Movable Typeをこの前アップデートしたばかりのはずなのに、もうVer.2.661にアップデートされている。もう一つ必要性は不明ながら、なんとなく古いまま使っているのも取り残されているようでいやだから、強迫的に作業する悪い癖がある。
当然、ちゃんとバックアップしておくと言うような、地道さはないのだけどね。なるようになるだろうと思ってアップデートしたのだが、なぜか表示がV.2.65のまま。何かアップデートするコンポーネントを忘れたのかと思って、やり直したりするがそのまんまである。
ごちゃごちゃやってるうちにデータが全部消えたというのも悲しいので、これはもう少しクリアーな頭でいるときに、もう一度やり直す必要がありそう。ついでにもう少し工夫したいこともあるので。コメントやトラックバックの復活とかについては、検討中。
サイト構築も、カテゴリ別の保存で済ませてしまえば楽でいいのだが、やはり日頃の記事をもとに構成しなおすという作業が必要だと思うので、今のスタイルで続けるつもり。さて、もいっぺんアップデート作業をやってみるか。
ちょっと前に書いた、いわゆる「医師への謝礼」に関する経験談が一部で好評だったので、別の話を一席。
これもある地方小都市の大規模病院にいたときの経験である。その病院の精神科病棟は比較的若い人が中心で、スタッフはとにかく長期入院を悪と考え、なにがなんでも平均在院日数を減らそうという、今考えるとそう意味があるとも思えない方針に(なんせ治療の質とか、顧客満足度なんてこれっぽっちも考えていないのだから)明け暮れていた。
そういう雰囲気の病棟であったから、老人性痴呆の患者さんとその家族が外来を訪れても、スタッフはあまり親切心を示さなかった。そんなもの、家族がめんどう見るのが筋ですよ、病院を姥捨て山だと思われちゃかないませんな、で済ましていたのである。その地域は農村に囲まれたささやかな旧城郭小都市という条件もあり、痴呆老人でもなんとか家庭や地域社会で支えることが出来ていたということもあるのだろう。
しかし、そのような伝統的社会構造はとっくに解体過程が進んでいて、痴呆老人をどうみるのかという問題は、今までのような知らん振りですまされないような比重をしめるようになっていたのである。目端の利く医療機関なら、デイケア施設とか専門病棟を作るなりして、それなりに新しい事業展開を考えるところだが、なにせそこは某やんごとなき方が名誉総裁をつとめられる、およそこれ以上の官僚組織はあるまいと思われる組織であった。まず時代に即応した方針転換など無理だ。
実際に病棟構造からして老人を受け入れにくく、看護スタッフもさっぱり慣れていないところで無原則に患者をとっても無責任なだけだ。どんどん増える老人の入院依頼に対して、私たちスタッフは「アリの一穴」を認めてはいけないという決意で、木で鼻を括った応対に終始していた。それでも例外ということはある。私が結構長い間うつ病としてみていた初老の男性が、急速に痴呆症状を進行させたのである。
その人は早くに妻を亡くし、軽い身体障害をもつ娘と一緒に暮らしていた。夜間にせん妄をおこし、幻の声に誘われて戸外に出かけてしまおうとする父親を、娘は追いかけていくことも難しかった。何度か事故寸前の事態があり、ある日娘は病院を訪れ涙ながらに入院を請うた。職場に警察から父親を保護したと連絡があり、引き取ったその足でやってきたという。いつも外からカギをかけて働きにいくが、その日は本人が窓を壊して出て行ったという。
「うつ状態の時には気の進まぬ本人を説得して入院させたではないか。よくしてもらえて感謝しているが、ボケたら知らないというのはあまりにつれない。いつまでも入院させてくれといっているのではない。せめて徘徊がおさまるまで何とかならないかと言っているだけだ」と。
確かに娘の言うとおりなのだ。専門外の疾患ならよそに回せばすむことだが、自分の守備範囲なのに、ここから先は知らんというのはやはりこちらも忍びない(こういう考え方を、医師のパターナリズムとして忌み嫌う人がいるが、私にはあまり理解できない)。看護スタッフにつるし上げくらうのを覚悟して、徘徊がおさまるまでという条件をつけて入院してもらうことにした。娘は泣き腫らした目をあげ、私の手をとって何度も「有難うございます」と繰り返したのであった。
そのあと娘は、背後においてあった紫色の風呂敷包みを取り出した。新書数冊分の厚みがある包みを手にもち、「それでは」と口をひらくので、私は「いや、そういうことは困りますので」と受け取れない事をつたえた。すると娘はキョトンとした表情で私をみすえている。私は「そういうものは受け取れません」と繰り返し、その包みを指し示した。
すると娘はゆっくりと自分がもっている紫の包みに目をむけ、やっと気づいたように、身をすくめてこういったのである。「いえ……、これは私の弁当箱でして……」。
その後、老人は少量の投薬で夜間せん妄もコントロール可能となり、ほかの若い患者さんにも大事にされて、そこそこの落ち着きを取り戻し、3ヶ月ほどで家に帰った。落ち着いたのはいいが、全体に元気がなくなってほとんど寝たきりになってしまい、開業医の往診を受けていたものの、その後一年あまりで亡くなった。娘は不自由な身体で、最後までかいがいしく世話をしていたと言うことだ。
なんであの弁当箱を心付けだと思ってしまったのだろうと、今でも時々考える。やはり特別に診てやるのだよ、という意識がこちらにあったんだろうな。だから向こうだって、特別な態度を示すのがあたりまえだと思ってしまった。受け取りを拒絶するにせよ、そういう傲岸さは同じ事なのだ。
まあ、かなり気まずい思いをしたおかげか、とにかく早くなんとか格好をつけにゃならんと、必死になって対応を考えたので、学んだことも数多く、その後私が老人痴呆患者をみていく上で一大ターニングポイントとなった例ではあったのだけれど。
山形浩生のサイトを見ていたら、彼が訳しはしたが出版予定の会社が傾いてオクラになったという原稿がPDFでアップされているのに気づく。「オープンソース世界のスパイと秘密」というもので、著者はロバート・スチールという元CIAエージェントである。基本的には統括的立場にいたらしいが、いわゆる秘密諜報活動に直接従事したこともある人のようだ。
昔から諜報活動の大部分は公開情報の分析だというのはよく言われることで、特にこの本で目新しいことが主張されているわけではないが、冷戦時代の国家対国家の「対称的脅威」だけでなく、国家対テロリストという「非対称的脅威」に対する諜報活動においても、そのような手法が有効だというあたりが多少新鮮なのかも。それと公開情報に基づく諜報活動を、「オープンソース諜報」と名づけるのも、アレゲではある。
話は変わるが、「余丁町散人の隠居小屋」を読んでいたら、Googleがエクセルのファイルも検索対象にしていることが28日の記事にかかれていた。検索語句のあとにfiletype:xlsと指定すればいいとのこと。世の中には自分の作業用のファイルを、公開サーバーのパブリックディレクトリに置いておく人が一杯いるらしく、「給与:filetype xls」とか「財務:filetype xls」で検索すると、かなり面白いものが一杯引っかかってくる。某大学の医学部教授の給与なんかをみてしまうと、いろいろ悪さして金をためたくなるのも当たり前だと、妙な同情が沸いたりした。
これは当然WORD文書も同じはずだと、「極秘 報告:filetype doc」などと検索していけば、これまたあまり公開を前提にしていないような、結構面白い文章が一杯見つかるのである。そんなわけで、終日仕事もせずに「オープンソース諜報ごっこ」にかまけてしまったのであった。本当の極秘文書を取り扱う立場にある方は、なんぼ家で仕事するのに楽になるからと、職場の公開サーバーなんぞに素でファイルを置いてはいけません。
「ららら科學の子」(矢作俊彦:文芸春秋)をよむ。この作者は全くの同世代人なので、その小説は以前から気になってフォローしていて、どれを読んでも舌を巻くものばかりではあると思うものの、いつもどこかに違和感が残るのも事実なのだ。
