• 死せるエルビス、生けるビルゲイツを走らす
  • あまり熟成していないネタですが、つい最近AOLに流れたチェーンメール(の形式を借りたジョーク)だそうです。完全にここの掲示板の聞き書きそのまんまですが。

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    これはあなたが受け取ったどんなメッセージよりも重要な内容です。

    数日前、マイクロソフトはハイチのヴードゥー教団と、エルビス・プレスリーが葬られているメンフィスの墓地管理会社の買い取りを決定した。

    ビルゲイツ氏は、このメールを受け取った人がそれぞれ正確に13人に転送し、全体で666通以上の転送が確認されたら、エルビスを死から蘇らせ、「ハウンド・ドッグ」を歌わせると約束した。このイベントはFOXTVで中継される予定で、メール転送に参加した人には、ビルゲイツ氏と、外ならぬロック王、エルビス自身が電話をかけてくることになっている。このメールの流れを絶やさず、エルビスを蘇えらせよう!

    なお、元のメールはゲイツ氏自身から発信された物なので、信憑性は保証されている。
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    今ひとつ練られた物とは言い難いものの、ビルゲイツ神話とプレスリー神話の合体と言うところがアメリカ的ですね。遺伝子工学などを巧みに取り込んで、それらしく見せるようにもう少しレファインすると息の長い物になるかもしれません。

    英語ではいまや"Speak with Elvis"と言う成句が成立しているそうで、日本で言うところの「電波」という言葉とほぼ同義語として使われているようです。何かのドラマで、刑事が重要目撃証人を見つけてくると、、上司が「あいつはスーパーでエルビスを見かけたとも言ってる、役になんかたたん」と、一蹴するシーンを見たことがあるぐらい。米国人にとって"The King"プレスリーの生存神話は、ジョークにして特別保存しておきたいほど特別な意味を持っているものであるようです。

    このメールへのコメントを一部紹介しておきます。「あれ?エルビスってどっかでプロバイダー経営してるんじゃなかったっけ?」「AOLを経営してるんだよ」「何言ってるんだ。そもそもビル・ゲイツがエルビスなんだよ」「そりゃ無いぜ。エルビスの髪の毛の方が格好イイもの」「歳とってくりゃちょっと乏しくなるんだよ」てなぐあい。当然の事ながら真偽などは問題外。

    以上をヒントに自分でこんなデマメールを作ってみました。転送自由ですが、人に迷惑かけちゃだめよ。

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    米ベンチャー企業エルビスを蘇らせる--メンフィス発ロイター共同

    メンフィスに本社を置くキング・ジェン社はこのほど、数年前から行われていた秘密プロジェクトの内容を明らかにした。同社はマイクロソフト社から全面的な資金援助をうけ、エルビス・プレスリーのクローンをすでに6年前に作り上げたという。開発部長のキャッシュ氏は語る。「当社はエルビスの遺族、遺産管理会社の承諾の元、司法解剖の際保存されていたエルビスの細胞からDNAを抽出した。ボランティア女性の協力を得て6年前にクローンが生まれ、マイクロソフト社スタッフの元で英才教育が施されている。クローン少年は極めて順調な発育を示し、すでに天才的音楽的才能を示している。世界にエルビス2ndレビジョンの歌声を紹介できる日も近いだろう」

    エルビス少年の詳細については明かされていないが、関係筋によればボランティア女性というのはビル・ゲイツ氏の妻であると見られており、法的にはゲイツ氏の実子となっているという。マイクロソフト社は資金援助の見返りに、エルビス少年の今後の新作及び旧作品カバーの放映、配信権を今後30年間独占しており、少なくとも1兆ドルの収益を確保したと見積もられている。

    ただ、他の関係者によれば徹底した英才教育の結果か、エルビス少年はかっての自分の音楽には全く興味を示さず、6歳にしてコンピュータを駆使し、バッハの音階論分析に没頭しているという。ある音楽評論家は語る。「これが本当だとしたら素晴らしいことだ。エルビスの才能と英才教育環境が結びつけば、世界は音楽における新たな革命を目撃することになるだろう」

    なお、このプロジェクトが報告された後、ニューヨーク市警が保存していたジョン・レノンの細胞が3年前に盗まれたことが明らかにされ、恐らく同様のプロジェクトに利用された疑いが強まっているという。司法当局はある日本企業の動きに注目していると非公式に述べている。
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    イマイチかなぁ、やっぱ。(1999/11/10)

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    #ニュースを見ていたら、オーストラリアでエルビスのデジタルコンサートが開かれ、大好評だったというのをやっていました。過去のフィルム、ビデオからボーカルのみをデジタル抽出し、画像と共に生バンド演奏に同期させるという物。画像をホログラムでステージ上に投影したら、遺伝子操作抜きでバーチャル・エルビス・オンステージが実現できますね。


  • 某外科教授の怪刀乱麻
  • ここのところ海外サイトの受け売りばかりに終始しているので、少しは自分の体験から。

    普通医学部の臨床系教授と言うのは、学識は勿論、その医療技術においても優秀であるはずだ、と思われていることでしょう。殆どの場合その通りなのですが、例外がさけられないのは世の常。筆者の習った某外科教授はその学識、見識、新しい教育法を積極的に取り入れる進取の気性、権威におごらず、民主的に教室を運営する姿勢などに於いて極めて尊敬すべき人でありましたが、残念な事に「手術がへたくそ」というわずかばかりの欠点がありました。

    教授の手術、と言うことになれば中堅クラスが前立ちにつき、沢山の研修医が側にへばりついたり、隣室でTVを通じてその手元を目を皿にして眺めている物なのですが、この人の場合は医局員誰一人見にも来ず、貧乏くじを引いたという表情の前立ち一人が憮然といるだけ。ただ、「あの教授の術中ボヤキだけは面白いよ」という噂はありました。さすがに「ボヤキが面白いから」見に来る人はいなかったようですが。これは筆者がオペ室実習で聞いたそのボヤキの記録。全く都市伝説ではないがローカル医学部伝説ではありました。

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    教授「只今から肝内結石に対する部分肝切除術を行います。麻酔の方はいいですか?」
    麻酔科医「はぁ」
    教授「はぁ、なんて間抜けな返事してるんじゃありませんよあなた。手術なんてぇものは所詮メリハリなんだから。あ、皮切はもっと大胆にね。そういうためらい傷つけそうなことして。私がやるから…あ、ちょっと曲がってるか。んま、手術は製図じゃなくてね、生体に侵襲を与えつつどう治癒的反応を引き起こさせるかということでね、お裁縫とは違うんですよ。綺麗にやればいいと言うもんじゃない」
    前立ち医「…」
    教授「しかしあなたも無愛想な人だね。こういう共同作業だよ。二人で刃物持って一緒になんか切るなんて結婚式ぐらいでしょ。もっと愛想こぼしてやっても…。あ、ちょっと部位が…。どうも腹の動きが大きいね。麻酔のかた、そうバッグ力任せにぐいぐい押したら術野が安定しないでしょ。親の敵じゃ無いんだから。先代の麻酔科の教授はその点神業でしたね。バッグを絞る抜き手も見せず、さっさっさっさーだからね。ああいうのを名人芸てんだね。あ、ちょっとここを穿刺するから注射針出して」
    機械出し看護婦「…」
    教授「しかしまた今日は無愛想な人ばかりそろったもんだね。無愛想な人による無愛想な人のための無愛想なオペかね。患者さんの悪口になっちゃうね。いかんよ、冗談でも。それにね、君、注射針くれって言ったら注射針だけ渡すか?ノミと言えば槌って言うでしょ、注射器もつけるの。…またこれはでかい注射器だね。バットかと思ったよ。これで素振りでもする?機械出しってのがオペの指揮者なのよ。言われたモノ渡してりゃいいんじゃないの。手荷物引き渡し所の受付かって言われますよ、あなた」
    前立ち医「出血してますが」
    「出血してますよ、と言う前にその処置を考えないといけないでしょ。電話が鳴ってますよ、と電話のそばで言ってるようなものでしょうが。オランダの堤防が崩れているのを発見した少年が、堤防崩れてますよってほかの村人に言ってただけならオランダは今頃水浸しでしょ。まず手を突っ込んででも水を止めるのが発見者のやることなの。止血なんてのはこういう風に…ン…止まらないね。糸がかからない」
    前立ち医「電メスを…」
    教授「今それやろうとしてたのよ。わたしこの年になって随分丸くなったとは思うけど、やろうとしてること寸前に横から指示されるのってあまり好きになれないね。さて…ジジジっと。なんで人が焦げる匂いはあんまり良くないのかね。焼き肉屋の匂いなんて胃がこうきゅっきゅっと来るのにね。何でだと思うね、学生諸君は。いいかね、こういう疑問から学問は生まれて行くんだ。聞いとるのかね、学生諸君」
    実習学生「ZZZZZZ…」
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    まあこんな具合で、手術結果のほうは聞くのも怖いと言うところでした。その後この教授、退官を間近にひかえたころ、本邦初の分野で大著作を書き上げました。その題名は「純粋理論外科学総論」#。本人もよくよく判っておられたようです。(1999/11/11)

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    #そのまんまでは何なのでちょっとアレンジ。でもこの狭い業界では誰だかすぐ判っちゃうだろうな。


