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更新日記

 2001/4/30

フジ子・ヘミングのコンサートをNHKでやっていたので、OHAHAでどのぐらいファイルが見つかるかと、"FUJIKO"で検索したら10曲ぐらいあった。片っ端からダウンロードしたら、一曲変なのが混じっていた。

"HIROSHI KUN"という曲である。昭和50年代風のシティ歌謡曲という感じで、かなり音程が怪しい女性歌手が歌っている。"FUJIKO"という名前ではあるのだが、苗字まではわからない。まさか峰不二子ではないだろう。

「ひろし君は好きだけど とても 気難しいの ジーパンのポケットにバイブル入れて ひろし君は好きだけど とても 気難しいの 難しい人生を私に話すから 愛の形は三角形で 恋の形は丸いと 教えてくれたのはひろし君」

恋心を寄せる相手がちょっとエキセントリック、という小娘の恋情を、かなり安易なメロディに乗せて歌い上げたものである。ジーパンのポケットに聖書いれてカッコつけてる奴、という設定があまりに素晴らしい。この歌に関して詳しい情報をお持ちの方は、ぜひ教えていただきたい。

おかげで肝腎の猫おばさんピアニスト、フジ子・ヘミングへの関心はかすんでしまったぞ。あの大雑把で繊細なリストは、聞き逃してはいけない部類に属するものだと思うのだが。

 2001/4/29

昨夜帰ってきたときにはしっかりしていたつもりなのに、朝起きてみればよれよれの二日酔いである。半日うなりながらマグロ状態ですごし、午後は無線LANの設定。職場用なのだが、製品買出しと先行評価の栄誉をになわされたわけ。要は連休に仕事させられているだけ、とも言える。

このマニュアルがまた酒ボケの頭には理解不能に奇怪で、結局文面から意を汲むのはあきらめ、行き当たりばったりで設定するが、なんとかつながってくれた。こんなスマートな機械で2.4GHz帯の電波を出して高速通信できるのだから驚きである。昔、ケッタイな電池用真空管を使ったトランシーバを作って、数百m飛んだなどと喜んでいた記憶が嘘のよう。

ノートパソコンをもってTVを見ながらネット接続としゃれ込むが、そこまでしてネットを使うほどの用事はない。そのままぼんやりTVを見ていたら、シティボーイズのきたろうがいやに真面目くさって経済問題を語っていた。はて今日は知識人モードか、政界入りでも考えているのか、と思っていたら「竹中経済財政相」とテロップが出る。(この前の海原はるかと同じネタ構造でごめん)

 2001/4/28

友人から指令があり、急遽、4・28沖縄ディ首都総決起酒飲み大会が開催される事となった。夕刻、都内某所に結集したわが部隊は、圧倒的少数の陣容にもかかわらず、フットワークも軽く、シャンパン、ワイン数本を苦もなく平らげ、革命的雰囲気を牽引し、場を領導しつづけたことをここに報告したい。

ところでなんで今日が沖縄ディなのだろう。私らの世代なら、すでにいろんな事が起こってしまったことでもあり、この日が沖縄ディといわれても受け入れるしかないのだが、よく考えると少々妙だ。今日はサンフランシスコ講和条約の締結日で、日本国が沖縄を米国に売り渡した日とされるのだが、沖縄の人にしてみれば、それなりに日本からの解放を意味したかも知れず、「沖縄を返せ」的発想は全く狭量なヤマトンチュの意見にすぎない。

日本人の立場なら、薩摩藩の侵略とか、明治国家の武力的琉球処分を原点とすべき筈なのだが、それでは政治的焦点になりにくい、という事なんでしょうかね。

 2001/4/27

今週はよく物をもらう日で、今度は職場のLAN回線に使うノートパソコンが回ってきた。もちろん個人にタダでくれたわけではなく、あくまで自分専用の職場備品である。電子カルテやオーダリングシステムにも安定して使えるように、Windows2000をインストール。メーカー品によくある、訳の分からないおかずソフトもなく、まことにすっきりしていて使いやすい。といって、これだけ一度にたくさん導入すると、IPやマシン名管理だけでも大仕事である。これで職員への指導まで加わればどうなることか。でも本来の仕事さぼるいい口実が出来ますが。その上で割増給料もらえんかなあ。

さしあたってLAN工事も済んでいないので、使い道がない。外来の無聊をなぐさめるゲームマシンにはなりそう。

 2001/4/26

営業に来た薬屋さんが、スライド発表のときなどに使う、レーザポインタをくれた。数十メートル先まで赤い光点を照らせるすぐれものである。しかし私は学会発表などとは縁がないので、使い道などない。モデルガンにくくりつけてターミネーターごっこ、というのを考えたが、モデルガンなどを持つ趣味もないので不可能。

若いDrに譲ろうとおもってふと思いついた。これは「猫じゃらし」に使えるのではないか。持ってかえって早速試してみる。猫がレーザー光源をのぞき込まないように注意しつつ、床や壁を照らしてやると果たして大喜びである。壁のあっちからこっちと光点を行ったり来たりさせると、それにあわせて二匹の猫が寄り添って体を揺らせ、まことにかわゆい。ビデオにとってTVに投稿したくなったが、考えてみればビデオカメラなんか持ってなかった。

真似しようとされるかた、くれぐれも動物の目に光を入れないように注意してほしい。調子に乗ってやっていると、鏡などに光点が反射して、自分の目に入る事もあるので、そちらも注意を。

 2001/4/25

一時、更新お休みになっていた「ぺのぺの日記」が再開されている。なんか、前より酒量が増え、肝腎のお得意さんのほうはさっぱり増えていないみたいだ。私らみたいな勤務医の立場では、患者が来ないのは結構なことで、たくさん患者を診ようが、マンガ読んで電話番していようが給料に関係するわけではない。最低限、後ろ指さされないだけの義務を果たしておけばいい。その点、自営業者はそれでは済まない。

月川Dr、ここは一つ「貧乏脱出大作戦」に出る、というのはどうだろうか。もしかしたら自分で書いておられたかも。修行先の医療機関をどこにするか考えにゃいかんが。患者への奉仕第一と、門前市なす大繁盛、というのはそう矛盾なく同居できるものではなかったりするしな。

食い物を供したりする、いわばポジティブなサービス業と違い、利用しないでいるのが利用者側の最大メリットという医療業をはやらせるには、ある種の神話を作り出しておく必要がある。早期発見早期治療とか、なんでも相談できるかかりつけ医とか。言い換えれば「ウソ」であるので、ここで潔癖になりすぎるとなかなか商売にはなりにくい。このあたりは舌先三寸が得意な精神科医が街医者で開業すると結構成功する、という理由なのかもしれないな。

