今回は海外サイト記事紹介から。引用はここ。
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第二次大戦後、日本はその工業生産能力を空襲によってほとんど失っていた。工業基盤を再建する手始めとして、日本は安価な軽工業製品を作って、もっぱら米国に大量に輸出する、という道をとった。
しかし、米国では”MADE IN JAPAN”という言葉は安物とか、粗製乱造品を象徴する言葉だった。そこで生まれたうわさと言うのは次のようなものだった。
安物イメージを避けるため、日本は自国のある街を、「ウサ」という名前に変えた。その上で、彼らは自分たちの製品の数々を、その街で作られたということにして”MADE IN USA”という表示をつけて売りさばいた。
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もちろんこの話はジョーク以上の何者でもなく、ご存知の大分県宇佐市というのは昔から宇佐で、戦後名前が変わったわけではない。鵜狭だとか兎佐などの、「ウサ」と読む可能性のありそうな地名をいくつか考えて検索してみたが、そういうのは実在しないようで、上の噂話のネタになりそうな事実はありそうにない。
この記事では、この噂話がささやかれた年代がはっきりしないが、文末に示された参考文献からすれば、80年代前半、というところだと推測される。このころ日本製品は安物イメージを脱しただけでなく、米国経済にとって深刻な輸入超過の主な原因となっていた。そういう脅威が背景となって、米国民の間に、精神的優位性を取り戻そうと、こうした噂が自然発生したのだろう。ちょっと前まで、日本製品なんて安っぽいまがい物の代名詞だったんだぜ、こんな妙なインチキまでして売り込んでいたりしてたんだ、という感じか。おそらくそう学識が高いほうではない米国人が、日本の地図を見ていて、九州に”USA”という地名を見つけ、面白半分に言いはじめたものではないだろうか。
同じころ米国では、日本語に関するちょっとした都市伝説があったと伝えられる。これは主にインテリ層に広がったものだ。いわく、「日本語の『ありがとう』は、ラテン語系の”Obbligato”(義務、責務から転じ、感謝の意をもつ)から派生したものだ」 というもの。相手の言語とか文化が、自分の理解可能な範疇からの派生物だ、と考えるのは精神的優位性を保つ、かなり有効な手段と思える。ましてエスノセントリズムの権化のような米国人たちにとって、自国の経済を揺るがしつつあるのが、自分たちには理解できない文化体系を持つ国で、しかも、かって戦争でコテンパンにやっつけたはず、というのは許しがたい事態だったに違いない。(程なく日本側の無様な経済失態によって、彼らの溜飲はたっぷり下がることになったのだが)
私はこのころ、西海岸からきたある米国人と知り合った。彼はいわゆる「フジヤマ、ゲイシャ」的理解よりは、多少ましな日本に関する見識を持っている知識人だったが、日本にきて一番驚いたのは、自分が使っている言葉に日本語由来の言葉があった、と知ったときだと打ち明けてくれた。その言葉と言うのは「チョット」だというのだ。彼はChottoと言うのをヘブライ語由来だと思っていて(この名前をもつユダヤ系の人がいるそうな)、スノッブ連中の間では「少しだけ」を”chotto a bit”と使うのだそうだ。日本人が「チョット」というのは、そういう用法が英語から伝わっているのだと思い込んでいた。ところがそうではなく、昔からの日本語で「一寸」とか「鳥渡」などという漢字まであるのに、心底驚いたと言う。私は、その彼からオブリガート伝説を教えてもらったのだが、彼自身がそれと似たような別の思い込みにとらわれていたのだった。
さて、先の「ウサ」の話に戻ると、これは日本の古代史論争関連ジョークでよくつかわれるネタだと言う。いわゆるヤマト権力の大陸渡来説に附随して、古代に成立した神社が大陸に由来する、と言う説に対し、「そりゃそうだろう。宇佐八幡なんかアメリカ渡来だ」と切り返すのだそうだ。ネタが割れていても、それなりに面白い…よね?
ついでなのでもうひとつ古代史ネタを。「魏志倭人伝」にかかれた邪馬台国がどこにあったかというのは、素人も巻き込んだ大論争になっている。ある人は倭人伝には「邪馬壱国」と書かれているので、「邪馬臺国」は誤りだとする。その説をさらに発展させた議論があって、「邪馬壱国」と言うのも、「邪馬」というひとつの国、という意味なのだと主張する人もいるそうだ。その理論では、「邪馬」という国が九州にあった事実と、それが「邪馬台国」と誤って受け取られた事情まで明らかにできる。それは言語学的根拠によるものだ。
新説はこうだ。「邪馬」人が魏に朝貢にいった際、向こうの人から「あなたの国はどちらで?」とたずねられた。正真正銘の九州男児だった使節は、胸を張ってこう言った。「オイドンの国は、ヤマたい!」と。(2000/09/17)
更新は伸びるわ、冗長で医学とまったく関係ないネタだわ、オチは決まらんわで、ちょっと申し訳ないので追加。いわゆるレントゲン胃透視検査で、古い潰瘍とか、ガンの疑いがあるような所見で、胃粘膜のヒダが病変部にむかってあつまっていくような変化を示す事がある。専門医はそれを「レシュー」と表現する。これを外国語だ、と思う研修医は数多い。”resheau”などと、フランス語風にカルテに書く奴までいる。これは「胃粘膜レリーフが集中している」、の「レ」+「集」なのだ。二重造影法をつかった胃透視技術を開発したのは日本なので、その所見用語はほとんど日本語なんですな。専門医ではないから当然とはいえ、私も長らく勘違いしていた。最近は胃カメラ優先なので、こんな細かな所見にこだわる言い方はなくなったかもしれないが。
昔話からはじめることをお許し願いたい。私がまだ小学校にもあがっていないころのことだ。当時TVなどはなく、田舎の娯楽は限られていた。自前の楽しみを追求する必要から、町内の催し物などは今とは違う熱気があったものだった。例えば、町内の運動会など、いまなら「コミュニティの協調を」などと理屈付けが先立つものだが、当時はそんなこと抜きに結構楽しい行事であったりした。いつもはさえない雑貨屋のぼんさん(関西では商店の使用人をそう呼ぶ風習があった)が、がんばりまくって意外な面を見せ、人気者になったりしたものだ。
その町内運動会の種目の一つに、「即席美容法」というものがあったのを覚えている。梯子をくぐり、袋に足を突っ込んですすみ、ボールをドリブルしたり、ロープをよじ登ったりしたあげく、最後の難関が洗面器に張った水に顔をひたしてから、小麦粉の中に隠されている飴玉を手を使わずに口に入れ、ようやくゴールとなる障害物競走だ。
このネーミングが私には違和感があった。一応、理屈としてはわかるのだ。前半の流れを、一種の美容体操に、ぬれた顔に小麦粉がくっついて真っ白けになるのを化粧に、それぞれ見立てて「美容法」といっているのだと。でもそう一言でまとめてしまうと、まるで確立した方法論のようではないか。美容のために出場しているのではない参加者を愚弄しているのではないか、と感じたものだ。見立てをある程度表現するなら、「かなえられない美を求めるためのいくつかの試み」とか、もっと事象自体へせまるなら「ゴールへといそぐ私、阻む袋、ボール、ロープ、そして飴や粉」などとというべきではないのだろうか、と。
どうでもいいことを長々書いたのは、以下の記事をここでみつけて読んでいるうちに、先の体験がよみがえってきたからだ。
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即席嘔気治療法
(東京発。2000年4月)
17歳の少年が激しい嘔気を感じ、身体を折り曲げて身体から消化しきれない食物を吐きだそうとしていた。この行為は洗面台や、道路の側溝に対して行う限り問題はないものだ。不幸なことに、彼はそのどちらの状況でもなく、駅のプラットホームでその行為を行っていた。トイレに駆け込んだり、汚物入れを見つける努力のかわりに、我らが若きアインシュタインは、プラットホームから身を乗り出し、線路に向かって吐こうとしていた。
ちょうど入ってきた電車は、この妨害を苦にすることもなく、自らの進路をすすんだ。比較的速いスピードで進入してきたことと、それ自身の莫大な質量のゆえに、接触したものはまずぺしゃんこになるのは理だ。少年の死因は「重度の頭部外傷」とされたが、我々は真の原因は頭部と電車の接触以前の、頭骨内部、さらに言うなら、この哀れな被害者の細胞一つ一つの中で泳いでいた、遺伝子の中にあったことを知っている。
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この少年(本当にいたかどうか怪しいが)にしてみれば、突然襲った嘔気に、後先考えずに対処しただけなのだ。気の毒な事故にあったうえに、それをこんな風に揶揄されてしまってはなぁ、と同情を禁じえない。これはかなり品がない部類とはいえ、冗談の本質と言うのは、言語が世界を切り取ろうとする時、必ず乖離がおこると言う事実を拡大したものだ、と言うことが示されているような気がする。町内運動会での幼い私の違和感は、言語に対する素朴な信頼感が、どこかのオヤジのあざといギャグ感覚によって揺らいだ最初の体験だった、ということなのだろう。
さて、言語の本質にいたる考察からは少しはなれて、最近上と似たような事故報道が実際あったので紹介しておく。こちらのほうは、ボディランゲージは自己保存本能とは相反する論理をはらんでいるらしい、というきわめて重大な事実を示唆するものだ。
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朝日新聞9月25日東京版夕刊より
6月21日深夜、埼玉県越谷市のJR南越谷駅ホーム。携帯電話で会話していた若い男性が、気づかぬうちにホームの端に寄っていた。話がはずみ、思わず受話器の向こうの相手におじぎした瞬間、東京発東所沢行き普通電車が約40キロの速度で進入。男性は頭をぶつけ、ホームに倒れこんだ。右目の上を数センチ切る軽傷で済んだが、救急車で病院に運び込まれた。