  • I can stanford it!
  • まずはカリフォルニアの名門大学、スタンフォード大学(特に医学部は有名)創立にまつわる伝説から。

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    1880年代終わりころの話。時代遅れの衣服に身を包んだ中年夫婦がボストンの駅に降り立った。二人はまっすぐハーバード大学に向かうと、アポイントもなく学長室を訪れた。学長秘書は、こんな田舎者達がハーバードに何の用事があるのかと訝しく二人を眺めた。
    「学長にお会いしたい」「学長はとてもお忙しいのですが」「では待ちましょう」
    秘書はしばらく彼らを無視していた。そのうち怒って帰ってしまうだろうと思ったからだ。しかし彼らは帰らなかった。仕方なく秘書は学長を煩わせることにした。「2-3分でも会って頂ければ満足して帰ると思うんですが」学長はしぶしぶ応じ、厳めしい表情で二人の前に現れた。
    婦人が話し始める。「私どもにはここに通っていた息子がおりました。息子はハーバードをとても誇りに思っておりました。しかし昨年事故で死にまして…。主人と私は彼のために、何か記念になるものをキャンパスに建てられたらと思っているのですが…」
    学長はすげなく答えた。「奥さん、OBが死ぬたびに記念碑など立てていたら、学内が墓場みたいになってしまいますよ」
    「いえいえ」婦人はすばやく応じる。「記念碑というわけではありませんの。私どもは建物を、と考えております」
    学長は目をむいて、さえない風采の二人を眺めた。「建物ですと?あなた方はいったい大学の建物にどれだけ金がかかるかご存知ですか?今の施設だけでも750万ドル以上はかかっておるんですぞ」
    婦人は黙ってしまい、学長はこの連中をやっと厄介払いできたと思った。すると婦人は夫に話しはじめた。「ねえあなた、750万ドルぐらいで大学が建つなら、自分たちで作ってもいいわね?」夫はうなずいた。「それもそうだな」
    困惑する学長のもとを辞して、この二人、リーランド・スタンフォード夫妻はそのままカリフォルニアに戻り、そこで息子の名前を付けて「リーランド・スタンフォードJr大学」を創立した。現在、スタンフォード大学は東部アイビーリーグ大学に並ぶ名門として知られる。
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    スタンフォード氏は大陸横断鉄道で財をなし、カリフォルニア州知事として政界でも活躍した人ですが、彼の一人息子は15歳で死亡しており、ハーバードに在籍していた事実もなく、実際に上のような事があった可能性はありません。ファッションにも気を使う洒落者であったそうで、「時代遅れの衣服」で東部にあらわれるはずもないそうですが、上の伝説は色んな形で語り継がれてきていると言います。詳しくはここを。

    物語には「貴種流離譚」と呼ばれるものがあり、高貴な身分の人が地方をさすらい、卑しいものたちの協力を得て大義を達成する、という内容なのですが、日本人にこのバリエーションはとりわけ好まれるようで、TVでもかの「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」などの惰性的ロングラン番組はこのパターンですね。ただ、本来の折口信夫による概念では、「アーサー王伝説」とか「エディプス神話」などの「高貴な者が運命による試練を受ける」というパターンにも適用できる内容なのだけれど、日本での好まれ方は「試練」という部分がほぼ無視されて、「高貴な存在がその権力をトップダウンに民衆の日常に適用することから来る痛快さ」を追い求めているといえるでしょう。それは日本の権力者による権力行使のパターンにまで影響しているとも思えるのですが、そのことはここでは触れません。

    上の伝説はアメリカと言う国での貴種流離譚パターンをよく示していると思われます。権威の基準が高貴さではなく財力であると言うところがアメリカ的。向こうの人もせこい権力振り回す小役人に「ひかえい!このお方を誰と心得る!」と言いたくてたまらんのでしょうなぁ。そう言えば「貧乏くさい大金持ち」と言うパターンのドラマとか(と言って「じゃじゃ馬億万長者」ぐらいしか思い出さんのだけど)、富豪の逸話というのは向こうに結構あるようです。

    高貴な方が民衆の中で大活躍、という日本型パターンてんこ盛りといえば何と言っても某隣国です。「ある若者が病に苦しむ母親のために病院を訪れたが、医師は薬不足を理由に処方もしてくれなかった。ワイロがあれば何とか薬を手配できると言うのだが、貧しい労働者の若者には余分な金もあるはずもない。病院の前でうち沈む若者に、質素な身なりの男性が声をかけてきた。男性は中央から派遣されて、地方の事業調査のために長期間出張しているのだという。『お困りのようですね。中央の知り合いになにかツテを頼んで見れば解決するかもしれない』若者は官僚には信頼が置けなかったが、今の窮状を一通り説明した。『おかしいですね。ここの病院には十分な物資が配給されているはずです。何とか上部に伝えてちゃんとした医療が出来るように働きかけてみます』数日後、若者の家の前に高級車が止まった。中には先日の調査官が乗っていた。『お母さんをお迎えに来ました。最高の病室で今日から入院治療が出来ます。今までの病院の幹部達は物資を横流ししていたのです。全員逮捕して、私のスタッフ達と入れ替えました』先日とはうってかわって立派な軍服に身を包んだその男性をよく見ると、それは外ならぬ「偉大な将軍様」その人であった。若者とその母親は涙ながらに将軍様をうち仰ぎ、革命邁進の誓いを新たにするのだった」

    最近この隣国のHPが公開されていますね。全部ハングルでさっぱり内容は判りませんが、軽快なサウンドと共に、恐らく今みたいな話が満載されているらしいページを眺めているだけで元気が出るサイトです。是非訪問してみましょう。(1999/11/17)

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    *題名の"I can stanford it!"は引用先の題名をちょっと変えただけで、これは"I can afford it."の洒落になっている、などととわざわざ書くことはなかったですかね。それと、「偉大な将軍様」の話はどっかで聞いたことがあるとは思うのだけれど、具体的にいつどことは言い難く、もしかしたらこんな話あっても良いはずだという無意識のうちにでっち上げたモノかもしれません。将軍様周辺におかれましては、そこのところ太っ腹にご看過いただければ幸いです。


  • アルファルファの死
  • いわゆる団塊世代周辺の方なら、「ちびっ子ギャング」というシリーズTV番組を覚えておられるでしょう。筆者の子供時代、TV番組ソフトが乏しい頃、これを毎週心待ちにしてTVの前に陣取り、アメリカの古典的お子さまギャグを堪能したものでした。筆者の世代のお笑い感覚というのは落語や漫才という日本型お笑いと言うよりは、こういうアメリカ製コメディがかなりの部分を占めていると言っても良いかもしれません。まぁ、6割5分ほどは日曜日昼からの「吉本新喜劇」によって形作られたのは確かなんですが。

    その「ちびっ子ギャング」の中心キャラクターであった「アルファルファ」を演じた子役俳優のその後の運命について、ネタ採集場所である掲示板で話題になっていました。カール・スイッツァーというこの俳優は、1958年31歳で以前の仕事仲間との喧嘩の果てに射殺されたらしいのですが、その死の真相がいまいち曖昧であったことから、様々にその死をめぐって噂を呼んだようです。

    掲示板でのやりとりをまとめると、次の通り。「ちびっ子ギャングのアルファルファって自殺したの?殺されたの?そんな噂があったよね」「バックウィートをやってた奴はは80年代に撃ち殺されたよ。TVでみた」「アルファルファはなんでも『オズの魔法使い』のオーディションに落ちて、そのセットで首くくったって聞いたぜ」「いやスーパーで強盗に殺された、って話だ」「自殺だよ」「殺されたんだ。このサイトを見てごらんよ」と言うわけで、様々に噂されていた様子がうかがえます。

    紹介されていたそのサイトを覗いてみると、アルファルファは子役時代以後もある程度ショービジネスに関わっていたようですが、あまり芽は出ず、犬のブリーダーなどをして暮らしていたようです。一緒にショーをやったこともある知り合いに50ドルの借金返済をせまって口論となり、ナイフで相手を脅したために銃で返り討ちをくらった、という事になっているらしい。相手は正当防衛を認められた様なのですが、そこいらあたりがイマイチ曖昧のようです。と言うのもカール=アルファルファは相手の家に行くときにナイフすら持っていなかったと言う証言があり、正当防衛が認められたのはどうもおかしいらしい。しかもカール=アルファルファはどうも覚醒剤の密売に関わっていたらしい状況証拠もあり、正当防衛でのすばやい幕引きはそこいらの事情を詮索されたくないTV業界の動きが背景にあったのではないかという推測があるそうです。製作会社にすれば、覚醒剤密売事件関連で人気者が殺された、と言うスキャンダルは何としてもさけたい事だったのでしょう。その曖昧化工作が後の伝説化を生んだ、と言うことのようです。

    この「ちびっ子ギャング」は1922年から実に22年間にわたって作り続けられた短編映画シリーズだったのですが、それをTV業界が50年台後半に放映権を買い取ってTV用に編集し直して放映したところ、ふたたび絶大な人気を得たというものなのです(このあたりの詳しい事情はここを)。我々の世代がこの番組で思い出す、アルファルファ、スパンキー、ダルラと言うようなキャラクターはこのシリーズでは比較的新しい出演者なのですが、それでもTVで大当たりしていたときにはみな大人になっており、日常生活においてもしばしば子役時代のイメージを強制されたり、番組のイメージを傷つけ無いようにとの製作会社の有形無形な圧力をうける事があったようです。

    20年前の子役時代の栄光が、現在そのままTVで放映されているのを見て生きていくのは売れない芸能人にはつらい生活だったでしょう。生活が多少あれてしまったのも宜なるかな、と同情してしまいます。もっとも外の子役達がみな荒れた人生を送ったわけではなく、そういう運命に抗し得なかったカール=アルファルファの弱さにすべての原因があるのでしょうが。

    苦々しく自分の子供時代を眺めていただろうカール=アルファルファも、その短い人生のあとも世界中の子供達のスターとして長く生き続けて行ったし、今もそうなのですから、それはそれで価値ある人生を生きたのではないでしょうか。幼き日のアルファルファの記憶に敬意を込めて。合掌。(1999/11/27)

