8月8日に書いた「時間旅行者の助け求む」という記事で取り上げた、タイムトラベル志願者について、かなり詳しい記載がこちらでされているので、かいつまんで紹介する。
その記事はまず、今年の夏、デーブ・ヒルという青年が、時間旅行のために必要な機材を求めるスパム・メールを受け取るところからはじまる。そのメールは、「アクメ5X24シリーズ時間変換キャパシタ」や、「AMD次元ワープ発生器」などを求めており、提供者には5000ドル支払うという。デーブは早速フォトショップで作った怪しい機材の写真を掲げたオンラインショップを開き、メールの送り主、ボブ・ホワイトに連絡をとった。そして、古いハードディスクのモーターを「ワープ発生器」と偽って、ボブに送りつけたのである。
数日後、ボブから感謝のこもった受け取り連絡があり、ほかの機材も本気で要求してくるのをみて、デーブはインチキをやめることにした。彼は、あれはジョークで、何かオチがあるに違いないと思っていたのだった。デーブは、メールの送り主、ボブ・ホワイトは病的問題を抱えていると悟った。
このメールを送ったのは、ロバート・トディーノというマサチューセッツ州在住の22歳の青年であることが判明している。彼は2001年暮れから、10億通にのぼる時間旅行技術を求める奇妙なメールを送り続けている。彼は電話取材にこう語っている。「僕の行動を監視している人間たちがどう思おうと関係ないさ。これが唯一の手段なんだからね」
彼の父親は、息子の「心理学的問題」につけこんで、金を騙し取る連中に悩まされている。「息子は莫大な金をつぎ込み、傷つけられ続けてきた」。しかし当のロバートは、自分には精神的問題などなく、彼が求めている時間旅行技術はどこかに必ずあると主張する。「人は僕がいかれているというかもしれないけれど、僕はこれが実際に存在することを知っている。僕をバカにする無知な人々は、僕みたいに情報源に触れていないからね」。
ロバートは以前、「RTマーケッティング」なる会社を設立していて、"DETECTIVE"という怪しげなソフトウェアや、「政府の補助金がすぐに得られる」という事業勧誘のスパムを送ったとして、2001年にマサチューセッツ州当局による、「スパム禁止令」によって摘発された初めての事例で、その際5000ドルの罰金を科せられている。
彼が例の「時間旅行」スパムを送るようになったのは、その直後からであるらしい。「スパム禁止令」適応第一号という有名人なのに、身元を隠す手段はほとんどとっていなかったため、すぐに実名が割れてしまった。彼は「陰謀」によってタイムマシンが手に入らないのだと信じている。「僕を常に監視している連中がいて、誰かが僕に役立つものを送ってくれるのを邪魔しているんだ。でも、銀河の外から必要なものが送られてくるはずだ。求め続ける限り、必ず手に入ると信じているよ」
ウェブ・アーカイブの"DETECTIVE"広告の段階で、すでに思考がかなり弛緩してきているのが目立つが(ほのめかしばっかで、何いってるかサッパリ判らん)、そんな状態で抑制が外れた商売をもくろんで挫折したものだから、一転して被害妄想と誇大妄想の、二項対立的世界に閉ざされることになってしまったんですかなぁ。それでも、ネットという広いのだか狭いのだかわからない舞台とはいえ、積極的に打って出る姿勢を維持しているところに、まだ現実に立ち返る可能性があるといえるかも。
某ニュースサイト経由でのネタ。以前にも、ガセと思える報道していたところではあるのだけれど。
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「プノンペン発。8月29日」
金曜日、ソス・チム(46)とその夫、オウチ・キミャス(52)は農作業を終えて帰宅した。その後、夫は酒を飲んで泥酔し、妻に殴る蹴るの暴行をくわえはじめた。
「妻は怒り、両手で夫の睾丸を全身の力を込めてひっぱったんだな」、南カンボジア、シアヌーク村の警察所長であるソー・ブン・ネウムは語る。「夫は気を失って倒れてしまったんだ」
妻は夫が首に巻いていた、クメール伝統のスカーフをベットにくくりつけた。妻は夫がまた目覚めて、彼女を殴るのではないかと恐れたのだった。
「警察の調査では、夫は首がしまって死んでいた」、そう警察署長は語っている。彼によれば、妻は村長のもとに出頭し、殺人の疑いで逮捕された。
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というのだけれども、睾丸引っ張られたぐらいで気を失うだろうか。よっぽど強く蹴られたりしたら、自律神経反射を起こして、一時的に昏倒することもあるだろうけど。それ以外にも、旦那の名前が"OUCH"だったり、「シアヌーク村」(付記:ホントにあるらしいけど)なんて地名からは、どうもガセのにおいがしてならない。伝統的というけれど、首にスカーフ巻いたりするのは、昔、クメール・ルージュが強制していただけではないのかね。(付記:これもホントに伝統なんだそうで)
少量の麻酔剤吸引による意識消失とか、頭ポカリでコテンと気を失うという類の「伝説」に、新バージョンが登場しただけ、という気もしないでない。
いまの職場には、個人連絡用に構内PHSが導入されている。私みたいに、仕事せずに医局でゴロゴロしていることが多い人間には、電話番させられる機会が減って実にありがたいのだが、その反面、ちゃんと仕事しているときでも、どんどん着信してくるのがわずらわしい。
それも、珍しく身体的処置をしていて、ゴム手袋なんぞはめていたり、面接でかなり微妙なところに差し掛かっているときに限って、やたらにかかってきたりする。面白いもので、まずいタイミングでかけてくる人というのは、大体決まっている傾向がある。これは固定内線電話での呼び出しでも同じ。単に確率の問題とはいえず、ある程度相手の状況を予測して、優先順位を考えた上で連絡手順をとる人と、とにかく自分の用事があるからと、手当たり次第かけてくる人の違いだとおもえる。
それはさておき、会議などの時にもPHSの着信は相次ぎ、そのたびに席をはずすのも面倒で、小声で話するのだが、なかなか通じずにかえって周りに迷惑かけたりする。こういうとき、声帯を使わない無声音で話して、それを有声音に変換するような装置がついていればいいのにとおもう。音声文字変換のように、意味まで限定する必要はないのだから、単純にその人が口に出す音素と、その抑揚バリエーションを登録しておくだけでいい。実に簡単なプログラミングで可能だと思える。
喉頭摘出術を受けた患者さんにも使えるし、かなり有用なデバイスになるのではないだろうか。その程度の思いつき、もうすでに誰かしていて、商品化されているかもしれないが。そうでない場合、実際に自分で作るヒマもスキルもないので、この思い付きの開発と商品化の権利は無償でお讓りいたします。
TVをぼんやり見ていたら、古館伊知朗が爆笑問題と一緒に司会するクイズ番組をやっていて、それがたまたま医療問題を扱っていたのか、そういう専門の番組だったのか、よくわからないのだが、いい医療機関の見分け方というような内容だった。
ちゃんと明細のある領収書を出さないところはインチキをやっている、なんていう素人思い込みをあおるようなことを言っているので、マスコミ式の腐れ正義感だけに依拠して番組作りしているのは明白だ。ちょっと前にインチキな「ニンニク注射」何ぞで、不当な利益を得ている医院の提灯持ちをしてたのは、どこの局だったですかね。
いまだに手作業で経理をして、くわしい明細を出せないような個人医院だってあるはずで、おかしいと思うならくわしく聞けばいいだけのこと。明細を示していたって、インチキしているところはやっていますよ。そもそも、必要ない治療とか検査を、明細の有無で見分けられますか?
