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ちょっと前に書いた、いわゆる「医師への謝礼」に関する経験談が一部で好評だったので、別の話を一席。
これもある地方小都市の大規模病院にいたときの経験である。その病院の精神科病棟は比較的若い人が中心で、スタッフはとにかく長期入院を悪と考え、なにがなんでも平均在院日数を減らそうという、今考えるとそう意味があるとも思えない方針に(なんせ治療の質とか、顧客満足度なんてこれっぽっちも考えていないのだから)明け暮れていた。
そういう雰囲気の病棟であったから、老人性痴呆の患者さんとその家族が外来を訪れても、スタッフはあまり親切心を示さなかった。そんなもの、家族がめんどう見るのが筋ですよ、病院を姥捨て山だと思われちゃかないませんな、で済ましていたのである。その地域は農村に囲まれたささやかな旧城郭小都市という条件もあり、痴呆老人でもなんとか家庭や地域社会で支えることが出来ていたということもあるのだろう。
しかし、そのような伝統的社会構造はとっくに解体過程が進んでいて、痴呆老人をどうみるのかという問題は、今までのような知らん振りですまされないような比重をしめるようになっていたのである。目端の利く医療機関なら、デイケア施設とか専門病棟を作るなりして、それなりに新しい事業展開を考えるところだが、なにせそこは某やんごとなき方が名誉総裁をつとめられる、およそこれ以上の官僚組織はあるまいと思われる組織であった。まず時代に即応した方針転換など無理だ。
実際に病棟構造からして老人を受け入れにくく、看護スタッフもさっぱり慣れていないところで無原則に患者をとっても無責任なだけだ。どんどん増える老人の入院依頼に対して、私たちスタッフは「アリの一穴」を認めてはいけないという決意で、木で鼻を括った応対に終始していた。それでも例外ということはある。私が結構長い間うつ病としてみていた初老の男性が、急速に痴呆症状を進行させたのである。
その人は早くに妻を亡くし、軽い身体障害をもつ娘と一緒に暮らしていた。夜間にせん妄をおこし、幻の声に誘われて戸外に出かけてしまおうとする父親を、娘は追いかけていくことも難しかった。何度か事故寸前の事態があり、ある日娘は病院を訪れ涙ながらに入院を請うた。職場に警察から父親を保護したと連絡があり、引き取ったその足でやってきたという。いつも外からカギをかけて働きにいくが、その日は本人が窓を壊して出て行ったという。
「うつ状態の時には気の進まぬ本人を説得して入院させたではないか。よくしてもらえて感謝しているが、ボケたら知らないというのはあまりにつれない。いつまでも入院させてくれといっているのではない。せめて徘徊がおさまるまで何とかならないかと言っているだけだ」と。
確かに娘の言うとおりなのだ。専門外の疾患ならよそに回せばすむことだが、自分の守備範囲なのに、ここから先は知らんというのはやはりこちらも忍びない(こういう考え方を、医師のパターナリズムとして忌み嫌う人がいるが、私にはあまり理解できない)。看護スタッフにつるし上げくらうのを覚悟して、徘徊がおさまるまでという条件をつけて入院してもらうことにした。娘は泣き腫らした目をあげ、私の手をとって何度も「有難うございます」と繰り返したのであった。
そのあと娘は、背後においてあった紫色の風呂敷包みを取り出した。新書数冊分の厚みがある包みを手にもち、「それでは」と口をひらくので、私は「いや、そういうことは困りますので」と受け取れない事をつたえた。すると娘はキョトンとした表情で私をみすえている。私は「そういうものは受け取れません」と繰り返し、その包みを指し示した。
すると娘はゆっくりと自分がもっている紫の包みに目をむけ、やっと気づいたように、身をすくめてこういったのである。「いえ……、これは私の弁当箱でして……」。
その後、老人は少量の投薬で夜間せん妄もコントロール可能となり、ほかの若い患者さんにも大事にされて、そこそこの落ち着きを取り戻し、3ヶ月ほどで家に帰った。落ち着いたのはいいが、全体に元気がなくなってほとんど寝たきりになってしまい、開業医の往診を受けていたものの、その後一年あまりで亡くなった。娘は不自由な身体で、最後までかいがいしく世話をしていたと言うことだ。
なんであの弁当箱を心付けだと思ってしまったのだろうと、今でも時々考える。やはり特別に診てやるのだよ、という意識がこちらにあったんだろうな。だから向こうだって、特別な態度を示すのがあたりまえだと思ってしまった。受け取りを拒絶するにせよ、そういう傲岸さは同じ事なのだ。
まあ、かなり気まずい思いをしたおかげか、とにかく早くなんとか格好をつけにゃならんと、必死になって対応を考えたので、学んだことも数多く、その後私が老人痴呆患者をみていく上で一大ターニングポイントとなった例ではあったのだけれど。
投稿者 webmaster : 2004年01月30日 22:14