• 解剖学教室の高給バイト
  • 大江健三郎の小説に「死者の奢り」というのがあります。医学部解剖学教室の解剖用死体のメンテ?のアルバイトを高給につられてはじめた主人公の内面を鋭く描いた作品、と言うことなのですが、さすがノーベル賞作家だけのことはあり、この虚構は一人歩きしてしまい「解剖用死体の世話をする高給アルバイト」が存在する」という都市伝説が成立することになりました。(もしかしたらそう言う都市伝説のほうが大江の小説に先行していたのかもしれない。こちらの方がありえますな)

    筆者の知る限り、でっかいプールみたいなところに解剖用死体をストックしておいて、ホルマリンにちゃんと浸かるように定期的に沈めるような事をやってる解剖学教室があるとは思えません。場所とホルマリンが無駄じゃないですか。小さい風呂桶サイズを必要数だけ揃えて管理すれば済むこと。天下のT大学にはそういう施設があるのだ、と仮に認めたとしても、そう言う作業に高給だしてアルバイト雇うはずがない。基礎系の教室には金なんかありませんから。(元東大解剖学教授の養老孟司 氏が自著の中で自分もそう言う噂を聞いた、と言っておられるぐらいなので、東大だって特別なやり方で死体管理やってるわけではなさそう)

    筆者が医学生の頃、解剖実習室にアンチャン風の若者数人がやってきて、教官に「死体の世話をするバイトがあるはずだ」とせまり、追い返されているのを目撃したことがあります。少なくとも20年前まではかなり具体的な伝説として成立していたようです。

    ベトナム戦争当時、「戦死した米兵の死体をきれいにする高給バイト」というのが噂されたことがありますが、エンバーミングという死体をきれいに復元する技術の講座を持った大学があるアメリカが、素人を高給で使うわけないじゃないかと考えれば、これも上のバリエーションということがわかります。

    最近こう言うのを聞かなくなった#理由の一つとして、昔の「高給」というのがいまのマクドナルドのバイト代+αぐらいのモノだった、ということもありますか。お金への執心といっても、昔のハングリーさは失われ、どうしてもお金が欲しければ男女問わず援助交際でもしようかという今日この頃、なにもわざわざ死体と付き合うことないですものね。

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    #こう書いたものの、最近でもこの「伝説のバイト」は時々噂になるようです。高額のバイトと言う側面よりも、怖いもの見たさの要素が強く、死体の様子が妙にホラー系に強調されていたりします。一日8500円だった、などとえらくセコめに具体的だったりするのが面白い。



  • 「壁に耳あり」事件
  • 上の関連で思い出したことです。解剖実習が始まるとき、教官から「献体をされた方々への感謝を忘れず、遺体への尊厳の念を失わぬよう」という説教があるのですが、その際「何年か前の君らの先輩が…」と言って語られる話。

    解剖実習中にふざけた学生が遺体の耳を切り取り、それを壁にくっつけて「壁に耳あり」とギャグ(?)をとばして処分されたと言う話です。他大学では退学になった、と言うことになってるらしいし、今もなお最近の話として流布しているとのことです。

    こちらで聞いたときは教官自体ギャグのつもりで言ってる雰囲気だったけれど、よそではかなり厳しい話として受け止められていたようですね。

    実習中そんなしょうもない事やってる暇なんかないと思うのだが。(戻る)

    #これのバリエーションを羅列すると「小腸で縄跳び」「骨でチャンバラ」「持って帰った手首で高速道路の料金を払う」等々があります。手が込むほどにリアリティは薄くなりますが。


  • 昔の医師国家試験
  • 医師国家試験がそれなりに難しいものになったのは、昭和49年(翌年だったかな?)の制度改正以来です。それまでは合格率はほぼ100%で、落とすためではなく、最後の儀式のようなものだったようです。そこで語られる「いかに昔の国家試験が容易であったか」の伝説。

    前の制度では「面接試験」がありました。なんでも、後楽園球場のスタンドを使ったりしてやった事もあったそうです。多人数を分散させる場所がなかったんですね。

    ある受験生、試験官から一枚の胸部レントゲンフィルムをみせられ「君、これはなんだと思うかね」と問われました。彼はそこに写っている病変については全くわからなかったので、しばし考えたあげく、「それはレントゲン写真です」と答えました。

    「間違ったことさえ言わなければいい」という先輩の教えを守った彼は、当然合格したと言うお話。

    現在の医師国家試験では、アメリカの試験形式を流用した、まか不思議な多肢選択問題が山と出題されます。授業を何とかこなすだけの勉強をしてきた連中には、最終学年のラスト数ヶ月かかり切りにならないと合格は難しい。と言っても落ちるのは10%強。だからこそ落ちられない。一部医大では合格率を維持するために大量に留年者を出す所もあるそうで、国家試験のための予備校のようなものもできているとか。のんびりした時代の伝説はもう生き延びられそうにありませんね。(戻る)



  • 膣けいれんで救急受診
  • どうも露骨な題名で申し訳ありません。これも昔からあるパターンです。「知り合いの友人のお姉さんが看護婦をやっているが、そこの病院に芸能人のXとYが膣けいれんのために離れられなくなって救急受診した」というもの。

    筆者が初めて聞いたときは女性の方は麻*め*みでした(男性は忘れた)。かつぎ込まれる病院は東京近郊にある2流どころ(と言っては失礼だが、要は筆者が働いている病院のようにだ〜れも知らないと言うところでもなく、超有名病院でもないと言う意味)の医大病院であることが多いようです。二〜三年前に聞いたのは田*律*(美*子だったか?)と吉*栄*、今年に入って早*優と何とか軍団の*ひ*し(この人の名前自体この文脈ではギャグ)の組み合わせ。

    そもそも、性行為中にこの状態になり、離れられなくなって救急受診するようなケースが何例あるのでしょうか。筆者は経験(もちろん診察した経験です)ないし、救急専門の友人に聞いても見たことないといいます。まれにあるとしても、たまたまそれが二人とも芸能人だったなんてことがありようがない。大ざっぱな比較ですが、毎年一万人以上死亡者がでる交通事故にしても、そこに知られた芸能人が含まれることなど滅多にありません。(赤木圭一郎とか大場政夫ぐらいしか思いださん。しかも大場はボクサーだし。あ、車ごと海に落ちて死んだ女優がいたなぁ)

    ということは膣けいれんの母集団は交通事故死亡などより多いことになり、救急病院の受付はシーツを巻き付けたカップルで満ちあふれていることになりますが、残念なことにそれはない。

    先に挙げた死体処理バイト伝説が消え去ったのに、これは何度も浮上してくるのは、人々の羨望と嫉妬という普遍的テーマが表現されているからに他ならないでしょう。あいつらだけがうまい事している、それなりのしっぺ返しがあって当然だ、という愛すべきやっかみを人々が持つ限り、ちょっとくたびれたアイドル達(登場するのは下り坂の人が多いようで)の膣けいれんは発症し続けることでしょう。(戻る)

    #この「芸能人膣痙攣伝説」は日本固有のモノではなく、本家はアメリカのようです。都市伝説研究の大家ブルンバンの「チョーキング・ドーベルマン」(最近の版では『ドーベルマンに何があったの?』に変わっているようです)(新宿書房)からの引き写しを記せば、19世紀末にアメリカの医学雑誌に「膣痙攣で離れられなくなったカップルの治療経験」というのが載り、以後それが面白おかしくあちこちの新聞記事に転載されたりしたのが発端のよう。初めの記事もどうやらでっち上げだったようで、近代臨床医学の創始者であるオスラー(Sir William Osler)がどうもいたずらに一枚かんでいた節があるようです。ちょっと考えればいくらあの部分が痙攣しようと、歯があるわけでもなし、食いついて離さないなんてことになりようがない。Vaginismus「膣痙」という病名は確かに存在しますが、それは痙攣様に疼痛を来して性行為がうまくいかない状態を言い、確かに深刻な問題ではあるものの、巷でささやかれるようなまずい状態をもたらすものではありません。(1999/12/20追加)

    これに関してはくっついたカップルとして別項目を追加しました。(1999/12/24)


  • 著名教授の死
  • うわさ話としては聞くのですが、実証できない話というものがあり、しかもそれがいろいろな大学で別の人の話として語られているとなると都市伝説としか言いようがなくなります。