最悪だと思ったのが、小児科の診療に関することで、子どもをみるとき、はじめに何をするかでいい医者であるかどうかが判るが、それは何かという問題。この番組作りのレベルでは、子どもにまず声をかける医者がいい医者という答えを正解にするんだろうな、でもそんなの全く間違いだぞ、ちゃんと病歴を取るためには、まず家族からちゃんと話を聞くことを優先するのが正しいんだけどな、と思ってみていたら、果たして「たとえ赤ん坊であっても、子どもに『どうしました?』と聞く医者がいい医者」という、噴飯ものの正解が示される。
馬鹿も休み休みいいなさい。赤ん坊にどうしましたなんて聞いて、何がわかる。そりゃもちろん、ユーザーフレンドリーなポーズを示すために、糞ガキにもいちおうの愛想をこぼしてやりつつ、そいつの言語能力を踏んで、一応の情報をえる姿勢を示し、かつ無用の緊張を取り除くのは大事なこと(もちろん、いい子にしてないとタダでは済まさんぞという、無言の念をタップリ送るわけ)。でも、ちゃんとした言語化情報は、別にきちんと得る必要が優先されるのは自明である。
最近は、満足にしゃべれもしない子どもをつれてきて、「ちゃんと説明しなさい」なんぞと強要する馬鹿親をよく目にするが、こういう下らんマスコミのあおりによって、プロは子どもとでもちゃんとコミュニケーションが取れると誤解しているからかもしれない。当然それは、自分の子どもの病状もちゃんと把握していないというのと、常識的な手当てもしていない無責任さともセットになっている。
自分の子どもに、日常生活での危険を回避させるような最低限の配慮もしないでおいて、それが外傷などを呼び起こせば、たまたま見た医療機関にその責任を押し付けるような親もまた目立つが、そういう恥知らずな態度をあおっているのは、基本的には馬鹿なマスコミだとおもう。行政とか政治の無責任さというのは、いくらでも批判できるが、何よりも無責任なのはマスコミなんだということを、人はもっと知るべきであろう。
ところで、古館さん、自分の意見もなく、台本を面白おかしく読むだけの能力では、久米宏の後釜は無理だと思うよ。
このサイトの管理メールアドレスに、やたらにスパムとウイルスばっかり来るので、さすがにいやになってフォームメールにしたら、だんだんそれらが減ってきた。
ここでその方針を徹底しようと、管理メールアドレスを変更することにしたので、もしいままでのadmin@med-legend.com(あえて全角)を登録しておられる方がいれば、そちらからではメールできなくなるのでご注意の程を。今度のアドレスは出版用の筆名にしている。toshikimi_sakaki@のあとは同じ。
時折来るナイジェリアンスキャムが、自分の個人用アドレスに来るようになり、しかも私の個人名まで使ってそれなりに工夫してくれているので、そちらのほうがよっぽど面白いというのが本当の理由。一部の方には迷惑かけるけれど、その点はよろしく。
先月書いたように、スポーツクラブでのトレーニングに「なんば」を意識的に取り入れるようにしてはや二ヶ月、なんとかそう意識しないで「身体をひねらない走り」が出来るようになって来た。
数年前までは市民マラソン大会とか、素人向けのロードレースとかトライアスロンなんかに参加するようなことが一番の楽しみだったのだけれど、なにせ寄る年波、後のダメージがきつい。しかもつまらん仕事が増えて、昔みたいな馬鹿トレの時間も取れない。目的がなくなって運動量がへるとてきめんに肥満がくるし、不整脈まで出るようになって、ますますトレーニング量が減るという悪循環になってしまう。そこは何か新機軸を考えないといけないだろうと思っていたところに、「なんば」が出てきたわけ。
本の感想でも触れた甲野善紀氏によれば、昔の武芸の達人は想像を絶する秘技を見せたそうだ。そのなかには「走る」ということに専門化した流派もあったようで、そのパフォーマンスというのは現在のマラソン選手など比較にならないものだったらしい。こういうのは敵の刀の上に飛び乗ったりする秘伝の技みたいなもので、講談師の創造だというのはたやすいのだが、甲野氏はそれらは事実だったのだろうという前提で、そういう技を現代によみがえらせる努力をしておられるのである。
一応、それは例えば甲野氏の指導による、巨人の桑田投手のカムバックとか(今年はダメみたいだけど)、受験校の桐朋高校バスケット部が好成績を残すようになるというような「成果」を生んでいるのだという。武術が基本なだけに、瞬発系で相手と技を切り結ぶスポーツが考察対象にならざるを得ないのはしかたないとして、それが持久系のものにも応用できるのではないかと考えたくなるのは、これ人情というものである。
走りといっても、素人のジョギングと陸上選手の長距離ランニングはまるで違うのもので、よっぽどの素質に恵まれた人でない限り、ジョギングをやっててそのまま職業的選手になれる人などいるものではない(例外はたまにいる。例えば資生堂の谷川真理さんとか)。あくまで素人として楽しむ範囲にとどまるレベルなのだが、それでも何もトレーニングをしていない人と、そこそこの走りをしている人には画然たる差ができるのである。
実際に自分でやるとそういうのはじつに面白く、例えば10km1時間というようなチンタラペースで走るような一般ジョガーも、理屈でいえば東京の山手線一周に3時間ちょっとしかかからないのだというような事実を発見すると、なんとなく地理感覚まで変わってくるような気までするのである。
だから、そういうささやかな能力が失われるのは実に悲しいことで、簡単にあきらめなどつかないのである。なんとか数年前まで保持していた力を取り戻したくなり、そのためには悪魔に魂売るぐらい平気、という気にもなるほど。まして、古武術である。悪魔なんかより、よっぽど付き合いやすそうではないか。この程度なら、「と」ともいえない。何しろ向こうには実践があるのだから。
というわけで、週に3日はトレッドミルで、周囲のいぶかしげな目に耐えながら「なんば走り」である。意識せずに手の振りを足と一緒に出せる(といって、肩ごと振るわけではないけど)ようになり、重心の置き方もいろいろ試した結果、腰を入れてカカトにおく方がいいという感覚も得られるようになって来た。もっとも、前につんのめるような動きも合理的であるようにも思え(『酔拳』とか、平参平が見せるような動きですな。予想できない動きを生むのは事実だが、素直に前にすすめばいいだけのランニングではどうだろう)、なんともいいがたい。
数年前までのペースをこれで再現できるようになり、持続時間もどんどん延ばせている。1時間ランが平気になったら、また市民マラソン大会に出てみようと思っているが、心臓のほうが持ってくれるかどうか。タンボコール200mg飲みながらマラソンというのもね。それでコロッと行ければ、これ以上の安楽死はないともいえるけれど。
2001年の9/11テロによる、WTC崩落の環境への影響を調べた政府機関によるレポートが、ホワイトハウスの指示で、きわめて楽観的な内容に書き換えられていたことが判った。
8月25日付のMSNBSニュースは、ワシントン発23日のニュースとして、ホワイトハウスは9/11テロの環境汚染を調べた環境保護機関に指示し、WTC崩壊によってでた粉塵は健康に影響がないと宣言させたと報じている。
調査を行った環境保護機関は、事件の一週間後にNYの大気は安全であると宣言していたが、実際は汚染物質の分析はまだ終わっておらず、アスベストなどについては、安全域を大きく越える値が検出されていた。
当時の環境保護機関責任者は、ホワイトハウス主導で、調査結果報告を当り障りのないものに改ざんしたことを認めているが、それは無用なパニックをさけ、国家の安全を維持するためには仕方がないことだったとし、関係機関は当時、考えられる限りのベストを尽くしたと語っている。「データでバベルの塔を作るわけには行かなかった」と。
こういうニュースを聞くと、世の中どこであれ、国の舵取りというのは、目先を誤魔化して問題を先送りするだけというのが本質なので、無責任だとかいい加減だとかの非難をそういうものに向けること自体がすでに間違いなのだと納得させてくれて、むしろほっとするような気になってしまうのが面白い。
かの人気サイト「グレコローマンかたぎ」主催者である、そねさんが、表現者イベント支援会社「鉤屋」を起こしたのはすでに知られるところであろう。私もその趣旨に賛同して、多少でも手助けになろうかと、賛助会員の申し込みをしたが、何故かまだ返事がない。きっと立ち上げ直後で忙しいのでしょうね。