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なんで6月の出来事が9月になって書かれたのか、という疑問があるが、この事故を知った記者にすれば、なにげない日常のしぐさが危うく死をまねくところだった、ということから我々のしぐさ文化体系そのものに対する重大な疑問が生じ、たとえ3ヶ月遅れであろうと、広く報道する必要を感じたのに違いない。この疑問は言うならば、OSの誤動作でハードがいかれる可能性に気付いたようなものだ。この記事の背後にある記者の危機感は相当なものだろう。
かくのごとく我々は、言語の本質的不完全さを抱えなければならないばかりか、それ以前の無意識的ボディランゲージさえ隙を見せると自己保存本能を裏切ろうとする、きわめて脆弱で悪意のある文化という足枷を強いられた存在だ、と言うことが理解されるだろう。こんなシステムに支えられて、国家とか経済とかが動いているのだ。辛うじて日々を生き延びているだけで感謝すべきだ、ということなのかも。(2000/09/27)
ちょっとまえに掲示板のほうで「男性が妊娠する」話題が出たことがあり、いわゆる双胎の片一方が吸収されて、片方に腫瘍状に残される”Vanishing Twins”症候群の一形態のことだったのだが、そこで私は「男性でも妊娠できる研究」についてのあいまいな記憶について触れた。どこかで読んだ記憶はあるのだが、それがどこだったか思い出せない。ちゃんとした学術誌だったとは思えないが、受精卵を腸間膜に着床させて、ぎりぎりまで発育させるという、けっこう専門的な話だったと記憶している。
いわば子宮外妊娠を人工的に、それも男性におこすわけで、胎児が正常な発育するのに充分な血流が得られるとは思えないし、かりに可能だとしても受精卵を使って超未熟児をわざわざ作るそんな研究が倫理的にも許されるはずはなく、実際に試みられたとは思えないが、自分で無意識に作話した話でもないだろうし、出所はどこだったのだろうか、と首をひねっていた。
そうこうしているうちに、いつものパクリ元の一つUrban legends & Forkloreに、こんなサイトが紹介されていた。
百聞は一見に如かずなので、いちど訪問されて見られることをお勧めするが、トップページにはアジア系の男性が大きなお腹を抱えている写真と、”LiveCam”と称してその男性がベットの上で読書している光景の動画、現在の心電図モニター波形などが配置されている。そしてリー氏というその男性の日常光景を、QuickTimeで紹介する動画があったりする。
説明によれば、この世界初の試みを分析し、広く知らしめるために、リー氏はスタッフによって24時間のバイタル管理とビデオ記録がされているという。リー氏がこの実験研究の被験者となった動機について、PaperVeins誌とのインタビューに応じた内容も掲載されている。リー氏いわく、「人はこの冒険を悪魔的な試みというかもしれませんが、私は単に一人の子供をこの世に生み出したいだけなのです。この欲求より自然で美しいものはないと思っています」。
この実験を行っているのはGenoChoice研究所というところで、そちらへのリンクをたどれば、研究主任のエリザベス・プリートナー博士が現時点での研究成果を説明してくれ、この研究所が行ってきた不妊治療の赫々たる成果や、その恩恵を受けた人々の喜びの声を聞けるようになっている。
説明によるとリー氏はまず女性ホルモンを投与され、妊娠を受け入れる状態にしたのち、体外受精で得られた胚を腹腔内に移植し、胎児が発育した後、帝王切開によって出産するスケジュールとなっている。誰の卵子を使ったのか、というようなことには触れていないが、先のGenoChoice研究所では、遺伝子操作テクニックによって、男性同士であろうが、普通の男女であろうが、男女問わずクローン技術によって受精胚をつくることが可能だとされているので、そのどれかなのだろう。
かくのごとく手の込んだつくりになっているのだが、当然これらが事実であるはずはなく、みなジョークなのだ。作った人たちに言わせれば「アート」だと言うだろうけれど。先のインタビューをやったというPaperVeinsというところがそもそも映像系のバーチャル美術館で、そこの展示プロジェクトの一部に、さらに手を入れたもののようだ。GenoChoice研究所のサイトもよく見てみれば、ちゃんとこれはアートであって、内容はインチキであるという断り書きがしてあり、作成に当たったアーチスト達のプロフィールも紹介されている。
よく出来たつくりとはいうものの、よく読んでみるともう少し工夫したほうがいいのではないか、という部分は散見される。例えば遺伝子操作で受精した胚を作ったとしても、生じる胎盤は胎児側に属するものだが、それが栄養を受ける土台の「子宮」はあくまで母体となる女性の臓器なのに、まるで胚が自分で子宮をつくるような記述がある。これなら私が以前どこかで読んだ、腸間膜を利用するやり方のほうがリアリティが上だ。帝王切開”Caesarian Section”をシーザーがこれで生まれた、と書いてあるのもご愛嬌。これはラテン語のcaesarea(切る)をカエサルと間違えて、帝王切開などと訳してしまっただけのこと。
このサイトを紹介しているUrban legends & Forkloreの編者は、「芸術はタブロイドを模倣する」と題して論じていて、新しい衣をまとった古いジョークの蒸し返しだと、「芸術性」の評価にはかなりきびしい態度をとっている。しかしこの記事自体が、先のサイトをみて信じ込んだ読者からの質問への答えの形をとっており、多少の無理は承知でなんとなく信じてしまいたくなる、都市伝説の血を引いていることだけは認めているようだ。私の記憶にある男性妊娠研究も、繰り返し語られてきたそうしたジョークのひとつであったのだろう。固定的な現実枠組みを離れて、多元的な価値観をもとめる根源的欲求が、いつの時代も人々におなじような物語を語らせる、ということなのだろう。
(2000/10/07)
米国大統領選の攻防は、今やたけなわの様子だ。現クリントン政権が、さまざまなスキャンダルを抱えながらも、世界で一人勝ちの好景気を持続したこともあり、素人目には副大統領のゴア候補が有利になってもよさそうなものなのに、実際はそうではないらしい。専門家に言わせれば、今の景気が実体経済と乖離していることは周知のことで、ここらで真面目に経済政策建て直しするしかない、と当事者なら皆思っているのだそうで、本当なら経済界保守勢力に基盤を置く共和党ブッシュ候補の圧勝、という話になるはずだったそうな。ところが、肝腎のブッシュ候補は親の七光ばかりが頼り、という総領の甚六で、ゴア陣営はその敵失に助けられて伯仲状況を辛うじて維持しているのだという。金にあかせてチームを補強して、圧倒的トップになるはずが、監督の天才的采配ミスのおかげで、それなりに競り合いが楽しめた某国のプロ野球みたいなものか。
候補の個人的な側面について言えば、ブッシュ候補にはせっかくの有利な状況を生かしきれない低偏差値政治家、というそう面白味もない悪口ぐらいしかないのだけれど、彼をよたよたと追撃しているゴア候補に関しては、妙なエピソードが掃いて捨てるほどある。それらはすべてネガティブなものばかりなのだが、どことなく都市伝説の香りが漂っていて、単なる政治的攻撃には収まりきらないものが多い。逆にいうなら、そのような伝説の後光に包まれるだけ、ゴア候補には不利な状況をはねのける潜在的パワーがあると言うのが私の主張だ。
ブッシュ陣営とその支持者たちの、インフォーマル版ゴア攻撃の基本は「ゴア氏は病的虚言者だ」というものだ。(この記事の題名は、病的虚言症pseudologia phantasticaをもじったつもりだがさっぱり決まっていない。ゴメン)さまざまなメディアが取り上げ、一部はチェーンメール化したその「虚言」を列挙してみよう。主にこちらからの引用をもとにした。
(1) ゴア氏は、インターネットを発明したのは自分である、と主張した。
実際は「インターネットを発明した」と言ったわけではなく、その開発と発展に尽力したと主張したのをマスコミにあげ足とられた、という事らしい。しかし、インターネット自体は70年代にすでに実用化がはじまっていたのに、ゴア氏は90年代に彼が提唱した「情報ハイウエイ」政策が、現在のインターネットの元となったと勘違いしていた可能性は高いようだ。
(2) ゴア氏はベストセラー小説「ある愛の歌(Love Story)」のモデルは自分だ、と主張した。
実際、こう主張したらしい。作者のエリック・シーガルは、ハーバードに通う大金持ちの御曹司、という程度のヒントにはしたとは認めているが、「モデル」ではないと否定している。大体、小説ではヒロインは哀しい死を迎えるが、大恋愛で結ばれたゴア氏の奥方は健在だ。
(3) ゴア氏は労組指導者達との会合で、「私は組合歌を子守唄にして育った」と言った。
こう語ったのは本当で、しかもその組合歌は彼が27歳の時に作られたものだった、というオチつき。すべってしまったユーモア、と取るべきかどうか。
(4) ゴア氏は、上院議員であった父親は、60年代黒人公民権運動の熱心な推進者であった、と主張した。
実際は64年の公民権法に対して、彼の父親は反対票を投じている。ゴア氏を虚言症と非難する人々は、父親はひどい人種差別主義者であった、と追加するのだが、事実は穏健なリベラルで、急進的な立法はかえって黒人層への反発を生む、と判断してのことだったと言う。どう判断するかは別の問題だが。
(5) ゴア氏は、義理の母親が関節炎で抗炎症剤を処方されたところ、月に100ドルかかったが、自分の犬が同じ薬を処方されても37ドルで済んだ、こんな医療制度は変えなければならない、と主張した。