    臨床医学の大家であるO教授は定年退官し、名誉教授となった後も自分の教室に「院政」をしくほどの実力者だったが、脳血管障害を来たしかっての自分の職場に入院した。彼の権威を恐れるかっての部下達は、研修医に処置をさせるわけにも行かず、上級教官クラスが恐る恐る治療に当たったが、本人の治療に対する難癖は常軌を逸しており、次第にまともな治療が困難になってきた。本人は足を引きずって処置室に現れ、看護婦達に投薬内容を指示するのだが、だんだんそれがデタラメな物になりはじめた。明らかに名誉教授には重症の痴呆症状が出てきていた。奥さんは夫に痴呆が出ているようなことを認めようともせず、弟子のふがいなさを責めるばかり。名誉教授は身の回りの始末も拒否するようになり、誰にも手が出せず、特別病室で汚物まみれのまま徘徊興奮をつづけ衰弱死するに至った、というもの。

    ある先輩医師から聞いたときは具体的な実名でしたが、その後複数の別大学での話としてこれを聞き、前の医師に確認できずに今日に至っています。いかにもありそうな話で、大学医局講座制のなかでうまく泳いでいくことを目的化しているような医者には、とても困惑する状況でしょう。

    この内容は「こまった部下達は、名誉教授の症状がひどくならないうちに密かに安楽死させた」というふうに発展させても充分流布していくように思います。

    案外、もとの事実はそちらだったりして。(戻る)



  • 「冷えると風邪をひく」
  •  英語では風邪のことを「コールド(cold)」といい、まさしく寒さが風邪をおこすという信念をよく表しています。もちろん日本でも、「明日から急に寒くなりますので、風邪に注意してください」と天気予報を締めくくるくらいで、寒さ=風邪にかかる前提というのは誰もまず疑いません。

     この常識に真っ向から挑戦した研究論文が、1958年と1968年にアメリカで出版されています。両方とも、かなり多数のボランティア被験者(どうも囚人らしい)を使い、厚着、薄着で低温環境に望み、風邪をひく率を出したもの。後者は同じ様な条件に加えて、ご丁寧に鼻風邪のウイルスを点鼻するという要素を加えています。それぞれ結果はどうだったかというと、「気温や衣服の条件は、全く風邪の発症率に影響しなかった」というもの。

     風邪のウイルスは寒いところを好むので、冷えると風邪をひきやすいという風にもっともらしさを加えた言い方もあるのですが、後者の実験はこの説も否定しています。暖かくしていようがどうしようが、いったんウイルスが鼻粘膜に侵入すれば、どんなに免疫が活発であろうと、95%の人は感染し、その75%が風邪症状を示すのです。

     欧米の学術団体が開設している風邪予防の啓蒙サイトをあちこち訪問してみると、「風邪は寒さとは無関係」という主張は徹底しています。ウイルスに汚染された手を鼻の粘膜に突っ込むのが主な感染経路になるので、鼻の穴をほじらないのと、手をきれいに洗うこと、咳やくしゃみをしている人に近づかないことだけが有効な予防策とされています。

     「どうにも納得いかない、現に俺は寒いところで我慢して仕事してたらてきめんに風邪ひいたぞ」と言われる方もおられるでしょう。でもそれは後からそう考えるだけのことです。寒いところにいながら風邪を引かなかったことのほうが多いはずなのに、たまたまそういう経験すると関係があるように思えるという、多くの伝説成立に見られる無理な理屈付けとおなじ事をしているわけです。寒いところにいると風邪に至らないまでも鼻水が出てくることはあり、それと風邪のひきはじめのゾクゾク感が、ますます低温と風邪の関連付けを強化しているようです。

     しかし、現に冬に風邪ひきは多いではないか、それはどう説明するのだといわれると、少々苦しいのは事実。寒いので同じ部屋の中に集まる傾向がおおくなり、蔓延しやすいのだというようなあまりすっきりしない説明になるようです。啓蒙サイトでは正直に「原因はよく判らない」とされています。ただし、いわゆる鼻かぜの主要な原因となるリノウィルスがもっとも拡がるのは春と秋で、もう少し重症の風邪をひきおこすエコーウィルスは確かに冬に多いとのこと。

     実際は、暑い盛りにだって風邪はひきます。それでも、暑い夜だったのでふとん掛けずに寝て体を冷やしたのだろうという風に、冷えが風邪の原因という一度成立した信念があると、つごうのいい部分だけが説明の根拠として使われ、疑いの材料にはまずならないのです。

     ところで、上の論文の追試は長期間やられていないようですが、どなたかやってみませんか? 学位論文にはちょっと迫力不足ですかな。(2003/05/22 内容改訂)

    <References>
    H.F.Dowling et al." Transmision of the Common Cold to Volunteers Under Controlled Conditions" : American Journal of Hygiene(1958)

    R.G.Douglas Jr. et al. "Exposure to Cold Enviroment and Rhinovirus Common Cold" New England Journal of Medicine(1968)

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  • 名医流離潭
  • 大学病院でも見放された難病患者が、田舎の一開業医を紹介され、たちどころに快復した、という話が様々なバリエーションを伴いつつ常に流布しています。中央では教授だったと言うようなふれこみの場合もあり、はじめからアカデミズムを拒否している、というふれこみの場合もあります。口づてでこうした医師の存在は伝えられますが、一部週刊誌や健康雑誌などが一過性ブームを作り出すこともあります。

    こういう噂で問題となる疾患は殆どの場合いわゆる「不定愁訴」のたぐいで、ある種の心理療法的な効果が効を奏したのだろうと思われる物もありますが、中にはガンとか半身不随などの具体的な難病である場合もあります。実際に見聞きした例をあげてみましょう。

    (A)インチキとまでは言わないまでも、安易な対症療法で評判を取っている例

    実例1.「花粉症を直す特別の注射をしてくれる医師」

    某Y県の郡部にこの医師は実在します。この医師は「一度打てば1シーズン効果のある注射」をしてくれ、つてで訪れる患者は引きも切らないそうです。実際は1シーズンと言うわけには行かず、2回ほど追加することになる事が多いそうですが。
    要はこの医師は副腎皮質ホルモンのデポ剤(効果がある程度持続する製剤)を注射しているので、花粉症にそんな物使ったのではそりゃ確かに症状は収まるでしょうが、どんな副作用が出るか空恐ろしい。しかし、「自分だけが知っている名医がいる」と言う思いこみが一部の信奉者を感激させ、副作用から目をそらせるのですね。

    実例2.「まず注射、それから症状を聞く病院」

    某山陰地方の小病院は「何にでも効く注射をしてくれる」というので近在近郷から患者が押し寄せます。再来患者の行列は病院からあふれて町まで続き、新患が間違ってその列に並んでも、まず静脈注射を打たれた後で気づかれるそうですが、診察が先でもどうせその注射をうつのですから時間の節約だと患者は喜んでくれるとのこと。注射の中身は痛み止めとビタミン剤で、農作業疲れの患者さんが多いこともあり、半数以上の受診者にその注射は打たれます。うるさいことを言ってなかなか注射してくれない病院を嫌って、都市部からも患者は来るといいます。ここまでみんなにするのだから、とても素晴らしい治療なのだろうという期待が生まれるわけで、無差別治療も徹底すればある種の信頼をえる、と言う実例でしょう。

    (B)ある種の理論体系から独自の治療をする例

    実例.村を支える開業医

    中部地方の山間部のある小さな村には、さしたる観光資源もありませんが、宿泊施設が数多くあり、それはすべて村のある診療所を利用する患者とその家族を対象にしていました。ここの医師は漢方理論と西洋医学を巧みに組み合わせ、経絡とツボに西洋薬を注射する治療法で難病に対処していたのです。入院施設のない診療所なので、患者達は村人の民宿に長期滞在し、毎日この治療を受けていました。毎日押し寄せる患者の診療に疲れた医師は、だいぶ前から廃院したいと漏らしていたのですが、村人がそれを許してくれません。いまはどうなっているでしょう。
    筆者の友人が医学生時代にここで手伝いのバイトをしたことがあるのですが、「別に治っているわけではないのに、皆満足して治療を受けている」と妙な感心をしていました。ガンや半身麻痺などが治ることは確かにないのですが、さし当たっての腰痛とか肩こりとか、食思不振や倦怠感といった症状はかなり確実に改善するので患者さんや家族は満足していたようです。
    整体師などには天才的な苦痛除去能力(治癒力とは言えないが)を持っているとしか言えない人がまれに(ごくまれに)いるのは事実でして、この医師も何か特別な治療的直感力があるのでしょうね。この友人は後にこの医師の真似をしてツボにごく普通の薬を注射したら、たちどころに激しいショック症状を起こされ、肝を冷やしたそうです。

