更新日記
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2002/10/31 |
あれま、気がつけばもう月末。今月はあんまり保存記事にしておこうと思うようなのが少なかったので、一部の日記記事を連結したりして内容を水増し。「都市伝説」のほうをずっとさぼっているので、ナイジェリアン・スキャムあたりをだしにして適当なのを書こうかと検討中。じつは変異形がまたきたもので。でも、今度のやつは「興味があれば、電話しろ」だと。国際Q2サービスと組んだ詐欺なのかも。
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2002/10/30 |
CGIが止まっていたのは、サーバー会社のほうでセキュリティ用サーバーを造設したため、一時的に使用不可になっていただけだとのこと。丁寧なお詫びメールが届き、もちろんCGIのほうも復旧していた。
セキュリティサーバーを造設する作業で、なんで個々の契約者サイトのCGIが丸一日近く動かなくなるのか、という論理的説明はどこにもないわけだが、世の中、それなりの事情の流れを説明されると納得してしまうのもまた事実。
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2002/10/29 |
タダに舞い上がってバカのみしてしまい、終日宿酔で呻吟。私の場合は、頭痛嘔気倦怠感一般的身体違和に加え、不整脈の悪化が来るので、ちょっとした生命威迫感覚も味わえてまことに趣きが深い。しかし、これだけ同じことやってるのに、まるっきり学習すると言うことがないのにも、我ながらちょっとあきれる。夕方ごろ、じわじわと回復してくるときの逆説的快感があるからかな。
一説にはあれはアセトアルデヒドとアドレナリンが反応して、麻薬様物質が体内に生成されるからだという。それまでの、もう一生酒なんか飲まんぞという悔悟の念が、あの波が来るときれいさっぱりどこかへ行ってしまうのが面白い。
それはそうと、朝からサイト内のCGIが全部動かなくなっているのだが、なんでかなあ。酔っ払っているときにけったいな操作を加えてしまったか、とおもって調べても、べつになんともない様子。サーバー屋さんにメール送ったけれど、今のところ返事がない。サーバー屋が設置しているファイルチェックのCGIまで動かないので、こちらのせいではないと思うんですが。
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2002/10/28 |
前の職場の新入職医師の歓迎会。タダなのでもちろん参加。我ながらあきれ果てるタカリ体質である。いつも利用する創作料理系の中華料理屋が休みだとのことで、新しく出来たホテルの中華レストランだというのがちょっと不安。ワインはほとんど置いていないということなので、いつものごとく買い付け係を志願する。
いつもの安売りチェーンで買うのもなんだとおもって、このあたりでは老舗の酒屋に買い付けに行ったのだが、最近は安売り屋のほうが取り揃えがいいんですな。中華に合いそうな軽めのシャンパンをと探したが、モエとかポメリーぐらいしかない。ちょっと値が張る奴といえばロゼのドンペリぐらい。バブルのころでもあるまいに。しょうがない、シャンパンは安売り屋だ。
それでもポムロルのCHラ・クレマンス96がバカ安く売られているのを発見したので、結局これだけ買って、安売り屋に向かう。シャンパンはローランペリエ。赤はちょっと考えて、ジュブレイ・シャンベルタン。いやはや、ミーハーですわ。こういうのを入れとかないと、ワインになじみが少ない人はちょっとつらいんですな。
なんだかんだいいつつ、どうせほとんど私が一人で飲んでしまうんですけど。さて、半日でシャンパンちゃんと冷えるかなっと。
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2002/10/27 |
休みだというのに当直である。もっとも、独身状況ではむしろありがたいといえなくもないのだが。
晩飯を食おうとしていたら、警察からの電話。なんでも、「覚せい剤事件の被疑者を勾留しているが、こいつが覚せい剤検査されまいと尿を出さない。もう一昼夜も排尿をこらえている。尿の強制採取にかんする令状をとったので、連れて行くから導尿してくれ」というもの。
犯罪捜査に協力するという、市民的義務を果たすのはやぶさかではないのだが、なんとなく引っかかる話である。医療行為というのはあくまで患者の利益のために行われることで、法執行の一環としてやられるとするなら、それはあくまで裁判所が、何らかの法的根拠を示して個々の医師に直接命令するべきであろう。警察官に尿を強制採取することを認めたからといって、なにもこちらがリスクをしょって協力しなければならないいわれはない。
そんな意見を言って、ヒポクラテスの誓いやら、「ヘルシンキ宣言」やら(これは人体実験の倫理綱領だからちょっと違う)、75年世界医師会東京宣言(これは拷問に医師がかかわってはならないというもの)などを並べて、あまり納得できないので協力しないと告げる。警察官は憮然とした口調で、そんな難しい話ではないのだけれどね、ま、院長に直接掛け合ってみる、と捨て台詞。
こちらとしてはまずサボりたい一心なので、自分の主張が法的に正当なものかどうかにはあまり自信がない。でも、病人でもない人に対して、意思を無視した強制的な医療処置をすることに、かなり敏感であるべきなのは、この業界で何度も思い知ってきたことなのだ。
電話での応対のあと検索してみて、同じような強制採尿事例で訴訟手続き違反を訴えて上告した被告に対する判例があるのを発見した。そこでは警察側がとった令状が適当でなかったことを指摘しながら、結局不当な手続きで得た証拠を採用するという、ちょっとどうかと思う判断で被告が敗訴している。不当捜査すれば、どんな証拠があろうと無意味ってのは日本の裁判では原則になっていないらしい。裁判官に「ダーティ・ハリー」なんぞを無理にでもみせにゃいかんな、ホント。
しかも日本の司法制度では、医療倫理なんか問題にもされないみたいで、さっきのオマワリがごねたら少々まずい立場になりそう。まあこちらは純粋に、晩飯前にシャブ中ヤーさんのチンポコなんぞを拝みたくなかっただけのことですが。
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2002/10/26 |
突如、宅配便でPCが送りつけられてくる。辺境大学生の娘からである。起動時に妙なダイアローグが出て、さっぱり前に進まないのだという。その妙なダイアローグとは何だと電話で押し問答してもさっぱり埒が明かぬため、見ればわかるだろうと送ってきたらしい。大体、ダイアローグという言葉すら、そもそも通じないのである。
