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更新日記

 2002/06/30

雨の日曜日。スポーツクラブでアセトアルデヒトを排出したあとは、月末恒例のファイル移動。ここの記事に多少の粉飾をほどこし、「本」と「雑感」に移動。「都市伝説」の記事で、一ヶ月以上まえから書きかけているのがあるが、全然まとまらない。ちょっと初心に帰って考えなおさないといかんかな。

それにしてもサーバーの調子が悪く、FTPにも反応してくれない状態が昨夜から続いている。やっぱ、背任サーバーに移動かな。

 2002/06/29

あいかわらずサーバーがメチャ重い。まずいのはPOP3サーバーがさっぱり反応してくれなくなったこと。しかもはじめのうちはタイムアウトになるだけだったのに、昨日ぐらいからIDが認証されなくなってしまう。不思議なことに、職場のPCからアクセスするとちゃんとメール取得できるのだ。アクセス時間の問題か。もしかしたら寝ぼけるか酔っ払うかして、メールソフトの設定変えてしまったんだろうか。

掲示板やメールで何ヶ所かレンタルサーバーの紹介をしてもらったのだけれど、考えて見れば、前の職場のドメインに寄生していたときも今と大してかわらなかったのだった。そのとき使っていたサーバーの使用料は、いまの倍以上だったのに。月に千円なんぼの料金でこの程度なら、よしとするべきかもしれん。自宅サーバーというのも考えたが、加入しているCATVは認めてくれんのですわ。ダイナミックDNSつかって、黙ってやっても判らんのではないか、とは思うけれど。

というわけで、今ひそかに目をつけているのが現在の職場のサーバー。回線は細いとはいえ、いちおう専用線なのでIPはたくさんあるし、今のところ外部公開しているページがないので、下り専用みたいなもの。あとはこっそりDNS情報を書き換えればいいわけだが、これはやはり業務上横領の一種だろうか。

 2002/06/28

米軍が3D軍事作戦ゲームをタダで配布するらしい、という噂を聞きつけて、そのサイトをのぞいてみる。残念なことにダウンロードできるのは7月4日以降とのこと。DLさせるかわりに、米軍の協力者に仕立てようというのではないか、とちょっと期待したが、サイトの体裁からみると、普通にフリーDLできそうな感じ。違ってても責任持たないけど。

スクリーンショットを見ると、何種類かの作戦行動シナリオがあるようだが、あっさり片付けられている敵が、みんなアラブ系の顔をしているのが面白いというか、判りやすいというか。

昔、米軍が志願者減少にこまって、アメリカンコミック仕立ての勧誘文書をつくったなんてことが話題になったものだが、今はこういう手もあるんですな。わが自衛隊も、せこい国民情報集めなんかしてないで、「東シナ海不審船撃退作戦」とか、「拉致被害者をすくえ!○ョンヤン制圧作戦」なんて危なそうなゲームをリリースし、ゲームに金を出す気がない連中のハートまできっちりつかみ、軍事利権拡大をもくろむ程度の芸がほしいものだ。

 2002/06/27

「ラッシュアワー・2」(2001年米映画。 監督:ブレッド・ラトナー)

サッカーが中途半端な時間に始まるもので、それまでのつなぎにと、借りてきたDVD「ラッシュアワー・2」を見る。「2」と言うからには「1」があったのだろう。そういえばTVの吹き替え版で見たような気もする。ジャッキー・チェンというおぼえやすいスターが出ていたはずなのに、ほかの香港スターがでていたハリウッド物とごっちゃになってしまうような、ちょっと印象薄めの映画だった。単に酔っ払っていて、覚えていないだけかもしれないけれど。

さて、「2」である。ロス市警の黒人刑事、クリス・タッカーがなぜか香港にいて、ジャッキー刑事に女を紹介しろと早口英語でまくし立て、ジャッキーはビートキヨシのように口数少なく相手してやっている。折りしも米国領事館で爆破事件がおこり、通訳を装ったシークレットサービスのエージェントが殺される。背後に大掛かりな偽ドル偽造団の動きがあると知ったジャッキーとクリスは、シークレットサービスの迷惑顔も無視してロスへと向かい、そこで大暴れというお話。

悪者側が豪華陣で、かのジョン・ローンや「グリーン・デスティニー」のチャン・ツィイーである。彼女の場合、絶対壁をけって飛び、大空中戦をやってくれると期待したが、それはなかった。兎に角そういう風に、クリス・タッカー以外は全部香港スターで、安手の復讐譚が盛り込んであったり、無理やりカンフー立ち回りにつないだりの完全香港映画で、まるっきりの香港テイストのなかに、突然クリス・タッカーのキング師演説ギャグなんかが割り込むのだ。ああそうか、これはハリウッドが結構金をかけて、真面目に?作ったんだと気がついて、ただただ当惑するばかりである。

ハリウッド映画史、もしくはアメリカ現代史的には何か意味があるのかもしれないが、「燃えよドラゴン」を同時代でみた世代として、どうにも当惑が先に出てしまう作品。西欧人が、エキゾチシズム先行で東洋を扱ってくれないと落ち着かない、というのはコンプレックスの裏返しなんですかね。