    残念なことに、筆者の経験は上に記した程度で、本当に具体的難病を治してくれる天才的医師が、田舎に引っ込んでごく一部の患者に恩恵を与えている、と言うような例を知りません(大体、それじゃあブラックジャックだっちゅーの)。しかし、人々の「マッド・サイエンティスト期待願望」はそうした枠組みに少しでもあてはまりそうな治療者を、いつの時代でもどこからともなくひきずりだしてくる力があるようです。指にテープを巻いてみたり、妙なキノコを食べてみたり、ココアを売り切れにしてみたり、というのもそうした願望のささやかな現れと言えるでしょう。
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  • 関節にフジツボ 
  • これは色々なパターンで流布しているようですが、筆者が聞いたのは「ワイキキビーチで膝を切り、何時までも痛みがひかないので病院で診て貰ったところ、膝関節の中にフジツボが出来ていた」というもの。子供がハワイのビーチで怪我をしたが大丈夫だろうか、と真顔で相談に来た母親から聞きました。曰く、ハワイではよくある話だと聞く、人間の体液は海水と同じ様なもので、フジツボの卵には最適な環境、骨に付くと広がる一方と言うことだけれど、というような何となく科学的な説明まで付いていました。

    もちろんこんな事があろう筈はなく、怪しげながら事実に擬せられて伝搬する都市伝説の好例です。ワイキキには本来砂地がなく、北の海岸から砂を持ってきてビーチを人工的に作ったので、ちょっと海岸から離れると岩がごろごろで怪我をしやすく、向こうで病院に行くのも面倒でそのまま帰ってくる物だから化膿したりしやすい、という背景があるとおもわれます。「ハワイ帰りの怪我」というちょっと得意な面はゆさが、「フジツボに寄生される」というバッドテイストなイメージとうまく融合したんでしょうね。 

    ハワイが大洗海岸化した今日この頃では、この伝説ももう下火です。

    #バリエーションと言う点ではこのハワイ編は二次的なもののようです。日本の話として流布しているときは「水泳部のキャプテンだった人が海でたまたま怪我をし…」と言う風に、寄生された人の優れた体力、健康状態を強調する内容になっているようです。「フジツボ」が「フナムシ」になってることもあるようですが、こっちはちょっとインパクトが弱い。

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  • プルトップで車椅子
  • 缶ジュースのプルトップ栓を、一万個集めたら車椅子を貰えるという噂が流れたのはもうだいぶ昔のことのような気がします。真面目な子供達が一生懸命あつめて飲料水会社に持ち込むことがあって、デマだとも言えずに会社トップがポケットマネーで車椅子を寄付した、などという「美談」まで派生したのではなかったでしょうか(それも伝説でしかないと言う説もある)。

    いまは缶からプルトップ栓が外れないようになっているので、この伝説は物理的に存続出来なくなってしまいましたが、あの栓をポイポイ捨てる罪悪感逃れもあったからか、家の片隅に集めて置かれた方も多かったようです。

    以前勤めた病院の新人事務職員がこれを真面目に集めていました。2ヶ月ぐらいして、もう集めていない様子なので「デマだってわかったの?」と聞くと、「そうではない」と。彼曰く「病院に勤めるようになって、車椅子が足らないなどという事自体がないとわかった」のだそうな。

    そりゃそうです。病院で最期を迎えるお年寄りたちの残していく車椅子が、その病院の倉庫には山積みされていたのですから。

     #アメリカでも同様の噂が流れたことがあり、その際には「透析機械」と交換されると言う内容だったそうです。公的な透析患者支援組織が「あれはデマだから集めないように」と声明を出さないといけないほどの蔓延ぶりだったとか。

    ******

    この記事に関して何度も「あれは事実だ」という指摘を頂く。実際、この運動を主宰している団体や個人のページも探せばみつかるはずだ。ただ、そういう団体があって、細々と活動している事と、この話の起源が都市伝説であることとは別物だと思う。

    政治領域などでは、所詮フィクションでしかないことを核にした運動というのはざらにある。民族的純潔とか、プロレタリアによる解放とか。そんなものから比べれば、善意のポーズを非合理的行動に組織させるプルトップ集めなど、たいした害もないものだとはおもう。でも、こうした運動がある、だからあれは伝説ではない、ちゃんと意味があるのだ、と思考停止してしまうのはどんなものだろう。

    これに対する指摘メールには出来るだけ返事を書いてはいるのだが、いいかげん疲れたので、典型的な返信を披露しておきたい。

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    ご親切な指摘はありがたいのですが、いささかこれに関しては食傷です。

    ご指摘の団体以外に、あといくつかの個人や団体がこれに類した事をやっているのは承知しております。私の言いたいことは、「なぜこれほどまでに効率が悪く、自己満足(周りにはいい迷惑)でしかない運動が散発的にうまれるのか」ということです。

    なぜ缶それ自体を集めないのでしょうか。なぜ美化運動は美化運動として徹底されないのでしょうか。最近のようにプルトップがくっついている缶の場合、のこリはどのように処理されていると考えられますか?ごみを作り出しているだけではないのですか?缶とまとめて処理する運動のほうがよっぽど目的に合致しているのではと感じられませんか?

    自己満足は結構なことですが、はた迷惑で、かつ人々のせっかくの善意を浪費するだけの運動を大上段に構えてやっているところに私は強い疑問を感じます。それだけのヒマとパワーがあれば、バイトでもしてその賃金を寄付すればいいのではないでしょうか。賃金の1000分の1寄付運動を展開するほうがよっぽど効率的なはずです。

    それは成立せず、このようなおかしな運動が成り立つところに、私は人間の行動原理には合理よりも物語的なフィクションが力強く作用していると考えるのです。

    もう一つだけ指摘しておきますと、この運動によって寄贈されている車椅子は、プルタブをアルミ地金に替えて販売したお金だけで買われたものではありません。ページに書いてある換算比率を見れば、車椅子1400台=ほぼ一億円をプルタブであがなうには、天文学的な数を収集しなければならないことがお分かりのはずです。

    いささかきつい言葉も書きましたが、私は事実の存在をそれほど問題にはしていません。妙な思い込みから見当はずれな事をしている人がいたってかまわないのですが、それがやってる事の合理性を説明する事にはならない、といいたいだけです。

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    参考URL(http://www.ecosoft.co.jp/kankobo/kankobo.html)

    (2001/07/01追記)

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  • 携帯電話/PHSで癌になる
  • 電磁波の危険性が騒がれていまして、家電、コンピュータ、高圧送電線が発する電磁波が癌や白血病の発症ばかりでなく、様々な健康被害をもたらすと告発されています。なかにはかなり混乱した意見もないではなく、電子レンジのような加熱目的の高パワーの危険性をそのまま送電線などの電磁場の害と同一次元で語ったりされていることもあります。(そのくせ健康機器として、「高周波治療器」なんかが結構売れたりするのだから訳が分からない)

    そうした中で携帯電話/PHSの危険性というのは、「通話していないときでも電波を出す」「医療機器の動作を妨害する(場合があると言われている*)」「頭部に密着させて使う」ということからかなかなかのリアリティを持って流布しており、つい先日の新聞コラムにも脳腫瘍を引き起こすという報告があったというのがのってました。ところが、実際に医学雑誌を当たってみても、そんな論文、どこにも見つからないんですよねぇ。せいぜい高出力の電磁波が細胞障害や遺伝子障害を引き起こすのは確かだが、携帯電話の電波程度ではどうなるとも言えない、と言う程度。「長期間の影響となると不明の筈だ」と言われるかもしれませんが、例えば100度の熱湯につかればやけどをするのは確実でも、40度の風呂に長時間はいっていてもそう影響ないのと同じ様な物だと思うんですけどね。甘いかしら。

    携帯電話の電磁波については、電車の中などで声高にこれを使う連中への非難の根拠と言う要素もあってよけい忌諱されるようです。さすがに2〜3人に一人は持つようになった今日この頃、見せびらかすように用もなさそうな話を大声でするようなダサイことする人も少なくなり(でも時々いますな)、それに実際持ってみればこれはなかなか便利な物なので、他人が使ってた時には非難したような人も、いつの間にか電車の中でも「あ、お父さん、今から帰るから」なんて使うようになる。そのうちこれも完全に失われた伝説化するか、危険性をふまえた上でのちゃんとした使用指針が確立することでしょう。

