2003年11月30日  オクトーバー・フェストに起因する腸閉塞の1例[医学・科学関連]

ダーウィン賞」サイトより。「権威ある医学雑誌からの引用」、とある。原文に「ダーウィン賞」側の解説が、「医学専門用語をわかりやすくするため」カッコをつけて付記されている。

31歳の男性が、2時間続いた激しい腹痛と嘔吐のために救急病棟に入院した(彼は2時間の間、自分の問題をちゃんと認識できるほどしっかりしていた)。腹部レントゲン検査は腸閉塞所見を示し、続く検査では空腸右側に陰影欠損像が認められた(彼の腸は何かが詰まって動かなくなっていた)。詳しい病歴聴取の結果(彼はあまり語りたくなかった)、患者は前日の夜、ミュンヘンのオクトーバー・フェストにでかけ、その際にビールが満たされたコンドームを飲み込んだことが判明した(理由?そんなもの知らないよ)。

内視鏡による除去術は成功しなかった(引っ張り出せなかった)。コンドームが腹壁に密着していたため、CT観察下に長針による穿刺をおこなった(針で突いてパンクさせた)。40ccの黄色液体を吸引すると(それがビールかどうかはっきり書けなかったのは、笑い転げてしまって検査に出すのを忘れたから)、コンドームは自然に嵌頓状態から脱した。翌朝、コンドームは患者の便中に確認され(高品質で漏れのないコンドームのおかげで、この男はもう少しで人類の遺伝子プールから自分の影響を無化できるところだった)、患者は良好な状態で退院した。

著者たちはこう記している。「知る限りにおいて、これはアルコール飲料を満たしたコンドームを飲み込んだことによる腸閉塞と、それを成功裏に経皮的処置しえたことについての世界初の報告である」(医者ってのは、いつも『世界初』を狙っている)。
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本当にこんな論文があるのだろうかと、"Beer"と"Condom""intestinal obstruction"で検索してみたら、ちゃんと見つかったのが大笑い。ミュンヘン大学の正式名称は「ルードビッヒ・マキシミリアン*大学」だというのを知るおまけつき。(*例の「狂王・ルードビッヒII世の親父さん)

Posted at 20:04

2003年11月29日  みかかの子どもワンダーランド[日常]

僻地大学に行っている娘が急に帰ってきて、なにか魂胆があるに違いないと思っていたら案の定、「ケイタイの電池が劣化してきたので、新機種に切り替えたい」と言い出す。そんなもの、電池パックを交換すればおしまいではないかとも思うが、日ごろそう金もかけずに放り出しているので、この程度のことは仕方ないかと、みかかのこどもショップにでかける。

私自身、今年買ったものの中で、何が一番ヒットだったかというと、それは間違いなくFOMAなのであった。でかく重く、やたらに存在を主張してくれるので紛失もしにくいし、なにより、電波帯の関係か、ちょっと建物の奥にはいるともう電波は届かないし、届くところでも、身体の位置を少し変えたら途切れてしまったりする。

私は携帯に限らず、電話というものは本質的に、禍々しいことしか伝えてこないと見切っているが、仕事の関係でアリバイ的にこれをもたないわけには行かない。FOMAみたいに接続が不安定だと、都合の悪いことはすべて聞かなかったことにできるのである。というわけで、娘の新機種もFOMAに。ほとんどメールばっかり使っているので、パケット代が安いFOMAは、かえって経済的でもある。

さて、そうして娘と出かけた子どもショップは人であふれ、どこが不景気なのだといいたくなる盛況ぶりで、入り口では「待ち時間45分」というカードをいただいてしまう。ここまで千客万来だと、客扱いなんかどうでもよくなるらしく、受付の女の子に新機種への切り替えができるかと聞いても、キョービのサービス機関としては珍しい仏頂面で、「あるものはあるが、ないものはない」という絶対的真理を告げられてしまう。

商品別の在庫ぐらいわからないのと食い下がれば、「汝が欲する携帯機種番号を告げよ」とのお言葉。どうも客はそういうことに精通した上で来店すべきだ、というポリシーがあるらしい。仕方なく自分のFOMAを取り出して機種番号を読み上げると、「我らの在庫を甘受せば、その望み叶えられん。奇矯なる彩色望みたれば、その限りにあらず」との御託宣。何とか手には入るようなので、おとなしく待つことに。

幸い、30分ほどで順番が回ってきたのだが、ここで問題が。娘が今住んでいる地方都市でそれが使えるかという質問に、係員は答えてくれないのである。にこやかな笑みを浮かべながら、「それは非常に難しい問題です」というばかりなのだ。地方都市とはいえ、いちおう県庁所在地なのである。「現在地のサービスエリアはお知らせできますが、他県の情報はわかりません」そう係員はいい、いままでの携帯電話とFOMAを平行してつかうなんとかという制度、もちろん別料金、について立て板に水の如く説明し始める。

あの、ネットで調べるとか、むこうの支店に聞くとかできないんですか?とその長広舌をやめさせるが、「その問い合わせは、なかなかむずかしゅうございます。ひとまずご住所をお預かりさせていただきます」といって、メモをもってどこかに消えてしまう。「ただいま調べさせております」と戻ってきた係員は笑みを崩さず、「FOMAは人口比率97%のカバー率を誇っておりますが、具体的な地域の通話条件を知るのはとても困難でございます」という。

県庁所在地でも、国内3%にあたることがあるわけですな、といやみのつもりでいうが、「残念ながら、そのような場合もないとは申せません」と歌うような口調で返される。その上で、使えるかどうかの確認をよそに、さまざまなオプション契約の説明をにこやかに始めるのである。

10分ほどして、ようやく例の県もサービスエリアに入っていることが判ったのだが、それでもクギはしっかりと刺される。「残念ながら、電波条件はきわめて複雑でございまして、そのサービスエリア内での安定使用は必ずしも保障されておりません。その点をご承知置きくだされば、契約変更もよろしいかと存じます」。多分、買ったけど家で使えなかったではないか、どうしてくれるというようなクレームがいっぱい来るので、FOMAを売るときは言質を取られないように、こういう態度を一貫するように教育されているのだろう。

なにか、カフカの小説の登場人物になったような気分だった。土曜の午後をミステリアスにすごせてよかったねというふうに、この体験を収束すべきなのだろうか、責任回避をメインにした顧客対応を教育されているらしい子ども社の先行きを憂うべきなのか、私には判断しがたい。なんであれ、えらく疲れて帰り着き、夕飯までコンコンと寝込んでしまったのは事実であった。

Posted at 23:29

2003年11月28日  「日本語」[本とか映画とかTVとか舞台とか]

「日本語」上下巻(岩波新書:金田一春彦)をやっと読み終える。一月近くポケットの中に入れておいて、暇なときに少しずつ読んだのだが、いつもどこまで読んだのかがわからなくなり、行きつ戻りつしていたのだった。

途中でわからないぐらいだから、読み終えた今でも、よく日本語の文法の問題として挙げられる「は」と「が」の区別などについて、いったいどう書いてあったのか、細かなことはほとんど覚えていない*。私の理解力の問題もあるが、この本が体系的に日本語の特色について書かれているというより、いろんな切り口から日本語の特質をあれこれと書き連ねてあるという、アホダラ経みたいなつくりであったことも関係しているのだと思う。

*たしか「は」は題目を示し、「が」はそうでない。ではなにかというと、いろいろ複雑な場合があって……、というような記述ばかりなので、何も覚えていないのもしかたないのである。

といって、面白くなかったかというとそんなことはなく、さまざまな薀蓄をつうじて、著者の日本語に対する愛情が伝わってくる好著だったと思う。基本的に、「日本語は世界の言語とくらべて、未熟で不完全なものだ」という意見にたいする反駁として、さまざまな外国語と対比されて論理が進められており、多分かなり恣意的なんだろうなとは思うものの、なんだかわかったような気にされてしまうのである。

たしか「トリビアの泉」でもやっていた、「ハンガリー語では料理の塩が足らないのを『シオタラン』という」といった雑学も数多く、「バスク語ではこればかりだというのを『コレバカリダ』という」などと、「トリビア…」に応募すれば38ヘェぐらいが取れそうな話も仕込める。

人当たりのいい老教授が出来の悪い学生たちを相手に、噛んで含める授業をしているというような雰囲気で、うとうとうたた寝しながら聞いていて、時折のギャグとジョークの部分だけは覚えているといった読後感である。たまにはこういうのをのんびり読むのも悪くない。