こちらのマシンと取り替えて起動してみると、ごく普通に起動する。両方自作品だが、別に何の問題もないはずで、しいて言えば、マザーボードがちょっと古めなので、FSB66MBでしか動かないのが難点。電話で問い合わせてみると、ダイアルアップ接続を開きますか、というのが出て前に進まなかったのだと言う。こちらでは全然問題ないのだがねぇ。
この手のトラブルが一番困るのだが、こういうのを解決できるレベルの同級生が、田舎とはいえ、一応国立大学の医学部生なのに全然いないというのが不思議だ。PCトラブル解決を手段にする消極的ナンパというのは、オタク系の野郎にはかなり手近な方法だと思うのだがねぇ。単にそこそこ優秀な野郎と付き合っていないだけのことか。これは多分ルームメートのPCとつないでいるフリーのルータ兼ファイアウォールソフトの設定の問題だと決め付ける。果たして、二本差ししているネットワークカードの片一方の設定が消えているのを発見する。
しかし、勝手に消えるわけもなく、事実関係は全く不明。そんなイタズラだけやるウイルスなんかあるわけもないし。admin権限でないと色々ややこしいからと、改変自由の権限があるのがいかんのかねぇ。この機会にとWindowsUpdateをかけてみれば、実に30項目ほどのUpdateを指示されてしまう。(実際は複合するので、十数項目で済むんですけど)
教訓:PCの設定さえ面倒みられれば、くだらん野郎でも存在意義はある。「ミート・ザ・ペアレント」みたいなうるさいこと言わんから、わずらわしいこと回避してくれる野郎はおらんものかねぇ。
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2002/10/25 |
普段から夜の街を徘徊したりする趣味がないので、独身生活だといっても、DVDみたり本読んだりするぐらいしかすることがない。まことに無粋でいけません。スポーツクラブに行くのもいいけど、洗濯物が増えるしなぁ。この前筋トレやりすぎて、筋肉痛が取れていないのもサボりの理由。
というわけで、多少時間のかかる料理でもしようと、こちらを参考にして、「スペイン風肉じゃが」を。といっても冷蔵庫にあるありあわせで作るので、まったく同じものは作れないのです。
うーむ、まず豚ばら肉がないぞ。仕方ないので冷凍のベーコンブロック少々で代用。塩気が出るので味付けに注意が必要だが、そうむずかしいこということもないでしょう。まずニンニク数かけらを刻んでオリーブオイルで焦がさぬよう炒める。参考レシピには入っていないけれど、やっぱり多少刺激がないと、ということで唐辛子も刻んで放り込む。そこに適当な大きさに切ったベーコンブロックとざっくり刻んだタマネギ半分ぐらいをいれて、タマネギがしんなりするぐらいまで火を通す。
元レシピでは別に炒めるとあるのだが、めんどくさいので、ジャガイモ2〜3個を食べやすい大きさにきざんだものをそこに直接放り込み、適度に油がまわってそこそこ表面に火がとおる程度にいため、ホールトマトの缶詰と白ワインを注ぎ込み、ジャガイモがやわらかくなるまで煮込む。ワインがけっこう甘口だったので、砂糖は入れなくてもOKの様子。そのへんは好みの問題。パプリカで色合いを派手にするのも一興。
これではうまみがいまひとつ出ないかもと、ヴイヨンを放り込もうとしたがどこにも見つからない。封を切っていないフォンドボーを見つけたが、もったいないのでアンチョビペーストをにゅるにゅると溶かしこむ。考えてみればこっちのほうがよっぽどもったいない。アンチョビの臭みは、イタリアンハーブミックスなるものを振りかけて誤魔化す。セージとか、オレガノとか、何でもよろしいでしょう。私の場合、どうせ違いはそうわかりません。最後に塩コショウで味を調え出来上がり。準備段階から約1時間ちょっとというところか。
フランスパンにガーリックオイルをつけて軽く焼いたものをそえ、けっこうな晩飯兼おつまみの出来上がり。緑色がないのが淋しいので、ホウレンソウをさっとゆがいて、水にさらした後よく水分を切り、ガーリックオイルとバルサミコであえてサラダにする。殊能将之氏によると(こればっかり)、油を使うのがサラダ、使わないのはおひたし、なんだそうである。
TV前に食卓を移し、「パニック・ルーム」みながらの一人ディナーも、なかなかリッチな気分である。J・フォスターなんか、宅配ピザ食ってるんだもの。といいつつ、向こうはヌフ・ド・パプ飲んでやがったので、800円のチリワインをそえたこちらが総合火力では負け。
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2002/10/24 |
「パニック・ルーム」(2002年米映画。監督:デビッド・フィンチャー)
かの重暗陰鬱不快映画をとらせれば右に出るものがいない、デビット・フィンチャー作品である。向こうの俳優にとっては、こいつの映画に出るのが一種の大物証明みたいなものなんではないか、というような感じがしないでもない。タモリのお昼番組みたいなものか。映像の凝り方はたしかになかなかのもの。タイトルのところで、題字がニューヨークの建物群に付属した構造物みたいに映っているので、すでに意表をつかれてしまう。ちゃんと窓ガラスに影まで映ってるものね。
話自体はたわいないもので、女をつくって別れた旦那への意趣返しにと、豪華なタウンハウスを元旦那の金でマンハッタンの真ん中に買ったジョディ・フォスターとその娘が、前の持ち主が作っていた緊急避難部屋をつかって、侵入してきた泥棒と対決するというだけのこと。えらく凝ったセキュリティシステムをつくっている割には、侵入がえらく簡単そうに見え、パニック・ルームが売りだった不動産屋も、肝腎のシステムをちゃんと稼動するようにしていないという、まことに都合のいい設定なのである。
泥棒連中にきづいたJ・フォスター母娘が、パニック・ルームに逃げ込み、将棋の穴熊状態でお互いに打つ手なし、というところでどんなストーリー展開がありえるのかとおもうのだが、結構小細工を弄し合ってそこそこ話はすすむのである。途中で泥棒のひとりが仲間に向かって、"I don't need any help from this Joe Pesci."とかなんとか言うシーンがあって、なんのこっちゃいとDVDにポーズをかけ、傍らのPCでIMDBなどを引いてみると、ジョー・ペシってのは「ホーム・アローン」に出てきた泥棒役の俳優の名前。つまりこれは「ホーム・アローン」のパロディなんですね*。パロディというと普通は笑いで異化するわけだが、これは不安増幅という異化手段をつかっているのがみそ。J・フォスターはきっと、かのカルキン君の実生活的不幸をも、その背にしょった演技をしていたつもりなのだろう。