前作の「あ・じゃぱ!(!は同時に『ん』でもある)」は、かなり分厚い上下二巻という構成にもかかわらず、ほとんど二晩徹夜で読み終え、確かそれについての感想はどこかに書き残していたはずなのに、自分のサイトにはアップしていない。おまけにあんな厚い本なのに、もはや見つけることもできないという情けなさ。
戦後日本が東西分断国家になったという設定と、東日本の社会主義政権が、中曽根終身議長が君臨する「統一労働者党」によって支配されていて、その党の機関紙が「統労の斧」という秀逸なネーミングだということは覚えているのに、後半、ドラスチックな国家合同が起こったあと、話がどうなったか、というあたりはまるっきり記憶にないのだった。
まあそのうち見つかるか、文庫にでもなってまた買ったら読み直すことにして、差し当たってはこの「ららら科學の子」である。主人公は作者や私と全くの同世代、大学に入ったらすぐにバリケード封鎖になってしまい、そう深く考えることなく「造反有理」のスローガンに同調して運動の渦中に加わった人間である。
あるとき、バリケードを包囲する機動隊隊員に重傷を負わせてしまい、殺人未遂で指名手配され、中国に密入国する。文化大革命を経験しようという彼の目論みは、毛沢東(とその威を借る4人組)の権力奪還闘争に収束されていくなか、中国南部の僻地に追放軟禁の身になってついえてしまう。
そこで結婚もしてすっかり現地の人になっていた彼だが、妻が都市に出稼ぎにいったまま音信不通になったことをきっかけに、蛇頭の助けをかりて30年ぶりに日本に帰ってくるのである。志垣という、学生時代の友人で、一時は一緒に中国にわたることになっていた人間に連絡を取ると、彼は完全にウラ世界の顔役になっていて、主人公にシェルターと用心棒を与えてくれて、そこからこの小説の本筋である「帰ってきた浦島太郎」の物語がはじまるのである。
30年ぶりの日本が獲得している豊かさに主人公は圧倒されるのだが、正直いって、まあちょっとその辺の記述は類型的であろう。68年といえば大概のものはもう準備されつつあった時代で、そう驚くことがあるのだろうかという気はする。渋谷の雑踏といったって、あの時代の新宿とそう違うものでもないような。ただ、作者が題名にしている、鉄腕アトムに代表される未来への肯定的期待が一気に打ち破られる、という体験は致し方ないだろうとは思うが。
でもそれは、方向性はかなり違うかもしれないが、文化大革命の収束状況とほとんど同じものではないのだろうか。一方が社会主義革命の徹底化という「超近代化」を意図したものの失敗し、一方は超高度成長という近代化を貫ぬこうとし、そしてほとんど成功したという違いがあるだけのことで。
なんであれ、この小説はすべてが隔靴掻痒感に満ち溢れている。主人公に破格の待遇を与える志垣という人物からして、国税調査を逃れてハワイにいるという設定で、携帯電話で連絡を取るだけだし、所在を突き止めるのが目的だったはずの主人公の妹とも、やはり携帯電話で少し話すだけで、しかも電池切れで中断されてしまうのである。
豊かさというのは非常に結構なもので、何もわざわざ貧乏を選び取ることはないのだが、豊かになりつつあった時代にもっていた理想が、豊かさの中でまったく現実化されないという当惑感が、このすべてが不徹底な主人公の行動パターンに現れているのかなという感想である。もちろんそれは、理想だのという青臭いものを持ち出さなくても、社会も自分も若かった時代が、すでに失われているという現実への当惑と解することもできるのだろうが。
浦島太郎や鉄腕アトム(アトムは最後のエピソードで、地球を救うために自分を犠牲にするのである)がアレゴリーに使われているので、ラストに不景気な話が来るのかと恐れて読み進んだのだが、さすがに矢作俊彦、そんな後ろ向きな結末は用意していない。
空を越えて、ららら星の彼方、
ゆくぞアトム、ジェットの限り、
その具体的内容がなんであれ、未来への徹底的楽観をこめながら主人公は自らの行動をおこし、それがいかにショボ臭いものであれ、同世代読者は主人公と自らにエールを送りつつ、この本を読み終えることができるのである。多少の違和感はおいておいて。

去年の3月ごろ、こんなPUMAの偽宣伝ポスター写真のことに触れたような気がする。ハダカを見せずにエロチックなイメージを構成している、という点ではなかなかの優れものであったが、今度はNIKEの偽宣伝写真(クリックで拡大)である。昨年半ばからネットに流通しているというが、残念ながら添付文章などはこちらの解説以外では見つからなんだ。元画像だけはすぐ見つかったんだが。
血が飛び散った地面の上にナイキのスニーカー、その後ろで現場検証している警察官らしき人物が二名。そして「あなたは爆発を生き残れない――でも、靴は大丈夫」というキャプションがそえられ、その横にはナイキのロゴが。
命なんてはかないもの、せめてナイキのスニーカーをはいて、生きている間はスポーツでもしようよ、ってことかな。もし本当の広告写真だとしても、あんまり購買意欲をかきたてるものにはなりそうにもないが、確かに迫力だけは伝わる。
もちろんこれは作り物で、この1月、ナイキは「このようにテロ犠牲者をおとしめるような商標侵害にたいして、全力で防止策を講じる」と特別声明をだしているそうだ。そして、この画像の転送を控えるよう呼びかけているとのこと。つまり、ここでやってるようなことをしてはいけないよ、ということですな。
でもね、一度誰かがやってしまったことは元には戻せないのだし、転送するなといったって、どんな画像だったんだろうと気になるのが人情というもの。ほら、こんなつまらんものなんだよ、下らんイタズラはやめようねという方が効果的ではないでしょうかなぁ。
もし文句を言われたらサッと引っ込めることにして、あえて掲載する次第。今日は某認可事業に関することで、イヤイヤながらお役人と大交渉させられる羽目になり、気分は完全にポルポト派になってしまっているので、とても良識に従う気にはなれんのです。
1月22日、ニューメキシコ州、ロズウェルのレストランでおこなわれた、非公式記者会見の記録。ホワイトハウスのサイトに、ちゃんと公開してある由緒正しいもの。
大統領:リブステーキが食べたいな。
記者団:大統領、いかがですか?
大:腹が減っててね。リブを注文するんだ。
記:お好きなものはなんですか?
大:君らが私が好むと思うものなら何でもいいよ。
記:大統領、国内治安に関して、批評家たちはあなたが充分なことをやっていないと言っていますが?
大:私の仕事は治安を確保することで、それこそがやるべきことだ。でも、ここには注文するためにいるんだよ。ねぇ君、ストレッチ(注:記者のニックネームか)、何が好きなんだい?君の膨らんだ財布を出して、地域経済を助けるんだよ。君は沢山金を払って、食い物を買うべきなんだ。それが経済を発展させる一助になるんだ。君のポケットにいっぱいある金を使えば、経済は前進するんだ。ところで何を食べたいかな?
記:お先にどうぞ。同じものをいただきます。
大:私はリブステーキだ。リブはいらんかね?
記:その、大統領…。
大:ストレッチ、いいかね、これは正式の記者会見ではないんだ。これはこちらのレディのポケットにお金を詰め込むチャンスなんだ。経済がどう作用するのか説明させてくれ。君が金を使い、このレディのビジネスを助ける。それが誰かに仕事を与える。質疑応答はいいから、食べ物を注文せんかね。
記:はあ。
大:OK,よろしい。で、何が好きかね。
記:リブステーキ。
大:リブかい?結構。じゃリブを注文しよう。
記:民主党の動向についてはどのようにお考えですか?
大:見たまえ、彼の仕事は質問することだ。彼は、私の仕事は何を聞かれても答えることだと思っている。私は食べ物を注文して、このレストランを助けるためにここにいるんだ。テリー、君は何が好みかね。
記:質問への答えです。
記:質問にも金を払ったほうがいいですか?
大:明らかにこの人たちは…、いっぱい金を儲けているくせに使おうとしない。給料が高すぎると言ってるんじゃないよ、金を使おうとしないと言ってるんだから。
記:今度の選挙は国内治安の問題が焦点になるとお考えですか?