    この関連でウエブ内を検索してみたら、東京大学社会学研究所の研究者のページに行き当たりました。電信や電話普及当時に流布した噂やデマと、携帯にまつわる噂とを対比して、現象学的社会学の視点から論じるなかなかの意欲作です。もちろん「携帯で癌」という言説をデマと言っているわけではなく、仮に事実であっても、ある種の社会的コンテキストを持って流布するそのメカニズム自体を問題にするという見方です。なかなか面白いので興味ある方はどうぞ。(戻る)

    (松田美佐:「普及初期におけるメディアの噂」)(無断リンクだけれど、論文なんだから良いでしょう)

    *自分の携帯で病院の機械を色々試してみたけれど、全く誤作動は発見できませんでした。病院の中で使うな、というのは殆どベッドの中で「ヨシオ〜、チョー淋シーノー」なんてやりだして周りを顰蹙させないようにと言うことだけだと思うんですけど。(でも、うちの病院は携帯/PHS禁止ですからね。ちゃんと守ってください)


  • 謎の肛門移植相談
  • この話はいまだに正体が不明なので、ここに加えて良いものかどうか迷いますが、どこかで道を踏み外した「都市伝説」の出来損ないのような気もするので紹介します。

    数年前に知り合いがある地方の特産物を送ってくれた際、詰め物に使ってあった地方新聞の「何でも相談室」という囲み記事にその謎の質問が投稿されていました。

    曰く、私は40台の主婦なのだが、20台からたちの悪い痔疾に悩まされてきた。ここ何年かは痛みのためにまともな生活もできないほどで、人に言えない苦労を重ねてきた。近所に親しく付き合っている老婦人が居て、その人には悩みをうち明けていたのだが、深く同情してくれていた。その老婦人が脳卒中で余命幾ばくもなくなり、見舞いに行った私に言うには、「死んだら私の肛門を移植したらいい」という。家族も同意してくれ、程なくして亡くなったその老婦人の肛門を移植したのは良いのだが、新しい肛門のしまりが悪くいつも便失禁するようになり、かえって以前より生活がしにくくなってしまった。考えてみれば40以上も年上の人の肛門が使いものになるわけもなく、そんな肛門を提供したその老婦人の家族と手術した医者を訴えようと思うのだがどんなものだろうか。

    それに対して、弁護士による回答は「老人の肛門の機能が悪いことは素人にだって予測できるのだから、同意をしたあなたにも非があり、提供者を訴える事は無理。手術をした専門家の責任は問えるだろう」というもの。

    言うまでもなく肛門移植なんか出来るわけがなく(皮膚、腸管、末梢神経、括扼筋群などおよそ無理な移植を同時にクリアしないといけない。しかもこの話では適合性も調べずに死体から移植するということになってる)この相談は事実であるはずがないのですが、一応定期的に発行されている地方新聞の相談コーナーに堂々と取り上げられていたのが不思議。まさかあの「何でも相談室」自体が、一種の不条理笑い話欄だった、ということはないだろうし。

    アメリカでは「場末の盛り場で飲みつぶれたら、翌日臓器(もっぱら腎臓)をとられて道ばたに放り出されていた」という都市伝説が蔓延していて、腎移植推進協会だったかが「悪質なデマ」だとマスコミに声明を出すような事態なんだとか。これは移植医療に対する過剰な期待と、同時に存在する胡散臭さへの警戒心がない交ぜになった所から発生する伝説として理解できますが、この肛門移植の相談者も、同じ様な感覚を共有していたのかも知れません。それにしても謎だ。(1999/01/04)(戻る)


  • 月の魔力
  • 日本ではそうポピュラーとはいえませんが、「月の霊的な力が人間の行動に影響する」と言う信念は世界各地に分布しています。これはヨーロッパ、それもどうもキリスト教以前の古代信仰にその根元を持つようです。日本の病院関係者が、殆ど冗談混じりに「満潮の時出産が多く、引き潮のころご臨終が増える」と言ったりするのは聞いたことがありますが、さすが海に囲まれたこの国では「月の満ち欠け」そのものより「潮汐」のほうに関心が向くと言うことでしょうか。

    医学論文検索システムMedLineで90年以降からこの「月の満ち欠け」に関する論文を拾ってみると、原著が英語であるものだけで19件見つかりました(基礎的研究は除く)。そのうち7例は自殺と月齢の関係を取り上げ、6例は精神科医療サービス、もしくは精神病院入院件数との関係、2例が交通事故、外傷件数、同じく2例が出産数、1例は不整脈発作との関連を論じています。

    結果はと言うと、17論文は「月齢と対象件数の間にはなんの連関もない」と言うもので、2論文だけが関係ありとしています。そのうちの一つはチェコの研究者による交通事故との関連(チェコでは新月と満月の時に事故が有意に多いらしい。)をのべたもの、もう一つはある心房細動患者(それも一名だけ!)の発作記録から、月齢のある時期に発作が増えるとしたブラジルの研究者のもの。

    面白いと思ったのは、アメリカの自殺予防電話相談サービスを行っている施設の利用件数を調べた研究で、件数と月齢には結局なんの相関も無いという結論ながら、「それでも相談に関わる職員はそれ以外の職員と比べて、月の影響を信じる傾向が顕著であった」というもの。「いやー参ったぜ、満月の夜に当直なんてやるものじゃない。一晩中電話かかりっぱなしさ」なんて愚痴こぼしている職員の姿が目に浮かぶような気がします。内心馬鹿馬鹿しいと思ってはいても、そうした理屈で納得できればクソ忙しいのにも耐えられるものですからね。

    関係があるとした2論文も、何やらトランシルバニアの夜霧がそのまま流れて行ってそうなチェコと、カーニバルの非日常と日常がひっくり返る寸前にあるようなブラジルの研究者によって書かれているのも面白い。英語原著論文だと殆ど米英カナダになるものですが、7論文はそれ以外の国という他の研究にない比率も(英国の4論文もケルト文化の香り高い地方なので、それもカウントすれば旧ヨーロッパ系が過半数になる)、ヨーロッパ文化の古層にこの信念が流れているのことの証左だ、と言うのは深読みし過ぎでしょうか。

    この関連で日本の研究を探していたところ、こんなのを見つけました。 「占いに関する信念と『バーナム効果』」(村上幸史, 畦地真太郎 1996「 日本社会心理学会第37回大会発表論文)女子短大生を相手に、誕生日から月齢を4区分したグループにわけ(実際は血液型で補正するとかなんとか言って完全にランダムに分ける)、それぞれに占いめいた託宣をおこなって当たったかどうか自己評価させるというもの。天下の旧帝大の名を出してもっともらしいこと言えば、きょうびの小娘なんぞイチコロにだまされるのは見えており、こうした研究にどんな意味があるのか少々疑問(心理の研究と言うより権威の確認ではないの?)なんですが、「月に支配される」という理屈がかなりすっきり受け入れられるというところがおもしろいのかな、と言うところ。(1999/01/08)

    #それにしてもこの研究の母体である郵政省通信総合研究所関西先端研究センターと言うのは妙なところで、超伝導の研究から社会心理研究までサポートしている。ショッカーみたいな団体なのだろうか?