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  • 教会の奇跡
  • 今回はクリスマスシーズンと言うことで、こんなお話を。こちらからの引用。この話自体は実話ですが、あまりに出来すぎた話であるため、別の都市伝説の素材となったり、ドラマや映画のストーリーのモチーフとなって現在も引き継がれているようです。

    1950年3月1日、ネブラスカはベアトリスと言う町での出来事。その日の夕方、その町にあるバプテスト教会のクレンペル牧師が、7時半から始まる聖歌隊の定例練習にそなえ、暖炉をつけて一たん家に帰りました。夕食を済ませ、妻と娘をつれ教会に戻ろうとしたとき、娘のドレスが汚れているの気づき、着替えを待っていて、戻るのが遅くなりました。

    聖歌隊メンバー、高校生のラドンナは、いつもは早めに出かけるのに、宿題に出された地理の問題に手間取り、その日は遅れてしまいました。近所のメンバー、ロエナは準備が出来ていたのに、何故か車のエンジンがかからず、ラドンナと一緒に教会へ行くことになり、結局遅れてしまいました。

    ほかの聖歌隊メンバー、レナード夫人は娘のスーザンといつもなら7時過ぎには教会に着くのですがが、その晩は母親の手伝いのため遅れてしまいました。旋盤工のハーバートは重要な手紙を書いていて、出かける時間なのに、「どう書いていいか判らず」なかなか出かけられないでいました。

    その日はとても寒い夜でした。速記者のジョイスは、「単にけだるくて」暖かい家を離れられず、ぐずぐずと出かけるのをためらっていました。技術者のハーベイは妻が出かけていたので、二人の子供の面倒を見て、いつになく手間取り、出発時間に遅れました。聖歌隊の指揮者であるポール夫人は、午睡していたピアニストの娘がなかなか起きなかったので遅刻してしまいました。高校生のルシルとドロシーはお隣同士で一緒に出かける約束をしていましたが、ルシルがどうしても最後まで聞きたいラジオ番組があるからと言って、二人とも7時半にでることにしました。

    7時25分ごろ、大音響がベアトリスの町に響きました。バプテスト教会が爆発したのです。壁はあたりに消し飛び、屋根はすっかりバラバラになって散らばっていました。しかし、爆発当時そこに集まっていたはずの聖歌隊の人々は、偶然の事情でみな遅刻し、誰も現場にはいなかったため、怪我人はいませんでした。

    消防隊は壊れたガス管から漏れたガスが教会に入り込み、暖炉の火に引火したのではないか、と考えました。聖歌隊の人々は、事故の原因に心当たりはありませんでしたが、みなそれぞれに、自分たちの命が救われた偶然を想い、まさしくこれが「神の御わざ」であったと知り、深く神に感謝の祈りを捧げたと言うことです。

    確かに神の御わざは図りがたきものであるようですが、「そこまでするならその前に『ガス漏れ』直しといてくれよ」と思ってしまうのはバチあたりの異教徒ゆえでしょうかね。(1999/12/02)

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  • 脳味噌パーン!
  • AFUフォーラムに「最近出回っている話」として本年12月初め投稿された記事から。

    先ごろモスクワで開かれたチェス選手権大会の最中、一人のプレイヤー、ニコライ・チトフ氏の頭が突然破裂して死亡すると言う奇妙な事件が起こった。他の選手、大会役員は無事だった。医師たちは死因を「脳内電解質過剰症」といわれる稀なケースだと推測している。 対戦相手のウラジミール氏は語る。「チトフ氏は盤面に意識を集中させていました。すると急にこめかみに手をあてて苦しげに呻きはじめたんです。周りの人間が彼の方を向いたとき、変な雑音が聞こえ、その直後にまるで誰かが爆弾でも仕掛けたように、彼の頭がクラッカーみたいにはじけ散ったんです」

    信じがたいことに、チトフ氏がこういう頭蓋爆発の最初のケースでは無いと言う。この25年の間に既に5人が「脳内電解質過剰症」による頭蓋爆発で死亡しており、最近では91年に起こったヨーロッパの高名な霊能者バーバラ・ニコルの例が知られていると言う。「『脳内電解質過剰症』は極めて稀な生理的不均衡現象です」高名な神経学者であり、チトフ氏の解剖も手がけたマルチネンコ博士は語る。「それは脳の神経組織に体内電解質が一気に流れ込んだ状態です。精神活動が濃密になってある限界を超えると、過大な電気活動が一気に脳内で起こり、爆発に至るわけです。犠牲者たちはみな非常に高い知性と集中力の持ち主で、脳内活動の過剰負荷を長く維持できる人々でした。文字通り『賢すぎる』わけですね」

    博士は表面化していない症例が多くある可能性にも触れたが、この状態で死亡する例は極めて少ないことを重ねて強調した。「この素因を知るのは困難です。医学はこの状態を詳しく解明しているとは言えず、症例も稀なことから、詳しい研究を開始するにはまだ時間がかかると思います」当面、博士は次のような対処を人々に勧めている。「のんびりと構え、長時間考え詰めないことです。精神集中が必要な作業では時々休みを取りましょう」

    「脳内電解質過剰症」は非常に稀とはいえ、確実に死をもたらす。マルチネンコ博士の考案した調査表があなたの素因を知り、これによる死を免れるのに役立つかもしれない。博士によれば以下の7つの質問に3つ以上の「はい」がある人は素因がある可能性が高いという。

    (1) 考え事をしているとき、よく頭痛がありますか?

    (2) リーン、リーンとかブーンと言うような耳鳴りがありますか?

    (3) ある考えを頭の中から追い払えないように感じる時がありますか?

    (4) 一日5時間以上の読書をしたり、書き物をすることがありますか?

    (5) 腹が立ったり、いらいらしたとき、こめかみに圧迫感を感じませんか?

    (6) アイスクリームやドーナツなどの甘いものを発作的に大食いしたことはありませんか?

    (7) 自分自身を過剰に自己分析するタイプですか?(Weekly World Newsより)
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    以上なかなかの大作なんですが、投稿者が削除し忘れたらしい最後の“Weekly World Newsより“というところで素性がばれてしまっています。WWNは「真実の報道」とはもっとも遠いところに位置するアメリカの週刊新聞で、事実の改ざん、でっち上げ、虚報を駆使して「人にうける」という一点を狙った記事を書くので有名な新聞です。でっちあげ専門とはいえ、独善的な正義感で他人の私生活を詮索する某国のマスコミなどと比べるのももったいない、ジョークに徹する理念が貫かれており、これはこれで「情報伝達」の本質を示しているとも言えます。

    AFU掲示板での議論では、これは94年5月にWWNに掲載された記事を一部改竄したモノであることがすぐに指摘され、この記事を引用している数多くのページが紹介されていました。この記事そのものについて言えば、脳が爆発するメカニズムについてもう少しもっともらしさを追求すれば良かったのに、と言わざるを得ません。「電解質」と言う言葉から「電気活動亢進」「爆発」の連想を期待しているのでしょうが、それではちょっと弱い。「脳活動亢進」「脳内伝達物質過剰」「NH基の一部がニトロ化」「爆発」ぐらいの牽強付会さが必要では?

    いずれにせよ、アタマの使いすぎが健康に良くないのは万人認めるところなので、先のWWNのウェブでも見ながら、「アタマを取る」作業でもしましょう。何せ只だから。(1999/12/08)

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  • 女子高生オナニー伝説
  • いやはやまことに下品な題名になってしまいましたが、お許し下さい。これは久々の自験ネタです。筆者は関西地方の近郊地帯で少年時代を過ごしましたが、そこで数回の引っ越しをしています。そのころどこに住んでいるときでも聞かされたうわさ話にこう言うのがありました。

    「あそこにある女子高のことを知ってるか?。あそこに行く連中はスケベ女ばっかりで、いつもアレのことばっかり考えているんだ。ちょっと前には、授業中に「電球」使ってオナニーしていた女生徒がいてな。教師がこの生徒に突然質問したもんで、びっくりした拍子に体の中で電球が割れてしまったんだ。女生徒は下半身血塗れ、大騒ぎになって病院にかつぎ込まれたんだけれど、結局出血多量で死んでしまったらしい。勿論本当にあったことさ。みんな知っているよ」(これは勿論、明石家さんま風のディープな関西弁で語られる訳ですが、その場合、あまり隠微な感じがしなくなるのが面白い)

    女子高が女子大になっていたり、ある女性従業員の多い企業になっているバージョンもあり、使用する物体が「真空管」になっている場合もありました。確かにそう言う目的のためにはそちらの方が適しているような気もしますが、今やちょっと一般にはイメージしにくいモノになっていますね。秋葉原でもなかなか適当なものが手に入らない。ICでは役に立たないしねぇ。昔あった米軍放出のメタルGT管ならもっとも使用目的に合い、かつまた安全に事を運ぶことが出来るでしょうが、それではこの話が成立しないのが残念なところ。

    そもそも授業中にそんなことを始める設定が強引で、しかもわざわざ危険のある壊れやすいモノを使うという二重の無理がある話なんですが、思春期前期の筆者達にはこの話が持つ閉塞的なエロス感覚がとても効果的に作用し、誰もが知っているのに、幾度となくひそひそと囁き合ったモノでした。性的に成熟する以前の、ギャングエージと言われる世代の少年集団を統合する神話としての機能がまずあったといえるかもしれません。

    その後たっぷりと身体的に成熟した後でも、この話は猥談としてしばしば顔を出し、結構本当の話として信じ込んでいるオッサン連中が数多くいたので、少なくともある世代、ある地域で共有された男性集団の女性に対する性幻想として機能し続けた(もしかすると今でも機能し続けているかもしれない)ものと言え、そのメッセージ内容を簡単に言えば「女性は自らの命を懸けてもペニス支配に進んで従属し続ける」ということになるでしょうか。性的関係における男性優位を確認しようとする、はかない意図を見て取ることが出来るでしょう。勿論、そこには女性が性的欲求を堂々と主張するようになり、やがて対等化するに違いない予感も幾分か込められているように思います。

