« 私学の雌というのはあるのか | メイン | 元勲発見 »
関西出身だが、千葉茨城方面を生活圏にしているという共通点があるらしいということで、しばしば読みにいくこちらのサイトで、こんな文章が公開されていた。この近くに生活基盤がある身としては、なかなか興味深い一文であったのはいいとして、やはり「水海道」を「みつかいどう」と読ませるのは、部外者には無理があるというのが正直な感想。いえ、別に大西氏がそう決めたわけではないですが。
道路標示に「水海道」とあるのを見て、私は長いこと「すいかいどう」と読んでいて、耳から聞く「みつかいどう」には「三街道」という漢字を勝手に当てていた。千葉県には「四街道(よつかいどう)」という街があり、その連続で「一街道」「ニ街道」と言うような、シリーズ町村名が関東平野にはあるのだろうと類推していたのである。だから「みつかいどう」という地名を、「水海道」と書くのを知った時はかなり驚いた記憶がある。
名前はいいとして、最近このあたりを車で移動しなければならないことが多くなった。そして、このあたりの道路というのが、実に奇々怪々なのである。私が育った京都近郊は、律令制度による条里制のあとが残っていて、かなりの田舎にいっても、小道に至るまでまず道路は碁盤の目になっている。山とか、大きな河川とか、近代になって作られた鉄道や国道などが例外を作るだけといっていい。
そしてこのことは方向感覚ということについて、きわめて強い思い込みをそこで育つ幼い心に残すことになるのである。つまり、目的地の大体の方向がわかっていれば、絶対にそこに行き着けるという確信と言うか、安心感がバックグラウンドに染み付いてしまうのである。一本や二本道を間違えても、そこから直角に曲がって移動すればリカバリ可能だという思い込みは、いまだに私の基本的移動ポリシーである。
ところがこれが関東平野では通用しないのだ。中世以降に、もっぱら軍事と生活の論理だけからつくられた道路網は、集落から四方八方に放射状に延びるのを基本としていて、道を一本間違えたら、直角に曲がっても修正できないのである。これはたとえばこことここの地図をくらべていただければわかるだろう。古代の理念優先の道路網と、中世的軍事生活道路の違いが納得できるはずだ。
私のように、新しい環境に慣れる努力をとっくに放棄してしまって、自分の方向感覚と相容れないほうがおかしいと、養老孟司氏のいう「バカの壁」に自分を塗りこめている人間には、これはもはや修正不能である。だから何だというわけではないのだが、そのエトランゼ感覚を小粋な文章にまとめる大西氏の余裕に、ちょっと感心してしまうのだ。
投稿者 webmaster : 2003年06月21日 09:01