更新日記
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2001/12/31 |
年の変わり目にふさわしいことでも記して決めようかと思ったけれども、どうもそういうこととは縁がない私としては、のんべんだらりと今年を終えるのが最もふさわしいようにも思う。酔っ払いすぎて、そんなこと考える余裕がない、というのが先なのだけれど。
色々あったけれども、わが身にはそう変わりなく過ぎたのと(転職とか、家族の病気、死別とかがあまり関係ないとするのなら)、さし当たってだらだら生きていくしかない展望を、ささやかな幸せの表現だと思って感謝する、というのがだらけた生き方にふさわしい区切り方といえますか。
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2001/12/30 |
昨日に引き続きXPの介護。IMEとアプリケーションのつなぎこみにバグがあるのか、設定ミスか、突然日本語入力ができなくなったり、なぜかカナ入力になってしまったりする。「言語バー」と称する、2000までは別の呼び方をしていた(はず)のIME機能バーの表示が妙にうざい。表示オフにするとちょっと不便だし、適当にカスタマイズしようとしても、選択が貧困でいかん。OfficeXPでは使えるらしい音声入力とか、ナチュラルインプットなんとかなどのモード選択が生きていて、間違ってそれを選ぶと無限ループに落ち込んだりする。使えないものは選べないようにしておいて欲しいわ、ホンマ。
まるっきり設定ミスをしている可能性もあるけれど、今のところ2000からXPにするメリットは何にも見つからない。年の瀬にすることもなくボーッとしているのが嫌いな人にはいいのかも。企業は何よりも自らの利益のために存在する、という当たり前の教訓を、2万足らずで得られるのはありがたいと考えてもいい。ポジティブだなぁ。
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2001/12/29 |
正月休みに入ったということで気が緩んでしまったからか、無意味に消費衝動が亢進してしまい、こともあろうにWindowsXPなんぞを買ってしまった。Win2000で十分満足していたじゃないか、何が不満なんだと自分に問うてもこういうのは意味がわからんのが不思議。MSの手の中でいいように踊らされるとしかいえない。
そして小一時間以上インストールに煩わされた結論が、つまらんヘルプや解説ダイアローグがわずらわしいWin2000というだけのこと。またまた小一時間かけて、クラシック環境という、Wn2000と同じ雰囲気になるような調整を施すことに。
オーディオドライバが改善されたような気がするのだけは、一応評価しておきましょう。
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2001/12/28 |
オサマ・ビン・ラディン氏の新しい声明ビデオがでて、TV各局とも解説に躍起となっている。よく容疑者の声紋分析をしたりする、日本音響研究所のS博士があちこちに出てきてはコメントしているのだけれど、あの人を見るたびに私は思うのだ。音声に関してはそこまで深遠な鑑定をするのに、どうしてそんなわかりやすいカツラをかぶるのだ、と。
年齢とか、その学識を考えると、べつにそんなものかぶらなくてもいいじゃないか、と思うんですがね。容姿をかわれてマスコミに出てきているわけでもないはずなのに。まさか、音声と同じように、ああいうのも画像分析しないと本当のことはわからない、と思っておられるのではないでしょうな。
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2001/12/27 |
危惧したとおり、二日酔い状況で昨日のメモを見ても、さっぱりネタの細かな感覚がよみがえってこない。「ミミズ チンポコ 再現性」と書いてあるのだが、たしかミミズにオシッコをかけるとチンポコが腫れる、という言い伝えについて書こうと思ったのは覚えていて、それもけっこう面白い切り口を見つけたような気がしていたんだけどねぇ。
普通、これは俗信とされていて、そこを程ほどに「科学的」な見方から、案外本当なのかも、という解説しているのは時々見かけ、そこそこ面白いのだけれど、やはりイマイチ月並みだ。そこをちょっと突き抜ける視点を見つけたように思ったんだが。
やはりこういうものは頭の片隅に置いておいて、時々取りだして色々いじる、という経過を踏まないといけません。後二日誤魔化せば休みなので、もいっぺんやり直してまとめてみますのでご期待を。
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2001/12/26 |
どうにも不参加の口実を見つけられなかった忘年会にひっかかり、逃亡防止対策の護送バスに泣く泣く乗る羽目に。いいネタを思いついたのに、明日まで覚えていられるだろうか。
メモしておけばいいじゃないか、と思われるかもしれないが、明日そのメモをみても何のことかわからない可能性が高いのですわ。
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2001/12/25 |
先日の「医学雑感」にとりあげたBMJの論文の、欄外に掲載されていたコラムから。
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「それは看護婦から聞かれたのがきっかけだったんだ」ブリスベーンのトリプルJラジオの番組からの電話取材に、カール・クルツェルニッキ博士はそう答えた。「彼女は、手術室でオペ中にこっそりオナラをしたら、どの程度清潔環境を汚染するのかって聞くんだ。そんなこと知りもしなかったから、突き止めなきゃならん、と考えたわけ」
クルツェルニッキ博士は、人間のオナラが雑菌を媒介するのか、単に臭いだけかを突き止めるための方法を検討した。「キャンベラの細菌学者と相談して実験方法を考えた。二つの培養皿を用意して、同僚にたのんで、まず5センチ離れたところからズボン越しにオナラを浴びせ、次にズボンを下ろしてまた同じことをやって貰ったんだな。一晩観察していると、二番目の培養皿には、腸と皮膚の常在細菌のコロニーが生えてきた。でも、はじめの培養皿には何も生えなかった。ズボンがフイルターになったと考えられる」
「二つ目の培養皿がオナラで汚染されたのは確かだ。吹き付けた気体の量に応じて細菌のわっかが出来てたからね。裸でオナラをすると感染を起こす可能性があるが、服を着ていたら大丈夫というわけ。でも、危険はないともいえる。何故なら、生えてきた細菌は害のない種類だったからね。たちのいい、ヨーグルトに入っている菌と同じようなものだから。」
「最終的な結論かい?食い物の近くで裸でオナラをするなってことだな。ロケットの実験じゃないんだから。たしかそうだったよね?」
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バカバカしいようで、これは画期的な実験だと言うべき。手術室で働く人々への福音ですな。
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2001/12/24 |
昨日の本と一緒に買った「21世紀本格」(光文社:島田荘司:責任編集)なるアンソロジーを読み始める。
冗談だろう。という以外の感想は出てこない。実は初め三つの「神の手」という響堂新による遺伝子工学もの(のつもりなんでしょうなぁ)と、島田荘司自身による「ヘルター・スケルター」なる脳科学もの(のつもりなんでしょうなぁ)、それと瀬名秀明の「メンツェルのチェスプレイヤー」というAI工学もの(のつもりなんでしょうなぁ)だけを読んで、あまりのバカバカしさに読みつづける意欲を失った。
すべてを肯定的に受け入れる、というのは私があらゆる対象に対して課している一種のルールだけれど、ここまでアホらしいとさすがにルール適用は困難だ。一つの思いつきにすがってオダあげる、あまり感情移入できないタイプの躁病患者と接したようなイヤーな感覚にとらわれ、滅多にやらない途中挫折となる。
後の数編が素晴らしい可能性もあるが、あそこまで下らんもの(なんせ、編集者の島田は、自作の「ヘルター・スケルター」を各作家に送りつけ、掲載基準として示したらしいから)と一緒に並べれられてもかまわない、と思ってるとすれば、それはまずないと断言できるだろう。
あー金がもったいない。殊能将之は平成の芥川龍之介だなぁ、と変に納得してしまった一日だった。
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2001/12/23 |
二日酔いの頭抱えて一日寝ていようと思ったのだけれど、またまた鎌倉方面に行かねばならず、渋滞状況とか考えると車はやめにして、電車をつかうことにする。駅前の本屋によったら殊能将之「鏡の中は日曜日」(講談社ノベルス)があったので、電車内暇つぶし用に買う。
なんだかんだ言いながら、結局この人の出してる本は全部よんでいることになりますな。内容は綾辻行人の「館」シリーズをパロディにしたもので、過去の殺人事件を例の石動戯作名探偵が追うという趣向だが、なんと事件そのものに関しては、新しいことはなにも解明されない、という反推理小説とも言えるつくり。謎の存在がどこにあるのか、というのが謎なのだ。こういうのもネタバレかな。
登場人物の一人がマラルメの専門家という設定で、絶対に「マラルメは スルメのペニスじゃ ありません」に類したバカ俳句を石動名探偵が披露してくれるに違いない、という期待だけで読んでいったのだけれど、残念ながら出てきませなんだ。それにしても、この作者の叙述トリックのパターンは、なんであの一点に固着しているんだろう?