 2001/4/24

「熱海殺人事件」を何の注釈もなしに話題にしたのはまずかった。これは「つかこうへい」という作家が書いた戯曲で、73年の岸田戯曲賞をもらった「名作」である。工員大山金太郎が、根拠なく恋人のアイちゃんを熱海の海岸で絞殺した事件を、くわえタバコ伝兵衛と異名をとる名刑事が、劇的演出をもって金太郎の死刑を勝ち取る話だ。

60年代の反体制的小劇場運動は、実にこの「熱海殺人事件」の出現をもって根絶され、野田なんとかなどの、安楽的才覚ひけらかしショーに解体されてしまうのである。現在の自民党危機における小泉純一郎的役割をになった歴史的作品であるので、機会があればぜひ鑑賞していただきたい。今でも時おり玄人素人関係なく再演されているはずだ。

 2001/4/23

4月15日の日記に、「『海が見たい』などと、『熱海殺人事件』の岡山八太郎みたいな事をい」ったと書いたのは間違いでした。岡山八太郎は別の戯曲の登場人物。「熱海殺人事件」のなかで「海が見たい」といったのは「アイちゃん」で、彼女を殺した恋人の名は「大山金太郎」でした。動機はなんだったか忘れた。

訂正を頂いたK氏には、深くお礼申し上げるものであります。

 2001/4/22

昨日の記述は、職場イントラネットの資料ファイルのことである。あれではなんだかわからない。

通っているスポーツジムのマシンが最近新しくなった。イタリア製だという。ミラノ大聖堂みたいなゴシックなつくり、という訳ではなく、曲線を多用した実にサイバーなデザインである。使ってみると妙な事に気づく。今までのアメリカ製とくらべ、ウェイトの選択幅がかなり違うのだ。

例外もあるけれど、ラットプルなどの「引き」系のマシンはかなり重いウェイトが選べるのに、チェストプレスなどの「押し」系ではあまり重いのがない。マシンのウェイトから見る限り、どうもイタリア人というのは、引っ張り系の筋力は強いが、押しの力は弱いらしい。

イタリアでしつこい客引きに無理やり店に引き込まれそうになった時、引き戻すのではなく、方向を変えて押しで対抗すればうまく逃れられるかもしれない。その客引きが出稼ぎのアラブ人だった場合は知らんけど。

 2001/4/21

どうもいまひとつ、「狂牛病診断基準」にこういうのを貼り付けておくセンスが理解されない。何故であろうか。

 2001/4/20

院内ネットのコンテンツ作りに大忙しである。あちこちに医学電子教科書がフリーで公開されているので、そいつを片っ端から集めてサーバーにぶち込む。一段落したので、「都市伝説」を更新。先週ほとんど書き終わっていたけれど、いまひとつさえないのでアップを躊躇してました。一週寝かせてみたものの、とくに熟成するわけでもなし、えーいとばかりにそのままアップ。医学とは何の関係もないな、少なくとも。

 2001/4/19

院内LANの工事が始まった。最低限のコンテンツをつくろうと、薬局の在庫薬剤ファイルとか、院内感染対策マニュアルなどをHTML化して、先の屑屋お払いPCにインストールしたアパッチで配信できるようにする。お試し版のサイボウズも立ち上げ、リンクさせるがとても職員全員が使ってくれるとは思えない。

これはやはりお楽しみコンテンツが必要だろうと、「開国を請うペリー」とか「ジパングから帰ってきたマルコ・ポーロ」などもサーバーに用意しておくが、もう一つ事務方の反応は冷ややかである。

一案として職員全員のプロフィールページを作り、そこに自分の紹介文を寄せさせる、ということでPCにアクセスするきっかけを作ることにする。何しろ、ネット全体が外とつながるのはまだ先で、それまでにほどほどのメリットが得られるようにしなければいけない。つながったらつながったで、また大変なんでしょうけどね。なんせ推進する側が、MP3ファイル集め出来ればいいわ、と思ってたりするわけで。

 2001/4/18

NHKでネット時代の著作権問題を取り上げていた。というか、そう言う意図はあったのだろうが、「へぇーこんな事まで出来るんですか」と感心するだけみたいな要素が混じりこみすぎて、いささか論点はボケていた。グヌーテラのようなものまで一緒くたに、「違法サイト」と言い切っていたのも気になるし。コメンテーターの岡田斗司夫という人は、自分の意見があるのかないのかよく判らず、ネットで情報公開すると、それが著作の売れ行きにマイナスになるという事だけが気になる様子だった。あんな事しか言えないような人の本なら、私ははじめから買わない。

私に言わせれば、音楽ソフトに限れば解決は実に容易である。アナログ版だけを店で売り、デジタル情報は全部フリーにしてしまう。昔ちょっとはやった、ピクチャーレコードとか、ジャケットにやたらに凝ったものを作ったら、マニアは買うだろう。

売る側の都合ばかり優先したデジタル化が、逆に自分たちの首をしめているのだから、ここは自業自得とあきらめて、どこに個別的商品としての価値を創るか、ゆっくり考えるしかないのでは。

映像情報になると、レコードみたいに付加価値では勝負できないだろうな。ま、それは別に考えよう。今のところ、DVDのファイルがぼんぼんネットで飛び交うような状況はないのだから。

本に関していえば、装丁、ページの手触り、インクの香りその他もろもろ含めての価値だから、ネットに上げてあれば売れなくなるような本は、はじめからそれだけのものだ。つまらんHowTo本とか、スカ雑誌はなくなるだろうからむしろいいことなのでは。

 2001/4/17

「洋洋の卵4個も有精卵の可能性」、本日の毎日新聞夕刊の見出しである。この「も」はなんであろう。

記事を見ると、佐渡トキ保護センターで今月2日から8日にトキ「洋洋」が産んだ4個の卵が有精卵である可能性が高い事が報じられている。「また」、3月に別のトキ、「美美」が産んだ4個の卵は再検査して有精卵であったことが確認されたともある。

「美美」についで「洋洋」も有精卵、という記事ならこの「も」はわかるのだ。でも、「また」という接続詞が入る事でもわかるように、「美美」のことはまるで付けたしである。はじめのほうのトキ有精卵ニュースで話題は持ちきり、という雰囲気でないと、この「も」は理解しがたい。

これはやはり、雅子さま御懐妊ニュースの関連における「も」であろう。記者は始めは「美美」→「洋洋」の流れのなかで、「またも有精卵」という記事を意図していたのが、雅子さま報道に流され、「世の中みんなおめでた」→「洋洋もおめでた」というニュアンスで「も」を使ってしまったに違いない。