これは日本人にはぴんとこない。もし日本で同じ薬を同じ量ペットに処方されたら(普通そんなことはありませんがねぇ)、その薬代は人間の数倍ではきかないはずだ。米国では保険制度が違うので、ゴア氏の主張どおりになるので、これのどこが虚言なのかというと、ゴア氏は義理の母親と、自分の犬が同じ薬を飲んでいる、というような事実を全く確認せず、というより、一般論を自分の親族とペットの名のもとに主張した、ということのようだ。そのぐらいは「方便」でいいんじゃないかとも思うが。関係ないが、ゴア氏の犬は黒いレトリバーで、名前は「シロ」と言うそうだ。
(6) ゴア氏は、自分の姉は平和部隊に最初に入隊した、と主張した。
実際は初期のメンバーだったということで、これを「虚言」と決め付けるのはいかがなものか、とも思う。ちょっとずつ派手な色づけをしてしまう傾向があるのは事実のようだが。
(7) その姉は後年、肺がんで死亡した。ゴア氏はタバコ産業から絶対に政治資金はもらわない、と誓った。
数年後、ゴア氏は上院議員選でタバコ農家の集会に出席し、「私は人生の多くをタバコ作りについやしてきた」と語ったり、タバコ会社から政治献金をもらったりしている。一方では熱心なタバコ規制法案の推進者でもある。
(8) ゴア氏は、神学校で学び、神と霊的な存在についての知識を得た、と主張している。
実際は神学校をドロップアウトした、と非難される。同じような内容で「ゴア氏はロースクールで法律の勉強をした、と言うが実際はドロップアウトした」と言うのもある。彼は大学を出た後、神学コースと法学コースがある大学院に2年間通い、どの学位も得ることなく政界に転じた、と言うのは事実のようだ。父親の地盤を受け継いで、政界に出るしかない事情があったようで、「ドロップアウト」と言うのは酷だろう。
他にも書き始めるときりがなくなるほど、ゴア氏に虚言癖がある、という非難は数多い。ほとんどは他愛が無い、お坊ちゃんの世間知らずが原因していると思われるものがほとんどだ。なかにはタバコのエピソードのように政治家としてやむなく、「度量」を見せる必要から出たものなんだろう、と受け取るしかないようなものもあるが。
虚言癖とは関係ないが、legend.about.comの掲示板で、ローリング・ストーン誌の表紙に登場したゴア氏の写真が話題になっていた。見ていただければ判ると思うが、ゴア氏の股間あたりになにやら画像ソフトで修正したような違和感があり、目ざとくこれを見つけた連中が、面白おかしくおちょくっている。「あれ、拡大したの?縮小してるの?」、「erection-electionの洒落だろう」、中には「偉いゴアさん、お金がいっぱい、チップをやろうと、ジッパー下げたら、お金は床に散らばった」なんて、マザーグース風の戯れ歌を作ってる人までいる。全体に、あまり悪意、というものが感じられるおちょくりではない。端正ながら、大型ピノキオ、といったその風貌と、上に示したような、たいそうな割にはツッコミ容易なお間抜け発言が、政治的立場を超えて「虚言者」伝説強化の方向に働くのだろう。
うがった言い方をすれば、ゴア氏は、王権と道化を一身に体現している、ということかもしれない。その点、「越後屋、おぬしもワルよのう」的逆臣風貌のブッシュ氏などには、有能か無能か程々か、という期待をもつのが精一杯で、あまりイマジネーション混じりの怪しげな噂話が出てくる余地はない。せいぜいTVキャンペーンにサブリミナル効果を使った、というような即物的(といってもかなり神話志向だが)なものがある程度。
どうせ誰がやろうと、そう違いが出るとも思えぬ昨今の政治経済情勢の中で、それでも世界最大、ともいえる権力を握る合衆国大統領を選ばねばならない米国民にとって、一方の候補にだけ怪しげとはいえ「虚言癖」がある、という噂がついて回る、というのは決定的な事態のはずだ。それでもゴア氏はそう不利にもならず選挙戦を戦っている、というのは人々が権力者個人に実効性など期待していない証左だろう。
人々は権力のよりよきコントロール能力などを、政治家個人に求めてはいない。権力にふさわしい神話を体現している個人を求めているのだ。その意味で、ゴア氏にまつわるさまざまな噂は、国家とか権力と言うものがほころびつづけていくであろう21世紀の大統領を選ぶにふさわしい、積極的キャンペーンだと言えるのかもしれない。(2000/10/25)
#と言うわけで、今のところ不利といわれているゴア候補が勝つ可能性が高い、というのが私の予想。間違っても責任はとらないけれど。また、まったく同じような理由から、私は「森政権長命説」も唱えている。ただ、森さんの場合、王権と道化の合一と言うより、宮廷に力芸を見せにきた人間ポンプかなにかの芸人が間違って王座に居座った、と言うところがあるので、どこまで敷衍できるかは怪しいけれど。
(2000/10/29)一番面白いエピソードを書き忘れたので追加。ゴア氏はある演説の中で、自分にとって信仰がいかに大事かを述べ、もっとも好きな聖書の言葉はヨハネ福音書16章3節だと言い、それを引用した。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」。言うまでもなく、自身をイエスになぞらえ、大統領としての適格性を主張したのだろう。しかし、これはゴア氏の取り違えで、上の言葉は同福音書の 3章16節なのだった。本当の16章3節は、「彼らがそのようなこと(イエスとその弟子たちを迫害すること)をするのは、父をもわたしをも知らないからである」。 (聖書の言葉はこちらからの引用)
(2000/11/11)米大統領選挙から3日たった現在、まだ選挙結果は確定していない。私の予想は外れて、ブッシュ氏が今のところ当選するような雲行きだが、得票総数ではゴア氏の方が上、と言う奇妙なことになっており、一部の州では選挙そのもののやりなおしまでささやかれる始末だ。予想が外れたとはいえ、ゴア氏の伝説キャンペーンが、神話的混沌をここまで現出させたと言う事でカンベンしていただきたい。
昔から「頭寒足熱」という言葉があり、健康の秘訣とされている。単に健康、というだけでなく、快適さの基準のようにも言われていて、暖房器具や枕だとか、はては車や家の作りでも、これに言及される事がよくある。確かに経験的な事実とも一致するようにおもわれ、検討するまでもない真理のような気もする。googleで「頭寒足熱」を検索すると、1000件以上ヒットするが、その多くは健康器具、健康法に関するものだ。上位ヒットのある漢方医学の啓蒙サイトをみると、「昔から『頭寒足熱』は健康にいいといわれています。これは東洋に限ったことではなく、西洋でも同じように考えられています。18世紀のオランダの名医ブールハーフェの蔵書の中に、厳重に封印された『医学の無類にしてもっとも深い秘密』と題された本があったそうです。彼の死後、この本を開いた人はびっくりしたそうです。なにしろ、本の最初のページに『頭寒足熱、体をゆったり』と書いてあるだけで、あとのページは白紙だったのです」などとある。
このブールハーフェの逸話とほぼ同じ話を昔聞いた事がある。街角で「完全なる健康法」と題して売られていた本を持ち帰ると、最初のページに「頭寒足熱」とだけ書いてあって後は白紙だった、というもの。こういう有名な歴史的医学者にルーツがあったとは思わなかった。
しかし、本当に「頭寒足熱」はグローバルな常識なのだろうか。私はちょっと疑問に思う。というのは、こんな話を聞いた事があるからだ。「フランスには『暖かい頭と、冷たい手足は健康の元』ということわざがある。日本人はコタツを愛するが、あれをもしフランスに輸出したら、フランス人は頭から潜りこむだろう」というもの。どこで誰が言っていたかまったく覚えがなく、「暖かい頭」うんぬん、というフランスのことわざと言うのも、その後聞いた事はない。しかし、そう言われてみたら、ヨーロッパとかロシアなどの人間は、「頭の保温」ということをかなり意識しているように感じる。あえて手足が冷えるようにはしないけれど、毛皮の帽子というファッションはあちらでは冬期の定番だ。
そりゃ、向こうはこっちよりよっぽど寒いからだよ、と言われるかもしれない。しかし日本人にはかなり寒い地方であっても毛皮の厚ぼったい帽子をかぶる、と言う発想が乏しいように思う。というより、ちょんまげの月代をそる風習のように、頭部から熱が発散しやすいことを昔から優先していて、その理由として生活風習に組み込まれた「頭寒」概念があったのではないか。しかし、先の漢方サイトがいうように、西洋でもそれは常識だったかどうかは検討の余地があると思われる。
まず先のブールハーフェの逸話について調べてみた。Hermann Boerhaaveは1668年にオランダはライデンにうまれ、長じてライデン大学で教鞭をとった。この時代の学者の常として、彼は医学ばかりか数学や物理学、生物学全般にわたる万能の人だった。彼は概念が先走る古い医学を批判し、患者の観察を臨床の基本に置く事を提唱し、いわゆるベッドサイド教育のさきがけとなった人だ。彼の伝記はネットでも数多く見ることが出来るが、この「頭寒足熱」の逸話はなかなか見つからず、ようやくこちらで見ることが出来た。いわく、彼は豪華に表装された、自称「医学の真髄が書かれた本」を秘蔵していた。1738年、彼の死後、同僚たちが期待してその本を開いてみると、 "Keep the head cool, the feet warm, the bowels free."「頭をいつもクールに、足は温かく、腸は空にしておけ」とだけ1ページ目に書いてあって、あとは白紙だった、とある。