それと穴熊状況からストーリーを作り出す手段として、娘が若年性糖尿病(?)であるという設定があるのだが、インスリン(?)を打たないと低血糖になるという糖尿病は、なんぼなんでもまずいのではないか。もしかしたら時間がたつと低血糖になってしまい、定期的にグルカゴンでも打たないといけないような奇病なのかとも思ったが、そんなのは聞いたことがないしなぁ。これはIMDBでもgoofとしてとりあげられていなかった。医学監修がここまでいい加減なのは、最近ちょっと珍しい。
そのほかにも理屈に合わないところはいくつか目に付くが(空気より軽いプロパンガスとか、ドア開けた隙になんで携帯電話をかけないのかとか)、これは「もしもデビッド・フィンチャーが『ホーム・アローン』を撮っていたら」という、ドリフのコントみたいなものだと思ってみておくべき一品であろう。
*この映画が「ホーム・アローン」のパロディであるというような鋭い発見が私にできるはずもなく、誰かがそういっていたのが、頭のどこかにこびりついていたからそれに気づいたのだろう。確かめようと巡回する数少ない映画サイトを調べたら、読んだかどうか覚えはないのだが、やっぱりネタがありました。あのジョー・ペシ云々のセリフは、確かにやたらに違和感あるからね。
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2002/10/23 |
ニュース画像などで、戦死した米兵の遺体が埋葬されるシーンを見ていると、最後に棺を覆っていた星条旗を折りたたんで家族に渡すのをみる。その時の旗の折りたたみ方が、風呂敷というものを使い慣れている日本人がみるとどうも妙で、最後には変に三角形にしたりするので以前から不思議におもっていたのだった。
Snopes.comによると、ああいう儀式での星条旗の折りたたみ方にはちゃんと作法があって、それも13ステップで行うようになってるのだという。そして、そのステップの一つ一つにちゃんとした意味があるのだというような解説が、まことしやかにネットにのっていたりするらしい。そこの解説によれば、あの旗の折りたたみ方は、元来、儀式をもっともらしくするため、わざわざ意味ありげな手順が行われるだけらしい。元の模様を損なわないような折り目にするという、多少の機能的意味はあるらしいが、どちらかというとマニエリズムの産物といったほうがいいようだ。もちろん、折るステップにこめられた意味というのは、単なる後付けである。
9・11テロ後の風潮によるものか、"folding flag"で検索すると、山ほど星条旗折りたたみ方解説サイトが見つかるので、他国のこととはいえ、覚えておくのも一興かとおもう。役に立つことはないでしょうけど。(ここは折り方と、それへの意味づけもかかれている)
この起源はヨーロッパにあるのかと、いろいろ(といってもGoogle相手に30分ほどごそごそしただけ)調べたがわからなかった。また、日章旗に儀礼的折りたたみ方があるのか、というのも調べたがわからぬまま。感覚的には、日章旗の折りたたみ過程が儀礼に組み込まれるような事はないような気がする。なんせ白地がおおいのでユーティリティ度が高く、寄せ書きに使ったりはしますがね。
日の丸は象徴としてもあまりに直接的、即自的で、あやしい操作を加えるには似合わないようにおもう。もし日本で儀式に取り入れるなら、まず真中の赤丸をテルテルボーズみたいに引っ張りあげ、それからねじりこんで回りの白地の中に包み込む、と言うのはいかがか。日没をあらわすというわけ。きれいにたためず、しわだらけになる欠点がありますが。
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2002/10/22 |
しばらく独身生活をすることになり、そのうち強いられるかもしれぬ独居老人ライフの予行演習をしようと、かんたん手抜き料理をつくる。前菜は「料理」にもかいたアホスープ。ベーコンを多めに入れてボリュームを出し、もう一品はパスタで済ます。なんかスープ系が二つ並ぶのも間抜けっぽいが、疲れて帰ってきてから二品というと、おんなじ系統になるのも仕方ないだろう。パスタは殊能将之オフィシャルページに出ていた、キャベツとアンチョビのパスタ。私の食生活指針は、今ほとんどここから得ているのではないか。
パスタでも、スパゲッティーだとお湯がたくさんいるので、ショートパスタで経済性を追求する。まず中ぐらいのなべにお湯を沸かし始め、アホスープに取り掛かる。お湯の一部をアホスープに使い、残りに塩を加え、ペンネをゆでる。後2〜3分でゆであがるところに、キャベツを……、あれれ、キャベツがない。しかたなくレタスに切り替え、適当にお湯の中にちぎりいれる。かなり縮んでしまうので、中くらいのレタスなら、半分ぐらい使ってもいいかも。ゆであがったペンネと一緒にザルにとり、水分を切ってボウルに移し、オリーブオイルとアンチョビペーストであえて出来上がり。殊能氏はここでアンチョビの代わりにシラスをつかう、というのをやっていたので、ちょっとまねしてシラスもいれる。
そうこうする間に、オーブントースターの中でアホスープが出来上がったので、早速いただく。独居老人ライフの予行演習として、みじめったらしくならないことを目指したいので、ちゃんとランチョンクロスをしいて、皿の彩りも考えてこぎれいに配置し、シャンパンフルートなどもそえる。ただ、独居→日がな酒びたり→孤独死という連関がちらつくので、ここではガス入りミネラルウォーターで雰囲気だけのシャンパーニュ。パスタもボールからサーバーで盛るのである。今日は"OSXserver"のロゴも鮮やかな新品サーバーを使ってみる。どうも今までのExpressなんとか、というのは見た目がイマイチ。(ギャグのつもりなんだがすべりっぱなし)
さて、食べてみれば満足満足。ただ、フランスパンを沢山使いすぎて、アホスープがえらくヘビーな一品になってしまったので、せっかくのペンネ・ア・ラ・シュノウ(固有名詞にlaはつかんかな?)も、半分以上残す羽目に。まあいい、残りは朝飯だ。
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2002/10/21 |
雨の10・21。あちらこちらの空き地に、ところどころ群生するセイタカアワダチソウが、見苦しくも満開である。私はこの外来雑草をみるたびに、新左翼といわれた政治潮流のことをおもう。10・21のころにその美しくもない花が満開になるということが一番なのだが、外地からやってきて、同一生態圏の日本古来種を圧迫し、それなりに一時的繁栄を得たということが二番目。(もちろん、政治史からみらば、旧左翼というのはまさしく純粋外来種であって、新左翼はそれなりに日本独自種であった、という転倒はあるのだけれど)
そして三番目に、この植物がとる極端な戦略、なんとそれは一種の生物毒を分泌して競合種の繁殖を抑えるというものなのだそうだが、そのために生育環境の多様性がなくなり、最後は自らの首をしめることになって、長期的には生態系に自分の座をもてないという事実である。