こんな事、多分投書する奴もいるんだろうな。担当者は、くだらん重箱隅つつきしやがって、と悪態つきながら返事を書くのだろうな。

 2001/4/16

尼崎の小学生による母親殺害事件の報道をみていると、「識者」なるものが現れて、「子供にとっては転校は避けるべき事」で、人はそのストレスを理解してやるべき、などという御宣託をしている。本当にそうだろうか。私は子供の頃、親の転勤で何度も引越しし、当然転校も結構したが、まるっきりそれが負担になる事なんかなく、むしろ自分の世界が次々に広がる事が楽しくて仕方なかった。まあ、典型的循環気質で、過ぎ去った過去にとらわれるのは調子が悪い時だけ、という特殊事情もあるかもしれない。

報道でははっきりしないが、殺された母親が「通院のため」、という理由でたかが数キロの距離に引越しした、という、よく判らない事情あたりに本当の理由が隠されているのではないのか。子供というのは、家族のまとまりを必死になって守りたいものだ。いまひとつ理解しがたい母親の自己主張に、許せぬものを感じてしまったのかな、なんて考えてしまう。

 2001/4/15

起きれば当然の二日酔いであるが、家人が「海が見たい」などと、「熱海殺人事件」の岡山八太郎みたいな事をいいだし、海を見に行く事に。行きはスムーズで、浜辺の風に吹かれているうちに二日酔いも収まり、実にいい気分だったのが、帰りは大渋滞に巻き込まれる。おかげでゆっくり調べ物するはずが、何も出来ず。

 2001/4/14

急なお呼ばれ飲み会があって、えらく酔っ払ってしまい、夜中の三時ごろに気がついたら家のソファーに寝ッ転がっていた。スポーツジムでちょっときつめに追い込んだ後だったので、エンドルフィンとアルコールの相乗作用が効いたらしい。コソコソと着替えて布団にもぐりこむ。

 2001/4/13

十三日の金曜日である。まえにこれを題材にした医学論文について書いたことがあるが、同じ手がもう一度使えるかと、またPubMedで検索してみた。さすがにこんなネタで論文を書こうという物好きはそういないようで、新しいものは見当たらなかった。

日本語論文の無料検索システムがあったら、ネタ探しにはいいのですけどね。有料システムならあることはあるのだけれど、けっこう取られる(年間料金三十万円近い)わりには、役に立つものではないという話も聞くし。だいたい日本語論文は、変にきまじめなものが多くて、そのくせひねりもないものばっかりなので、私なんかの目的にはまず使えないだろうけれど。

 2001/4/12

業者による電子カルテのデモ。ウェブベースで動くというのが売りで、ASP事業として展開予定、という話だったが、まだ入院カルテには対応していないとか、院外にデータが出て行くことになるASPでの電子カルテはまだ法的に認められていないなど、いろいろな未解決問題があるようだ。

電子カルテそのものよりも、その業者が教えてくれた、旧通産省や旧厚生省が医療のIT推進に向けて、結構な額の補助金をばら撒いているという事実に、事務方一同驚嘆していた。大手商社をバックに持つ業者だけあって、そこいらの情報はさすがにしっかりしている。田舎病院では、いくら官報を読んでいても、知った時にはもう時すでに遅し、という場合がほとんどなのだ。

業者がその手の情報を真っ先に伝えてくれるという条件で、この案件は前向きに進められることとなった。

 2001/4/11

昨日のPCトラブルはFSBを遅くする事で解決。変だな、前はちゃんと100MHzで動いていたのに。メモリがスカだったか、BIOS設定がおかしいのか。Linuxなら動いて、Win2000だとダメ、というのが解せない。Win2000のほうがハードを厳しく使いまわしている、ということなのかしら。

ごそごそやってたら、ほとんど本来の仕事もせずに一日が終わってしまった。

 2001/4/10

いまの職場ではTA経由のISDN接続しかなかったので、事務長をだまくらかしてダイアルアップルータの金を出させ、ダブルリンク128Kで同時複数接続が出来るようにした。電話代が他人持ちだと思えば楽なもの。我ながらシロアリ系である。

ついでに自宅のジャンク箱からM/Bなどをかき集め、サーバーごっこが出来るように底辺級PCを組み立てて(当然新規パーツ代は請求)、ささやかな新設LANにつなぐ。雑誌付録のLinuxをインストールし、これでアパッチでも走らせればいいだろう。一応Win2000もと、インストールしたのはいいが、なぜか立ち上がらない。起動画面のあと、真っ黒けになってそれきり。ディスクにアクセスもしない。ビデオ信号は出ているようだけど。

FAQページなどを一生懸命読んでみたが、同じようなトラブルの例を見つけられない。安物ビデオカードのせいかなあ。CPUがせこすぎるのか。オーバーヒートにしては、何度やっても全く同じタイミングで止まるのが妙。なんだかよく判らないので、当面Linuxだけで使うしかない。幸い同僚に詳しい人がいるので、まかせればいいが。

院内にLANを張り巡らせ、電子カルテこみのシステムにする壮大な計画があるのだけれど、このセコイLANがその出発点になるかどうか。ASP事業として電子カルテ提供を計画をしている会社があり、そこを使えば高価なハードはいらない、と経営者を説得出来そうだが、データが外に出て行くことへの拒否の問題もあるしどうなる事か。実は常時接続環境がほしい、ということだけがこちらの本音だったりするのだけれども。

 2001/4/09

いやその、説明を求められても困るんですが、昨日のフセインさんの息子の出した新聞記事でイマイチわからんのは、イラク国民に厳しい耐乏生活を強いている原因を作っているのはフセイン政権そのものであるのは明白で、その親の七光りで甘い汁すってる(評価にはいろいろあるとは思いますが)息子さんが、その国民の窮乏をネタにしてジョーク記事を出す、というのがわからん、という至極当然だと思ったことを書いたまでで、そういう疑問をあらわすことが他文化への冒涜とか、西欧価値観を無条件に認めていることだ、なんて言われても、それは解せません。以上。

 2001/4/08

イラクのフセイン大統領の息子さんが発行している政府系新聞、「バベル」にこんなエイプリルフール記事が載ったんだそうな。

配給制の肉と鶏肉の量が、今後大幅に増やされる事になった。80年代に発注していたBMW車がいまイラクに向けて輸送中である。学校の年度末試験は、全員フリーパスになった。

ここは二年前にも、「次回の配給では、バナナとチョコレートにソフトドリンクが配られる」という、同じような冗談記事を出したそうだ。

中東のジョーク感覚というのは、いまひとつわからん。

 2001/4/07

昨日自分で言った「精神分析パチモン」関係を調べようと思って、昔注目していた「ダイアネテックス」というトンデモ理論を調べていたら、なんと「サイエントロジー」という宗教として再生しているというのを知った。それも結構勢力を広げているらしい。