なお、ジョン・ローンだが、昔よりちょっと太った感じで、私には志垣太郎との区別がほとんどつかない。ぜひ日中合作で、兄弟の絆を描くような作品に共演してほしいものだ。文化大革命の混乱で離れ離れになった兄弟が、船場の丁稚と蛇頭のボスとして再会する、なんて話はどうだろう。

 2002/06/26

昼飯を食って、デスクのまえでウトウトしていたら、変な夢をみた。

友人が、久しぶりに麻雀をやろうと言い出す。しぶしぶ付き合うことにして、寺内貫太郎一家の茶の間そのまんまの部屋でゲームが始まる。牌はむかし11PMで使われていたような、でっかいゲタ牌だ。背中の部分が黒いのがちょっとちがう。

一巡目に白を引き、いらないので捨てたら、その牌が畳のうえに転がり落ち、白黒タックス模様の子ネコに変身し、庭に逃げていってしまう。なんだ、ネコだったら捨てなかったのにな、と思いながら目覚める。

職場でも仕事のことなんか、これっぽっちも考えていない証拠のような夢ですな。

 2002/06/25

駄目じゃん、韓国。

なんであんなにクソ面白くないドイツのサッカーに、真面目に付き合ってしまったんだろう。無意味な個人マーク、無意味な走り回り、無意味なカット、無意味に派手なアピール、バレなければみっけものの反則スレスレ行為、そういうの全然やらないんだもの。サポーターもなんか達観しているというか、日本―トルコ戦のときの日本人サポーターみたいだったぞ。やはりここまで来ればいいわ、という満足で自閉してしまったか。彼らの勝機は……、ほとんどなかったけどね。

韓国の国民性についてはいろいろ言われるのだけれど、彼らもまた、私らと何も変わることがないのだなと思う。当たり前なんだが。おそらく今後の日韓関係はスムーズな友好関係がずっと維持されていくのではないか、と予想する。人間なんて、どこでもみんな同じなんだ、ということをこのワールドカップは実感させてくれる契機になったのではないか。

それにしてもサーバーがあまりにトロい。今日なんか半日以上コケてたんではないか。激安貸しサーバーに文句は言えないのはわかってるのだが、情報開示してくれないのが困る。ドメインとって一年になるし、移転しようかな。安くて早くて確実な貸しサーバー屋さんがあったら、どなたか教えてください。月額数千円までなら忍容範囲。DNS設定変更なんて何にも知らんので、その辺も全部やってくれるところでないといけません。

 2002/06/24

毎日毎日、KLEZ系のウイルスメールが山ほど来るのだが、最近はちょっとした変化球が来るようになった。御存知のように、KLEZは発信者を偽装してメールをばら撒くわけだが、偽装された発信者に対しては、事情を知らないあて先から恨まれる以外の悪さはできないわけで、この点を考えたのであろうか、最近やたらに届くのが、「あんたの発信したメールはあて先知らずだよ」という、返送メールである。

以前のNimdaの場合、中継プロバイダがちゃんと消毒してくれていて、届いたときには添付ファイルなしになっていて、今回も同じなのだけれど、この手の返送メールになると、素直に添付ファイルもそのままだから、うっかり人間はどんなものを他人に送ったんだろうと、つい開いてしまったりするのを期待しているらしい。それを狙うためか、アドレスをわざと崩して配信するのもいやらしい。

KLEZ自体、あんたの発信したメールアドレスは存在しないよ、というような内容を送ってくることもあって、こういう魂胆がはじめからあったことを想像させる。なんにせよ、一所懸命考えて、見知らぬ他人がひどい目にあえばいいともくろむ情熱というのは、私などには全く理解できず、アホとしか言えませんが。そんなスキルがあるのなら、みんなで気持ちいい思いできること考えんのかねぇ。もちろん、具体的利害関係のある連中をへこませようという目的なら判るんだけど、どう考えても、そういう合理性はなさそう。

ネットを見渡す限り。返送KLEZへの対策と言うのは聞いたことがないのだが、こんなものに引っかかるタワケはさすがにいるはずがない、ということなんでしょうかね。まぁ、私は見ないサイトはじぇんじぇん見ないから、こういうのはとっくに常識かも知れないが。

ところで、admin@med-lend.com名義のKLEZがやたらに流通している様子なのだが、こちらのアドレスをOutLookなどに登録している人は一度ちゃんとウイルスチェックしてみてくださいね。私のところにはないみたいですよ。「ごるぁ、KLEZ送ってくるんじゃねぇ」メールもカンニンね。ちゃんと調べたうえでお願いします。

 2002/06/23

「傷心」(ディビッド・ハンドラー 訳:北沢あかね 講談社文庫)

純文系一発屋作家にして、一流ゴーストライターとして糊口をしのぐ、スチュワート・ホーグを主人公にしたシリーズ7作目である。あまり話題にはならないが、私はなぜか気に入って「フィッツジェラルドをめざした男」以来、全編を読んでいる。ホーグは一作目の小説が大当たりし、「80年代を拓く新しい文学の旗手」とまで呼ばれ、有名女優であるメリリー・ナッシュとも結ばれるのだが、その妻をモデルにした二作目で大コケし、妻にも去られてしまった、という設定。

もっとも元妻とはつかず離れずの関係がつづいていて、夫婦で飼っていたバセットハウンド、愛犬ルルがそんな二人をつなぎとめている、といったのが前作までの布置だったのだが、今回は二人は郊外の農園に同居して、二人の間に生まれたばかりの娘、トレーシーを育てている。再入籍した、というわけではないらしい。前作でよりを戻したんだったっけな。記憶があいまい。

