2004年2月29日  けがれし魂を許したまえ[ネタ]

下のリンクをクリックする前に、その内容を想像してほしい。

http://www.cummingfirst.com/

ジョージア州カミングという町にある、カミング第一メソジスト教会のサイトだが、魂の汚染度テストにつかえそうなURLである。もしかしたら意識的にやっていて、けしからぬ罪びとたちを、あのURL名でつり、その魂の平安を得させる機会にしようというねらいでしょうかなぁ。

日本で似たような例というと、ここぐらいしか思いつかない。URLまでは決まっていないけれど。

Posted at 20:19 | トラックバック (0)

2004年2月28日  命がつながっているわけがない[社会・歴史]

酔っ払ってる頭でNHKスペシャル「よみがえる教室」をみる。ガンで余命幾何もない小学校校長が、独自に展開している特別授業の記録である。この校長が「命の授業」という特別授業をし始めてから、この小学校では授業崩壊もなくなり、不登校児童もいなくなったのだという。

そりゃウソだぞ、私の常識がそう告げる。大体、彼の学校というのが、参観研究を前提にした、特別授業のための実験校で、彼は初代校長なのである。それまで存在しなかった問題を、どうやったら根絶できるのだ。「よみがえる教室」という題名からししてミスリーディングであろう。「見せびらかす教室」というべきではないのかな。

アホらしいので詳しくは見てはいないのだけれど、子供の可能性をどうのこうのという話からして、ウソに決まっているわけである。子供というのはバカなので、大人がちゃんと教えてやるしかないのは当たり前だ。子供がどんな創造性を発揮できるというのだ。ちゃんと読み書きそろばん(これは数学的能力という意味ですよ)を教えておくのが初等教育の役割で、つまらんガキの思いつきなんぞ、大人が気にしてどうするというのだ。まあ、天才というのは時々出てくるので、それには適当にリスペクトしてほしいとは思うが。

何であれ、「死」というのはガキにも大人にもオールマイティの強みを発揮するものらしい。オレはもうじき死ぬぞという姿勢というものは、他者にそれなりの緊張を強いるものであるようだ。考えてみれば、あの麻原も、白装束集団のトップである何とか言うオバサンも、このテクを使っていたわけだ。その意味では、ここにもささやかな麻原的なるものを見つけることが出来るといえるかもしれない。

この校長は今年になって病状が悪化し、死亡されたそうだ。TVに登場していた12月までは、あんなに元気だったのに、そんなに急に悪くなることあるんだなという感じである。もしかしたら、冬休みだから化学療法でもやりませんかという、悪魔のささやきを聞いてしまったのではないかと思ったり。少なくとも、ガンになれば医学的管理下で、なんの役にも立たない規制を受けねばならないという誤解をとくには、かなり役立つ生き様であったと思う。

自分が子供の頃を思い出してみると、あの手の実験教育につき合わされるのは、本当に災厄以外の何者でもなかった。教師がどうでもいい感慨にふけるのは勝手だが、彼らがつまらん会議をしている間は子供は自習させられているのだろう。教師がバカだと(確率は5割というところか)自習のほうが余っ程マシなんだが、子供の方はバカばっかりだから、ちゃんとした秩序が保たれなくて迷惑することがおおかった。そんなこと、あの番組では考えてもいないんだろうな。まあ、TVカメラが入っていればそういう問題もないか。

そういう形式的なことは別にして、「命はつながっている」という死を前にした校長の教え自体についていえば、それもウソだと思う。種としてつながっているは当然だろうが、個別的な命がつながっているわけがないではないか。人はみな孤独に死ぬしかなく、その生きてきた証がちゃんと誰かに受け継がれる保障などない。それは人と人を継ぐ愛というものはありますよ。でも、それは誰にも要求できるものではないだろう。少なくとも、義務教育でそんなこといわれたくない。

子供症例はそんなに専門でもないが、それに関与してくる組織(学校、教育委員会、警察、児童相談所など)の無能さにはほとほとあきれ果てているので、連中に何かが出来るという前提で物を考えることは無意味だと思っている。とりわけ、学校という制度には何も期待できない。つまらん子供支配をやめて、基本的な知識を伝えることと、子供に対する犯罪行為をチェックすることだけはやってほしいとおもう。そもそも、そういう要求すら、本来は余計なものであるのだろうけれど。

Posted at 23:17 | トラックバック (0)

2004年2月27日  麻原的なるもの[社会・歴史]

オウムの麻原彰晃に死刑判決が出たようだ。私は死刑廃止論者でもないし、まして無限の許しを説くような人間でもないが、いくら被害者、もしくは関係者だからといって、法の名のもとに人を殺す決定(まだ決まったわけではないが)がなされたのを、「よかったよかった」と喜ぶ姿を取材させる心性は理解できない。