なるほど、やはり頭寒足熱はグローバル概念だ、と納得したいところだが、関連サイトなどを見てみるとどうも問題は単純ではないようだ。というのは、先ほど「頭を冷たく」と書かずにクールと書いたのは、少なくとも英語の言い回しで"Keep the head cool."というときは、頭を冷たくしておけと言う意味ではなく、「冷静になれ」という意味である事が多いからだ。もちろん、熱が出ている人にそう言えば、冷やしておけということになるが、普通はちがう。また、 "Keep the feet warm."も、単純に足を暖めろ、と言う意味ではなく「自分の足で歩き回って、努力して事にあたれ」という意味合いがある。最後の"Keep ther bowels free" も、ウンチはすぐ出せ、という意味だけと言うより、「ウップンを溜め込むな」と言う意味あいがある可能性は高い。当然、18世紀のオランダで使われていたのは別の言語で、しかも当時の学者はラテン語で著書を書いていたのだから、こういう現代英語からの類推が正しい保証はない。でも彼の言葉をそのまま「頭寒足熱」に結びつけるのは、少々問題がありそうだ。
この関連で検索していたところ、ウイスキーの名前に残っているオールド・パーの逸話にでくわした。彼は1483年に生まれ、1635年に没するまで実に152歳の長寿を全うした、と言う伝説の人だが、彼の長寿の秘訣として残っている言葉がまさしくこれで、しかもより具体的なのだ。"Keep your head cool by temperance and your feet warm by exercise." 慎み深く冷静さを保ち、運動を続けろということだ。この後には早寝早起き、物事への関心を保ち、口を慎めなどの言葉が続く。彼が本当にそんな長生きしたのかどうかは疑問であるにせよ、実在の人物であったことは事実で、彼の言葉は当時の記録に残っており、先のブールハーフェの逸話も、このオールド・パーの言葉が下敷きになっている事はまず間違いないだろう。
つまり、ブールハーフェは即物的に「頭を冷たく、足を暖めろ」と言う意味で先の言葉を残したのではない。冷静さを保ち、一方で積極的に自分で動け、という意味で言ったのだ。これは彼がこだわりつづけた、常に患者の訴えと症候を中心に置いた臨床から出発する、という学問的態度とも一致するものだ。
さて、再び日本では常識となっている「頭寒足熱」概念にもどると、これが生理学的にも正しいと言う保証はどこにあるのだろう。先のgoogleでの検索でヒットしたサイトの記述を読んでいくと、そう根拠などない事がわかる。
たとえばこういうのは一つのパターンだ。「頭寒足熱では、内臓や血管を支配している自律神経の1つである交感神経が抑制され、副交感神経が優位になります。この状態では、毛細血管が拡張して血行がよくなり、手足が温かくなります。」
副交感神経優位で毛細血管が拡張しているのが「頭寒足熱」なら、頭部を冷たくする必要性はあるのだろうか。手足だけ血管拡張させて、頭部は収縮させるほうがいいの?と突っ込みいれたらこの文を書いた人はどう答えるだろう。
次もまた一つのパターン。「頭寒足熱とは下半身、特に足を暖め、血行を促進して各細胞に酸素と栄養素を運び、老廃物・体毒を取り去って体を活性化させる状態です。」
脳というのは、酸素とブドウ糖を人体で一番消費する器官なのだが、そちらの栄養補給とか老廃物のことは考えなくていいのだろうか。
結局「頭寒足熱」は「頭寒足熱」だからいいのだ、という同義反復があるだけだ。血行促進とか保温といえば快適と同一視していいような常識があるが、老人の診療をしていると、かなりの割合で「手足がほてって気持ち悪い」という訴えを持っている人に行き当たる。極端な例では、布団から手足を出して、真冬でも扇風機を当てておかないと眠れない、という人も診たことがある。こういう人にとっては、頭寒足熱など不快の代名詞だ。
さて、中国ではどうなのだろうとおもって、googleで簡体、繁体中文それぞれについて「頭寒足熱」を検索してみた(当然簡体は違う字で検索している)。するとあら不思議、繁体ではわずかに三件、簡体でも六件しかヒットしない。簡体でヒットしたサイトの中には、「日本の学者が言う『頭寒足熱』という理屈から言うと」と読めるような記述まであった。中文はさっぱり読めないので本当にそういう意味かどうかわからないが、少なくともこの概念が中国でおなじみのものなら、もう少しヒットしてもよさそうだ。そういう言葉が向こうにあるのは事実ながら、日本でそうであるほど常識化しているものではない様子だ。
これは想像だけだが、この言葉は先のブールハーフェなどを経由して、オールド・パーの格言が誤解されたまま入ってきたのがむしろ起源である可能性もある。ブールハーフェは確かに近代医学の礎を作ったが、医学発達の中心はすぐにオランダから離れ、ドイツやイギリスに移っている。オランダ医学を典拠としつづけたのは、鎖国下の日本だけだった、といってもいい。オランダの偉人の言葉を、字句どおりにとり、いつしか古来からの東洋の概念であったかのように誤解してしまった、と考えるのもそう見当はずれではないように思う。(先のちょんまげの歴史まで説明するのはちょっと苦しい。武士の間で月代をそる風習が始まったのは鎌倉時代で、本来は兜をかぶる時の実用的発想だった。しかしそれが一般化していくのは戦国時代以降、一般にも広がるのは江戸時代以降。それとほぼ対になるように、日常的に烏帽子をかぶる風習が消えていったというのは、ここでの想像とそう矛盾しないようにも思う。ユングでも引っ張り出して「共時性」だと居直っておけばおしまいだし)
人種的差異なども考えて、生理学的な考察をもっと加えないといけないが、もしこの想像に少しはあたっている面があるとすれば、一つの概念(しかもそれは誤解であったかもしれないのだ)が我々のリアルかつ共通と信じている身体感覚を相当部分支配する可能性までも示唆するものだ。我々がある環境を快適と感じるその感覚すら、実はかなり多元的な要因を含んだ構成物なのかもしれないという疑いは、世界の不確かさを再確認する新たな視点を提供してくれると言えよう。(2000/11/05)
この文章は、訪問者からのネタ提供メールがヒントになったものだ。「某新聞で、ロシア語通訳がこんなことを書いていた。真冬のロシアで外出する時、防寒用の帽子をかぶらないのは、日本人観光客くらいだ。帽子をかぶらないで厳寒のロシアを歩くと、頭の毛細血管が切れて春先に猛烈な頭痛がする、とのこと。この真偽やいかに」というもの。毛細血管は切れないだろうが、頭部からの熱放散を防ぐために血管収縮が常態化してしまい、春先に偏頭痛様の痛みに悩まされる、ということはあるかもしれない、などと考えているうち、なぜ日本人は「防寒用帽子」に無頓着なのか、と方向を変えて中途半端に考察した結果が上の文というわけ。メールをいただいたO氏には、かなり内容がずれてしまった事をお詫びしたい。
常連の方からこういうメールをいただいた。「チャットで会話している知人が『731部隊のやった人体実験は、倫理性を別にすれば、体系的に実験し、かなり成果を上げていた。戦後になって発表された、誰が見つけたか不詳の医学的データにはかなり731部隊から流れたデータがあり、アメリカもこのデータを欲しがった』と主張している」のだが、どんなものなのだろうか、というもの。
私も昔、そんな内容の小説を読んだことがある。松本清張か誰かの、推理小説だったと思うのだが、はっきりしない。どこかの学会で無名の研究者が、聴覚関連の生理学データをもとにした発表をする。それは画期的内容なのだが、いかんせんデータの信憑性がない。活動している脳内部から得られたとされ、かつ知覚の内容に関した所見をどうやって得たのか、という質問にも「百匹のサルで実験した」と答えるばかり。その時ある質問者が、「ところでそのサルの体重は?」と問う。「すべて60kg以上です」という答えを聞いて、その質問者は発表への疑問を撤回する、というもの。それがどう推理小説としての本筋に関わっていたのか、全く覚えはないのだが、「60kg以上の体重を持つ百匹のサル」というところで、組織的な人体実験、それも被験者の死をいとわない実験から得られたことを示唆する描写が印象的だった。常連の方がチャットで聞いた、という話はこんな雰囲気の話なのだろう。
私は以前、製薬会社が治験のために行う高額アルバイトの噂に関する記事の中で、「人命尊重のタブーがなければ価値のある医学実験が出来る」というのは神話にすぎないとし「日本の731部隊やナチの人体実験で学問的価値を持つようなものは皆無」と書いている。その考えは今も同じで、上に言われているような「731部隊で体系的に人体実験が行われ、それがかなりの成果をあげた」などということは完全な伝説だと思っている。
誤解しないでいただきたいのだが、731部隊の存在や、そこで行われた数々の残虐行為自体を否定しているのではない。731部隊は「関東軍防疫給水隊」という正式名称が示すように、衛生環境が劣悪な地域に展開する部隊への水補給という機能から発して、細菌兵器や化学兵器への対応の研究、ひいてはそれらの兵器自体の開発を行った実在の組織だ。兵器の開発過程で、その効果を実証するために捕虜や政治犯などを対象にした人体実験が数多く行なわれ、そこで殺された人は万単位に上るとも言われる。
兵器としての有効性を確かめるためには、動物実験だけでは不足で、実戦であれなんであれ、人間に効果があるのかどうかを確かめるのは必須であろうし、そのための「体系的」研究が行われたのは間違いない。そういうデータを、他国の軍隊も喉から手が出るように欲しがった、というのもこれは当然であろう。敵対勢力を有効かつ安価に殲滅するのが第一目標である軍隊で、そういう研究開発が行われるのを非難してみても始まらない。非難されるべきは、そういう組織に依存して成立せざるをえない「国家」自体と、それを創り出した人類の愚かさだ。
私が伝説だと思うのは、そういう殺戮効果実験ではなく、「残虐な人体実験が、学問的価値のある発見を多く生み出した」という部分だ。そりゃまぁ、軍事だって学問の対象だと言われればそのとおりで、人を殺すための学問と人を豊かにする学問の2種類があるわけではないのも事実だ。解剖学や薬理学の知識は適切な医学処置の前提にもなれば、効率的殺人法開発にも役立つ。ここではごく普通の治療医学、という意味に限定して言っている。