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2001/12/22 |
急に思いついたオフ会で、年末押し迫ってクソ忙しいときに数日前の連絡、という一般常識無視であったにもかかわらず、なんと格好がついてひと安心。ネット有名人とも知り合えて、有意義な夜でありました。
(酔っ払って書いたまではいいが、アップするのを忘れていたので、23日の分と一緒にアップ)
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2001/12/21 |
2000年1月の開設以来、ずっと使っていた背景を、同じ素材提供者からの正月ものに変更。いままで、表紙の配色とかも含めて、うゎー悪趣味、と思われることを狙っていたが、長く続けているうちにいい加減うるさい感じになってきたので、全面変更する予定にしている。今回は前の雰囲気をひとまず残して、あくまで正月用ということに。横線が目立って、読みにくくなったかもしれないが、今度の1月中旬までのことなのでお許しを。
「医学雑感」を更新。英国医学雑誌ネタである。この雑誌を読むたびに、イギリスという国はやはりしぶとい、と思う。なんといっても無料ですべてオープン、というのが気に入っているんだけれど。
そういえば今日は「しまい弘法」の日である。もう一年経ってしまったんですなぁ。命の砂はわが指の間をすりぬけて落ちていくばかり。高野山にでもこもって、読経の日を過ごそうか、などと考えたりするが、あそこはまだADSLも来ていないようなので、当分保留。
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2001/12/20 |
医局のある同僚の机の下に、大量にDVDソフトが隠匿されているのを発見し、ほぼ毎日徴発閲覧する事ができることになった。微妙に私の好みとはずれるが、タダで借りるんだから文句は言えない。というわけで。
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「悪いことしましョ!」(原題:BEDAZZLED 監督:ハロルド・ライミス 2000年米映画)
たしか「ゴースト・バスターズ」はこの監督だったんではないか。単純なおバカ映画にみせて、そこそこの広がりがあり、それでいてやっぱりおバカ、というパターンを予想したら、まさしくそう。
コンピューター会社のサポート係、エリオット(ブレンダン・フレイザー)は、いけてなさ加減並ではないいじめられキャラだが、同僚に何年ごしかの片思いをしていて、当然のごとく鼻も引っ掛けられない。そんなところにえらくセクシーな美女悪魔(エリザベス・ハーレー)があらわれ、魂を引き換えにするという契約のもと、別の人間に変身し、彼女の愛を得ようと悪戦苦闘、という物語。
ハムナプトラ1、2でアクションヒーローとして活躍したブレンダン・フレイザーの情けない演技が秀逸で、悪魔に願いをかなえてもらって変身する、コロンビアの麻薬王、NBAのスター選手、世界一繊細なバカ詩人、流行作家、アメリカ大統領という変化振りが大笑いである。エリザベス・ハーレーもなぜか意味なくケッタイなコスプレであらわれ、バカバカしさ(これには楽しめるのとそうでないのがあるが、この場合はもちろん楽しめるほう)に輪をかける。
悪魔に願いをかなえてもらうという設定は、短編小説などで無数にみることができるおなじみのものだ。そのほとんどは主人公の破滅かハッピーエンドという軸と、教訓的結末か悪徳礼賛かという軸の直交二次元グラフで表される分類に収まるようだ。もう一つ、トリックというか、ギミックに凝っているか否か、という軸を加えてもいいかもしれないが。
その分類からいくと、この映画はきわめて教訓的にして、ハッピーエンドの極みである。それほどのギミックも用意されていない。それでも全く嫌味でなく、登場人物すべて(悪魔さえも)を肯定的に受け入れられる作りになっている。さりげなく出てくる神様も、押し付けがましくなくていい感じだ。こんな神様なら付き合ってやってもいいな、と思わせる。
恋人同士で見に行けば、ほのぼのといい気分になれる、そんな狙いの映画だろう。いい歳のオッサンが一人で見ても耐えられるのは、ただただ「金を出していないから」に他ならないが。
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2001/12/19 |
サイト「半跏思惟」で、私がここで書いた感想に対して、またまた真摯なコメントを返して頂いている。私が苦行とおもう生活も、F氏の基準で言えば、中道なのだということだ。まあ私だって、以前フィットネス中毒になってた頃は、一日5〜6km泳いで一時間はランニング、週二回は200kmの自転車ロード練習などというイカレたトレーニングしていて、これが普通だと思っていたし、もっと昔は日々これ陰謀といった生活していたこともあった。
まるっきりレベルが違うわい、と思われてしまうかもしれないが、ある種の「理想」を追求していたのは同じようなもので、そこにはそれなりの「超越」を求める満足感と使命感があったものだ。そして今それらを馬鹿なことだったと思っているわけでもなく、今だって程々のトレーニングはするし、常にクリティカルであろうと、それなりの勉強もする(その結果がこれなので、どーもすいません、としかいえないけれど)。でもやはり、「永遠の真理」とか絶対性を求める事の危うさ、その危うさに付けこむ輩の存在、それに利用される未熟さ、といったものに敏感になったのは否めない。
快楽主義に落ちぶれ果てた日常性を養分にしてはびこる悪は、確かに存在する。でも人類の歴史にそれ以上の悲惨さをもたらし続けて来たものは、いつも何らかの理想とか、真理の希求であったことは、誰もがいうことなのだが、忘れてはいけないと思う。F氏のような人たちなら、うまくやるのかもしれない。でも、そうはならないとも確信している。ささやかでかつ多様な魂の静けさに沈潜することも一つの道であろう。出来うれば、その超越への希求という生き方そのものが、社会に還元される道を見つけていただきたいと念ずるばかりだ。それこそ堕落だと言われるかもしれないが。
突然オフ会を開こうなどと思ったのは、F氏とのかかわりの反省から、いままで何となく匿名性に隠れた情報発信していた(といっても旧職場のリンクなどをたどれば、個人情報など公開しているのも同然なのがわかって頂ける筈ですけど)ので、もうちょっと責任ある態度を取ろうか、と思ったから。飯食って酒飲むのが責任ある態度かい、と言われると困るけれど。あ、今週の土曜日6時半PMですので、希望者はメールしてください。
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2001/12/18 |
一時期、日に20通以上来襲していたウイルスメールも、せいぜい2、3通というところに落ち着き、タダで落とせるウイルスチェックソフトでやれる限りの対策はすべてやったので、まず大丈夫であろうと思っていたのに(なんていってOutlookそのまま使ってんだから世話はない)、この2、3日、どうもPCの挙動がおかしい。HDDアクセスが勝手に起こり、ケーブルモデムのランプがチカチカする。それもこちらがPCを睨んでいるときには起こらず、PCに背中を向けておいて、急に振り返るとカタカタやっていたりする。そのコソコソした態度がどうにも気にいらないので、自分で調べてみることにした。
HDDの中は思いつきでダウンした屑ソフトが山ほどあって、何が何だかわからないのだが、全く覚えのないものも一つ二つ見つかり、調べてみれば果たしてスパイウエアであった。ひとつは解凍ソフトと一緒にダウンされ、もうひとつは某有名辞書ソフトと込みで入ってくるものらしい。最初の奴はなくても困らないので元ソフトごと捨て、後の奴は結構使うので、メインも使えなくなったらどうしようと思いつつも、シオニストどもに盗聴されるぐらいなら自分でコンサイス引いたほうがまし、と一気に削除。その後、レジストリもおっかなびっくりで修正したが、元ソフトはちゃんと動いてくれているみたい。
さて、はじめにこれだけつまらん事を書いておけば、もう誰も読んでいないだろうと、ここでこっそり書くのだけれど、次の22日(土)、都内で希望者があるようなら小規模オフ会を開きます。場所は中央線沿線。定員はせいぜい数名。会費は五千円程度。希望者はメールを当日午前中までに私まで。希望者がなければ中止、というか私的な夕食会はやるんですが。
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2001/12/17 |
というわけで翌日更新したぞ、という報告をして今日の分は誤魔化すことにする。
昨日付でいったことに一言だけ付け加えたい。それはF氏やその同僚(そう呼んでいいものやら)たちは、なんであんなに真面目に頑張るのだろう、ということだ。お釈迦様って、滅多矢鱈に苦行しても無意味だよ、もっと日常の中に悟りの契機はあるんだよ、といったんではなかったっけ。大乗的に歪められた俗論かしら。
それと、こんなことをいうと気を悪くされるかもしれないが、F氏がその宗教的立場を明確にされてからのものを読むと、「河上イチロー」名義のものより明らかにインパクトが弱い。もちろんそれでも充分面白いのだが。解脱に向けてひたすら精進というスタンスより、河上イチローの韜晦のほうにF氏の才能は向いているのでは、と思うんですけどね。またまたおせっかいな話で恐縮だけれど。
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2001/12/16 |
数日前に書いた、このサイトについてのつたない感想に、そこの管理人であるF氏自身が反論をかいておられる。これは謹聴してそれなりの意見を返すべきだと、妙に肩肘張ってPCの前に座り込んだのはいいが、そういう真面目な態度が柄ではなかったと見えて、たちまち睡魔に襲われ更新せずに寝てしまった。
