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2003年10月21日  <癒し>のナショナリズム [本とか映画とかTVとか舞台とか]

小熊英二・上野陽子の「<癒し>のナショナリズム」(慶応義塾大学出版会)を読む。小熊の指導していたゼミ学生が、自分で「新しい歴史教科書を作る会」に通って参与観察し、卒論にまとめたものを改訂して出版したものである。大学のセンセというのは、なかなか役得があるものじゃと思ってしまう私はほんとにオヤジ。ついでに小熊研究室のサイトをのぞいて、同姓同名のミュージシャンがいるのかいなと、呆然自失してしまうのも世代の差ですな。一回り違うだけなんだが。

結局、「新しい歴史教科書を作る会」は、色あせた既成左翼のアンチというところで、はなはだ実体の乏しい帰属意識を得ようとしている、ある種の病理集団であり、当面は過渡的存在でありつつも、より強固な実体として立ち現れる可能性はあるという指摘である。程度の低いところでは、2ちゃんにトグロをまいているようなウヨ厨たちもその類といえるだろう。その手の立ち位置で匿名発言する人は多いのに、実際にサイトを作って自分の意見を明らかにする人はそう多いわけではない、というのも納得できる。

「プチナショナリズム」などと名づけて、つまらぬおしゃべりのネタにするだけのスカ連中とは少々違うようで、ある程度の論議を広げる力のある言説だろうとは思う。ただ、正直言ってオリジナリティがあるといえるのだろうか。F・フロムの「自由からの逃走」と、リースマンの「孤独な群集」をパクっているといわれてもしかたのない内容だとおもうのに、その辺への言及がないのがちょっと不思議だった。見落としたのかしら。

せっかくの体当たりの参与調査の結果を前にしても、そんなホコリまみれの本しか連想しないで、あの手の団体ってのは、しょせん自分の論理がもてなくて画一主義に逃げ込んでるだけの気の毒な連中なのさなどと、床屋政談で批判したようなつもりになってしまうのが、私の世代の限界なんですかなぁ。

投稿者 webmaster : 2003年10月21日 20:27