なお、著者もちらりとこの本に登場させている石川啄木は、著者の父君金田一京助氏と親交があったので知られる。京助氏は啄木の才能を認めるあまり、自ら借金をしてまで啄木に金品をわたしていたらしい。啄木はそんな苦労はよそに、遊里で蕩尽するばかりであったとのこと。春彦少年は、啄木は石川五右衛門の子孫だと、子供心に信じていたそうである。

この状況をかりて、どなたか春彦少年をワトソン役に、啄木を人間的に出来損ないだが天才的な推理能力をしめす探偵に設定した、文学ミステリを書いたら面白いのではないかとおもう。性格破綻者探偵というのは、京極夏彦のシリーズなどにはでてくるが、石川啄木をモデルにすることで、もっとリアルな造形が可能になると思うのだが。

題名は当然、「金田一少年の事件簿」である。

Posted at 23:24

2003年11月27日  魂の値段判定サイト[ネタ]

CGIをつかった占いみたいなサイトはよくあり、表題とまったく同じものも見たこともある。しかし、日本のその手のサイトは大概、思慮の浅いガキが、その足りない頭を絞る事も無く、安易に作っているものが多いため、質問の設定からしてアホらしくて付き合いようがないものばかりといっていい。

そういうお遊びサイトとは一線をかくし、魂の値段を本格的に判定してくれて、その買取までしてくれる、WWYS®(We want your soul)という英国のサイトを発見したのでまずは御報告。

WWYS®は個人の魂を譲り受け、それを利用して経済活動や遺伝子研究などをする世界的企業で、すでに2億5千万人近くの人々の魂を管理しているそうである。魂を譲渡した人々には、それ以前の「ソウルフル」な生活の代わりに、お金と安全に満ちた生活が保障されるという。

その会社との魂譲渡の本契約に先立ち、自分自身の魂の価格を確認するための無料サービスが用意されている、というわけ。

「貴社には大変感謝している。実際に契約文書が届くまでは危ないジョークサイトかと思っていたが、今はこうして、何の悪い影響もなく、以前理想だった生活をするようになっている。」というような顧客の喜びの声もいっぱい寄せられている。

なお、私が自分で価格判定テストをやってみたら、魂の価格はわずかに4834ポンド(90万円弱)、自分より穢れのない魂を持っている人は94%という結果が出て、せっかく思い切って魂を売り渡しても、たいした現世的利益がないらしいので本契約を申し出るのはやめておくことにした。

キリスト教徒でないと、どうも見積が安い傾向があるので、日本人は一般的に不利とはいえるが、興味ある方はぜひアクセスして、自分の魂の値段を確認された後、本契約を取り結ばれたらいいのではないかとおもう。

Posted at 23:42

2003年11月26日  新ウイルスの新戦略[ネタ]

セキュリティソフトの大手、シマンテックのサイトに昨日追加された新ウイルス、Backdoor.Sysbug に関する情報がなかなか面白い。シマンテックによれば、このウイルスは感染力、ダメージともにそう高くないタイプであるようだが、それだけに自己を複製させるためにとる戦略を、かなり工夫した跡がうかがえる。

このウイルスは今のところ、こんな英文メールの添付ファイルとして送りつけられるそうである。以下全文を翻訳する。
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差出人: james2003@hotmail.com
件名: Re[2]: マリー
本文: 元気かい、いとしのマリー。
僕は君の事を一晩中考え続けていた。君には例の夜のことを詫びないといけない。ほら、僕らがコンドームなしで愛し合った夜のことだ。あれは失敗だった。許しを請うしかない。君を失うのは何よりつらいんだ。マリー、頼むから電話を入れてくれ。僕には君が必要なんだ。
君は僕の家で激しく愛し合った夜のことを覚えているかい?僕は昨日の夜のことのように覚えているよ。君は写真なんか撮るのはまずいといったけど、それは間違ってた。その写真はとっても素敵に撮れてる。はじめ、君には見せないでおこうと思ったけれど、今は見てもらう時だと思う。添付ファイルを見てほしい。そうしたら君にも僕のいってることが判るよ。
心から愛している。ジェームズより。.
添付ファイル: Private.zip
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そして、この Private.zipを不用意にクリックすると、Backdoor.Sysbug というトロイの木馬型のウイルスが入り込んでしまうという仕組み。

今までもこの範疇のものはあったけれど、「素敵なスクリーンセーバーがあったので紹介する」とか、「ウインドウズのパッチだ」などという、いかにも胡散臭くて潤いも何もない文面だったので、よっぽど軽はずみな人でもないと、ちょっとそれを開こうという気にはなれないものだった。

その点このウイルスメールは、生き残りに必死な熱意が伝わってくる優れものである。相手を欺くという戦略は同じであるが、どことなく自分の再生産を考えているだけではない「誠意」というものも感じる。要は、ちょっとしたネタ提供のサービス精神なんだけれど。

こういうのをきっかけにして、PCウイルスにも、共栄共存型というか、システム全体の進化に直接寄与するタイプ(今までだって、その対策ということでシステムは進化してきたとはいえるが)のものが出てくるのでは、という予感をもつのだが、考えすぎですかねぇ。

Posted at 22:29

2003年11月25日  世界を変えた100冊の本[本とか映画とかTVとか舞台とか]

アマゾンの宣伝メールで、表題の本が紹介されていた。マーティン・セイモア=スミス という人が、「歯に衣着せぬ語り口で、古今東西の哲学、思想、宗教、科学を思う存分に論じ」たものだとのこと。マーティン・セイモア=スミス という人にまったく予備知識がなく、検索してみると、かなりの数の文学思想全般への解説書をものしている人だとわかる。イギリスの紀田順一郎氏のような存在なのかもしれない。しかし、当該本を紹介するアマゾンのサイトを見ても、他の著書は邦訳されていないようだ。たしかミステリィ解説者に、何とかセイモア=スミス という人がいたが、身内だろうか。

昔、卒後研修が始まったばかりの頃、「精神科医が読むべき100冊の本」(題名うろ覚え)なんていう、パンフレットというには分厚い解説書を薬屋さんからもらったことがある。確か、精神科医で同時にシャーロッキアンとしても高名な、小林司氏が書いたものだったとおもう。

専門分野に限らず、いろいろな本が紹介してあったのだが、半分以上はその存在もしらないようなものばかりで、いまだにそれは同じである。結局私が読んできた本というのは、業界本や教科書とか、ミステリィとかハウトゥー本以外は、自分の興味に関するかなり狭い分野のものばかりで、一般教養的なものは見事に欠落していたのだと今になって気付く。

まして「世界を変えた100冊の本」である。およそ自分とは関係ないものばかりが選ばれているのだろうと思ったが、さすがに一般常識に属するものも多く、存在だけなら知っている本が大多数を占める。しかし部分的にでも読んだことのある本はそのうちわずかに10冊、手元にはあるが開いたことすらない本があと数冊というていたらくである。

もっともこの人の本の選択には疑問もあり、例えば「毛沢東語録」なんて、あれを本といえますかね。こちらの業界的にはフロイトの「夢判断」と、ユングの「心理学的タイプ」、それとスキナーが組み合わさっているのが面妖。グノーシス派への著作もあったりする人なので、多少神秘がかりのところがあるのかもしれない。グルジェフの本もちゃんと選んでいるし。神秘主義への傾きを、即物主義でバランスとろうとしてるんじゃないのか、と読みもしないで予断をもつのは悪い癖である。

人類学系列が全くなく、その反映なのか構造主義系の著作も全然ないのも面白い。目的意識をもって現代的教養を身につけるという、実際の読書ガイドとして書かれているわけではないのでしょうな。大多数を占める超古典の数々、「ウパニシャッド」やらプラトンの「国家論」やらを、ひけらかし引用以外の目的で読むことに意味があるとは思えない。

とはいえ、原典にあたることなんか金輪際ないような本に関して、鋭い解説がしてあるらしいので、孫引きのひけらかしでも通用する私らのレベルでは、充分役に立つかも知れない。購入しても損はないかもなと、少々迷っているところ。まあ、ひけらかしだけの目的なら、松岡正剛サンのサイトでも読んでりゃ、タダなんだけど。

Posted at 23:45

2003年11月24日  Grand Theft Auto3 クリア[日常]

天気もあまりよくないし、美術館なんかの企画もイマイチだし、なにより、えらくあちこち大混雑だという情報に怖れをなし、スポーツクラブにいく以外はぶらぶらと連休をすごす。というわけで、懸案のGrand Theft Auto 3もついでに終わらせる。

ゲーム一般に言えることだが、最後はまず尻すぼみで、えらくつまらん図式に収まるのだが、これもまた同様。それ以前に、ゲームそのものがかなり同一パターンの繰り返しなので、半分もやればいい加減あきてしまうのだ。