    世代、地域に限定されているように書きましたが、ある都市伝説関連の掲示板で質問してみたところ、他の地域でもこのバリエーションは結構流通しているようです。地域親和性がそうあるはずもない、性をめぐる神話としては当然のことといえるでしょう。(1999/12/08)

    #orochiさんの開設しておられる"Urbanlegends-噂と都市伝説-"の掲示板では常連の方に色々とアドバイス頂きました。協力まことに有り難うございました。

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  • 身体内異物伝説
  • きわもの伝説が出たついでに、「体の中の異物」をテーマにした伝説をいくつか紹介してみます。先に取り上げた「虫に身体を中から食われる」タイプもこれの一種とは言えますが、より性的意味合いが優先しているのが今回取り上げる内容。

    異物と言うことで有名なのが、ブルンバンの第一作でも取り上げられている「直腸の中のアレチネズミ」でしょう。男性同性愛者のカップルが、セックスプレイに工夫(?)を凝らしたあげく、パートナーの直腸にネズミを入れてしまい、出てこなくなって災難に遭う話です。ウエブでも読めるその内容を少し要約してみます。
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    ロサンジェルス・タイムズより。「考えてみればマッチに火をつけたのが失敗だった」エリック・トマチェウスキー氏はソルトレークシティ病院重症熱傷センターの医師にそう語っている。彼と彼の同性愛パートナー「キキ」ことアンドリュー・ファーナム氏がそこに入院しているのだ。

    「俺は段ボールで筒を作って奴の肛門に差し込み、そこからネズミを入れたんだ。キキはとっても感じたみたいで、もういいだろうと思ったんだが、ネズミが出てこないんだ。そこで火を見せたら寄ってくるかと思ってマッチを筒先に持っていったんだな」

    病院当局者によればこの時大腸ガスに引火し、炎が筒から吹き出してトマチェウスキー氏の顔面に吹きつけ、ネズミの毛皮にも火がついて筒から弾丸のように飛び出したと言う。

    トマチェウスキー氏は顔面に2度熱傷を負い、ネズミがぶつかった衝撃で鼻骨を骨折した。ファーナム氏は直腸と肛門周囲に1度ないし2度熱傷を負ったという。
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    保守的な層の同性愛者バッシングとして生まれてきていることが明白なこの伝説は、同性愛者を日常性の枠外に置こうという意図がかなり透けて見える構造を持っています。都市伝説と言う物は基本的に差別や偏見と無縁ではあり得ないというか、そう言う物がエネルギーとなって生じ、流布されていくことがしばしばあるとは言え、こういう少数派へのからかいはいまいち筆者の好みではありません。まあこういう伝説を生んでしまう側の品のなさが、逆に人間総体の愚かしさへの批評行為となっていると考えればいいのかも。

    この話では名もない同性愛者カップルになっているのですが、数年前、かの映画俳優「リチャード・ギア」の話としてこれは再流通したとのこと。これの方は実に様々なヴァリエーションがあり、リチャードは一人寂しくこの行為を行っていて、ネズミが出てこなくなってロスの病院に駆け込んだのだとか、いやそばにいたのはシンディ・クロフォードだったのだとか、えらくトリビアルに、ネズミは挿入しやすいように毛を刈られていたとか様々。この噂話にリチャード自身は全くの黙殺を決め込んだ(そりゃそうだ)のがまた噂に拍車をかけたんだとか。

    この噂が流れたのはリチャード・ギアが映画「プリティ・ウーマン」で大人気を得た直後だそうで、映画の中のカッコよくてプレイボーイの大金持ちイメージと、日常の孤独を愛する純朴な人柄(大金持ちではあるけれど)の落差につけ込んで、妬みと悪意を込めて意識的に作られたものと思われます。もっとも上にあるような古典的な伝説を手本とすること抜きには成立はしなかったことでしょうが。他者の性的性向へのからかいは(根拠ありなしに関わらず)、嫉妬に元づく悪意にすぐ結び着いていくものであるのは、あまたのセクハラ事件などでもしばしば見聞きするところです。(1999/12/22)

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  • 体内異物伝説2
  • 少々長くなるので、分割しました。さて、我々の臨床現場ではこの身体内異物と言うのはごくまれに診ることがあります。実際そう症例が多いわけではないのでしょうが、ひとたびこういう例が来ると不謹慎とは思いつつ、医者仲間で格好の話題になってしまうので、いつの間にやら自分で診たことがあるような気になってしまう面もあるようです。筆者は学生時代の臨床実習でこういう例を体験しました。

    泌尿器科の実習の時、様子のおかしい高校生を受け持たされました。この少年、言うことがはっきりせず、何を聞いても「いや、その…」ばかり。ようやく一ヶ月ほど前から尿が出にくく、時々血尿が出たり、尿意があるのに全く出ない事もあるというのを聞き出します。尿検査でも炎症所見があり、まあ普通の膀胱炎であろうと、教授の前で報告しました。教授の言うには、若い男性の膀胱炎にしては続きすぎる、血尿の程度もはげしい、排尿困難になる理由が弱いということで、膀胱鏡検査を行う事となりました。しばらくして膀胱鏡検査をしている教授が筆者を呼びます。「おい、これを覗いてみろ。何だと思う?」

    筆者がみると、膀胱の中に白い中空の物体が数個漂っていました。「うーん?マカロニですかねぇ?」教授曰く「馬鹿者、なんで膀胱の中にマカロニなんぞが入っていなきゃならんのだ。これは『灯明』だ。ローソクだよ」ローソクだって膀胱の中に入っている訳はないのだから、「馬鹿者」は無いのではないかと思いつつ、「は?何でまたローソクなんぞが?膀胱-直腸瘻でもあるんでしょうか?」と尋ねると、「馬鹿者、直腸ならローソクがあるというのか。自分で入れたに決まっているだろうが。お前らはちゃんと患者から情報を取るということが出来ないから、訳の判らん事ばっかり考えるんだ。男性の尿道マスターベーションってのは結構あるんだ。色んな可能性を考えてちゃんと問診しないと判るものも判らんのだ、馬鹿者」

    「馬鹿者」三つは余計だな、と思いつつ、世の中には妙なことをする人がいるものだ、という教訓を得てこの日の実習は終わりました。あのローソクはどうやって取りだしたのか確かめなかったのが残念。

    その後、こういうものにお目にかかる分野を選ばなかったこともあり、自分で経験することはありませんが、文献などを見ると実に様々な異物が身体のあちこちに挿入され、とれなくなって病院に来ることがあるようです。尿道では、鉛筆、ボールペン、箸、ヘヤピン、中には生きたドジョウなんてのまである。

    例によってMEDLINEで"Foreign body"で調べて、体表から挿入されて自分で手に負えなくなった例に限定してみると(例えばのどに魚の骨が刺さったなんてのは除外)、全部で977例がここ20年間の論文として登録されており、その内訳を見ると、女性の膣が200例、男女問わず直腸が294例、そしてもっとも多いのが膀胱内(これも男女問わず)で483例という比率になります(やたらに多いじゃないか、と言われるかもしれませんが、これは世界中の医学論文のデータベースであると言うことにご注意を。まあ論文になってないケースはもっと多いのだけど)。元々固形物を入れる構造になっていない所に異物を入れたらトラブルになりやすいのは自明の理なので、異物マスターベーションは尿道がもっとも頻度が高い、と言うわけではありません。

    関連の検索をしていたら、肛門-直腸系に純化した、こう言うサイトを見つけました。医学専門サイトでは無いようなのですが、専門論文がレントゲン所見もつけて集められており、実にわかりやすい内容になっています。これを見ていたら、先の直腸ネズミ伝説もあながち荒唐無稽とは言い切れない様な気がしてきます。(1999/12/22)

    #先の「女子高生オナニー伝説」のような報告例はあるのか、という疑問というか好奇心が生まれて来るのは必定でしょうが、読み飛ばした限りではそう言うのは見あたりませんでした。直腸なんかが傷害される例はよくあるようですが。考えてみればあちらの方は元々異物(?)が入ったり出たりすることを前提にして設計されていますからねぇ。

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  • くっついたカップル
  • 今千年紀の締めくくりは下ネタで決めよう、と言うわけで、このコーナー開始直後に取り上げた「膣けいれんで救急受診」の続編を書かせていただきます。そちらの方に書かせていただいたように、「性行為中のカップルが、女性の膣けいれんのために離れられなくなって救急受診する」という話はあちらこちらで聞きます。その片方、もしくは両方が芸能人であったとして噂されることがしばしばあり、筆者が聞いたことがあるだけでも数人の組合わせが噂されていたし、今後も新たな組み合わせで噂されて行くであろうことは前に述べた通りです。

    芸能人の組み合わせでなくても、この状態を見たと主張する医師はいないではないのですが、よく聞いてみると「先輩から聞いた」とか「昔あったことだと病院で噂されていた」というような話にしぼんでいってしまいます。「僕が医者をやめた理由」というベストセラーを書かれた永井明氏もその著書の中で(どれだったか忘れたが)、この状態のカップルを見た事があると記されていますが、筆者には疑わしく思われます。医者というのは研修過程や学会での意見交換の過程で、自分で経験していないのに経験したことがあるかのように思いこんでしまうことが希にあり、ましてやこういう神話的内包を持つ話になると、昔話を聞かされた子供が自分の経験であるかのように感じるのと同じ心的プロセスを取りやすいといえます。また、解剖学的にいまいち説得力がなく、全国の救急病院で現役で働いている多くの友人達が、誰一人これを経験していないというのも理由ではあります。#