セイタカアワダチソウが競合するのはもっぱらススキであるそうで、確かに10数年前には川原の枯れススキが目立たなくなり、一時ほとんどこれに置換されたかに見えたこともあった。しかし数年ぐらい前から、ススキの群生はちゃんとその力をとり戻してきている。
30年ぐらい前にセイタカアワダチソウの運命について教えてくれたのは、熱心な政治活動家であった農学部の友人だった。その彼もいくつかの紆余曲折をへて、いまは国際アグリビジネスのエグゼクティブとして海外でくらしている。もう日本に帰る気はないが、老いた両親が自分のところで暮らすのを納得してくれないのが悩みだという。
彼の心象風景にはススキ原の風情があるのか、セイタカアワダチソウが花盛りなのか。そんなことをおもいながら、セイタカアワダチソウが8:2までに敗れつつあるらしき川原を眺めているのである。
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2002/10/20 |
「ムッタ・デーヴァ日記」で、「上祐史浩オフィシャルウェブサイト」がリニューアルしたというのを知り、早速のぞきに行った。動機はもちろんたんなる野次馬である。突然音楽が鳴り出すという、はた迷惑なつくりを別にすれば(だからリンクしてません)、なかなかにソフトなつくりである。外見はほとんど「半跏思惟」とそっくりなので、F さんがほとんど作ったのかな、と思ったり。
私には上祐史浩という人は、信者の超越的解脱を直接の目標にしている(この理解が全く誤っているかもしれないが)宗教の代表にふさわしい人とはとても思えない。理論家とか組織家としては適任だろうけれど。どんな教団でも、ペテロが重要な働きをする時期をへて、しだいに世俗化していくんでしょうけれど。10年もすれば、「幸○の科○」みたいになって、自民党の応援でもしているのかねぇ。関係ない人間が心配することではないけれど。
それはさておき、かのオフィシャルサイトである。そこにはQ&Aコーナーがあって、さまざまな質問に上祐氏が答えているのだが、その中にこんな質問があった。30になるのに自転車に乗れず困っている、どうしたらいいかというのである。質問者はさぞお困りのこととは思うのだが、これを上祐氏に尋ねようと思われた経緯を、機会があればじっくり聞いてみたいと思うのは私だけであろうか。
その質問にやさしく答える上祐氏がまた素晴らしい。彼らの世俗化への決心はきわめて強いと、私はこの一点で判断するのである。
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2002/10/19 |
昨日書いたことがもう一つまとまっていないので、同じことについてもう一度別の立場から。
私はネタにもなるかと、何種類か政治解説系のMLをとっているのだが、そのなかでもトンデモ系としか言いようのない某MLに、帰国拉致被害者は、たとえ家族が殺されることになろうと、拉致の不当性を訴え、日本にとどまることを宣言するのが義務だなどといういかれた主張をするものがあった。バカじゃないのか。いや、そいつがバカなのは前から知ってたんだけど。
しかも今日、TVをみていると、帰国者の中で一番骨のありそうな蓮池氏に対して、監視役ではないのかとか、スパイではないのか、などという無礼な質問が集中していて、これはウェブのなかでも、あいつは怪しいなどという無責任な推測がされていたほどなのだ(例:愛・蔵太氏のウェブなど。あの人、こんなくだらんミーハーだったのか。今度私のサイトを引用することがあったら、あのしょうもないread-meに登録もしていないのに、勝手につまらん茶々入れるんじゃないと訴訟でも起こしてやろう)。
生き伸びるためにやむを得ず選ばざるを得なかった生き方を、安全な立場から無責任なことを言うんじゃない。ほんとにふざけるじゃない。私なら、もし拉致されて、家族もみな人質という状況になってしまったら、全能力を使って連中に協力し、あの国の政治方針に決定的な影響を与えるまでに上り詰めるように努力し、最後にはキムジョンイルの側近にまでなってやるな。生きていくにはそれしか道はないじゃないか。その上で、あの国を少しでも開くための方策を考える。被害者意識だけで自己防衛していても、無意味に殺されるだけなんだから。もし、うまくいかずに粛清されたら(多分99%そうだろうけど)、それはまあ、仕方なしということで。
しかも、祖国だなんだのといいつつ、この国の現状は絶対的に認められるべきものなのか。犯罪的な陰謀による拉致であろうと、ある種の社会変革に寄与できるならと、与えられた運命もまたひとつの契機として、生きていく決心をする人がいるのも当然のことだろう。それのどこが悪いのだ。
安全なところで正論を言い、危機的な状況で自らの生命を守るぎりぎりの戦いをしている人々への配慮も知らないマスコミに対して、またも大いなる幻滅というか、ますますの軽蔑を感じた。あんたら、ほんとに逝ってよしだ。もちろん、自分や家族が死ぬのも覚悟で日本の「国益」なんてものに奉仕すべきなんてことをいう、ニュースタイル保守気取りのアホたれには、手前が一番先に人柱になれ、というしかない。皆さん揃って逝ってよし。
マッチ擦るつかのま海の霧ふかし身を捨つるほどの祖国はありや (寺山修司)
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2002/10/18 |
国中が大騒ぎのことがらについて、まるっきり触れないというのも不自然だろうと、北朝鮮拉致被害者の帰国について感じたことをすこし。ちょっと論外だ、と非難されるかもしれないが。
例によって、誰が誰だかちゃんと理解してTVニュース映像を見ているわけではないので、どこの事だかわからないのだけれど、どなただかの帰郷で、町をあげての歓迎大宴会が開かれていたのだ。そこでは、立錐の余地なく人々がつめかけているのだが、あんまり関係なさそうな有力者と思しき方々ばかりが目に付き、それも男性ばかり。女性はと見ると、かいがいしく宴会進行役で忙しく立ち働いている様子。こんなドロドロの伝統ムラ社会はかなわんな、と少なくとも私は思った。帰ってきた人の目にはどう映っただろう。20年以上たっても、相変わらずの「遅れた社会」だと見えなかったろうか。
この拉致事件は、どのように言い訳されようと、北朝鮮を暴力支配する金王朝の許すべからざる犯罪性の一部が露呈したものに他ならないとは思う。しかし、完全に方向が間違っているとはいえ、独裁による一種の「近代化」をめざしたかの地において、建前の自由と解放はそれなりに主張されていたはずだ。もちろん、その前提になる金王朝独裁の犯罪性には目をつぶる、という前提つきですけどね。