もちろん、「ザマをみやがれ。思いっきり苦しんで死ねばいい」という気持は理解できる。でも、それはかなり恥ずかしい感情であるとおもうし、心に秘めておくべきものではないだろうか。それが正義の立場であるかのように語る人々は、むしろ裁かれた側以上の暗黒面に閉ざされているように見えた。その意味では、「違和感はない」とだけ、静かにコメントした河野義行氏が、古来の日本的作法にしたがっていると思った。

人間というのは、正当化できる口実があれば、他人を支配し、その生殺与奪権を握りたいという根本的な欲求があるのだろう。麻原はそれを救済という名目で無差別に実行しようとし、それにたいして正義の名目で「血祭りにあげよ!」と叫ぶ人々もいるというわけだ。たぶんこれは、人類という生物種が存続する限り、永遠に続いていくことなのだろう。もちろん非難しているわけでもなく、そんなものなのだろうなと思っているというだけだ。

実際のところ、最高裁で判決が確定されたとしても、麻原に死刑執行がなされることはないだろう。だって、完全に出来上がってしまっているでしょ。誰が見たって麻原は精神疾患だ。二審以降は密室裁判に徹して、超法規的に短期間で死刑執行という手に出るならともかく、裁判所が正当に法的判断をするつもりなら、とっくに公判停止になっている案件で、裁判所がやっていることは、単なる違法な私的リンチの代行である。

精神疾患といっても、拘禁性精神病だろうから対応は難しく、本人にしてみても正気に戻れば晴れて死刑への道が開けるだけだから、治るに治れずつらいところであろう。弁護団にはおそらく公判停止の要請をする根性はないだろうから、このまま裁判は続けられるだろう。そしてこれは推測だが(確信でもあるけれど)、麻原の急死という形で裁判は頓挫すると思う。ちょっと「と」かもしれないが、裁判の進行経過の背後に、そういう意志を感じるのだ。

世間的にはガス抜きもでき、一連の事件における行政や警備当局の対応のまずさもそう追求される事も無く、教団にとってはうまくいけば殉教者として尊師の神格化もできるし、四方八方丸く収まるというというもの。法的な手続きにちょっと目をつぶればいいだけである。

被害者感情を逆なでするようなことを言い出して、なにか陰謀論みたいな話になってしまったが、麻原的なものが麻原的なものを呼び寄せ、ある意味麻原的な対応によって収束していくのだろうなというのが私の感想というか、予想である。外れていてもまったく責任は持たないが。

Posted at 20:36 | トラックバック (0)

2004年2月26日  天国行きの切符[都市伝説・デマ・トンデモ]

ticket_s.jpg
天国行きの切符がネット販売され、ちょっと話題になっている。値段も手ごろ、たったの15ドル(ただし、送料が10ドル近いけど)である。"Ticket to Heaven, Inc."という、そのものズバリの名前の団体が売り出しているのだが、すでに300人以上が購入しているらしい(とそのサイトでは主張している)。

そのサイトはかなり控えめな作りで、その効能を高らかに主張することもなければ、「購入者たちの喜びの声」欄もない。「天国にその座を得るという究極の褒章を求めるライフスタイルを表現しよう。この象徴的チケットと真正証明書(セットになっているらしい)で、自らの信念に忠実であることを常に思い起こそう」という、はなはだ回りくどい呼びかけが記され、「このチケットは既成の宗教活動を装ったり、それに取って代わることを意図していない」という慎重な断り書きまで付けられている。

おまけにFAQ欄には、「誰があなたたちにこのような切符を売る権利を与えたのですか?」という質問があって、「我々には合法的ビジネスを展開する憲法で保障された市民の権利がある」と、はじめから居直ったような回答が書かれていたりするのである。他にも、「天国」という言葉でどのような具体的な保障をするものではないという、かなり慎重というか、ほとんどギャグ寸前の断り書きも添えられている。

それでも買う人がいるらしいのが面白い。アメリカ、カナダを中心に、ヨーロッパのほうにまで販路を延ばしているようである。300人に売れたというのが本当だとして、それでも50万程度の収入では赤字ではないだろうかと、ちょっと心配してしまうけれども。いまのところ日本人で購入した人はいないようなので、一番乗りが好きな人は申し込んでは?もちろん、あくまで「象徴的」意味しかないことは承知してもらわないといけないが。

Posted at 20:53 | トラックバック (0)

2004年2月25日  FireFox[PC・MT]

Mozillaベースのタブブラウザ、FireFoxというのが評判がいいらしいので、インストールしてみたのはいいのだが、このエントリーを書いていてふと気がついたのは、IEなら表示される簡単タグボタンがないということ。タグといっても、文字表示をボールド、イタリック、下線付きにするのと、リンクをつける機能があるだけで、実際使うのはリンク附加だけなんだけれど、ないとやっぱりやたらに不便。