さて、このそねさんによる「鉤屋」の賛助会員のグループは、「火花」と呼ばれるそうだ。活動報告もPDFで配られるらしい。当然、その機関紙の名前も「火花」であろう。実に懐かしい名前である。この機関紙名は、レーニンがドイツ亡命時代に発刊した非合法新聞「イスクラ」によるのは自明である。「イスクラは『火花』を意味し、プーシキンに対するシベリア流刑中のデカブリストの憧憬的な答辞『火花から炎は燃上がる』からとられた」(引用はこちらから)のはよく知られるところ。
そねさんにはぜひ、現代のレーニンとなって活躍してもらいたいものだと思う。3千円なんてセコイこといわず、その十倍ぐらいいつでも出しますからね(でも、そこまでだけど)、存分に暴れまわってください。
なお、レーニンが出典にしたデカブリストたちだけれど、彼らが1825年、先駆的な反乱をおこしながら、うまくいかなかったのは、貴族の御曹司連中ばっかりだったため、みんな「大物ぶる」ので組織が割れたのが原因だといわれる。「デカブリスト」とはよくいったものだ。
(一部にウソがあるのでご注意を)
通っているスポーツクラブで、すごく気になる人がいる。30代半ばの中肉中背の男性で、いつもエアロバイクしか使わないのだが、そのやり方が普通ではない。ものすごい高回転で、15分ほど必死に漕いでは数分死んだように片隅で寝転がっている。そしてまた15分ほどの高回転ペダリングをはじめるのである。それを数回繰り返す。
20年近く素人自転車競技のようなものをやっていた人間としては、すごくそのペダリングポジションなどが気になるのである。自転車のペダリングというのは、人間の下半身の動きを回転運動に効率的に変換する動きであるのだが、その男性は全く効率を無視している。
下肢は基本的に上下運動するだけなので、それを回転運動に変換する場合、上死点と下死点というものが出来る。そこは慣性と、多少の前後運動で通過させる必要がある。普通の自転車では足を引く力は進行には関係ないが、競技の場合は多少は関与する。それでもメインは踏みの力であるわけで、下死点にいく寸前に最大の力が出るようなポジションがもっとも望ましい。そのうえで、足首を前後に運ぶ力を出す余裕も必要だ。
そのためには、サドルに座って、フリーの状態でペダルを踏んで、足を伸ばしきった状態でカカトがペダルに触れるぐらいの位置が最適だ。足首にすこし余裕を持たせ、踏み込んだときに下肢が伸びきらないようにするわけだ。もちろん、サドルの前後位置とかの細かいこともあって、個人個人でかなり調整する必要があるのだけれど。
少なくともその男性は、基本的なペダリングポジションをまったく気にしていないようだ。いつも、一番低いサドル位置のままバイクにまたがり、130回転/分ぐらいで必死に漕ぐのである。あれでは膝関節を痛めるだけではないかと、その人がトレーニングを始めるたびに気になってしまう。
よっぽど、「それでは膝関節を痛めますよ」と言おうかと思うが、余計なお世話だといわれそうなその集中ぶりが怖い。その上、今日こっそりその人のトレーニングぶりを後ろから見ていたら、ペダリングの基本である内転筋をつかってしぼるような動きもせずに全くのガニマタ踏みで(あの低いサドル位置ではそれしか仕方ないけど)、それ以上に、全く負荷をかけずにカラ踏みしているのである。
言うならば、大人が子どもの三輪車に乗って、坂道を下るような運動をしているのだ。膝関節と股関節を破壊するためだけに運動しているとしかおもえない。カロリー消費といっても効率悪いし、筋トレにもならないし、健康破壊に役立つだけの「運動」である。
クラブには一応コーチといわれる人間が数人ウロウロしているのだから、少なくとも関節に悪いという程度のアドバイスしてやればいいのにとは思うが、誰も知らぬ振り。もしかしたら、すでにアドバイスしたが、ちょっと困った人だったので無視することにしたというような事情があるのかもしれないけれど。
なんてことを考えながら、自分はチンタラとマイペースで運動をしているわけだが、私の場合はトレッドミルでずっと「なんば走り」を追求していたりする。同側の手と足を同時に前に出す動きが、やっと自然に出来るようになったばっかりなので、これに「あんた、手足が一緒に出ていますよ」なんていわれたら、きっとかなり気分をこわすだろうなと考えて、あのエアロバイク青年もきっとそれなりの信念があるのだろうと思うのであった。でも、絶対単なる無知だけだというのには自信があるけど。
21日のBBCニュースによれば、スウェーデンの湖の底に住む、ナメクジみたいな虫が、人類と共通の遺伝子をもつことが判明したという。
ラテン語でキセノツルベラ、奇妙な平虫という意味を持つこの生物は、発見当時はムール貝とかカキの先祖と考えられていたが、その後の研究によって、人類とDNAを共有することが明らかになった。記事にはいろいろ書いてあるが、簡単にまとめると、この生物は「新口動物」に属すると考えられるらしい。これに入るのは棘皮動物(ウニやヒトデなんか)と半索動物、脊索動物だけだったのが、今回、それに新しく加わったというわけ。
参考までに、脊椎動物は脊索動物門の亜門(こういうと、違いの分かる演出家みたいでなんだけど)で、分類学上はかなり狭いところにいる。今回の発見は、そのお隣さんがひとつ増えたという意味を持つ。もちろん、進化の過程ではそういう生物が栄えていたことはあるわけで、あくまで今も生き延びている生物種として発見されたということである。
何はともあれ、脊椎動物という、背に荷を背負う存在形態を選び取った先祖の末裔として、ご本家一族に新しく加わった種に、敬意をあらわすのが礼儀というものであろう。写真をみると、受精したばかりのヒトの胚に見えなくもない。個体発生は系統発生を繰り返すとは、よくいったものだ。正しいわけではないけれど。
こちらの記事も参考になる。
NHK・民放を問わず、健康をテーマにしてクイズ仕立てで解説するような番組がいっぱいあり、私なんかはどれがどれなのかほとんど区別がつかないのだが、少なくとも今日やっていた、「爆笑問題」が司会をしていた番組でのこと。
なんでも、「太る汗、やせる汗」というものがあるのだそうで、体温調節機能と密接に結びついた発汗が出来る汗腺と、反応性が鈍っている汗腺があるのだそうである。反応性が鈍った汗腺は、最終的にはオーバーフローみたいな形で汗がほとばしるので、鉄やマグネシウムが失われ、それが原因で貧血や赤血球変形能がそこなわれ、最後は基礎代謝が落ちるのだというかなり苦しい論理。たかが発汗で失われる量が、そんなにストレートに基礎代謝低下につながるのかかなり疑問がある。それでも、「風が吹いたら…」の類ではあれ、一応の理屈にはなってますがね。
最後のほうは、なんだかよくわからなくなり、歳をくったら発汗能力が落ちるので、それを取り戻そうというような話。大豆レシチンをとったらどうのこうの、といっていたけれど、発汗が多いと必要なミネラルも失われるのではなかったっけ。不必要な老廃物だけでるような、都合のいい発汗能力がうまく得られるものかしら。
そのあたりはまあご愛嬌なんだけど、一番気になったのが、コメンテーターの一人に「パシフィック・ウェスタン大学医学部教授」なる人物が登場したこと。その大学というのは、例えば「火星の土地権利書」みたいな、いうなら一種の冗談商品を売る企業で、ジイ様の還暦記念に孫が金を出し合って「博士号」をプレゼントするような使われ方をするところではなかったっけ。
もちろん、功なり名遂げて、一代で財を築いたのはいいが、イマイチ押し出しに不足があるなんてコンプレックスがある人にもよく利用されるし、怪しげな健康本などの著者にはこういう類の「大学」や「大学院」をでたとする人がいっぱい見つかる。
何しろ、その大学自体が「全ての学位は、学生がすでに学んだことに対して授与される。もし学生が有能で、顕著に資格があるのなら、大学は相応の学位を授与する」とパンフでうたっているのである。これこれの業績に関して、学位をくれ」と要求すればもらえるということだ。もちろん結構な料金は必要だろうけど。当然、講義も研究もないから教授なんかいないはずだ。それなのに教授を自称する人がいるのはまことに奇妙なことである。