そんなちょっとぎこちない「家族」のもとに、ホーグの文学の師ともいえるソアが小娘をつれてやってくる。ソアはフェミニスト闘士として知られる元妻の娘、つまり義理の娘と駆け落ちをして、フェミニスト、保守派、良識派と、あらゆる立場から攻撃され、身を隠しているのである。ソアは農園に居座ったばかりか、義理の娘の自伝をホーグに書いて欲しいと依頼してくる。そうこうするうちに、ソアが何者かに惨殺され、さらに次の事件が……、というお話。

ソアはポスト・ヘミングウェイ世代ということになっていて、ノーマン・メーラーとかカポーティとか、バローズとかケルアックなどのビート世代もごっちゃにして、かつマッチョ系というイメージになっている。義理の娘とのスキャンダルは、ウッディ・アレンの事件あたりがヒントなのだろう。ハンドラーの今までの作も、ある世代のクリエーターをまとめて造形したようなモデルが登場していて、なんとなくそういう業界(TVコメディとか、映画とか、出版とか)の事情通になったような気がする余禄がある。

ミステリィとしてはそう凝りまくったものでもなく、ホーグ以下の登場人物たちのしゃれた会話を楽しむのがメインといえるようなもので、作者自身純文系をめざしていたらしく、ミステリなんぞで生き延びているのに自嘲を感じるのか、ときおり、筆のすさびが目立ちすぎるようなところもあったりするが(例えば、擬人化をいささか越えすぎているルルの扱いとか。『三毛猫ホームズ』ではないんだから)、全体としては田舎者日常をうまい具合に忘れさせて、ちょっとしゃれたシティ派インテリに変身した気分になる一編。父親として自分を自覚し、家族が再生する、というようなまとまり方は、決して好きではないのだけれど。

それにしても、なんで題名をこんな漢字熟語にしたのだろう。ディック・フランシスでもあるまいに。いままでの連続性を考えると、直訳の「父親と駆け落ちした娘」でいいと思うんだが。

 2002/06/22

一昨日の記述に関し、転載もとの管理者から苦情があった。かの国語問題に関し、日能研サイトでは、当初から「河童」でも正解にしているというのである。それに対する当惑があの記載の真意だというのだ。そうだったのか、それにしても「動物」という限定をしておいて、「河童」を正解にするなどというアホなことがあるものかと、確かめようとしているのだが、なぜか正解はエラーとなってしまう。この前はまさかとおもって、そこまで確認しなかった。

これが本当なら、質の悪い価値相対論者からのインネン付けを予想した、姑息的対応以外の何者でもない。河童も正解なら、弘法大師や天狗がなぜ正解でないのだ。それは日能研なる団体(どうも学習塾チェーンらしい)の教養というものに対する見解のなさを雄弁に物語っている。あの動物園仕立ての出題は何だったのだ。文句言われるかもしれないから、河童まで動物園にいることにしておく現実認識なんです?そちらさんは。

というわけで、確認できないのだけれど、もし日能研があの問題に河童も正解にしているとしたら、それはその連中の教育の一端にかかわる能力の欠如と、それ以前の事なかれ主義を表していると断言できよう。もしそういう相対主義に居直るつもりなら、なぜ弘法大師と天狗も正解にしないのだ、と私は強く主張するものである。ついでながら、セネガルの「ジャッカルも時にはライオンに腐肉を奪われる」ということわざも考慮するように申し添える。ウソだけど。

それにしてもメールを頂いたそねさん、タヌキはどう考えても不正解なんじゃないでしょうか。

 2002/06/21

今日は夏至である。子供のころからの疑問なのだが、春分と秋分は国民の祝日なのに、なんで夏至と冬至はそうではないのだろう。夜と昼の長さが同じ、なんてあいまいな日を休みにしておいて、昼と夜がもっとも長い日を祝わないのは片手落ちではないだろうか。

夏至は、事物の盛りには限界があることをおのれに戒め、お日様が万物に恵みをあたえてくれることに感謝の念を捧げる日とすべきであろう。もちろん冬至は、陰の極にあってよみがえりを希求する日である。

実際、6月はご存知のように祝日のないしょぼい月であるし、ここに祝日を新設するのは政策的にもバランスがとれている。12月の場合、天皇誕生日との協同効果で、堂々とクリスマス休暇を日本に移植することが出来る。

いいことばかりではないか。誰が決めるのか知らないが、ぜひ検討していただきたいものだ。

 2002/06/20

こちらこちらで同時に、「日能研」なる団体の中吊り広告のことがふれられていた。電車通勤だといろいろ楽しいことがあるらしい。本も読めるだろうし。私は生れてこのかた、電車で通学とか通勤というのを一切したことがないのが弱点。おかげで、「目的時間スレスレで間に合う電車に乗る」という芸当が出来んのです。

前者が取り上げていたのは国語の問題の五番目。これは確かに、「猿も木から落ちる」だけでなく、「河童の川流れ」「弘法も筆の誤り」などを論拠にした異議がありうるが、動物園にいる動物を前提にしている、というのを汲み取らないひねたガキのことまでは知るかい、という出題意図なのだろう。「天狗の飛びそこない」というのまでもってくれば、猿と弘法大師と河童と天狗が同居する、すさまじい異界動物園をイメージせにゃならん。

