それは1937年、うだるような暑さの8月のことだった。ミシガンにある、自動車王ヘンリー・フォードのオフィスに、コーエン三兄弟が訪れた。「フォードさん、私たちは自動車産業に革命を起こす新発明を成し遂げました」、長兄のノーマン・コーエンが切り出す。
フォードは疑わしげだったが、この申し出には興味をそそられた。「その発明を直接ご覧に入れましょう」、そういって兄弟たちはフォードを外に連れ出し、建物の前に止まっている黒い車の前に連れて行った。
次兄のハイマン・コーエンがドアを開ける。「さあ、中にお入りください。フォードさん」。
「何だって!気は確かか。車の中は100度近くになってるぞ」、自動車王は叫ぶ。
「たしかに」、兄弟で一番若いマックスが微笑む。「しかし、お座りになって白いボタンを押してください」。
興味をそそられたフォードはボタンをおした。すると、突然冷たい風が車のあちこちから吹き出し、たちまちにして車の中は快適な涼しさになった。
「こりゃすごい!」フォードは叫ぶ。「君らはこれにいくら払ってほしいのかね?」
ノーマンは「価格は100万ドルです。」と告げ、それからこう付け加えた。「それと、ちょっとした条件があります。『コーエン兄弟のエアーコンディショナー』という商標を、フォードのロゴの下に入れていただきたい」。
「金なら問題ないがね」、フォードは答える。「しかし、私の車にユダヤ苗字を彫りこむことなんか出来ないね」。
彼らは押し問答を繰り返し、結局500万ドルで妥協した。コーエン兄弟の苗字の件は取り下げられた。しかしながら、コーエン兄弟たちのファーストネームだけは、全てのフォード車のエアコンシステムに刻まれることになったのである。
今日になっても、フォード車に乗り込むたび、人はそのエアコンシステムの操作パネルに、はっきりと記された彼らの名前を見ることが出来る。NORM、HIそしてMAXという名前を。
引用はこちらから。実にしゃれたオチだと思うんですけど、そうでもないですか? (2004/07/06)
昨夜、二時間近くかけてスパム着信拒否設定をしたのに、若干少なくなったかなという程度で、今日もスパムは殺到している。そういうスパムの中に、時折全く文章になっていないものが混じるのに以前から気がついていたのだが、ちらりと見ては削除するだけなので、深く考えてみたことはなかった。
その文面は、今日到着したばかりのものから引用すればこういうものである。
lockian cayley cowmen amalgamate alexis torrid conway clinton nozzle miguel instrument osteoporosis schooner bagging isotropy. barnhard epitaxial freeboot zoology pine kamikaze deliquescent drapery apr loomis massey midsection hireling ashen teleprinter cozen esprit voluntarism bootleg caryatid oviform price catharsis churchill lock. mortgagee rensselaer evansville pertinent ektachrome blake rimy dividend contour rafael waxen beady hairpin arbutus emerald accordant acre cram impost baltic baleen bookstore brownie boniface strategic antedate.
文法以前に、そもそも単語がデタラメである。意味のある単語も混じるが、ランダムに並べてあるだけで、まるっきり意味はとおらない。上に引用したのは薬物通販の宣伝スパムであるが、一番はじめに個人的メールを装ったような文章があって、通販サイトのURLが示してあり、そのあとにこれがつづくのである。
スパムとしての目的なら、はじめの三行ですでに達せられているはずなのに、なんでこんな単語の羅列を付け加える必要があるのだろう。無意味な文章でフィルタリングを避けるという目的なのかなと考えたりするが、それならはじめからない方がましだろう。
向こうの雑談系掲示板を読んでいたら、今こういうメールが「ミステリーサークルメール」とか、「禅メール」と呼ばれて鑑賞の対象になっているのを知った。しかも投稿文章自体が、こういうランダムな単語を交えつつ、何とか意味を通じさせるという高度なテクニックを駆使したものなのである。
