「症例A] (多島斗志之:角川文庫)
この前、都内へ出たときまとめ買いをしていたミステリ系の文庫本を消化しようと、一番気が乗らないこれから読むことにしたのだが、一時は頭の中でツッコミが輻輳状態になりつつも何とか読み終えることが出来た。
表紙カバーによれば、主人公の精神科医が「美貌の十七歳の少女・亜佐美を患者として持つ」ことになることからはじまる物語であるという。小説家にありがちの、精神科疾患とか、その治療環境に対する微妙な誤解が満ち満ちた気色の悪さを覚悟していたのだが、気合をもってあたれば、まあ何とか受忍範囲といえた。
海岸沿いに立つ、つぶれたリゾートホテルを利用して作られた精神病院に赴任してきた主人公の榊は、そこに仮名で入院している少女・亜佐美を受け持つ。この病院は200床を10人もの医師で濃厚に見るという、採算無視の「良心的」経営がされていて、榊の受け持ちも20人だけ。病棟管理の仕事もほとんど無い様子で、定期的面接さえしていればいいらしい。これで給料が世間並みなら、何がなんでも働きたいものだとおもわせる。
亜佐美を診ていた前任者は自殺したということになっていて、なんやら怪しげな雰囲気が流れていないでもないのである。前任者は亜佐美を分裂病と診断していたが、その独特のコンジョわる行動の連鎖から、榊は境界例ではないかと疑う。居合い抜きの達人だったりする女性臨床心理士、広瀬は解離性同一性障害(多重人格障害)の疑いを指摘し、精神分析療法をやらせてくれといって、榊と対立する。
このあたりの微妙なうそ臭さを、的確に表現するのは難しい。分裂病と境界例の鑑別がつかないなんてことはそうあるものでもないのだが、あったとしても治療にかけるパワーの覚悟の問題でしかない。いま現在の状態から来る問題をどう処理解決していくかということが本筋なんで…、といいつつも、先の読みというのも大事で、診断なんかいらんといってるわけでは無いのだけれど…、てな具合でこちらもはなはだあいまいなので、そりゃ違うぞと決め付けられないというのが正直なところ。
でも少なくとも、境界例と多重人格の鑑別が問題になると思っている人はいないだろう。だいたい、両者は合併しても全然不思議はないし、そもそも、人知れず多重人格を来たすなんてこと、あるとは思えんが。それになんぼ精神分析が嫌いだからといって、診断がつかずに困っているのなら、なんだってやってみればいいと普通思うんではないですかね。まして、他人がやってくれるというのだ、楽でいいじゃないか。
こんな話がずっと続けばちょっときついなと思っていたら、もう一つのストーリーが別に進行するので、なんとか耐えられるのである。そちらは上野にある古い美術館の女性学芸員が主人公になり、かって同じ美術館で働いていた亡き父親のところに、同僚から来た古い手紙に書かれていた、収蔵物の贋作疑惑を追うという趣向。
この二つのストーリーがいつしか交錯し、榊の前任者の死とか、病院にかかわる謎の一部とか、収蔵物贋作問題にもそれなりの決着がつき、亜佐美の病にも新しい切り口が見つかってよかったねという話に何とか収まるのである。もう一つ病院側のほうにちょっと余計なサブストーリーがあって、そいつがのどに引っかかったサンマの骨みたいな違和感を残すのであるが。
警察小説を本職の警官が読めば、かなりの違和感を感じるであろうし、この小説にしたって、私が耐えられた理由になった美術館側のストーリーは、そこで働く人から見ればかなりケッタイなものであろう。ここは精神科医療を舞台にした、異次元世界のSF心理劇だと思って流すしかあるまい。精神病院というところの、表面的観察はなんとか出来ているという点は評価すべきであろうか。
でも、未熟な治療者が引き起こすドジをもって、「正常と異常の境界とは、<治す>というのはどういうことなのか?」なんて、笑かしてくれるようなこというのだけはやめた方がいいと思うよ。
投稿者 webmaster : 2003年09月14日 22:57