私はTVに出てきて「学説」を述べるなら、医師免許や医学博士号がないといけないといっているのではなく、客観的にも正当性を主張できる信念があるなら何でもいえばいいと思うし、それで何らかの「治療」を人におこなうのも自由にするべきだと思っている。でも、いかにも既存の権威であるかのごときポーズをとって、人をだまくらかすのは明らかに詐欺である。
TV番組制作するほうも、もうちょっと批判精神をもって、詐欺の片棒担ぎをする愚は避けるべきだろう。それがかなわぬなら、せめて30分でいいからグーグル検索の画面に向き合ってほしいものだ。
怪しげな団体に抗議されても困るので、リンクはなし。タイトル大学名で検索すれば、いっぱい面白いサイトが見つかります。
かの新進ミステリ作家、殊能将之の新作、講談社ミステリーランドなる叢書の第一回配本分である。
250ページほどの掌本で、しかも大きな活字に漢字総ルビ振りという、少年文学風というか、ある種絵本のような仕立てなので、読むのには2時間とかからない。10代初めの少年が、心的外傷をもって引きこもる友人とかかわるなかで経験する、ささやかな冒険譚である。少年の視点そのものから、自分の世界以外への怖れと興味を、うまく物語にしている佳作だと思う。昔の(可能性があったころの)丸山健二をちょっと思い出したりして。
最近の戦隊ものTV番組を、古典に先祖がえりさせたようなドラマを、うまく(という程でもないか)筋だてに生かしているところが面白い。作者からの、昨今のTVドラマ作り批判というべきか、原稿料稼ぎ書き伸ばし作戦といおうか。
主人公の少年の主観的冒険と、現実におこる事件とが必ずしもうまくかみ合っているわけではないけれど、読後もそこそこの満足が得られる一作。この作者は本来、純文系の人なんでしょうね。これで芥川賞は無理なような気がするが、三島賞なら可能な気が。
ところで、日本代表対ナイジェリア戦をみていたら、この作家が愛する「真矢みき」様がでてきて日本国家を歌っていた。直前に「芥川賞は無理」などといいつつ、これは殊能将之を国民的文豪にする為の謀略がはじまっているのでは、なんて感じてしまたのはちょっと考えすぎか。
さる8月14日(現地時間)、合衆国とカナダの一部で起こった大停電は、幸いなことにそれほどの二次的パニックにもいたらず、めでたく復旧にいたったのはご存知の通り。よその国に大義名分付けて爆弾投げつけゲームしているあいだに、自分のところのインフラが少々立ち遅れてしまったのが、その原因だというのが笑えるところ。もっとも、冷夏がなければ、もっとひどいことになっていたかもしれない国もあるわけで、あまり人のこともいえないのだけれど。
こういう大停電があると、必ずいわれるのが「ベビーブーム」との関連である。これは1965年に起こったNY大停電の翌年8月、ニューヨーク・タイムズが「ニューヨークでは時ならぬベビー・ブームが巻き起こっている」と報道したのが、はっきりとした記録では最初とのことだ。77年の停電でも同様の噂(というより、事実そのものとして)があり、かの9/11テロのあとでも、ちょっと雰囲気を変えて主張されている。
1966年8月10日、マーチン・トルチン記者による「停電から9ヵ月後、出生率が上昇」という記事がまず書かれた。ニューヨークのいくつかの病院、地域でいままでの記録以上の新生児が生まれているというのである。「電気がつかないので、人々は結びつきを深めるしかなかったのだろう」という社会学者のコメントがそれに添えられていた。翌日もその補足記事が書かれたが、12日に追加された記事はちょっとニュアンスが変わっていた。
「出生率は次第に正常化」と題されたその記事では、いつにない出産増がみられた病院は一部だけで、大半の病院の出産数は平年並かそれ以下であったとされている。そして、専門家の意見として、「8月はいつも出産数が多くなるもので、停電で出生率が上がったというのは、たんなる偶然に過ぎない」と、二日前の主張を否定するような内容になっているのである。ちょっと考えれば、真っ暗けになって、ほかの子供がおびえてその世話にかかりきりといった場合だってあるはずで、誰もがみなロマンチックな時間をもてるようになるわけではないのである。たまたま起こった偶然の出来事をとりだし、都合のいい理屈付けをするという典型なのだ。
しかし、その実質的訂正記事にもかかわらず、はじめの主張、「大停電で空前のベビーブーム」という記事内容だけは一人歩きすることになった。多くの人がまるで統計的事実であるかのように、大停電のあとにはベビーブームがくるといい、しかもそれを地震や災害、戦乱などに一般化していったのである。それを統計的に検証して否定する公衆衛生学や産婦人科学の論文が68年、70年、71年に出ているが、全く疑われることもなく流通する俗説に対し、あまりに多勢に無勢という印象は否めない。
いまもこれが疑われずに流通しているのは、今度の大停電でもさっそくこういう発言が責任ある立場の人から出ている事を見ても明らかだろう。こわもてジャーナリストらしいこの人なども、77年の停電について、「9ヶ月後にベビーブームが起きた」と主張しているのである。多分確認などしていないのだろう。東電の技術力を疑う前に、自分の取材力を疑ったほうがよさそう。ほかにも株式コメンテーターが、この夏に予想された停電を前にして、マタニティ関連の株を買うようにすすめるものがあったのも苦笑をさそう。株なんてのは結局、流説を根拠にしたバクチなんだから、この程度の胡散臭い事いってりゃいいわけですな。
都市伝説研究の大御所であるJ.H.ブルンヴァンはその著書「赤ちゃん列車が行く」(新宿書房)のなかで、書名となっている「赤ちゃん列車」伝説について触れている。これは著者がいた大学の既婚者寮の近くにある鉄道が、早朝に貨物列車を走らせるので、轟音で中途半端にたたき起こされた若い夫婦たちが、仕方なく子作りに励むことになり、高い出生率を示すという「大学伝説」である。このパターンはあちこちの街にもあり、ある人などは「朝早く仕事に出かけるストーンヘンジの環状列石を作る人々に起こされたケルト人の夫婦」のバージョンまであるのではないかと、予想しているということだ。
この話と、「停電でベビーブーム」が同じ構造を持っていることは明らかだろう。ブルンヴァンの言を借りれば、「ジャーナリストたちは生き生きとした伝説の魅力に抗い切れないことがある」。もちろん、何にあらがい切れないのかといえば、いい加減なヨタをとばす誘惑に対してなのだが。
(こちらが参照記事。NYタイムズの最初の記事から、70年の公衆衛生論文までちゃんと集めてくれている)
こんなことどうでもいいことなんだけど、もうちょっと真面目な大ネタを書こうと思って、それなりの準備もしていたのに、少々下らん事情があって追求できなかったので取り上げたい。
昨日、恵比寿ガーデンプレイスのビアホールで、鯨飲大食大会を展開したのは報告したのだけれど、そこでどうにも許せなかったメニューが一品ある。それは「フィッシュアンドチップス」。
これは英国圏では必ず提供される祝祭的食品で、日本で言えばタコ焼きとか、お好み焼きに類するものであろう。初めて行った外国がニュージーランドだった私など、フィッシュアンドチップスというのは、サメの肉のフライに、揚げジャガイモという偏見があるが、本来は普通の白身魚が使われるのである。
以前書いたことがあるような気がするが、オーストラリアに行ったとき、昼間はこれで節約し、夕方勇んで有名シーフード料理店に行って、「今日の魚料理」を注文したら、何のことはないフィッシュアンドチップススが出てきて真っ白け、なんて経験をしたことがあったんですよね。
なんであれ、「フィッシュアンドチップス」である。恵比寿の店で出てきたのは、よう判らん白身魚のカラ揚げと、どう見てもドンタコスだと思えるお菓子の組み合わせだった。チップというのに、ジャガイモ製品ですらないのだ。よっぽどその場で暴れてやろうかと思ったが、ちょっと思い切りがたりまへんでした。
恵比寿みたいな場所から言えば、バカ系の毛唐が、行きたくもない日本みたいな猿の国に住まわされ、しかたなく現地人に付き合わされることもあるだろうに、あんなインチキ「フィッシュアンドチップス」が、通用しているのが不思議である。
一方で、ドイツ系アイスバイン(要はゆで豚ね)なんかは、妙に本場そのものなんだから、どうも国家的親和性というのがそちらの方向にあるのは仕方ないことなのかもしれない。まあ、食い物で競うなら、多少の問題はありつつ、ドイツ系の圧勝なんだけど。素直に中国系に流れてくれれば、これに勝るメリットはないのですけどね。