一般的に、科学的実験研究には二種類あり、観察実験と介入実験にわけられる。他にも理論的な枠組みの中だけで行う思考実験もあるが、それは仮説構築の段階だろう。観察実験は色々な事象を観察し、その内部関連を知る。子供の時、庭にヘチマの種を植えてその生育を観察した人は立派な観察実験をしていたわけだ。自然過程に何らかの操作を加え、そこにおこる変化を観察しようとすれば、それは介入実験の範疇になる。ヘチマの茎をちょん切り、先をビンに突っ込んでヘチマ水を採取するのはこの部類だ。普通、ヘチマの生育観察をいくら精密にやっても、「茎の中を水が重力に反して輸送される」という事実は発見できない。茎をちょん切るという操作が初めてこの事実を明らかにするわけだ。しかし、やみくもに茎をちょん切ったわけではない。初めからビンを用意してそこに茎を突っ込んだことでも明らかなように、そこに水が通っているという仮説があったからこそ、茎をちょん切るという操作が発想されたのだ。
おそらくそこに至るには、たまたま大風でヘチマが倒れ、いたんだ茎から水が染み出しているところを見る、というような偶然の観察があったのだろう(普通の子供は本に書いてあるからそうしただけだけど)。そう言う意味では、介入実験は観察実験の一部を肥大させただけだ。充分な観察のもとに得られた仮説を前提としない介入をいくらやっても、自然過程のかく乱が加わるばかりで、よほどの偶然でもない限り、何かの結論を得られることはない。子供のころ、小動物とか昆虫とかを捕まえて尻尾をちょん切るとか、身体を切り刻むとかして遊んだ覚えのある人は多いだろう。あの「介入」でなにか具体的な事実を知った人はいるだろうか。(普通に自然を観察していても、そこに何らかの意味を見出す直感がないところでは、単なる事実の集積から何かが出てくることなどない。ここで勘違いしている人は、現役の研究者の中にも結構いる)
伝え聞く731部隊やナチスの人体実験というものは、子供が小動物をいたぶるような興味本位である場合がほとんどだ。ナチスの収容所で、ユダヤ人の子供に対して、性腺をはじめとする内分泌器官を切除する実験がされたのは有名だが、それで何がわかるだろう。当時の水準では、その結果を本当に知ろうと思えば、長期にわたる生育過程の追跡が必要だろう。栄養も充分でないような収容所で短期間観察しても何も判りはしない。というより、何も判るつもりなどなく、研究に名を借りて残虐なことがしてみたかっただけなのだろう。
先にあげた小説の内容にしても、知覚内容も含めたデータというからには、被験者と実験者には意志の疎通がなければいけない。鉄砲で脅しつけて、頭の中に電極を差し込まれ、生への希望もない被験者からどうやってデータを取るのだろう。ましてやそれ以前の虐待もあるだろう。とてもコントロールスタディにはなり難い。もしそんな実験をしても、特殊な状況での虐待記録という意味しかない。うろ覚えの小説内容を批判しても始まらないが。
731部隊の責任者であった石井四郎氏の電話インタビューを聞いた事がある。彼はこういっていた。「あそこで私は生理学研究をしていた。零度の水の中に立っている水鳥の足がなぜ凍えないのか、という興味があった。それがたまたま、寒い地域で作戦行動するときの凍傷対策を検討していた軍と利害が一致して、研究の場所が与えられた」と。
731部隊の所業を告発する立場からは、そこで行われていた捕虜に対する凍傷実験が非難されている。真冬の川に捕虜達は裸足のまま縛られて一晩中立たされ、凍傷の程度と気温水温との関連のデータを取られたのだという。捕虜達はみな重度の凍傷になり、そのまま命を落とすか、半死半生のまま、解剖された人も多かったと。石井氏の言う「水鳥の足」の研究とはえらく雰囲気が違う。
それみろ、そんな残虐な実験で凍傷予防の研究がされていたのだ、それが医学研究の本質だと非難したい人もいるだろう。でも、ちょっと考えてみて欲しい。人を死ぬまで冷たい水につけておくことが、凍傷研究の何に役立つだろう。凍傷というものが、そのころはじめて発見された特殊な病変なら、その症状の形成過程の観察はそれなりに意味があるものだろう。しかしとっくの昔に、原因も、その過程も、それに応じた治療法も、その結果もすべて判っているものなのだ。捕虜たちをひどい目にあわせる、という以外、何の目的と結果を期待できるだろう。なにか新しい治療法、予防法でも開発されていて、それの実験というならまだわかる。しかし、731部隊が水鳥の足からヒントを得たような「石井式凍傷予防法」とでも言うべきものを開発していた、というような話は全く聞かない。少なくとも戦後の学会で人知れず報告された形跡もない。
そこではごく一般的な医学研究も行われていただろう。先の常連の方のチャット相手によれば、細菌の乾燥保存法を開発したのは731部隊なのだそうだ(私の記憶とは違うけれど)。細菌を効率的にばら撒くためには、その大量培養と安全な保存法が開発されねばならぬだろし、その技術は同時にワクチンの生産や生物工学に適用できる有効性が高いものだ。ただし、その開発には別に人体実験を行う必要性はない。保存した細菌の性質が変わっていないか確かめるため、捕虜の方がよっぽどコストが安い、というような安易な発想で動物実験せずに人体実験した、というような可能性はある。でもそれで特別な成果が得られるとは思えず、単にモラルの破綻が示されるだけだ。戦後にデータが漏れたとしても、誰も使わないだろう。
戦争というものが近代医学の発展に大きく寄与した、というのは言うまでもない事実だ。現在の救急医療体制と技術は、野戦病院での経験がもとになっているものが多い。精神医学なんか関係ないと思われるだろうが、閉鎖的病院での治療よりは地域での開放的処遇を、とする近年の流れを決定付けたのは、戦場における戦争神経症治療の経験が大きい。もちろん、それらは戦争という極限状態の中でも、少しでも生命を救おうという使命感から行われたことだ(そういうポーズでもないと、近代国家としては国民を死地に送ることが出来ないようになった事もある)。特殊状況を利用して、自分の残虐趣味を満足させた連中の「研究」などが、医学やひいては科学一般の中で何らかの役割を果たす事などない、と私は信じたい。(2000/11/20)
学生時代、T大病理学教室教官で、戦中は731部隊の研究員だったとされるT氏の特別授業を受けたことがある。氏の授業は型破りというか、ハチャメチャというか、時間のほとんどをギャグと文学作品の紹介に費やし、辛うじて進行性神経疾患の剖検例を示説したのち、「破滅的病変を持ちながら、この患者さんが有益にその生をすごした事実に、神の福音を感じようではありませんか」と結ばれるものだった。「先生は残虐行為の只中で、神の許しを感じておられたのですか?」私はそう質問するべきだった。
「血液型がある程度人間の性格を決める」という考え方が、人々の間に根強く広がっている。昨今、血液型というのはかなり多くの人にとってはプロフィールの一部として機能していて、個人ホームページなどを見てみると、「18才、水瓶座のO型でーす。メール頂戴ね」的な記述を数多く見つけることができる。これは日本以外の国ではまず見られないことだ。アメリカなどには、やたらに星座にこだわる人がいるが、日本人にとっては、血液型による性格判定というのが国民的娯楽になっている。
実際なんとなく当たっているようにも思ってしまう。私などは、オッチョコチョイ、深く考えずに直感だけで行動するという、よくB型の典型的性格といわれるそのままの思考行動パターンの持ち主であるが、果たせるかな、B型だ。例えば長島茂雄氏などもB型だ、というようなことを聞くとなるほどな、と思う。しかし同時に、野村克也氏もBだと聞くと、信憑性はたちまち薄れる。あのお二人に共通するものを認めるのは、ちょっと難しい。
もちろん、科学的な理屈として、血液型が性格を決めるようなことはない、と一方では確信(信じるというようなレベルではなく、まさにそう認識している)してはいる。しかし、バカ話のチャンネルに切り替わっている時などは、結構つじつまがあったつもりで、知り合いや友人達の性格行動パターンを「血液型」で説明していたりするのだ。基本的教養として浸透しているこの話が通じない人はまずおらず、場の座興としてこれほど当たり障りのない人間論を展開できる主題はまずないだろう。
ところが、世の中には「原理主義者」が必ず存在する。この血液型性格分類を、座興ではなく絶対的真理として受け止める人がいるのだ。企業が血液型によって配置を決めたり、学校教育の場にこの理屈が持ち込まれようとしたりする例までみられる。これではもはや、ファッショ的生物学的決定論に近いものとして機能しており、「座興」などとのんきなことは言っていられなくなる。
まず、血液型性格学というものがどこから出てきたか、おさらいして置こう。ネット検索するとこれについての解説は山のようにあり、そのほとんどが批判的なものだ。まあ、常識的には当たり前だが、それでも人が信じようとする、というところに「都市伝説」のしるしを見つける事は容易だろう。
血液型研究の歴史からはじめよう。輸血という治療法が試みられたのは17世紀フランスにさかのぼり、その時は羊の血液が使用された。幸い羊血球に対する自然抗体がなかったらしく、この療法は当初成功を収めるが、ラッキーは続かず、一件の死亡例から創始者は殺人の告発を受け、いったん輸血治療は途絶えることになる。19世紀になって散発的に試みられるものの、劇的成功と失敗が相半ばした。1900年、オーストリアの医学者、ランドシュタイナーは、人によって混ぜ合わせると凝集する、異なる血液のタイプをもっていることを発見、ABO血液型理論として発表する。
ところがこの血液型は当初から「人間の分類」という発想にとらわれた。ドイツのある研究者が、血液型内訳に民族差があることを発見し、血液型が進化の指標であるようなことを言い出した。ヨーロッパではAとABが比較的多く、ネイティブアメリカンはほとんどO型であったり、東洋人にB型が多い事実などから、「O→B→A→AB」と人間は進化した、などという妄説を主張する輩がいたのだ。(DNA解析でこの進化順序は完全に間違っていることが証明されている)