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  • 黄色い救急車
  • 「精神疾患の患者を収容しに来るのは『黄色い救急車』である」という噂話がかなり昔から存在するようです。筆者はこれを同僚だった精神科医から聞きました。彼曰く、「精神科の患者さんは黄色い救急車で迎えに行くと聞いてたんだけれど、いまだかってそんな救急車見たことないですね」とのこと。本職のくせにのんびりした物でした。地方の病院だったので、わざわざ別の色をした救急車を買う予算がないのだろうと思っていたとのこと。

    これに関してウェブ検索を掛けてみれば出るわ出るわ。68件の「黄色い救急車」がひっかかる。そのものズバリの「黄色い救急車」というサイトまでありました。その中に精神科医が開設しておられるサイト「サイコドクターあばれ旅」があったので孫引きさせて貰うと、主に関東地方に「黄色い救急車」が広がっており、東北、関西、九州の一部に「緑」と言うところがあるとのこと。一部には「紫色」なんちゅう例もあるようです。(「緑色」に関しては自衛隊の救護車と混同して語られている場合もあるようです#)筆者は関西育ちなんですが、何故かこの噂を聞いたことがない。ただし、バリエーションなのか、「精神病院の屋根は必ず赤い」という話なら聞いたことがありましたが。

    この「都市伝説」を精神科疾患に対する差別偏見の結果である、とするのは容易いことなのですが、そうした生臭い領域以前の、「非日常」への怖れを含んだ憧憬のようなイメージを感じます。どこからともなく現れて子供達を連れていく「ハーメルンの笛ふき男」を連想してしまう。先のサイトでは精神病院が閉ざされた「異界」としてイメージされている事にたいし、病院と社会それぞれがお互いの壁を開きあう事の重要性が述べられていました。当然のことだと思う一方で、どこかに異界のなごりを残しておくのも必要なのではと思ったりします。もちろん、精神科医療が一般科医療と全くおなじように受け止められる事が実現された上の話ではありますが。

    #自衛隊の駐屯所近くの自治体病院で勤めた事がありますが、この緑色の救護車がしょっちゅう出入りしていて、軍医ぐらいおいとけよな、と思った物です。大規模演習の時など殆ど後方野戦病院でしたね。ある時、夜中に目の回りに四角いあざを作った隊員がこの救急車でやってきまして、「ベッドで上向きに寝ころんで小銃を分解してたら、弾倉をはずすレバーを押してしまい、顔に落ちてきた」と。「貴様、天皇ヘーカに頂いた鉄砲をなんと心得るか!」と内心で怒鳴っておりました。三島由紀夫さん、どうもあなた無駄死にだったみたい。

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  • 風呂場で人間ちり鍋
  • 「現代伝説考」という文書があちこちにアップされていまして、その中にこんな内容を見つけました。(転載を繰り返されている上に、編者のハンドルネームしかわからず引用許可が取れていません。引き写さず内容要約しますので勘弁#)

    <『風呂場で人間ちり鍋』 入浴中に、ぬるかったのでガスをつけたまま、恐らく心臓発作で死んだ人がいた。知人が発見した時には、湯がグラグラ煮立っていた。慌てて救急車を呼んだ。やってきた救急隊が両肩を持って引き上げたら、湯につかっている部分の骨だけがズルズルっと持ち上がり、身は残ったそうだ。>(単に「湯が煮え立っていたので人間スープになってしまった」で終わるヴァージョンもあるようです)

    これに関して、この文書の編集者はこう考察しています。老人の浴槽死は少なくないだろうが、そこには孤独と悲惨こそあれロマンはなく、無惨さだけがある。そういう状況はできるだけ遠ざけたいという意識から、滑稽化して笑い飛ばすための物語が生まれるのだろうと。なかなか秀逸な考察でありましょう。

    ところがこれは確固とした実話を元にしているのです。筆者自身「人間スープ」の実例を見たことがあります。といっても医学生の時、法医学の授業でスライドを見ただけですが。追い炊き状態の風呂で何らかの発作を起こしたらしく、ほぼ半日煮詰められた状況で発見されたとのこと。気味悪がる学生たちに、検屍の時の状況をあふれるばかりの笑みを浮かべて語る教授が印象的でした。いつもはボソボソおもしろくもない話するだけなのに。どんな状況だったか書くのは悪趣味なのでやめますが、今でも「ブリのあら煮」を見るとそのスライドを思い出す、と言えば想像付きますかしら。

    これには様々な伝説が付加されていて、あれは若い愛人を始末しようとした殺人事件だったが、煮込み状態で発見されたため証拠がなく、容疑者は今も大手を振って歩いているだの、事件のあった家は今も学生相手に安値で貸し出されていて、風呂桶もそのまま使われている、底の方に煮詰まった後のような風呂のある家はそれだとか、無責任に語られていました。

    こうした事故はどこでも起こりえるでしょうが、それにしても類似の話があちこちの地方で語られていることから考えると、元ネタは同じなのかもしれません。今考えるとあの法医学の授業、あれも法医学業界で「法医学なんか馬鹿にして授業にもでてこないアホ学生どもへの意趣返し」として使い回されている稀少例だったのかもしれないですね。(1999/02/13追加)

    #Infoseek Japanで検索してみたら「現代伝説考」はちゃんと本家が公開されていました。ただし、連絡アドレスがなく、リンク許可取りようがありません。興味ある方は各自検索してください。ちゃんと医学伝説の項目もあり、ここでも紹介した解剖ネタなどが取り上げられています。

    などと書いていたら、先日「現代伝説考」の著者からメ−ルを頂きました。この文章は「書籍デジタル化委員会」という壮大なサイトに掲載されている文章の一つでした。検索の時、ちょっと工夫したら判ったはずなんですが…。初めに見たとき妙なUG系超常現象サイトに無断転載されていて、どこかの市井研究者が書いたいわく付き文章なのだと勝手に決めていました。著者のnaniさん、どうも連絡有り難うございました。当院でもその後風呂で死亡した老人の搬入例は後を絶ちません。さすがに煮込み状態はいませんが。nani氏の分析の鋭さをそのたびに実感しています。(1999/10/28)

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  • ポルターガイスト
  • この話は世間に流布しているものではなく、筆者の個人的体験に過ぎないのですが、こんな所から伝説が生まれていくのかもしれないな、と思わせるものなので、あえて書いてみます。(人はこれをネタ切れとも言う)

    もう一昔前の事ですが、病院(ここではない)の医局一同で飲みに行く機会がありました。我々は「社用」と言うことがなく、高級クラブなどにはまず絶対行かないのですが、そのときは人におごるのが好きなリッチ系のDrがいたので、その街では1.5流ほどにランクされる店に団体でなだれ込みました。

    そこは樋口可南子風、真行寺君江風を揃えているので有名なんだそうですが、筆者にはほかと比べようがありません。楚々とした美女達にかしづかれて高級酒など飲むのもなかなかのものじゃ、と悦に入っていると片隅に場にそぐわない雰囲気を醸し出している女性がいるのに気づきます。美人ではあるが、表情の動きが乏しく、黒でまとめたドレスはまるで霊媒師のよう。山口小夜子を基本に浅川マキふうにコーディネイトし直したと言えばお判りか(二人とも知らん?こらまた失礼)。リッチ系Dr.のような気の利いたクラブ会話など苦手な筆者は、その火の玉が周りに漂っていそうな女性の方に押しやられてしまい、そこでえらく暗い話につきあわされることになりました。

    彼女は芸大で絵の勉強をしながら、芝居もやっている、両親と不仲で家出同然、自分で生活費を稼ぐためここでバイトをしている、実業家の父は外に女を作り、母は子供を足かせとしかとらえず、彼女達を潜在的に憎んでいる、彼女は高校の頃から深刻な神経症にかかり、今も劇団活動、学業、バイトの傍らカウンセリングを受けている、などという話をボソボソとしてくれます。こちらは、まるで「境界例人格障害」の見本みたいな生活史ですなぁ、と言いたくなるのを必死でこらえて酒飲んでいるしかない。

    自分には「霊能」があり、店に来る客の性格や運命も分かってしまうので、どうしても表面的に楽しげな振る舞いができず、こういう商売に向いていないが、ふつうのバイトでは生活出来ないので仕方なくやっている、こんな話は誰にもしているわけではなく、あなたは理解してくれるというのがはじめから分かったのでうち明けている、と。そりゃまた光栄なことじゃ。

    今、@@大学の**先生(有名人)に精神療法を受けているが、病状ははかばかしくない、**先生は有用なアドバイスはしてくれるものの、根底に私に対する性的関心が透けて見えるようなので信頼しきれないとも。

    まあこういうバイトと、劇団、絵の勉強全部こなしてるんだから、はかばかしくないもないでしょ、と当たり障りなく言ってみても「心の中はボロボロ状態」なんだそうな。その上、強い霊能が鬱屈した心的エネルギーの影響を受けて医者には理解できないような事、「ポルターガイスト現象」が起こるようになったのだと。時々、マンションの部屋の中の家具が飛び回り、書きかけの絵が目の前で自然に破れ、絵筆が勝手に壁に恐ろしいことを書いたりするのだと。そりゃあなた、ヒステリー性もうろう状態になって自分で暴れてるだけじゃないですかと言いたかったが、ここは「ほう〜」と相づち打つのが礼儀というものですわね。

    そのうちだんだん彼女の目が座って来始め、今夜はそのポルターガイストが起こるような予感がする、と言い始めました。前にそれが起こった時、**先生は電話ですぐに駆けつけてきてくれた、でも現象はもう終わっており残骸があるだけだった、今夜なら事前に私のマンションに来て、その様子を観察出来るだろう、その上でアドバイスをもらいたいと。