犯罪者として成り上がる、というシナリオは確かに新鮮なのだが、やはりそれなりの倫理的な縛りみたいなものがないと、もう一つ面白くない。でかい車に乗って、とにかく一般車両は跳ね飛ばし、歩行者はひき殺し、という姿勢でも走り続けてさえいれば、まず警察にも捕まらないのだから、やってるうちに途中で嫌になってくる。

マフィアの使い走りにはじまり、日本ヤクザ、ドナルド・トランプを連想させる経済ギャングなどの子分になってその課題をこなすという設定も、はじめのうちは面白いが、だんだん盛り下がってくるので今ひとつ。いろいろなボスから仕事を依頼されるのはいいが、それで結末が変わる訳ではないのが判って、めんどくさいことはしないという、日常原則に戻ってしまった。

なんといっても結末で、マフィアのボスの情婦(娘だったっけ)だった女がコロンビアの麻薬組織につかまり、それを解放させるために、せっかく真面目に犯罪行為を繰り返してためた金を支払うというのが納得いかない。あんなクソ女、勝手に殺されたらいいじゃないか。しかも、相手のコロンビアカルテルの女ボスは、主人公とかっていい関係であったようなことまでいうのである。

そんなの知らないぞ、おまえとどんなことがあったというのだと、取り乱す寸前である。変な妄追想系のストーカーに突然インネン付けられた思いで、あまり気分はよろしくなく、しかもその最終ミッションはそう難しくもなくクリアできるので、なんだったんだ今のは、という当惑だけが残ってしまう。

なんであれ、そこそこの使命感とか正義とかが基準になっていることの多いゲームで、とにかく犯罪者としての栄達を基準にするという設定がかなり面白いこのGTA3ではあるものの、それならそれでボスに成り上がることを目標にするなり、もっと現世的な利益を求めるなりのリアリティを最後に設定してもいいのではないかと思えるのである。半月近くもこれにかかずらわって、最後が性格破綻のアホ女を得て終わりというのは、あんまりではないかと思うのだ。

なんて、そこまで真剣に考えてどうする、というものでもありますが。PS2ではすでに出ている、これの続編を買うかどうかは、かなり検討する必要がありそう。

Posted at 23:45

2003年11月23日  散髪屋[日常]

自宅近くに、900円でカットだけやてくれるという散髪屋さんができたというチラシが入っていたので、早速朝から出かける。大混雑を覚悟していたのに、待ち時間もなくカットしてもらえ、10分あまりで作業終了である。

私は父母や先祖からあんまりたいした遺伝子を受け継がなかったが、こと髪の毛に関しては一応このましいとされる特性を譲ってもらえた。つまり歳をとっても薄くならない。今も毛髪量がかなり多いので、ちょっとほうっておくと、意図せず昔のO・J・シンプソンみたいになってしまうので、しょっちゅう散髪を意識しないといけない。

しかもじっとしているのがつらい本態性イラチなので、散髪屋のイスで布切れをかぶせられて1時間近く座っているというのがきつい。パニック障害の人には散髪屋や美容室がだめ、という人がよくいるが、また違う理由でダメなのである。

それに、散髪屋さんという職種の人は、客が店舗で過ごす時間は「憩いの時間」だと勘違いしているように思える。待たせるのも平気だし、仕事ものんびりと、雑談交わしながらやるのが客のためでもあると思っていそうだ。無料でタバコが置いてあったり、最後に一本薦める店もおおいが、7割の人はすわない昨今、あれがサービスになると思うのは時代錯誤であろう。

都内に出たとき、10分で済ませる千円理容室というのがあるのを発見し、そこを利用したときの感激は忘れられない。安いのも有り難いが、何よりも時間の無駄がない。変に2度もシャンプーされ、こてこてと形を決められてもうれしくもないが、ざっくり切って最後は掃除機みたいなので切屑を吸い取って終わり、という合理性に付き合うのは快感である。

最近は大きい駅の構内にもこれがあるので、一本電車を遅らせば散髪がすむという利便性もすばらしい。髪の毛なんてどんどん生えてくるのだから、こうやってバンバン回転させる方式のほうが店にとっても有効な戦略ではないかと思える。

要は私の住んでいるような近郊地帯でも、伝統的なムラ社会などとっくに解体しているのに、理髪店のほうの意識がついてこなかったのだろう。技術を差別化して、少数顧客対応に専門化する方向は結構すすんでいるのに、短くなれば結構という、私みたいな一般ユーザーへの対応を考えてこなかったということだろう。

電気器具量販店にいけば、自分の家で散髪するための道具がかなり置いてあって、実は私も使っているのだが、そういうものを使えば、何とかそこそこのことは出来るのである。そういうユーザーを理髪業界が取り戻すのと、簡易バリカンが売れるのとでは、どちらが経済波及効果が高いのだろう。ちょっと専門家に聞いてみたいような気もする。

なんとなく、将来の医療業界にも同じような現象が起こるのでは、とも思う。もっとも、私は個人的に千円床屋形式診療を先取りして、日々仕事しておりますが。

Posted at 22:48

2003年11月22日  今日は更新なし[日常]

掲示板のほうで報告していただいた、某サイトでのそのまんま無断引用について書いていたのに、かなり単純なキー入力ミスですべて内容が消えてしまったので、ぐずぐずとくだらんことを言うなという、神様のお告げだと思って沈黙することに。

それにしても、ちょっとしたタッチミスでテキストが全部消えてしまう仕様はいかがなものか。(これはMovable Typeへの八つ当たり)

Posted at 23:54

2003年11月21日  「裸のシェフ」カレンダーの謎が解ける[都市伝説・デマ・トンデモ]

oliver_thumb.jpg16日に書いた「裸のシェフ」、ジェイミー・オリバーの2004年度カレンダーに、ちょっとまずいイタズラが仕掛けてあるのでは、という疑惑だが、いつもの引用元の管理人がしつこく追求した結果、全容が判明したということなので、尻馬に乗ってパクリ記事をかいたこちらも、いささか責任を感じつつ、追加報告することに。

結論からいえば、16日の記事に書いた2004年度カレンダーの表紙写真は、何の細工もされていない本物であった。同じ写真がほかで見つからなかったのは、あれが広告をのせていたブーツという薬局チェーン専用のバージョンだったからなのだそうだ。

オンラインカタログの写真は、カレンダーを壁にかけたところを斜め撮りしており、画像もあまり大きくなかったので誤解を招く図柄に見えたというわけ。ブーツチェーンのほうも、夕刊紙のおちょくりにさっさと反応して、トリミングなんかしてしまったのがますます誤解をひろめる結果となった。チャンと正面からとった拡大写真を掲げれば、話は終わっていたのに。

上のサムネールをクリックしていただければ拡大写真になるので、じっくり見ていただきたいが、フランスパンと見えたのは紙袋で、ジェイミーがそこから出してきたオレンジの皮をむきつつ、レシピのイマジネーションを得ようとしているところらしい。紙袋がちょっと雑念喚起的な形態になっているのは確かながら、股間からは微妙にズレた所に位置している。

もっとも写真家のほうには、多少の図像解釈論的かんぐりを惹起する意図があった可能性はありますがね。広告写真には必ずサブリミナルな性的表象がこめられている、と主張するような人から見れば、これもまたかなり露骨な1例になるのかもしれない。

いずれにせよ、引き写しだから仕方ないとはいえ、いい加減なことを書いて、申し訳なく思う次第。

Posted at 21:20

2003年11月20日  ドニー・ダーコ[本とか映画とかTVとか舞台とか]

昨夜、WOWWOWにて視聴。精神疾患で治療中の16歳の少年が、突然あらわれた不気味なウサギの着ぐるみ男に、「今から28日と6時間42分12秒後に世界は滅ぶ」と告げられ、当惑と混乱のなかにその日々をすごしていく、という話である。(参照サイトはこちら

主人公のドニー・ダーコを演ずる、ジェイク・ギレンホールの演技、とりわけ他人には見えない巨大ウサギを相手に独語しているときの、空虚で不自然な笑みが素晴らしい。引越し美少女とデートしているときに見せる、いかにもアホなティーンエイジャーの無内容で朗らかな笑顔が、ずずずと内面にひきこまれて変容していくところなど、迫真の演技といえる。

教材のG・グリーンの小説を禁書にしようとするくせに、胡散臭い自己啓発セミナーなんぞをカリキュラムにくわえているような、ふざけた学校のシステムへの当然の反抗と、病的観念にとらわれて引き起こす妙な破壊活動が全く同次元で並び立つ、是も非もない精神と行動の変容というものをよく描いた映画だとおもえる。