そんなところに強制的に「招待」された人々には、いびつで限定されたものではあれ、かの地では因習を脱した平等な人間関係がもてるかのごときポーズが示されていたのではないか。脅されてしかたなしとはいえ、それを受け入れた人々には、そこそこの特権的地位も、本音はわからぬまでも、やりがいのあるとされる仕事まで与えられていたようだ。たしかに拉致の不運を嘆き続けていても致し方なく、向こうの邪悪な意図を精一杯利用して生きていくしか道はなかっただろう。多くの死者の存在がほのめかすように、拉致という不当な犯罪と取引するには潔癖でありすぎた人たちには、過酷な運命しか待っていなかったのだから。
権力犯罪というものに媒介されたとはいえ、二つの社会を生きる機会を持った被害者やその家族たちの、今後のよりよき生活が保障されるよう、政府機関は万全の配慮の元に対策をするべきであろう。これで一件落着として、あとは国交回復→経済援助の開始を急ぎ、そこでいままでのODAみたいな利権の夢を追っているらしき一部の政治家はすっこんでいてほしい。金王朝を延命させるのではなく、貧困に耐えながらつましく理想のために生きてきた多くの人々を救う道を、このさい堂々と国民的論議にしていいのではないだろうか
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2002/10/17 |
14日の記載で、WindowsXPではOSから造設HDDのフォーマットが出来ないようなことを書いたが、全くの無知蒙昧によるものであることが判った。「管理ツール」からやるんですがな。2000の場合もそうしていたのに。それを忘れて、検索で出てきた説明を鵜呑みにしてしまったのが敗因。どこの記事を読んだのか忘れたけれど、ホームエディションの場合のことだったんだろうか。もう一度検索しても見つかりません。
MS社に対しては、自らのアホも省みず、つまらん言いがかりをして、まことに申し訳ありません。
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2002/10/16 |
毎日新聞のサイトに、「テノヒラタンカ」というコーナーがあるのにお気づきのかたはおられるだろうか。私は全くの偶然に、そこに行き当たった。短歌といっても、定型をかなり打ち破った新しい感覚、悪く言えば俵万智のパクリにしか見えぬコジャレテイストがあふれ、なかなかに面白い。新聞のほうで見たことはないから、ウェブ上だけの試みなのだろう。フラッシュによる動画と、ミニマリズム系のBGM伴奏つきというのも、ウェブならではの表現型式であろう。
それを見ていると、上のほうにあるバナー広告に出てきた「リキュールにくわしいひとってけっこうカッコいいかも」というコピーだとか、「繊細に作り込まれた音によって、忘れられていた思いはゆっくりと表れる 」というミュージシャンのメッセージも全部短歌にみえてしまう。ついには「毎日インタラクティブに掲載の記事・写真・図表などの無断転載を禁止します」という注意書きまでそう見えてきて、短歌という表現が日常日本語の基本様式みたいに感じてしまうのが不思議である。
転載を禁じるといわれはしたけれど 言葉がなんにも残ってはいない
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2002/10/15 |
先日、またもナイジェリアン・スキャムとしてしられる詐欺メールがとどく。前回来たのは確か6月だった。その時は、暗殺されたコンゴ大統領の側近を名乗り、宙に浮いた秘密資金の運用をしたいので協力者になってくれというものだった。今回の内容はもっとストレートで、ナイジェリアの石油省副議長なる人物の名前で、裏金を世界各国で運用したいので口座を提供してくれないかというもの。
前回の資金額は35億ドルだったが、今回は34億ドルである。微妙に同じような額であるのが面白い。口座を貸してくれたら、動かした金の20%を提供するとあるのは同じ。1億ドルだけでも振り込まれたら、労せずして20億円以上が自分のものになるわけだ。前回、黙殺してしまったのを長らく悔やんだので、今回は早速の返信である。
「とても興味ある話なので、詳細を聞きたい。そちらの事情が切迫していることもあるだろうから、口座番号だけは先にお知らせしておこう。印旛沼農協28034568(普)口座名義:濡手泡蔵である。返信をまつ。」
それからすでに一週間。なんの返事も来ないのだ。事務費用の数千万をまず以下の口座に振り込め、なんて返事を心待ちにしてたのにな。返事がくれば公開するので、あぶく銭を求める方はのってみてください。
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2002/10/14 |
MP3だのDivxだのと、怪しいファイルを集めまくったせいで、30GBあったディスクがもう一杯である。これは増設しかない。近所の量販家電店でも40GBが8千円ちょっと。安くなったものだ。ハードディスクというものが売り出されたころ、30MB足らずに大金払って買ったのがうそのよう。
さて増設して再起動。スレーブだのマスターだの、ポリティカル・コレクトを言い立てる連中から文句がつかんのかいな、と心配しないでもない設定も正しかったらしく、BIOSでもちゃんと認識されている。ところがOSからは見えんのですな。Win2000まではフォーマットしてなくても見えたのではなかったかいな、と首をひねりつつ、DOS窓でFDISKを起動させようとすると、なんとそんなコマンドなんぞ知らんと口答えする。
どういうこっちゃいと、ネットで調べてみれば、2000以降はインストーラCDで起動して、それでフォーマットしろ、とある。確か別のPCではOSからフォーマットした覚えがあるんだがな、といってもこれは出来心でXPにしてしまったのだからしょうがない。なんか、OSはどんどん不便な方向に進化しているらしい。要はFDISKコマンドが使えればいいのだろうと、雑誌付録のLinuxCDをつかって起動し、無事にNTFSフォーマットの完成である。
せっかくの休みが、これで半分つぶれてしまったと文句を言おうと思ったが、考えてみれば他にすることなんかないので、いい暇つぶしになったと感謝するべきなのだ。MS社さん、高くて手間のかかるOSをどうもありがとう。
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2002/10/13 |
義理で晴海方面で開かれている、某アート系の催し物を見に行く。晴海トリトンという名の、摩訶不思議なコジャレ空間である。昔このあたりにアマチュア無線免許の試験を受けに来たことがあるのだが、そのころの面影はただ勝鬨橋に残っているだけで、とにかく街全体の雰囲気が全然違ってしまってるのである。催し物のほうはなんとかアリバイを作れたが、ああした業界で飯を食っていくのは大変なのだなと、チンタラしていてもそこそこ暮らせるわが業界のいい加減さの幸運を深く再確認するに至る。