F氏は、「宗教とは神様(あるいはその代理人)を拝むもの」だと私が捉えているといわれる。本来の仏教やヨーガはそうではなく、(そして彼が目指すものもまた)「超越的な存在に近づいていく実践的な教え」であるのだと。そういう宗教では教祖の超越的側面は、信徒自身が体現していくべきものなので、教祖の人格にたいする帰依は必要ないばかりか、むしろ煩悩の範疇なのだ、と言っておられるように読み取れた。
書き方がつたなかったため、充分意が伝わらなかったようで、宗教とは立派な教祖や教義を象徴する御神体を拝むものだ、などと私が思っているように受け取られたのは残念。確かに世俗化した宗教には、そういうものもあるかもしれないが、どんな宗教であれ、超越性との合一を何らかの形で求めるというところでは、すべて同一の構造があると私は思っている。
旧オウムの場合、その超越性は麻原個人が体現していたと私は理解しているのだが、違うのだろうか。彼の世俗的な人格に帰依する必要はないかもしれないが、彼が獲得した(と自称した)超越的力、その力の場となった彼自身をさしあたって目指すべき目標にして、人が集まっていたんではないのですかね。
最高原理の体現者であった筈の彼が、世俗的な凶悪犯罪を組織するにいたり、なおかつ、そのカルマから解脱している様子も見せないのは何故なのか、ということを掘り下げるのは、かっての弟子の義務ではないだろうか。それはこれから個々の信者がめざす、最高原理なるものの検証にもなるのではないだろうか。部外者がこんなこというのもおせっかいな話だが。
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2001/12/15 |
医学ネタが途絶えていたので、純粋医学ネタで「都市伝説」を更新。「業界雑感」のほうがよかったか、とも思うけれど。
内科医の真似事もするけれど、基本的に私は精神科医なので、いわゆる聴診などの理学的所見とりはできるだけ省略しようとするため、健診にきた人などからはしばしばクレームがつく。胸部X線でも心電図にも異常がなく、何の自覚症状もなく、スキップして診察室にはいってきそうな人を捕まえて、裸にして聴診したってしかたがないじゃないかと思うのだが、医師のマンパワーを消費した、と思えないと気がすまない人もいるのである。そんなところに意味はないんだけれど。
私のほうはそもそも、健診など無意味だと思っているんだしね。早期発見早期治療というまやかしを一掃すれば、無駄な医療費はずいぶん抑制され、必要なところに振り分けられると思うんですがね。厚生労働省さんいかにお考えでしょう。
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2001/12/14 |
世田谷一家殺人事件の新しい証拠が出たのだそうで、今にも犯人がつかまりそうだ、というような報道がなされている。どんな証拠かと言えば、現場に残されたハンカチについていた香水なんだと。そんなもの、一年立たんと判らんものか?一年もかかる分析の中身をしりたいものだ。
警察と言うところは、解決困難事件になると、よくこんな風に「新証拠」なるものを小出しにするが、おそらく事件に関心を向けるため、枝葉末節をリークしているか、自分たちのアリバイ作りのために、言い訳デマカセを発表しているのではないかと思ったりする。
報道機関は、何で今になって香水のことを発表するのか、と聞かないのだろう。事件直後の、記憶の鮮やかなあいだに聞き込まないと、わかるものもわからんじゃないか。それ以上にケッタイなのが、そういう発表にアホみたいなコメントをする精神科医の存在である。若者っぽいファッションや、香水までつけるところから見て、犯人は引きこもったりする人間ではなく、活動的なタイプだ、なんて臆面もなくよく言えるものだ。私はいつも最新ファッションに身を包み、フレグランスを手放せないが、引きこもって数年、なんてタイプを何人も知ってるぞ。
FBIでプロファイリングをやってると自称する、妙な毛唐のじい様がTV局に招かれて、いくつかの未解決事件についてコメントしていたことがあったが、気の毒なぐらい見当外れのことばっかり言っていたものだ。あのじい様、絶対イカモノだと思うのだけれどな。まあ、向こうは多民族多文化国家なので、行動パターンの外面的なところから、かなり対象を絞り込め、ああいう手法もそれなりに有効なわけで、つまらん心理的勘ぐりはメインではないらしいのだけれど。それをどう勘違いしたのか、ふだん慢性分裂病ぐらいしかみていない日本の精神科医が、それこそ柄にもない心理学用語で恥知らずなゲスの勘ぐりをするというのはどんな了見なのだろう。
そもそも、精神科医が貧困な精神医学用語で社会現象を語っていれば、まずデタラメだと思っていい。病者だって社会的存在なので、それは時代と社会に規定される面があるのは事実だけれど、病者についての言説を社会に適応できるわけがない。でも、それを言ってみたいヒトと、やたらに有難がるヒトは山ほどいるんだよね。(不毛の例をいくつかリンクでしめそうかと思ったけど、バカバカしいのでやめ)
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2001/12/13 |
「M:I−2」(ミッション:インポッシブル−2。2000年米映画。監督:ジョン・ウー)
DVDでの鑑賞。DVD自体の問題なのか、PCの設定がまずいのか、それともこんなものなのか、地の会話部分の音量と、効果音、BGMの大きさのアンバランスが著しく、コントローラー出したままにして音量をつねにいじっていないといけなかったので、わずらわしくてしかたありませんでした、終わり、というのが第一印象。
つながりに必然性も合理性もない格好のいいシーンがドンドン続き、その場その場の決まり具合は申し分なく、しかもそれらは全部どこかで見たことがあるような気がする、というのもある種好ましい、と思いたい。気がするだけでなく、私みたいにTVでしか映画を見ない人間に指摘できるだけでも、引用というか、パクリは数多い。トム・クルーズが敵のNO.2にとっつかまって、親分にさんざんいたぶられて撃ち殺された、と思いきやそれは変装マスクを被せられた敵のNO.2だったというシーンは、格闘中に相手のマスクをどうやって準備したんだろうか、という疑問は別にして、「クロスゲージ」(原題:Most Wanted)という映画と全く同じだし(その場合は紙袋かなんか被せてたので、同じ疑問は出る余地なし)、最後半のバイクアクションなんか、ジョン・ウー自身の「ハード・ターゲット」そのまんま。しかもそれ自身、元ネタは絶対あれ、仮面ライダーだよな、と思わせる二重三重の引用の集積が素晴らしい、と思いたい。
かの鈴木清順カントクが自分の最新作をかたって、映画なんか筋だの必然性なんかにゴチャゴチャいうことはない、1シーン1シーンがきれいだったらいいんです、というような事をいっていたと思うのだけれど、それを敷衍すれば、その場その場で主人公がカッコよければそれでいい、という理念で作られた映画なんでしょうな、これは。
子供の頃から、怪獣ものとかヒーローアクションもののストーリー破綻をあげつらい、ヒーローの活躍に酔いしれるほかの連中から距離をおく、嫌味なガキだった私としては、なんとかこの手の映画で失われた純真さを取り戻すべく頑張ってみたのだけれど、やはり寂寞感がのこるのは否めない。
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2001/12/12 |
最近ちょっと気になるサイトがここ。かって「河上イチロー」として知られたアレフ出家信者、F氏の個人サイトである。彼のプロフィールを読むと、年代はちょっと違うが、育った場所も近く、仏教系の高校に進学したりと、似たようなところが多い。彼は高校で、形骸化した日本仏教に絶望したというのだが、私はまるっきりそんな風には受け取らず、どんな業界でも本音と建前をうまく使い分けて商売していくのは大変らしい、と思っただけだった。彼とは全然真面目さが違うみたい。
F氏は今日付けの日記で、麻原彰晃の公判傍聴をやめたことに触れている。そこで彼はこう言う。「僕は『麻原彰晃』という『人』に帰依していたのではないのではないか」、「僕は以前から解脱・悟りを説く教えを実践したいと思」っていて、それに最適な「団体は、オウム真理教以外に見つから」ず「その教えを説いていたのが麻原旧団体代表だった」。「僕は解脱・悟りをもたらす教えにまず帰依しており、それを体現する先生として実体化した『麻原彰晃』の指導を受けていた」。だから、麻原本人への「興味は、自分自身がいかに解脱・悟りに至る教えを実践するか、ということに比べれば、極めて希薄なのかもしれない」と。これはFさんらしくもない、いただけない物言いである。
およそ宗教というものは、個人的超越体験を軸にするもので、現世的な組織の場合でも、ある種の秘蹟を体現する人物がいるからこそ、教団として成り立ちえるのではないか。単なる一般的教義を共有するだけなら、本でも読んでいればすむことである。出家までして教団に加わるのは、麻原の超越的側面に帰依したいという切なる思いが必ずあったはずだ。その辺をすっ飛ばして、麻原はどうでもいい、教義だけあればいいというのはゴマカシだとおもう。
もしF氏がアレフをまともな宗教にし、自分も宗教者として鍛えていくつもりなら、そこらあたりをいい加減にしてはいかんだろう。悟り愛好会みたいなもので満足して、あたら有為の若者たちが群れることだけやっていたら、怪しい啓発セミナーみたいなものをつくろうとする、麻原よりは小粒の詐欺師に利用されるのが関の山だと思う。
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2001/12/11 |