昔、あれが学問的な装いをしていた時は、あまりの杜撰さのゆえ、詐欺として法的な追求をされていたはずなのに、いつのまにか宗教として隆盛を得ている、というのは関係者の時代を見る目の鋭さによるものであろう。いま、米国では精神分析はたそがれる一方で、カルト的宗教ばかりが伸張している。文化なき人工国家をそれなりに正気に保っていた理屈が、いまや得手勝手の支離滅裂に置き換えられようとしているのだ。

精神分析もあんなふうに恥も外聞もない、集金機構としてのみ組織してればよかったのにねぇ。自分は疑似科学なのに、本来の科学とか、専門性にこだわったのが敗因です。有効性のレベルで批判すればすむと思っている人は、もう少し背景をみる努力しないと、結局悪質カルトの手助けすることになるのでは。

ここは人生に最後の欲をかけて、トンデモ集金カルト構築を目論むべきかも知れんなぁ。晩年は地中海でクルージングの余生、という展望が生まれるなあ。

 2001/4/06

メールで質問のあった精神分析学派についての考えをまとめ、「雑感」にアップした。けっこうダラダラと書いた割には、私が評価している側面を書けなかった。私はいうならば「解釈学的立場」で、フィクションであってもお互いに納得できてればいいじゃないか、と思っている。それを密教的組織とか、理解不能な言説に封じ込めるのは、バカみたいと思ってはいるけれど。

フィクションといえば、精神分析のパチモンで、ほとんどお笑い学説というのはけっこうあり、それを「都市伝説」で取り上げていったら、ネタはしばらく尽きないかもしれないが、もう一つ日本で有名でないものばかりなので受売りに終わるだけかな。

 2001/4/05

TV番組改編期に、「救急病棟24時」なんて特集が民放あたりでよくやられる。経営がきびしい医科大学付属病院にとってはいい宣伝になるし、放送局側でも制作費がたいしていらない、という馴れ合い的複合事情が、ああしたステレオタイプドキュメントを生むのだろう。

今日はなんと天下のNHKがおんなじような番組を放映していた。救命医療に自らをささげる医師たちの活躍を描く感動巨編である。舞台は「低体温療法」で知られる某医大。

昔、日本軍が大陸で活躍している宣伝映画を作ろうと映画会社に発注したら、泥のように疲れ果てて悪戦苦闘するシーンの連続で、映画人たちは、わが皇軍の献身的努力がよくわかる、と自讃するのに、軍関係者は「疲れ果てた兵隊ばっかり写して、なにが戦意高揚だ」と激怒したという話を思い出す。あの映像からは、業界人ならよっぽど多幸的な人でない限り、人的資源の無駄づかいしか感じないのでは。

あのコストをかけることを認めるなら、アメリカみたいに割り切って、救急救命は移植用新鮮臓器の漁場、ということにせにゃ。それが露骨だというなら、重度障害を抱え(させられ)て、病院をたらいまわしさせられる、「救われた」患者たちのその後もちゃんと取材してほしいな。

 2001/4/04

精神科医療に関する何らかの発言で、これは一体どういう立場からの意見表明なのだろうか、と戸惑うものによくであう。まず非関係者、それも実に浅薄な思考しか出来ない人であるに違いない発言を見分ける目安を二点ほど示しておきたい。

(1)「医師に異常と正常を見分ける事が出来るのであろうか」と言う意味の表記がある。
(2)「精神医」という表記がある。

この二点にまず尽きるだろう。治療的効率を考えたり、同業者とのコミュニケーションや、家族への説明においては、診断と言うのは避けて通れない手順なのだが、別に正常か異常かのラベリングそれ自体が目的ではない。その基準にしたって、一種のマニュアルで、極めてオープンかつ暫定的なものだ。精神症状の有無も、熱があるかないか、というレベルと差して変わらず、その症状の組み合わせを確認して診断するのであって、別に特殊な秘法を使うわけではない。

正常範囲だって治療的介入が必要な場合もあるし、逆もまた真。どんな分野でも、素人の一知半解に共通するものとして、何か絶対的な価値観を含んだ基準がある、と思い込んでしまうことがあり、それが精神科医療の場合は特に激しいようだ。

「精神医」という記述を小説で見つけると、その作家に対しての評価はどっと下がる。馬鹿ミステリにはよく出てきますがね。R・チャンドラーにも出てくるが、あれは訳者のせい。「耳鼻医」とか「婦人医」なんていわないでしょ。「目医者」というのはあるけど。どうせなら「頭医者」といってほしい。

ところで、新庄って京本政樹に似てないか。

 2001/4/03

二週前が休みだったためもあり、前職場外来にちょっと余裕ができる。それでも結構新患がくるので、次回以降がどうなる事か。ちょっとずつよそに紹介していって、お役ご免に持ち込みたいのだが、ちょっと無理のよう。別の人間に来てもらう、というのがいちばん簡単なのだが、風来坊の私にはそのルートが乏しいのですなあ。いまの職場でメインをしめる大学に依頼する、という手はあるが、診療スタイルが違いすぎる。なんとか乗り切っている数例には、死んでもらう覚悟がないといかん。

これは決して自分の腕を過信しているわけではなく、主治医の変更にはある種のタイミングが必要だ、というのを今までの経験で思い知っているからなのですわ。逆に、別の医師が来て、デッドロックに乗り上げていた症例が、相性がよくなったたためか、あっさり快方に向かうということもあるんですけどね。

 2001/4/02

週に二〜三回のゾロゾロ走りも二週間ほどになるが、危惧したとおりメンバーに上達の色が見えはじめた。昔、短距離やってたとかいうのもいるからな。このままでは一番の鈍足となって、面目丸つぶれである。陰で練習して、冬までにフルマラソンをサブ4で走れるようにしておかにゃいかん。こちらの心臓は三々七拍子だしなぁ。

「精神分析についての意見を聞きたい」という、質問とも詰問ともつかぬメールがくる。どうもこちらのサイトで、明晰な分析批判が展開されている影響らしい。前に多少は触れたような気もするが、またそのうちまとめてみようかな。でも、あんなにチャンとしたものにはまずならないと、先に言い訳しておこう。

こちらの考えをかいつまむと、「フロイト理論は疑似科学でしかないが、無価値ではない」というのに尽きてしまうけれどね。アリストテレスの自然哲学を、「非科学的」とか、「デタラメばっか」と非難出来ないようなもの。ちょっと違うか。