来るときは大江戸線を使ったのだが(しかし、あの電車にはってある広告は、なんであんなに胡散臭いものばかりなのであろうか。都知事の趣味なんだろうか)、帰るのに同じ経路も芸がないので、おのぼりさんっぽく、築地本願寺にお参りして銀座をぶらぶらし、同行者が一度でいいから「丸ビル」というものを見たいというので、国際フォーラムを通り抜けて現地に向かう。しかし、そこは大変なことになっていて、結局中に入らず帰ることに。あれだけ人が集まって、サンリオショップに毛が生えたようなつまらんコジャレ店に押し寄せていて、今が不景気だというのがわからん。無意味なものしか売れない、というのがいかんのですかね。
東京不可思議無意味空間のかなりの部分を、一日で制覇である。ちょっと前にいったお台場とあわせて、すべてクリアといえる。あ、まだ天王洲アイルが残っていたかな。
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2002/10/12 |
学生時代の知り合いからメールがある。昔ある程度集団的付き合いがあった男が、こんど地元の地方選挙に立つので、カンパしてくれないかと。いわゆる70年代前後の関係なので、多かれ少なかれあの時代の反体制運動にかかわる縁なのだ。正直言うと、田舎の大学でそういうことをそこそこ中心的に担っていたという経緯で、いまだに腐れ縁を保っているわけだ。
それを多少でも生業に近いものにしている人間もいるが(例えば連合の地方ダラ幹がそれにあたるとして、の話だが)、ほとんどの人間は今は単なるオッサン・オバハンである。まして今度選挙に出ようという男は、故郷で家業を継ぎ、商工会議所などでそれなりの地域的な地位を着々ときずく人生を送っていたはず。親孝行という意味ではまことに人倫にそった社会復帰を果たしていたといえるのだが、その延長上にあるとしか思えぬ選挙に、昔のバカ騒ぎ好み有象無象の力を借りようという発想がわからない。
だいたい、一緒に行動したっていいと思う連中にだってカンパなんぞしたくない私のしみったれ度からすれば、地域共生だの、地域経済再生だのという、誰も反対しもせん、当然スローガンにもならんへたれ主張の候補、しかも自分が住んでもいないところの人間に何で力を貸す必要がある。なれあい談合地方政治の虚妄を批判し、地方票を取りまとめることで中央にひたすら摺り寄ってせこい利権を維持してきた、地方自治体のあり方を根本的に変えたいと蟷螂の斧を振りかざす、というなら多少の助力はしてやってもいい。でも全然そうじゃないでしょうが。いい歳なんだから大人の論理で、と言われるかもしれないが、まるっきり現状の政治状況の危機すら感じていないような候補を、昔の連帯スタイルだけで推すほどに、こちらはまだ成熟していないのだ。
もちろん、そんな論理でないところで、ちゃんとした責任ある地位を自分たちの世代で占めて行こうではないか、という主張もそれなりに意味があるというのはわかるつもり。でも現状では、地方政治といえども、それなりの危機感と、それに対する具体的ビジョンを欠く多幸的な幻想配布主義はどう考えても有害であると思う。
ただでさえ少ない付き合いが、これでまたがっくり減ってしまったなと思いつつ、カンパしない言い訳をこれでちゃんと表明したというのでなんだか一安心。
巡回サイトである「できるかな?」で、ちょっと前に「竹内まりやの歌の音程を下げると山下達郎の歌に聞こえる」という噂話の実証をやっていた。いつもながら、ここの管理人氏の切り込み方は素晴らしい。
しかし実は、竹内まりあも山下達郎もあまりよく知らないので、そこで公開されているファイルを聞いても、確かにそっくりになるとは思うものの、もうひとつ感動にかけるのだった。そこではさらに、鬼束ちひろのピッチを下げると平井賢になる、というのも示されているのだが、こちらは二人とも全く知らないので、見たことのない芸人がその人の出た小学校の校長さんの物まねをやっているのを聞かされている気分である。
これは自分がある程度知っている歌手を対象に、同じことをやってみるしかないと決心し、WinampのプラグインであるPacemakerをダウンロードして、片っ端からMp3ファイルのピッチを上げたり下げたりしてみる。それでまず判明したことは、クラシック系の歌い手の場合、いくらピッチを変えても、例えばソプラノがテノールに聞こえる、ということはないということ。
ソプラノはアルトになり、さらに下げれば間延びしてくるばかり。逆にバリトンをいくら音階をあげてみたところで、テノールになり、せいぜいがボーイソプラノになるだけ。竹内まりあ→山下達郎、鬼束ちひろ→平井賢というような性転換は起こらないのである。発声スタイルを極限にまで作りこんでいるクラシック歌手では、ピッチの変化ぐらいで別の人間に聞こえてしまうようなことはないのだろう。
これではもうひとつすっきりしない。さらに別ジャンルで試そうと、桑田佳祐のTunamiを聞いてみる。ピッチを0.25オクターブほどあげてみると、そこに出現したのはなんと坂本九であった。霊界からよみがえって昨今の曲を歌う、若き日の坂本九の歌声に、しばし聞き入ってしまった秋の夕暮れである。
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2002/10/10 |
性懲りもなく、イグ・ノーベル賞関連をチェックしていたのだが、93年の医学賞受賞論文の内容を知るに及び、広く世に知らしめるのが、医療業界の端くれにいる人間としての責務であると思うにいたる。決してネタ切れ対策ではありません。
その論文は、90年に救急医学雑誌に掲載された、「ジッパーにはさまったペニスの応急処置」というもの。Pubmedでは抜粋しか読めないので、関連記事を検索したところ、この論文と、その後に発表された論文をまとめた、家庭医学記事を発見した。ここでその具体的内容をまとめてみたい。
ここでやってはいけないことは、あせって衣服を切り裂くこと。ジッパー部分だけを丁寧に切り取れば、また直して着られる。それと、食い込んだ皮膚を切開するのもダメ。余計な傷害を与えるだけ。もっともな意見です。
この論文は、ごく常識的としか思えぬ内容を記した短いものであったが、いわゆるインパクト・ファクターは驚くべき高値を示したらしい。男性としての受苦体験の原型にふれたという画期性があったんでしょうな。
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2002/10/09 |
さらにしつこくイグ・ノーベル賞関連。
本家とちがい、イグ・ノーベル賞の部門わけは柔軟で、受賞対象の評価自体を何より重視するため、年によって少しずつ違う。本家にはない、数学や心理学なども対象とされるようだ。2001年には昨日の医学賞にくわえ、生物学部門として次のような製品も受賞している。