以前の職場のほうから突然忘年会に誘われ、会場はここらあたりには珍しくしゃれたヌーベル・シノワを供する店である事を知って、参加することにした。会費が向こうもち、というのが最大の理由だけれど。
その店は確かにうまいのだが、ワインの揃えがイマイチという欠点がある。置いてもほとんど注文がないからだろうが、せっかくの創作料理をビールや紹興酒なんぞで流し込むのはもったいない。特に紹興酒というのは、中国ものだからという理由だけで一緒に供されるけれど、あれ、絶対に中華料理一般にあわんと思うのですわ。あれならまだうまい中国茶を添えてくれたほうが嬉しい。
というわけで、持込用ワインの買出し係を自らかってでて、普段は飲まないような高級ワインをいそいそと買いに出かける。メルロー系がよかろうと、気分はハンニバル・レクターとなってペトリュスを探すが、さすがに手が届かず、10分の1の予算に縮小。さて夜が楽しみである。ところで、このワイン代、ちゃんとワリカンになるのだろうな。
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2001/12/10 |
「作戦行動中の海兵隊員からのメール」が面白かったので訳して、「都市伝説」のほうにアップ。書いてるうちになんで都市伝説なんだろう、という気がしてきたが、せっかく書いたのでそのまま続ける。
ベトナム戦争に米国が負けたのは、クールなメディアであるTVが報道の中心だったからだ、とはよく言われることであるが、ネット時代の戦争はどんなことになるのだろう。ネットはラジオに近いホットな要素をもっている面もあり、統制や演出になじまない点からは、クールそのもののメディアでもありうる。
今回のは創作ぽいが、そのうち兵士の日常がリアルタイムで配信されるような戦争がおこるに違いない。戦争にはどんな意味づけもなく、個々の人間にとっての悲喜劇惨劇でしかない、ということを思い知ることになるのかな、というのが今回のチェーンメールで感じた事。
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2001/12/09 |
鎌倉からの帰り道、横浜中華街による。
丁度昼食時で、ものすごい人出だったが、私が行くところは行列などとは無縁なので安心。たどりついてみると予想通り、客は誰もいない。同行者は何でこんな冴えない店に入るんだと不審顔だが、中華街でいわゆる「チャイニーズレストラン症候群」を起こす心配のない店は、私のレパートリーではここだけなのだ。
メニューにない料理を注文する、という他の人がやっていたらけったくそが悪くなるような事をできるのもここだけ。でてきた料理を味わって、同行者の不審顔も解消され、まずはめでたしであった。
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2001/12/07 |
鎌倉方面にしばしば行かねばならない事情ができてしまい、道路事情の悪さにあきれ果てながら訪れること既に数回である。確か田中康夫が書いていたと思うが、日本の金持ちが何故左ハンドル車に乗るかと言えば、鎌倉在住者が多かったため、せまい坂道で左寄せしても、崖から転げ落ちないよう確認しやすいという利点があったからだ、というのを実感する。
日本にはアカデミックかつハイブロウと受け取られる地名があり、鎌倉はその代表格であろう。大船に「鎌倉女子大」と言うのがあったが、あれが大船女子大だったら寅さんが教えていそうだ。京都に橘学園という女子大があり、ここは京都橘女子大と改名して、それまでの裁縫学校イメージを払拭し、人気校になることができた。ほかにこういう効果がありそうな地名は倉敷ぐらいか。倉敷芸術科学大学というのがあるが、あれは確か津山市あたりにあった学校が移転したはずだ。土地代だって津山と倉敷では段違いのはずだが、それでも名をとるほうがベターと読んだのだろう。移転した上で岡山芸術大学、などと改名したら、桃のパッケージでも作ってそうで、まず経営は成り立たたないのは間違いない。
軽井沢などもその範疇であろう。鎌倉女子大の軽井沢セミナーハウスなんて(あるのかどうかは知らないけれど)、決まってるぞ。ここが信濃追分なんて通称にならなくてよかったね。
明日は鎌倉に一泊せねばならないので、更新はお休み。
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2001/12/06 |
狸罠仕掛けて忘れ逝きにけり
こんな俳句が清水哲男氏の「増殖する俳句歳時記」で紹介されていた。作者は和湖長六という人で、調べてみたら私の現住所近くにお住まいのようだ。意は、狸の罠を仕掛けたことなんか忘れて、ぽっくり逝ったという、人の死のあっけなさを詠んだものだという。なかなか味わい深い。それにしても、結構市街化しているこの界隈で、狸なんか出るのだろうか。昔の話、ということなのかもしれないけれど。
今なら、「屑サイトアップして忘れ逝きにけり」というところか。季語がないが。
それにしても清水氏のサイトの掲示板での、罵詈雑言の応酬はすごい。某匿名掲示板のように語彙貧弱な嫌がらせに終わってはいないが、レトリックを駆使している分、普通の精神構造の持ち主には余計応えそうだ。創作に関わる人たちはああして切磋琢磨しているのだろうか。どうもそれだけとは思えないが。誰か「句会殺人事件」と言うのを書いたら、かなりリアリティを感じるのでは、と思った次第。(てなこと言ってたら、今日確認すると掲示板へのリンクが消えてました。さすがに扱いかねたか)
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2001/12/05 |
こんなサイトを発見。
http://3.14159265358979323846264338327950288419716939937510582097.org
円周率を延々と(500万桁以上はあるはず。数えていていやになったので詳しくは不明)書いてあるだけ、というなんの芸もないものですが。なお、上をクリックすると、13メガバイト近くあるデータが流れ込んできますので、その御覚悟を。
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2001/12/04 |
「ロジャース」という安売りスーパーがある。店員の応対はこういうものではないだろうか。
客「あのー、電動ポットのポンプがつまったんですけど……」
店員「電動ポットのポンプがつまった?」
客「ボタンを押してもお湯が出ないんです。この店で買ったんですけれど」
店員「押してもお湯が出ない。それはこの店で買った品物なんですね」
客「ええ、この店で買ったポットが壊れたんです……」
店員「この店で買ったポットが壊れた、だからあなたはここに来たのですね」
客「ええ…、でも取り替えろと言ってるんじゃないんです。買ったのは5年も前ですし…。保証書も失ってしまって…」
店員「取り替えてくれとは言わないのですね。保証書もないのですね」
客「新品を買うのももったいないような気がして……」
店員「新品をかう決心がつかないのですね」
客「多分水垢が詰まってるだけどと思うんです」
店員「水垢が詰まっているだけだと思うのですね」
客「だから洗浄剤のようなものでなんとかなるかと」
店員「うまく行かないかもしれない、とも考えている」
客「でも、ダメ元で一度洗浄剤を使ってみます。それでうまくいかないときは新品を買いますので」
店員「効かないかもしれないが洗浄剤を試し、それでダメなら新品のポットを買うのですね」
客「ええ、じゃあ、この洗浄剤いただきます。思い切って分解掃除してみてもいいな。なんか、希望が持てたような気がします」
店員「どういたしまして。ロジャースはいつも来店者中心商法ですので」
すいません。ネタ元は「グレコローマンかたぎ」と「今日の必ずトクする一言」でした。本当のロジャースはもちろんこんな接客はしないのでご注意を。何のことか判らない人が大半でしょうが、別にいいのです。興味ある方は「ロジャース カウンセリング」でGoogleあたりで検索してみましょう。
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2001/12/03 |
実に3ヶ月ぶりに「都市伝説」を更新。前回、ノー天気にエロネタなんかアップした翌日に大事件が起こり、現実のほうがよっぽど神話的だと、いささか萎縮気味になってしまっていた。あの事件にふれないで、トリヴィアルな事を言っていても仕方がないような気がしていたわけ。
いくつかのサイト記事をまとめただけだけれども、とりあえず喉のつかえが取れた気分。
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2001/12/02 |
「グリーン・デスティニー」(臥虎藏龍/Crouching Tiger, Hidden Dragon:2000年米・中映画。監督:アン・リー)
DVDソフトでの鑑賞。「飲食男女」(邦題:恋人たちの食卓)のアン・リー監督がおくる武侠映画である。「恋人たちの食卓」のほうはなんせ食い物関連の話なので、ちょっと前にCATVで時間を調べて必死になって観たのだが、こちらのほうは、剣の使い手が張り合うという、どーでもいい設定なので、そう期待もしていなかったのだが、まあ程ほどに面白い内容だった。
この話をひと言でまとめれば、「悪い乳母に唆されてダーク・サイドに落ちたお姫様をジェダイの師弟が救おうとする」話という長谷川町蔵氏のあまりに的確な要約がすべてと言え、そのお姫様がダークサイドに深く落ち込むきっかけになった(かどうかもあまりよく判らないのだが)、盗賊との出会いとその後の顛末がイマイチはっきりしないのが難点。お姫様に思いを寄せる盗賊の、荒野でのカッコよさと、ストーカー風にまつわりつくあたりの情けなさの落差がいかん。男なんかあんなもんだ、とも言えるが。