一年ほど前に行って、ちょっと気に入った東京都庭園美術館で、マリー・ローランサンの展覧会をやっているというので、霧雨がぱらつくなか出かける。しっとりと濡れた木々に囲まれる庭園美術館=旧朝香宮邸は、その瀟洒さも倍増といった雰囲気である。
実のことをいえば、マリー・ローランサンなんぞはそう好きでもないのだけれど、あの建物とどうマッチングするのだろうという興味が先行したのであった。あの建物のなかに、さりげなくそこと同時代の絵画がいくつか飾られていれば、あそこで生活しているような錯覚でそれらが鑑賞できるのではと思ったわけ。
結論からいえば、美術館のほうはえらく本気で絵を借りまくり、本当に一大回顧展を開いてしまっていて、建物とのマッチングも何も考えてはいなくてゲッソリしてしまったのだった。絵が多すぎて、展示する壁が足りないものだから、窓なんか全部パネルでふさがれて、せっかくの由緒ある各部屋が単なる展示室に成り下がっていたのである。
あんな大規模回顧展なら、もっと大きな会場でやればいいのに。もっとも、そうしていたら見には行かなかったけれど。というわけで、ハイソな気分になりそこね、そのまま恵比寿ガーデンプレイスのビヤホールで、鯨飲大食大会に移行してしまった休日であった。
掲示板でも教えていただいたが、昨日の記事でふれた、元ウガンダ大統領、イディ・アミン氏が16日、入院先の病院で死亡したとのこと。BBCの記事では、78あるいは80才だった、と書かれている。病名は多臓器不全とされており、先月入院したときから昏睡状態であったようだ。そんな状態で腎移植もないだろうから、14日のほうの記事は純粋にウケ狙いということなんでしょうな。尻馬に乗ったのに、ちょっと反省。
アミン元大統領統治時代に起こった血生臭い大虐殺も、彼自身の資質が大きく関与していたのは事実ながら、基本的には国内の部族対立がバックにあったようで、その後も同じような大量虐殺事件があちこちで起こっているところを見ると、彼一人を悪人に仕立てて済ませられる問題ではないようだ。
70年代は、善にせよ悪にせよ、カリスマが必要だった時代だったのだというところですかなぁ。
70年代にウガンダの独裁者として権勢をふるい、40万人以上の人々の虐殺にかかわり、その犠牲者たちの肝臓を食べていたと伝えられるイディ・アミン元大統領が、亡命先のサウジアラビアで、深刻な身体状態に陥っているそうだ。参照記事はこちら。
78歳になる元大統領は、腎不全のために先月サウジの病院に入院しており、血液透析を受けている。彼の息子であるハシム・アミン氏が、BBCの取材に応じ現状を説明した。元大統領は、現在腎移植手術の準備中であり、2例以上の臓器提供の申し出があるものの、組織適合性に問題があって、手術はまだ行われていないとのこと。
家族や元側近は、アミン氏の帰国を要請しているが、現ウガンダ政権は、そうなれば法的訴追の対称にするという姿勢を崩していない。家族はすでに、ウガンダ国内に墓地を確保しているという。
政敵をバンバン殺して、その肝臓を食べては自分のパワーにしていたとされる伝説の独裁者が、手術のために腎臓の提供を懇願しなくてはならなくなるというのも、因果応報では収まらぬ皮肉というべきか。それにしても、78歳では、腎移植はもちろん、透析だって適応にならんのではないか?極悪人だからこそ、何が何でも生かしておかないといけないのかねえ。
一昨日、サイモンとガーファンクルの、ガーファンクルのほうがアイルランド系であると書いたのだけれど、どこかでそう聞いた記憶はあるのだが、どうも自信がなくなってきた。語感的にアイルランド系とは思えないような気もしてきたので、ちょっと調べてみたところ、以下の事が判明。
それによると、Garfunkelの原型は古いドイツ語のKarfunkel で、これの意味はダイヤモンドなんだそうである。ヨーロッパでは、ユダヤ人が、メダル作りとか、宝石加工業を営む伝統があり、そういう人たちはDiamantとかGoldmann、Karfunkel といった姓を名乗ったのだそうだ。ハンガリーのほうには二次大戦以前まで、かなり大きなKarfunkel一族が存在したとのこと。きっとナチスやソ連に散々な目にあって、収容所で死んだり、亡命を強いられるという過酷な運命をたどったんでしょうな。
なお、Karfunkelの一変形にcarbuncleというのがあり、これは赤い宝石という意味に使われたのが、いつのまにか癰(よう)という皮膚の感染症=おできの意味になってしまった。この姓を名乗った一族はちょっとお気の毒。
というわけで、アート・ガーファンクルは東欧系ユダヤ人に出自を持つという結論。いいかげんな事を書いて申し訳ありません、っていいかげんな事書かなければ書くことなんかないんだけど。
使えるようになったMedscapeからの、早速の引用。登録者以外にはリンクしても意味がないので、こちらの記事をリンク。
この8月に発行されたばかりの"Neurology"誌に掲載された論文によれば、パーキンソン病治療に使われるドーパミン受容体刺激薬の一部に、患者に病的賭博行動を引き起こす副作用があるとのこと。この論文では、L-ドーパ製剤にプラミペキソール(日本では未認可)というドーパミン受容体刺激薬を併用した9例のパーキンソン病患者のうち、2例に深刻な病的賭博行動が見られるようになり、それぞれ6万ドル以上の経済的損失を喰らったのだという。
統計的には、普通の人の間で、病的賭博行動が見られる確率は0.05%なのだそうで、ドーパミン受容体刺激薬を投与されている場合、それが1.5%から0.3%という率に高まるとのこと。パーキンソンで思うように身動きできなかった人が、そこそこ動けるようになって、喜び勇んでカジノに出かけただけではないのかな、なんて思ったりするのだが、博打でスったのは薬のせいだなんて訴訟がホントにおこるこの昨今、「学問的」考察はしておかないとまずいらしい。
日本で使えるドーパミン受容体刺激薬はいまの所3種類しかなく、その中では比較的最近出たペルゴシドという薬にだけこの「副作用」が報告されているらしい。一番多いのは日本で認可出願中のプラミペキソールとのこと。論文の著者は、薬の種別というよりは、ドーパミン受容体刺激薬という薬剤クラスの問題だろうと考えているようだ。
田舎の病院にいると、私らも神経内科医の役割をさせられることが多く、パーキンソン病の場合は抑うつとか、せん妄などの精神症状を併発することもまれではないため、結構パーキンソンの症例は見ている(多分普通の神経内科医以上に)のだが、今まで自分の患者で病的賭博に陥ったような例はありませんなぁ。私はL-ドーパの副作用でひどい目にあった人を多く見てきたので、ここでいわれるドーパミン受容体刺激薬をメインに使うことが多いのだけれども。
でも、うまく回復チャンスを失って、大量の抗うつ剤を飲みつつ遷延してしまったうつ病の人なんかで、何も出来ないがパチンコ屋には行く、というようなふてくされ系引っ掛かりケースに遭遇することはよくあり、たぶん多少の関連はあるのでしょうな。抗うつ剤もある意味、ドーパミン作動薬ではあるわけで。
ドストエフスキーが深遠に描いたような破滅的賭博者の行動も、要はドーパミン関連の物質の問題なんだ、といわれているようでもう一つ面白くはないのだが、真面目に観察していかないといけない問題ではありましょう。
またまた職場のDVDライブラリからの借り物。題名からして、ユダヤ人とアイリッシュのしがないフォークデュオが、フロックで人気者になる話に違いなかろうと思ったのだが、ケースの解説を読めば、91年に出たミステリィ、「秘密の友人」の映画化なんだと知ってビックリである。数年前に小説のほうを読んでいたので、それとの比較という、結構楽しい視聴ポイントが得られた意外作といえようか。(参照はこちら)
映画は小説のほうとはかなり設定が違っていて、主人公の精神科医ネイサン(マイケル・ダグラス)はえらく金持ちだし、単なるグッド・パパだけでは収まりそうにない風に見えるナイスミドルである。原作では、全然はやらない零細クリニックをやっている、さえないハゲオヤジだったはずなんだけど。
10年前に銀行を襲って、貸し金庫から1000万ドルもする赤ダイヤ(そんなものあるのか?)を奪ったギャング集団がいて、そいつらが仲間割れして、かんじんのダイヤがどっかに行ってしまうのである。主犯たちは、隠し持つ元メンバーを殺して、もうちょっとでそれを取り戻せるはずがうまくいかず、刑務所に行くことになる。
