のんびりと抗うつ剤の効果を待っていられない場合には非常に使いやすい。口渇という、抗うつ剤の必然的副作用を打ち消すという利点もある。
当然それまで飲まされていた、意味不明な向精神病薬は全部中止。改善もせずに(そりゃ診断が間違っているのだからよくなる理由がない)ずるずると対応されていた患者によくあることだが、効きもしない薬が何種類も併用されていて、向精神病薬だけでじつに5種類ぐらい出されていたのである。
じっとしていると身体がむずむずしてつらいという、アカシジアと呼ばれる副作用もでていたが、それは「皮膚寄生虫妄想」だと決め付けられて向精神病薬の増量につながった。その症状を「皮膚の下を何匹もヤスデが這い回るような……」なんて気色悪い表現をしてしまうので、鈍い医者には妄想と受け取られるのである。
彼女は劇的に改善した。中断していた通信制高校の課題をやり始め、ツンツン髪を栗色に染め直してコンビニでバイトをはじめた。母親との関係にかなりの問題があって、元気になったはなったなりにトラブルが相次ぐため、半年ほどして一人暮らしをはじめた。そのうち、コンビニでは生活できないと、キャバクラで働くようになったのである。
「金のためだと思って割り切っているので平気」だという。結構なじみ客もついた。客の一人に紹介され、映画のちょい役にも出演した。もっと本格的に出演する話もあるのだという。「それ、AVじゃないの?」と尋ねると「やだー、私は明朗健全がモットーなんだから」と笑う。
顧客へのくすぐり用に100円ショップで買ったというチョコレートを一つ診察机の上において、彼女は笑顔で帰っていった。この見事な「社会復帰」をどう評価すべきか?「まあ、金のためだから」、チョコをポケットに収めながら、私はそうひとりごちたのである。(2004/02/14)
(注)こういう文章に対し、必ず守秘義務だのプライバシー侵害だのと見当外れのことでかみついてくる人がいるもので、一応断っておく。自分の見ている症例について書くときは必ずかなりのモデファイをしており、ここに書いたそのままの人は存在しないのである。
もちろん丸っきりの創作ではない。そのあたりのバランスはかなり考慮しているつもりである。わからん人にはわからんだろうが。
"Nature"の最新更新で、"I feel your pain"と題した記事が掲載されていた。他人の痛みに共感するときには、その痛みを感じている人の脳と、一部だけは同じ部分が活動しているという内容である。
この記事によれば、ロンドン大学(正確には"University College of London"なんだけど、どう訳せばいいものか)の画像神経科学部門のタニア・シンガーらによって行われた研究は、他者の痛みへの共感は、それを感じている人と同様な神経活動を惹き起こすことを示す目的で行われたとのこと。実際は微妙に違うのだけれど。(元論文の概要はこちら)
実験ではまず、16人の女性の手に電気ショックをあたえ、その際の脳活動部位をファンクショナルMRIを用いて観察する。次に、女性のパートナーである男性に同様の電気ショックを与える場面で(この時、手に通電される様子だけで、男性の表情は見えないようにされている)、同じ検査をうけてその違いが観察された。
実際に自分が痛みを受ける場合、島前部(大脳の横にある大きなしわの底の部分)と前帯状回皮質部(左右の前頭葉が接しているあたり)、および脳幹、小脳の活動が亢進したが、パートナーへの刺激のときには、島と帯状回の部分だけが活動亢進した。
シンガーらは、実際に痛みを体験する場合、知覚と情動両者におよぶ脳活動の亢進がみられるが、共感による再体験は情動に関わる部分だけの活動亢進であることが実証されたとしている。(自分の痛み体験による脳活動)⊃(誰のものであれ、痛みへの共感によって引き起こされる情動)といえますか。
痛みには純粋知覚的な側面と、情動的な側面があり、人はその情動的側面だけで他者の痛みを再体験するとまとめれば、いまさら言われなくても、その程度のことは自分の場合を考えればわかることなのだが、実際にファンクショナルMRIの画像上で示されると、なにかすごい事のように思えてしまうのがミソ。
それにしても、Natureの記事は最後のところで、「痛みは主観的なものだ」という、シンガーらが実証した事実の半面だけに強引にまとめてしまうというピンボケぶりが少々安易。人の痛みをうかがうことは出来ても、我が事として体験するのは実際には無理なのだ、と受け取っておくほうがよろしいのでは。(2004/02/22)
オウムの麻原彰晃に死刑判決が出たようだ。私は死刑廃止論者でもないし、まして無限の許しを説くような人間でもないので、ああいう形で進んできた裁判ならその判決が出るのも仕方がないとは思う。しかし、いくら被害者、もしくはその関係者だからといって、法の名のもとに人を殺す決定(まだ決まったわけではないが)がなされたのを、「よかったよかった」と喜ぶ姿を公に取材させる心性は理解できない。
もちろん、「ザマをみやがれ。思いっきり苦しんで死ねばいい」という気持は理解できる。でも、それはかなり恥ずかしい感情であるとおもうし、心に秘めておくべきものではないだろうか。それが正義の立場であるかのように語る人々は、むしろ裁かれた側以上の暗黒面に閉ざされているように見えた。その意味では、「違和感はない」とだけ、静かにコメントした河野義行氏が、古来の日本的作法にしたがっていると思った。
人間というのは、正当化できる口実があれば、他人を支配し、その生殺与奪権を握りたいという根本的な欲求があるのだろう。麻原はそれを救済という名目で無差別に実行しようとし、それにたいして正義の名目で「血祭りにあげよ!」と叫ぶ人々もいるというわけだ。たぶんこれは、人類という生物種が存続する限り、永遠に続いていくことなのだろう。もちろん非難しているわけでもなく、そんなものなのだろうなと思っているというだけだ。
実際のところ、最高裁で判決が確定されたとしても、麻原に死刑執行がなされることはないと思う。だって、完全に出来上がってしまっているでしょ。誰が見たって麻原は重い精神疾患の状態にある。二審以降は密室裁判に徹して、超法規的に短期間で死刑執行という手に出るならともかく、裁判所が正当に法的判断をするつもりなら、とっくに公判停止になっている案件で、裁判所がやっていることは、単なる違法な私的リンチの代行である。
精神疾患といっても、拘禁性精神病だろうから対応は難しく、本人にしてみても正気に戻れば晴れて死刑への道が開けるだけだから、治るに治れずつらいところであろう。弁護団にはおそらく公判停止の要請をする根性はないだろうから、このまま裁判は続けられるだろう。そしてこれは推測だが(確信でもあるけれど)、麻原の急死という形で裁判は頓挫すると思う。ちょっと「と」かもしれないが、裁判の進行経過の背後に、そういう意志を感じるのだ。
世間的にはリンチ願望へのガス抜きもでき、一連の事件における行政や警備当局の対応のまずさもそう追求される事も無く、教団にとってはうまくいけば殉教者として尊師の神格化もできるし、四方八方丸く収まるというというもの。法的な手続きにちょっと目をつぶればいいだけである。
被害者感情を逆なでするようなことを言い出して、おまけになにか陰謀論みたいな話になってしまったが、麻原的なものが麻原的なものを呼び寄せ、ある意味麻原的な対応によって収束していくのだろうなというのが私の感想というか、予想である。外れていてもまったく責任は持たないが。(2004/02/27)