いわゆるワイヤーアクションと呼ばれる空中浮揚殺陣も、昭和30年代の実写版「鉄腕アトム」を観ている気分で、多少の矛盾など許す気持ちがないとちょっときつい。
この話も「飲食男女」みたいに、天才的能力は日常的生活にそう役立つものではないのだよ、というアン・リー監督自身の心情吐露だと思えばいいのかも。個人的希望としては、こちらの特撮を「飲食男女」のほうに使ってくれたら面白かったのに、とおもう。目にもとまらぬスピードで包丁をふるって空中に食材を放り投げ、厨房の壁をけって駆け上がった料理人がナベでうけて次々に料理を仕上げる、というシーンは想像しただけでかっこいいぞ(そうか?)。
別にこの映画でいうべき事ではないのだが、日本語ネイティブは結局視覚を介しないと充分な言語的理解は得られない、というのも思い知る。原題の「臥虎藏龍/Crouching Tiger, Hidden Dragon」というのでこの映画が目指すアレゴリーは充分示されるのだが、それを回避した「グリーン・デスティニー」なんて間抜けな邦題をつけた時点で、理解なんかせんでいいといっているようなものだ。登場人物についても同じで、チャン・ツィイー扮するお姫様の名前には「龍」という文字がはいっているんだそうな。多分他の登場人物でもそれなりの寓意が役名にあるのだろうが、日本語の貧しい表音システムではそれが表せない。これが中国語ネイティブなら、その洗練された平仄システムで、聞いただけで意味がわかるんだろうけれど。
どこのアホが始めた事なのかしらないが、せっかく漢字という共通の体系を使っている国々の人の名前まで、50音カナで表そうとする裏返しエスノセントリズムのおかげで、言語を超えた理解の可能性は明らかに狭められた。確かに周潤發をシュウジュンパツと読んで済ますのは問題だが、「チョウユンファ」とだけ呼んで、漢字経由で理解しえる最低限度の回路を無視しているのはもっと罪深い。そんな事を考えつつ、エンドタイトルロールにでてきた「監督 李安」と言う文字に心から安息を感じた私なのだった。
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2001/12/01 |
昨日の数学脳テストにでてきた、部隊移動の話で思い出した話題。
昭和初期、中国東北地方に傀儡国家である満州国をでっち上げた軍部は、周辺軍閥の脅威を一掃するため、「熱河作戦」というのを敢行した。これは旧軍部が行った、初めての大規模自動車部隊による電撃的侵攻作戦であった。私の祖父はこの作戦に技術部隊員(早い話が運転手)として参加したので、よく話を聞かされたのである。
この作戦で、軍部がもっとも苦労したのはトラックの確保であった。当時の国産車の水準では、道無き道を故障なく進むことが出来ず、軍部はとにかく米国車、それもフォードのトラックを欲しがった。しかし当時の日本政府は、まだひ弱だった国内自動車産業を保護するため、高関税と輸入制限をかけて米国車の輸入を断固阻止する方針をとっていた。
軍部は米国車輸入自由化に向けて、なりふりかまわぬ圧力を政府にかけまくった。もちろん、米国政府も自動車産業ロビーにたきつけられ、一緒になって外圧をかけたのである。米国は満州国建国をはじめとした侵略行為を非難しつつも、車を売るのはまた別、という態度に出たわけ。ビンラディン氏をはじめは支援しておいて、都合が悪くなると消しにかかるのと同じ構造がすでに見られます。
緊急輸入された米国車のおかげで、熱河作戦は大成功。祖父はこの時乗ったフォード車の性能にほれ込んでしまったという。トラックなのに、国産乗用車よりも乗り心地がよかったそうな。もっとも、米国車輸入自由化は結局なされず、この作戦以後は保護政策はますます強められたとのこと。ここで自由化に徹していたら、彼我の技術力の差を軍部民間とも思い知って、アホな戦争に突っ走ることはなかったかもしれませんな。
と言うわけで、戦争と言う奴はグローバリズムの味方ではあるが、逆がまた真であるわけではない、というのがこの話の教訓。
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2001/11/30 |
なーんもネタを思いつかないので、高名同業者サイトを見に行ったら、「数学脳テスト」の話題が出ていた。やはりエリートは大所高所から物事を見ようとされるらしく、立ち読みする本からして違う。私なんか、主婦の友社だったら、まず料理の本しか読まんもんなぁ。
紹介されていた「563人の兵士をキャンプAからBまで、定員40人のバスで運びます。バスは何台必要でしょう」という問題だが、向こうの管理人が言われるように、数学センスとは縁もゆかりもないだけでなく、軍事行動の基本すら抑えていない。
部隊が移動する、という軍事目的の前には、手段など問うてはいられないではないか。トラックでもなんでも必要なだけ民間徴発すればよく、足りなければピストン輸送に切り替えるだけのこと。定員がどうのと軟弱なことを言ってるそこの貴様、天皇陛下の命令をなんと心得る。
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2001/11/29 |
CATVで昭和50年代に作られた「史上最強の空手」という、記録映画とも宣伝ともつかないのをやっていて、あんな筋肉隆々の大男達にぶん殴られたら一発でアウトだとは思うものの、最近の格闘技やボクシングと比べて、どうみても合理性のない格闘スタイルに疑問を覚えてしまう。蹴りやパンチのたびに重心はふらつき、体勢は開いて伸びきるばかり。あんなの、よっぽどドジで急所で受けてしまうような事がない限り、そのまま組み付いて関節を決めれば勝ちじゃないか。それか、型を決めようとしているときにさっと接近してジャブを連発すればいい。結局一撃必殺の幻想に乗っかった腕力合戦としか見えない。もちろん、鋭い動きの人もいましたけれど。
それ以上に、「日本」の思想性というのはなんなんだろう、と言う疑問も湧いてくる。あの映画の空手流派の創始者は、なんで「日本」と言うものにこだわったのだろう。最強の格闘技を目指すのなら、そんなものに拘泥する理由はまるでないように思う。あの創始者が帰化前は、出身国では「反日」の闘士とされていることなどは、今なら誰でも知っているだろう。それがこの国では特攻隊崩れの憂国の士、という神話を付加されていたこともあった。
道場の神棚と、その横の「鹿島大明神」と「香取大明神」の垂れ幕を見ると、ヤクザの儀式のディスプレイを連想する。ヤクザと言われる人々だって、この国にひどい目にあわされつづけた弱者層をひとつの基盤にしているのは事実のはずだ。なぜ反ヤマト、反神道を標榜しないのだろう。日本の特殊性というか、古来の伝統を踏まえた叡知なのだろうか。もしそうなら、これは十分検討に値する。例えばユダヤ対アラブの対立回避のために、この日本固有の思想的技術をぜひ輸出するべきであろう。
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2001/11/28 |
昨夜から今日にかけて、"RE:"とだけ件名が記されたメールが8通もきた。相手は皆知らない人である。HTMLメールのようだが、何も書かれていない。添付ファイルもないので、ウイルスにしてもおかしい。ここを読むと、どうもこれは"BADTRANS.B"とよばれる新種ワームのようだ。ウイルス自身のバグでちゃんと添付メールを作れないことがあって、私のところにきたようなスカになるらしい。破壊工作するつもりなら、品質管理をちゃんとしときなさい。
ウイルス騒ぎが続くので、マイクロソフト社のセキュリティ情報メールを貰うようにしているのだけれど、そんな事は何も知らされなかったぞ。独占欲ばかり強いくせに、脆弱性たっぷりの製品しか提供できない企業はホント困ったものだ。おまけに後始末もいいかげん。黙って最新バージョンにしておけばいいので、いちいち対応していられるか、というのが本音かも。
今手に入るこのウイルスについての情報も、上のサイトも含めてきわめてわかりにくく、どういう対策をとればいいのか、誤解を呼ぶような書き方しかしていない。よその会社の尻拭いするのがバカバカしいからですかな。
スカでない本物ウイルスメールを貰う人もいるだろうから、充分注意のほどを。
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2001/11/27 |
先月も触れたような気がするが、海外企業サイトから気の利いた情報を教えてくれる役立ちサイト、「百式」が先日、「飛行機とヘリコプターの長所を組み合わせた、ありそうでなかった画期的な製品」を紹介してくれていた。
元サイトも見てみたのだが、これ画期的新製品と言うよりは、昔からあるオートジャイロとしか思えないのですけれど。オートジャイロは007やマッドマックス2にでてきたウルトラライトプレーンで知っている人も多いと思う。細かな技術がなかなかクリアされなかったヘリコプターに先行して、1930年代には結構実用化されていた。経済性や安全性などのメリットは数多いのに、何故かその後は技術革新が止まり、実用化はすたれ、一部の好事家のみのものになっていった。
子供の頃、ゴム動力のオートジャイロ飛行機を作ったことがあるが、普通の模型飛行機なら重心の設定とか、翼の揚角とかのノウハウが結構難しいのに、これはものすごくアバウトに作っても程ほどに飛んだので不思議に感じたものだった。もちろん、回転翼を使うと言うところでエネルギーロスは避けられず、作りのいい固定翼機にはかないませんが。