後者は算数の問題を取り上げているが、こういうの、苦手なんだよね。背理法でいくのかな?そんなこと小学生が習うのか?大体、単独犯だという前提が正しいかどうか判らんだろうが。

などとブツブツいいつつ、理科の問題をのぞく。これ、「アバンギャルド俳句に題をつける問題」としか思えんぞ。

 2002/06/19

近所の魚屋にイシモチがあったので、帰り道に買う。横浜中華街で、唯一ひいきにしている店の名物料理をつくろうと思い立ったから。

イシモチは、ウロコとエラとワタをとって(もちろん魚屋さんでやってもらえばよろし)ごく軽く塩をしておく。一人前一匹が理想。

細切りのタケノコ、黄ニラ(ネギでも可)、ショーガの千切り(その他しいたけ、ニンジンなどの、この手のものに入っているのではないか、と想像されるようなものはなんでも)、を軽くいためる。香り付けにごま油も少量。中華スープ(前に紹介した味覇(ウエイパァ)を薄めたもの。味が濃すぎないように、一人前100ccぐらいだとしたら、ティースプーンかるくすりきりというところか)をくわえ、オイスターソースと少量の酢(最近、香酢というのにはまってます)をくわえ、必要におうじて塩、コショウなどで味を調整。軽く片栗粉でトロミをつける。

イシモチに軽く片栗粉をまぶし、やや高めの温度で丹念にあげる。油がはじけるので気をつけて。よくあげておくと、骨まで食べられます。火が充分通ったら皿にとり、先ほどのアンをじゅじゅじゅっとかけ、万能ネギでも刻んで散らせば出来上がり。

味覇なんかで手抜きをしたからか、中華街の店とはかなり違う味になったが、まあこれはこれで程々の味。本当は「汁なしネギソバ」と合わせると絶品なんですが、手元にソーメンがあったので、これも味覇でタレを作って頂く。付け合せはキューリの細切りと錦糸玉子ぐらいでも、イシモチと並べて、安売り980円の辛口スプマンテをキリリとひやして添えれば、そう貧乏くさくない中華ディナーのできあがり。

 2002/06/18

2002FIFAワールドカップ(tm)(それにしても長い)、日本代表は残念でした。勝機がなかったわけではないが、やはり世界の壁はまだまだ高いという感じでしたな。結構楽しめたのだけれど、にわかサッカーファンのクソタレントを見ないですむのかと思うと、ちょっとほっとするというのが本音。もっとも、デーブ大久保を見ないですんだ、というメリットがあったけれど。(考えてみれば、まだ終わっていないんだが)

試合前、どこかのTV局のアナウンサーが「ナガシマさんは今日の試合、どう思われますか?」というのを聞きつけ、えっ、ここにもあのお方がでてくるの?と瞬間びびって、TVを恐る恐る覗き込むと、そこにいたのは元ガンバの永島でした。

梅雨と落ち 梅雨と消えにし トルコ戦 予選のことは 夢のまた夢

 2002/06/17

「昆虫探偵」(著者:鳥飼否宇)というハードボイルド(?)ミステリがあるサイトで紹介されていたので、アマゾンで注文したのだが、問題はその値段。1400円なんです。ご存知のように、アマゾンは1500円以上なら送料がいらない。そこで同じ著者が今まで出していた、「中空」と「非在」という推理ものを一緒に注文した。前者は2001年度の横溝正史ミステリ大賞をもらったのだという。いままで横溝正史を読んで、それを壁に叩きつけたくならなかった経験のない私としては、少々不安であったが、なんとなくしゃれた題名でもあり、そのまま注文。ついでだから、殊能将之の「樒/榁」(よめんぞ)も追加する。この時は、住民税の陰謀にまだ気づいていなかったのである。

結論。まともに語りたくないような本を、まとめて買ってしまったときは本当につらい。ましてや、例の住民税的経済危機が背景にあるので、情けなさ倍増である。「昆虫……」は、これがもし子供向け科学雑誌の折込にでも掲載されていて、こちらが中学生の時にでも出会えば大喜びで読んだでしょう。ほかの二冊はちょっとカンニンであった。あの手の仲良しトンチ探偵団みたいなのが出てくる話は、読み進むのもちょっときつい。

殊能将之のほうは……、ウーン、彼は完全にこの業界をなめきっとるな。パワー16%ぐらいで、ほどほどのニッチで生きていけると確信しているに違いない。彼のサイトを読んでいて、彼がけっこう深刻な既往症を抱えていることを知ったので、そういうのもアリかな、とは思いますけどね。考えてみれば、私の医学業界でのライフスタイルと同じなんだが。

 2002/06/16

不思議なこともあるもので、昨日このページのテーブル表示がおかしいことを書き、今月分だけを直したのだが、なぜか今までの表示もすべて直ってしまった。(確認:OSXのIE、およびNetscape6.2、WinXPのIEとNetscape4.7、およびNetscape7.0preveiw)

おそらく、ブラウザがスタイルシート設定をデフォルトで探すような動きをして、最初に見つけたページの設定をそのまま受けつぐようなことをしているのでは、と想像するのだが、核心は霧の中である。つまらんHTMLエディタソフト使ってるからねぇ。ちゃんとタグうちして書く元気があればいいのだが、そんなものありまへん。必要に迫られない知識というものは決して増えない、という見本みたいなもので、この現象もまず解明されることはないですな。