 2001/4/01

エイプリルフール用の馬鹿記事をいくつか試みてみたが、まるっきりモノにならず断念。ウソつくのは得意なんだが、創作力がないのでいけません。せっかくの四月一日なのに。

この前アップした「世界で二番目」の文章を少し手直しした。多少わかりやすくなったかも。

 2001/3/31

たしか何か書くことがあったはずなのに、ど忘れしてしてしまった。毎日なにか書く、と決めてしばらくたつが、いいかげん義務以上のものでなくなってきたので、ちょっと検討する必要がある。しょうもない毎日の、つまらん事情聞かされてもたまらんものなぁ。

ところで大阪のUSJは今日開幕で、えらい繁盛だと聞くのだけれども、大阪の人に「列を作って待つ」と言うことが可能だろうか。大阪人って、国策的なことには結構協力できる(大阪万博を見よ)と思うけれど、あの手のエンターテインメント施設で他人とうまく折り合うことができるのだろうか。ちゃんと出来るといいけどねぇ。

今月のファイルはそう大きくなかったので、ひとまず四月もこのまま続けることに。とにかく、半年は続けた上で考えよう。

 2001/3/30

準備していたネタがさっぱり仕上がらず、二週間以上更新があいてしまった。どうもこの二週間、昼休みにランニングしてみたりの地道健康生活を送っていたので、緊張感を欠いてしまったようだ。昨日の宴会とその結果としての二日酔いで、多少自堕落さを取り戻し、緊張感をある程度再構築して、即興ネタをでっち上げてごまかすことになんとか成功。「都市伝説」とは言いにくい内容だけれど。

 2001/3/29

また新人歓迎会があるというので、参加費タダにつられて出席予定。ここ二週間の健康志向生活が、一挙に崩壊する予感。

 2001/3/28

個人サイトでよく、「ヤオフクで買ったなんとか」という記述をみるので、そう言う名前の安売り量販店が全国展開しているのだろう、と思っていた。もともとは「八百福」なのかな、八百屋さんから業種転換したのか、わざとミスマッチを狙ったネーミングなんだろうな、と。

「ヤフオク」なんですな。キョービの若い人が使う略語はホンマ、わかりませんわ。

 2001/3/27

以前の職場のパート外来がやたらに盛況で、休むヒマがない。新患が結構くるので、混む一方。こんな思春期危機系だとか、妙な対人恐怖なんか、常勤の時にはそんなに来なかったくせに。漫画週刊誌をチェックしに行ってるつもりのこちらにすれば、ちょっと互酬性において、不対称性感覚が残るが、文句言える立場でもないし。

新職場のほうでは、田舎でどこまで「心療内科」という需要があるか、という危惧があったのだけれど、精神科には行きにくく、と言って一般科では相手にされない人は山ほどいる事がはっきりしつつある。一月仕事がなかったのが、だんだんお呼びがかかりだしたので、なんとかこちらでも給料貰う根拠を見つけられそう。

もちろん、本当は精神科という標榜でも、この手の状態に対応できないといけないのだけれども。

 2001/3/26

音楽ファイルの閲覧、ダウンロード用に、OHAHAというソフトというかプラグインを入れたのだけれど、まだ多少おかしな挙動を示すとはいえ、その威力はすさまじい。例のLOVEなんとかなど、そのアルバムがたちどころに複製できてしまう。これをCD-Rに焼いたりすれば当然違法行為になるだろうが、友人同士で貸し借りしあう事を、世界的規模でやるわけだから、実質規制など不可能だろう。

これが経済に及ぼす影響はどうなのか。今まで人間は、共有可能な情報に対して、あたかも普通の商品であるかのように売買してきたわけだが、そのあたりが根本的に見直されることになるのか。ズルする連中と強権的規制のいたちごっこ世界になっていくのか。J・P・ホーガンの楽観的ユートピアみたいに、情報はすべてオープンソース、代価は新たな情報提供で支払う、というような原則が出来ていくのか。

 2001/3/25

LOVE PSYCHEDELICOの続き。悪口ですますのもなんなので、評価できるところを見つけようと、我慢して数曲きいてみた。60年代の海外ポップスを、憧れとしてではなく、自分の身体感覚で再構成しようとしているんだろうな。英語がまじるのも、それを漢詩の脚韻ルールのように使っているようだ(不徹底だけど)。それなら、中途半端なヘボポエムではなく、符丁に徹した歌詞のほうがよろしいのではないか。

昔、舟木一夫がアイドルだった頃、木の葉を唐突に「リーフ」と言う妙な歌を歌っていたことがあって、漫談の牧野周一がからかいネタにしていた事などを思い出したことでありました。

ま、そんな事思い出すのも無理はなく、全体に追憶がテーマであるらしい。それも経験していない過去の。若いお笑いファンが泉和助や深見千三郎を持ち上げるようなものか。

 2001/3/24

若い人の個人サイトをみていると、やたらに"LOVE PSYCHEDELICO"というグループ(?)を誉めそやしているのが多い。まるっきりそう言う方面に興味がない私としても、一般教養として知っておくべきだと一念発起。最近はNapster(これ、カップラーメンだと思ってました)などがあるので、実に便利。

それで聞いてみたのだが、日本語を洋物メロディに乗せるテクニックとして、「何言ってるか判らない」というのを使うのはいかんな。唐突に英語になるのはもっといかん。昔、サザン・オールスターズが出てきた時、その言語センスがとても新鮮で(唐突に英語にはなるが、まだ受忍範囲)、こいつらは絶対新時代を作るに違いない、と確信したけれど、このLOVE何とかにはそれはない。古来からの「お経」モデル使いまわしだ。なんだか判らんけど、有り難そう、カッコよさそうという感じ狙い。お経自体としてのパワーもイマイチ。

なんでこんなのが受けるのだろうか。若い人の場合、「カラオケで自分が歌える」という要素がヒット条件の一つであるとも聞くが、ここまで訳判らん上に長文英語が混じると、かなり困難であるように思えるが。もしかしたら、こういう歌に挑戦させる事で、英語力を向上させようという文部科学省の深慮遠謀なのかもしれん。

 2001/3/23

そういえば「海原かける・めぐる」というのがいたな。かけるは海原小浜の息子で、なかなか面白い漫才師だったけれど、すぐに引退してしまった。めぐるはその後、池乃めだかに改名したんだった。

関係ないかもしれないが、スターウォーズのルーク・スカイウォーカーを、わかりやすく「大空あゆむ」と和訳する話は、小林信彦だったっけ。その場合、ダース・ベイダーをどう訳すかな。語感から、「くらがり襲吉」というところか。いかんな、これではTV時代劇に出てくる地回りのチンピラだ。