殺されたほうの男の娘が、どうも赤ダイヤのありかを知っているらしいということだけはわかっているらしいのだが、そのとき8歳だった娘のほうはPTSDになってしまって、精神科の治療施設を転々としているのである。18になったその娘をたまたま預かった精神病院が、ネイサンの元の勤務先で、主治医からネイサンはその娘の診察を依頼されるのである。
ネイサンは正しくも、この娘は精神病を詐病していることを見抜くのだが(そりゃ、どう見たって素人がイメージするキチガイをやってれば、詐病だと思うしかないですわなぁ)、まあ感謝祭の前の日だったので、またゆっくりと見ましょうという話で誤魔化しておくのである。
そうしたら、感謝祭当日の翌日早々、ネイサンの8歳の娘が誘拐され、「娘から6桁の数字を聞き出せば娘を返す」という犯人からの指令が来る。どう見たって、主治医もグルでないとこういうすばやい展開はありえないのだが、ネイサンはなぜか途中まで気付かない。娘が誘拐されて、混乱していればこんなもんですかなぁ。
犯人グループはネイサンのアパート(というにはいささか豪華だけど)から、病院まで、えらくハイテクな監視盗聴網を張り巡らしていて、一挙一動を監視されているので余計な事は出来ないという設定。主治医は愛人の研修医を人質に取られていて、やむなくネイサンを巻き込んだことになっている。理由はただ、ネイサンは腕がいいということだけ。まわりがバカばっかりという可能性は高い。
たまにパニックになるだけで、基本的には正気の娘が相手なので、ネイサンは難なく娘が知っているという秘密に迫るのだが、先ごろ出所したばかりの犯人グループにすれば、その娘が鍵を握っているのはわかるにせよ、ダイヤのありかが6桁の数字にかかっているというようなことを知る理由など全くないのが、この脚本の根本的破綻部分。小説のほうは、この辺に関しては、もう少しちゃんとした筋立てがあったような記憶があるのですけどね。
しかし、原作の小説には、もっとどうにもならぬ破綻があったのですわ。それは秘密を知る娘は分裂病だとされているのに、作者のほうはそれと多重人格障害との区別が全く付いていなかったという点。さすがにあれはまずいということで、映画化の際に、基本的には詐病の神経症圏という設定に変えたのだろう。「ダーティ・ハリー」の2だったか、3だったかみたいに、この辺がデタラメでも映画に出来るというような、ノンキな時代ではなくなっているということですな。
原作ではさえないオヤジが、知能犯で、かつ冷酷な犯人グループと必死になって戦う一生懸命さが、破綻があるなりに好感が持てたのだけど、この映画ではその一生懸命さは主人公の奥さんに移しかえられているような印象である。
91年の原作のときには、アパート各室に、わからぬように監視カメラをおくことなんか出来ないというのが、解決に向けての一つの洞察になっていたのに、この映画では、なんでそんなに準備する余裕があったんだろうと思うほど、徹底的なハイテク監視網が出来ているのが面白い。10年で技術はそこまで進化したんですねぇ。
ところで、この映画の邦題、「サウンド・オブ・サイレンス」ってなんだったんでしょう。じぇんじぇん根拠ないぞ。いずれにせよ、B級ミステリィにおける破綻の質と量の積は、設定を多少変えても保存されるという、擬似的パスカルの法則を発見できたような気がするのがうれしいところ。
ちょっと前に、米国の医学ポータルサイト"Medscape"について書いたことがある。インターネットというものを利用し始めてからずっと、私はこのサイトの熱心な利用者だった。何しろ、自分の専門領域を登録しておけば、ほぼすべての分野を網羅した関連医学雑誌の要約とレビューを探してきてくれるし、ここ独自の解説論文や検索サービスなどがいくらでも、それも無料で利用出来るのである。
日本語論文だけは読めないが、この国ではどうせ2年遅れで向こうの二番煎じが出るぐらいなので、まず関係ない。それに、私がどうしても日本語で本当に読みたいものは、古典的な精神病理学関係の論文なので、これに関しては新しいもので価値があるものが出ることはまずない。もう完全に枯れてしまっているジャンルなもので。
それが一年ちょっと前からおかしなことになって、このサイトが利用できなくなってしまっていた。今はどうか知らないけれど、Medscapeを利用し始めるときには結構苦労したのである。医師免許の写しをアメリカにファックスしたりして、専門家であることを証明したりした。そこまでして登録したのに、某日本企業が自分で中途半端な医学ポータルサイトを立ち上げ、そのサービスの一環にこのMedscapeを組み入れたのである。
今までどおり利用しようとすると、日本からの接続はその何とかという日本のポータルを通せといって、接続拒否されるようになった。しかたなくその医学ポータルに登録しようとすると、お宅の病院に出入りしているMRに利用IDとパスワードをもらえというのである。普段MRさんとは口をきくこともないので、えらく苦労して接続できるようにしたのだが、昔のような利用法は出来なくなってしまった。
以前は個人としてアクセスできていたのが、この日本ポータル経由だと、「日本からのお客様一般」としてみなされるだけとなり、専門領域向けのきめ細かいコンテンツ選択など全くなくなってしまっていたのである。これでは利用価値は半減である。どうせレビューが中心なので、元記事さえ根性入れて検索すればいいのだから、自分の専門も特定できないようなサービス使っても意味がないのに。
2週間ほど前、検索でMedscapeの記事が出てきたので、どうせ日本サイトに飛ばされるんだろうなとアクセスしてみたところ、そうならなくなっていた。トップページもちゃんと表示され、私が昔使っていたIDとパスワードもちゃんと通るのである。どうも例の日本の医学ポータルは、ここに小判鮫するのをあきらめたらしい。確認するためにアクセスするだけで、自分にもアホがうつりそうなので、調べてみる気もしないのだが。
というわけで、ちょっと使い勝手が違うところもあるが、セコイ日本企業の目論見もついえて、昔のように便利なMedscapeの復活である。目先の利益に吊られたのかどうか知らないが、開設直後からのお得意さんに一年以上不便をしいたのはちょっと許せない気もするのだが、またタダで使えるのだから文句なしである。
それにしてもS●NYさん、ちょっとしゃれた先進企業なんてポーズをとっているが、こと専門的ウェブビジネスに関しては、あんたらのセンスも、運営姿勢も最低だ。私にはあんたたちのグループが凋落していくザマが、はっきり予見できましたね。
先月の日記記事を各ジャンルに振り分け。二つの記事を程ほどに取りまとめてひとつにしたり、などということをやっていたりする部分もあるが、基本的にはそのまま。半日つぶした割には、変に記事が重複するだけという感じと言えなくもない。やっぱ、MOVABLE TYPEの機能に任せて置く方がすなおですかなぁ。
ところで、MOVABLE TYPEというのは、「活字」のことなんですね。イモ版とか木版みたいに、一度彫ったら磨り減るまで使うだけというのでなく、一字ずつ組み合わせていろいろな文章に対応する、グーテンベルグが発明したあの活版印刷用の活字。
プログラムを組んだ人には、文章の流通を根本的に改革するというような自負があったんでしょうかね。私みたいに何度も書き換えないと、まともといえるような文に近づかない人間からすれば、どうも軽はずみさがそのまま記録されていくこの型式は、あくまでためし書きにとどめておきたい気分。
7月分の記事を、こちらから各ジャンルに移動させるのを忘れていた。といって、あんまりまとまったことも書いていないので、そんな必要もないような気がする。このCGI自体に、ジャンルわけして保存する機能が付いているわけで(今はOFFにしているけれど)、わざわざ手作業での移動なんかやるのも少々アホらしい。
しかしこんなつたない文章とはいえ(だからこそ、というべきか)、ちょっと寝かせておいてあとから読むと、手を加えたくなってしまうんですな。まして、CGIで「オン書き」(もう死語になってしまっているけど)していると、どうしても熟考しないで書いてしまうもので。もちろん、エディタで書いてアップロードするときはちゃんと書いているのかといわれたら、そう変わりはしないのだけれど。