 2002/06/15

いつぞやこのサイトを見ている人がつかうブラウザは、Netscapeのほうが多数派になった、などと書きつつ、そちらでの表示確認がおろそかになっていた。最近、OSXを使うようになって、マックのIEでみても表示がちょっとおかしいのに気づく。

ここの日付を入れているテーブル表示がおかしい。やたらに幅がぶっとい。Netscapeだとそれがもっと極端になっている。このテーブル設定は自分でちゃんと作らずに、どこやらからコピーしてきたので、どうもそれがいかんらしい。というわけで、今月分だけは作り直し。ほかはめんどくさいのでそのうち。

例の住民税起因の背景抑うつで、こんな単純作業ぐらいしかやる気になれまへん。

ところで、鈴木宗男議員に贈賄したという企業だが、TVでも新聞でも「やりまん」と読んでしまう。エロオヤジ妄想炸裂と言われてしまいそう。母国語が関西弁なもので、そうリアルなイメージが湧いているわけではないんですけれど。

 2002/06/14

この一年、なぜか小遣い銭に苦労することがなく、いつも懐にそこそこ余裕があるな、と思っていたのだが、今日その理由が判明した。給料から、住民税が天引きされていなかったのである。昨年度分の納付書が今日届き、愕然。3月に所得税の申告をしたときに、数万円還付されて大喜びだったのに、あれはこれを見越したフェイントであったか。

住民税の踏み倒しがどこまで通るか、という同時進行報告コンテンツを作り、最後は出版して商売にすることも考えたが、はじめから敗色明らかなので断念。

最近調子に乗って、3本5千円のワインを買うようになっていたので、3本2千円のほうに戻すことにする。

 2002/06/13

ナンシー関が死んで思うことは、この日本という国でTV番組に対する批評という行為が、今後成立することはないだろう、ということ。森茉莉という一時的例外はあったが、批評という密度でTVを見続けた人は、おそらくナンシー関が最後であったろう。

この国では、大衆が見聞きできる現象に関しての批評行為は、何故かまず不可能である。政治状況に関しては批評されているではないか、という意見もあるかもしれないが、あれにしたって、毒にも薬にもならないレベルの、決まりきった言説が流通しているだけである。それなりに鋭い批評がマスコミに現れることはまずない。政治家のモラル向上で政治危機が解消される、なんてバカバカしいことを信じている人が実際にいるか?

ナンシー関がやっていたことを政治言論一般に適用していたら、彼女はおそらく吉本隆明などを軽く越える存在になっていたろう。もしかしたら、ミシェル・フーコーすら越えていたかもしれない。自分の言葉で事物への愛を、あるいは嫌悪を語る、というのは誰にもできることではない。言ってはいけないことかもしれないが、「ブスの僻み」という煙幕が、彼女の言論活動には有利に作用したことは事実であろう。でも、林真理子や、ランディ何とかみたいな、それに最大限すがってなんぼの連中のように、自分から依拠しようとしたわけではないはずだ。

非自覚的天然要素が優先しているとはいえ、彼女の批評手腕は卓越していたのだが、たぶん長らく記憶されることはないだろう。なにしろ、その批評対象であるTV(もちろん、表現行為としてのTV番組という意味)の命脈が尽きているのである。肥満の危険と、生活スタイル改善への提言という形で、あっさりと人生を総括されてしまいそうなのが、彼女にとっては一番無念なことかもしれない。

 2002/06/12

昨日のコーチと監督の件だが、調べるほどに微妙な問題へと拡がっていくように思われる。MLBのサイトなどをみると、コーチング・スタッフはヒッティング、ベンチ、ピッチング、ブルペン、一塁、三塁などと機能分化していて、日本でいう監督はマネジャーと呼ばれるようだ。ただ単にコーチと呼ぶときは、マネジャーをさすわけである。日本でいうコーチは、さきのベンチ・コーチにあたるのだろうか。

マネジャーというと、日本ではほとんど「使い走り」というような意味合いで使われるのも不思議である。高校の野球部なんかで、女子生徒をそういう意味のマネジャーとして、セクハラ半分でこき使っているのをよく見るが、米国人が聞くと「えっ、女子生徒がマネジャーを?」と不思議がられるかもしれない。

団体スポーツの指導管理、というかなり具体的な行為をさす言葉でも、文化をこえるとしっくりとあてはまる訳語にはこなれず、なにか付け足しみたいなかたちにになってしまったということなんでしょうかね。「監督」という重々しい言葉が、コーチという技術的な注文をつけるだけみたいな軽めの言葉に重ね合わせられるのを嫌がった、ということなのかも。

そう考えていると多少の反例もあって、それは映画監督と、舞台監督の意味のずれ。映画作りで監督はオールマイティの存在なのに、舞台ではそれにあたるのは演出家とよばれ、舞台監督というのは段取りの調整役みたいなもの。監督というのは重い言葉で、なんぞといってたのに、こういう例もあるのが言葉の不思議なところ。