私も日本語でちょっとまねしてみようと思ったが、あまりに難しくてあきらめた。一時の筒井康隆や町田康の文体を想像されれば、それに多少近いかもしれない。もしかしたら、何語であるかを問わず、これからの言語の行く末を示す新しい趨勢なのかも。そういう動きに乗り遅れないように、スパム着信拒否設定は程々にしておこうかな。(2004/07/11)
先月終わり、BBCが「イランの女性、カエルを生む」という記事を報じた。現在、その記事は削除されていて読むことは出来ないが、コピーや翻訳はあちこちのサイトに残されている(たとえばこちら)。
一読して思うのは、「そんなアホな」という常識であるが、どうもどこかで聞いた事があるような懐かしさを感じるのも事実なのである。私の場合は、子供の頃聞いたことがある、「ヘビが女性の局部から入り込み、そこで育って出産に至る」という伝説であった。
都市伝説の教科書ともいえるブルンヴァンの「ドーベルマンに何があったの」(新宿書房)にも、これのタコ、カエル版の伝説が紹介されていたはずである。ここでも似たような話のパターンをいくつか、紹介した事があるような気がする。
それとまるっきり同じような話が、地方新聞の引用とはいえ、BBCにそのまま掲載されるというのは少々驚きである。生物学的に考えて、どんな生物の胚であれ、人間の体の中で成育してそれが妊娠様の徴候をしめすなんてことがありうるはずがない(まあ、細菌とかカビ、寄生虫なら、ある意味で『育つ』ということはあるだろうけど)。
BBCはかなりの「と」系記事であってもまず事後削除などはしないので、まるっきり痕跡も残さず消えているということは、この記事が全くのガセであったことを示しているのだろう。あんまり大胆な古典的ガセになると、かえって懐疑が働かなくなるということの一例なのかもしれない。アホらしすぎる話には、論理的に不可能性を説明するのが、かえって困難になってしまう。
誰も反論しないからこれは本当なのだ、という信じがたい論理にすがる人は時々いるもので、この手のヨタが一人歩きする根拠がそれだったりする。今ひとつヒネリのないガセには、しゃれたツッコミもまたやりにくいのだということで、決め付け的否定になっているのを承知の上で書いておきたい。(2004/07/13)
先月中旬、フロリダ州タンパで行われた中絶禁止政策推進団体"Right to Life"の集会に出席したブッシュ大統領は次のように述べた。
「我々は常に思い起こすべきだ。すべての人間の命は大便として始まったのだということを。神の目からは大便も生きる存在であり、神は人類に授けられた権利と祝福のすべてを大便にも与えられたのだ」。
聴衆は皆、眼を点にしながら、大統領が12回ほど繰り返した「大便」という言葉に聞き入っていたといわれる。何のことはない、"Feces"=「大便」と、"Fetus"=「胎児」を間違えたというだけのことらしいのだけれど、なんとなく彼の生命観の本音がうかがえるような話になっているような気もしないではない。
この内容自体は某掲示板投稿の引用で、最新号のNEWSWEEKがソースだというのだが、ウェブ版では確認できない。まるっきりガセかもしれないので、言いふらすときは自己責任で。 (2004/07/14)
7/23追加:これは完全なガセであることが後に判明。NEWSWEEKのweb版で確認できなかっただけでなく、現に出版されたものにもこんな記事は載っていないということだ。ホワイトハウスの広報では、ブッシュ大統領が例の集会に出たことは発表されているものの、発言はしなかったと記されているそうな。いかにも言いそうなんだけどね。
先日、あまりのスパムの多さに音を上げて、プロバイダの着信拒否サービスを使い出したことを書いたのだけれど、一時は半分以下になったと喜んでいたのに、ここのところはまたゾロ元通りである。発信元のドメイン名自体が次々に替えてこられるので、一つ一つ拒否設定していたのでは追いつかない。やっぱり内容のフィルタ設定しかあるまいと、いろいろ検討しているのだが、敵もさるものである。
例えばスパムの代表例、「バイアグラ大安売り」をとれば、素直に"Viagra"とつづって買わないかといってくるようなスパムは、まず皆無であるのはご存知であろう。手元に来ているのをざっと見ただけでも、"VI@GRA""VI3AGRA""VyAGRA""Vi?gr?""V|i|a|g|r|a"である。陳腐化してしまった商品名のおかげで、"ViaZUgra"と書いてあっても意味がとおるのだから始末に悪い。こういうのを前もってフィルタ登録しておくのはまず不可能なのである。