大:ディビッドのすることはこれだ、山のように質問する。いい質問だよ、一般的には。
ブッシュ大統領の見事なまでのボケ芸には、ほとほと感心する。記者団のつたない突っ込みにもめげぬ力技での展開は、ダウンタウンの松ちゃんでも無理と思わせる水準だ。詩人としても素晴らしいのは以前に報告したが、スタンダップコメディにまでその芸域を延ばしているとは。属国国民としては、宗主国の公選君主の才能にただただひれ伏すのみである。
92年、ドライブスルーで受け取ったコーヒーをこぼして火傷したと言う理由でマクドナルド社を訴え、290万ドルの賠償金を得たステラ・リーベックにちなみ、その年のいちばん馬鹿馬鹿しい訴訟に対して贈られるようになった「ステラ賞」の2003年度大賞が決定したようだ。
今年受賞したのは、カリフォルニア州マデラ市警の女性警官、マーシー・ノリエガである。彼女は微罪で検挙した容疑者に手錠をかけ、パトカーの後部座席に収容して移送していた。ところが容疑者はパトカーの窓を蹴りはじめたため、ノリエガ警官はテイザー(スタンガンの商品名。こちらを参照のこと)をベルトから抜いて、容疑者を制圧しようとした。しかし、彼女は間違えて拳銃を抜き、容疑者をその場で射殺してしまった。
市警は、死亡は警察官の過失ではなく、テイザーと拳銃を間違えるのは、正当な職務遂行中の警官なら誰でも起こしえると主張した。そして、テイザー社に対して、この死亡事故によって被害者の家族が起こした訴訟の結果、生じるであろう賠償金を代わりに払えという訴訟をおこした。拳銃とスタンガンが似ているのがいかん、というわけ。
行政組織と言うものの本質を白日の下にさらす、実にユニークな訴訟といえよう。ここまで来ると、訴訟制度を用いたコンセプチュアル・アートだと言ってもいいのではないかと思うのだが、ステラ賞サイトの記述が、「訓練された警官への侮辱」とか、「責任転嫁」などと、最後に妙に市警を非難する口調になっている。
2位から8位までの例もけっこうおもしろいが、どうも基本的なところで妙に生真面目な批判がバックにある賞のようだ。そのため、かえって批判の底が浅くなっているように思えるのが残念なところ。
PCゲームのGrand Theft Auto 3がそこそこ面白かったので、その続編である"Vice City"をかなり前に注文していたのだが、一ヶ月以上たってやっと手元に届く。英語版なのに、むこうのアマゾンから直接買えない。本とは版権の仕組みが違うんだろうか。
GTA3のときにも書いたが、普通のゲームではプレイ主体は所与のものとして、無批判に「正義」なり、「秩序」の側におかれることが普通であるのに、このゲームの場合は、「犯罪者として成功する」というのが前提になっている。Grand Theft Auto IIIの場合は、仲間に裏切られた銀行強盗が、車泥棒をやりながら一匹狼としてのし上がる話なのである。
今度の"Vice City"は、単に舞台がマイアミを思わせる架空の都市になっているだけで、あまりしつこい設定は無いようだ。英語版なので、登場人物の言っていることがイマイチよく判らん。聞き返すわけにもいかんし。まあ、ミッションだけは明確に示されるので、ゲーム進行にはそう支障はないけれど。
私には昔から、なにか具体的な課題があるときには、それだけに集中できないような別の阻害要因も抱えないと本来の目的もうまく達成できない、という一種の信仰にちかいスタイルがある。学生時代、追い込みでテストに備えねばならないときに、マンガや小説をどっと買い込んでしまうし、今だって外来が無茶込みするときに限って、目の前のPCでフリーセルをやり始めるのである。
したがってこれをやり始めれば、今まで延ばし延ばしにしてきた原稿仕事も進むに違いない、という目論見である。かなり転倒しているような気もするが、スタイルというものは大事にしないと。
というわけで深夜までゲーム三昧である。さて、今度は地元の顔役に頼まれた労働争議つぶし仕事だ。
私が海外ニュースネタもとの一つにしているこちらには、過去の出来事欄があるのだが、その1月22日のところに、こんな事が書いてあった。
「1951年1月22日。キューバの独裁者、フィデル・カストロは、ワシントン・セネタースの入団テストに落ち、その野球人生をおえた」。
あのカストロが、大リーグの入団テストを受けていたというのである。このサイトにはこれ以上詳しい記述がなかったので、"MLB Fidel Castro tryout"などのキーワードで検索してみると、出るわ出るわ、「カストロは大リーグ入りに失敗していた」という記事を掲げるページが、いくつも見つかる。
その記述も千差万別で、いちばん一般的なのはうんちく紹介と言う形であちこちでコピペされている記述である。「1944年、カストロはキューバ最優秀学生運動選手に選ばれた。左投手だったカストロは、後にワシントン・セネタースの入団テストを受けるが失敗した」。球団名はヤンキースであったり、ジャイアンツ(もちろんMLBの)であったり、パイレーツであったりする。
中には、「彼は素晴らしい左投げ変化球ピッチャーで、セネタースは特別ボーナスまで用意して入団を内定していた。カストロはテスト寸前に結婚していて、ハネムーン代わりにアメリカを訪れたが、人々の夫妻への対応が余りに冷たかったので、入団を自分から蹴ったばかりでなく、反アメリカの感情までつのらせることになった」という複雑化されたバージョンまである。
これが本当なら、最近ネタ枯れが激しい「トリビアの泉」に投稿するのもふさわしい内容だ。しかし、どうも話が出来すぎている印象はぬぐえず、伝説の一種ではないかと疑われ、果たせるかな、いつも引用している都市伝説の蒐集ページにもこの話はちゃんと記載されているのであった。そこには、キューバ生まれのエール大学比較文学教授で、キューバ野球の歴史に詳しい、ロベルト・ゴンザレス・エチェバリア氏の言葉が引かれている。
「もしカストロが大リーグ入りしていたら、キューバ革命はなかったろうという、アメリカ人が好む小話は、あるジャーナリストの作り話だ。彼は大リーグにスカウトされたこともなければ、そのレベルの野球選手であったこともない。昔からキューバはスポーツ報道が盛んな国だが、どんなレベルであれ、F・カストロがどこかのチームで活躍していたという記録はない。
唯一、ハバナ大学で1946年11月(この頃、カストロが在籍していた)、法学部対経済学部の対抗試合があり、ある「F・カストロ」が5-4で負け投手になったスコアが残っており、それが将来の独裁者の記録である可能性があるだけだ。
1959年、権力掌握後、カストロは「ひげ男」というチームの一員として、大衆の前でいくつかの試合をした事があるが、キューバ人ならみな、彼は本当の野球選手ではないことを知っていた。それは大衆受けをねらっただけのことだと(大意を要約)」。
このサイトの編者は、これはヒットラーが画学生だったとき、ユダヤ人の教官に落第点をつけられて反ユダヤ主義になったとか、ビン・ラディンがアメリカ留学しているとき、デートした女子学生にペニスが小さいのを笑われて反アメリカになった、などというのと同じ類の伝説であると分析している。なかなか、真実であって面白い話と言うものはないものだ。「トリビアの泉」があんなに早くつまらなくなったのも、当然というべきか。

古新聞を整理していたら、かのノルディック複合の荻原健司選手が、今年の参議院選に自民党公認で出馬する、という報道が昨年12月にされていたのに気がついた。(写真クリックで拡大)
自民党の政治家リクルートとしては、宮田輝以来の快挙といえよう。感動というか、驚愕というか、ある意味で快哉を叫ばざるを得ないような気分になり、何かこれを形にしてみたくなって上の写真をコラージュした次第。以前使っていたCGI日記で、彼のことに触れていたので、それを画像化(といってパクリ写真の寄せ集めですが)してみたわけ。
ただ、あれを書いたときは、この3人の顔は一つのスペクトル流れの中にあると思っていたのだけれど、こうしてみるとそうでもないですな。何であれ、荻原健司氏が、石田純一のような男の色気と、ラッキィ池田のようにイタメのエンターテインメントまでをもカバーするような、広い芸域をもった政治家になられるようにと願い、いささか遅きに失したとはいえ、その門出へのはなむけに代えたい。
だいぶ前に「世界初、男性妊娠の謎」という、あるフェイクサイトをネタにした記事を書いた事がある。あれから丸3年、あちらこちらでも引用されていて、「いったい、いつ生まれるんだよ」というような反応も一部では見られたようだ。どうなったのかと思ってたら、このたび、産科学以外の分野も総合された、先端医学サイトとして再編成されたようだ。
件のサイトは"RYT Hospital-Dwayne Medical Center"というもの。表紙は小奇麗なフラッシュで飾られ、先ほどの「男性妊娠」と、その関連のクローン技術クリニックへのリンクがはられている。それだけでなく、RYT病院が開発したナノテクノロジー技術によって、人間の体内に入り込んで遠隔治療をおこなう「ナノドック」とか、遺伝子工学によって人間と同じ認知機能をえたネズミである「クライベン」を紹介するページも追加されている。
賢いクライベン君とはチャットまでできるつくりなのだが、残念ながら何ぼ賢いといっても英語しかわからないようで、"How are you","I am feeling just fine thanks"で終わってしまうのだった。
以前のサイト構成の時には、これは一種の芸術行為であって……という断わり書きがしてあったと思うのだが、今回は「これらの記事は一般的なもので、個別の医療診断行為に役立てることを意図したものではない」というような書き方になっているだけ。かなり怪しいサイトへのリンクも散見されるものの、むしろ本格的な医学サイトのつくりになっている。
"PaperVeins Museum of Arts"というヴァーチャル美術館がそのバックにあるのは同じで、美術館側からはRYT病院にリンクが張られているのだけれど、逆のリンクは見つからない。フェイクもぎりぎりの線まで本物っぽく装っておかないと、ギャグにもならんということなのか。
ところでRYTというのは何の略なんでしょうかね。隅から隅まで読んでみたつもりなんだが、わからなんだ。
以前、こちらで取り上げた「職場での密やかな死」と同じような事件が、フィンランドの首都、ヘルシンキで起こったとBBCが報じている。