    筆者も人の子、数秒間はこの申し出を検討して、今日は無理であると逃げを打ちますが、向こうはひるまない。いつでも都合のよいときに電話してほしいと、電話番号のメモを押しつけてきました。そうこうするうち、同僚達が「つぎ行こ、つぎ」と、いつも行く安酒場に繰り出していったので、後に続いた筆者はそこでしたたかに酔っぱらってしまい、朝起きてみたら電話番号のメモは無くなっていました。

    その後、その店に行くことはなく、彼女の噂も聞きません。ある学会で**先生の「病的確信と詐病の間:境界例の事例から#」という発表が予定されているのを目にしたので、非学会員ながら「夜中に女性患者の部屋に行くのはどんなものか」と質問しに行きたかったけれど、そこまでヒマではありません。

    この話は「都市伝説」とはあまり関わりがないかもしれませんが(例えば**先生とか筆者がポルターガイストを目撃して、彼女を霊能者として売り出そうとし、最後は「嘆きの天使」の教授みたいに落ちぶれてしまった、とか言うのなら面白い伝説ですけどね)、ある意味でもっとも現実的な「怪談」であるのは認めていただけるでしょう。彼女は今も夜の街で「ポルターガイスト」をネタに間抜けな客を誘っているかもしれません。え?もし「本物のポルターガイスト」だったら?その時はそれこそ本格的「怪談」ですので、運のいい人はたっぷりホラーを堪能した上で、彼女と共に希有な人生を切り開いていってくださいね。
    (1999/02/17)

    #**先生の名誉のため、題名はかなりアレンジしてます

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  • 臨床治験のバイト
  • 新薬開発のかなり初めの段階で、「健康者による安全性実験」を行うことが義務づけられています。動物実験が終了し、一定量以下では毒ではないらしいとされた薬物を人間に投与し、その体内動向や代謝などを調べるわけ。犬や猿では何ともなかったのに人間には毒として作用することもあるかもしれず、その確認という意味もあるのでしょう(不思議なもので、こんな事はまずない。逆ならあって、犬はタマネギ中毒起こしたりするのに)。

    この治験にアルバイトが起用されるらしく、なかなかおいしい仕事として、学生諸君、フリーター各位に人気だそうです。製薬会社の人に聞くと口を揃えたように、「うちは社内ボランティアだけに限定しています」というんですが、同じ口の下から「注射ものは30万が相場」とも教えてくれるので、やはり外部からも公募しているらしい。数日間拘束されて薬物を注射され、採血、検尿を頻回に行われて30万なら、副作用の少ないクスリなら確かに割の良いバイトかもしれません。ただし、大手製薬会社でないところの方が外部から被治験者を募集する事が多いようなので、もしもの時の対応は怪しいかもしれません。訴訟は起こさないとか言う誓約書を書かせられるようならやめとくほうが無難でしょう。

    さて、そうした治験のバイトの中に「骨折の人体実験のバイト」というさらに割の良いのがある、という噂話の存在をメ−ルで教えていただきました。「1回30−40万で、さらに1ポキ2万という噂」と言うことなのですが、上に書いたように普通の注射薬で30万の相場と言うことからすれば少々安すぎます。どこであれ骨折すれば数週間は生活に支障が出ますし、2万ぐらいの追加料金ではとても応じる人はいないでしょう。

    医学論文の側から調べてみても、人間を材料にした骨折実験の報告はみあたりません。動物を対象にした実験だってそうあるとはいえず、日本語論文の方が多い、ということは外国ではこうした実験も行いにくいと言うことなのでしょう。日本語の壁のおかげで英国あたりの過激な動物愛護団体の批判をかわせているのでしょうな。

    「論文などにせずこっそり実験しているかもしれないじゃないか」とおっしゃられる方もいるかもしれませんが、医学業界が属する科学業界では、論文を書くと言う事がすなわち生産活動なのです。興味のためだけに実験などしても、何のメリットもありません。ほとんど他人の引き写しであれ、無意味であれ(実際殆どの論文がそうなのですが)、論文を量産するということが学界で評価される唯一無二の基準なので、普段の医療活動におけるサービス業者としての評価などはまったく関係ありません。先端医療に従事して、赫々たる成果を上げているとマスコミで報道されたりしても、経験を論文にして報告しない限り(まあ、弟子がやってくれますが)学界では評価はされません。逆に言えばそうした先進医療は興味を持たれる論文を書くことを目的にした行為なのであって、医療サービスを第一目的にはしていないともいえます。今度の心臓移植にしてもそうでしょう。やっと落ちついたかという時期に負荷の多い心筋生検をやったりする。画像付きの論文材料がほしいからするわけ。良くなってほしいからではない。

    この骨折実験の噂の背後には、「人命尊重のタブーがなければ価値のある医学実験が出来る」という神話があると思われます。これが全くの大嘘なんですね。日本の七三一部隊やナチの人体実験で学問的価値を持つようなものは皆無です。細菌兵器の効果を確かめる様な実験は、軍事的な意味こそあれ医学的には何の意味もない。細菌と感染症の対応などすでにわかっていることで、実験対象が死んでも良いと思ってやったからと言って、別に何も新しい知見なんかあるわけがありません。考え抜かれて条件を揃えた実験デザインがはじめて一般的に意味のある知見を生むのであって、無茶をすれば面白い結果が得られるかというとそうではなく、それは単に「無茶をした」という愚かな事実を残すだけなんです。(1999/03/10)


    #この噂をメ−ルで知らせていただいた方には、HTMLのchipsなども教えていただきました。感謝に堪えません。メ−ルで軍隊や刑務所から治験者を募った実験があると返事しましたが、直接的な実験骨折ではなく、行軍時の疲労骨折などを対象にした調査でした。あやふやなことを言って申し訳ありません。

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  • 病院の怪談
  • 先日知りあいから家族の診察を依頼されました。看護婦さんなのですが、職場でストレスが続き、神経性胃炎になってしまった、と言います。そのストレスとはなんと、「勤めている病院にやたらにオバケが出る」という事なのだそうです。

    その病院は7〜8年前に資金繰りの悪化で倒産し、しばらく廃墟状態で放置されていたのが、つい最近別法人が買い取って診療を開始したばかりのところ。たしか、暴走族や浮浪者が入り込み、夜中に火をたいたりして、近所の人が「人魂が出る」などと騒いだことがあったのは承知していましたが、実際に診療が再開されてから本格的に(?)オバケが出るようになったというのは初耳。

    その人の話では、夜勤の時に廊下を歩いていると誰かがとんとんと肩を叩くので、振り返ってみれば誰もいないとか、患者さんのいない部屋からナースコールがあったりとかが日常茶飯事で、心霊現象など馬鹿にしていたがもう耐えられないとのこと。複数の職員が同時に、窓の外を髪の毛振り乱した若い女性がすーと通り過ぎていったりするのを(そこは二階なのに)目撃した事もあると言います。

    考えてみれば、学校の怪談と言うのがあって、トイレに花子さんが出てきたり、人体模型が夜中に動いたりなどというのが定番なんですが、病院と言うところは人の生き死ににここまで関わっている場所なのに、あまり怪談というのを聞きません。昔は陸軍病院だったというような国立病院などでは、ときどき故事を背景にした古典的怪談が伝承されていることがありますが、それにしたって、ヤブ医者に寿命を縮めさせられて恨み骨髄で死んでいった人々の霊を軽視しちゃいませんか、と言いたくなるほど関心に偏りがあると言うしかない。

    これはやはり、近代医学が「死」をタブーにしていることと関係があるのでしょう。実際は大多数の人が死を迎える場所である病院が、「健康を守る砦」というような営業向け欺瞞的ポーズを取っており、一般の人も「病院は命が救われる場所」としか考えなくなっています。何十年も前に不幸な事故で死んだ人の霊には注目するオカルト大好き派も、病院で日常的に大量発生する霊には無関心のようです。近代医学は死者を解剖するところから始まったようなものですが、同時に死を隠蔽する機能を精密化してきた、とも言えます。老いや死と闘うことこそが医学の機能であるかのような神話の元では、病院に死霊は出る幕が無くなります。