"Under-Ease"という名のその製品は、特殊な気密性加工を施した下着で、肛門部にあたるところには消臭フィルターが備え付けられている。過敏性大腸などの腸疾患で、頻回のオナラに悩まされている人のためにつくられたすぐれものだ。女性用、男性用とも24ドル95セントという、お手ごろ価格もうれしい。いまならお得な交換用フィルターセットに高枝切り鋏もついてくる、ということはないようだ。
ただ、そのサイトをいくら読んでも、音のほうはどうなるのかとか(なんか、気密性素材が災いして、共鳴現象が起こるような)、ちびってしまった時の対応について書かれていないのが、ちょっと気になるところ。
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2002/10/08 |
せっかくなので、昨日のイグ・ノーベル賞の続き。昨年の医学賞の紹介。もうみんな読んじゃいましたか。
これは84年の外傷学雑誌に掲載された論文に与えられた。表題は「落下椰子の実による外傷」というもの。パプア・ニューギニアの一地方病院で、4年のあいだに、落ちてきた椰子の実に直撃されて怪我をした症例について考察したもの。この病院では入院患者の2.5%が、これによるものだったという。論文では、即死例2例、開頭手術を要した2例について詳述しているらしい。
椰子の実が当たって深刻な怪我をしたり、命を失った人には申し訳ないのだが、このほのぼのとしたテイストは、やはり受賞に値すると思う。
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2002/10/07 |
/.jpで仕入れたネタなんだけれど、ノーベル賞のパロディとして知られる(私は知らなんだけどね)イグ・ノーベル賞の2002年度受賞者が10月3日に発表され、タカラの「バウ・リンガル」が堂々の平和賞を獲得したという。これからの日本が科学技術分野で進むべき道を、強く示唆してくれる快事でありましょう。
なお、今年の同賞医学賞は76年にNature誌に発表された解剖学(?)レポート。古典時代や、ルネッサンス期の男性裸体彫像107体を観察し、その睾丸の左右不対称性について論じたもの。「昔の芸術家は、右の睾丸が高い位置にあることを正しく観察しているが、左側を大きく描くという間違いをおかしている」という。これには「下にさがっているのは大きくて重いから」と単純に考えたからであろう、という考察がなされている。
パロディとはいえ、対象になるのはちゃんとした学術誌に載った大真面目な論文が中心で、平和賞だけは本格お笑いを追求しているように思える。まあ、これは本家ノーベル賞も同じことですが。
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2002/10/06 |
「スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃」 (監督:ジョージ:ルーカス 2002:米映画)
某方面よりDivxファイル化されたこの映画を入手した。イケナイこととは知りつつ、来るものは拒まぬ主義から早速鑑賞した次第。ただ、音声は悪いわ、画面もぼんやりでなんだかはっきりせぬわで、そもそも物語そのものがあれこれ満載でようわからん内容だったので、これはあくまで参照ということにさせていただき、本物をそのうちもう一度ちゃんと見るつもり。まあ、DVD借りてくるだけのことですけど。
数千年の平和と繁栄を誇った銀河共和国も、だんだんとほころびが見え始め、政治家は腐敗するわ、分離主義者は跳梁するわで危機が露出し始めていたのだった。あちらこちらで独立を策動する分離主義者に対して、断固たる処断を求める一派は、共和国軍の創設を主張するが、前女王のアミダラ元老院議員は、それに反対するため議会の開かれる惑星に赴いたところ、そこで暗殺未遂事件に遭遇する、というのが出だしのつかみ。
共和国議会はアミダラ議員にジェダイの護衛をつけるのだが、これがオビ・ワン・ケノビが訓練中のアナキン・スカイウォーカー。こいつはアミダラとなぜか知り合いで、合うや否やかっての恋情を燃やすのであった。それはエピソードIでネタ振りされているらしいのだが、記銘力低下激しい私はあまりよく覚えていないのだ。知り合いっていったって、片一方はてんでガキだったはずなんだけど。
えらくしょぼい再度の暗殺計画を防いだアナキンは、アミダラが避難する故郷の惑星に警備責任者としてともに赴くのだが、なぜかそこで70年代風ニューシネマみたいな、とろくさい愛の生活を二人で繰り広げるのである。そうこうするうちに超能力のあるジェダイのこと、母親の危機を感じたアナキンは、勝手に故郷タトーウィン惑星に母を救いにアミダラと出かける。結局、母を救うことが出来なかったアナキンは、絶対的パワーにあこがれることになる。
その後の話がどうもよくわからず、共和国の内部に陰謀があって、だいぶ前からクローン軍隊創設の準備がされていたのをオビ・ワンがつきとめ、しかも分離主義者の陰謀も一方で進んでいて、それを粉砕するためにその軍隊は実戦投入されてしまうのである。アミダラは軍創出に反対していたはずなのに、その代理であるジャージャーは共和国軍創設の大演説をぶったりする。まあ、おかげで主人公たちはそのクローン軍隊、これはかの機動歩兵、ストーム・トルーパーそのもの、に救われるんだけどね。
どうも分離主義者=星間ブルジョワジーたちのせこい策動を利用して、ジェダイの腐敗分子が共和国の軍事化を通じて一気に独裁化しようという陰謀があったのだ、ということらしい。こんな単純な策動が通じる未来社会なのかいな、ローマ帝国史でも研究している人がいたら、一発で見抜かれてしまうのではないか、と思わないでもない。神話物語だからこれでいいんでしょうけどね。
映画としては、アナキン役者がちょっとしょぼすぎたけど、私の大好きなマオリ系俳優、タムエラ・モリソンがかのボバ・フェットの親父(といってもクローンだから、本人そのものか)として大活躍してくれたのがうれしい。ストーム・トルーパーって、みんなあいつのクローンだったのね。二作目三作目で、なんだか意味ありげな存在だったのがちょっとわかった感じ。しかし、なんとなくせこい謎解きに思わないでもない。
命脈つきた民主主義政体に、パワーあふれる変革をもとめる2ちゃんねらーみたいな幼いファシストたちを、いさめようとする意図があるらしきことはわからないではないけれど、ちょっと様式的なとらえ方が過ぎるのではないかな、と思わないでもない。もっとも、胡散臭いDivxファイルで見た感想で決め付けるのはなんなので、ちゃんとしたソフトでもいっぺん鑑賞させてもらった上で判断させていただきますが。
しかし、アミダラというと、アミダ婆ぁを連想してしまい、どうも素直になれないのがいけません。
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2002/10/05 |