 2001/3/22

昨日書いた「海原はるか・かなた」だが、当然、この苗字は「うなばら」と読むのだと思っていて、海原お浜・小浜の弟子筋に当たるのだろうと想像していたら、ネットで調べたら「うみはら」というルビがうってあるサイトを見つけた。序列にはことのほかうるさいお笑い界で、そんな曖昧な芸名をつけることが許されるのだろうか。何かの間違いだと思いたいが…。別のところで「うなばら」としたサイトも、見つけはしたのだけれど。

真相がわからないのも無理はなく、私はこの人たちについて、「関西の面白CM紹介」と言うバラエティーの一コーナーと、ネットの文字情報でしか知らないのだった。何か大事なものを取り逃がして日々を生きてきたような、そんな気がする。

 2001/3/21

TVのニュースに海原はるかが出ていたので、関東圏でも有名になったのだな、と見ていたが、どうも様子が違う。ニコリともせず、傲岸不遜、とてもお笑い芸人の態度ではない。何か不祥事でもしでかしたのか。と思っていたら、「坂口厚生労働大臣」との字幕が。

あの髪の毛にフッと息を吹きかけるのにふさわしい政治家を考えたが、思いつかない。森首相なら、相方には似ていなくともサマになりそう。

 2001/3/20

何か書くことがあったはずなのに、忘れてしまった。「都市伝説」用のネタを何種類か調べていたのだけれども、今のところイマイチきれいにまとまらない。その関係ではなかったはずだし…。

ああそうか、「チーズはどこへ消えた?」(著者:スペンサー・ジョンソン;扶桑社)の話だったっけ。今日近所の本屋に行ったら、なんか派手な宣伝がしてあったので立読みしたのだった。数時間後に覚えていない位だから、くだらんものであったのは間違いないのだが、問題は、この著者が、「一分間マネジャー」などと言うインチキ経済書を山ほど書いているトンデモ野郎であることだ。しかもこいつは医者らしい。誰かの金儲けに疑いなく自分の能力を使いつくせ、それが自己実現の最短距離だ、なんてこと言うぐらいなら、医者になんかなりなさんな。経営者の太鼓もちになって、言われるままに、眼で沢庵を噛んでなさいよ。

とにかく、決断を強いる話なのだ。つねに、局面局面での反応を、常識的・近視眼的価値判断(それも企業にとって役に立つもの)とそぐわないようにしようね、と言うだけのこと。人間の判断なんて、その場限りの事で、フツーの生活では、下らんマニュアルを用意してしておいて、それに従っていたのだからしょうがない、とごまかすか、そのマニュアルの限界を後になって文句言うぐらいしか逃げの道はない。どうせ結果論でしかないのに、えらそうな事言ってどうする。

人はいろいろな選択をとりうるし、その中には無意味なものもある。迷路の中をうろつきまわる程度の課題で生活を維持することが出来るという、単純化された世界に住む存在が、供給される生活維持手段の一時的停止に、まともな対応できるはずないじゃないか。私なら、この状況の不自然さの観察から、何もせずもとの場所で待ち続けることを選ぶな。観察されている存在である、という結論は容易に得られるはずだから。

それで飢え死にすることも仕方ない、という意見の観察者ならそれはもう「運が悪かった」で済ますしかないではないの。別のチーズステーションでお恵みにあえたとしても、いつまた気まぐれで飢え死にの危機に至らぬとも言えないのだから。

 2001/3/19

「暑さ寒さも彼岸までと言いますが、ここ古都奈良では、この行事が終わると春が訪れると伝えられています」、という決り文句を、子供の時何回聞いたであろうか。気がつけばお水取りなどとっくに終わり、明日はもう彼岸、春は決定事項となっている。

未練がましい北風のなかにも、春はもう息づいている。数年前からはじまっている花粉症に、また悩まされる毎日だ。抗ヒスタミン剤にやたらに弱い私は、飲み薬と言うと漢方薬か、ヤケクソでステロイドしかない。幸いそう症状はひどくならないから良いのだけれど。二十年ほど前、北山杉林のど真ん中で暮していた時は何ともなかったのにねぇ。アレルギーってのも情報の一種だから、エントロピーは増えるしかない、ということの実感的証拠、ということで受け入れるしかない事のよう。

 2001/3/18

近所のユニクロでジーンズを買い、この店が評判になる理由の一端がわかったような気がする。と言うのはここのジーンズは「丈が短い」のである。私のようなオヤジ体型の人間がリーバイスなんか買うと、ほとんど松の廊下状態になってしまって、ばっさり切り落とすしかないのだけれど、そのたびに、ああ地球にやさしくない事をしているな、この切り落とされた一片を作るのに排出されたCO2は如何ばかりであったろうか、などと罪責的になってしまうものだ。

それがここユニクロでは、「切り落とす必要のない丈の短いジーンズを売っている」のである。この一節はボールドにしてサイズもいじりたいところであるが、某所から文句言われそうなのでやめる。しかも、何種類か丈の長さが用意されていて、なんと、私がはくと短すぎるサイズまであるのだ。これを革命的といわずして何が革命的であろうか。

真中あたりの長さを買って、意気揚揚と帰還。早速はいてみるが、裁断が今ひとつで、太もものあたりがぴったりフィットしない。でもそんなことがなんであろう。全国のオヤジたち、ユニクロに向かえと声を大にして主張したい。

 2001/3/17

今日は聖パトリックの日だ。数日前に、渋谷でセントパトリック記念のパレードが行われたという。およそ一般的日本人にその意味がわかるとは思えないが、商売のためならなりふりかまってられないと言うところだろうか。

四年前の今ごろ、うちに迷い込んできた、生まれたばかりの捨て猫に、パトリックと言う名前をつけ、いまやニャジラ系に育ったが、せっかくの記念日なのに、季節がら妙にサカリがついてしまって、ウニャニャニャニャとわめいて走り回るばかりである。小便が出るようになって何とか命もつないだから、御祝いでもしてやろうと思っているのに、しょせん畜生は畜生。猫に仏性ありや、と嘆息。

ところで、テレビ東京で土曜日10時から毎週「美の巨人たち」というのをやっていて、結構面白いので見ている。今日はティツィアーノだったのはいいのだけれど、彼の代表作の一つ、「天上の愛と地上の愛」を取り上げて、裸の女性のほうを「俗愛」の象徴と決め付けていたのはいかがなものだろう。

あの時代は、いくらバロックへの移行期だとはいえ、まだ図象学的決まり事は昔ながらであったはずで、天上の愛は裸身で示され、地上の愛は衣服を着た状態、というのは常識のはずだ。たしかに、そうした決まりごとにたいして、ティツィアーノなどが、裸の女性のほうにエロシチズムを感じる近代的感覚を、ちらほらとこめるようにしたのは事実だが、だからといって、あそこまで美術史的常識に反する意見を堂々と述べるなら、それなりの立場を示すべきだろう。といったって、私の常識なるものも、若桑みどりさんの入門書レベルなんだけれど。