「百式」のほうでは、「垂直に飛び立つことができる」とされているが、元のサイトでは離陸には最低25フィートが必要とある。しかも50フィート上昇するためには250フィートの滑空が必要ともあるので、垂直離陸とはいいがたい。多分、着地している時に回転翼に動力を伝え、滑走距離を短くするようになっているのだろう。もしそのまま回転翼で垂直離陸したら、ヘリみたいにテイルローターがないのだから、くるくる回って墜落するしかありませんものね。
多少の情報誤認はいいとして、この"Hawk 4 gyroplane "はなかなかの優れものである。75万ドルという値段は痛いが、月に100時間飛んだとして(通常巡航スピードからすれば、これで2万キロは飛べる)、燃料費も含んだ維持費はたったの158ドルだとのこと。せいぜい100メートル足らずの滑走路があれば使えるのだから、どなたか買ってみませんか。免許制度なんかについてはよく知らないけど。
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2001/11/26 |
「深夜特別放送(上・下)」(ジョン・ダニング:ハヤカワ文庫)
「死の蔵書」で鮮烈なデビューを飾った著者、期待の新大作というふれこみ。葬式が長引いたときの暇つぶし用にと、二巻抱えていったが、長い上に登場人物も多く、まして昼間から酒のまされる状況で読んだので、何だかよく判らなんだ面が多々ある。
真珠湾攻撃をうけた直後の米国、戦時体制の色深まる中、よく判らぬ事情で放浪生活を送っていた小説家志望の青年、ジャック・デュラニーが主人公。彼はよく判らぬ経緯で留置場にいて、間違うと強制労働をくらいそうな状況。ある日放浪仲間のケンダルがよく判らぬ理由で弁護士を装って現れて告げるには、真珠湾で死んだ親友の恋人、ホリーが窮地に陥っているとのこと。ジャックはホリーを愛しており、彼女を救うために、ケンダルの助けをかりて脱獄する。ところがホリーはよく判らぬ理由で姿を消していて、ケンダルも殺されているのを発見する。
よく判らぬ根拠でホリーの居場所を推定し、そこに急行したジャックは、よく判らぬ成り行きから、地元ラジオ放送局にライターとして雇われる。そこで歌手としてローカルスターになっているホリーを発見するのだが、ホリーはよく判らぬことに、ジャックに知らないふりで接する。その上でジャックはラジオ局を舞台にした、過去の連続失踪事件の謎に出会うことになる。
ウッディ・アレンの映画、ラジオデイズで描かれていたような、ラジオ全盛時代の業界内幕ものの趣向もあり、主人公が途中から突如、ガンガンとライターとして頭角をあらわしていくサクセスストーリーもそれなりに面白い。米国というところは日本みたいに戸籍が無いからか、偽名でも何でも個人として存在証明が簡単に得られるらしく、来歴だとかはその本人にもあいまいな面があるらしい。
この著者の、「封印された数字」では、主人公のあいまいな過去の想起というのがひとつの軸になっていたが、今回も似たようなところがある。登場人物すべてについて、現在のそれなりにしっかりした機能的関係性があるのだが、それの全く別の意味合いが次第に明かされていく、という感じ。戦時体制でのスパイ事件を背景にしているのも、その雰囲気をうまく深めている。
もちろんそれは推理ものならすべて、善良な一関係者を装っているのが実は凶悪な犯人だった、というのが明かされていく過程といえるわけで、同じようなものではないか、と言われそうなのだけれど、この本の場合は犯人探しは二の次で、人々の表層的な振る舞いの持つ多義性を推理ものと言う型式で書いているのだろうかな、などと思わせる。その割には、中心人物がえらく類型的な行動原理を示してみたり、やたらに自己犠牲的だったり、よく判らんチグハグさも感じるけれども。
こんなに思い入れたっぷりに作られていたラジオというメディアがかってあり、その思い入れの受け皿まで立ち枯れさせたメディアの進化があった、と読み取れば充分なのかな、よく判らんけれど。
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2001/11/25 |
ここの自己登録リンク集に「探偵軍団」(スパイ日記)というサイトの登録があり、見に行ったところこれがまあ素晴らしい。葬式疲れで何する気にもならない日曜日の午後を、たっぷり楽しませてくれた。製作者は現実の探偵社経営に関与している人のようで、関連著書も結構あるらしい。
この業界関連ではやる事すべてが当たったので、今度はウェブでも自分の力を試してみたい、と思ったのでしょうかな。素人サイトでは考えられないような経費を使っているようなのに、なおかつ素人サイトのつくりを守っているのが奥ゆかしい。
こちらなどではまるっきりインチキ扱いで(その内容に対するものではないけれど)、リンクされている実際の探偵業が、関連グッズ販売とか、新人募集がその営業内容にかなりの部分を占めているらしき様子をみると、確かにリアリティに関しては一種の留保がつき、バブルのころよく見たような自己神話形成ねらいかな、などと思わないでもない部分があるとはいえる。創作に例えれば門田泰明の「黒豹シリーズ」とか、こちらで有名になった城戸禮の小説群と同じような香りが漂うのは事実。
でもまあいいじゃないか。面白いんだから。既に一日何万もアクセスがあるようなのに、うちみたいな零細サイトのリンク集に登録していかれる、その謙虚さも好ましい。
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2001/11/24 |
お通夜・火葬・葬儀という、順番ちょっと違うんじゃないの?と思わないでもない儀式も無事終わり、二日酔いは多少のこりつつも無事帰還。親族とはいえ、こちらは単なる闖入者なので、周りと話するにもこういう行事の地域的違いなどについての民俗学的な雑談ぐらいしかなく、また田舎にはそういう話題が三度の飯よりも好きという好事家には事欠かないので、あたかも柳田対折原対南方代理バトルロイヤル討論会のごとき様相のお弔いとなって、まあ退屈だけはしないですんで大助かり。
こういう行事を何回かやって、あとは自分の番を待つだけのところにもう来ているんだな、盛者必滅会者常離 、諸行無常であることよ。
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2001/11/20 |
連れ合いの母親が短い入院生活の後死亡し、急遽弔いに行くことになる。都心から車で6時間、渋滞すれば8時間という場所なので、片手間、というわけにはいかない。
義母は痴呆症状が出かけていて、ここで長患いせずに、程々の覚悟だけは周囲に与えた上で死ぬというのは本当にいい最期だったと思うのと、何よりも忌引きで堂々と休めることがありがたい、という風に感じるのだけれど、これはかなり歪んだ感性なのかと思いつつ、更新は三日ほどお休み。
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2001/11/19 |
所用のため、鎌倉方面に車で出かける羽目になる。まるで追いはぎのように次々とあらわれる料金所に金を巻き上げられ、目的の街周辺のあまりに狭く、勾配段差が並ではない道路状況にあきれはてつつ、疲労困憊で帰宅。中世の旅を堪能した気分。
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2001/11/18 |
【ビンカン関係妄想】
ごみ分別収集のルールがあまりに複雑なため、混乱から一時的妄想状態に至ること、およびその状態の事。
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2001/11/17 |
Jリーグ、アントラーズ対ヴェルディ戦。勝負の行方はともかく、Jリーグの牽引車となってもよかったはずのヴェルディがあまりに尾羽打ち枯らしているのが惨めである。サポーターもまるっきりおらんのですよ、都心からそう遠くもないスタジアムで。オーナーに恵まれないというのは、ここまで辛い事なんですな。ここはひとつ、マイクロソフトあたりに身売りするのが、体質的に似合っているような気が。
これはヴェルディだけのことではなく、大相撲だってちょっと前までの二子山部屋偏重路線が現在の凋落を招いたのは誰が見たって明らかで、おそらくこれが回復する事はもうあるまいと思われる。
もちろん日本野球もそのうち同じ運命になるのは明白で、今までのヤラセ的ヒーロー作りではどうにもならないことは関係者一同みんな気付いているんだろうけれど、今後どうしたらいいかなんて、わかりませんわなぁ。いいプレーを見せるしかない、というのははっきりしているわけだけど。
スポーツ関連の質問されて、巨人ベルディ二子山勢さえ負ければいい気分です、と答えてればすむ時代でなくなってしまったな、ほんとに。
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2001/11/16 |
昨日の記事で書いた。いがらしみきおの「SINK」がなんで印象的だったか、という話を「業界雑感」のほうにアップする。ある症例で、そのマンガにでてきたような奇妙なオブジェが問題となった、というわけ。
なんか、昔話しか書けなくなってるな。
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2001/11/15 |
ほとんど利用されないのが残念な自己登録リンク集に、新規で3件ほど続けて登録されていたので、気になって見に行ったら、同じ人がやっているリンク集だった。それもちゃんと見識あるコメントがついていて、なかなか面白いものだった。
そこで、かの「いがらしみきお」のオンライン作品を見つけたのだが、これが驚天動地モノである。彼は「かかってきなさい!」などの一種突き抜けたギャグ漫画で、70年代末に一世を風靡した人だが、80年中期、不可解な沈黙の末、「ぼのぼの」でさらに衝撃的なカムバックを果たす。それは何が面白いのかわからないが面白い、というしかない面白さだった。西丸四方氏なら、仏教的悟りに通じる人格水準低下と評しそうである。これは児童書としても当たったようだが、最近はその新作も見ることはなくなり(そんなに漫画誌をチェックしているわけではないが)、大儲けして悠悠自適生活に入ったのか、と思っていた。