日本では1916年に初めて血液型と性格に関する論文が出されたが、本格的な論議のきっかけとなったのは1927年の東京女子師範学校の教授であった古川竹二氏による論文、「血液型による気質の研究」である。彼はこの論文において、現在語られる血液型性格分類とほぼ同じものを提唱している。これは新聞記事などで散々叩かれたうえ、心理学者に「データを示せ」といわれても一切応じなかったというあたりで眉唾ものとみなされ、そのまま消えていった。しかし、一部では、この原理を応用して軍隊の組織化を図る試みがあったのだという。古川氏の説には、OとBをどことなく持ち上げる意図があるのを感じるが、それはおそらくヨーロッパの血液型人種進化指標説への対抗意識から来たのだろう。
その後、1970年になって作家の能見正比古氏が「血液型人間学」という本を上梓、続いて出された2巻もベストセラーとなって、一挙に「血液型と性格」というのが一般化していくことになる。その後も、能見氏自身やそのご子息が追加されたものをはじめ、その他有象無象が書いたパチモン本が山と出ている。
そもそも血液型とは何であろうか。それは赤血球表面にある糖質パターンだ。血球表面にはまずH抗原といわれる蛋白糖質の複合体が散在しており、それにN-アセチルグルコサミンという糖質がくっついたものがA型となる抗原、別種のガラクトースがくっついていればB型抗原だ。H抗原そのままだとO型の性質を示す。DNA解析では、霊長類の進化過程で、まずA型がオリジナルとしてあり、BとOがその後突然変異で生じたということがわかっている。ABは遺伝子の交差で両形質が受継がれた結果だろう。
これにどのような機能があるのか、というのははっきりしない。まして血液型のバリエーションが及ぼす直接的メリットというのは、よくわからない。血液型を決定する遺伝子が別の形質決定にもかかわっている可能性はあるが、今のところ明らかにはされていないはずだ。
新ダーウィン主義の枠組みで、次々に奇説珍説をエンターティメントとして発表しておられる竹内久美子氏は、その著書「小さな悪魔の背中の窪み」(1994年4月新潮社刊)のなかで、細菌の抗原擬態戦略と生体がわの対処、と言う視点からこの問題を説明する試みをしておられる。簡単にまとめるとこういうことだ。細菌は人体に侵入するとき、免疫機構に捕捉されないように、自分を人体の成分で擬装することがある。それには赤血球の表面抗原が使われることもある。迷彩服の原理だ。人体側は血液型にバリエーションをつくる事でそれに対応しようとする。自衛隊の迷彩服で砂漠の戦場に行けば、かえって目立ってしまうだろう、というわけだ。
そういう対応の結果、血液型によって感染疾患にたいする強さが微妙に異なることになった。A型は侵入者によって擬態されやすく、病気にかかりやすい。B型はある種の擬態には強い。O型は一番対応しやすく、病気に強い。こういう抵抗力の差が個体の気質を決定付けていくのではないか、と言うのが竹内氏の主張だ。病気に弱いA型は引っ込み思案になり、ある種の病気にだけは強いB型は、すぐ態度を豹変させる性格になり、何でも強いO型は積極的な自信家となる、という。
そんな屁理屈があるかよ、と感じるか、なるほどそうだったのか、と感じるかは人の自由だが、少なくとも病原体の抗原擬態と言う戦略に、血液型のさまざまなバリエーションを用意することは、種としての保存戦略だと言う指摘はうなずける。ワンパターンの血液型では、そこをついて抗原擬態してくる病原体に、種全体がやられる可能性がある。パソコンでも、Windowsばっかりが独占していると、一種類のウイルスでみなやられるようなものだ。
しかしどう贔屓目に見ても、そういう種の多様性戦略が個体の性格傾向を決定する、と言う主張は受け入れがたい。大体、竹内氏自身が示している「血液型別の疾患に対する抵抗性」の差は微々たる物で、とても行動パターンを決定付けるものになるとは思えないものだ。ここは竹内氏の「学問とは嘘をつみかさねて人を楽しませるもの」という持論の具体例として、楽しむにとどめておくべきだろう。
最後に、血液型性格分類がここまで浸透した要因を考えてみよう。何よりそれには程々に科学的な装いがある。生まれ月とか、方角とかの、運命にどんな影響もなさそうな事を根拠にするよりは、「血液型」という明白な事実を根拠にしている点で説得力をもつ。その上に、簡単である。何しろ4種類しかない。星座なら12種類、最近では13種類だったりして、これのエキスパートになるにはかなりの努力がいる。似非心理学系のトンデモ説が時々話題になることがあり、人を何種類かのパターンに分けるものである事がほとんどだが、大体において面倒くさすぎて人々の記憶にとどまる事はない。その点、4種類と言うのは単純すぎず、複雑すぎず、そこそこの分類思考が出来るのが強い。
なぜ当たっているように感じるのか、というのはさんざん言いつくされているので、ここでは取り上げないが、人間は見たいものしか見えない、ということは他の伝説が出来ていく場合でも重要な要因であった事を思い出していただきたい。余り例にならないかもしれないが、私はずっと自分がO型だと思っていて、70年代の第一次血液型ブームのときに、なるほど自分はO型性格の代表だと感じたものだ。医学部の実習で自分の血液型がBだと知った当初は、妙な違和感に包まれた。もちろん昔からオッチョコチョイで、気分屋、ろくに考えもせずに行動するというのは変わっていないのだ。自分はO型人間だ、と根拠なく思い込むB型の特質を持っていたわけですな。
ネット上だけでも、血液型を巡る議論はさまざまだ。ほかの肉体的特質を人に聞いて、それで性格を云々したりするのは侮辱なのに、血液型だけはなぜ許されるのか、そんなことはもうやめよう、と言うような真面目な主張もある。確かにそのとおりだが、誰も本気で信じているわけではないだろう。手近で弄しやすい超越的理論として、グレーゾーンにおいて、時々バカ話のネタにするぐらいは許されるのではないだろうか、と言うのが私の意見。(2000/11/26)
下のサイトのように、血液型原理主義の牙城みたいなのはちょっとイタイが、「知的」お遊戯だと割り切れば、楽しめない事もない。でもここはその小奇麗なつくりにもかかわらず、反血液型勢力への論難スタイルが、昔の某政治党派を思わせるスリカエ論理を駆使したもので、ゲームを楽しむところからは逸脱しているような気もする。直リンクすると妙な事になる予感がするのでURLを示すだけにしておく。
http://www2.justnet.ne.jp/~shozo_owada/
アメリカ合衆国大統領選のごたごたは、国家権力というものの無根拠さをみずから暴露してしまったようなところがあり、まじめな論評にはなじまぬというか、同じ土俵ででなにを言ってもしかたない、と感じさせるものだ。風刺というか、おちょくりの対象としてはこれほど適当なものはなく、正式の記者会見ですら、「第三世界の選挙監視団を呼ばないのか」などと言われて、政府高官も黙り込むしかない。ここに紹介するのは、開票作業の不手際が報じられた11月8日、いち早く某ニュースグループに投稿され、チェーンメール化した文章である。はじめは数章だけだったらしいが、転載、転送するに従って内容が書き加えられた。一部我々には理解できないような部分もあるが、なるべく元通りの意味を尊重して訳出した。引用はこちら。
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アメリカ合衆国市民に告ぐ
合衆国大統領選出の失敗、及び汝ら自身の統治の無能を鑑み、我らはここに、汝らの独立無効の布告を行うものなり。エリザベスII世女王陛下におかせられては、米国すべての州、属州、保護領における王室統治を再開され賜う。なお、ユタ州は除く。陛下はそこを好まれず。汝らの新しき首相は、選挙を経ずして、英国首相がこれをつとめる(なお、汝らの97.85%は汝らの国境の外に世界があるを知らぬゆえ、念を押すならば、首相は光栄あるトニー・ブレア氏なり)。下院、上院はこれを解散とせしむ。来たる年、汝らの理解度を確かめるため、質問票を配布せしむるものとす。とく答うるべし。
英国王室統治への移行の一助として、以下が布告されり。慎み聞くべし。
1. 汝らはまず「無効」という言葉をオックスフォード辞典で調ぶるべし。その後、「アルミニウム」を調べ、その発音を確認すべし。「U」の音を省く事許さざれしことにして、怠け者の所業に他ならず。また「Z」はゼットにして、ジーにあらず。接尾語”…ize”は正しく”…ise”に置き換えるべし。同様に、接尾語”burgh”は正しく「バラ」と発音すべし(例:エディンバラ)。もしこれあたわざるなら”Pittsburgh”は”Pittsberg”と表記されるも苦しからず(1)。すべからく、汝らはその語彙能力をあたう限り高める努力をすべし。「語彙」に関しては辞書で調べよ。意味なき雑音を会話に混在したるは、(例:…だとかぁー、…てゆーかー、等)これ受け入れがたき事にして、コミュニケーション阻害に他ならず。「混在」に関しては辞書で調べよ。TVのトークショーなどにて(2)、特定言語にピー音被せしは許されず。もし悪しき言語習慣の脱却かなわぬほど汝らの愚かさ勝りたるならば、バラエティー番組は放逐されるべし。汝らが語彙を磨けば、悪しき言語の使用、おのずから姿を潜めるべし。
2. 「米国英語」たるもの、この世にあらず。我らはマイクロソフト社をして、汝らの補助をせしむ。マイクロソフトスペルチェッカーは、上記の誤りを正すべく最適化せしまれん。
3. 汝らは英国とオーストラリアにおけるアクセントの違いをとく学ぶべし。それは難しきことにあらず。英語の押韻はコックニー、上流階級、マンチェスターの訛に限られるものにあらず。また国々の訛になれることを学ぶべし。「警部タガート」のごときスコットランド製ドラマは、今後字幕付きにて放送されるべし。国々といえば、英国には「デボンシャー」なる地名はなきことも学ぶべし。正しくは「デボン」なり。汝らがもし、デボンシャーに拘泥せんとするなら、すべての米州名に「シャー」がつけられるべし。例:テキサスシャー、フロリダシャー、ルイジアナシャー。