    先にもちらりと書きましたが、これがはじめて(そしておそらく最後でもあるでしょうが)医学論文として報告されたのは「フィラデルフィア医学ニュース」の1884年号で、密通していたカップルが現場を押さえられた際、女性が驚いて膣けいれんを起こして離れなくなり、麻酔をかけて治療したという陸軍軍医を自称する医師の署名入り手紙の形をとっていました。1971年、これを詳細に検討した物好きな人がおり、その調査結果によると、この手紙は近代臨床医学の開祖とも言われるサー・ウィリアム・オスラーによる、この医学雑誌の編集をしている友人をからかうためのイタズラであったことが判明したそうです。(J・H・ブルンバン「チョーキング・ドーベルマン」(新宿書房)より)

    その調査過程で医療関係者を対象にして「実際にこの状態をみたか否か」が調べられているのですが、殆どの人がそれを「聞いたことがあり、実際に起こったことだ」としていながら、実際に見たことがあるのは一人だけで、それも「飼い犬」の身に起こった事だった、と言う結果。(犬や猫にはペニスに脱落防止のためのメスの体内に食い込むストッパーが付いているというような話を聞いたことがあるので、これは起こり得るかもしれません。人間には、えーっと…、付いてないみたい)

    それはともあれ、このオスラー卿によるイタズラの内容は現在も流通している伝説の中身を完全に先取りしており、「非難されるべき不義の性行為である事」「それが露見したための驚きによる発症」という2点が完備しています(多分それ以前から伝説として存在していたのでしょうね)。極めて保守的な立場(それも男性中心の)から見た場合の「怪しからぬ連中」への報いが実現されているわけ。

    ブルンバンは同じ著書の中でこの伝説から派生したが、そうしたものとはわずかに違う方向性を持つに至った伝説を紹介しています。またまた引き写しになりますが、ご了承を。

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    共稼ぎの女性が、ある用事で昼休みに自宅に戻った。すると家には夫の車がある。家にそっと入るとベッドルームから悩ましげな嬌声が聞こえるではないか。彼女はそっと家を出て復讐を考えた。

    夕方、帰宅して豪華な夕食を作り、セクシーなネグリジェに着替えてワインを冷やし、夫とロマンティックなディナーを楽しんだ。食事の後、彼女は夫をベッドルームに誘い、服を脱がせて性的に興奮させた。そこで彼女は隠し持っていた瞬間接着剤で夫のペニスをおなかにくっつけた。夫はそれを外すために手術を受ける羽目になった。
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    ここで性的逸脱に走るのは男性だけで(そりゃまぁ相手はいますがテーマになってない)、それへの報いは「女性の立場からの正義」によってなされれています。このくっついたペニスは男性の側の性的放埒に対する不安を象徴しつつ、なおかつ女性に主導権のある制裁であるところが、男性優位の伝説から一歩抜け出る内容になっています。かの「エイズ・マリー」伝説とも通じあうところがあると言えるでしょう。

    即物的に言えば、この伝説は事実ではあり得ません。瞬間接着剤でペニスをお腹にくっつけられても、外すのに手術が必要な訳がないからです。人間の皮膚は常に新陳代謝していて、表面は常に脱落して下から新しい表皮が上がってくるので、ちょっと放っておけば自然に離れます。おしっこもせにゃならんので待ってられないというなら、お湯の中でゆっくり揉みほぐせばすぐ外れるでしょう。よく爪が割れて困ると言う主婦に瞬間接着剤での応急処置をアドバイスしますが、台所の水仕事すればすぐに元に戻っちゃうんですよね。もし恋人なり奥さんなりに、お仕置きでペニスをお腹にくっつけられたという人がいたら、焦って病院に来る前にまず試してみましょう。

    フェミニズムへの言及で締めるつもりが、瞬間接着剤によるペニスくっつけ復讐対策になってしまったところで、今ミレニアムの更新はおしまいです。(1999/12/24)

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    #そのうちの一人から聞いた「ある中年夫婦が少々アクロバティックな体位でコトをなしているとき、ベッドから転落してしまい、旦那さんがpenis fracture(これ、陰茎骨折と言うんですよね。骨もないのに)を起こしてしまって救急受診した」と言うのがこの話に似ていないこともない唯一の例。ほっそりした小柄な奥さんが巨漢の旦那をおぶって受診したという話になってた。これだって、本当に経験した話なのか、昔からの言い伝えを信じて吹聴しているだけか、何とも言えません。


  • なぜ「都市伝説」なのか(その1)
  • 2000年初頭はまず原則的なことからはじめたい。そもそも筆者が都市伝説に興味を持ったきっかけとか、それが職業的な関心とどう関わっているのか、と言うようなことは一度ふれておいたほうがいいと思うからだ。それと、今回から文章を「です、ます調」から「だ、ある調」に変えた。今までは「企業広報」という性格からそうしたほうがよいと思ったのだが、ただでさえ文章の歯切れが悪いのにますますのんべんだらり文になってしまう傾向が強くなるように思い#、あらためることにした。面倒だから今までの分は変更しない。ほかの部分はこれまでと同じでいくつもりだ。#いま読み返してみたが、何も改善されていない。語尾の問題ではないようだ。

    さて、こういう市中の弱小病院で臨床をしていると、「権威で押し切る」ということが出来ない。大学病院や、実体はともあれ田舎では有名な病院で仕事をしていたときは、権威をひけらかしたつもりはなくても、利用者のほうで初めからそれを求めてきている面があり、若いペーペーの時でも診療方針は治療者側の言うままにあいまいに進むということが多かった。単に時代の問題なのかもしれないが、筆者は時とともに勤める医療機関が胡散臭いところになっていく傾向があり(えーこれは比較の問題でこの病院がとても胡散臭いといってるのではないので注意)、どうも患者さん側がこちらを見る目が「大丈夫かいな、こいつ」という雰囲気をもっているのを強く感じる。たしかにそう大丈夫ではないのだが。

    いきおい治療方針の説明や経過の解説は昔と比べてずいぶん時間をかけるようになった、と思うがこれがまたそうすればそうするだけ誤解を招くようになったようにも思うのだ。時間をかけ、専門用語を出来るだけ避け、新聞マスコミレベルで解説されている言い方を使って説明するのだが、うまく理解されると言うことはそう多いことではない。

    こうした時、案外うまくいくのが「たとえ話」による説明だ。それもこのたとえはよけい訳わからん話になるかな、というような内容が好まれるようだ。高齢者で肺炎からショック状態になって、ステロイド剤などもつかってなんとか持たせている場合など、肺炎の状況とか、ショックの定義とかステロイド剤の限界などをいくらわかりやすい解説を心がけて話しても「素人なので判らない」といわれるのが関の山。これにたとえば「今は大きな船が沈みかけているようなもので、この薬は傾いた船を安定させるのに、反対側に水を入れているようなもの。むしろ沈むスピードは速くなるかもしれない。ちょっと反応が出てきたようなのも沈む船から逃げ出すねずみの群れだと思う方がいい」などと、少々乱暴ともおもえる説明をするとよく納得してもらえる(もちろん普通の解説もする)。問題は論理よりもイメージなんだ、「物語」としての説明を心がけるのが理解はされないかもしれないが、納得はされると感じたのはつい最近といってもいい。

    外来などでも同じ体験はするが、すぐにシビアな事態に結びつくものではないだけに、よけい理不尽な思いをすることも多い。たとえば「降圧剤」をめぐる90%以上の患者さんとのやりとり。いままで健康体で来て、検診などで高血圧を発見され、たしかにちょっと進んできているから気になるなら降圧剤を服用しますか、というとまずこういう返事が返ってくる。「でも、降圧剤って、飲み始めるとやめられなくなるでしょ?」

    これは医学ピンポイント都市伝説ともいえる誤解で、たとえば「おなかが減っているようだからご飯を食べたら?」とすすめて、「でも、ご飯って、食べてもまたおなかが減るだけで、食べるのをやめられなくなるから食べない」と主張する人はおらず、これと同じ事を降圧剤の場合だけなぜ揃いも揃ってみな言うのか、理解は困難だ。薬と言うものは飲んだときに効くだけで、飲まないときまで効くものがある訳がない。高血圧は一種の体質だから、それが進んでいって血管病変などを深刻にしないように対症療法するだけだ。やめればリスクは元通り。ほかの多くの慢性疾患用薬も同じだ。

    薬でいうと、これ以上の反応を引き起こすのはいわゆる「安定剤=抗不安剤」だが、これは直接的苦痛、不眠とか不安とかがあるので、拒否感にもかかわらずまず受け入れられる。不思議なことに「抗高脂血症剤」ではこれがない。高額の医療費がこれに費やされている割に必要性が一部で疑問視され、最近ではむしろ寿命を縮める可能性まで示唆されているのに。

    ちょっと考察すると、降圧剤は神聖な心臓の働きを幾分か弱めるというイメージを担っているのではないだろうかと思う。人の中枢をコントロールする不埒な薬であるだけに、やめた時の自然からのしっぺ返しは大きいに違いない、と言う連想が働くのだろう。抗高脂血症剤の場合は、「浄化」というイメージが作用するに違いなく、この現代版不浄払いのお札を人は必要なくても求めるのだろう。「体質を変える」と称する詐欺的治療に人々が見事にひっかかるのも、この「浄化」への希求が原因に違いない。

    このように、一般的な日常臨床でも「論理」と「物語」はしばしば奇妙な乖離と癒合を示して治療者の前にたち現れる。筆者が「都市伝説」に興味を持ったのは、今述べたように、なぜ人は非合理を信じることを好みながら、合理的社会(と信じられている)制度の中で暮らしていけるのかという疑問と、もう一つそれ以前の筆者独自の経過があるからだ。(続く)(2000/01/05追加)