いったい、こういう風にフィルタ対策用としてつづりにノイズを入れるやりかたは何通りあるのだろうという、純粋に学術的興味を追求したのがこのサイトである。ここの管理人はまず、VIAGRAそれぞれのつづり文字自体のバリエーションの検討から始めている。
Vには"V v \/"(最後の奴はバックスラッシュ+スラッシュ)、Iには"I i 1 l | ? ? : ? ? ? ? !"が入りうる。この調子でやれば元つづりの変異だけで3x13x17x4x3x17=135,252通りが可能である。次に、"via-gra"や"Viag%ra"という、字間に記号や別文字を加えるタイプがある。例えば"*"を冒頭、字間、末尾に加えるバリエーションだけでも2の7乗=128通りとなる。これにはあらゆるアルファベットを使うことが可能だから、ウムラウトやアクサンなどがついた西欧文字を動員すると192通りということになり、その7乗が全体の組み合わせとなるのである。
したがって全体の組み合わせ総数は以下のとおり。
192x3x192x13x192x17x192x4x192x3x192x17x192=1,300,925,111,156,286,160,896
これを日本式に読むと、13垓92京5111兆1562億8616万896、ということになる。英語で読めば1.3SEXTILLIONSだ、というのがこの話のオチ。 (2004/07/26)
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明日7月31日は、地球上のかなりの部分で「ブルームーン」がみられる日なのだそうだ。ブルームーンとは1ヶ月のうちに来た2度目の満月をそう呼ぶのだという。御存知のように月齢周期は29日強で、1か月というのは二月を除けばそれ以上なのだから、3年にいっぺんぐらいは起こってもいいはずである。実際、前回これが起こったのは2001年の11月30日(一部では12月30日)で、次回に起こるのは2007年である(グリニッジ標準時からの偏差が−1:00から+11:00の地域に限られるが)。
昔は一つの季節に4回目の満月が来ることをブルームーンといったそうだ。早くから太陽暦が使われていた文化圏では、こんなかたちで太陰暦への郷愁というか、月の運行に時間意識をゆだねる回帰感覚を味わっていたのかな、なんて思ったりするが、そういうことには全然詳しくない人間の考えなので、まるで間違っているかもしれない。少なくとも、数世代前まで太陰暦を使っていた日本では、こういう呼び名が生まれる根拠がなかった頃はもちろんのこと、現在でも全然ポピュラーにはなっていない。
この"blue moon"は英語の成句になっていて、"Once in a Blue Moon"というと、ごくまれなことというような意味合いをあらわすそうだ。「盲亀の浮木、優曇華の花」というような感じですかな。そう滅多に起こらないことでもないのに、こういう使い方をされるのには、16世紀ごろから「月が青い」という言い方で「ありえないこと」を表現する言い回しがあったためらしい。
昔、ブルース・ウィリスが新人のころ、「ブルームーン探偵局」なんていうTVドラマに出ていて、NHKでも放映されていたので、結構みていたのだけれど、もしかしたらあのネーミングには、「滅多に依頼人が来ない」とか、「稀にしか事件を解決しない」というような意味合いが隠されていたのかもしれんなぁ、などと思うのだった。そういえば「月がとっても青いから」なんて歌謡曲があったな。「月がとっても青いから、遠回りして帰ろう」などという歌詞で、子供心に一体どういう意味なんだろう、大体月って青いか?と不思議に思ったものだった。あれも英語圏文化に詳しい人が、その教養をひけらかして作った歌詞だったのかもしれん。
ところで、明日はアメリカ西海岸あたりからカトマンズぐらいまでならブルームーンになるのだが、残念なことに日本では満月になるのが8月1日にずれ込んでしまう。でも、8月30日になれば本当のブルームーンが日本でもみられるので、恋人を夜中に連れ出す手管にでも使ってみたらいかがだろう。もちろん、実際に月が青く見えるわけではないけれど。 (2004/07/30)
小説とかドラマで、車のガソリンタンクに砂糖を放り込み、その車を使用不能にするという策略がでてくることがある。ガソリンに溶け込んだ砂糖がエンジンで焼け付き、オーバーホールしても直らないような損傷を与えるというような話になっているものだ。