それがちょっと前にどこかの青年漫画誌で、妙にセンスのずれたギャグ漫画が載っているのに気付き、その作者が誰あろう「いがらしみきお」であるのを発見して驚愕した。昔の彼のギャグ漫画にあった、起承転結という約束事などまるで無視した文法が部分的に使われているのだが、無意味に重苦しく狭隘な常識にいちいちつき合わせる形でその無秩序が展開されるので、読んでいるほうは、まるでこまわり君が長谷川伸の芝居で走り回っているのを見るような違和感にとらわれた。その違和感を感じたのは私だけではないようで、すぐにその連載は打ち切られていた。
晩年のムンクは、若い頃の自我崩壊の危機に迫られていた頃書いた名作を、ただつたなく模写するしかなかった、なんて話を思い出してしまったのだけれど、今度の作品集をみると、そう言うのとも違う展開を見せているようだ。昔のギャグとも、「ぼのぼの」とも似ていない、決して上手とは言えないタッチで展開される、この作品の不気味さはただ事ではない。不気味にして不快、不快にして興味尽きない怪作品である。一覧する価値は十分あると思う。なんせタダだし。
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2001/11/14 |
昨日の話の続きではないが、個人的にこの数年は大インケツで、いい加減陽の極に運気が振れてもいいのではないかと思うのだが、ダメな時はとことんダメなのが人生の定めであるようだ。私自身のことではないにせよ、またもやそうしたインケツ状況が周囲に降り注ぎつつあり、ここはかなりの覚悟がいる事態になりそう。
更新記事の方もインケツは免れえず、頭の中でだけ三つほど完成しているのに、それが文章にならんのですな。およその内容を書くので、どなたかこれに沿って書いてもらえませんかしら。
まず、都市伝説といえば必ず例に出される「電子レンジの中のペット」を典型にする、「バカバカしい訴訟」の話題。おのれの愚かさを差し置いて、他人とか企業を攻撃する態度のくだらなさを指摘し、そういった訴訟は作り事だった事を示した上で、カナダであった「コーラ自動販売機下敷き死事件」(大学生が自動販売機をひっくり返してコーラを盗もうとし、下敷きになって死んだ事件)をつたえ、死んだ学生の両親がやっている告発サイト(死んだ学生の両親は、息子が死んだのはコーラ会社が販売機を安全に設置しなかったからだ、と実際に訴訟を起こした)を紹介するという趣向。人間は恥じらいと正義感のどちらを優先すべきか、という問題提起になるのではないか、と思うんですけどね。
次はテロ報復に集団ヒステリー状態になっているアメリカで、なお反戦運動に取り組もうとする人々に、薄っぺらい正義感で難癖をつけようとするつまらんチェーンメールの紹介と、その解説。
その次は医療分野で、医療業界が錦の御旗にする「早期発見・早期治療」という言葉のデタラメさに対する批判。
どれも程々にまとまるとは思うのだけれど、書き上げるエネルギーがちょっと出てこない。
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2001/11/13 |
昨日書いた文のなかで、「インケツ」という言葉を無意識に使ったら、意味がわからないという問い合わせがあった。かの「広辞苑」などにはのっていないが、関西では若い人でも結構使う言葉である。
オイチョカブで最弱の「1」をこう呼ぶので、ヤーサン言葉だと思われているが、これはもともと漢方医学の言葉で、漢字で書けば「陰厥」である。エネルギーが絶え、陰気の極にいる状態をいう。転じてツキがないとか、弱り目にたたり目でさえない状態、もしくはそういう人自体をさして使われる。
用例:「景気がクソ悪いのに、またインケツがきよった。寄るな寄るな、インケツがうつるわい」
「インケツ」をGoogleで検索すると、上位にくるのはなぜか阪神タイガースにかんするページが圧倒的に多いが、たしかにその語感はあの球団にふさわしい。巨人の清原選手も口癖みたいなのだが、なんで阪神にいかなんだのかねぇ。
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2001/11/12 |
「タイタス」(1999年米映画。監督:ジュリー・ティモア)
11日夜、WOWWOWでの放映である。冒頭、こまっしゃくれたガキが、台所で人形使って戦争ごっこしていたら、突然ローマのコロッセオに連れて行かれ、そこでゴート族との闘いに勝利したタイタス将軍の凱旋に出くわすという、ようわからんシーンから映画は始まる。
タイタスはゴート族の女王と、その三人息子を捕虜にしてきたのだが、タイタス自身21人もの息子を闘いで失っていて、彼らの鎮魂のため、女王の懇願にも耳を貸さず、その長男を処刑する。おりしもローマは皇帝崩御直後で、先帝の息子二人が後継争いの真っ最中。元老院と護民官たちは、タイタスを次の皇帝にと決めるのだが、彼はそれを固辞し、どう見てもオタクパープリンの長男、サターナイナスを皇帝にと推す。
それがケチのつき始め。就任そうそうバカ殿ぶり全開のサターナイナスと、その皇妃となってタイタス一族に復讐をはかるゴートの女王の策略で、自分の息子を殺す羽目になるわ、娘も手首と舌をちょんぎられてレイプされるわ、残った息子も長男を残して死刑になってしまうわの、どインケツ。悲しみのあまり狂気に陥ったかと見えるタイタスだが、これが策略で、バカ殿とそれをたらしこんだ元ゴートの女王とその二人の息子に、残酷な復讐を目論んでいたのだった、という話。
セットは使わず、ローマ時代の遺跡に現代建築(といっても第二次大戦前の未来派だけど)なんかをそのまま背景に使い、衣装もほとんど現代風、バイクにスポーツカー、戦車にシャンペン、ショットガンに拳銃が出てきたりする。でも元の話はかのシェイクスピアの戯曲で、それもほぼ忠実になぞっているようで、対話している人物が急にカメラ目線になって独白したりする、古典的な舞台劇のつくりである。運命の糸に操られて、無慈悲な残酷さに落ち込む悲劇を描いた、シェイクスピア劇そのものが味わえればいいので、映像はまあ付け足しのギミックだと思っておけば、金払って見てもそう腹は立たない部類の映画だったに違いない。でも商業的には絶対当たらなかったと思うな。もちろん、WOWWOWなら、マラソンで疲れて何もする気のない夕べを心地よく過ごさせてくれた名品といえる。
それと、女王の息子たちを殺してミートパイに料理し、女王に食わしてやろうとする時のタイタスの口元、そのワンカットのためにアンソニー・ホプキンスを選んだのだろうが、映画というのはちょっとした思い付きが山ほどの無駄金消費につながるものなのだな、というのが一番の感想。
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2001/11/11 |
思い出したように昼休みにジョギングをするグループで、本日は近くのハーフマラソン大会に出場。ハーフなどちょろいもの、と思っていたら、自堕落生活ですっかり身体がなまっていて、フルマラソンの後半だけを走った気分。それも走る、などというようなものではなく、最後のほうは武道館に向かう研ナオコにも抜かれそうなペース。
ゴール後は消費カロリーの倍以上を、昼間からアルコールと主に流しいれる。それもいかんが、ランニング自体、健康志向というよりは、肉体ポトラッチといったほうが正しそう。これでまた寿命を三ヶ月は縮めたなぁ。
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2001/11/10 |
夕飯後からダラダラとNHK特別ドラマ、「聖徳太子」をみてしまう。大和盆地から、半径20kmぐらいの範囲で繰り広げられる権力闘争物語で、明日香村商工会議所の内紛レベルなのに、大規模な軍隊を動かす事になるのが不思議。あの軍事費をまかなう生産力が、当時あったとは思えん。それ以上に、人口が足らんような気がするが。
まるっきりリアリティがない話を見ていると、そもそも聖徳太子なんて人物はいなかったのだろうな、と確信を深める。古代国家の近代化(妙ないい方だが、律令化というのは当時の近代化ですわな)を成し遂げた蘇我氏から、汚い手段で権力を簒奪した藤原氏によって、自己正当化のために創作された人物なのだろう。馬屋で生まれて、権力の暴走を身をもって止めた、なんて設定はイエス・キリストからパクったのは明白だ。
何より当時の豪族たちは皆外国人だったはずで、ドラマでもとってつけたように、登場人物はみな韓国語のバイリンガルと言う事になってるのだが、その辺が単に「流行」として誤魔化されているのが残念。思いきった解釈でやったら面白いのに。
せめて物部氏は河内弁、蘇我氏や太子は大和弁でしゃべる、というぐらいの遊びがほしかった。今田耕司の小野妹子は当然近江弁。
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2001/11/09 |
職場のイントラネットが予想以上に利用されていて、普段まず読まれずにゴミになっていくだけの回覧物とか、掲示文書などがほとんどネットに置き換えられつつある。しかしそれらが思いつきでトップに貼り付けられていくので、どこに何があるか収拾がつかなくなってきており、検索CGIを入れることにした。内部ネットは外からはつながらないようになっているので、Googleなどを利用することが出来ない。