ついついこだわりたくなるような小ネタがちりばめられていて、観客のほうも主人公と同じように、それらが指し示す意味を引き出そうと、無駄な努力をしてしまいがちなのだが、尻すぼみともいえる映画のつくりの中で、下衆な解釈論的見方は完全に裏切られるのである。これは純粋に「シュトゥルム・ウント・ドランク」の思春期の危機を映像化することをねらった、むしろ古典的な意図のもとに作られたものと考えるほうがよさそうだ。

ドリュー・バリモアが女教師役ででていたり、仲間が謎の解決を求めてハロウィンの日に自転車で走るシーンなどから、どうしても「E・T」を連想してしまうが、ああしたメルヘンには終わらない結末は、それが成功しているか否かはべつにして、ある意味、レアリズムに忠実な作品ということなのだろう。

あえてこの映画のモデルというか、元ネタを挙げるとすれば、それは間違いなく「ドラえもん」であると思える。あのマンガも、思春期前期の内的混乱を、絶対的なパワーとタイムトラベルで乗り切ろうとして、挫折し続ける話である。
Posted at 21:10

2003年11月19日  シェフ[ネタ]

三日前に、「裸のシェフ」、ジェイミー・オリバーのニセ写真カレンダーのことを書いたのだけれど、考えてみれば、イギリスでも「シェフ」といえば、「料理のプロ」のことを意味するのが面白いというか、なかなか興味あることといえる。

日本語には板前さんとか、調理師さんという言葉があって、日本料理に従事する人はそちらで呼ばれる。シェフと呼ぶのは西洋料理というか、非和食料理ということになっているようだ。TVなんかでは、ガーナ料理とか、トルコ料理、はたまた中華料理の場合だってそう呼んでいることがある。

イギリスの場合も同じなのだろうか。典型的フランス料理でなくても、ジェイミーみたいなイタリア系の創作料理を作る人なら、そう呼ぶということなのか。イギリス伝統のローストビーフを作る人はなんと呼ばれるのか、ちょっと気になる。

そもそも、シェフ("Chef")というのは英語の"Chief"と同じで、「親方」とか「主任」という意味であるのは容易に類推でき、実際その通りである。料理長の「長」という部分だけが、料理人トップの意味に換喩的に拡張されているわけ。

であるから、本来は他の分野にだっていっぱいシェフはいるのである。土木工事のシェフ、スーパー売り場のシェフ、部品組み立てラインのシェフ、ソフト開発のシェフなんかが。前衛シャンソン歌手のブリジット・フォンテーヌには"Lettre a Monsieur le Chef de la Gare de la Tour de Carol"、「キャロル塔駅のシェフへの手紙」という歌があって、駅のシェフとはなんじゃいなと思えば、それは駅長さんなのである。

フランスに留学していた知り合いがいうには、向こうの病院では、日本なら医長と呼ばれる科別の主任はやはりシェフとよばれ、しかも臨床の達人という意味あいがつよく、管理者の院長などより、医療機関利用者の信頼を一身に集める存在なのだそうだ。レストランで、客が注目するのはまず料理人の腕であって、支配人の経営手腕ではないというのと、全く同じ構図である。

というわけで、シェフという言葉を料理人に独占させず、もっと広く使おうではないかというのが今回の主張である。私も明日からはシェフと呼んでもらうよう、職員に提案してみたい。え、「親方」にするって?

Posted at 21:14

2003年11月18日  J・P・ケネディ死す[今日は何の日]

1969年11月18日の今日、JFKの父親、ジョセフ・パトリック・ケネディ(JPK)が死ぬ。享年81。JFKが大統領に選ばれた喜びもさめぬ61年に脳血管障害におそわれ、右半身麻痺、失語を来たして療養していた。

ケネディ家は1840年代のアイルランド飢饉のおり、米国に移民してきたものの、不遇と貧困のうちに死んだパトリック・ケネディを開祖とする。三代目のJPKは、ハーバードを出て銀行家になる。ラッキーに恵まれて若くして頭取となり、インサイダー株取引で大資産を築く。大恐慌前にはきっちり売り抜ける先読みのよさと、禁酒法に乗じてマフィアと組み、密造酒作りに乗り出す思い切りのよさでさらに資産を増やす。

シカゴ市長を経て、1930年代には中央政界に入り、英国大使として、チェンバレン英政権の対独宥和政策を後押しする。本国でも反ユダヤ活動を活発にやっていたらしい。そのナチス肩入れが災いして40年には大使を辞任。権力への志向は子どもたちに託される。

ところが一番期待していた、秀才でスポーツマンだった長男のJPK.Jrが太平洋戦争で戦死。JPKの期待は不出来な遊び人の次男、JFKに受け継がれる。とはいえ、父親の期待をウザがるばかりのJFKは女遊びにうつつを抜かしていたが、大病をへて親父の期待にこたえる使命に目覚め、大統領選出馬。でも女遊びはやめなかったが。

JPKは資金を動員してマスコミを買収し、マフィアとの結びつきも利用して投票箱のすり替えなどの違法手段も駆使し、ニクソン有利の下馬評を覆しての勝利。暗殺という悲劇に終わったことが一番の原因とはいえ、キューバ危機をそれなりにうまく乗り切りったり、ソ連との協調路線を軌道にのせるなど、なんだかんだでJFKは「理想の大統領」として、人々の記憶と歴史に残ることになった。

しかし、JFKのあとを継ごうとした三男ロバートも暗殺され、四男エドワードも、秘書を死なせる交通事故を起こすというスキャンダルに見舞われ、政界は絶望。その事故からまもなく、失意のJPKは息を引き取った。

JFKの大統領戦でJPKのやった工作に対して、FBIがおこなった捜査資料の一部が公開されている。ヒマな人は読んでみたら如何でしょう。ざっと流し読みしても、変な脅迫を受けていたり、FBI前長官との癒着が示されていたり、なかなか面白い。
Posted at 22:34

2003年11月17日  12進法の効用[日常, スポーツ]

わけの判らない題目で恐縮である。我々が日常生活で数字を扱うのは、もっぱらお金の計算に関することで、そこで使われるのは10進法であるのは周知の事実。コンピュータが2進法を使うといっても、それはハードと、プログラムレベルのことで、使う人間の側が入力し、結果を受けとるのは10進法に変換されたものだ。

ところが、時間ということになると、我々は12進法と60進法が入り混じった単位を使うわけで、これが昔から私の謎だった。古来の文明ではこちらを日常的な計数に使っていたところもあるようで、たとえばフランス語の数の数え方には、その名残をいまだに見ることが出來る。

数学的直感に優れた人には自明のことらしいのだが、量の割合とか比率を把握するには12進法の方が合理的なんだそうだ。私は全く数学的才能を持ち合わせぬので、この歳になるまで全然それを実感できなかったが、このたびやっとそれを体感したような気がするので、ちょっとここに書き出して見る次第。

スポーツクラブで、持久系のマシン、例えばエアロバイクを使っているとき、最初の時間設定を30分とか40分という10進法系にしておくと、「今どのぐらい運動をこなしたか」ということが判りにくいのである。30分にしておくと、初めの2分は当然として、5分と6分で割合感覚が手に入る。6分の1と5分の1だ。ところが、あとは10分と15分、20分過ぎたところでしか、割合感覚が簡単に手に入らないのだ。そりゃ12分や18分のところでも計算できないでもないが、ヒーヒーいってる時に、30分の18を約分なんかしてられますか。

これが36分という設定をしていると、2、3、4、6、9、12、16、18、24、30という節目で、こなした時間割合が簡単に計算でき、自分のバテ方などと勘案して、ペースを決めていきやすいのである。要は公約数が多い、ということなんだけど。もちろん、60分やれば10進法も12進法もないわけだが、そんなに追い込むと、ほかの運動する前に完全にばててしまう。

昔の文明で12進法が使われたのは、たぶん課税計算の必要性からなんだろうな。そのほうが比率を出しやすかったんだろう。60進法は12進法と10進法の統合ということなのか、などとささやかな発見に一人満足していたのであった。周知のことでも、自分で体得できるのはそうないもので。

ちなみに、エアロビックという言葉というか概念を作り出したケネス・クーパーは、最大酸素摂取量を概算するのに、12分間走というのを考え出したことでもしられる。これの影響なのか、向こうのエアロビ系トレーニングは12分間を1単位にするように設定されていることが多い。元ロッテの小宮山投手がどこかのスポーツ新聞で、大リーグのピッチャーのウォームアップは12分間、という内規があると不思議がっていた。