最近、水森亜土さんが大ブレイクなんだそうで、毎日のようにTVに出ておられるようだ。私の記憶はご存知のように、いつもかなり混乱しているのだが、初めて水森亜土と言う人を見たのはいつなのか、というのがいまだにはっきりしない。
私にはなんだか、TVと言うものの蒼古期から、彼女はあの格好でアクリル板に向かい、歌を歌いながら絵を描いていたような気がしてならない。検索で出てくるサイトでは、彼女は70年代に一世を風靡したと言うことになっている記述が多いのだが、とてもそうとは思えない。そのころはTVなんかほとんどみていない。私の子供時代(60年代初期)には絶対すでにあのスタイルを確立していたはずだ、と思えるのだ。信頼できる記録では、彼女が初めて映画出演しているのは1968年で、そこでは最近リバイバルしているヴィレッジ・シンガーズや、中山仁と共演している。
しかし私には、彼女はヴィレッジ・シンガーズなんかより、よっぽど前から芸能界に顔を出していたはずだと思える。その時代、彼女をモデルにしたと思える小説(誰の手によるものかは忘れたのだが、家族のために献身的に少女を演じている強い女性を描いたもの。やはり60年代終わりごろだったような気がする)を読んだのが妙なバイアスを生んでいる。それが正しいかどうか、大体読んだ時期が正しいかどうかもはっきりしないのに。
TVで見る限り、彼女はどうみても少女そのもので、天真爛漫にあのアートを展開しておられる。そろそろ介護保険の適用年代が来るようには見えないのだが、それが能力ある女性と言うものの空恐ろしさ、ということなのかもしれない。私の記憶が、いい加減な勘違いであればいいと思うのだが。
二代目「水森亜土」を目論んでおられるという、そねさん、是非そのあたりの年齢不詳の魅力をも手に入れられることを望んでやまないものだ。
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2002/10/04 |
昼飯食ったあと、職場の自室のソファに寝そべって本を読んでいたら、いつのまにか寝入っていた。回りがやけに騒がしいので目覚め、昼休みが終わったから、みな自分の持ち場に移動しているのだな、こちらも起きださにゃ、と思うのに体が動かない。ドア越しに聞こえるのは足音で、それも大群衆がなにか口々に叫びながら駆けているような、緊張感をはらんだ異様なものだ。
あ、こりゃかなり久々の金縛りだ。この物音も幻聴なんだよな、と頭の片隅ではわかっていても、一方ではその群集が部屋の中に今にもなだれ込んでくるような切迫感があって、とにかく動かなければならんと必死になる。こちらの意識自体にもかなりの変容があって、あんまり客観的に自分の状況を把握できているわけではないのだろう。
幻聴を訴える人に対しては、「それにとらわれず、距離をおきなさいね」なんて、その場限りのアドバイスしているのだが、こうして自分の番になってみると、我ながら間抜けなことをいっているものだと実感してしまう。でも、「困りましたねぇ」では情けないしなあ。それ以外に言うことはないのだけれど。
ここ数年起こっていなかったのに、どうしたわけだろう。この金縛り体験=入眠時幻覚・出眠時幻覚+睡眠麻痺は、活発な脳の活動が前提で、歳をとると滅多に出現しないと思ってたんだけど。脳みそがちょっと若返ってきたのか、ローソクが消える時のきらめきみたいなものか。
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2002/10/03 |
こちらからの孫引きで申し訳ないのだが、あまりに不可思議なので紹介。
この画像のAとBの部分は同じ色だというのだ。錯覚を誘発する画像というのは、言われてみれば、という感じなのが多いが、これはどう見ても違う。あまりに不思議なので、PhotoshopLEに取り込み、二つの部分の色をスポイトツールで取り出し、比べてみた。これがその画像。目で見ればまるきり違うのに、取り込んだ色はまったく同じ。不思議この上ないが、「この目で見たから間違いない」という意見への、一般的反証がまた出来たな、という気分。
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2002/10/02 |
南アフリカのダーバン市は、深刻な墓地不足に見舞われていて、市当局は革新的な遺体処理方法の導入を検討中だという。その方法は、スエーデェンの生物学者によって開発されたもので、遺体を液体窒素で凍結し、その後に超音波で粉砕するというもの。この「フリーズドライ」方式は環境も汚染せず、遺体を数キロ以下の無臭粉末にすることが出来る。
しかし、これに対して、イスラム教コミュニティから、遺体をもっと丁重に扱うべきだという批判がでて、まだ採用の結論は出ていない。なお、ヒンドゥー教コミュニティからは歓迎の意見がだされているそうだ。「尊重されるべきなのは魂であって、遺体ではない」と。
以上、この記事の要約。南アフリカでは、イスラム教とヒンドゥー教が二大勢力なんですかね。キリスト教徒なら、どんな意見をいうのだろう。
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2002/10/01 |
ちょっと気を緩めていたら、たちどころに「戦後最大級の台風来襲」である。昨日まで、そんなことどこかの報道機関でいってたか?
どうでもいいような内閣改造とか、北朝鮮関連報道をしてやっているから、視聴者の生活に直接関連があるような事項についてはいい加減でいいという態度が最近の報道機関の姿勢であるようで、連中に外務省は無能だなんてインネンつける資格なんてありはしないのだ。あらゆる組織、機関が無能化しているのが現状で、それを報じる側が最大級の無能であることには、その当事者が触れるわけもない。
昔は台風が来ると言ったら、二三日前から模造紙にマジックで書いたような天気図を前に、緊張感あふれる表情のアナウンサーがトチリもかいせず、情報を刻々と送ってくれたもので、非日常事象の現実修復効果をこの身で体現できたものだ。もちろん、その連中が状況をかえられるわけもなく、未来を正確に予測するわけでもないのだが、現実の前にある種の覚悟を迫る姿勢は貫徹されていたと思うのだ。それが、最近では嵐の中で絶叫する低脳系アナウンサーの映像を見ることはあっても、日常性の転覆をせまるような報道は絶対得られない。予定調和の枠の中でしか、そういうものは行われないからだ。
たまたましょうもない番組改変期にあたっていたこともあるからか、一時全ての番組が台風情報に入れ替わる様相もあったのだが、台風の側も準備がそう出来るわけもなく、そうたいした被害にはならないという見切りがあったようで、結局つまらんものまね合戦やら、みのもんたドラマ(これ、なんだかんだいいつつ、私はTVが生み出しえる最大級のフィクションだと思います。おそらくこれ以降、TVは下り坂になるしかないのではないか)も無事に放映しているみたいだ。
なんにせよ、外に遊びに出られないネコが気の毒。