事件はヘルシンキの税務署で起こった。60代の税務調査官が、申告書をチェックしているさなか急死した。先週の火曜日のことだと推定されているが、同僚が彼の死に気付いたのは木曜日になってからであった。
彼はいつもとても仕事熱心で、一人で仕事をすることが多く、しばしば外回りをしていた。彼とよく食事をとっていた同僚は、たまたま会議で外に出ていたという。同じ部者には100人近いスタッフがいたが、彼の死には気付かなかった。
BBCの報道では、自分のデスクで仕事中に死んだと推察される書き方にはなっているものの、死因や死後の状況について何も触れられていない。「フィンランド国民は世界でもっとも高い税金を支払っているが、最高の福祉システムを享受している」というのが結論なのだが、死を賭して働く税務官の存在が、その制度の前提なのだということでしょうかな。
昔、ある地方都市の大規模病院で働いていた頃のことである。私はある覚醒剤中毒の青年を受け持つことになった。もう詳しい事情は忘れてしまったが、彼の家はかなり複雑な事情をかかえていて、そのためか彼は職も定まらず、遊び人仲間とたむろするような生活を送っており、いつしか覚せい剤に手を出し、やがて幻覚妄想に脅かされるようになっていたのである。
彼の兄は若い頃に出奔して都会に出ており、チンピラから出発してその業界で苦労した結果、ある広域暴力団の戦闘部隊として知られる、自分の小さな組を持つまでになったヤクザだった。兄は覚せい剤におかされつつあった弟に、治療をうけてカタギとして故郷で暮らすよう諭し、何とか治療に持ち込むことが出来たのである。
本人の入院手続きを終えた後、兄は主治医と話がしたいと診察室に現れた。兄が入室すると、ボディガードと思しき手下がさっと出入り口を固める、そのフォーメーションが見事である。黒いカシミアのコートに白いマフラーを引っ掛けた兄は、まるでマフィア映画から抜け出たアル・パチーノみたいであった。
「先生、オレはご覧のとおりの極道だが、自分の家族だけはカタギとしてまっとうに暮らしてほしいと願ってきた。弟は結構ヤンチャもしたが、ヤクザでやっていけるような男ではない。それがシャブなんかに手を出したのは、オレのせいといわれても仕方ない。だからせめて罪滅ぼしのために、弟には納得のいく治療を受けさせてやりたい。出来ることは何でもする。先生も極道の弟ではやりにくいだろうが、全力であいつを治してやってほしい。」
そういって兄は手下に目配せしして、かなり分厚い紙包みをもってこさせた。あれが成田山のお札でなく、現金ならば最低200万はあっただろう。「何でもするといったって、無学なヤクザに出来ることはこれぐらいだ。弾の下くぐって生きてきたオレには、たよれるものはこれしかねぇ。けっこう使いでがある分を揃えたので、好きに使ってくれてかまわない。それがオレの弟に対する気持ちだと思って欲しい」
私の頭の中では自動演算が勝手に進行し、これは貰うとまずいという結論がでた。兄貴の顔をみすえて、「弟さんへの気持ちはよく判りましたが、これは納めてください。私もプロなので、自分の仕事には常に全力を尽くしている。給料以外のものを受け取るわけには行かない」と紙包みを押し返した。目と目があったまま、私にとっては永遠と思えた時間が流れた後、兄貴は紙包みを手下に引き取らせた。
「オレたちの世界では、一度出したものを引っ込めるわけには行かないんだがね。そこまで腹が据わってるセンセイなら、弟を任せて間違いないだろう。あんたの信じることをやってあげてくれ」、そう兄はいって、手下たちとともに引き上げていった。
その後弟の症状は幸いにしてすぐに改善して退院に至り、またシャブに手を出すこともなく真面目に働くようになった。たぶん兄貴の組がそちらの世界から手を回して、弟に薬を売りつける売人を放逐したのではないかとも思う。
2年もたたぬ頃、弟から兄貴が死んだということを聞かされた。以前から肝炎があり、吐血して入院したがそのまま悪化したという。意識がなくなる前に、私によろしく伝えてくれといっていたそうだ。思わず、「紙包みは託されませんでしたか?」と聞きそうになったものだった。
昨日患者さんの家族からワインをもらう。それが珍しくもオーストリア産の赤ワインだったので、夕食時に早速あけてしまい、大泥酔。ドイツ圏の赤ワインというと、ちょっとボディに弱点があるという先入観があったが、実にバランスのよい一品でした。きっと高かったのだろうなぁ。
一般的にいって、患者さん側からの贈り物というのは、なかなか複雑な思いをもたらしてくれるものだ。一時は何であろうが絶対に受け取らないという態度を続けていた事があったが、やはりそれでは角が立ちすぎる。わざわざ持ってこられたものを、にべもなく突っ返すというのは、相手にとっては一種の侮辱なのである。
といいつつ、中にはある種の特別扱いを暗に要求していると受け取れるような例もあり、無原則に受け入れるわけにもいかない。常識を超えるようなものでなければ、「もうこれだけにしておいてくださいね」と軽く釘をさしてその場は受け取っておくというのが、お互いそういやな思いをしないですむ態度だとおもう。
それは物をもらって、特にそれが高価なものとか、珍しいものだったりすると、ラッキーと思うのはこれ当然の感覚なのだが、関係性を縛って不愉快な思いだけを残すような贈与もあるのだ。その辺の事前見極めというのは、実際不可能に近い。
医療関係者への贈与を考えておられる方に、こちらから原則を提示するとしたら、次のようなものになるだろう。参考になれば幸だ。
(1)まず、医療内容が贈与によって変わるということは絶対にない。そういう噂があるような医療機関があれば、決して利用してはいけない。
(2)治療開始時に贈与してはいけない。するとしても退院時とか、治療が一段落したようなときぐらいであろう。もちろんしなくったって、全然OK。
(3)モノは「消えモノ」に限る。その場合でも、好みとか、ライフスタイルに依存するものはやめたほうがいい。ワインなんかは、贈る側に余っ程知識がないと難しい。昨日の場合は例外で、ドイツ系赤ワインという珍しさと、結構なうまさ、高いといってもこちらが心配するほどの出費ではないという、絶妙なバランスが保たれている。
(4)繰り返しになるが、贈与なんかしなくても、それで医療の質は変わらない。
この貰い物について思い出した話があるが、それはまた項を改めて。
BBCの報道によれば、最も正統な英国王位系統者は、あるオーストラリア人農夫だそうだ。中世史家、マイケル・ジョーンズ博士は、エリザベス一世の曽祖父にあたるエドワード四世は庶子であり、王位継承権はなかったとする主張を、最近作られたTVドキュメンタリーのなかで展開した。
エドワード四世が生まれた当時、父親であるヨーク公リチャードは、フランスとの戦争に出征して外地におり、妃にはその頃から不倫の噂があった。そこでジョーンズ博士は、正統な王位継承権はエドワード四世以前のプランタジネット家系に戻されるべきだとする。そして、その家系を今も引き継いでいるのが、現在オーストラリアの片田舎で農夫をしているアブニィ・ヘイスティング氏(62)であるそうだ。
ヘイスティング氏は10代のころ、シドニーから南西に640km離れたニューサウスウェールズの町に移民してきた。報道機関のインタビューに、彼は以前から自分がプランタジネット家の末裔であることを知っていたことを明かしたが、王位継承権があるなどとは考えていなかったという。彼は共和制支持者で、先の英連邦脱退を問う国民投票でも、共和制移行に投票したという。
彼の日常は今も全く変わっておらず、唯一変わったことは、クリスマスパーティのとき、友人たちが「ゴッド・セイブ・ザ・キング」を歌ってくれたことだけだそうだ。なお。英国王室はこの件に関して、「TV番組作りの問題だ」とコメントを拒否している。
これでご本人が可憐な美少女だったりしたら、完全に映画のネタになるところだが、事実は小説より奇なりとはいいつつ、かなり地味なものであるのはまぁしょうがないところ。

「脂肪、それはみんなあなたの頭の中にあるのだ」というコピーで売られているのが、左の"mypetfat™"。「ダイエットの苦しみから解放される革新的な減量法」用の道具なのだそうだ。
mypetfat™は30グラム弱の、人間の脂肪の塊を模したプラスチック模型と、「マインドストレッチ」と呼ばれる思考法をセットにした減量法であるとのこと。減量に対して、"think different"(んー、どっかで聞いたぞ)な方法を提示し、健康的な人生へとたちどころに導いてくれる優れものであるらしい。
使い方は簡単で、脂肪のレプリカをいつも持ち歩き、何か食べたくなったらこれを手に持って、自分が今から身体に付着させようとしている脂肪のイメージを頭の中に具体化させるだけ。そうすれば、自然と太りにくく、身体にいいものを食べるようになるんだそうである。「脂肪、それはみんなあなたの頭の中にあるのだ」というコピーの所以である。
これを紹介していた"THE MUSEUM OF HOAXES "(1/15)では、「冗談の可能性もあるが、あんまりバカげているので、本当だろう」という意見。"Too good to be true"命題の逆ということなんだろうが、対偶ではないから真とは限らんのだけど。まあ、行動療法の一種になるので、そうデタラメというわけでもない。行動療法系というのは、基本的にバカバカしいものなので。
製造販売もとのサイト表紙の右端の写真が、これをつくって自分で試した結果、115ポンド(約50kg強)もやせることができたと主張するJayというオッサンなのだが、なんせもとが380ポンド(約170kg)あったとのことで、全然やせたようには見えないのが難なのだった。
30グラムほどのレプリカで15ドル弱とのこと。いろんな痩身法に挑戦したものの、ことごとく挫折してきた方がおられれば、だまされたと思って一度試してみられれば如何だろう。結局だまされるだけ、という可能性も大きいけれど。
注:私は行動療法に分類されるだろうといってるだけで、効果があると保障しているわけではないのでお間違いなく