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  • なぜ「都市伝説」なのか(その2)
  • 実は筆者は臨床のキャリアを「精神医学」からはじめた。約20年を精神科医としてすごしたが、初期研修に続く駆け出しの10年以上を、いわゆる「精神病院」ではなく、総合病院の精神科という他科との連携が比較的緊密な環境で働いてきた。当然そこでは月に4〜5回は一般当直もしないといけないし、ほかの医者が出払っているときなど(なんだかしょっちゅう出払っていたようにも思うが)、他科診療のちょっとした手伝いだとかもすることが多く、一般プライマリケア医としての仕事が30%ほどの比重を占めていた。逆に内科や外科の医師たちからは、精神科医ならふつう習得せずに終わるような技術をずいぶんたくさん教えてもらえた。

    これが精神科医として自分を鍛えていくのに邪魔になった、と言うことはまったくなく、患者側のどんな身体状態にも臆さずに対応できることのメリットは計り知れないし、何より精神科疾患の患者さんの多くはその基本的なところに「身体的健康への強い不安」を持っていて、その部分で誠実に身体医学的な対応をすることが、彼らの精神的健康保持への協力者としての信頼を勝ち取るのにとても有効だった。これはどんなに深遠に迫る精神療法をしていても得られぬ部類の信頼だと筆者は思う。

    時は流れ、精神科医としてシビアに働くのがしんどくなり(精神科医は外科医以上にエネルギーを消耗する仕事だとおもう。世の人の想像とは違うだろうが)、ある事情からキャリア副産物のプライマリケア医として糊口をしのぐようになった。その場合でも精神科医の癖として、身体疾患そのものではなく、身体疾患に対する不安をみるのが優先するため、肝心の病気への対応が後手になる傾向はありつつも、俗に言う「病気ではなく人間をみる」のに多少近いことが出来ているのではないかな、と考えたりする。無論人間をみているわけではない。身体疾患によるパターン化された不安や2次的トラウマをみているのだ。

    精神科医として仕事をしているとどうしても避けてとおれない症状がある。「妄想」と言うやつだ。「病的な誤った判断、もしくは観念」とまとめて言われるがこれではあまりよくわからない。ヤスパースと言うドイツの精神医学者は、実に数少ない臨床経験と先達の残した文献の考察だけから、大部の精神医学の原則的書物を数多く書き、それでも飽き足らず実存哲学の一派まで自前で作ってしまった人だが、彼の定義では、「(1)並外れた強さの確信(2)経験、推理などによって影響されない。ましてや他人に説得されて訂正することなどない。(3)内容は現実的にはありえない」という3点がその本質とされる。

    「昨晩裏山にUFOがおりてきた」と村の男1が主張し、村の男2、3が「何言ってるだ、誰も見ていないぞそんなもん、飲みすぎて鴨居に頭でもぶつけた時の火花を見まちがえたんだべ」とはやされて、「確かに見たように思うんだがなぁ」としぼんでしまうようならそれは妄想ではありえない。そもそも、単なる異常現象の(比較的)冷静な報告ぐらいでは(1)の条件からしてクリアしていない。「この裏山には元和元年に飛来してきたUFOが埋まっていて、早晩機能回復して地球を支配することになっている。まえもってそれを告げて、準備をするようテレパシーで指令があった。地球人の代表として選ばれたのはこの俺だから、これからは俺を地球の代表と呼ぶように」と村の男1がまなじりを結してその他の村人に高圧的に命令し、説得も無視するような状態ではじめて妄想といえるのだ。もちろん、いつまでたっても裏山のUFOが再起動しないことなど、この男の思い込みにはいささかも関係しない。

    この男の思い込みはまず他人と共有されることはない。話を聞きつけて矢追純一氏やたま出版の編集長氏がこの男のもとを訪れたとしても、彼らがこれを「田吾作山に眠る元和元年のUFO蘇りを待つ!」という特別番組にしたり本にしたり、などということは絶対無いだろう。村の男1にはUFOによってテレパシー指示をされるという体験は疑うこともない事実なので、それを証明したり、他人にわかりやすく伝えるという努力はまずしない、というかその必要を感じない。矢追氏や韮崎氏が自分のしもべにもならず「客観的」な事実ばかり聞き出そうとするのに怒りだしてしまうのが落ちだろう。まあこの例は筆者が勝手にでっち上げたのだが。

    ふつう、こういう風な「別のパワー的存在から指令がくる」という幻聴体験の合理化と解される妄想は、初めの時期の単純さはすぐに失われ、指令を出す側への評価が2極分化して(パワーを与えてもくれるが、不安にもさせる→いい宇宙人と悪い宇宙人がそれぞれ指令してくる、などと変わる)それがさらに対立項を増殖させていき…と言う経過をたどり、支離滅裂化、そして最後には内容の貧困化、人格水準低下とつながっていくのが普通だ。

    宗教的恍惚体験のような体験から、自分にある種のパワーが備わるという妄想の場合になると、外枠はまったく上の定義どおりなのだが、ほとんどあたらない予言をしてみたり、「癒し」行為を周囲に働きかけるといったある意味での「共有化」努力がみられることがある。ここで社会とのギャップをそれなりに埋める努力をしてくれる協力者が現れたり、もともとの人格に柔軟性があって、社会適応をうまく二重見当識でやりこなす能力にも恵まれ、「天声を聞きつつ蓄財にも励める」ようならば、この人は新宗教開祖として大成するかもしれない。

    筆者は直接習う機会はなかったが、研修を受けた精神医学教室の先代教授はガチガチの妄想疾患の場合でも病者の「共有化能力」=「社会性」の発見と育成をちょっとスタンドプレー風にやったらしい。ある分裂病の少女の芸術表現力が卓越しているのをみて、積極的にテクニックを磨かせ、人脈を駆使して外国の芸術界にデビューさせる手伝いまでしたようだ。#この少女は長じて、日本現代芸術の開祖のように扱われている。もちろん「それで治った」と言っているわけではない。先日TVでみたこの芸術家は、やはり慢性化による障害を強く感じさせる人ではあった。しかし、先代教授の努力がなければ、この人は古い精神病院のベッドのなかで一日を過ごすだけの人になっていた事は明白だと思う。現代芸術界が、重要な才能の一つをうしなっていたのも間違いない。筆者たちが診療現場で出会うほとんどの病者たちは、この例のような才能を欠くので、「共有化」能力の発見とその維持強化はきわめて地味な側面で行う必要があり、それはまたとてもきつい仕事だ。

    #こういう「先代は偉かった」というたぐいの話はそれ自体、歪曲と理想化を駆使した伝説であることがあり、どこまでそのまま信頼できるかは怪しい、と言うことは付記しておきたい。

    先に派手なパワーを取り込むような例をでっち上げたが、実際の妄想はもっと控えめと言うか、日常的な意識からの延長とも言える内容であることも多い。もちろんどこかで超越的なものにつながっている部分があることも多いが。とくに、ある程度高齢になって発症するタイプでは、近隣との軋轢を説明するようなもの、たとえば「隣家から毒ガスで攻撃される」と言うような内容がよく見られる。

    このタイプは比較的第三者をよく受け入れてくれ、自分の被害状況を「実証的に」説明してくれる場合などもある。また、家族内に妄想が「伝染」していることが多いのも特徴だ。地域で孤立して暮らす老夫婦が二人ともこれに陥っているケースを数例経験し、自宅に往診するということもあったが、ほぼ全例とも彼らは医療の介入を拒否しなかった。彼らはその几帳面さと行動力に応じて近隣からの毒ガス攻撃への対策をとり(外に洗濯物を干さないレベルから、「オーメン」に出てくる神父のごとき徹底したうち張り、コスモクリーナーのプロトタイプを思わせる自家製空気清浄機などなど)、それでも防ぎきれない攻撃の証拠をいろいろと示してくれた。それらすべてが筆者の目には、長年の雨風で生じた壁のしみや、ガラスのくもり、空中に浮遊するほこり、ごみのたぐいであると思われたが、身体的な不調感と一体になった主張はやはり確信に満ち、訂正は不能という妄想の特徴を示していた。現実的にありえないのもまず間違いはない。某教団はこの状態を一時、数千人規模で呈していた。彼らはどんな意味でも社会との接点を失っていなかったし、皮肉にもそれが最悪の悲劇を招く原因になったのはご承知のとおり。

    フランス語でフォリア・ドゥ(二人精神病)と名づけられるこの状態(もちろん病的状態に陥る人の数が頭につく。某教団なら多数精神病、フォリア・ミルなんとかとでも言うのだろう)は、自閉的思考のゆえに孤立するのが普通の妄想の中では、先の(出来のいい)宗教的妄想とならび、限定的ではあれ共有を病者から求めてくることが多いのが特徴的である。それゆえ治療的介入の糸口もあるし、少なくとも社会的適応のレベルだけは守っていくことがやりやすい(場合がある、と言いなおしておこう。そんなにやさしい例ばっかりだったら楽でいい)。(続く)(2000/01/05追加)

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  • なぜ「都市伝説」なのか(3)
  • さて、ようやく都市伝説にふれるタイミングがつかめた。「ロマンチックな狂気は存在するか」(大和書房)を初めとする精神病理エッセイで知られる気鋭の精神科医、春日武彦氏はその最新刊「屋根裏に誰かいるんですよ。都市伝説の精神病理」(河出書房新社)のなかでこうのべておられる。「妄想は、病んだ精神によってもたらされる現実の変容を、『奇妙な憶測、異様な解釈』を以って説明し確信することによって生まれ出てくるのであった。妄想は他人に語っても同意を得られることがない。むしろ周囲の賛同を得られず病者が孤立していくことによって、いよいよ妄想は病者にとって確固たるものとなっていく」。ちょっと筆者とはとらえ方が違うが、さきほどまでくだくだしく書いたことを別の面からうまくまとめてある。「都市伝説と称される物語もまた、現実生活の背後に感知される不安感や違和感に対する『奇妙な憶測、異様な解釈』によって形作られていると考えることが出来るだろう」「しかもそれは所詮、誰の心の中にもある『物語の胚芽』が発芽したものにほかならない」