生理学的には、12分も運動続ければ、無酸素運動の要素が全くなくなるはず、という程度の理由であって、ましてトレーニングでこれを1単位にする根拠は薄いように思うのだが、これはやはりペース配分計算には、12進法の方が暗算しやすいという、古来から人間に刷り込まれてきた深遠な理由があるのだろう。

Posted at 18:05

2003年11月16日  裸のシェフがやっぱり脱いだ?[都市伝説・デマ・トンデモ]

jamie_oliver2.jpg


食い物に無頓着なイギリス人の意識を、根本的に変えた天才シェフとまでいわれるジェイミー・オリバー。彼が主演するTV番組、「裸のシェフ」は料理番組としては破格のゴールデンタイムに放映され、なおかつ記録的高視聴率なんだそうな。関連本も売れまくり、店も大繁盛、エリザベス女王から勳章までもらういいことずくめだったんだが、彼を被写体にした来年のカレンダーで、ちょっとした騒動が。(写真クリックで拡大写真がポップアップ)

ブーツというイギリスの薬局チェーンのオンラインカタログに、そのカレンダーが宣伝されていたのだけれど、ごらんのように彼の股間あたりに位置するパンが、サブリミナルなんてものでなく、露骨な絵柄を構成している。夕刊紙がワイセツだとしてとりあげ、ネットでもあちこちで評判になり、ブーツは今、その写真をトリミングして展示している。

デマの蒐集サイトである"THE MUSEUM OF HOAXES "のBLOG(11/14/03の記事)では、この写真はおそらく、ブーツの担当者がフォトショップを使ってしかけたいたずらだろうと推測している。一見ナニにみえるフランスパンの先っぽのほうには、明らかにいじくった後がありますからな。

毎度の引用先であるこちらでは、あのカレンダーの表紙自体がにせものであるとの疑いが投げかけられている。ネット中探し廻ってもジェイミーの2004年度カレンダーの画像が見つからず、eBayオークションでやっと見つけたのはいいが、表紙が全然違うというのがその根拠。

つまらんいたずらの割には、かなり用意周到で、しかも誰がやったか丸わかりなんだけど、これが英国流のユーモア感覚なんですかなぁ。若くしてやることなすこと大当たりという、ジェイミーに対するやっかみもあるんでしょうかね。

Posted at 19:45

2003年11月15日  機械翻訳[日常]

昨日、「スペイン語は機械翻訳だけでほぼ完璧な英語になる」などと、感激したようなことを書いたのだけれど、なんとなく気になり、西欧語一般ではどうなのだろうと調べてみる気になったのだった。(なお、ここでいう『機械翻訳』というのは、AltaVistaの翻訳サービスのことを言っているので、別のサービスなら、違うかもしれない)

まず適当な文章をえらんで、フランス語→英語をためしてみると、やはりそれほどおかしな文章にもならない。まあ、フランス語は英語と文法も語彙も似たようなもので、私でも半分ぐらいは読んで意味がわかるものなと、続けてイタリア語、ポルトガル語、ドイツ語でためしてみるがほぼおなじ。ロシア語でも、結構まともな(ように見える)英語になるのだった。

そればかりか、ええいとばかり、日本語を選んでみたら、驚きである。日本語から英語への変換も、そう目茶苦茶とは思えぬ結果をもたらすのであった。もちろん、ご存知のように、けっこう判りやすい英文でも、機械翻訳すれば奇怪な日本語にしかならないのは同様である。

(日本語→英語例)「パレスチナ自治政府の議会にあたる自治評議会で12日に承認されたクレイ首相と閣僚は、同日夜に宣誓式を行い、クレイ内閣が正式発足した」→
"Prime Minister and the Cabinet minister Cray who in the autonomous council which confronts the national assembly of the Palestinian autonomous government is approved on the 12th did swearing-in ceremony in the same day night, the Cray Cabinet started formally."(クレイ「首相かつ閣僚」になっているのと、やたらに回りくどい以外はまあまあではないだろうか)

(英語→日本語例)"Excitement at the Rugby World Cup has reached fever pitch with underdogs Australia winning a thrilling semi final against New Zealand's All Blacks 22-10."→
「ラグビーのワールドカップの興奮はニュージーランドのすべての黒に対して半最終を感動させることに勝つ敗者オーストラリアが付いている熱狂に22-10 達した」(オールブラックスをすべての黒とするあたりはご愛嬌なんだけど…)

何語であれ、その機械翻訳結果の英語の質を、私にはちゃんと判断することが出来ないので、それがやたらに妙であるかどうかは本当は不明なわけだが、少なくとも上の英文→日本語翻訳にみられるような、完全に破綻した文章にはなっていないと見受けられるのである。

その原因を考えてみたが、もう一つよくわからない。この機械翻訳の謎は、言語学者にはわかりきったことなのかもしれないが、少なくともそのまま実用になるような英文→日本語機械翻訳が存在しないということは、今のところ実際には解決できないような問題なのだろう。

多分、日本語というのは具体的叙述力がヨーロッパ語に比べて低く、文脈や全般的コンテキストに依存する度合いが高いため、語彙を変換してそこそこの文法解析でつなげただけでは、元の意味が再現できないのだろう、というのが私の素人考え。

Posted at 23:41

2003年11月14日  ビール壜の持ち方で性格判定?[ネタ]

natural_take.jpg壜の持ち方を教えてくれれば、どんな人だか当ててあげよう。

英国のシェフィールド大学は、男性のビール壜の持ち方からその性格を判定する方法を開発した。女性はこの方法を使うことで、今のパートナーや、これから付き合う男性の性格特徴を得ることができる。この研究は、100名の男女から、ビール壜の持ち方と、彼らの性格特徴を聞き取る方法で行われた。以下がその結果である。

(左の写真をクリックすると、ビール壜の持ち方パターンの写真がポップアップする)

「ダイレクト」は壜を手掌全体で握るタイプだが、この持ち方をする人は友好的で安全、信用できて、外向的で付き合いやすい。

「ベーシック」スタイルは壜の底のほうをもつのを好む人である。このグループは精力的で熱狂的、他人を喜ばそうと身をささげる。それに反し、「ファイン」タイプ、これは壜をそっと指でつまむような持ち方をする人であるが、この人たちはもっとも親密性を求める。しかし恋人ではなく、友人を求めるのであるが。

誰にも好かれるのが「テイク・ネック」タイプ。壜の首をつかむグループである。彼らは攻撃的で男性的だと受け取られる。しかし、「ナチュラル」、壜の中心部を繊細につかむグループだが、この人たちは話好きで、一緒に時を過ごすには一番適している。

----------以上、こちらからの引用-----------

シェフィールド大学のサイトをあたってみたが、この研究(?)の元記事はみつからなかった。たかが100例を対象にした聞き取り結果で、法則性みたいなことをいうのはかなり疑問である。、それもビール壜の持ち方なんぞのバリエーションが、そうきれいに分布しているともおもえないし、聞き取り方法もやたらに妙である。

一番不思議なのが、スペイン語サイトでこの英国の研究なるものが紹介されていることで、別のスペインのサイトでもこれが紹介されているのに、肝腎の英語圏では全然見つからないというのが謎。今スペインではやっているジョークなんでしょうかね。

なんであれ一番の収穫は、スペイン語は機械翻訳だけでほぼ完璧な英語になるということの発見である。文法の互換性がたかいということでしょうな。ランス・アームストロングやベッカムがスペインで暮らすようになって、すぐ慣れるというのも当然。

Posted at 18:34

2003年11月13日  久々のダーウィン賞[都市伝説・デマ・トンデモ]

最近また真面目に更新されるようになった、「ダーウィン賞」サイトからの引用。もっとも、94年度のダーウィン賞ノミネート例で、実際の事件は91年に起こったもの。記事への直接リンクはこちら
--------以下引用---------

高度1600mでの失敗

(91年12月23日、フロリダ)この飛行機事故記録は、国家交通安全委員会への報告をそのまま引用したものである。分かりやすくするため、カッコ内にコメントを記した。

航空機:パイパーPA-34-200T型機。識別番号N47506
障害:2名死亡。

自家用機パイロット1名、およびパイロット資格を持つ乗客1名(つまりパイロット2名)が、計器飛行の訓練をするため飛び立った。事故の目撃者によれば、飛行機は右の翼が壊れて墜落した。機の残骸と遺体の検証から、以下のことが明らかになった。まず、搭乗者たちは部分的にしか衣服を着けておらず、右全部座席はリクライニングされて平らになっていた(パイロットは副パイロット席をベッド状態にしていた、ということ)。