みなそう思うらしく、検索してみるとMozilla系でもこのボタンが表示されるようにするための工夫があちこちで紹介されている。あちこちといっても、要はこちらのサイトに書いてあるテンプレートいじりを転載しているわけなんですが。

転載してくれるのはありがたいのだけれど、ごく稀ではあるものの、それでは絶対うまくいかないぞというような勘違いを加えてくれているところもあり、実際はどうやって成功させたのだろうと怪しんでしまう。自分のやったことを説明する時、完全に混乱して間違ったことを書いてしまったのか、実際には自分でやっていないが、解説をどうしても書きたくてよく判らないままに一部間違ったことを書いたか、そのどちらかであろう。ツールへの自己言及でエントリーを増やすのが一つのスタイルとして定着している、Movable Type使いならではの現象というべきか。

その手の勘違いに惑わされずに、Mozillaでボタンを表示させるいちばん簡単な方法は、こちらのページをダウンロードして、そのまま自分のedit_entry.tmpと入れ替えること。それでも、Extendedの欄にはこのボタンの効果は及ばないので、すべて「Entryの内容」のほうに文章を書いて、適当な部分を追記のほうに移すようにする必要があるけれど。そんな面倒なこと出来るかという人は、こちらのやり方を追加すればいいようだ。

なんだかんだいいつつ、これもMovable Type自己言及エントリーになってしまった。使っていない人には何の興味もない話でごめんなさい。ところで、FireFoxをMozillaベースのタブブラウザ、なんて書いたけれど、Mozilla自体タブブラウザだった。一体どこが違うのだろう。

2004年2月24日  小林万里子[日常]

先日青山に行ったときのことだが、街並みのあまりのお洒落さに圧倒されまくっていた折も折り、なんだか雰囲気にそぐわぬ人の声がどこからともなく聞こえてきたのだった。それは声高にしゃべりまくるオバハンの声、それもジャンジャン横丁なら日常的に響いているような、かなりディープな関西弁なのであった。

はて、どこかで大阪のオバハンが、このあたりの取り澄ましたショップの売り子にケンカでもふっかけているのであろうかと、あたりをうかがうと、その大声はどうやらオープンカフェの奥にあるライブハウスから聞こえてきているのだった。

しかも単なる大声のしゃべくりと聞こえたのは、ギターの伴奏がついた「ブルース」である様子なのだ。関西弁のしゃべくりブルースといえば、20年ほど前に一世(ただし関西のみ)を風靡しながら、突然姿を消した小林万里子を思い出したのだが、まさかこんなところで歌っているはずもなくと、そのライブハウスを外からのぞきこんでみれば、それはまさしく小林万里子その人であった。

道ばたでライブを盗み見ているザマもよろしくないので、後ろ髪をひかれる思いでその場は離れたのだが、懐かしさはたちがたく、ネットで調べてみたらかってのヒット曲(?)が一年ほど前にCD化されて再発売されているのを知り、早速注文した。(こちらを参照

というわけで、20年ぶりの小林万里子を聴きながらこれを書いているわけなのだけれど、80年ごろには生硬さが多少感じられた歌詞が、時間の異化作用とでもいうものにさらされて、むしろすんなり入ってくるようになった印象すらある。ぜひ最近のレパートリーを入れた第二弾、三弾を期待したいものだと思う。

ライナーノーツを読めば、この人もずいぶん苦労したようだ。出来れば、私の一番好きな「すんまへんのブルース」(試聴はこちら)の路線を展開していただければいいのだけれど。

Posted at 20:59 | トラックバック (0)

2004年2月23日  ペンタゴン、気候激変を警告[社会・歴史]

イギリスの高級紙「ガーディアン」のサイトに、その姉妹紙「オブザーバー」の記事として、かなり気になる内容が掲載されている。「ペンタゴンがブッシュに提言:気候変化が世界を滅ぼす」というものだ。

米国防省で30年にわたって顧問を務め、「ヨーダ」の愛称で知られるアンドリュー・マーシャルによってまとめられた秘密報告書は、国防省トップによって隠蔽されたものの、オブザーバー紙によってすっぱ抜かれ、その内容が明らかになったとされている。

その報告書によると、この20年の間にヨーロッパの主要都市は海面の上昇によって水没し、イギリス全土は今のシベリアと同じ気候になり、旱魃や飢饉のため暴動が勃発し、食料や水の確保をめぐって国家間の紛争が激しくなり、核兵器の脅威がさらに蔓延するとしている。

記事によれば、国防省はこの報告書内容を受け入れる方向だが、ブッシュ政権はかたくなにそれを拒み、軍事的な脅威にたいする備えを重要視する政策に、なお固執しているという。

記事には報告書が指摘する危機が箇条書きされているが、正直言ってえらくオールドファッションというか、昔からの環境危機説が総花的に羅列してある印象がいなめない。例えばこんな風である。