    ではその違いはどこにあるのか。春日氏の分析は残念ながらこの点では少々鋭さを欠くようだ。都市伝説は「基本的には面白主義と言うかエンターテインメント指向があり、また他人に語られたときに何か思い当たる心情(共通感覚)が伏在しているがゆえに共感を得て、噂話としてどんどん流布していく」。さきほど主張されたように、誰もが持つ「物語の胚芽」が両者を生むのなら、なぜ妄想にはそれを聞く人に「思い当たる心情」を引き起こさないのか、これではよくわからなくなってしまう。面白主義の不在だけが妄想の特長なら、精神科医はまずギャグ教師として病者の前にあらわれるのが最も効率的だろう。ん、案外効果的かも。

    春日氏もその著書の中でかなりの部分触れておられる二人精神病に特徴的なように、妄想にも限定的ながら「共通感覚」を呼び起こす力はある。問題はむしろ、「物語の胚芽」を共通感覚をもって感知できなくなった周囲の側にあるのではないのだろうか。人が精神的危機にあるとき、それを説明する原理に人は頼ろうとする。「説明」は知的行為と言うよりはなによりも不安の解消を目的とし、実際効果的であるからだ。これが日常的出来事で説明できる事柄なら、それは無能な上司への悪罵や、ツキのなさへの嘆息で解消されていくだろうが、本態がいまだ判らぬ「病的過程」による根源的恐慌状態のとき、人が依拠できるのは春日氏のいう「物語への胚芽」ぐらいであって、それには共通感覚を幾分かは保持しているものから、いまやそれを失って精神のずっと底部に置き忘れられたようなものまであり、その混乱の激しさに応じて、より根源的な「胚芽」が引きずり出してこられると言えないだろうか。

    少なくとも妄想はきわめてオリジナリティーに乏しく、パターン化を指摘することはやさしい。一時筆者は分裂病体験のなかでもかなり奇妙とされるカプグラ症候群(見知った人が一見酷似した見知らぬ人間によってすりかわると言う妄想)や、女性に特有の「妊娠妄想」(これは老人痴呆などでもよく見られる。やせさらばえた老婆が赤子に見立てた人形をあやしつつ、今度生まれてくるお腹の中の胎児<何故か抱いている赤子でもあったりするのだが>について語るのは、微笑ましくも鬼気迫る光景だ)などを妄想要素とでもいえるものに分解していく仕事をしていた。指導研究者との行き違いなどで、結局これらは草稿のままで世に出なかったが、これらの研究を通じてむしろ精神病の身体過程を知る上でのインデックスというものが可能なのではないか、というおぼろげな展望がもてたように思う。ただし今またやりとおす自信はない。個々の例に責任を持ちつづけることが筆者には少々重く、ましてそれらを素材に無責任な言説をする蛮勇を欠くからだ。*

    分裂病圏の精神疾患そのものが生物学的な方法論では解明されていない現在、治療者側はこの根源的「胚芽」を読み解くこと、言うならばプリミティブな共通感覚への希求を感じ取る能力を追求する必要があるだろう。春日氏によれば「都市伝説にせよ妄想にせよ、オリジナリティーの乏しさこそがリアリティーを保証している」のだが、それは取りも直さず、「生得的」と言うことにほかならないのではないだろうか(その前に”Cultural bound”な要素を考えねばならないが、この部分は結構すっ飛ばしてもいいことが、いままでの筆者のしょうもない伝説紹介だけでも明らかなような気がする)。

    都市伝説はお気楽状態での「物語の胚芽」適用集であるゆえに、ストレス抜きに人間の合理的思考の背後にある合理非合理を超えた原型的な(この言葉を使うとある種の学派を連想されてヤバイのだが、筆者の乏しい語彙ではほかの言葉が思いつかないのだ)精神の働きに思いを凝らすいいフィールドだと思う。もちろん「芸能人の膣痙攣伝説」などは、仕事をサボってもそれ自体追求し、蒐集する価値があるのは言うまでもないことだ。趣味と、もしかしたら多少の実益さえそれらから引き出せるかもしれない。興味本位の言い訳と、誇大妄想的展望が同居したところで、2000年のコンテンツ更新再開の嚆矢としたい。(2000/01/04)
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    *筆者は関西の精神病理学派が「若くて、そこそこ魅力的で、教養がある」病者たちの病初期、病中期を題材にした論文を数多く読んで感銘を受けたが、そこに登場する病者達のかなりの部分がその後へろへろに慢性化して、しかもそのうちの幾分かが自分のいる病院に回ってきているのを知って愕然としたことがある。学説として論文に書き留めると言うことは、病者の具体的現実から時間的要素を奪うと言うことだ。それはすでに現実ではない。「王子様とお姫様は末永く幸せに暮らしましたとさ」と書き留めた段階で、この二人が老いさらばえ倦怠期になって憎みあうに至る可能性などは排除され、隠蔽されているのだ。


  • ついていない連中
  • 前回は正月酒浸りモードで書き散らしたので、読み返してみると随分妙だ。まるで妄想の解明が都市伝説の検討を通じて可能になるかの如き誤解を与えてしまいそうな内容になっている。せいぜいが、共通の方法論がありそうだな、と興味を持っていると言う程度のことなのだと弁解しておきたい。

    さて、世の中というものは苦もあれば楽もありと言いつつ、ほとんど苦ばかりで楽だと思っていたのがとんでもない苦の始まりだったりする事の方が一般的だ。今回はとてもツキのない目にあった気の毒な連中に登場してもらい、われわれの相対的なツキを確認し、新千年紀のささやかな幸せを願うというせこい作業をしてみたい。ネタは例によって都市伝説関連の掲示板に転載された転送メールだ。随分前にみた奴なのでリンクを示せない。

    ********************
    ついてない日はこれを思い出そう。

    1.アラスカ沖でのタンカー事故で油まみれになったアザラシのリハビリには一頭あたり8万ドルの費用がかかった。2匹のアザラシがリハビリを終え、自然に帰ることになり盛大に祝賀式典が行われた。ボランティアや専門家の暖かい拍手に送られて海にかえされた2匹は、一分後、皆の目の前でシャチに食べられてしまった。

    2.ニューヨークの大学で心理学過程に在籍する女子学生が、ルームメートに大工見習いの男性を選んだ。彼を侮辱し続けてその反応を見る、という実験をするためだ。いじめ続けること数週間、男はすっかり切れてしまい、彼女を手斧で何度も殴りつけ、彼女は重大な回復不能の脳障害を負った。

    3.92年、ロサンジェルスにすむフランク・パーキンスは「旗竿の上に座り続ける」という世界新記録に挑戦した。400日間という世界記録にあと8時間足らないところで彼はインフルエンザにかかり、挑戦をあきらめた。旗竿から降りてみると、スポンサーは消えており、ガールフレンドも去っていて、アパートの電気と電話は料金未納で止まっていた。

    4.ある主婦が自宅に帰って台所にはいると、夫が全身を狂ったように震わせているのを見つけた。何事かと見ると夫の腰のあたりから電気湯沸かし器にむかって、電線のような物がつながっているように見えた。感電事故だと思った彼女は、夫を電線から引き離そうと、夫を厚いまな板でうちすえた。夫は腕に2カ所の骨折を負った。夫は台所でウォークマンを聴いていたのだった。

    5.ボンの動物愛護団体に所属する二人の男が、非人道的行為に抗議するため、フェンスを破って屠殺場に侵入した。二千匹もの豚がわれ先にと破られたフェンスの穴に殺到し、二人は下敷きになって死亡した。

    6.イラクのテロリスト、カイ・ラナジェットは、手紙爆弾をつくって送る際、十分な額の切手を貼らなかったため、差出人へ返送されてしまった。爆弾だったことを忘れていた彼は開封してしまい、粉みじんになってしまった。

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    「手紙爆弾に自分の名前なんか書くか?」というような野暮な批評はなし。今年の我らの日々が彼らよりましな物であることを祈ろう。(2000/01/07)

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  • フランケンチキンの呪い
  • かの古典的伝説「マクドナルドのミミズバーガー」を初めとして、ファーストフードをめぐる疑惑伝説は枚挙にいとまがない。米国ファーストフードのもう一つの雄、ケンタッキー・フライドチキンも何度となくその題材に取り上げられて来たようだが、今回の最新版はKFC側のCI戦略を逆手にとったうえ、遺伝子組み替え技術への不安感を利用したなかなかの仕上がりを見せている。昨年暮れに登場したという転送メールをまず紹介したい。出典は相変わらずここ

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    KFCをボイコットしよう!