    じゃあ何故、先の再建病院ではあんなにオバケが跳梁することになったのでしょうか。それはやはり数年間廃墟状態で放置されたことが原因でしょう。その間医療活動が停止して、そこで死ぬ人はいなかったのだから、むしろ霊だのなんだのは営業中の病院より少なくてもいい筈なんですが、医療がもつポジティブな神話作用が一定期間働かなかったために、本来の「死」が露出してしまった、というところでしょうか。そういう露出した「死」が、一定の割合でいる「霊感の高い人」を介して職員一同に取りついてしまった、というのがその病院の現状ではないでしょうか。

    相談に来た看護婦さんはもう退職届も出しているそうです。「人も少なく、給与条件も悪いのに、あんなオバケ病院では働けない」とのこと。オバケがはびこる一番の原因はどうもそのへんにありそうですね。(1999/03/13)

    さーて、ネタが向こうから転がり込んできて更新できたし、ラッキ〜。え、君もそう思うって?ところでさっきから後ろに立ってるけど君は誰?えらく顔色悪いし、びしょぬれじゃないの…。

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  • 指ポッキンは害になる?
  • 少々ネタ切れ気味の感もあり、今回は当たり障りのないところで「指ポッキンは関節に負担がかかる行為なのかどうか?」という多少実用的な意味もある内容を取り上げてみます。

    「指ポッキン」とは、一般的に言うのかどうか知らないけれど、誰もが知っているであろう「指の関節をポッキンと鳴らす行為のことを意味します。筆者なども手指のMP(指の根本の関節)PIP(指の手掌側関節)まではポキポキ鳴らすのが癖になっていますが、人によってはDIP関節(指の遠位関節)まで鳴らしてまだ飽きたらず、足指の関節から主な体幹関節まで鳴らすことの出来る豪の者もいます。脊柱の椎間関節も体をねじった時など鳴ることがあるのはご存じの通りで、いわゆる「カイロプラクティック」という非正統的治療法の根幹をなすテクニックは、(TVなどで見る限りでは)脊柱ポキであるようです。

    何故あのような音が出るのか、というのはクイズの問題などでも時々出題されていますが、「関節液が急に減圧されるために、溶けていた気体が発泡する時の音」と言うことになっているようです。なんでも関節液量の15%に当たる容量の気体(ほとんどCO2)が突然出現するために、関節包がペッコンと振動するのがその本態だとか。

    ポキポキ鳴らすのを癖にしていると関節障害の原因になる、とよく言われるそうなんですが(現に筆者も家族からそう言われ続けた)、実際はどんなものなんでしょう。例によってMedlineで"Knuckle Cracking" or "Joint Cracking"で検索し、関節疾患に伴う異音などについての論文を除外し、「習慣的指ポッキンの影響」と言う点に触れたものだけを取り出すと、要約が読める論文はここ10年で3つだけ引っかかってきました。

    いい加減に要約すれば(1)習慣的指ポッキン者たちに関節炎、関節損傷が多いという統計的傾向は認められない。しかし、筋力の低下や軟部組織の腫れなどの傾向はある。しかし、指ポッキン常習者には肉体労働者が多いので、彼らの飲酒喫煙などの影響も考えなくてはいけない。(2)ポッキン現象によって関節そのものには影響はないが、関節の動きには急激な変動がくるので、関連する靱帯や筋肉に影響があるのは避けられない。しかし逆にストレッチ効果を少ない外力で得られる。(3)長期的害はないが、これが好きな奴は無茶して鳴らそうとするので、たまに急性の損傷を起こすこともあるぞ、というもの。大胆にまとめてしまうと、「長期的影響はない」として良いようです。

    思春期の男の子が「頭が最近ぼーっとする。首をポキポキ鳴らす癖が付いてからこうなった」と訴えて来る例を筆者は比較的多数例経験していますが、少なくともその行為が直接中枢神経機能に影響する根拠はどこにもありません。首ポッキン行為(*)は指よりも頭に近い分、伝説化しやすいパワーがあるのかな、と言うところ。(1999/03/27)

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    (1)Brodeur R.:"The audible release associated with joint manipulation." J Manipulative Physiol Ther 1995 Mar-Apr;18(3):155

    (2)Castellanos J, Axelrod D.:"Effect of habitual knuckle cracking on hand function." Ann Rheum Dis 1990 May;49(5):308

    (3)Chan PS. et al"Consequences of knuckle cracking: a report of two acute injureis." Am J Orthop 1999 Feb;28(2):113

    (*)脊柱の場合は脊椎同士が関節だけでなく椎間板でもくっついていいるため、ポッキン現象には別要素も加わるらしいのですが、基本的にはそう変わるものではないと思われます。それと、筆者は以前からプラスチックで関節包みたいなものを作ったらひまつぶしグッズとして売れるのではないか、と思っていますがタマゴッチ以来低調なバ*ダイさんなんかどうでしょう?アイディア料はいりません。商品名「ポッキン君」。だめか。


  • 「中央病院」の謎
  • 当たり障りのない話題が続いたところで、今回取り上げるのは少々業界的にはキツイ内容となります。先日このHPの数少ない読者から次のような質問メールを頂きました。要約すれば「あちこちに**中央病院というのがありますが、名前に「中央」が付く病院は医療内容がいまいちで儲け主義の所が多い、と言う噂を聞いたことがあるのですが本当でしょうか?」と言うもの。うーん、こいつはちょっと微妙な質問だなぁ。

    正直いうと、筆者もその噂は聞いたことがあります。ただ、それが真実かどうかについて当然の如く一般的なことは申せません。公的病院にも「中央」の付いた所はありますし、東京都「中央区」や岡山県「中央町」にある医療機関にも多分「中央」がつく所はあるはずで、そう言うところにこの噂がたてられたらそれはなんぼなんでも不当というものです。実際、民間病院で地域住民のために粉骨砕身している**中央病院は数多いのですが、噂が立つにはそれなりの根拠がある、と言えないこともない。(少々文脈が混乱しているのは書きにくいこと無理して書いているため、とお察しください)

    病院を開業するとき、ネーミングをどうするかと言うのは設置主体にとっては重要な問題で、多くはその地域に親しまれ、とけ込みやすい名前を考えるのが普通です。地名を付けるのがまず一般的ですが、あまりにマイナーな小字名など付けても具合悪い。当院の近くに「発作」という地域がありますが、「発作病院」ではまず繁盛は望めません。(若白髪と言う地名もあるらしいが、これなんか親しまれるかも。)と言って、日本病院とかアジア病院、地球病院(太陽系病院、銀河病院…くどいか)ではあまりに漠然としすぎるので、いきおい中程度の地域名をそのネーミングとすることになります。ところが、二番手、三番手の医療機関の場合は既存病院がその地域名を名乗っていることが多いため、仕方なく法人名を間に入れたりする事になりますが、その際に「中央」と言うのはとても都合良い拡張子になるのですね。一時「記念」というのも流行ったけれど、何のことやらワカランですわな。「東西南北」もよく使われますが、予期せぬマイナー感が付加されたりすることもあったりするようです。

    区名に落とすのも面白くない、こっちは二番手でもいずれ地域医療の中軸だ、と言う設置主体の進取の気性がその「**中央病院」というネーミングに示されるわけ。まあ実際は保険医療制度にがんじがらめになっている我が国の医療機関では、こういう進取の気性はしばしばカラ回りしがちなんですね。そのあたりの所が上に挙げたような噂を生む背景になっている、というのが筆者の分析であります。もちろん二番手以降でがんばる病院に対する既存勢力側の冷ややかな反応、と言うのも当然考えねばなりません。(1999/03/31)

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    ##中央病院の皆様、先日は会費も払わず宴会に乱入させていただき有り難うございました。しし鍋おいしゅうございました。$$中央病院の院長先生、当方手元不如意の折りバイトさせていただきお礼申し下げます。夜中に差し入れていただいた上寿司おいしゅう御座いました。&&中央クリニックの@@先生、やっかいな症例お引き受けくださり有り難うございました。お歳暮のレミィマルタンおいしゅう御座いました。ペコペコ、ペコペコ。m(_ _)m


  • 医学教育伝説
  • ネタ切れも極まったところで、今まで知っていながらあえて書かなかった伝説をいくつかまとめてみます。

    (1)医学生は尿もなめる:実習で教官が言うには「医学者には熱心な探求心が必要だ。例えば私はこの検体に対してここまでやってその性質を確かめる」そう言って教官は手に持った尿コップに指をつっこみ、それをなめた。ある調子者の医学生、早速真似をしたが、先の教官がそれを見て言うには「医学者には厳密な観察力も必要だ。私がなめた指は中指で、コップに入れたのは人差し指だ」