  • 将来の戦争は、宗教、イデオロギー、国家の名誉によってではなく、生存をめぐって戦われる。
  • 2007年までに激しい嵐によって堤防が破壊され、オランダは水没する。カリフォルニアの川も氾濫し、灌漑網は破壊される。
  • 2010年から2020年の間に、ヨーロッパでは平均気温が3.3℃下がる。
  • 戦争と飢饉によって多数の人が死に、世界の人口は地球が養えるだけの数に低下する。
  • インド、南アフリカ、インドネシアでは内乱暴動が起こる。
  • 水利をめぐって戦争がおこる。ナイル、ドナウ、アマゾン流域の危険度が高い。
  • 米国やヨーロッパの豊かな国は「仮想要塞」と化す。海面上昇によって住めなくなった国々からの難民流入を阻止するためである。
  • 日本、韓国、ドイツは核武装の準備を進める。他の国々もそれに対抗手段をとり、核兵器の拡散は進む。
  • 2010年までに米国とヨーロッパは、一年の3分の1以上が32℃を越える気温となる。嵐や旱魃、熱波は農業に大打撃をあたえる。
  • 亜熱帯地方に住む4億の人々は死に瀕する。
  • ヨーロッパは深刻な対難民闘争に直面する。北欧からは暖かい気候を求める難民が押し寄せ、南ヨーロッパはアフリカからの難民に包囲される。
  • 大旱魃がアメリカ中西部もふくめた穀倉地帯を襲う。暴風によって土壌は奪われる。
  • 中国は、その巨大な人口と食料需要のため、危機には特別の脆弱性を露呈する。バングラデシュは海面上昇のため、人がほぼすめなくなる。

なんと言うか、気温上昇と下降が同時に来るというのである。その一方で普通の温暖化説のように、海面上昇も起こり、とにかく悪いことばっかりが続くというのだ。

記事の書き方も妙に繰り返しがおおく、ほのめかしがやたらにある割には根拠があまり示されていないというもので、はじめは季節はずれのエイプリルフール記事なのかと思ってしまった。日本の報道にもまだ取り上げられていないようで、どうにもいまひとつよく判らない記事である。

ちゃんと根拠がある警告だとしても、そんな切迫していることなら、いまさらどうにも防ぎようはないだろうし、ここは腹をくくるしかない。さしあたって、ちょっと怪しい内容を小出しにリークして、パニックを防ごうという、「日本沈没」で田所博士がやった戦略でしょうかな。

もしかしたら、米国の実務層エスタブリッシュがブッシュ政権に対して嫌気がさしていて、「これからは悪いことばっかりありますぜ。再選されないほうがラッキーですよ」という牽制のつもりなのかと考えてみたり。

2004年2月22日  人の痛みを知るということ[医学・科学関連]

"Nature"の最新更新で、"I feel your pain"と題した記事が掲載されていた。他人の痛みに共感するときには、その痛みを感じている人の脳と同じ部分が活動しているという内容である。

この記事によれば、ロンドン大学(正確には"University College of London"なんだけど、どう訳せばいいものか)の画像神経科学部門のタニア・シンガーらによって行われた研究は、他者の痛みへの共感は、それを感じている人と同様な神経活動を惹き起こすことを示す目的で行われたとのこと。実際は微妙に違うのだけれど。(元論文の概要はこちら

実験ではまず、16人の女性の手に電気ショックをあたえ、その際の脳活動部位をファンクショナルMRIを用いて観察する。次に、女性のパートナーである男性に同様の電気ショックを与える場面で(この時、手に通電される様子だけで、男性の表情は見えないようにされている)、同じ検査をうけてその違いが観察された。

実際に自分が痛みを受ける場合、島前部(大脳の横にある大きなしわの底の部分)と前帯状回皮質部(左右の前頭葉が接しているあたり)、および脳幹、小脳の活動が亢進したが、パートナーへの刺激のときには、島と帯状回の部分だけが活動亢進した。

シンガーらは、実際に痛みを体験する場合、知覚と情動両者におよぶ脳活動の亢進がみられるが、共感による再体験は情動に関わる部分だけの活動亢進であることが実証されたとしている。(自分の痛み体験による脳活動)⊃(誰のものであれ、痛みへの共感によって引き起こされる情動)といえますか。

痛みには純粋知覚的な側面と、情動的な側面があり、人はその情動的側面だけで他者の痛みを再体験するとまとめれば、いまさら言われなくても、その程度のことは自分の場合を考えればわかることなのだが、実際にファンクショナルMRIの画像上で示されると、なにかすごい事のように思えてしまうのがミソ。

それにしても、Natureの記事は最後のところで、「痛みは主観的なものだ」という、シンガーらが実証した事実の半面だけに強引にまとめてしまうというピンボケぶりが少々安易。人の痛みをうかがうことは出来ても、我が事として体験するのは実際には無理なのだ、と受け取っておくほうがよろしいのでは。

