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自転車ロードレースのことをかくと、「そんなもの、誰も興味なんかないぞ」という指摘が必ずされるわけで、それは例えばいままで普通の日常的記事が続いていたところに、突然インドやパキスタンでポピュラーなスポーツである「カバティ」なんかについて延々と書いてあったりすれば、私だって困るのと同じことだろう。
自転車競技がそこそこ人気があるのは、基本的にヨーロッパ+中米で、日本でも戦前戦後の一時期にはそれなりに人気が合った時期もあるらしいが、まずやったりみたりするのはかなりの少数派といっていい。日本一周をするとかの、いわゆるサイクリストは結構いるし、プロ運動選手として競輪選手がかなりの数いるのに、なぜか大衆スポーツとして自転車競技が根付かなかった日本の現状は、かなり不思議なものなのである。
でもそんなこと言っていても仕方ないので、もっぱら長距離ロードレースに限って、その観戦ポイントみたいな事は書いておいたほうがいいような気がする。あんなもの、誰がはやくゴールするというだけのものだろう、レース展開に一喜一憂するといってもやりようがないぞ、と思う人は多い。アマチュアの競技者にだってそう思う人は多くて、初心者向けのロードレースは、うまくレースとして成立しなかったりするぐらいなのである。
マラソンみたいに、基本的には個人の力だけで全て決まるような競技でも、その報道というか放映には必ず何らかの「物語」が駆使されるわけで、準備段階の克己の物語だけでなく、レース展開の中だって、粘りとがんばりの根性物語としてかならずそのレース展開が解釈され、そういう物語として人は感動し、人気を得るのが普通だ。
自転車競技の場合、勝利に向けた戦略というのが、そういう物語をかえって阻害するほどの比重があるわけ。野球やサッカーみたいに、戦略や戦術がだれにでもそこそこ自明なものなら、それはその采配や選手たちの能力について客観的、かつ無責任な評論が出来るのだが、その辺が自転車競技の場合もうひとつ自明でない。単に前に走るだけの自転車レースに、やたらに戦略や戦術がありすぎるのが、観戦者のイマジネーションをかえって阻害してしまう。
例えばスポーツ紙の競輪欄をみれば、選手たちの人間関係や出身地域などから、展開を予想する記事がいっぱいかいてあるが、そんなものでなんでレース展開が決まるのかはまず説明されていない。かなり濃いマニアだけのものになっている競輪という特殊短距離自転車レースでは、それらは説明するまでもなく、すでに自明のことになっていて、体得されるしかないのである。
石原慎太郎がなんぼがんばろうが、その辺が一般的にならないと、東京ドームで競輪復活しても、ドーム周辺に賭博嗜癖のさえないおっさんたちが集まるだけのことで、多分都の収益にもそれほどならないし、当然治安悪化になるだけのことだというのはまず間違いない。
というわけで、石原慎太郎の応援なんかする気もないが、「自転車競技観戦の基本」というのを書いておく必要があると思うのである。できれば東京都から報酬をもらいたい気分である。もちろん、狙いはTdFのような長距離ステージレースの理解なのだが、競輪理解にも充分適応可能である。
などと書いてきて結構長くなったので、残りは明日。
投稿者 webmaster : 2003年07月10日 23:47