 2001/3/16

天気もいいので今日も走ることになるが、昨日のメンバー大半が逃亡を決め込み、私のほかには一人だけである。よしよし、根性あってよろしいと最初からペースを上げたら、向こうは完全にばててしまい、気遣いながら前後を行ったり来たりと伴走する羽目に。

20以上も年上の、しかも最近まともなトレーニングさぼって、デブになりつづけているオヤジ相手になんてぇザマだ、いい若いものが。ハートブレイク・リッジのクリント・イーストウッドになった気分で、心地よく帰還。

 2001/3/15

先週の歓迎会のとき、酔っ払って、「最低週二回は昼休みに集団でジョギングする」と約束したらしい。本気にしてしまった職員に促され、渋々走ることに。

ここ二年ほどジムのトレッドミルで走る程度で、外を走るのは久々だが、やはり圧倒的に気持ちが良い。他の職員はみな初心者なので、三キロぐらいにしておく、と言う約束だったが、気持ちよさに引っ張られ、倍ぐらいになってしまった。青い顔してあえぐ連中を見ていると、実に気分がよろしい。

でも、これをある程度続けると、たいていの連中は結構なスピードランが出来るようになるんだな。秋頃にはハーフマラソンに出場する、と言う目標だが、絶対私が一番遅いのだ。それ以上に、そこまでコンディショニングできるかどうか怪しいけど。

午後はドーパミンとエンドルフィンがあふれ返ったせいか、妙にてきぱきと仕事をこなす。先月から今月初めにかけての抑うつの波が、躁に転化しただけかも。

 2001/3/14

今日は何かの日であったはずだ、といろいろ調べたが、せいぜいホワイトディとか「大阪万博が開幕した日」と言うぐらいのものである。3・14の語感はどこかで覚えがあるのだがな、と考えていてふと気づく。円周率ですな、単に。

 2001/3/13

相変わらず旧職場の外来が忙しくてしょうがない。明らかに人件費収入バランスでは病院側に寄与している。でも、夜のニュースを見ていたら、キャスターが私を睨むような目つきでデフレ不景気について述べ、「働き以上に貰っている人は今後厳しい経済状況になるだろう」などとイヤなことをいう。

そうだろうな、この不景気状況では、労働力再生産にコストをかける必要なんて、そのうちなくなるかもしれない訳で、そうなったとすれば、精神疾患で職場を離れねばならない人なんて、一番先に切り捨てられるし、それを治療する人間なんて、いらんと言われれば終わりだものな。

でもね、効率論だけでは経済は動かないのであって、経済の六割以上は個人消費がしめていると言うのは事実なのだ。いりもせんダムを作ったり、減反を強制しつつ干拓事業を無理やり進めたりするより、家族を看取ったり、何とか適応するための環境を豊かにしてくれ、という要求が増える事のほうが自然なのですわ。その辺、ちょっと考えていただければ、個人消費なんていくらでも伸ばせると思うのですがね。

財政支出で土建屋サンに金を配るのが景気対策(出来れば何割かはペイバック)、というカメイさんの下品な本音トークが、そのまま通っている現状が不思議なわけで、誰かちゃんとした理論的な枠組みから批判しないのは何故なのだろうか。その程度の事、文化系の俊英であったはずの記者たちはぶら下がり取材でだって指摘できるはずなのに、誰もやったと言うのは聞かない。知性と言うものに、期待を抱きすぎていると言われてしまうのだろうか。

 2001/3/12

ここ最近、巡回していたサイトの閉鎖、更新停止がめだつ。おかげでネットアクセス時間激減である。調べものなんか、そうあるもんでもないしね。いまさら2chにはまる歳でもなく、トンデモ陰謀系に引っかかるほどアホではないつもりだし、ネットで満足コミでひまつぶしするってのは難しい。

長くなった通勤時間の無聊をいやすCD作成のための、フリーMP3ファイルのダウンロード専用手段になりつつあるな。どなたか有意義な活用法教えて。

ドンペリをパクッてきたときに、それ用に作った料理をアップ。ほとんど昔話だけ。

 2001/3/11

昨日、日付を間違えてました。最近痴呆進行が激しく、今日は何日、何曜日だとかいうことがさっぱり覚えておられず、これは普段腕時計をつけないからだと思い直して、曜日と日にちが出る時計を久しぶりに買いに行った訳。昔はタイメックスの安物を三代ほど愛用していたけれども、あれ、ベルトがすぐ切れてしまって、買おうとすると本体より高かったりして、躊躇しているうちにどこかにしまいこんで行方不明という末路。

いざ腕時計を買おうと思うと、またえらい苦労で、と言うのは私が住んでるような地方都市には、「時計屋」なんてものがどこにもないのですわ、これが。デパートに行ってみれば、数万するファッション系のしか売ってない。それがいやならホームセンターみたいなところで、安物のデジタルを買うしかない。通販で売ってるような機械式アナログの程々のもの(予算一万五千円以内)を、手にとって選んで買うと言うのは実際上不可能。

こんな事のために日曜日がつぶれるとは、思いませなんだ。それにしても、某デパートの最低価格数万の時計しか置いてない時計売り場のおばさん。「あ、こいつは場違いだ」と言う目つきで一瞥するだけの仕事なら、そりゃリストラしかありませんわな。デパートというところは、商品開発する能力がないらしい、というのもよく判りました。

結局仕方なく、日曜版の新聞通販欄で、某国産メーカー逆輸入のアナログを注文。

 2001/3/10

昨日は新職場でかなり遅めの歓迎会。二日酔いで死にそうなところに、ぼちぼち外来に新患が来始め、酒臭い息を吹きかけてなるものかと必死の自制心で自分を律する。

歓迎会用に用意されたドンペリニョンを、会場に持って行きわすれたとのことで、適当な事を言ってチョロまかしてもって帰る。ビンテージ93年なんて書いてあるが、90年の後は95年までノンビンのはずだがなぁ。

何でもいいので飲んでみるが、普段飲むスプマンテやカヴァよりさすがに美味い。シャンパン飲む時だけは、西欧拝跪主義者になってしまうなぁ。飲み終わった後、焼酎になだれ込む、というのがちょっと寂しい。

 2001/3/09

「都市伝説」を更新。まるっきり都市伝説とは関係ないけれど。はじめは動物行動学の話をもっとしつこく書いたが、全部削った。動物行動学者のN・ティンバーゲン夫妻が、その経験を小児自閉症の療育に適用した話なんかは、「邪視」よけ術の現代版として適当だろうと思ったのだが、はたしてそれが現場で受け入れられているのか、ということに全く無知なので、受売り昔話以上のものにならなかった。