Posted at 21:59 | トラックバック (0)

2004年2月21日  青山の歩き方[日常]

北青山でおこなわれている、とあるアート系業界の辺縁イベントを見に行くことになり、夕方から都内に向かう。たまに都内に行くことはあっても、それは上野周辺とか、神保町か秋葉原、あとは西荻窪方面ぐらいなので、こういうお洒落なあたりはとんと縁がない。

街並みのほうにも、さまざまなかたちで田舎者トラップが仕掛けられているので、全く気が抜けず緊張しっぱなしで、歩いていてもいつの間にやら、手と足が同時に前に出るナンバ歩きになっていたりする。

そもそも、指定された表参道の地下鉄出口が見つけられない。B2で地上に出ろ、と言われていたので、B1‐B3方面と書いてあるほうへ行ってもB2がない。奇数出口と偶数出口は全然別のところなのだ。普通、B1‐B3と書いてあればB2もその集合に含まれると思うぞ。

それでも何とか目的地に行き着き、イベントに顔出しはすませたのでひとまず義理ははたせる。参加者で夕飯を、という話になり、まだちょっと早かったので近くのカフェで時間つぶしするが、そこはウェイターがみんな毛唐である。注文取りも全部英語で、しかたなくこちらもへたな英語で返すのだが、客はみんなあれに付き合うのだろうか。

「じゃかまし、日本語をしゃべらんかい」と騒ぐ人間のほうが、比率が高いような気がするのだけれど。少なくとも私の交友範囲ではそうだがな。なんとなく腹が立つので、居酒屋のりでビールの馬鹿のみ。まわりの客はみんなワイングラスに手もつけず、のんびり清談しているのだが、田舎者にはあれが出来ない。食い続け、飲み続けでないと場が持たないのだ。

そんな調子をレストランまで持ち込んだので、結局ぐでんぐでんになって深夜に帰宅。一応この文を書くぐらいの理性は残っているのだけれど、やはりPublishするのは明日の朝にしておこう。

(22日9:35AM付記:かなり連合弛緩が目立つものの、そう手直しも必要なくアップ可能でありました)

Posted at 23:53 | トラックバック (0)

2004年2月20日  デカ猫三題[ネタ]

realbigcat_s.jpg2月18日付けの"THE MUSEUM OF HOAXES"より。

2000年はじめにネットに流れた、巨大猫スノーボールの写真というのがあった(これ)。カナダのブリーダーが育て上げたという触れ込みで、人のよさそうなオジサンがデカい猫を抱いている写真であったが、残念なことにこれはフォトショップ細工写真丸わかりという代物だった。

時流れてあらわれたのがこれ。これはオーストラリアはシドニーの新聞に、ロンドンからの投稿として紹介されたもの。この写真の真贋にかんしてはさまざまな憶測があるものの、合成写真くささがどこにもないし、デカいといっても胴体だけという、デブ猫によくあるパターンなので、一応本物扱いされているようだ。

さて、もっとも最近になってあらわれたのが、上に掲げた写真である(クリックで拡大)。THE MUSEUM OF HOAXESには、いんちきではないかというコメントがいくつか寄せられているが、それ以上に本物だという意見も多い。中にはネコは普通のサイズで、人間が小さいのだという意見もある。ロード・オブ・ザ・リングかい。

しかし、このネコを抱えている女性が別の写真を地元のラジオ局に送っていたため、はれて本物であることが実証された。 Maine Coonという、もともと大きくなる種類のネコで、ヘアカットを工夫してより大きく見えるようにしているらしい。

ネコ写真を掲げるサイトというのは、おそらくエロサイトより数が多いのではないかと思えるところがある。ネットにハマる人というのは、ネコ派が多いのだろう。まぁ、散歩させる必要がないから、PCの前に入り浸っていても飼えるし。そんなネコ派のネット棲息者には、たまにはああいう変化球が必要だということなんでしょうかね。

Posted at 21:11 | トラックバック (1)

2004年2月19日  メールアドレスがないサイト[医学・科学関連]

昔の精神科医療「改良」運動に関して検索していたら、こんなサイトを発見した。主催者は西日本で精神科有床診療所を開設しておられる精神科医で、運動そのものにもかなりかかわっておられたようだ。

現在の精神科医療がかかえるお寒い現状に、かなりの憤りを持っておられるようで、あちこちの病院、クリニックの低レベル診療の例を引いて、細かく批判しておられる。その基本的な医学への姿勢や、医療スタイルは私なんかもかなりリスペクトできるところがあり(例えば『統合失調症』なんてな腑抜けた病名はつかわないとか)、薬物療法のレベルでも意見一致する面がおおい。

というわけで、感想と応援のコメントをメールしようと思ったら、なんとこのサイトにはメールアドレスが掲げられていないのである。そのかわり、ということなのだろうが、FAX番号が記されてはいるのだが。