4. ハリウッドは英国人俳優を、よき人として配役せしむるべし。また英国人俳優は英国的性格のままに演じせしむることも然りなり。英国喜劇を、政治的公正を保つことあたわざる米国人向けに、水増し再編集するは許されざることなり。
5. 汝らは、本来の国歌「ゴッド・セーブ・クイーン」をとく覚えるべし。しかれどもそれは1.の課題なし終えてのちでよし。我ら、汝らを中途半端のわけわかめに追いやること欲するにあらず。
6. 汝ら、アメリカンフットボールをするべからず。フットボールは一種類のみなり。汝らが「アメリカンフットボール」と呼びたるは誤りなり。汝らの国境の外に世界があるを知る2.15%は、国外にてアメリカンフットボールをする人間これ皆無であることを知りたり。禁止の後は、適切なるフットボールをするべし。それは女人と遊ぶも容易なゲームなり。習熟したる後、勇気あるものにのみラグビーが許されるべし(3)。ラグビーはアメリカンフットボールに近似せしが、20秒ごとの休みやケブラー製防護着などはこれを知らず。我らは2005年までに、米国チームとの合同を期待するものなり。また、野球もこれをするべからず。ゲームに「ワールド・シリーズ」なる名を付けたること、国外にて行われざるをみれば甚だしき非合理なるべし。しかれども、汝らの国境の外に世界があるを知るのは2.15%であることを鑑みれば、汝らのあやまちは許し得るものなり。野球の代わりには、「ラウンダー」(4)を行うべし。これは主に女人にて行われるものにて、野球よりチアガールとグローブ、ホットドッグを取り去りしものと覚えるべし。
7. 汝ら、ケベックとフランスに向けて宣戦布告すべし(5)。かの地のもの、もしぐだぐだぬかすなら、直ちに核兵器使用すべし。汝らの国境の外に世界があるを知らぬ汝らの97.85%は幸いなり。ロシア人は悪しきものたちにあらず。銃器の所持はこれを認めず。汝らは野菜の皮むき器以上の危険物を所持携帯することなかれ。汝らの危険物取り扱い能力に深く疑義を持ちたるゆえなり。もし、野菜皮むき器を公衆内にて携帯せんと欲する時には、許可これを求むるべし。
8. 7月4日はもはや祝日にあらず。11月8日をもって新祝日とし、「どっちつかず記念日」と呼ぶべし。
9. 米国車は禁止とす。それらはクソにして、個人的趣味用にのみ所持許されるべし。我らの意図は、ドイツ車をみれば自ずから理解されるべし。すべての交差点はロータリーにて置き換えられるべし(6)。汝ら、車の運転の際は本日より左側通行を遵守すべし。同時に、メートル法をも取り入れ、換算表の使用は控えるべし。ロータリー並びにメートル法使用は、汝らに英国風ユーモアセンスを培う手助けとならん。
10. 汝ら、真の「チップス」の作り方を学ぶべし。汝らが「フレンチフライ」と呼び慣わしものは真のチップスにあらず。フライはフランスのものならず。汝らの97.85%はそんな国など知らぬと覚ゆるが、それはベルギー製なり。汝らが「ポテトチップ」と傲慢に呼びしものは「クリスプ」なり。真のチップスは分厚く切られ、動物性油脂にてあげられしものを指すなり。チップスとともに供されるべきビールは、冷えていてはならぬものなり。ウエイトレスは顧客により猛々しく接すべし。
11. 恭順の証として、マサチューセッツ州で産出される茶葉には、一カップ分につき5グラムの塩が加えられるべし。とりわけボストン市内においては塩は倍量とすべし(7)。
12. 汝らがビールと呼ぶ冷えた液体は、本物のビールではないものと命ずべし。11月1日をもって、適切なるビターのみをビールとよび、ヨーロッパ有名ブランドに発するもののみをラガーと呼ぶべし。かって「アメリカンビール」と呼ばれしものは、「凍りかけの猫の小便」(8)と呼ぶべし。これには若干の例外ありて、バドワイザー社に限り「気抜け凍りかけの猫の小便」と呼ぶべし。これはチェコ共和国なる真のバドワイザー社との混同をさける手段とならん。
13. 11月1日をもって、英国は旧合衆国のペトロール価格(汝らがガソリンと呼ぶのは来年4月1日までなり)との調整を行うものとす。英国はその価格を旧合衆国と同じにし、旧合衆国は英国価格を採用するものなり。おおむね1リットル2ドル弱とならん。
14. 汝らは個人的問題を、銃器、弁護士、精神科医を使わずして解決する方法を学ぶべし。かくも多くの弁護士、精神科医の存在が示すものは、汝らが独立能力無き未成熟を示すに他ならず。銃器は成熟者においてのみ扱われるべし。訴訟や、精神療法に頼る限り、銃器所持は認めがたし。
15. J・F・ケネディ殺害犯をさっさと教えるべし。我らみな苛つきおりたり。
なお、女王陛下政府の徴税官が近く汝らのところに出向くなり。納税ゆめゆめおこたるなかれ。(なお課税は1776年に遡るものとす)
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この文章に解説つけても仕方ないので、訳注のみを以下に記す。
(1)英語圏では他国の地名を、その固有の発音を尊重しないで使う場合が多い。パリス、ミュンチなど。米国の場合、これを英国の地名にもやってしまうのである。エディンバラをエディンバーグというわけだ。もっとも、日本人も平気で韓国、中国に対してはそうしますがね。
(2)具体的な番組名が書いてあったが、よくわからないので割愛。
(3)英国人はサッカーとラグビーをどう使い分けるのか、よくわからない。これを書いた人は比較的インテリ層らしく、ラグビーが本当のフットボールだと思っているみたいだ。
(4)どんなゲームか不明。クリケットを簡略化したようなものか。西日本で昔行われていた「ろくむし」のようなものかと想像する。
(5)理由不明。カナダの一部まで取るつもりかい、と英国人は感じているのだろうか。
(6)英国圏の国々ではこれを経験した人は多いと思う。一定の交通量以下の場合、あれはきわめて合理的な交差点として機能する。ちょっとトロイ人の場合、見当はずれの方向に出ていったり、いつまでもロータリーをぐるぐる回っていたりすることがあるのが欠点。
(7)ボストン茶会事件のことを根に持っているのだろうか。ボストン茶会事件とは、1773年、ボストン港にて紅茶がインディアンに化けて海に飛び込んだ事件だそうで(土屋賢二氏説)、アメリカ独立のきっかけとなったのがそういう超常現象だというのは興味あることだ。
(8)猫と書いたがKnatと記されており、なんだかわからない。検索したら猫っぽいイラストのTシャツのサイトはあったけど。わかる人いたら教えて。
(2000/11/30)
この記事に関して掲示板やメールで様々な意見を頂いた。「ラウンダーズ」というのは、野球に似たイギリスのもっぱら少女達によって行われるゲームだという。私たちがゴムマリを使ってやった野球ごっこみたいなものらしい。"Knat"はブヨのような虫だそうだ。"Knat's T shirts"というTシャツ販売のサイトがあって、そこが"Knat"を商標にしているのだが、それが一見ニャロメみたいなので勝手にネコと訳したが、ほんとはブヨで、ブヨの小便みたいな味のビールというのは、「味がしない」と言う意味なのでご注意を。ネコの小便だったら、うまいかまずいかは別にして、たっぷり味と香りだけはあることになってしまいますわな。(2001/05/26)
昨日、TVを見ていたら、芸能人がたくさん出てきて「病気自慢」するような番組をやっていて、それも運動器系の「痛み」、特に「肩こり」が中心の話題になっていた。複数の専門家がそれにコメントしていく、と言う構成だったが、専門家の中のあるリウマチ専門医は「あらゆる症状には原因があり、それを科学的追求せずして中途半端な対症療法していてはいけない。原因は必ず突き詰められ、治療はできる」とえらく強い調子で断定していた。あいまいな概念に寄りかかって、自己流の対処法をしているから治らないのだ、と。
演出なのだろうけれど、えらく攻撃的な人だな、さすがリウマチを専攻するだけのことはある、などと思いつつ、疑いがわくのを禁じえなかった。エキスパートになると、重度疾患ばっかり見るようになって、日常的な苦痛の訴えを忘れてしまうのではないか、と私には思える。私が働いているような弱小市中病院で一般外来をやっていると、「肩こり」を訴えてくる人は結構いる。そういう人に、直接的な原因となるような何らかの異常が見つかることはまずない。中には明らかな頚椎疾患によるもの、と思える人もいることはいるが、そんなに率は多いものではない。それにそう言う例はよく聞けば、訴えやすい言葉として「肩こり」を選んでいるだけで、症状は微妙に違うことが多い。ましてや、20年来の肩こりで、などと言う人に「心筋梗塞の疑いもある」なんて言ってしつこい検査などするのは、見当外れのはた迷惑もいいところだ(そりゃいろんな面から最低限のチェックはしますよ。そのほうが病院だって儲かるし)。患者の中には一般的な検査で異常が見つからないと言うと、もっと詳しい専門的検査をしてくれ、と疑心暗鬼になって要求する人が一定の割合でいるが、そういうのは上のような「科学真理教信者」系の専門家が誘発している面が強いのではないだろうか。
よっぽど特殊な疾患でもない限り、一般的検査で異常がないときに、さらに専門的検査をして異常が出るわけがない。出たとしても、どこまで本来の訴えと関係あるかは疑わしい。例えば心電図異常が見つかりにくい異型性狭心症の場合など、さらに心血管カテーテル検査をすればいい、と言うものではない。もっと一般的な検査を繰り返し、症状経過を詳しく追って、対症療法の効果などを検討して、疑いを絞り込んでいく作業が欠かせない。ちょっと専門的テクを覚えかけた連中は、すぐに侵襲の大きい検査をやろうとするが、それで何がわかるかというと、個人的なばらつきの多いデータが溢れるだけで、何が問題だったかあいまいになるのが精いっぱい。大げさに言うと、窓枠のガラスがガタガタ言うのを、素粒子レベル解析で解決できると考えているようなものだ。