両搭乗者とも、シートベルト、ハーネスの類を装着していなかった(彼らはベッドに寝ていた)。遺体の状況からは、衣服が衝撃によって引き剥がされたり、ベルトから放り出された痕跡は見つからなかった(衣服は、彼らが自発的に脱いだと思われる)。

国家交通安全委員会は、事故の原因(複数)を以下のように結論付けた。

操縦中のパイロット(女性)の不適切な判断によって、飛行とは無関係な他の行為に注意を向けたこと(つまりパイロットと副パイロットはセックスをしていた、ということ)。事故の直接原因は、機の設計限界を超えた負荷がかかったための翼の破壊(パイロットがいなかったために、飛行機が異常な飛び方をして、翼に力が加わりすぎて破壊されたということ)。
-------引用以上------

事務的事故報告書の文体と、くだけたカッコ内の解説の対比というのが面白いんだろうけれど、その辺をちゃんと訳出できないのが素人の悲しさ。いずれにせよ、飛行機を操縦しながら、あの手の行為をするのは危険なので、他山の石として自重していただければ幸いである。

Posted at 20:12

2003年11月12日  B5ノート[PC・MT]

結局思い切ってB5ノートを買ってしまった。実に軽くて持ち運びやすく、二つの職場を移動している身には大変ありがたい。2kgの差にここまで金をかける必要があるのか、といわれるとちょっと考え込むのだが。

それでも勘違いがいくつかあり、一番は価格の問題。A4ノートより小さいんだから、当然安いはずだという根拠のない思い込みをしていた。私らの世代は、物の値段は目方できまると思っておるのです。ちょうどよさそうな機種を選んで購入を決めてから支払い額を聞いて、思わず卒倒しそうになった。

なぜビデオ規格でベータが負けてVHSが勝ったかというのには、この目方やサイズが大きいほうが高いはずなのに、同じならでかいほうを買うほうが得だ、という心理がかなり強く働いたと私は思っている。業務用にベータが勝つのは当然。自分で金ださないのなら、機能でうわまわる方がいい。

確かにこのノートPCは高機能なのだが、これだけ小型化されるためには、当然無視されている機能があるわけで、とりわけCD系のスロットがないのに買ってから気付いてしまうのである。新規アプリはネットインストールするしかない。小型PCでDVDを楽しむところをイメージしてたのに、これではいけません。外付け製品を買えばいいのだが、山ほどCD-RやらDVDがついたPCがほかにありつつ、いまさら外付け製品買う気になりますか。

昨日来の大蕩尽衝動のおかげで、あぶく銭の半分近くは消費されてしまい、なんとなく心の平安は得られた感じなので、今後のあぶく銭再獲得の方策を本気で考えようかと思い始める晩秋なのであった。

Posted at 23:56

2003年11月11日  印税[日常]

思いがけず印税などが振り込まれてくる。まるっきり忘れていて、しかもそこそこの小遣いになる額だったので完全に舞い上がってしまい、ここは大散財じゃと、PCショップにさっそく出かける。

8年ほど使って、いい加減ガタがきたプリンタを買い替え、メモリを買い足しし、というところでもうすでに金の使い道がなくなる。B5ノートはあったほうがいいけれど、職場のノートを私物化している現状では二つあってもしかたないし、ちょっと重いのを我慢すればいいだけのことだしな、などと日和見してしまう。

思い切ってPower Bookでも買おうかとマックのコーナーにいくが、日常的に使うなら色々アプリも買わないといけないしと、貧乏根性がでてきて、立ち尽くしてしまうばかりなのであった。ここでまとまった買い物でもしておかないと、小銭レベルの金というものは、いつの間にか消えてしまうものなのである。思い切って使えない人間には、結局まとまって入ってくることもない。

訂正不能の貧乏性に生まれついているのだなとため息をついて、仕方なく、滅多に買わない3本5千円のワインを買って蕩尽気分を味わうのであった。

Posted at 21:36

2003年11月10日  オーエス?[日常]

TVでたまたまバレーボールのワールドカップ(だったっけ?)を見ていたら、日本サイドがサーブするたびに、観客席から「オーエス!」と聞こえる歓声が出るのに気付いた。いい加減にしか聞いていないから、ホントは別のいいかたしているのかもしれないが、複数の人間にそう聞こえたのは確かである。

子どもの頃、小児向けのマンガ雑誌を読んでいて、一番謎だったのが、運動会の綱引きシーンででてくる「オーエス」という掛け声だった。田舎ばかりだったとはいえ、関西地方数ヶ所を徘徊した経験からいえば、あちらでこんな掛け声をかける運動会状況はまずない。普通「ワッショイ」か「ヨイショ」だけである。

ネットで調べれば、これは東京中心の掛け声で、しかもフランス語の"Oh, hisse"に由来するとある。フランス語が日常語として定着した例というのは、アベックという言葉のほかは、アンポンタン(英語でインポテンツ)しか知らないのである。幕末、徳川幕府が悪あがきにフランス政府の軍事指導を仰いだなごりが、この東京方面の綱引き掛け声に残っているのであろうか。

オーエスとは少し違うのだが、"OK"という万国共通語があり、これはまず非英語圏でなくても通じるのでまことに有り難い。しかし、これがいったい何を意味するか、考えたことがある方はおられるだろうか。これには諸説あり、例えば第8代アメリカ大統領ブレンの愛称"Old Kinderhook"から来たとかいわれるのだが、一番有力なのが"All Right"とほぼ同義語の、"Alll Correct"もしくは"All Clear"を中国移民たちが「O-ru,Korekuto」「o-ru,kuria]と聞いて、そのまま頭文字としてOKとしたというもの。

中国移民ということになっているのだが、そういう間違いをしそうなのはむしろ我が同胞ですな。その真偽は証明不能にしても、間違うといま我々は、OKというかわりに、正しくも"AC"といっていたかもしれないということ。アジア系同胞のおかげでOKなどと、しゃれた言い回しが出来るのだとうことは、覚えておいて損はなさそう。

それから類推すると、「オーエス」の語源となりそうなものは数限りない。"All Secured"、"All Serve"、"All set"、"All spirit"などなど。まさかOSXは関係なさそう。などといいつつ、そもそもあのバレーボール会場の掛け声は、本当はなんていってるんでしょうね。

Posted at 23:52

2003年11月09日  スーダンで「コロ」パニック[医学・科学関連]

ワシントンの「中東メディアリサーチ研究所」(MEMRI)というところがが出している特別報告によれば、この9月、スーダンの首都カーツームで、奇妙な集団ヒステリーが勃発し、警察や保健閣僚の声明によってなんとか鎮圧されるという事があったそうだ。

パニックを引き起こしたのは、「外国人が街を徘徊し、人々と握手することで、その人たちのペニスを消失させる」という噂である。噂は携帯メールによって急速に拡がっていった。英国で発行されているアラブ紙、アルクド・アルアラビ紙特派員の報告によれば、噂は「西アフリカの国から来た外国人が、街の市場をうろつき、握手を通じて男性能力を奪っている」という内容で、「人々は知らない人と握手をするのを拒んでいる」のだそうだ。

被害者の一人は織物店主で、店に西アフリカ部族の男が織物を求めにやってきて、店主に力強い握手をしたところ、店主はペニスが体の中にめり込んでしまったのを感じたという。店主は錯乱状態になって病院にはこばれた。

別の1例は、市場にいたところ、男が近寄ってきてくしを渡され、それで髪の毛をとかすようにいわれた。いわれるままにそうすると、たちまち奇妙な感覚におそわれ、自分のペニスが消失しているのに気づいたという。しかも相手の男は、元に戻して欲しければ400万スーダンポンド(約3000米ドル)をよこせと迫った。

警察は魔法使いとして告発された40人を拘束し、警察に連行した。主要には、暴徒化した市民から彼らを守るためである。政府閣僚が沈静化のために声明を発し、初めの織物店主は、詳しい検査の結果健康には何の問題もなく、単に暗示によって神経症状態に陥っただけだと言明した。

噂の側でも、これはシオニストの陰謀だというような複雑化の傾向が見えたのだが、ちょうど反政府組織と政府の交渉が行われていて、そちらのほうに国民の関心が向いたこともあって、この噂は収束していった。

どこかで書いた、中国や東南アジアの華僑の間で集団発生するという、「koro」とまったく同じ病像が引き起こされているのに、まったくそういうコメントがないのが不思議である。精神科医も解説しているのだが、「想像妊娠と似たもの」というような寝ボケたもの。koroの場合は性的逸脱への自責とか、禁忌を犯したというような内部的原因が理由になるのだが、この場合は外部的な悪意が引き金になっている。