ネットで調べても、この領域では行動療法(同じ『行動』がついていても、動物行動学とは天と地ほどに違う)的なものがメインであるようで、ノーベル賞受賞者の知恵(というか思いつきというか)も、小児自閉症には通用しなかったということか。

 2001/3/08

ひまつぶし用文庫本「イチジクを喰った女」。いまひとつ題名にデリカシーがない。フロイトの症例ドラをそのまま殺人事件の被害者にして、20世紀初頭のウィーンを舞台に推理劇が進行するというものなのだけれど、もったいぶった表現がくどく、それほどの意味なく、火曜サスペンス劇場式の観光スポット歴訪シーンが続いたりして、読みつづけるには忍耐がかなりいる。

ちりばめられているフロイト学説のトリビアも、話を盛り上げる効果をそうあげておらず、ずれたインテリひけらかし以上のものではない。ミステリにしては珍しく、途中で放り出すことが容易に出来る本であろう。

作者は多分、フロイトの重要概念が培われた症例ということで、そこから含蓄がたっぷり引き出せると思っているのだろうけれど、あれは失敗症例でしかなく、分析といったって言い訳と、中途半端な思いつき以上のものでない、ということまでは意識していないのだろうな。

この小説でも、ちらりと顔をだすハンス症例(お馬さんが怖いというガキ)なんか、笑っちゃうようなバカ話なんだけれど、ポストモダン派連中は妙にそれを持ち上げて、くだらん意味付けをしていた。それと同じような、見当はずれのインテリ勘違いが核になった、かなり気の毒なミステリ。(ショディ・シールズ著、ハヤカワ文庫)

 2001/3/07

昨日とは一転して、終日、医局の電話番をして過ごす。多少の雑用を済ますとする事もなく、まだ行動パターンをスタッフが把握してくれるまでに至らない状況で、あちこちウロウロしていたらかえって迷惑なので、文献でも読んでるほうがまし、との判断。

でも文献は数行で飽きてしまい、文庫本に切り替え。こういうのもそれはそれで疲れるもので、今日も早寝。

 2001/3/06

今日は以前の職場のほうに行く日。外来を一日にまとめたので、阿鼻叫喚の混雑。こんなに仕事することも珍しい。疲労困憊で、今日は早寝。

 2001/3/05

最近えらくシリアスな質問をメールや掲示板で受けることがあり、いささか荷が重くて困ってしまう。自分が書いた記事への質問なんだから、ちゃんと答えないといけないとは思うのだけれど、単なる思い付きで書いていることのほうが多く、詳しい説明しろといわれてもただ立ち尽くすのみ、ということも多い。

メールで返事がこないと憤慨しておられる方がいたら、それは余りに本質をついた質問にお手上げ状態にいるのだ、と好意的に理解していただきたい。掲示板のほうも、無視しているように見えることがあるのは、やはり同様の事情。

「ギャグをまじえて書けないような理屈の中に、真理はない」←研修医の頃、指導教官から言われたのだけれど、その人は日本精神医学学界で一、二を争う変人として知られていたのでした。

 2001/3/04

TVで「琵琶湖マラソン」をみてすごす。コース周辺は昔の生活圏だったので、ほとんどそう言う興味だけ。コースとなっている、市内から洗い堰に下りていく瀬田川沿いに、「セーヌ不動産」という不動産屋さんがあって、それを見るたび、ああまた一年たったのだな、と感慨を覚える。なおこの不動産屋さん、事務所の半分は喫茶店になっていて、名称はやはり「セーヌ」。経営者=店主はよっぽどパリに思い入れがあるのだろう。

マラソンコースは洗い堰を渡ってしまうが、あのままいくと瀬田川は宇治川と名を変え、京都府宇治市のほうに流れていく。そのあたり、結構山の中にある料理屋が「ライン茶寮」。むかしこのあたりの風景をライン川になぞらえて、宇治川ラインなどといっていたのでその名残。セーヌに見立てられたり、ラインに見立てられたり、忙しい事だ。

両者とも、京滋地区がほこりうるハイブロウな企業名だとおもう。これを超えるネーミングには、なかなかお眼にかかれない。

 2001/3/03

トップページに「転載、パクリご自由に」と書いていたら、某所から転載させてくれと依頼がきた。それも有料i-モード系のサイトだという。無断でやる分にはチェックしようがないが、断りを入れてくる、というのが殊勝ですな。

でも、こっちだってパクリばっかりで(少なくとも翻訳程度の手間は加えてますが)、そんなものに断りいれてコンテンツ集めにゃいかんほど、あんたらは枯渇しているのですか? ネットだの、i-モードなんて言おうと、結局、コンテンツでしかない、と言うのははっきり判っている事で、PCやらケータイ経由ならくだらんことでも満足してくれる、ってことはないのですよ。そんなの、素人だってわかることなんだけれど。

ネットビジネスなるもののお寒さが判る一件です。もちろん「有料サイトへの転載はお断り」と返事。

 2001/3/02

「医療業界雑感」「本、TV」を更新。

ニュースで「信号理論」の創始者C・シャノンがなくなったと報じられていた。むかし、「記号論」というのが流行したとき、精神医学領域でもこれをちらつかせるのが幅を利かせたことがある。そのまま真似するのもしゃくで、理科系オタク心が騒いだので、こちらの信号理論に依拠した精神医学論文を目論んだ。

詳しいことは忘れてしまったが、病者が外界から妄想的意味合いを拾い上げるのをノイズになぞらえ、信号伝達を阻害する様相をシェーマ的に示すというような噴飯もので、それこそ「知の欺瞞」の著者あたりならバカにしまくるような内容だったのだが、仲間うちで草稿を発表しても誰一人批評してくれず、まして数式化して解いてみせるという作業がないとやはり格好つかないだろうと、理学部の友人に相談したのだが、何一つ言ってることが理解できずに終わってしまった。あそこで、見せ掛けだけの論文を出す恥知らずさがないと、やはり特殊業界のほうにまでは潜り込めません。

それにしても、あのシャノン氏がアルツハイマー病で寝込んでいた、というのは皮肉であるな。

 2001/3/01

三月の始まりは、またも不景気なしとしと雨である。やっとカゼから回復した身には、気が滅入ることおびただしい。申告には行かにゃならんし、メールは何通も放り出したままだし、記事の更新ネタは見つからんしと、心弾まぬことばかり。

カゼというより、免疫システムもついでにやられるような、うつ病の波だったのかもしれんなぁ。いかんいかん、さっさと早く寝てしまおう。


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