と言うわけで、日曜日は先月の記事を材料にして、なんとかまとまった文章に仕上げる作業日にすることに。ホントは今日やるつもりだったんだけど、すでにビール漬けなので不可能。
昨年1月ごろから、英語圏にこんなスパムメールがいきかっているという。
「Subject:時間旅行者の助け求む。
Message:もしあなたが時間旅行者、もしくは人類を装ったエイリアン、もしくは時間旅行を可能にする技術をお持ちであれば、どうか助けていただきたい」
(以下要約)送り主いわく、自分の人生は陰謀によって呪われており、このままでは死ぬしかない。いまの記憶を持ったまま、4才のころの自分にもどって、陰謀を回避して人生をやり直したい。物理的に過去に戻るもよし、意識だけを過去に戻す方法でもよし、それを可能にする手段を提供してもらえれば、充分な報酬を払うという。「あなたがこの宇宙を改訂できるような至高の存在なら、どうか返信をお願いしたい」という、悲痛な願いでこのメールは閉じられている。もっとも、「もし、悪い宇宙人だったら返信は結構」なんて追伸があったりするので、ネタなのかなとも思ってしまうのだが。
実際にはネタというには不釣合いなほど大量、無差別なスパムとしてこれはばら撒かれているらしい。Bloggerたちがこのメールに反応し、ジョークで技術提供を申し出ていたりするようだ。単なる病的逸脱行動なのではないかという観測も多い中、このメールの送り主(この人はたくさんの有効無効とりまぜたメールアドレスを名乗るのだが、転送経路の検索などから、米国マサチューセッツ州に居住する人であることがほぼ割り出されているらしい)は、かなりの変化球を投げるようになった。
「もしあなたが2008年、次元D1263GT10、もしくは2432年、次元D2044GT5からの時間旅行者である場合、もしくは腕時計型次元ワープ発生器(シリーズ#52 4350の複製品) の持ち主なら、助けを請いたい。私の人生は邪悪な存在によってめちゃくちゃにされているので、いまの記憶を保ったまま、過去の自分に戻りたい。別のタイプの時間旅行でもかまわない。これはジョークではない。以下にメールをお願いしたい」
今年の7月には、e-Bayのオークションに、このメールの送り主が言うところの#52 4350タイプのマインドワープ発生器と、その付属品なるものが出品されている。
もちろん取引は成立しなかったらしいが、これはかのスパマーによる自作自演だという説と、このスパムをネタにした冗談だという説の両方がささやかれている。あの大量のスパムには、何か別の目的があるに違いないという推測と、単なる頭のネジのゆるんだ人間の愚行に、調子乗りのBloggerがイタズラしかけているだけという見方があるわけだ。
元メールには、かなり定型的な被害妄想を思わせる内容が書かれているところから、私は病的情熱の産物だと思いますがねぇ。その定型的なところがかえって怪しいといえなくもないが。
例によって、職場のDVDコレクターからの借り物。主演のアダム・サンドラーが製作総指揮をこなし、脚本の一部も書いているようだ。監督はスティーブン・ブリル。やはりアダム・サンドラーが主演した、「ウエディング・シンガー」の監督ですな。こちらはTVで見るにはちょうどいいような映画でした。(参考URL)
地獄の魔王の三人息子はそろって出来損ないで、長男と次男は父親の座を奪おうと、地上に出てきて悪さの限りをしまくる。兄たちからいじめられていた末っ子のニッキーに、兄たちを連れ戻すという任務が下される。兄たちが勝手に地上に出たので、地獄にはなぜか新しい魂が補給されなくなってしまい、魔王の身体はどんどん衰弱していくので、この任務はすばやくこなす必要があるのだ。地上のことは何も知らないニッキーが、案内役のしゃべるブルドックと、バカの限りを尽くして兄たちと対決するという話。バカとバカの間には、ちゃんとラブストーリーまで挟んであって、なかなかテンポはいいのである。
ニッキーは兄たちにスコップでぶん殴られて、顔がゆがんでいるという設定で、そうなるぐらいだから上下肢の動きにも、外傷性脳性麻痺様の運動巧緻性障害があることになっているようだ。でも、顔のゆがみ以外は徹底していないのが難点。これはいつぞや見た「スコア」でのエドワード・ノートンのCP演技が素晴らしかったので、お笑いとはいえあのぐらいのレベルはやってほしかったなと思ってしまうのだ。こっちは外傷性なので、ちょっと一般的病像を提示しにくいかもしれないな、などと思ったり。
元ネタがよくわからないようなギャグばっかり満載の映画なので、そんなどうでもいいようなところぐらいしかコメントするところがない、というのが正直な感想。いや、面白いんですよ、確かに。ストーリーは完全に、渋谷天外・藤山寛美の親バカ子バカのリメイクそのものだといってもいいし。これに100億円かけたというのが、ちょっと信じられないけれど。悪魔の話だけに、ちょっとハートウォーミング風にしておいた、計画倒産系のウラ金つくり狙いだったりして。
ぼんやり「トリビアの泉」を見ていたのだが、どんなネタをやっていたか、ほとんど忘れている。これは、あまり新鮮なネタをやっていなかったからだろう。荒俣宏状況になってるわけですな。「オーケストラのシンバル奏者とバイオリン奏者のギャラは同じ」なんて、えらく昔からの使いまわしネタで、「題名のない音楽会」とか、「日本人の質問」あたりだったと思うけれど、何度聞かされたかわからんほど。
「山田隆夫はハリウッドデビューしていた」というのに関連し、彼がオーディションで、スピルバーグに披露したというギャグ、「この寺にはキリストの骨(灰だったか?)がおさめらているんだってね?」「イエス」というのに思いっきり沈み込んでしまう。
そんなのやるんだったら、「大師の杵」のオチをかいつまんでやるほうがよっぽどまし。「お厨子の中は杵だそうですね?」「いや、それは臼だ」ってのは、関西落語ひいきの私も一番好きなオチなんだけどな。山田君、そうしていたら、絶対いまごろスピルバーグ映画の常連だったよ。
夕方ごろから、まさしく表題のごとき雲行きになり、そのまま激しい雷雨となる。私は普段洗車なんかしないので、「車がきれいになっていいな」とのんびり構えていたところ、家に帰る段になると、町のあちこちで増水がおこっていて、道が寸断されているのである。こんな田舎町なのに、なんていう脆弱性なんだとあきれながら迂回路の渋滞にたえる。
それにしても、増水箇所をオマワリさんがぼんやり立って警備してくれるのはいいのだけれど、公衆への情報提供などまったくしてくれないので、街には不穏な空気までが漂うのである。ラジオをいくら聴いても、田舎町のローカルな交通情報までは放送してくれないしね。ちょっと前までは車にアマチュア無線用のトランシーバを積み込んでいたので、こういうときの情報はいち早くキャッチできたのだけれど、携帯電話普及のせいなのか、不特定多数同士の通信ということがあまり出来なくなってきたので、撤去していたのだった。
こういう細かな交通情報を受けて、それを一般向けに送り直すようなことを携帯電話でやるようなサイトでも作れば商売になるかもしれないなと思いつくのだが、今日みたいな日は切実にその必要性を感じても、どこまで需要があるのかちょっと不明。どなたかやってみてはいかがか。要は携帯向けの、地域別交通情報掲示板でいいわけだが。
こちらからのネタ。
以前、「知能と成績、どっちが大事?」という論文を取り上げたのだが、その関連論文といってのいいかもしれない。学生時代の関心というか、専攻が人生にどのような影響を与えるかというのは、英国圏人にとってかなりの関心事項であるようだ。でも、出たばかりなのでまだデータベース化されていないようす。
その論文は、英国王立医学協会雑誌の、本年度最新号に掲載された、"Association between course of study at university and cause-specific mortality "「死因の特異性と大学時代の専攻との関連性についての研究」というもの。
1948年から68年の間に、英国はグラスゴー大学に在学した学生、10000人弱を追跡し、その死因を検討するという内容。卒業生の84%のその後をチェックしている。死亡したのは一割近くの939人であった。専攻学部ごとにその内訳を調べて見ると、医学部の学生だった連中がもっとも死亡率が低く、次に科学、工学系がそれに次ぎ、芸術、法科系はすべての死因について他の同窓生を上回ったという。医学部生は、法科学生の次に喫煙者やアルコール問題を抱えている人間がが多いという結果が出ているのに、この結果がでているので、社会経済的な考察が必要だとされている。