Namazuという有名ソフトをダウンロードしてみるが、やたらにファイルがあってどこをどうしていいやらわからず、当面小ぶりなフリーソフトを使うことにする。自分のWINマシンで動作確認して、LinuxサーバにSamba経由で送ったのだが、さっぱり動いてくれない。何度も同じようなことばっかりしているので、パーミッションやらPerlのディレクトリィを間違うようなチョンボもしていない。訳の分からないトラブルにハマってしまうと、ホント当惑するしかない。
これは諸賢にはお判りのように、WINとLinuxの改行コードの違いによるもので、直接Sambaなんかでファイルを移動したから、FTP転送の時のように修正されなかったのだ。もちろん自分で気づいたわけではなく、ネットでFAQを調べまくったのである。何とか動き出して万々歳。
お前はいったい本来の仕事をしているのか、と言われそうだが、これは外来の合間にやったのだから、まあよしと言えるのではないか。つまり全然患者が来ない、ということでもあるのだけれども。某国国軍のごとく、もっぱら後方支援に徹しますので、経営陣に置かれましては充分考慮の程を。
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2001/11/08 |
ミシガン州の高校で、ハロウィン仮装コンテストに女性器を模した扮装で優勝した高校生が停学を喰らった、というニュースがあったけれども、肝腎の画像がついていないので探してみたところ、こういうものであったことが判明。もう一つ不鮮明でゴメン。
とっとこハム太郎だ、といっても通るぞ、これでは。
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2001/11/07 |
アルコール中毒の診断基準となる徴候のひとつに、「禁酒する」というのがある、というと驚かれるかたもいるだろうが、事実である。もしかしたらどこかでもう書いていたかもしれないが。並みの酒飲みでも、二日酔いの時や、酔っ払って手ひどい失態をしでかした後など、もう酒は飲むまいと決心したことは、一度や二度ではないはずだ。その決心は必ずや空振りになるわけなのだけれど。
アル中レベルに達すると、節酒はもはや不可能になる。飲み出したらつぶれるまで飲んでしまうので、それに対抗する手段は、ぴったりと酒を断つしかない。大酒家によく週に二日は休肝日をつくれ、などと指導されるがほとんど意味はない。アル中街道を驀進している人の場合、休肝日は作れても、その翌日はいつも以上の泥酔を加速するだけで、そのくせ周囲には「休肝日を作っている」という言い訳ができるので、チャンとした自己管理を遠のけるだけの事になりがちだ。
いったんアル中レベルになると、禁酒を守って普通の生活が営めるようになっても、酒を飲み出せば同じことになる。たとえ十年、二十年と断酒していてもそうなのだから、驚くべきことである。なんでそうなのか、というのは心理レベルではうまく説明できず、アルコール代謝の際に一種のモルヒネ様物質が出来て脳のレセプターを食い荒らすというような説が立てられていて、なんとなく体験的にも納得できる。二日酔いの覚めぎわ、ある種の快感が確かにありますものな。
というわけで、「ペのペの日記」の月川先生、そう多量ともいえぬ飲酒報告を読んでもそう心配しないのですけれど、時々書かれる禁酒の誓いをみると、そのたびに深く憂慮するのであります。
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2001/11/06 |
【精神力動】 psychodynamics(e), Psychodynamik(d), psychodynamique(f).
日本プロレス界にいまなお残る、力道山の精神のこと。
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2001/11/05 |
七重八重 階かさねども RCの 根太ひとつだに なきぞ悲しき
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2001/11/04 |
G・mM/R^2の 秋の暮れ
(意)引力が質量の積に比例し、距離の自乗に反比例するように、目先ばかりの関心にとらわれているうちに、もう秋も深まっているのだなぁ。それにしても、古典的関心の持ち方であるものだ。
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2001/11/03 |
同業者の有名サイトで、出身大学の先代教授の自伝本が評されていたのでそれについて書いていたら長くなり、「雑感」に移動する。まえにこの方についてちらりと書いたことがあったので、それをもっと詳しく書いたつもり。
ひと言でいえば、この人は精神医学では数少ない、理屈のための理屈を並べない人だった。退職後とはいえ、その影響がまだ強いところで初期研修できたのはまことに幸運だったと思っているが、書いた文章を読み直すと、妙に批判がましくなっているのに驚く。あの人にこれだけきつい事をいうなら、ほとんどの学者先生にはボロクソの罵詈雑言を浴びせるしかないわけで、これはあの先生ならこのぐらいの言い方、笑って認めてくれるに違いないと言う甘えがあるからなのだろう。
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2001/11/02 |
裁判所からだいぶ前に依頼があった民事用の精神鑑定書提出を伸ばし伸ばしにしてきたが、ついに締め切り数日前になってしまい、しかたなく断片的メモをかき集めて半日がかりで大作文。民事事件に関する簡単な鑑定書なので、そう大層なものは書かなくてもいいのだが、生活歴とか具体的な事実関係などで、直接の鑑定事項にはなんらかかわらないことではあるのだが、ちょっとあいまいなことが山ほどあって、それらを稚拙な法律用語風レトリックで誤魔化していたらえらく大部なものになってしまった。
さて返送しようと、依頼書の入った封筒を引っ掻き回していたら、なんと鑑定料請求書なるものが入っている。しかも結構な額の報酬が記されているではないか。なんだ、お金貰えるならもっと早く書いていたのに。しかし今まで何回かやったのに、自分の懐に入ったことはなかったな。くそ、病院が間に入ってかすめてやがったか、と気づいても後の祭りである。今度の病院は、事務方があんまり書類作成に協力してくれない代わりに、適当に内職してよし、というポリシーらしい。
半日呻吟したかいがあったワイ、とホクホクである。ここの更新でも同じことがあったら、とってもうれしいだろうにね。
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2001/11/01 |
「ハサミ男」(殊能将之:講談社ノベルス)
先月中途半端に、この著者の「美濃牛」と「黒い仏」について茶々を入れたのを知人が読んだらしく、これを読まずに殊能将之を語るのは言語道断と、この本をわざわざ持ってきてくれた。タダで貰えるものならなんでも受け入れる私なので、早速読んでみる。
今まで2件の少女連続殺人事件を起こしている、シリアルキラー「ハサミ男(そうマスコミは呼ぶ)」の視点から書かれた物語である。被害者の喉に深々とハサミを突き刺す手口からそう呼ばれるこの殺人者は、あらたな被害者に目をつけてその身辺調査をしているのだが、その少女が自分の手口と全く同じやり方で殺されているのを発見する羽目になる。
倒叙ものかと思えば、事件が起こってからは殺人者による真犯人の追求という展開になり、警察小説の要素も加わり、最後はかなり外連味あふれる叙述トリックであることが判明する(この程度はネタバレとはいえないよね?)という、なかなか凝ったつくりである。
不思議なのは、この「ハサミ男」、強迫的なまでに自殺企図を繰り返す人間でもあるのだが、新しい殺人を行おうと下調べしていて、そのためにわざわざバイトを休む許可までもらっていて、急に自殺しようと行動を起こしたりする。やけくそでその場限りの荒れた生活を送っている人間ではないのだ。それなりの目的をもったまとまりある行動をしている人間が、その文脈の完結なり、途中放棄の理由もなく突発的行為を起こす、その不自然さがあまりに目に触る。おかしな奴はどれだけおかしな事をしてもいい、というのはちょっと困った前提である。目的を達した後、驚天動地のやり方で自死を図るための手段を集めて、予行演習している、というような記述だったらもっと収まりがいいのに。
話の中には、物語の進行とはあまり関係なく、音楽とか、ミステリィ関連の蘊蓄がちりばめられているが、その中でもひときわ浮いているジェイムズ・ティプトリー・ジュニアに関しての記述が気になり、もう一点、殺鼠剤服用の翌日の体験記述から、ある「伏線」をかんぐっていたら、最後は果たしてそのとおりであった。もちろん作者はそれ以上に韜晦の罠をめぐらせていて、そう一筋縄では全容は掴めないのだけれど。
たしかに面白いのだけれど、「アクロイド殺人事件」であれ、「ロートレック荘殺人事件」であれ、叙述トリックというものはフェアでないと思っている私にすれば、作者の情報管理で謎を無理やり作り出しているだけ、という評価以上にはならないな、やっぱり。
それと、これを言っても仕方がないのかもしれないが、主人公の「解離性人格障害」がおよそありえない内容であるのが、私の立場からすれば困ってしまうしかないのだ。この作者の才気水準なら、狂気は多彩な意匠で存在しえる、という陳腐な思い込みは、捨て去った上で人格像を作り上げていただきたいものだな、と思う。
他の作品のことを考えてみれば、この作者は、ミステリィの枠組みなんてものにはまるっきりこだわっておらず、文章の上で不可思議な謎を作り出すためならば、SFであろうがホラーファンタジーであろうが、純文観念小説系の手法であろうが使うのだから、上に書いた疑問など、見当外れと言うべきかも知れない。
作り事じゃないか、と小説に難癖つけているのと同じかも。でも、その作り事には一応の約束事があるから楽しめる、と言うのもまた事実だと思うけれど。