犯人一味を立ち往生させるための素人探偵のアイデアにとどまらず、これはかなりタチの悪い嫌がらせとしても使われることになっている。高級車をもっているイヤミなプレイボーイとか、金持ちのバカ息子への意趣返しとして、この密やかな破壊工作が行われるのだと。
フィクションなんかではそんなものかと見逃しているわけだが、冷静に考えてみるとこの話はかなりおかしい。そもそも、タンクは施錠されている場合がほとんどだし、偶然開いていたとして、砂糖はガソリンに溶けるだろうか。溶けたとしても、エンジンを焼け付かせるまでのスラッジになるためには、かなり大量の砂糖がいるようにも思うし、そんな量を放り込む手間だけでも大変だろう。
何度か引用したことのある有名何でも質問コラム、"Straight Dope"にこれに関する質問が寄せられていて、回答者は砂糖が固体としてひきおこす障害だけを問題にしている。砂糖はガソリンにほとんど溶けないから、燃料フィルターやキャブレーターを詰まらせる、というのである。その意味では塩でも効果は同じで、砂だっていいわけだがこれは比重が高すぎてダメだとのこと。
毎度の引用サイトでも同じ問題が扱われていて、そこではガソリンに溶け込む程度の微量の砂糖はエンジンに何の影響も与えないということと、多少の砂糖をタンクに放り込んだぐらいではまず燃料フィルターを詰まらせることもないと、より具体的な解説がなされている。
というわけで、恋敵や仕事のライバルに嫌がらせを目論んでいる人は、ガソリンタンクに砂糖という手段はあまり有効ではないということを覚えておいても損はないだろう。先ほどの"Straight Dope"は、エンジンオイル補給孔から砂を入れるというかなり確実な方法を紹介しているが、そんな大胆なことするぐらいなら、直接相手をぶん殴ったほうがよっぽど気が晴れるのでは。(2004/8/04)
「ピタゴラスの定理」で知られるピタゴラスは、数学者としてだけでなくピタゴラス教団という宗教団体の主宰者として有名である。イタリア南部のクロトナに本拠を置いた彼の教団は、数千の信徒を抱えた巨大学問都市の様相を呈していたらしい。彼の教団にはよく知られる「豆を食べても、触れてもいけない」というものをはじめとし、奇妙なタブーがいくつもあったが、その中に「家の中にツバメの巣をつくることを禁ずる」というのもあったそうだ。
ツバメに「巣を作るな」といっても通じないだろうから、教団メンバーたちはツバメが家に飛び込んできたら追い払い、巣をちょっとでも作りかけていたらそれを壊していたのだろう。彼の教団は基本的に魂の輪廻転生をその教義の基本においていて、犬をいじめている人に、それは私の友人だった魂が宿る犬だからやめろと文句をいったりするぐらいで、人間と動物の違いは言葉がないだけだと思っていたらしい。だから、ツバメの生活圏を奪うようなこういうタブーは、まことにつりあわないように思う。
先に紹介した中沢新一の「人類最古の哲学」(カイエソバージュ?:講談社新書)では、この理由をツバメがそなえる神話的で両義的な仲介機能で説明する。神話的論理に対抗して、純粋な論理による世界の解明を求めたピタゴラスには受け入れがたい性質なのだという。なにせ、教団では朝起きてまずやらねばならぬことは、寝ていた布団をくるくると丸めて、寝相の跡が残らないようにすることだったというぐらいだ。寝ているときの理性欠除の痕跡など、絶対引きずってはいかんという訳だ。迷信でしかない神話思考なんぞ受け入れられるか、というコトなのだと。
なんでツバメが両義的かというと、春の訪れとともに突然飛んでくるそのすばやさが、彼らは冬の間魚となって水の中で暮らしていたためだと人々に思われていたこととか、泥を練り合わせて巣をつくるその姿が、人間の土器作りや左官業を連想させる、つまり自然の存在でありつつ「文化」をになっているように思われたからなのだそうだ。ほかにも、大食漢であることからそのカンニバル性格が死を連想させたとか、それは水界=死という連想でさらに強化されたとかいうのだが、正直言ってツバメで死を連想するのはちょっと無理なように思う。文化と自然の仲介といったって、ハチだのアリだのクモだのと、もっと連想として適切なものはありそうだという気がするのは私だけだろうか。