    KFCは長年にわたって米国食文化の伝統の一つだった。人々は来る日も来る日もKFCを宗教であるかのように利用し続けてきた。しかし、彼らは自分たちが一体何を食べているのか知っているだろうか。

    ニュー・ハンプシャー大学はKFCの食品に対して一連の調査を行い、驚くべき事実を発見した。まず最初に、この会社が最近名前を変えたことに気づいておられる方はいるだろうか。ケンタッキー・フライドチキン社がKFCになったことだ。何故だろうか。一般には「フライ=揚げ物」というイメージをさけたと考えられている。しかしそれは違う。何故か。KFC社はその製品に本物のチキン=ニワトリを使っていない。彼らが使っているのは遺伝子操作生物なのだ。

    その生物にはチューブ経由で栄養が送り込まれている。それにはくちばしも羽毛もない。骨格は最大限の肉がとれるように簡略化されている。KFC社はそうして生産コストを下げている。羽毛をむしる手間さえいらない。

    政府当局は同社にたいし、メニューに「チキン」という言葉を使わないように勧告した。皆さんも確かめればすぐに判ることだ。コマーシャルでも、その言葉がどこにも使われていないことが保証できる。私はこの事実を知って強い不安を感じている。より多くの人々がこの事実を知ってほしいと願うものだ。

    このメールを出来る限り多くの人に転送し、KFC社が本物のチキンを使うように共に訴えてほしい。

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    多少文章に乱れが目立つ(翻訳のせいだけではない。これでもかなり修正している)このメールの反響は結構大きく、名前を使われたニューハンプシャー大学の栄養学研究室にはちょっといかれた電話が殺到したという。大学がわざわざこういうページまでつくったぐらいだから、相当のものだったのだろう。KFC社の広報は当然のように否定している。またここを見れば明らかなように、KFC社がチキンという表示をしていないと言う事実はない。

    安部公房の小説に、食肉を確保するため、食肉動物を発生段階の初期にとどめる操作をする、という話があったように思う。たしか「第四間氷期」だったと思うが自信はない。言うならば豚や牛の肉を持ったでかいナメクジみたいなのを作るという話なのだが、当時は単なる文学的想像力の産物だったのが、現代ではそう荒唐無稽な話ではない。

    安部公房はアメリカでもけっこう翻訳がでているらしいから、案外上のデマメールの元ネタかもしれない。しかし安部公房を読むにしては文章があまりにつたないので、遺伝子操作技術が想像力などとは無縁の所まで一般化したというだけのことか。

    この手のデマは高い流布力を持っており、それはかの「買ってはいけない」をベストセラーにしたエネルギーと同じなのだろう。偽物、有害な物、その可能性がある物を大企業の儲けのために押しつけられているという被害者意識は、多少つじつまがあっていなくても現代に生きる人間の共通感覚になっていると思われる。こういう意味でなくても、KFC社のチキンが「本物ではない」のは確かに事実なのだから。(2000/01/12)

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    #筆者はここのチキンと相性が悪く、うまいまずいの問題ではなくて、食べるとまず膵炎様の腹痛発作を起こしてしまう。子供なんかはバクバク食べるんだけれど。こちらはあのカーネル・サンダースの人形を見るだけでどうも気分が暗くなる。阪神の優勝をじゃましていると言う噂もあるし。ドイツはマクドナルドの侵略は許した(メニューにビールをくわえるという妥協を勝ち取っている)が、KFC社は一店もない。ドイツのチキンはおいしい。普段あれを食べていたらKFCにわざわざ行く気にはならないだろう。

    前段への注:読者からのメールで、「ドイツのKFCで実際に食べた」という指摘があった。KFCは70年代にドイツ進出を図ったものの業績不振で撤退し、97年になって再進出をはじめたということのようだ。現在、全ドイツに46店舗が営業中とのこと。「一店もない」ということではなかったものの、かなり苦戦しているのは間違いなさそう。(2004/05/23追加)



    本年度Darwin Awardsのメールニュース(悪趣味とか言いつつ、ネタ探しにちゃんとこういうモノはとっているのだ)第一号に載っていたもの。

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    ミシガンに住む男が、クリスマスに3万ドルする新型チェロキー・ジープを買った。見せびらかそうと行きつけのバーに出かけ、仲間5人と何杯かビールを引っかけているうちに、試乗を兼ねてカモ撃ちに出かけようと言うことになった。男達は犬と銃、おとりのデコイ、それに勿論ビールをチェロキーに積み込み、近くの湖に出かけた。

    冬の真っ最中、湖は当然凍っている。ミシガンでは当たり前のやり方として凍った湖面に車を進め、そこで男達はデコイを浮かべてカモを呼ぶための水面を作ることになった。ダイナマイトで氷を割るというのは、多少合法性の問題はありつつも、ミシガンでは当たり前のやり方だ。仲間の一人が持ってきていたダイナマイトと20秒の導火線でそれをやる事となったが、安全に事を進めるにはどうするか、と言う点で少し問題が残った。

    自分たちのいる湖面が割れないように、爆発地点は遠くである必要がある。導火線に火をつけてから走って逃げるには、氷の上は滑りやすくて危ない。導火線に火をつけて思いっきり遠くまで投げる、というのがビール浸りの男達が出した結論だった。ジープの持ち主がその栄誉ある役を果たすこととなり、男はちょっと離れた位置で導火線に火をつけ、素晴らしい投擲を披露した。

    その時、一行の中の別種生物がこの男の動きに目を留め、本能的決断をするに至った。そう、彼らはビールと銃と、そして犬をジープに乗せてきていた。よく訓練されたラブラドール・レトリバーが男達と一緒にいたのだ。短い棒のようなものが主人の手から投げられたのをみて、犬は必死にそれを追い始めた。

    男達はあわててやめろと叫んだが、犬には判るはずもない。レトリバー犬は誇らしげに、導火線がくすぶるダイナマイトをくわえ、声を限りに叫んでいる男達の所へ早足で帰り始めた。ジープの持ち主はやむなく、銃を掴み犬にむけて撃った。犬は撃たれながらも、なお主人の所に帰ろうとしたので、男はさらに撃った。犬は主人が気が狂ったと思い、身を守る物の下にとにかく隠れようとし、近くにあった唯一の身を守る物、チェロキー・ジープの下に這い込んだ。ドカン!ジープと犬はバラバラになり、氷が割れて現れた湖面に沈んでいった。

    ジープの持ち主は、保険会社に保険金を請求したが、車を凍った湖面に止め爆発物によって沈めた、という二重の違法行為に対して支給はできない、という当然の決定がなされた。持ち主は未だに月400ドルのローンを湖の中のジープに支払っているという。
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    動物好きの人には我慢ならない内容だが、例のダーウイン大賞が選ぶような話なので、致し方ないとお許しあれ。この話は、第二次大戦中、ソ連軍が押し寄せるドイツ機甲部隊に対抗するため、「犬爆弾」というのを考えた、という実話とはとても思えない話を思い起こさせる。ソ連軍は爆弾をくくりつけた犬を戦車の下に潜り込ませるように訓練したのだが、自軍の戦車を訓練台にしたため、戦場では犬たちが全部ソ連軍戦車を道連れに自爆してしまうのだ。なぜ実話ではないと思うかと言えば、猟の獲物を取ってこさせるような仕事ならいざ知らず、あまりにも不確定要素の多い犬の気まぐれにまかせることに、兵器としての有効性があるとは思えないからだ。長期の訓練、マンパワーの必要性、その上敵味方の識別も怪しい兵器ではちょっと困る。(まあ核兵器なんか敵も味方もなく破壊するのだから、兵器に「合理性」求めるのはナシかも)

    似たような話ではアメリカ軍(旧日本軍だったかな?)が空襲で効率的に人家を破壊するために「コウモリ爆弾」と言うのを考えた、と言うのがある。爆弾をくくりつけたコウモリを敵都市の上空で放し、人家の軒先で爆発させる、と言うものだ。しかし、人家の軒先にコウモリがぶら下がってる所など見た人はいますかね?みんな森の奥にでもいってしまうんではなかろうか。これにも何かオチがあったような気がするが記憶がはっきりしない。

    また男達がアリゾナの砂漠で酒を飲み、ウサギにダイナマイトをくくりつけて遊んでいたら、そのうちの一匹のウサギが自分たちの車の下に潜り込んで復讐されると言う小話もある。たしか"KAMIKAZE Rabbit"という題が付いていた。これをかなりソフトにしたヴァージョンと考えられるもので、やはり砂漠で酒を飲んでいた男が、周りの大きなサボテンにダイナマイトを投げつけて遊んでいて、特大のサボテンの下敷きになる、と言うのもある。

    基本的にこれらはすべて、人間の気の利いた(と勝手に考えている)思いつきが、人間が完全にコントロールしていると信じている自然の論理によってしっぺ返しをくらう、と言うパターンの内容だ。これらは皆、初めから「愚行」の代表といえる酔っぱらいやまぬけな軍隊を主人公にしている。また聞き手が当然そこに落ち着いていくと予想される所に話を進める、口述を前提にした展開を持っている。初めの話も原文では話を進める上でのタメとか、語呂とかを意識しているのだが、それを充分表現する翻訳力がないのが残念

    口述、と言うのは論理的展開の不十分なところを、語り口のおもしろさだけで引っ張って代償できる側面があって、都市伝説が成立する過程で必要不可欠な条件になっている。すでにお馴染みの話でも、生きた言葉で語られる限り、何度でも楽しめるものとなる。あ、それ聞いたぞ、と思いながらも、語る者と聞く者とがそれぞれに期待している聞かせどころと聞きどころをなれ合いながら楽しむこと、言葉を換えれば共通感覚の確認(ひいては集団意識の強化)が、オリジナリティがないがゆえの展開で可能となるのだろう。(2000/01/14)

    このネタに関しては、多くの人から類縁の話があることを教えていただいた。また、軍事作戦で「犬爆弾」が使われたのは事実である、という指摘もいただいた。私が独自に集めた話としては、晋仏戦争のころ、フランス軍が犬をソーセージ好きに訓練して、爆弾をつけてドイツ陣地に放つ、というものがあった。もちろん、オチは全くおなじである。また、上の「ジープと犬」の小話が載せてあるDarwin Awardのサイトでは、この話が19世紀末から今世紀初頭にかけて活動したオーストラリアの小説家、ヘンリー・ローソンの短編" The Loaded Dog"にも原型があることが明記されている。なお、この短編は筒井康隆の「短編小説講義」(岩波新書)で、筒井自身の訳を読むことが出来る。情報提供いただいた皆様には、ここでまとめてお礼を申し上げたい。

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