昨夜のニュースステーションで、「見たい夢を見る装置-夢見工房」(報道用リリース(PDF)はこちら)なるものが、おもちゃ会社のタカラから発売されるというニュースをやっていた。REM睡眠にあわせて(といって、別に脳波や眼球運動で同期させるわけではなく、平均的な眠りのREM周期が設定されているだけらしい)、匂いや光とか音楽や、本人の吹き込んだキーワードなどの言語刺激をおくって、見たい夢を見させることを目論むものだという。
おもちゃの一種なんだから、別にその発想の緩さをどうこういっても仕方ないと思うが、問題はニュース番組の方の解説である。このマシン(?)を使って夢見をコントロールすることを、セノイ族という少数民族の固有文化を例に挙げて誉めそやしていたのだ。
セノイ族は、マレー半島のジャングルの中で暮らしている一万余ほどの集団だが、かってアメリカの人類学者がこの人たちの調査をして、ある種の理想的共同体のように持ち上げた経緯がある。この人たちはみな心豊かで平和的に暮らし、精神的ストレスや犯罪というものが存在せず、権力や抑圧、差別というものもないのだと。
その最大の理由というのが、彼らが自分の夢を自由に操れるからだとされた。彼らは現実的生活と全く同じ比重でその夢を大切にし、自分の夢体験を皆で話し合い、それが示唆する教えに従って生活するのだという。その上に、夢見の秘法を使って自分達が見たい夢を見られるようにして、夢と現実生活双方での人々の結びつきを強めてきたのだとも。
キルトン・スチュアートという人類学者がセノイ族の調査を行ったのは1930年代だが、彼の報告は60年代アメリカのカウンターカルチャーのうねりの中で、一種の聖典として扱われた。これと、カルロス・カスタネダの一連の呪術シリーズが揃えば、ほぼあの時代の若者たちの基底気分を知ることが出来るといっていいほどだ。
今だって「セノイ 夢」と検索すれば、セノイ族社会のユートピア的性格を前提としてまず疑わぬ記事をいくつも見つけることが出来るし。そういえば、某カルト宗教団体でも、このセノイ式夢分析というのは修行の一つになっていたような気がする。先のタカラの商品紹介記事を読んでも、理論付けの背景にはこれがあるのだろうと思わせる記述になっている。
スチュアートの元論文はよく言及される割には日本では手に入れるのが困難だったが、85年にカリフォルニア大学の心理学者、ウィリアム・ドムホフによって書かれた"The Mystique of Dreams"(これは91年に岩波書店から「夢の秘法―セノイの夢理論とユートピア」として出版されている)という本の中で、「マラヤの夢理論」という一章として収録されている。ネット検索でも、この本をネタ本として、秘法の実践をしているサイトを発見することもできる。
ただし、ドムホフがこれを紹介した意図は、夢見の秘法に支えられたユートピア理論よ今再びということではなく、スチュアートの報告がかなりの誇張と脚色を経たものであることの指摘と、そういう報告がカウンターカルチャーの基礎理論のように持ち上げられ、神話化していった経過を解明することだったのである。
ドムホフはかなり穏やかな調子ではありつつ、スチュワートが報告した「夢見の技法」なるものは、ほぼ彼の善意に基づく創作であったことを明らかにしている。たぶん、ちょっとオッチョコチョイなうえ、エスノセントリズムからそう自由ではなかったスチュアートに、ガセを仕込んだりしてからかった、人の悪い現地インフォーマントがいたのだろうけれど。
まあそれは、ちょっと考えればわかることなのだ。ジャングルに点在して暮らす一万ちょっとの部族が、「警察や監獄すらもっていない」というのは当たり前だろうし、「犯罪者や精神障害者がまったくいない」というのになれば、そりゃ違うだろうと思える。実際、セノイ族は穏やかで争いを好まぬ部族であるらしく、夢も一種の超自然的なお告げとしてとらえたりすることは事実らしいが、それは別に彼らだけの特徴ではない。
つまり、ドムホフの著作はセノイの秘術を紹介するのが目的ではなく、アメリカ社会がなぜスチュアートのロマン的虚偽報告を受け入れ、誉めそやしたかというアメリカ文化論なのである。ところが批判のための再収録という意図を離れて、なぜか90年代以後にも「セノイ族の夢見技法」を生き長らえさせる結果を招いているともいえるのだ。まじめに本を読む人は少ないし、読んだとしても都合のいいところだけを読むということなのだろう。まさに、人は「生き生きとした伝説の魅力に抗い切れないことがある」という実例といえようか。
夕方、紫野のあたりに用事が出来たので、バスで出かけることにした。
近所のバス発着所は小高い丘にあり、木造の事務所とその前にある砂利引きの広場だけの、こじんまりしたもの。
ホコリだらけのボンネットバスが二台、発着所に止まっているが、人の姿はみえない。「紫野行き」のほうに乗り込もうとすると、事務所から出てきた女車掌が、「運転手がこないのでちょっと待っていてくれ」という。
車掌はそのまま広場の隅まで歩いていき、「おーい、ノモリさーん」と、彼方にいるらしい運転手に手を振っている。彼女には襟ボクロがあって、夕日にそまるその後ろ姿は結構絵になっているのだった。
半分目覚めながら、これは石原裕次郎の「夕日の丘」の情景を夢に見ているのだな、と気がつく。それにしても何で「紫野」なんだろうと思い、もう一台のバスに目を向けると、それは「標野行き」になっているのだった。
あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
額田王って、バスの車掌だったのか。それにしても、「標野」ってどこだよ。
自分の診ていた患者、200余名を殺し、"Dr.Death"として知られたイングランドの開業医、ハロルド・シップマン(57)が、本日朝6:20(日本時間午後3:20)、服役中のウェークフィールド刑務所の独房で、首吊り自殺を図っているところを発見される。刑務官はすぐに救命処置を行ったが、8時過ぎに死亡が確認された。(記事はこちらとこちら)
1998年、ハロルド・シップマンはイングランド北西部グレーター・マンチェスター州ハイドで開業していたが、自分が診ていた81歳の女性患者にモルヒネを注射して殺し、遺産が自分に相続されるように遺書を改ざんしたという容疑で逮捕された。その後の捜査で、シップマン医師は自分の患者を、少なくとも215人は殺したと見積もられている(1000人を超えるという報道もある)。手口は全てモルヒネ注射によるものであった。
実際に立件起訴されたのは15件の殺人と、逮捕事案の遺言書改ざんで、2000年1月に終身刑の判決が確定して服役していた。政府は彼の事件の全体像を探るべく調査を続け、シップマン医師が殺害した可能性のある被害者は最低215人、最大260人という結論を2002年7月に出しているが、再び裁判が行われる可能性はまずないだろうと言う意見を表明している。
シップマンは1970年に医学部を卒業し、4年間総合病院で研修した後、家庭医として登録しているが、そのころからしばしば意識消失発作をおこすようになり、合成麻薬系鎮痛剤ペチジンの中毒に陥っていることが発覚した。彼は自分自身に、違法に処方箋を発行していた事も判明した。彼は罰金刑に処せられ、薬物依存治療プログラムを受けた後、77年にハイドで、グループで再開業した。
同僚たちは彼の仕事振りを評価していたが、患者に対して傲慢で恩着せがましいという見方をするものもあった。93年、彼は仲間から離れて単独開業をするが、彼の診療所は多くの患者に利用されていた。そして98年、彼にとって運命の日が訪れるのである。
シップマン医師は全ての嫌疑に対して無罪を主張し、これは服役後も同様であった。取調べ中も彼は捜査員に対して傲慢な態度を崩さず、まるでゲームを楽しむがごとき態度をとり続けた。捜査過程で精神科医が彼と面接しているが、いわゆる「快楽殺人」であることは否定し、一種の無意識的不安回避行動であったと示唆している。なお、彼はその犯行で金銭的な利害を求めることは、最後の遺言書改ざんの一件を除いてなかったらしい。
被害者の家族たちは、シップマン医師がこういう形で決着をつけたことを意外とは思わないとした上で、これで完全に事件の全貌があきらかになる道が閉ざされたと無念がっているという。
普通に精神科なんかやっていると、自殺以外に受け持ち患者の死をみることはそう多くない。私の場合、合併症や痴呆老人の受け持ちが多くなって、自然と内科疾患も診るようになったころ、最後まで付き合ってその死を見取った初めての経験で感じたことは、正直言って、実にすがすがしい達成感であった。
合併症だらけの高齢患者を、そう無理な延命をするでもなく、といってほっぽらかすわけでなし、という微妙なバランスを保ちつつ、安らかな最期をうまく演出するというのはなかなか難しい。
精神科疾患というのは、基本的に完結することのないものであるから、小康を得られたとしてもまた思わぬ展開があるやも知れず、その時々の危機を何とか乗り越えたというささやかな満足で終えるしかない。その点、身体的死というのは一回で終わりだから、やるだけのことをやりおえた満足は大きい。
どうもシップマン医師は、このあたりの満足への誘惑に妙な形で耽溺してしまったんではないのかな、というのが私の感想である。医療というのは一種のゲームであるとは思うが、常にオープンな条件で執り行なわれるからこそ、公正性やゲームとしての醍醐味が保たれるのである。壷振りが賽の目を動かして、プレーヤーの運命を勝手に決めたらいけません。
いうならば彼は、ローカルな神様になろうとしたわけだ。患者の運命を操作したり、取調べや公判、および事後調査の場面をつうじて、ある状況を支配することができなくなってしまったら、もはや彼には死を選ぶしかなくなったということなのかも知れない。
「余丁町散人の隠居小屋」で紹介されていた、エントリーの「続きを読む」部分が、このIndex内に追加されて表示されるスクリプトを導入。導入といったって、コピー&ペーストするだけのことだけど。
要は、ご覧の通りにエントリー本文が「うにょうにょ」と、一見増殖するかのように表示されるわけ。もっとも、JavaをONにしていないと、普通にアーカイブのほうにリンクされるだけですが。
Java細工は好まれぬ方も多いとは思うものの、けっこう面白いので採用とさせていただくことに。なお、散人氏の紹介しておられたサイトのスクリプトは改変してあり、うまくこちらでは動かなかったので、オリジナルのBlogサイト"Scriptygoddess"から直接いただいた。でもここ、自分のところではこのスクリプト使ってないんだよね。なんでだろ?