何でも、全くのPC音痴なので、原稿を友人に託してサイトを作ってもらっているとある。まるっきりPCには触らないから、メールされても読めないということなのだろう。そりゃね、FAX配信サービスと言うものもあるので、返信できなくはないのだが、数十円単位とはいえ金がいる。もちろんその程度の金を惜しむわけではないが、ネットに文章をさらすと言うことは、最低限その中での情報交換を受け入れると言うのが前提であると思うのだ。

いくら正しいことをいっておられても、基本的なコミュニケーションを交わす姿勢がないと思われても仕方がないのではないか。そのくせご本人は、「医者からの反応は、極めて少なかった」と不満げなのだが、ちょっと違うのではないかと言わざるを得ない。

ここでこんなことを言っても本人には届かないわけで、反論が来ないのを承知なのはお前も同じではないかと言われれば返す言葉もない。ネットを意見発表の場にするなら、メール交換もできるようにしておくべきだという私の考え方は間違いなのだろうか。そんなに無茶な要求ではないと思うのだけれど。

リンクしたのも間違いだったかな、せめてこの文章はFAXにしてご本人に送るべきであろうか。医学医療に関する姿勢に共通のものが多いと思えるだけに、ちょっと考え込んでしまうのである。

Posted at 22:33 | トラックバック (0)

2004年2月18日  ジョン・ケリーとジェーン・フォンダ[ネタ]

kerry_jane1_s.jpgおそらく別のサイトやBlogで何度も触れられているネタなので、いいかげん食傷の方ももおられるだろうが、多少のオチも用意してあるので我慢してお付き合いいただきたい。

進行中の米国大統領選の前哨戦、民主党候補選挙で有利に戦いを進めているジョン・ケリー候補であるが、現職ブッシュを脅かす可能性が高くなるにしたがって、さまざまなネガティブキャンペーンも展開されているようだ。左の写真はその一つ、1970年にケリー候補がベトナム反戦集会に、かのジェーン・フォンダと一緒に出ていたというもの。

彼は反戦派ベトナム帰還兵としてその集会を主催する立場にいたので、それに出ていて何の不思議もなく、そんなものが政治的打撃になると思ってるほうがおかしいように思うのだが、問題はジェーン・フォンダのほうらしい。(なお、ケリー氏はジェーンの真上のほうに、いささかピンボケでうつっている。一部の記事では向かって右のヒゲ男がケリー氏だという、誤った指摘がされているので注意)

彼女はこの集会のあとしばらくして北ベトナムに渡り、そこで米国の戦争政策を批判しまくって「ハノイ・ジェーン」と呼ばれた経緯がある。いわば辻元清美と重信房子を足して2で割ったようなイメージで保守派から忌み嫌われているのだ。(しかもずっと後にはCNNの会長と結婚したりして、『変節者』のイメージまでいただいているし)

あんなクソ女と一緒に反戦集会なんかに出ていた奴なのかと、保守派の眉をひそめさせるに違いないという発想なのである。しかしいくらそういう自閉的な論理にすがってみても、ベトナム戦争が米国民に正義の戦いであったと理解されているわけでもなく、あの時代、戦地で実際に戦いつつ、その矛盾を指摘したケリー氏の行動には、9・11の後とはいえ、反発があるわけでもないのである。

これではインパクト不足と思ったのか、でて来たのがこちらの写真。集会の司会をつとめるケリー氏の横で演説するジェーン・フォンダという図柄の、二人は同じ穴のムジナという印象を持たせる新聞記事写真である。でも、こちらは全くのフォトショップ細工で、全く別の写真を合成したものであることがすぐにばれてしまった。こちらこちらを参照のこと。作りのずさんさからみれば、ネガティブキャンペーンと言うよりは、ネタの意味合いが強いのだろうけれど。

どうせネタにするつもりなら、やはりこういうものを作るセンスがほしいところですな。

Posted at 22:29 | トラックバック (0)

2004年2月17日  魂の重さは21グラム?[都市伝説・デマ・トンデモ]

今年のオスカーの主演女優賞と助演男優賞にノミネートされている、「21グラム」という映画があるのだそうだ。なんでも、心臓移植を受けた男と、そのドナーの家族をめぐる話らしいのだけれど、その題名となっている「21グラム」というのは「魂の重さ」ということになっているのである。(日本公式サイトはこちら。少なくとも宣伝する側では、魂は21グラムというのは周知の事実であることが前提らしい)

私もこの「魂は21グラム」説を、子供の頃から何度も聞かされたことがある。少年雑誌の付録とか、科学読み物みたいなものの中によく出てきた。それもれっきとした医学研究の結果、証明された事実ということになっていたのであるが、その後、その「学説」にちゃんとした形でお目にかかることはついぞなかった。