 2002/06/11

サッカーなどに関するスポーツ外来語を考えるとき、訳語対応ということを越えて不思議に思うのが、「監督」と「コーチ」ということばの使い分けである。なぜ日本では「コーチ」と「監督」は、違うものを指すようになったのであろうか。これは日本だけの現象なのであろうか。

FIFAなどのサイトをみれば、日本で「監督」と呼ばれる存在は「コーチ」であって、これはメジャーリーグであろうが、NBAであろうが同じである。英字新聞や海外報道を読めば、トーキョージャイアンツのコーチは原某であって、上田某ではない。サッカー日本代表のコーチはトルシエであって、山本某(だいたい誰なんだ、それ)は筆頭アシスタント・コーチであるに過ぎない。スポーツチームの首脳トップはコーチ=監督なのであるが、なぜか日本語では監督が責任者で、コーチというのは技術的側面だけにかかわる助手的存在とされている。

このあたりをちょっとネット検索してみると、スポーツチームの運営には、この二者の性格付けをきっちり分けるのが勝利の基本なんて記述にぶつかってしまうから不思議さはさらにつのるのである。辞書にもまずそういう原則で書かれていて、英和辞典の記述との乖離を示している。世界一般的には、コーチとは日本で言う監督のことに他ならない。なぜ日本だけそれとは違う言い方をして、しかもそうすることがスポーツ組織運営に不可欠であるかのように言うのだろう。中国語や韓国語ではどうなのだろう。

これは一種の都市伝説的誤解がその背後にあるに違いない。以前からの疑問なのだが、いざこうして言語化してみると、結構大きな謎であることに気がつき、しかも簡単に検索などで解決できそうにないのである。諸賢からの御教授を願う次第だ。

梅雨入りて 添付ファイルもがれし KLEZ来る

 2002/06/10

W杯予選日本−ロシア戦、けっこう余裕の勝利(と言いつつヒヤヒヤですが)。

素人目に見ても、ロシアはプレスがいまいち甘く、連携ももう一つ。何より、日本代表がちゃんとそこをつくレベルをもっているのがうれしい。

ロシアの敗因は、なんといってもメンバーの名前の軽さである。カルピンだのホロホフでは、ロシアの風雪がでませんがな。「二木ゴルフ」なんてふざけた名前の野郎までいると思ったら、さすがにそれはニキフォロフの聞き間違いだった。

これがラスコリニコフだの、キリーロフだの、スタブローギンなんて連中が揃っていたら、パスは闇と吹雪の合間を切り裂き、シュートは存在の重みとともにネットに突き刺さっていたでありましょう。わが代表は、ラッキーを自覚しつつ、さらに上位を目指してもらいたいものだ。

 2002/06/09

キーボードの上を猫が歩き回って、PCが思わぬ誤作動をしてしまったり、ファイルが消えてしまったり、という経験があるかたに朗報である。このPawsenseという監視ソフトを常駐させておけば、猫の肉球がキーボードに及ぼす影響をすばやく感知し、入力をブロックしてくれるだけでなく、猫が嫌う音を出して追い払ってくれる。猫に対するしつけソフトとしても機能するわけである。

私も買ってみようと思うんですけどね。キー入力にもう一つ自信がないもので、何打っても"CAT-LIKE TYPING DETECTED"なんてアラートがでて、「フー!」ってな音で追い払われそうな予感がするのがちょっと。

2002/06/08

W杯Gグループ戦。見事イタリアを下したクロアチアチーム。

大活躍のロベルト・コバチ、ニコ・コバチの兄弟選手を早速CMに使って、「ロベルト・コバチ、ニコ・コバチの、おしゃれ小鉢をプレゼント」、なんてのは、当然誰かすでに考えているんでしょうな。

2002/06/07

「さらば、愛しき鉤爪」(エリック・ガルシア著 ソニー・マガジンズ)

本屋の片隅にひっそりと置かれていた文庫本の、「これが噂の恐竜ハードボイルド!」という帯書きが目に入った。表紙からして、ハードボイルド定番スタイルの探偵らしき絵で、そのトレンチコートの裾からは、恐竜の尻尾が飛び出ているのである。

これはおそらく、何かトンデモ設定で一匹だけ生き残った恐竜が、糊口をしのぐために探偵に身をやつしていて、なにか事件に巻きこまれていくような話だろう、と勝手に想像して購入する。都市の孤独、というものが主要なテーマである(と、こちらが決め込んでいるだけだが)ハードボイルドミステリには、そういった仕掛けもまた似合うのではないか、と思ったからだ。

ところが読んでみたら大違い。これは恐竜は絶滅せずに、人間たちの間に隠れて独自社会文化を維持している、という設定の一種パラレルワールドSFなのであった。SFと言ったって、恐竜たちがその正体を隠すために使っている、ハイテク扮装がくわしく説明されるわけでもなく(大体、人類がデビューしてきたばかりのころはどうしていたんだ)、無理は承知の設定であって、そのあたりの破綻をあげつらうのはルール違反に属するつくりである。

恐竜たちは「評議会」という、自分たちの最高決定機関を作っていて、人間社会に種の秘密が漏れないようにしている。様々な人間界の組織に入り込んでいる彼らは、その行動決定に当たって、なによりも種を守ることを第一優先にしているのだ。