じゃあそのタブーの本当の目的はなんだったのかというには、あまりに漠然とした知識しかないのでどうにもならないのだが、ことは案外単純な自然保護概念だったのではないか、というような気がしてならない。どうもギリシャやイタリア地中海沿岸というと、昔も今のミコノス島みたいな街があったようにおもえるが、たぶんそんなに違ってはいないだろう。ああいうつくりだと東南アジアで産業になっている、イワツバメを呼び寄せるマンションみたいに、やたらにツバメが来てしまうのではないだろうか。大体、どんな種類のツバメが生息しているのかもよう知らんのだけど。
仮にイワツバメがきて、たっぷり海草製のツバメの巣を作ってくれても、中国人ではない悲しさ、食い物にしようとは思わんでしょうしね。収拾がつかないほどツバメが来ても生息環境は悪くなり、結局絶滅の危機が来るだけなので、あえて調和を重んじたピタゴラス教団は住居内にツバメを入れさせないように訴え、彼らの生息地の分散化を図ったのではないか、というのがかなりいい加減な推測。
当然、このタブーはほかのタブーと一連のものだろうから、かの「豆を食うな」というのとも関係があるだろう。次はそちらからの考察をつづけてみたい。考察、というにはちょっと口はばったいが。(2004/08/06)
ツバメの巣の話からピタゴラス教団のタブーを考えてみようと思ったわけだけれど、どうもアヤフヤな決め付けになってしまった。やはりここは有名な「豆を食べても触ってもいけない」というタブーのほうから、順繰りに考えていくべきであったかもしれない。この豆に対する禁忌は徹底していて、なにせピタゴラスは暴徒の群れに襲われて、豆畑の前まで追い詰められ、そこを横切っていけば逃げられるのに、「豆には触れない」というタブーを守ってそこにとどまり、殺されたというほどである。
しかし、なんとなく妙な話ではある。見渡す限りすべて豆畑、というようなところに追い込まれたってことなんですかね。教団メンバー以外の人々は、やはり豆を大量消費していたということでもある。今だって、地中海系の料理には豆が沢山使われますからなぁ。そんな中、豆を喰うな、触るなというのだから、かなりの偏屈と思われても仕方がない。
中沢新一は「人類最古の哲学」のなかで、この豆タブーをこう分析している。いわく、豆というのは神話的思考の大好物であった。節分では豆をまいて邪をはらうし、同じような儀礼はアメリカインディアンにも見られる。季節の変わり目の儀式、つまり死と再生を象徴する場にふさわしい霊力をもったものだととらえられていたのだ。また、豆というのは女性的豊饒をも象徴している。女性器の一部のスラングであるのも世界共通だ。女性の中の男性性を指すというわけだ。同時に男性器の睾丸を意味することもある。つまり、男性の中の女性的なものを指すという、全く逆の意味すらもつ両義的なものなのだ。
死と生、男性と女性という対立を媒介するような両義性というのは、ひたすらに純粋な論理を追求していたピタゴラスにには到底受け入れられなかった、彼にとっては豆は悪魔的な恐るべき存在であった、というのである。構造主義的な分析というのは、そこはかとない胡散臭さが常に伴いつつ、まあよく屁理屈をつけたものだという芸へのリスペクトで納得するようなところがあるが、これはそう芸が細かいとはいいがたい。ツバメの巣の禁忌といい、どうも単調な印象が強い。
中沢によれば、ピタゴラス教団は男性だけで結成され、メンバーには極端な禁欲が要求されたというのだが、ざっと調べると当時の宗教的結社の中では例外的に女性に開かれていたようだし、ピタゴラス自身、60歳のときに教団メンバーの女性をめとり、7人の子をなしたとされているので、そんなに修道院みたいなところではなかったようだ。そんななかで豆に対するタブーがえらく厳格なのは、どうも不思議である。
ほかの食生活に関するタブーも結構珍妙で、パンを裂いて食べてはいかんなんてのがある。直接かぶりつけということなのだろう。ほかには動物の心臓と脳を食べるな、というのがある。逆にいえば肉は食べてもよかったわけだ。魚は控えろといわれていたようだが、これも少しは食べていいことになる。豆というのはソラマメの一種らしく、これにはアレルギーを持つ人がいるのと、酵素欠損のために食べられない人がいるので、ピタゴラスはそういう体質だったのではないかという意見もあるらしいが、自分が食えないからといってほかの人間にもそれを強いるというのは、なんぼカルト教団だといっても少々器量が小さすぎるような気がする。