これについて検索してみると、この映画に関する記事ばかりがあふれていて、もとの「医学研究」にはなかなかたどりつけず、結局いつもの引用サイトであるsnopes.comでくわしい解説を読むことになる。

その記事によると、「人は死ぬ瞬間に4分の3オンスその重さを減じる」という研究結果が発表されたのは1907年、マサチューセッツの医師、ダンカン・マクドゥーガルによってであった。彼は「魂は物質的実在である」という仮説のもと、死の瞬間にそれが失われると計測可能な変化が起こるはずだと推論した。そして10分の2オンス(約5.6グラム)の精度をもつはかりにのせたベッドで、臨死患者を見取ったのであった。

そうして6例の患者についてその死亡時の体重変化を計測したところ、患者の死直後に4分の3オンス(約21.3グラム)の体重減少が見られた。死亡した後の水分蒸発とか、肺から吐き出される空気の重さなどを考えても、この重量変化は説明できない。そこで同じことを15匹の犬でやったところ、体重減少は見られなかった。これは犬には魂がないからだ、というわけである。(人はもちろん自然死だろうけれど、犬は毒殺されたんでしょうな。可哀想に)

彼の「研究」はニューヨークタイムズと、アメリカン・メディシンという医学雑誌に掲載され、さまざまな論争を引き起こした。血流が低下することで放熱されなくなり、むしろ体温が一時的に上がって水分蒸発が活発になるのではないか、その点、犬は汗をかかないから体重が減らないのでは、などというような批判があったらしい。

snopes.comの記事では、そのような怪しげな生理学的論争以前に、マクドゥーガルの計測が極めてずさんだったことを指摘している。はかりの精度もえらく怪しい。6例中の2例では、死亡時のはかりの設定がうまくいっておらず、体重減少ははっきり確認されていない。あとの4例の結果も実にまちまちである。

そもそも、死の瞬間をいつにするのかと言うことも、はっきりと定義されていない。仮に、心臓停止と言うことにしても、心電図モニターなんかが一般化していないこの時代、それを見極めるのは困難だろうし、呼吸を基準にするにしても、それが止まったあと、かなり長い間心臓が動いていることなどしょっちゅうあるのだし。

マクドゥーガルはこの観察を繰り返して、計測の精度を上げるということを結局ほとんどやらず、魂をレントゲン写真でとらえるという「と」の方向にむかった。不鮮明な写真と、数例の重量測定を追加しただけで、彼は魂の本質は星間エーテルに類似した実体で、その重さは0.5から1.25オンス(14~35グラム)あると決め付けたのである。そして、その研究成果は学術的には省みられることなく、子供雑誌のネタと、ヨタ系うんちくの題材になるにとどまった。

映画の「21グラム」は、人の運命についての洞察がこめられた重厚作品らしいが、この題名を安易につけてしまったのはまずかったかも知れませんなぁ。

MacDougall, Duncan. "The Soul: Hypothesis Concerning Soul Substance Together with Experimental Evidence of The Existence of Such Substance."
American Medicine. April 1907.

Posted at 23:34 | トラックバック (2)

2004年2月16日  電話番号売ります[ネタ]

向こうの都市伝説サイトの掲示板で、eBayのけったいなオークションが話題になっていて、こんなのが紹介されていた。電話番号、867-5309を売るというのである。2月12日に出品(?)され、本日の段階で実に4万3千ドルという高値がつき、さらに上昇する勢いである。

なんでも、867-5309(Jenny)という、1982年にはやったポップソングがあるらしいのである。Tommy Tutoneという、人の名前みたいなサンフランシスコの一発屋バンドによるヒット曲だそうだ。どれだけはやったか知らないが、曲名の電話番号を手に入れるために、4万ドル以上もだす人がいるというのが驚きである。

余っ程すばらしい曲かとおもって、視聴のために不本意ながらP2Pを利用してファイルを手に入れてみるが、あまりにシンプルなメロディラインに、アホみたいな歌詞がのせられたもの。好みの問題というものの、この頃、この手の音楽をまったく聞かなくなった理由を思い出すような物件である。歌詞を訳してみようかと思ったが、ちょっと無駄なような気もするので、こちらを参照のこと。多少問題かとも思うが、曲の一部はこれ

今eBayを見直してみたら、4万4千3百ドルまで上がってた。それにしても、落札したとして、どうやって自分の番号にするんだろうか?転送電話にしてもらうんですかね。22日まで入札は続くらしいので、この番号がほしい方は応札されればいかがだろうか。日本であの番号が使えるかどうかは知らんけど。

2004年2月15日  記事を移動[日常]

PCが電気アンマ機みたいな音を出すようになったので、新しい電源を買ってきていれかえる。ファンのベアリングがいかれたようなので、これだけ交換すればすむはずだが、なんか構造的に無理っぽい。