私の場合、こういう小細工をして時間をつぶしているということは、やらねばならん仕事が別にあるのを意味しておるのです。そっちは全然すすまんよ。仕方ないので、MT部分を携帯用サイトに変換してくれるプログラムも入れようかしらん。
しつこく「生まれ月」関連の話題。生まれ月偏移の問題を調べていて、少々古いものの、こんなニュースを検索でみつけた。いわく、「誕生日はサッカー人生の関門」という、2001年11月のAnanova(イギリスのニュースサイト)の記事である。
----------------------以下要約---------------------------
スポーツ科学者によれば、一年のうち、特定の生まれ月の少年だけがプロサッカー選手になりやすい。この主張をしているのはリバプールのジョン・ムーア大学の専門家である。
彼らによれば、クラブチームが開くジュニア選考会は8月におこなわれるため、9月から11月に生まれた少年には有利になる。秋生まれだと発育に一年近い時間の余裕があるため、コーチ達に注目されやすい。プロになる素質を持っていても、見逃してしまう危険をクラブチームはおかしている。
この問題はいくつかの話題の一つとして、スポーツ科学者やクラブチーム関係者の会議で話し合われた。「エリートサッカー競技者を育てるために:実践に科学を」と題されたこの会議には、プレミアリーグをはじめとし、さまざまなリーグからのコーチや代表、それに大学の専門家や、サッカー関連企業からもふくめ、300人以上が参加した。
ジョン・ムーア大学のマーク・ウイリアムズ博士はこう語る。「クラブが年かさの子どもたちを選ぶ傾向はすでに立証されています。84年から2000年の間に競技していた英国選手の、実に50%は9月から11月に生まれているのです」。
---------------------引用終わり-------------------
はじめ、なんとこんなところにも生まれ月偏移の謎があったのか、と思ったのだけれど、記事を読めばそういうことではないのだった。子どもは一年足らずの間にも著しく成長するので、同学年の子どもの選考会を年一回やっていたら、その年令のうちで一番育ったのが選ばれる傾向がでるという、えらく当たり前の話。8月終わりに選考会があるらしいので、9月に新学期が始まる向こうでは、9月生まれのガキが一番育ちがいいですわね。
といいつつも、あのベッカムは5月生まれだったような気が。他の選手は誰も知らんけど。
「災害でベビーブーム」という伝説への反証のため、ざっとわが国の統計をながめてみたら、月別出生率の偏りという現象がかってはあり、それが戦後なくなっていったという意外な事実に出会ってしまった。掲示板のほうでは、いわゆる「早生まれ有利説」というので説明できるのではという提案を頂いている。
この問題についてくわしく検索していたら、こういう長大論文ページに行き着いた。和光大学の教官ページにあるのだが、何故か表紙からはリンクされていないという不思議な論文である。著者は帝京大学の衛生学教室の名誉教授である三浦悌二氏で、先の和光大教官とも共同研究をしておられる方のようだ。
三浦氏の論文はプリントアウトすると78ページにも及ぶ大著で、その論考はさまざまな分野に及ぶものだが、関心の中軸は日本人の生まれ月には、戦前までは1月~3月に明らかな偏りがあり、それが戦後消失したということにあるようだ。日本脳炎やポリオなどの伝染性疾患や、分裂病などの疾患においても、罹患者の生まれ月に変異があるという一部の報告も踏まえ、その機序を検討しておられる。
三浦氏は、生まれ月の変異は届出の人為操作にあるという説も一応は検討しておられるものの、それだけでは説明しきれないことも同時に示している。確かに昔は早生まれが有利だという考え方があり、12月生まれだと1月に、4月生まれだと3月に生まれたことにして届る傾向はあったようだ。しかしだからといって、6月生まれの人を3ヶ月以上遡って生まれたと届けることは、いくら昔だからといって、ちょっと無理だとおもわれる。
三浦氏はこの点について、別に人為操作がおこなわれるとは考えられない死産報告を検討し、やはり1月~3月に出産数が倍近く多かったというのは統計どおりだろうという推論をおこなっている。
三浦氏は年初め4分の1に出産が有意に多い理由として、季節的な自然不妊の流行があったという仮説を立てる。つまり胎生期初期にウイルス感染などが不顕性に流行して、自然流産してしまうということで、特に夏季にこれが起こったのだろう(三浦氏はそのおもな原因として、日本脳炎を念頭においているようだ)という仮説である。戦後の衛生状態改善が、この不顕性のウイルス感染流行を防ぎ、生まれ月の偏移を消失させたということだ。
三浦氏の論文は上記の部分ではかろうじて理解可能であるが、他の敷衍部分では正直言って論理に飛躍が多く、かなり「と」の要素が強い。彼の論理からは、胎生期に不顕性感染を経てひ弱な胚が淘汰されるため、他の疾患への耐性にも変化が出るというのだが、わからないでもないとはいえ、何でもかんでもこれで説明するのはちょっと無理だとおもえるし、まして例の血液型体質論まで一緒に主張されるため、距離を置かざるを得ない。
少なくとも、日本で起こったこの生まれ月偏移の消失という現象は、ヨーロッパでも前世紀はじめに起こったということだ。長い歴史を振り返れば、この偏移は優位月の変動を示しつつ、数十年単位で目立たなくなったり、強く現れたりしていると三浦氏は主張する。基礎資料を確認できない身の悲しさ、そんなものですかなぁと拝聴するしかないのだが、それが事実だとしたら、不顕性感染説というのはなかなか魅力的な仮説であるといえよう。
精神分裂病関連では、この生まれ月研究というのはけっこう有名で、昔は北欧でもっぱらおこなわれ、冬季に生まれた人の分裂病罹患率が高い(かなりわずかな差ではあるのだが)というのが知られていた。その後もこの関連での研究は続けられているらしく、南半球と北半球との比較とか、赤道付近での研究などが追加されている。その結果、それほど関連性はないらしいというような、あいまいなところに落ち着いているようだ。
これに関しては三浦氏もふれていて、もともとの生まれ月偏移も時とともに変動しているので、明確な統計的関連性を示せないのだろうとしている。とにかく、ちょっと流し読みしただけではその意図をつかみきれないような大論文でもあり、もう少し読み込んだ上でさらにくわしく報告してみたい。
昨日の(といっても、昨日はサーバーの調子がおかしく、どうやってもupできず、さっき更新したところなんだけど)記事に関連して、冬ごもりしなければならないような環境では、子作りにいそしむために、子供が生まれる月には一定の傾向があるという噂を検証しようと思いつく。
「冬ごもり 子供はみんな 秋生まれ」という川柳をどこかでみたのだが、Googleでは見つからなかった。あんまり有名ではないらしい。あくまで伝説のレベルとはいえ、ちょっと停電が起こったり、大雪で家に閉じ込められたら出生率があがると言われるのだから、冬ごもりを余儀なくされるような地域では、実際に生まれ月の変化が見られるのではないだろうか。それを踏まえて、ああいう噂がささやかれるのではないかというのが、検証すべき仮説である。
まず厚労省の統計記録からもってきた、平成元年から12年の日本全国の月別出生率を表にしたものがこれである。なんとなく夏の間わずかに出生率が上がっているような印象があるものの、まず有意とはいえぬものである。統計処理してみても、この印象をくつがえすようなものが出てくるとは思えない。日本全国をまとめれば、生まれ月のかたよりはないということである。
次に、雪国の代表として、新潟県の月別出生率をしらべる。こちらは平成9年と10年だけのデータで、死亡率や婚姻、離婚まで入っているが、ほかのデータにかなりばらつきがあるのに比して、こと出生率になるとほとんど変化はないのがわかる。しいて言えば、全国統計と同じように、夏の間わずかに増えているかなという程度。
比較のために沖縄県の月別出生率をみた。平成6年から10年までのデータである。フォーマットが違うのでわかりにくいが、こちらもそう変化はないものの、全国や新潟とくらべると、夏から秋にかけての出生率増加傾向がやや目立つと言う印象はある。多少涼しい間の方が、同衾するのに抵抗がないってことなのかも。少なくとも、冬ごもりとは関係ないけれど。
以上から明らかなように、県別という大雑把なくくりではあるものの、雪国⇒冬ごもり⇒子供が秋生まれというようなユルイ連想は、まるっきり成り立たないのである。しかし、これは田中角栄のおかげ(?)で近代化された結果かも知れず、もっと過去にさかのぼって調べるべきだと思うのだが、ネットでいい加減に調べているだけではこのあたりが限界なのだった。
しかし、厚労省の統計に、全国平均ではあるものの、月別出生率の変化を明治32年(1899)から追ったグラフがあるのをみつけて、謎はさらに深まってしまうのである。グラフを見れば一目瞭然であるように、戦前までは1月から3月までの出生率はほかの月と比べて倍近い高値をしめしており、その差は戦後どんどん少なくなっていき、昭和50年を迎える頃に完全に消失するのである。