    この話の出所については、いろいろな方からメールをいただきました。私自身も調べてみましたが、一般には「シャーロック・ホームズ」の作者であるコナン・ドイルが医学生だったころ、恩師のジョセフ・ベル教授のエピソードとして体験した話がもとになっているとされるようです。オリジナルでは尿ではなく、ひどい味がする試薬ということになっています。なお、このベル教授はホームズのモデルとなったとされています。ただし、時代的にはもっとさかのぼる近代医学草創期の大学者の話としても、これは語られることがあります。この話は高校の英語教科書にも載っているようです。病院を舞台にしたあるコメディ映画でもつかわれているとか。情報を寄せていただいた方々、多謝。

    (2)口の中の奇妙な微生物:これも実習中のこと。口内細菌を顕微鏡で観察することになり、グループの女子学生から検体をとったが、何だか見慣れぬ微生物がいる。教官のところに持っていくと「ああ君、これはスペルマだよ」

    (3)こんな所でご対面:解剖実習をしていた学生、下半身から取りかかっていたが、いよいよ終わりに近づいたころ、献体の顔の覆いをとってみれば、それは昨年死んだ叔父だった。

    (1)(2)は以前から寒めのギャグとして知られています。初めのは翻訳調のせりふと言い、リアリティがイマイチ無いのが欠点。次も小学校の理科ではあるまいし、顕微鏡を覗く練習だけみたいな実習の存在があまりにネタ振り的で、全体にビリッとくるものがない。

    (3)は、同じ様な体験が筆者にあるので何となく触れにくかったもの。
    筆者と同じサークルの同級生が在学中に自殺し、何を考えたのか遺書に「解剖学教室に献体する」と書いてありました。無視すればいいのに真面目な家族は言うとおりにしたんですね。
    筆者の大学では普通の系統解剖実習に加えて、高学年になってから外科系の実習の一環として局所解剖というのがありました。彼の自殺から数カ月経ったある日の局所解剖実習で、脳外科の担当としてサークルの先輩の若手教官がやってきました。彼は留学していて件の男の自殺をしりません。開頭の準備をしながら、筆者を見つけて「よう、ひさしぶりだな。所で**(死んだ男)はどうしてる?」「それが実は」「どうしたんだ?」「あいつは首をつってしまいまして、今はここに寝ているんです。ほら」と遺体の覆いをはずすと、その教官は遺体を一目見る間もなくぎゃっと叫ぶと持っていた開頭用ドリルや糸のこなども放り出し、こけつまろびつ逃げ帰ってしまいました。
    実際には遺体は別の人でした。解剖学教室の方も献体されたとは言え、元の同級生に解剖されるのではあまりだと考えたのか、別大学と遺体トレードしていたと言う話。先輩教官にはちょっと冗談が過ぎました。(1999/04/10)

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    (2)で思い出した話。最近の医学部は女子学生の比率がとても高いという話を聞きますが、昔はせいぜい数%でした。筆者が卒業試験を受けた年、同級生のその数人の女子学生は何故か全員妊娠していました。しかも全員未婚。
    さて、産婦人科の教授は敬虔なカトリックかつガチガチの真面目人間で、面接で行われる卒業試験では、出される問題からなんとか「生命の誕生と神の恩寵について」の話になるように持っていったら、神妙な顔でお話を伺うだけでグループは全員合格するということになっていました。
    名簿の関係で女子学生はほとんど同じ試験グループだったので、そこでこの教授が語ったとされる内容が同窓生の間ではしばらく伝説になっていました。都市伝説ではないけど。

    「マリア様は処女懐妊され、神の子をこの世にいだされた。ここに新たなマリアを何人も目の前にし、私は奇蹟をみる僥倖に恵まれたことを深く神に感謝したい。君たちの孕む人の子は、この世に希望をはこんでくれるに違いない……ってなわけがないだろうがこの色キチガイども。よりによって卒試の前にぼこぼこ妊娠なんぞしやがって。大体お前らは医学生だろうが、避妊のやり方もしらんのか。俺の授業で何を聞いていた。籍も入れずに何といういい加減さだ、野郎の方も医学生か、そいつらをここへ連れてこい、妊娠の理屈を初めから教えてやる…。」

    てな具合に長いこと怒鳴りまくっていたそうな。でも女子学生達は全員成績だけは良かったので一発で通ったそうですが。(注:彼女たちの妊娠に筆者は何ら関与していませんって、わざわざ言う事はないか)


  • 床掃除が招く死
  • アメリカを中心としたart.folklore.urbanという都市伝説に関するニュースグループがあり、ちゃんと医学系伝説の部門もあって、そこのHPは筆者がしばしばネタ探しに利用させて貰っています。日本の医学系都市伝説と一部重なりながらも、微妙に方向が違うのが面白い。この違いを一言で言えば、日本の場合、医学医療を「異界の論理が働いている場所」として捉えているが、海外の場合は異界としての意識が希薄で、日常性との連続性を基本にしつつ極端化された内容が伝説となっていることが多い、ということでしょうか。

    いかにもアメリカ的な伝説としてこう言うのがあります。「ある救急病院では、一定の曜日の決まった時間に急死する患者が多いことに気づかれていた。危ない時期を何とか乗り切り、生命維持装置で小康を得ている患者が、何故か急変しスタッフが駆けつけたときには息を引き取っている。調査委員会が組織され、様々な検討がなされた結果、死亡例が多い時間帯は建物のメンテナンス会社が床掃除をする時間にあたることが判明した。委員会が隠しカメラで作業を監視していると、作業員が生命維持装置のコンセントを引き抜いて床磨き機のコードを繋ぎ、作業が終わったらまた戻して立ち去るのを発見した」*というもの。「病院の死亡例の多くは床掃除の際に医療機器の電源が切れることによる」と更に単純に一般化した伝説もかなり広がっているとのこと。(当初、「床磨き機をコンセントにぶつけて抜いてしまい、そのまま立ち去る」というマイナーバージョンを紹介していましたが、それではコンセントが抜けているのがすぐ判って、原因不明という事にはならないはずなので、ブルンバンの著書やAFUのHPに現在収録されている内容に変更しておきます(1999/09/22))

    実際、医療機器がハイテク化すればするほど、そのシステムの脆弱性は高くなり、思わぬ故障や不具合がでやすくなる物です。たとえばコンピュータの場合、当然普通の電源で動くのですが、電源供給の事情までは考えていない作りになっているため、妙なタコ足配線を強いられるのは、このHPを読んでいる人の場合も多分同じ筈です。足元でコンセントけっ飛ばしてファイルをおシャカにしたり、システムまでぶっこわれたりと言う経験した人も数多いはずです。

    医療機器の場合、殆どの場合建物を設計した時期のほうが古いわけで、コンセントの数、容量の絶対的不足があり、仮に充分用意されていたにしても、ベッドの周りを様々な配線がとぐろをまいて、一つはずれただけで大騒ぎ、という状況は日常茶飯事です。

    おまけに日本の場合、コンセントの形状が最近の機器の場合、アースを入れた3本足(パソコンでもこれは多いですよね)になっていることが多く、壁のコンセント(なぜか最近の建物でも3本足対応してないことが多い)にはアダプタを介して差し込まれており、その不安定さは端で見ていても気になってしまいます。アース端子など引きちぎって使えばいいのですが、普段管理している看護婦さんにすればそんなことして大丈夫か、と思うのは無理はない。

    アメリカの先の伝説はハイテク医療機器の危なっかしいインフラ現状への危惧から必然的に生まれてきたものだ、と理解できますが(多分、実際に伝説の様なことが起こった可能性もあります)、病院を異界と捉えがちな日本ではこうした日常的な心配が伝説として昇華していくことはすくないだろう、というのが筆者の考えです。

    (1999/04/23)

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    #医療機器への電源供給の問題を根本的に解決するための筆者の提言。順不同。(1)すべての機器を内燃機関駆動にする。(2)小型原子炉を内蔵させる。(3)風力、太陽光エネルギーを活用する。従って病院はすべて屋外施設化していく。(4)人力利用を考える。さし当たって一番ひまな関係者である患者さんの力を利用する。(5)病室内に電磁場を発生させ、誘導エネルギーを各機器が受けるようにする。うーん、どれもこれも使いものになりませんなぁ。