結局、医学や工学系の卒業者は職業上の安定が得られやすいから、ストレスが少なくて長生きできるのだ、という通り一遍の考察になっているのだけれど、少々怪しい。こんな考察は日本のような官僚社会主義国には通じないはずで、英国がそんなに違うとは思えないのだ。ここは一つ、充分な比較研究がなされるべきだとおもいますな。
いずれにせよ、英国の場合、文系と理系という風に分けると、理系の長寿傾向は歴然としているのだそうだ。それはマイペースで超俗的生活が出来るからなのだ、というような説明になっているのがちょっと解せない。もっとも、私なんかの場合、まさにその通りで、ぐずぐず下らんことをいくら経営者たちがいおうと、全部無視してこの歳までやってきたのだけれど。まあ、精神科医が理系かどうかというのは、かなり議論のあるところ。
それにしても英国王立医学協会、こんな論文をDLさせるのに、15ドルも要求するのはちょっと厚かましいぞ。タダでアクサスさせる器量をもたんかい。
今朝の毎日新聞に表題の記事が出ていた。ネット記事でもほぼ同様のものがよめる。今度のイラク派遣は、いままでのPKO活動みたいに、向こうで土木工事やってればすむような任務ではないので、激しいストレス下で心身不調を起こす隊員がでると予想しているようだ。
毎日の記事では、コンバット・ストレス対策は99年ごろにクリントン政権下ではじまったようなことが書いてあるが、米軍がこれを本格的に始めたのは朝鮮戦争のときである。それまではどの国の軍隊でも「戦争ノイローゼ」対策には苦慮しており、後方で症状が緩和しても、前線にでればたちどころに悪化したりするので、かなりの戦力がこれで奪われていたものらしい。かっての皇軍などは、米軍と比べてもこいつにやられる率は高かったという話。
「コンバット・ストレス」といい、「戦争ノイローゼ」といい、パニック症候群からヒステリー反応などの神経症圏のものから、一過性の精神病反応にいたるかなり範囲の広いものだ。こいつが厄介なのは、なんといっても誰でも推察されるように、基底にあるのが「死にたくない」「戦場なんかまっぴら」というはなはだ当然な心理であるわけで、意識的無意識的にうまく戦闘状況を避けるための手練手管が使われることになるのはこれ必定。
これを国家への貢献とか、軍人魂で克服するというのはまず無理なことで、そこに精神科医が出てきて何をするのかというのは、かなり疑問なのである。新聞記事を読んでみれば、精神科医というのは「ストレス対策」の秘訣を、なにか医学的秘伝として持っているような書き方だが、そんなお目出度いこと信じているとしたら、この新聞記者はちょっとお気の毒。私らは、普通ならこなせるはずの仕事や義務が、病的状態のためにうまくいかなくなった人たちへ手助けするのであって、どんな困難な状況も乗り越えられるような人間に生まれ変わらせるようなことは出来まへん。
まして米国のパシリで歓心をかい、政治的立場を安定させようと考えているような政権のために、あえて死地に赴くことに生きがいを見出すようなスーパー兵士をメンテするようなことが出来るわけがない。朝鮮戦争のときの、前線精神科治療ユニットがかなりの効果を見せたのは、兵士がいくら精神症状を見せても、後方には移送せずにその場で治療したというのが大きい。どうせ弾が飛んでくる場所から動けないのなら、腹すえて銃を持つほうがまだ事態を切り開けるというもの。
そもそも朝鮮戦争の時代、現在使われているような向精神薬がまだなかった。メプロバメートぐらいしかなかったはず。ほかはせいぜいバルビツールを使うぐらい。それでもかなり重度の精神症状に対応し、ほどほどの治療成績をえていたらしいから、詐病と紙一重のものがかなり混じっていたと考えてもよさそう。「精神療法」をちゃんとやっていたからだ、という可能性もあるだろうといわれても、それは買いかぶり。「死にたくない」という根源的要求をどうやったら「処理」できると思う?
その点、いまは薬剤はたっぷり選択できるので、パニックや抑うつ反応、ちょっとした不眠なんかにはいくらでも対応できるだろう。そこで精神科医ができることは、参っている人をみて、姑息的な対応でなんとかやっていけるのか、入院とか休養のために帰国させるべきなのかの振り分けぐらいで、戦争というシビアな状況でのストレスを無化するような神業がやれるわけはないのである。いわゆるストレスコントロールというのは、現実へ誤った対処をして破綻を自ら招く人への対策なので、困難な現実をそのままにして、なんでも対処できるようにするというものではない。そんなこと周知のことだと思うのだけれど、あんまりそうではない様子。
あ、そうだ。理不尽な任務でもハイな気分で乗り切るというのには、多少の心得がある精神科医なら役立つかもしれませんな。物資の強制徴発とか、民間人の虐殺とか。その辺の薬物「療法」に関しては、私は結構くわしいので、十分な報酬さえもらえれば防衛関係者に教えてやらんでもない。
英国のIT業界紙(だと思うんだけど)、"The Register"は去る7月30日、日本政府は来年からの新紙幣発行の際、それにICチップを埋め込むことを決めたと報じている。これは偽札対策だけでなく、マネーロンダリング対策として、膨大なアングラマネーのコントロールに使われるのだという。流通の要所要所で金の動きをチェックできるわけですからな。経済の「Nシステム」といってもいい。
でも、誰かそんな国内報道聞いたことある人います?経済行為の細かなところにまで情報監視を広げるという政策に、なんぼボケまくりとはいえ、日本マスコミが報じてないというのが解せない。かって、グリーンカード導入でも徹底して拒否感を示した、経済人たちも黙っているとは思えないんですがね。大体、政治家へのウラ献金が、全部ばれちゃうじゃないか。
ちょっと調べてみれば、これは日立製作所が開発した超小型チップ、「ミューチップ」の記事で、「紙幣識別に使える」などと書かれていたものだから、はやとちりしたイギリス人記者が「新紙幣に組み込まれる」と報じたものではないかと推測される。
もちろん、まじめに経済面なんか読まない私なので、これはすでに既定のことになっていて、誰もそんなことに問題を感じなかったという可能性もあるんだけど。案外、コイズミ‐塩ジイが図って、こういう国外からのアドバルーン記事で反応見たのかも知れませんなぁ。ついでだから、新紙幣切り替え後は、旧紙幣は市場直接流通を無効にして、タンス預金の徴発を狙っていたりして。
読者の方からメールで教えてもらった「レシピ」記事。
以前、「クールな男」という、ダーウィン賞サイトからの翻訳記事を書いた事がある。それはある物理学科の大学生が、進級記念パーティで「液体窒素を冷却材にした、自家製アイスクリーム」を出品したのはいいが、あまった液体窒素でとんでもない愚行をしてしまう話であった。
その時、液体窒素でどうやってアイスクリームを作るのだろうと、ちょっと不思議には思った。そんなものでは何でもかんでも凍り付いてしまって、アイスクリームなんかにならないのではないかと。しかし、いただいたメールには、ちゃんとそのものズバリのレシピが書かれたURLが添えられていたのである。
その作り方は以下のとおり。(1)約2リットル弱の生クリーム、卵3個、砂糖、バニラエッセンス適量、そして適当な果物(このサイトではイチゴを用意しているが、もちろんなくてもいいはず)。(2)それらを大き目のボウルに入れ、クリームとほぼ同量の液体窒素を一気に注ぎ入れる。(この時、部屋は充分な換気が出来るところでないと、窒息の可能性があるので注意)(3)30秒間よくかき混ぜる。
これで液体窒素は全部気化し、滑らかな口あたりの、高級アイスクリームが出来上がるそうな。-196℃という超低温で急速冷凍されるため、氷が大きく結晶化する暇がないのが、しっとりとした食感の秘密とか。液体窒素が手に入る環境にいる方は、ぜひお試しください。換気の件と、凍傷予防用の手袋を使うなどして危険回避することは忘れずに。
私も今度、皮膚科でイボ取りに使っている液体窒素をこっそりぱくってきて、試してみようっと。記事を教えていただいた方には、あらためてお礼を申し上げる次第。