さてさて、これをどう理解したらいいのであろうか?唯一思いつくのは、50年前ごろまでの日本人には、まだ「発情期」とでもいえる生物学的な周期があったという説明。そういう周期を失って、出生率も下がる一方になったのだとすれば、なかなか魅力的な理屈である。もっと納得のいく説明を思いつかれた方がいたら、ぜひ提示していただきたい。
何であれ、冬ごもり期に受胎が増えるという仮説は、あえなく崩壊である。まあ、少なくとも単発的な災害などでベビーブームが起こることはないという、側面的資料にはなりそうである。ちょっと論理は緩いものの。
「ABC(アメリカン・バカコメディ)振興会」という、もっぱら海外ニュースをあつかっているサイトを見ていたら、「大暴風雪のせいでベビーブーム」という記事がでていた。そこには元記事へのリンクがなかったので、自分で検索して見つけたのがこれ。昨年3月、コロラドをおそった大暴風雪によって、人々が家に閉じ込められた結果、12月になって時ならぬベビーブームが起こっているという報道である。
おいおい、またかよ、と言うのが正直な感想である。この「災害がべビーブームを呼ぶ」という風説はさまざまな場面で噂され、かの9・11テロや昨年8月のニューヨーク大停電の際にも、高名なジャーナリストによってあたかも事実であるかのように語られるのである。
この原型は1965年のNY停電のの翌年、ニューヨーク・タイムズの記者によって書かれた記事にあるというのが定説になっているものの、さらに素朴な型式で、昔から語り継がれているジョークであることは明らかなのである。(こちらですでに記事にしているので参照あれ)
ABC振興会に紹介されていた元記事は、ロバート・ウェラー記者によるアソシエート・プレス配信であるが、まず病院関係者の感想ではじめるその記事構成は、40年前のNYタイムズ記事をなぞったとしか思えないものだ。J.H.ブルンヴァンがいう、「ジャーナリストたちは生き生きとした伝説の魅力に抗い切れないことがある」という印象にとどまらず、伝説パクリすらあえて辞さない、ある意味「報道」の王道をいく態度すら感じさせるものと言えよう。
先月分の記事を各ジャンルに振り分ける。といって、今回はほとんど「雑感」にBMJ論文紹介を追加しただけ。
Movable Type導入後から、というより以前から日記の記載をジャンル別に振り分けるのに多少の疑問を感じていて、リンクの張りなおしだけでいいのではないかと思うこともあるのだけれど、私の場合、以前の文章というものを読み直すと、なにか手直ししたくて仕方なくなってしまうという性癖があるのだった。
以前は各ジャンルの記事だけを時々書いて、こちらはその更新報告みたいな感じだったのだが、毎日書くようになってからは、こちらに書いたことを脚色してジャンルわけするようになり、そのうち、多少の手直しだけで記事移動するだけになってしまった。
多少酔っ払って書いたような文章はあまりにひどい場合が多く、それにそのままリンクだけつけるというのはちょっと耐え難いのである。といって、簡単にサイトをまとめられるという誘惑にも駆られるわけで、ここは思案のしどころである。
Movable Typeももうじきバージョン3.0が出るらしいので、そのあたりで模様替えも含めて検討ということにするつもり。ありがちのBlogサイトになってしまうのも、少々なんなのだけれど。その辺は、安きに流れるということで致し方ないかな、と。
映画鑑賞はすべて他人のDVDコレクションに依存している私なので、なかなか好みが一致しない時期が続くこともあって、今年初めて見たのが「ワイルド・スピードx2」("2 Fast 2 Furious")。タダで借りてきていうのもなんだけど、なかなか面白い映画でございました。
「2」と題打つからには前作があったのだろうけれど、その辺は全くしりまへん。マイアミで右ハンドルのスカイラインGTRに乗ってストリートレースに明け暮れる主人公がいて、こいつはどうも警官だったのがワケあり事情で遊び人をやってるらしく、もちろんその遊び人が一番似合っている男なのであった。
それが昔の上司(?)から、麻薬屋のところに潜入捜査する役割を押し付けられ、なんだかそう必然性もなくカーチェイスばっかりやる話になるのであった。そういう他愛もないユルイ筋書きを云々しても仕方なく、ニトロ充填改造マシンが走り回る話を楽しめばいいというのが大方のおすすめなのだけれど、それほど金かけているようにも思えないカーチェイスは、そう迫力があるとはいえないのだった。
この映画の注目点はただ一つ、ほとんど添え物扱いながら、存在感をいやというほど発揮する女優、デヴォン青木であろう。レストラン・ベニハナチェーンのオーナー、ロッキー青木の娘さんらしいが、少なくとも20年前までなら、「オカメ」と呼ばれて、決してセレブの側に入ることはなかったであろう容貌の持ち主である。
日仏混血で、スタイルは確かに素晴らしいが、以前ならいくらあのプロポーションをもってしても、「スター」にはなれなかったろう。でも、映画で見る限り、その立ち振る舞いはキュートだし、コケティッシュだというだけには留まらない魅力を発揮している。21世紀の美女の理想型をほぼ方向付けた、といっていい女性ではないだろうか。
幸い、私たちの周りには、あのスタイルには届かぬまでも、ちょっとその面影をたたえる女性なら、いくらでも見つけることができるのである。世の男性に、「あなたはデヴォン青木にそっくりだ」というほめ言葉を与えてくれたというその一点で、この映画はある意味、時代的転回点を示した歴史的作品となるのではないかと予感するのだった。
TVを見ていたら、NHK教育の福祉何とかという番組で、デヴィッド・ヘルフゴッドについて放送していた。97年のアカデミー賞主演男優賞をとった映画、「シャイン」のモデルとなったピアニストであるとのこと。
NHKのサイトなどから付け焼刃で得た知識によれば、彼はオーストラリアの貧しい家庭に生まれ、亡命ユダヤ人共産主義者で、一度は音楽家を目指した父親の指導の下、幼いときからその才能を開花させるのだが、父親はそんなデヴィッドに嫉妬し、独占するためにプロへの道を閉ざそうとしたのであった。
何とかイギリスに留学したものの、そこで精神異常を来たして帰国し、精神病院に10年以上入院、退院後は福祉施設に暮らしながら場末のバーでピアノを弾いて生活の糧を得ていたところを、現在の妻、ギリアンと出合い、プロのピアニストとして復活を果たしたということのようだ。
NHKは昨年7月に来日したヘルフゴッド夫妻にインタビューしているのだが、肝腎の本人がわずらっている疾患についてあいまいにしか触れないので、「傷つきやすい」だの「その傷つきやすさが音楽的な才能をはぐくんだ」などというような、どうかと思うような「神話」に加担するばかりの構成なのだった。病名も「不安神経症」などと誤魔化しているし。
あの人はどう見ても分裂病*の欠陥状態だろう。薬物療法を続けながら、なんとか再増悪を防いでいるというところだと思う。そんな状態でも、なんとかコンサートツアーを続けていけるのは、マネジャー役のギリアン夫人の強力な支えと、何よりも疾患にも崩されなかった彼自身の音楽的才能という核があったからと思われる。
「シャイン」という映画は見たことがないが、解説を読むと、精神疾患によって失われたかにみえたデビッドの音楽的才能を、夫人の愛の助けで取り戻すという話になっているらしい。でも、そんなやつぁおらんぞ、普通。急性期にはピアノ弾いてる余裕はないだろうが、程ほどに落ち着けば音楽活動はやれる範囲でやったろうし、それが彼の拠りどころになっていたはずだ。
もちろん、人に聞かせるレベルに洗練するためには、心置きなく練習する環境が必要なはずで、福祉施設で暮らしているのではそれは少々心もとないだろう。そんな彼を見出したギリアン夫人が、強力なイニシアティブでその才能を表に出させるべくプロモートした、ということなんでしょうな。もちろんその一環として、愛と感動の物語を脚色することも。別に私は貶めようと思っているわけではない。客を呼ぶにはそれも大事なことだと思う。
何であれ、番組でちょっと流した彼の演奏は、緊張感がどの音にも満ち満ちた素晴らしいものだった。メリハリという面からみれば、ハリばっかでメリがないぞといえないこともないのだけれど。重い精神疾患に耐えてきた彼には、全体的構成に目を配る余裕がなく、その瞬間瞬間にベストを尽くすしかないのでしょうな。今後の、そう無理をしない活躍を期待したいものだとおもう。
*なんでお前はいまだに分裂病という病名を使い、「統合失調症」という学会が決めた正式名称を使わないのだ、という質問を頂くことがある。以前どこかで書いたような気がするのだが、私はこういう意味のない言い換えがきらいで、統合失調症という病名も出来がいいとおもわないから使わないだけ。すでに業界ではこの言葉が「慢性化」してきていて、「統失」なんぞと略す奴もいる。お前はピッチャーエラーを治療するつもりかと、思いっきり突っ込みたくなることもある。