したがって、この種としての連帯感というやつが基底にある話になるため、ハードボイルドには不可欠な、「孤独」がそこにはない。歴代のハードボイルド探偵たちは、都市の絶対的孤独を、友情とか愛とかのはかない価値をたよりに、それも裏切られることを覚悟の上で漂流してきたので、こんな秘密結社の約束ごとに行動指針があるような、せこい生き方はしていない。(そりゃま、ある種のマイノリティを売りにしているものはあるけどね。せいぜい香りつけ。例えば女性探偵が、男社会の横暴を告発するため、女だけを味方につけて大活躍、なんてのがあったら、真っ白けでしょう)

奇想天外な設定の、パスティーシュ・ハードボイルドなんだ、と割り切ろうとしたけれど、もうひとつ楽しめなかった。むこうではえらく受けたらしく、2作目、3作目が出ているそうな。所詮嘘を承知で楽しむものが小説なのだとは思うものの、なんかUSJあたりの模擬ドラマを見せられている感覚である。今のアメリカ人にはこの手がちょうどいいのかも。

 2002/06/06

男性が女性のブラを外そうとする時に、きわめて深刻な手指傷害が起こる可能性がある、と専門医は警告している。八月に発行される「英国形成外科雑誌」に、ブラを外そうとして手指の腱障害をきたし、3週間シーネ固定治療をうけた27歳男性の一例報告論文が掲載される予定になっている。

その論文では、30〜40歳代の男性の40%は、ブラを外すさいに何らかの問題を経験するという。その作業に両手を使う場合、平均27秒がかかるが、左手だけを使った場合は58秒になるという。ある不運な被験者の場合、20分もかかった。症例の主治医である形成外科医、アンドリュウ・フレミング医師はこう語る。「それは第二指関節のきわめて深刻な障害だった。ロッククライミングなどのスポーツの際によく見られるものと同じタイプのものだ。その患者は、ブラの二重ホックに指をからめてしまったようだ」

以上、こちらから意訳。なお、記事の中の"The British Journal of Plastic Surgery"のサイトをみてみれば、現在掲載承認されている論文の中に、こんな内容のものはなかった。それにしても、両手を使って27秒というのは、イギリス人のドンくささ、普通ではないのでは。

 2002/06/05

職場からの帰り道、いつもとは違う経路をたどってみる。

堤防沿いの湿地をこぎれいに整地した公園があって、せせらぎにそった遊歩道などが整備されている。自治体にこんなしゃれた環境を用意する余裕があるんだな、と感心しながらみていると、そこそこアート化された看板が立っていて、"Tone river"と記されている。なるほど、「調べの川」というような意味合いなんだろうな。せせらぎの音を聞き、鳥の声を楽しもうよ、というメッセージなのだろう。評判の悪い公共事業ではあるが、こういう開発整備なら結構なことだと思いつつ、ふと、なんで英語?という疑問がわいてきた。

何だ、「利根川」なのね。

 2002/06/04

職場で医師の移動というか、退職があって、受け持ち患者も何人か移動があったのだけれど、治療というものへの見解の差、というものを思い知る機会でもある。簡単に言えば私は場当たり主義で、ほかのたいていの人はひどくリジッドな管理原則を貫こうとする傾向があるらしい、ということだ。

私が勤める病院の精神病棟に慢性化して入院している人には、なぜか糖尿病の合併が多い。それも経口剤ではコントロールできず、インシュリン注射が必要とされるレベルである。精神疾患があっても糖尿病の有病率が高い理由はないのだから、これはきわめて奇妙なことで、私には正直いってはじめての体験である。それらの患者は、皆きびしいカロリー制限を受け、かなり大量のインシュリン注射を受けているのである。

そして一番不思議なのが、それらの患者たちはまず間違いなく高度の肥満者だ、ということだ。ふつう、インシュリン依存糖尿病でそろいにそろってみな肥満傾向なんてわけがない。インシュリン注射が必要な糖尿病患者は、適切に治療が行われないと、血液内の糖分をうまく細胞にとりこめず、仕方なく脂肪を分解してエネルギーにするので、ふつうはガリガリにやせてくる。これはどう考えても、インシュリンの過量による肥満である。

私はインシュリンショック療法なんてものが、まだ結構ふつうの精神科医たちの記憶に残っている時代に研修したので、「不必要な」インシュリンの投与に関しては、糖尿病専門医よりもそれなりの知識をもっている自信がある。ショック療法の使用量といってもいいほどの大量投与を受けている人たちが、低血糖による意識消失もせず、病棟生活を送っているのが不思議でしかたなかった。一方ではカロリー制限も受けているのである。

この謎をとく鍵は、患者さんたちのインフォーマルかつ、隠蔽的な自然発生的相互扶助自助組織にあるようだ。そういう大量投与を受けている人は、精神症状レベルでは院内寛解といえる人が多く、看護者の目の届かないところで、たくみにおやつや副食の貯蔵交換をしているらしいのである。これを証明するように、人格水準低下が激しく、全面的介護が必要な人にはまずインシュリン大量投与者はいないのだ。いままでの主治医たちが、妙に正常値にこだわった傾向もそれに輪をかけたようだ。血糖が一度でも200をこえたら経口剤が増量され、それで追いつかない場合はインシュリンに変更するといいう、徹底したリジッドな方針が奇妙なまでにインシュリン依存糖尿病患者が多い状況をつくりだした様子である。これは主治医の精神科医だけに帰せられる責任ともいえず、大学病院からバイトで回ってくる「専門医」が漫然とそういう方針を追認したことも理由であろう。数ヶ月で交代する彼らには、精神病棟のリアリティなど見えず、また見る気もないのである。

