« Lindowsその後 | メイン | ラジオ放送出演 »

2003年09月07日  「プラセボ」記事へのご意見 [医学・科学関連]

大学で統計学を教えておられるという方から、以前の「プラセボをめぐる論争」にたいして意見メールをいただく。メール原文を転載するのは控えるが、要は私があそこで二つの勘違いをしているという指摘である。

勘違いも何も、私は統計学などには全く無知なので、元論文のごちゃごちゃした統計学的な説明部分はすっ飛ばして、「プラセボには一般的にいって、臨床的にパワフルな効果があるという証拠はほとんどな」く、「臨床試験の際などのほか、これを使う正当性はない」という著者たちの結論を、ちょっと断定的に書いただけである。たしかに「プラセボにはどのような客観的効果も認められない」とまではいっていないのだけれど、使うべきでないという結論がある以上、同じようなものだとアバウトにまとめたわけ。

メール主の統計学者氏は、あの論文をよむかぎり、プラセボ効果は否定し得ないもので、要は「検出力が足りない」のだといわれる。結論も、証拠が上がらなかったという「検定の特性」を踏まえたもので、それを報道した新聞記者はその「検定の特性」を知らなかったから、あの論文を「プラセボ全否定」だと誤解しただけだと。新聞記者の無知として、私の無知だとはあえて指摘されないのが奥ゆかしい。

しかし私には「検出力が足りない」とか、「検定の特性」というような専門用語の意味がわからないので、この方の指摘も当然今ひとつよく理解できない。メールの最後には、統計学をよく知らないなら、質問すれば教えてあげると添えられているほど、ある意味親切なものなのだが、統計学的にはかなり検討の余地があるという考察があったにせよ、別に報道した新聞記者が結論書いたわけではないのである。「臨床使用の正当化は出来ない」という、著者たちによる結論があるのはどう理解したらいいのだろうか。

勘違い指摘のもう一つは、いまは医師による薬の説明義務があるのに、薬でもないものを処方する医師などいない、というものである。うーん、そういわれてもねぇ。現に使われているんだからしょうがない、としか答えようがないのです。頭がいい人というのは、一つの原則があれば、どこでもそれは徹底されていると思ってしまうんですかね。

というわけで、返事には多少皮肉な調子が混じらざるを得ないものとなった。おおらかに受け入れていただけることを願うばかりである。

    
 メール有難うございます。
 私は統計学については全く無知ですので、例にだした論文はざっと読んではいますが、プラセボは盲検の際に意味があるだけだという主張なのだと素直に読んだだけです。
統計的な結論は別にして、プラセボ効果というものを、医療幻想から分離するのは不可能だという思いが私にはあります。盲検の手順にしてみても、「どんな薬が処方されるか説明することが義務づけられている」原則からいえば、かなりゆがんだものといえないでしょうか。
 薬でないものを「あたかも薬のように言う医師」は現実にはいっぱいいます。たとえば、乳糖やビタミン剤をパニック発作の際に屯服で与えるというのはよく見られます。パニック発作のように、直接的に生命には影響がなく、時間がたてばおさまるものなのだから、患者を納得させるために使うのだという理屈です。
 こういうのは、いわゆるプラセボ効果とは別であることは承知しておりますが、基本的に医学的管理下にあれば安心なのだという幻想を強化するだけで、患者の自己治癒への道を思いっきり阻害していると私には思えます。
 こういうことをいうと気を悪くされるでしょうが、私は統計学というのは修辞学の一部だと認識しており、その枠内での無知に関しては全く恥じる気もありません。確かにあの文章はつたないものですが、主張の大枠はその無知からきた誤解ではないのです。

ああ、統計学というのは修辞学の一部だなんて、ケンカ売ってるようなものだな、せめて医学の業界では程度の限定しておけばよかったなんて、いまさらくやんでも遅いか。

投稿者 webmaster : 2003年09月07日 17:42