Football365.comが昨年12月22日の記事で伝えるところによれば、アルゼンチンの警察は今、マラドーナの偽ペニスを捜索中とのことだ。
警察当局によれば、マラドーナは公式試合での薬物使用チェックのための尿検査を誤魔化すため、プラスチックでこしらえたペニスを持ち歩き、そこにほかの人間の尿を満たして、あたかも自分の尿であるかのように検体を提出していたのだという。しかしその偽ペニスが国際試合ツアーで使われたあと、盗まれてしまったという。
「当局者は言葉を選びながら、『それを見つけ出す自信はあるよ。こいつは普通じゃない盗みだが、元の持ち主には価値があるものだと思うよ』と語った。」というのだが、この短い記事では、いったいなんで警察がそんなものを捜しているのかよく判らない。まさか、マラドーナが依頼したわけでもないだろうし。それともマラドーナ、懲りずにまたぞろクスリにはまってしまい、捜査対象になって傍証集めされているのかも。
この記事が紹介されていたのは、urbanlegends.about.comの掲示板だが、そこでは「eBayのオークションに『マラドーナが使った偽ペニス』を出品して、金持ちになろう」と、参加者同士で大騒ぎである。名前が書いてあるわけでもないだろうから、適当なものを作れば本物で通りますわね。
日本ではこんなものが売られていると、連中に教えてあげたら受けるかしら。
以前「痴呆老人からみた世界」という、いくぶんか専門家向けに書かれた本を紹介した事がある。今回は、今年の7月に岩波新書として出版された、同じ著者のもう少し一般向けに書かれた痴呆疾患に関する啓蒙書を紹介したい。(「痴呆を生きるということ」小澤勲:岩波新書)
以前書いたのだけれど、小澤勲氏は70年代の精神医学医療の批判改革運動において、かなりの重要人物であられた。この国における「反精神医学の旗手」の一人であったわけだ。その頃は専門を思春期の精神療法としておられたはずで、その立場というのは徹底的なまでの反管理主義、性善説に基づく人の成長というか、可能性をとことん追求するというものだった。
その頃、氏が書いておられた治療的逸話のようなものを覚えている。彼が受け持った少年の話である。古典的な精神症状をしめし、とりわけ精神運動興奮がはげしく、家族や教師にたいする理不尽な反抗が目立つとして入院にいたった例なのだが、小澤氏は少年の心を解きほぐし、その世界総体に対する疑いを知ると、それを具体的な行動として解き放つように導くのである。少年は学校に戻り、学園闘争に参加し、それを突き進めていく中で、症状とされたものは消えていくのである。
まだ駆け出し段階だった私は、それを読んで感激したといいたい所だが、実際に感じたのは「ちょっとクサすぎるんではないの?」というのが正直なところだった。詳しい統計をみれば明らかなのだけれど、60~70年代の学園闘争(紛争でもかまわん)が、思春期-青年期の自殺を大幅に減らしたというのは事実で、あの大騒ぎはある種の精神的危機の回避にとても役立った。(ただし、そういう政治の季節が終わった後、自殺はその分を取り戻すように激増するのだけれど。)
でも、精神疾患自体がそれで消退していくほど、甘いものでないのも事実なのである。たしかに一時的な精神的危機なのに、周囲のまずい対応がそれを固定してしまうようなことはありえる。不用意な宿命的精神疾患のラベリングと、それをもって不当で不要で過剰な拘束を続けることは、それに対する、捨て身の無益な反応を引き出すだけなのである。それを指摘しているとしたら、小澤氏の主張はまことに適切なものだが、少なくとも当時の書き方は、精神疾患患者=権力の囚われ人という、浅い「反精神医学」的主張に迎合した、まことに「クサイ」ものであったと思う。
さて、時移り、小澤氏はその後痴呆性疾患をその専門領域に定められて、そのキャリアをつんでこられたようだ。そして前回の「痴呆老人からみた世界」やこの本を読む限り、その基本的な芸風はまったく変わっておらず、はなはだマイルドになられ、ますます重厚な教養に支えられるようになって、磨きこまれているといえる。
彼は耕治人の私小説、「天井から降る哀しい音」、「どんなご縁で」、「そうかもしれない」を引用し、痴呆を病む妻を抱えた詩人の視点から描かれる、痴呆疾患とその介護の修羅を紹介する。痴呆性疾患を身近に知らず、具体的にイメージできない人にはまことに適切な導入であろう。
それを通じて、痴呆性疾患という、基本的には進行するばかりで治療法を欠くものであっても、介護者とのインタラクションのなかにその「症状」も、一時的な「改善」も見られるもので、逆に言えば、どんなに重度の痴呆であっても、周囲との何らかの交流はあるものだという事実を示すのである。
小澤氏はこの本で痴呆省疾患のわかりやすい解説を意図しておられるわけだが、、何よりも「痴呆は精神が無に帰しつつ、肉体がこの世にのこり、生きながらにして地獄を自らと周囲に味あわせる悪夢である」という不安というか、恐怖の払拭を優先しようとしておられるのだろう。
いわゆる臨死体験をへた人は、その後ほとんどの場合、死を恐れなくなり、一方で生を肯定的にとらえられるようになるというが、痴呆性疾患の場合は、ある意味これと同じようなことのシミュレーションを、はなはだゆっくりとした経過で、その時々に展開しているといえぬ事も無い。
精神が解体していくことは(同時にそれは肉体の死にも直線的につながるのだけれど)、一切の無に戻るという面だけでなく、永遠の相に加わることでもあるわけだ。痴呆性疾患の患者に接することは、否定的側面だけでなく、そういう肯定的側面も感じ取らせてくれる機会を得ることであるというのが、結局のところ、小澤氏が伝えたい事でなかったかと思う。
著者は、終章で、自らのことでひとつの告白をしておられる。この本をつらぬく穏やかな受容を説く雰囲気からして、想像されるとおりの内容である。彼がその臨床を通じて、全肯定的受容という境地に達せられ、自らの運命までも従容として受け入れる静けさを得られたことに敬意を表しつつ、でもやっぱりその決まり方は多少クサいぞと言いたくなるのも事実なのであった。
著者が述べている個別的な解説に側して、自分のやり方などと対比して、そのクサさについて詳述するつもりであったのだが、いささか不謹慎のそしりも免れないであろうから、全般的な感想を述べるにとどめた。機会があれば、痴呆性疾患に対する私自身の理解と対応についてまとめてみたい。題名は「サルでもできる痴呆介護」とか、「私利私欲のための痴呆介護」というような、はなはだ不真面目なものになりそう。
朝からグダグダと酒飲んでTVをみてという生活も、一応今日までにして文章まとめのほうを本格化するつもりでいたものの、そう簡単に切り替えられるものでもなく、コタツに持ち込んだノートPCも結局ゲームマシンと化して一日は終わりかけてしまう。
せめて近所の神社にお参りに行くとか、最小限の相手にでも年賀状の返事を書くとかすればいいのだが、服を着替えるのも面倒だし、プリンタにはがきセットするのもわずらわしく(自筆という選択ははじめからないわけ)、結局ポスコミサービスで、マンガみたいなサルの絵がついた奴を返信して済ませる。受け取る相手はあきれるでありましょう。
いい加減コタツから抜け出さねば、と思っていたらTBSで「向田邦子の恋文」という特別ドラマがあるのを見つけてしまい、結局それを最後まで見てしまう。というのも、新聞のTV欄にこんな紹介文章を発見してしまい、「へぇー」と思ってしまったのが理由。
「1963年、東京・杉並に暮らす向田家に嫁に行った二女迪子がお産のため戻る」と書き出されているのだけれど、向田邦子は妹が嫁に行った先の苗字を筆名にしたのか、なかなか変わったきっかけだなぁと感心し、どういう動機がそこにあったのか確かめようという気になってしまったんですな。
普通に考えれば、「向田家に、嫁に行った二女が戻ってきた」ということなんですわね。こういう勘違いが行動を定めることは私にはよくあるのです。もちろん、楽しようということが主な動因ではあるものの。
コイズミ首相が何故か巨大化してしまい、それを逆に政権基盤強化に利用しようと、「コイズミ・ザ・ジャイアント計画」なるパフォーマンスをそこかしこで繰り返すのである。その第一弾が、正月早々現れた万景峰号を埠頭の外でむかえ、タグボート代わりに巨大首相がヒモで引っ張り接岸させるというもの。
なんだか、ガリバー旅行記を思いおこさせる場面だなと、得意満面で万景峰号を引っ張る首相を見ているのである。「いや、気持ちいいね。こういう具合に事態のほうも引っ張っていけるといいね」という首相のコメント。「わが共和国人民の財産である万景峰号を、ブッシュの戦争に加担する血塗られた手で触れるとは、侮辱以外のなにものでもない」というのがあちらからの公式意見。
初夢というのは元日の朝に見る夢ではないらしいが、結構面白かったので報告。