と言うわけで、なぜか最近の仕事は糖尿病コントロールである。しょっちゅうやられていた血糖日内変動検査をやめ(これは看護婦さんには仕事をしている錯覚を与えるいい理由付けになるのだが)、月一回のグルコヘモグロビン検査にコントロール基準を切り替える。守れる範囲の食餌療法に規制を緩め、インシュリン投与量も減らす。一時的には検査結果は悪化するが、その分体重も減るし、長期的にはそう悪い結果にはならないはずだ。

でも、病棟の看護者一同には、精神病棟にはまれな、理屈に合った医学的管理の仕事をくさしたということで、悪評紛々なんですけどね。近代医学はその妥当性以前に、何より権力として成立したのだ、と主張するミシェル・フーコーの勉強会でもするしかないか、と思ったりする今日この頃である。

 2002/06/03

ちょっと前に某雑誌のスタッフからメールをもらった。いわゆるデマメールの特集を企画しているのだが、あんたはそういうつまらんサイトをやってるぐらいだから、きっとたくさんその手のメールを受け取って蒐集しているに違いない、珍しいものなどを披露して、記事作りに協力してくれないか、と。

私はニュースサイトや掲示板などでそういった情報を仕込んでくるだけで、別に自分のところにそういうメールが来たことなんか一度もないし、携帯電話でメールを使うようなバカバカしいこともしないので、くだらんタレントがらみデマにも疎遠である。そのスタッフには、分析するということは、必ずしも実際に経験して蒐集分類するような立場とは一致しないってことがあんまり判ってなさそうだったので、そのあたりを説明するとともに、記事にするならこんな視点はどうだろうかというような、多少、自分なりの意見を書いて返事したのだが、そのままなしのつぶて。

ところが先日、デマメールの本家とも言える、ナイジェリアン・スキャムというやつが本当に私のところに来たのである。そのメールの主は、昨年一月に暗殺されたカビラ・コンゴ民主共和国大統領の側近であったというエムボマ博士なる人物を名乗っていて、運用を任されていた三千五百万米ドルの秘密資金の保管に困っているので、一時的にそちらの銀行口座を利用させて欲しい、と言う内容。スイス銀行などに最終的には移す予定なのだが、複数の移送経路を用意して万全に備えたい。口座を利用させてもらえば、動かした金の25%を提供するとある。

隠し金があるのだが、おおっぴらには使えないので、特別の低金利で運用してもらえないか、というのはM資金詐欺で使い古された手口で、それを振り込み口座を使わせろ、という話に変えただけなのだが、なんと引っかかる奴がいる、とされるのである。今日の毎日新聞夕刊には、これで一億円をだまし取られた(これで『だまされた』というのはちょっと違うような気がするのだが)日本人がいる、とする新聞記事がでている。

こんな単純というか、アホらしい手口が実際に通じるのが不思議で、私は被害者が出たということも含めて、一つの擬似イベント的都市伝説ではないかと考えている。独裁者の死で行き場を失った巨額の金というのも神話的イメージがつきまとうし、それをそのまま受け入れて、結構な金をだすというのも、ラインの黄金の封印をとこうとするような神話的冒険だ。少なくとも、とても合理的かつ功利的行為とは思えない。

きょうびの混迷し、行き詰った資本主義が活性化されるために、こういった、ある意味で、ロマンあふれる原初的経済行為の噂話が、多くの人の無意識のうちに求められているのではないでしょうかな。

それにしてもあのメールに返事ちゃんと出すんだった。英語だったので、文面考えるのが面倒だったんですわ。詐欺にあった人は、一生懸命英作文して即返事したわけだ。英語に堪能、というのもよし悪しですな。こちらもメール応酬して、準備金が必要だからここに振り込め、という指示がくるぐらいまでは付き合ってやるべきだった。

2002/06/02

昨夜アップしたはずのファイルと、index.html、ついでになぜかBBSのログの一部が消えている。一晩かなり見苦しい状態が続いていた様子で、平にお詫びするしだい。丸秘ディレクトリィが丸見えでしたがな。ああカッコわるい。

金曜の夜から、サーバーの挙動がちょっと変だったんですね。ワールドカップ関連のサイトでも同居してるのかも知れん。まさかFIFAのチケット販売窓口ではあるまい。単に回線かマシンがやたらにbusyで、ファイルの追加と削除がうまくいかなんだ、ということなんでしょうけど。

2002/06/01

そういつも見るわけではないサッカーなのだが、W杯だからという理由だけで見ている。明日には終わってしまうジロ・デ・イタリアの、三日目あたりをのんびり放映しているTV局しかない状況で、何をすればいいのだ。

毎日新聞のコラムで、ある記者がロードレースを見るためにCSを契約した話を書いていたのだが、何が「自転車ファンは夜も眠れない」だよ。プレーオフしているときに開幕戦の録画を見させられるような仕打ちされて、「夜も眠れない」なんてアリか?そりゃま、誰も見やせんのだから、しかたないけど。

それにしても、ドイツ人という連中は、慈悲とか武士の情け、というような考え方とは対極にいる連中らしい。今後の付き合いには充分注意すべきであろう。


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