外国人の悪意によって害されるのが、男性の性的機能構造だというのが、人々の価値観を逆によく示しているといえる。財産でも信用でも社会的能力でもなく、チンポコこそが男たちの人格構造を支える最後の砦となっている、という事ですな。日本でももっと経済の衰退がすすめば、いつか同じような集団ヒステリーが見られるようになるかもしれない。

Posted at 23:22

2003年11月08日  10月分のファイル移動完了[日常]

多少書き直したり、少し追加したりしつつ、10月分の記事の一部を「雑感」「本」「都市伝説」に移動。考えてみれば、最近、ほとんど都市伝説のことなんか書いてないですな。

たしか今日はレオン・トロッキーの誕生日。もし革命ロシアがレーニンの死後、スターリンではなく、トロッキーによって継承されていたら、現代の悲惨はかなり回避されていたのではないか、なんていわれることがあるのだが、正直いうなら、同じことだと思いますな。

個々人の「欲」は、さしあたって「理想」によって抑圧されるべきという、社会主義的テーゼがある限り、絶対うまくいくはずはない。将来の楽園を約束されても、そういうのには、古代ユダヤ教の昔から、もうずっと慣れっこだものね。でも、そういう論理でもないのに、同じような理屈を持ち出す人は、今でもそこらじゅうにいる。痛みに耐えろとかいって。

トロッキーなら、べたな「理想」ではなく、もっと具体的だと思えることを対置しえただろうか。芸術的感動とか、真理への希求とか。でもやっぱり怪しい。差し当たっての私利私欲に優る具体性はない。そうした損得を突き合わせるところが現実政治の任務なのであって。抽象的な正義なんぞを語りだしたらイエローカード、ということにするしかないと思いますね。

そういう意味では、今回の選挙で私個人に関する具体的な損得の主張というのは、某政党の「高速道路無料化」しかないのだが、「タダより高いものはない」ということわざも思い出してしまうのだった。実際、アウトバーンだって、ほとんど無料なんだから、やれないわけはないけど。

年金はまあしょうがないでしょう。破綻を素直に認めて、残額を国民に今すぐ返金し、アホ官僚の能力にあまる事業に手を出したことを謝罪するしかない。もちろん、そうした責任者の処罰はちゃんとするべきですけど。

要は、気のいい国民性にたかるシロアリ連中を一掃するべきだと思うものの、自分なんかまさしく大シロアリの一人として、のんべんだらりと暮らしていることに気がついて、これ以上の言葉は出なくなってしまうのだった。

Posted at 22:30

2003年11月07日  ハモ[日常]

昨日の帰りに魚屋によったら、このあたりには珍しく、ハモがあった。ちゃんと骨切もしてあって、一匹三百円とえらく安かったので迷わず購入する。ちょっと季節はずれのような気もするが、まあよろしいでしょう。異常気象だったことでもあるし。

子供の頃、母親がハモの骨切をしている音を聞きながら、晩飯を待ち焦がれていた記憶があるのだが、どんな風に食べたかさっぱり覚えていないのだ。下準備が大変な割には、白焼きにするか、たれをつけるか、煮物かお吸い物にするかという程度で、あまりバリエーションがないからかもしれない。

ところが、あっさりとしているようで、かなり濃厚な、その味わいの記憶だけは、料理の形態とは切り離されて、はっきりとあるのだから面白い。関東で暮らすようになって、これが滅多に食べられなくなり、よけいに妄追想系の記憶加工が成立してしまったのかもしれない。というわけで、普通のやり方で昔の味を懐かしむだけでは面白くない。ここは昔とは違う料理法で食べてみて、素材のうまさを再確認しようと、洋風にしたてることに。

一人前に適当な量に切り分け、塩コショウして小麦粉を振り、フライパンでバターソテーに。一通り火が通ったところで取り出し、残った焼き汁に白ワインをそそいで煮詰め、レモン汁を加える。普通の魚ならフュメ・ド・ポワッソンでも加えて味を強化するところだが、そこはハモ、ちゃんとうまみが出ておりました。小麦粉でうまくとろみが付き、なかなかのソースが出来上がる。皿に小奇麗にもりつけ、ミントの葉などを添えると、ほとんど気分はマルセイユ。

適当にサラダとフランスパン、チーズなどを取り揃えると、思わぬウィークディディナーになったので、冷蔵庫の奥からシャンパンなどを取り出してくる(ホントは予算の都合でカヴァだったけど)。梅酢で食べるぐらいだから、酸味系のソースがあうだろうという読みは的中しておりました。うまいうまいとシャンパンがぶ飲みしながら平らげ、そのまま調子に乗って蒸留系に進んでしまったのが運のつきで、今日は半日頭痛に呻吟するハメに。

Posted at 18:35

2003年11月06日  エイリアン対プレデター[ネタ]

偶然、こんなサイトにたどり着き、たぶん好事家がつくったフェイクサイトなのだろうと最初思ったものの、フォックスムービーの表紙でも、来年6月公開だと予告されている。すでに日本でも知られているらしく、あちこちの個人サイトで触れられていた。

なんでも、プレデター2のなかで、主人公が入り込むプレデターの宇宙船に、エイリアンの骨格が戦利品として展示されているというジョークシーンがあるのだそうで、それを目ざとく見つけたSFマニアが、両者が戦っているフイギュアをつくったり、コミックにしたり、というような経緯があり、それが映画化の企画につながったということのよう。商売になるのだろうかと、ちょっと人事ながら心配するが。

異色対決ものといえば、やはりこれを落とすわけには行かないだろう。心ある映画関係者がおられたら、この企画をぜひ生き返らせて欲しいものだ。主演はコイズミ孝太郎あたりがいいんじゃないかな。

Posted at 16:57

2003年11月05日  吸血鬼駆除キット[都市伝説・デマ・トンデモ]

vampire_killing_kit_s.jpg

ハロウィン直前の先月30日、美術品オークションで有名なササビーズに、表題の「吸血鬼駆除キット」が出品された。

キットはクルミ材の箱に収められており、木の杭と槌、十字架、銀の弾丸10発がついた拳銃、ニンニクの粉末が入った容器などが含まれている。報道によれば、この品は一万二千ドルで、匿名の電話入札者によって落札されたという。

この品を取り扱ったのは、ササビーズの19世紀家具や装飾品を扱う部署であるが、担当者によれば、これは20世紀初期に作られたものだという。「一種のヨーロッパ土産ですね。そんなに高いものではないと思います」とのこと。ササビーズといったって、単なる業者なのだから、ずいぶんいいかげんなものでも、買い手さえいれば売りつけるということのよう。

元ネタのこちらによれば、この手のものはeBayなどでもしょっちゅう取引されているらしい。これなんかかなり重厚そうなのに、半額以下の4千5百ドルの競売開始価格がついていて、しかも今の時点では誰も入札なし。これなんかもっととんでもない価格がつけられていて、しかも「eBayでは売買禁止されている」なんてデタラメなコメントで希少性をあおっている。どこの世の中も怪しい骨董品を売りつける手口は同じなんですなぁ。

変わったものを收集したい方がいれば、この品に限っては売り手の足元を見やすいようなので、専門コレクターになるのも面白いかと。なにしろ、ササビーズでも扱うぐらいなのだから。

Posted at 17:07

2003年11月04日  Panther[PC・MT]

panther.jpg
居間で純粋オーディオ機器と化しているiMacに、何を血迷ったかOSXv10.3"Panther"をインストール。年に3度ほどこの手の蕩尽衝動が出てしまう。

で、新機能の評価だが、ファインダー回りがさらにWindows風になって、慣れた操作で使えるのが有り難いといえば有り難く、ウザイといえばウザイ。ユーザの切り替えをすると、ディスクトップが回り舞台のように回転するというので、一生懸命その操作をやろうとするがダメ。考えてみれば、ユーザは一人しかいなかった。

ほかにはサファリが落ちなくなったが、これはまあ当然の修正で、1万4千ナンボにつりあうことなのかはかなり怪しい。WinXPのときも、同じぐらいの金をだしてアップデートしつつ、独自機能はほとんど殺し、OS関連のグラフィックなんか制限しまくって、一見Win95と同じディスクトップに落としていたりしするのだが、そういうところに記号論的な贅沢を感じるという、妙な性格偏倚があるのがいけません。

でもOSXの場合は、もとのBSDに落として、地味なX環境で使うほどのスキルがないので、アップル再建人柱協会の一員になるしかないのが悲しいところ。せめてこの記事の入力もPanther経由でやろうと思ったが、ことえりのアホさ加減に付き合いきれず、結局いつもどおり。

なお、上の写真の題名は、"Panther with 一見Panther風"