彼の教団は政治的には貴族制への回帰を求める反動派だったらしく、一般大衆への受けはあまりよくなかったようだ。門弟になろうとしても、テストはえらく厳しく、学科で通っても人相学みたいなのでケチをつけられて落とされることもあり、落とされた連中が反対派に回ることもしょっちゅうだったという。ピタゴラスが命を落とした暴動というのも入門を断られた人間が組織したもので、具体的な利害対立というより、「お高くとまりやがって」という反感が原因なのである。
おそらく、「豆を食べない」というのも、一般大衆との違いを生活のなかで示す手段だったのではないか、というのが私の推測である。"Bean Eater"というとアメリカ白人が中南米のインディオ系に対して蔑称につかうことがあるが、そういう感覚は古代ギリシャ−イタリアにもあったのではないだろうか。一般大衆は蛋白質をもっぱら豆からとっていて、精神的にも生活様式でもエリート貴族であろうとしたピタゴラス教団の人たちは、貧乏人は豆食ってなさい、おれたちゃ下々とは違うからね、とその食生活にタブーをつくったというのが私の考え。
本当はマービン・ハリスばりに、豆を食べないことで生じるベネフィットを示したかったのだが、何ぼ考えても思いつかなかった。ま、そういう戒律を持つ生活文化は生き延びなかったのだから、それも当然といえるのだけれど。 (2004/08/07)
掲示板で、「へべれけ」という言葉の語源についての議論があり、「ギリシア語で言う『女神のお酌』に由来するという珍説」が紹介されていた。ギリシャの女神で「ヘベ」といえば、私らの業界でおなじみのあのHebeに違いない。精神分裂病の中でも最も難治性の思春期発症型、Hebephrenic typeのHebeである。ゼウスとヘラの娘で、青春を象徴する女神なのだが、オリンポスの神々の集まりでは、もっぱらネクターという酒のお酌が仕事という、えらく軽い扱いを受けている神様だ(クリックして現れる写真は、両親にお酌するヘベを画いた古代の陶器)。
へぇー、そんなのが「へべれけ」の語源だといわれるのかと、少々複雑な思いである。というのは、私が研修医だった頃、ヘベフレニックタイプというのはある意味、「呪いの刻印」みたいなもので、そのプレッシャーをごまかそうと、「ヤバイまでにへべれけってますよ、あの人は」なんて軽口の符丁を仲間内で使っていたものだったからだ。
詳細を確かめようと「へべれけ 語源」で検索してみれば、驚くことに、語源うんちくを語るサイトがたくさんひっかかり、すべてこのギリシャ語源説を主張しているのだ。別の意見は唯一、「へべれけ=屁々れ気」というものだけであったが、これにはまったく根拠の説明はなく、単なる一発ネタらしい。ギリシャ語説の方は、いくつかの語源辞典でも取り上げられているのだという。もっともらしく"Hebe erryke"=「ヘベのお酌」というギリシャ語そのものがなまって「へべれけ」になった、という説明を添えているところも多かった。
でも、この"Hebe erryke"というのは、どう検索してみても他言語サイトでは確認できなかった。ギリシャ語って発音記号みたいな文字で書くのだし、これは一般アルファベットでの書きなおしだろうから、多少のずれはあるかと、ちょっとづつ変化させたもので調べたのだが、先ほどの日本語サイト以外はまったく出てこない。やけくそで、"hebe serve drink greek"などと、とっかえひっかえして調べてみたが、似たような発音でお酌を表す表現が、他の言語圏にも伝えられている例を発見することはできないのである。日本だけに伝わるギリシャ神話のトリビア派生物なんてのが、ありうるかねぇ。
グーグルでちょこちょこ調べたぐらいでなんともいえるものではないのだが、「へべれけ=ギリシャ語源説」を主張するサイトの文章が妙に画一的で、どうも同じネタ元からの引用を思わせる。そのネタ元というのは、どうもこれ(よみうりTV系のラジオ局がやっているトーク番組のアーカイブ。リアルプレイヤーのストリームで30分近くあるので、ヒマなときだけクリックされたし)ではないかとも思うのだが、単なる推測であって根拠はない。
結局真相はなんだかよくわからないが、都市伝説一般にいえる"Too good to be true"の原則からすれば、懐疑的になるのも致し方のない説であろう。私らの使ってた符丁が一般化した、てなことはないだろうしね。諸説に詳しい方がいれば、ぜひ御教示いただきたいと思う。( 2004/08/20)
8月29日付記:掲示板でこういう説明の紹介があった。やっぱ、専門知識のある人からみれば完全なコジツケであるらしい。「流れる」という意味のrhe? の完了形eru?keがこの説の根拠だが、これをもって「酒を注ぐ」という意味に使うのはかなり無理があるらしい。