さて「肩こり」であるが、これを教科書レベルで調べようとすると、不思議なことにほとんど調べようがない。手元にある「標準整形外科学」(医学書院)というアンチョコ系の教科書を開くと、「肩こり」と言う言葉が出てくるのは、「頚椎部の疾患」という章で、「頚部・上肢痛はいわゆる肩凝りとして訴えられる場合も多く」という記述がすべてである。外の教科書も大同小異で、首と肩関節の異常に関しては記述されていても、その中間の、ほとんどの人が「肩こり」があると訴える、あの僧帽筋が末広がりとなっていく「肩」と呼ばれる部分の異常には、ほとんど何も触れられていない。
だいたい、こういう教科書が手本にしている欧米には「肩こり」と言う言葉がないのだ。英語でカルテを書く医師は、「肩こり」を記述するときには”Stiff shoulder” とか書くのだが、これは正確には「痛みで動かしにくい肩関節」を意味していて、いわゆる肩こりではない。英語の日常語として”tight shoulder”と言う言葉があるが、これは例えば一日中モッコを担いだとか、負荷を上げてショルダープレスをしつこくやった、というような場合の張った感覚を言い、日本人が「ああー肩こった」とトントン叩いているようなものとは少し違う。これは私が付き合ったことのある欧米人からの聞き取りなので、必ずしも普遍的ではないかもしれないが。しかし、日本に長く住んでいる何人かは、口を合わせたようにこう言っていたのが興味深い。「日本語を覚えると、肩がこるようになった」と。同時に、それまで悩まされていた背中の張りとか、首の突っ張りを感じなくなったのだと。文化というか、言語が症状を創り出すかのように見える、奇妙な現象がそこにはある。
ネット検索で、肩こりの日本文化依存性について調べると結構たくさんのサイトが引っかかる。「肩こり」という言葉と概念が欧米にないことを認めつつ、それに相当するものはもちろんある、という主張が一般的だ。例えばここではこう書かれている。「欧米人にはこりの症状は無いのかというとそんな事はなく、日本人と変わりなくこり(筋肉の硬縮)は起きているのです。そして、痛みなどの症状も全く変わりないのです。無いのは、こり感だけ、つまり、肩が凝ったという自覚なのです。」
しかし、考えてみれば奇妙な話だ。症状はあるが自覚がない?一体どういう意味だろう。自覚しないと言うことは、そう言う症状はないと言うことと同じはずだが。イギリスに在住している方のサイトでも、ほぼ同じ事が書かれている。イギリス人だって肩はこる、向こうでは「肩こりは stiff neck」と言うのだとも。あれれ、向こうでは「肩」と「首」は同義なんでしょうか。先の整形外科の教科書と同じような「肩」の無視がここにはある。それは欧米文化の特徴であるようだ。
有名サイトであるここでは、準専門家の立場でやはり同様な主張がされている。肩こりは何科にいけばいいのかという質問に答える中で、海外の医学論文を引用し、「ある時点で統計を取れば、13%の人が"neck pain"を訴えるという。そのくらいよくある症状なのだ。一生涯となると"neck pain"を訴える率は50%になるという」と、「肩こり」は普遍的なものだという主張している。でもなんだかおかしくないか。肩こりの相談に、"neck pain"の話で答えてどうする。仮に、毛唐は大雑把だから同じなんだよ、と誤魔化すことにしても、13%が訴えるってえらく少なくないか。生涯を通じれば、日本人なら90%以上になるのでは。
ここで紹介されている論文は私も読んでみたが、どう読んでみてもそれは頚椎疾患に起因する痛みに関する内容であって、「肩こり」一般について述べているとは思えない。少なくとも、この論文のバックグラウンドとなる患者群では、まず頚部痛というのが訴えの中心を占めている。「肩こり」はメインの訴えになっていない。このサイトの筆者は、「症状は普遍的だ」と言う思い込みで、肩こり=首の痛みという、日本の整形外科教科書がやっているすり替えを無自覚のうちにやっているのだろう。
中庸にして常識的な記述の典型は、この人気TV番組のサイトに見られる。「華奢な骨格にアンバランスな頭。お辞儀をするストレスの多い生活。火山国で水のミネラル分が少ない。日本人は肩への意識が強い民族」などという側面から、日本人の肩こり親和性を説明している。とてもそれらだけで説明できるとは思えないが。
普通の医師もこういう認識に加え、漢方医学的な「血液の鬱滞」あたりの説明をして、症状と気長に付き合うことを勧める、というのが一般的なところだ。それは専門的医学知識というより、一種の常識的な納得の論理として共有され、支持されるものだ。とてもこれだけじゃまずいがなぁとは思いつつ。
結局はっきりとした結論は出ないのだが、この「肩こり」という現象に関して、いろんな方向からゆっくりと知識が蓄積されていったら、いつか、文化や言語に依存するかに見える謎も含めて、科学的に解明される日が来るかもしれない。ほとんどのcommon diseaseと同じように。少なくとも、最初に紹介したような攻撃的科学解明主義が出る幕は、この領域にはないように思う。まして、「肩」の問題をいつのまにか「首」にすりかえて、それに疑問も感じないような専門的態度が、この謎を解決することはない、と断言できるだろう。(2000/12/09)
更新日記に高校生時代の思い出話を書いていたのだが、ちょっと長くなり過ぎたのでこちらに移動した。私が通っていた高校は東寺というお寺が経営していて、私はほぼ3年間、その寺の境内で暮した、というバックグラウンドを知っておいていただく必要がある。「都市伝説」にふさわしい内容かどうか疑問があるが、お許し願いたい。
高1のクリスマスの日のことである。校長先生が、寺に預けられている生徒たちを自分の坊に招いて、クリスマスパーティを開いてくれた。坊と言うのは寺の中にある小寺で、東寺のような大きな寺になると、主だった僧は境内に自分がしきる小寺を持っているのだ。山口組の幹部が、同時に自分の組の組長でもあるようなものである。ちょっと違うような気もするが。校長も僧籍を持つ東寺のえらいさんなのだ。当時は東寺の(ここ、笑うとこですよ)ナンバー2ぐらいだったか。
お寺でクリスマスパーティーと言うのも妙なものだが、御相伴にあずかる側に異論はない。それに、その日は我々のほかにスペシャルゲストが来ていた。それはその頃すでに絶大な人気を得ていたタレント、「由美かおる」嬢であった。我々の高校の学校法人は由美かおる嬢が通っていた幼稚園も経営していて、昔そこの園長であった校長に彼女はとてもなついていたらしい。彼女はNHKの「私の秘密」と言う番組でうちの校長と対面して、感激の余り忙しいスケジュールの合間を縫って、会いに来たのだという。
ご本尊が見守る大広間に、ツリーが飾られ、テーブルがしつらえられた。むさい高校生と坊主と教師に囲まれ、由美かおる嬢は掃き溜めの天使の風情だった。彼女が動くたびにかすかなかぐわしい香りがたなびき、お愛想にしても向けてくれる笑顔は、はじけるばかりの美しさだった。校長は立場上、パーティのはじめにワインをちょっと振舞ってくれただけだが、それでも私たちは由美かおる嬢の魅力にめろめろの千鳥足となって帰途についた、はずなのだ。
これだけなら、単なるオッサンの昔話である。楽しい事もあったんだね、ハイハイ、よかったよかったと、うっとおしげにあしらわれるのが関の山。ところが本論はむしろここからなのだ。
大学も出て数年たった頃、お寺で一緒だった同級生と再会した。ちょうどクリスマスシーズンで、飲み屋で昔話をしていて、この日の話になった。すると、相手がどうも妙な表情を見せる。「うーん、パーティはそんな様子やったなぁ。そやけど、あの時おまえはあそこにおらへんかったぞ。」 へ?どういうこと?その男が言うには、なんでも、その年私は冬休みに入るとすぐに、こんな辛気臭いところで勉強していては理III合格はおぼつかないと言って(夢は大きい少年剣士である、無視されたい)、さっさと実家に帰っていたのだと。
正月明けに戻ってきてそのパーティーの話を聞き、私は悔しさのあまり、トランスに陥って生霊を遊離させ、生霊は時空を遡ってその様子を観察して、私に上記の記憶をもたらした、としか考えられない。あるいはショックによって、反応性妄追想が形成されたのか。それにしては余りにリアルな記憶があるのだ。意外に似合うご本尊とツリーの色の対比、由美かおる嬢の表情の輝き、一挙一動からあふれる健康な色香、これらすべてが幻だったというのか。
「この眼で見たから間違いない」というのを信じなくなったのは、この自分自身の体験からである。多くの超常体験や、都市伝説のネタとなる経験談は、おなじような経緯で生じているものが多いのではないだろうか。記憶とは過去の残り香ではなく、常にそれを想起する時点の生きた体験なのだ、とはよく言われることであるが、これほど不確かなものであるとは驚きである。もともとホラ吹きである私が、ホラだかどうかも忘れただけ、と言う解釈もありうるが。
現在、私はこのときの幻体験を、機会があるときには確信犯的に事実として人に話すことにしている。せっかくのリアルな記憶の断片がもったいないし、どうせオヤジのホラ話だと誰も真面目に聞きはしないので、害はない。由美かおる嬢(と言っても彼女は私と同い年だが)のほうも、記憶の中にその場にいなかった人間を付け加えるぐらいの事をしてくれていたらいいのにな、と願っていたりする今日この頃である。(2000/12/25)
別の同級生から、彼女とのパーティはクリスマスですらなかった、という意見も寄せられている。「あれは春休みの時やと思うよ。彼女薄めのミニドレスやったもの。芸能人がクリスマスシーズンにヒマしとるわけもあらへんし、なんぼええ加減な寺やからというて、本堂にツリー飾ったりすると思うか?」と言うのだ。うーん、これではまるで「藪の中」である。私がその場にいなかった事だけは事実のようだが。