Posted at 23:06

2003年11月03日  死を招く携帯電話[ニュース]

携帯電話が健康を害するという主張は、圧倒的な普及率に押し切られる形でほとんど聞かれなくなってきている。しかし、広い世間には携帯電話によって一度に3人もの命が奪われるという、悲惨な出来事が現実に起こっているのである。いささか旧聞に属することだが、世の中への警鐘とするため、ここに記しておきたい。

今年の3月、ケニヤのモンバサでのことである。ケニヤッタ大学の女子大生ドラ・ムワベラは、汲み取り式のトイレで用を足していたとき、誤って携帯電話をトイレに落としてしまった。6000ケニヤシリング(約100米ドル)の携帯電話を回収するため、彼女は取り戻した人には1000シリングを提供すると申し出た。ケニヤではほとんどの人が1日1米ドル以下で暮らしているのである。

これを受けて、30歳の男性がトイレの敷板を引き剥がし、ハシゴをおろして溜め穴に降りていった。しかしすぐに物音がしなくなったため、その友人が確認のために降りたが、途中で足を滑らせ、汚物のなかに転落し、そのまま上がってこなくなった。3人目の男が彼らを救うために下に向かったが、彼は途中で気を失い、周囲の人に引きずり上げられて病院に運ばれたものの、途中で死亡した。

4人目の男が降りていこうとしたとき、警官がそれを押しとどめた。「4人目の死者がでるところでした」と警官は語っている。「溜め穴にはきわめて有毒なガスがたまっていたので、中に降りた人は短時間で動けなくなったのでしょう」

なお、携帯電話は見つからなかったそうだ。

こちらこちらの記事を参照。

Posted at 22:54

2003年11月02日  誰も眠ってはならぬ[都市伝説・デマ・トンデモ]

掲示板で、冬山ビバーク時に「眠ったら死ぬ」というのは都市伝説だという指摘書込があって、そういえばこのテーマでまとめようとしていたことがあったなと思い出したのだった。登山パーティのメンバーが「眠ったら死ぬぞ」と、お互いに殴り合って眠り込むのを防いでいたのはいいが、救援隊が到着した時には全員打撲死していた、というバラエティ番組のコントを何度見ただろうか。あれだけ繰り返してネタに使われるぐらいなのだから、完全な事実として定着しているといっていい。

しかも、まずこの「常識」が疑われるような場面を、我々が経験することはなく、逆にそういう思い込みを強化するようなことならしょっちゅうある。要は酔っ払って、そこらで無防備に寝込んでしまうような体験である。

実際、救急医療の現場では、低体温症で担ぎこまれる人のかなりの部分が、急性アルコール中毒で道端にひっくり返っていた人である。そこまで行かなくても、飲みすぎてやっと家にたどり着いたはいいが、玄関でそのまま寝てしまい、明け方悪寒戦慄で目覚めた経験のある人は多いだろう。あのまま寝ていれば死んだろうなと思っても無理はない。

でもそれはアルコールによる意識レベルの障害があるからなので、実際酔いがさめたら寒さのために寝ていられなくなって、目は覚めているのである。重度の急性アル中とか、薬物併用とか、糖尿病などの意識障害を来たすような疾患を持っている場合でもない限り、眠り込んだまま致命的低体温症にいたることはまずない。

人間の深部体温は37度あたりにかなり厳格に保たれる必要があり、2度ほど下がるだけでそれに対する激しい反応が起こる。いわゆる悪寒戦慄である。全身の筋肉が無意識のうちに収縮して熱産生するわけだ。同時に体表面の血管は収縮し、体表からの熱放出を節約する。

ここで「眠るとふるえが止まるので眠らせてはいけない」という、ちょっと専門的な装いの俗説が出てくることもあるのだが*、この悪寒戦慄は別に意識的にやっているわけではないのだから、起きていようが寝ていようが関係ない。感染症のとき発熱するのはこれと全く同じ機序によるものだが、もし眠り込んだらふるえが止まるものなら、発熱しかけたら眠ればいいということになる。

そのような反応にもかかわらず、深部体温が32度を切ってしまうと、震えは止まり、筋肉は硬直し代謝自体が低下していき、さらに深部体温低下がすすめばやがて死に至る。こうなる寸前あたりで、意識の混濁が生じて奇異な行動をとったりすることがあるため、気をしっかり持つことが生存のための条件のようにいわれるのが、さらに「眠ると死ぬ」という思い込みを強化するのだろう。

低体温に限らず、脳機能に影響するような事態のために意識が混濁するとき、派手な精神症状を示すかどうかには、たしかにかなりの個人差があり、性格や心理的要因も関与するのは事実である。だからといって、努力や根性でそれが乗り切れるかというと全然そんなことはないわけで、もとの原因を早めに取り除くのが一番の対策であるのは自明。可能ならば、の話だが。

燃料も尽きた、天候はますます悪化、救援も望めないという状況では、運命を受け入れるしかなく、そこで多幸的な幻覚が生じることが多いというのは、人間にプリセットされた一種の救いともいえるだろう。もちろんその前に甘美なまどろみが来たならば、それに身を任せるのは当然のこと。

*ただ、体表血管収縮のために血圧上昇して尿産生も増えるので、頻回にオシッコしたほうがいいそうだ。膀胱内のオシッコというのは比熱が内蔵より高いため、貯めておくと熱を奪うのだそうで。その意味では起きていないとやや不利とはいえる。
Posted at 22:39

2003年11月01日  GTA3[日常]

リバティシティの銀行を襲ったとき、仲間の女に裏切られて逮捕された俺は、刑務所に送られる寸前で護送車の襲撃で救われ、今はケチな車泥棒でシノギする毎日だ。一緒に逃げたエイトボールの兄貴分の使い走りをしながら、いっぱしの大物になる日をうかがっている。そのためには、ま、善良な市民ていう連中に迷惑が及ぶのも、多少我慢してもらうしかないけれどもね。

てなわけで、Grand Theft Auto 3である。主人公はイタリア系ではないが(アイリッシュ、という設定なのかねぇ)、今のところイタリアマフィアの使い走りをしながら日々を暮らしている。中国系マフィアの小ボスを殺したり、敵対するファミリー・メンバーの死体を処理したり、なんて仕事がしょっちゅう舞い込むわけだ。

プレイする側は、とにかく犯罪行為の効率性ということだけを考えて、それらの仕事を淡々とこなしていくわけだが、それがなかなか難しい。なにせ、しょっちゅう銃撃事件沙汰がおこっているような街で、なにが警察の取り締まり対象になるのか、今ひとつよくわからない。警官への直接アタックとか、露骨な犯罪行為を警察がいる近くでやると追跡対象になるみたいだが、市民への危害は関係ないようだし、なんだかよくわからない。

ミッションで警察相手に派手なカーチェイスをくりひろげても、マフィアトップと警察は馴れ合いちという設定があるらしく、ボスの指定する目的地に着けば、警察は急に手を引いたりするのである。なんとなく、現実と同じようなところがあって、ゲームの爽快感とは別の違和感を感じないでもない。

日ごろのんべんだらりで暮らしていると、こうしたシビアなゲームのほうがよっぽど高ストレスなので、なんでわざわざ不愉快な思いをするために、こんなゲームに金を出したのだろうという疑問にとらわれることもあるのだが、それでも責任を取らなくてもいい時間をすごせるという、ささやかなメリットのため、意味不明な耽溺をしてしまうのだ。

まあ、でも、最近のゲームの出来のよさには感心する。よく、こういうゲームが現実的な感覚を失わせるなんていう人がいるのだが、たかがゲームでそこらを勘違いするような連中がいれば、マンガ読もうが、小説読もうが同じことであるのは明らか。口実だけはどこかから見つけだして来るのが、アホのアホたる由縁。そんな連中の屁理屈に付き合うのは時間の無駄。

それはいいとして、最近急に手柄を立てて有名になったためか、あちこちのボスから仕事を依頼されるようになり、商売繁盛状態である。多分、仕事の選択ということも、今後のゲーム進行にかかわってくるのかもしれない。そのあたり、ゲームならやり直しが可能というのが現実との根本的な違いであるわけで、ここらあたりの勘違いというのが一番の問題なのかな、なんて考えるのだった。

社会的適応に問題がある人というのは、事象の一回性というところをないがしろにしている場合が多いというのは確かに感じるところ。だからといって、人生とゲームの違いなんて、みんなわかっているはずで、ゲームでそれがおかしくなるというのは、人間の持つ抽象能力とか、言語能力自体へのいちゃもんにつながるものだと思うのですがね。

Posted at 23:46