大体、電源つきのPCケースが三千円ぐらいであるのに、電源だけ買おうと思うと一番安いのでも五千円ぐらいするというのが解せない。よっぽどケースを買って電源だけ取り出し、あとはいらんから値引きしろと言おうと思ったが、大人気ないのでやめた。

PCいじりをしたあとは、一月のアーカイブから程々にまとまった記事を選んで、各ジャンルに移動する定例作業。日記の全記事にリンクをくっつけたので、表題を書いてリンクするだけにしようかと思っていたが、やっぱりちょこちょこと修正したい場合や、いくつかの記事をまとめてふくらます場合などもあるので今までどおりにした。そう負担になるわけでもなし、といいつつ、どんどん遅れ気味になって、ほとんど修正もなくコピーペーストしているだけ、というのが実体なのだけれど。

Posted at 21:51 | トラックバック (0)

2004年2月14日  バレンタイン・ディー[日常]

外来の待合室で私のみている19歳の少女が、一心不乱に携帯メールをうっている。「ご熱心ですな」と声をかけると、「生活かかってるんですからー」と屈託のない笑顔を向けてくる。

診察のときに打ち明けるには、彼女は顧客たちにバレンタイン・ディー勧誘メールをうっていたのだという。彼女はいわゆるキャバクラで働いているのだ。「チョコ用意しているから今夜も来てね」、という内容なのだが、「大枠の文章は同じでも、要所を変えておくのがポイント」だという。

彼女は1年前まで引きこもりの上にリストカットを繰り返す、「きわめて対応の難しい境界例、もしくは分裂病との鑑別が必要な例」ということになっていた。中学時代の不登校のころから通院歴があり、高校に進学はしたがすぐに中退し、家出してカルトに所属してみたり、売春まがいの行為で補導されてみたり、なかなか多彩なエピソードがある人だということだった。デイケアを勧めているが、参加を嫌がる。社会性欠如が著しいと。

私がみるようになったのは前の主治医が転勤したためだが、カルテに記された上のようなサマリーをみて、どうも妙な思いを感じたものだった。波はあるが結構活発で、本人なりにかなりの社交性があって、問題はそれが持続しない生活史が、分裂病とも境界例とも判断しがたい例にはふさわしくないように思えたのである。

私は古典的な診断基準と病態理解で患者をみるので、分裂病というのは基本的に「早発性痴呆」だと思っている。間違うと廃人になっていくだけの病気だと思っているから、わき道にずれているとはいえ、かなりの社会的パワーを一時的にせよ示す人を分裂病圏と診断するのには抵抗を感じるのである。

そういう先入観もあったが、実際に本人をみると、境界例とか分裂病と診断する根拠はどこにもなかった。確かに引きこもってリストカットを繰り返していたが、別にそれは診断基準にならない。疎通性はきわめてよく、幻覚妄想もなければ、思考もきわめて明晰といえる。人生総体をデスペレートにとらえ、ガキっぽく拗ねまくっているだけである。オレンジ色のツンツン髪に鼻ピアス、田舎にはふさわしくないパンク装束であるが、それを「衒奇性」だとみる医者は単なるバカであろう。デイケアなんて勧めても、パンク娘がそんなものに参加するわけがない。

この年代の若者例によくあることだが、自分の苦境を説明するのに詩的表現を多用し、それが凡庸なものでなければないだけ、ある種の病的表現に近いものになる傾向がある。治療者側にそういうことへの感受性がかけていると、まずそれは病的症状の発露とされてしまうのである。そんなアホなと思われるかもしれないが、例えばドストエフスキーの文章を示されると、こいつはかなり病的に屈折しているなと8割以上の精神科医は判断するとおもう。

この例もまさしくそれであった。「世界が夕闇の底に沈んでいくとき、聞こえぬ声が空に響く。偽りの私が私の仮面をつけて語るのは私の墓碑銘」なんだかんだ……、というようなヘボな、でもそれなりに一生懸命な文章が書かれたノートを持ってきて自分の苦しさを表現するので、ああ、幻聴もあるのかと安易に判断されてしまうのである。

私の診断は単純に「うつ病」。小娘悲哀系にはSSRIがよく効くが、精神運動抑制もかなり強いので初めのうちは三環系をどっさり使うことにする。邪道を承知でドグマチールも併用する。これはデブになるし、月経は止まるし、乳汁分泌は始まるしという副作用のオンパレードであるが、効果発現が即時的で、のんびりと抗うつ剤の効果を待っていられない場合には非常に使いやすい。口渇という、抗うつ剤の必然的副作用を打ち消すという利点もある。

当然それまで飲まされていた、意味不明な向精神病薬は全部中止。改善もせずに(そりゃ診断が間違っているのだからよくなる理由がない)ずるずると対応されていた患者によくあることだが、効きもしない薬が何種類も併用されていて、向精神病薬だけでじつに5種類ぐらい出されていたのである。

じっとしていると身体がむずむずしてつらいという、アカシジアと呼ばれる副作用もでていたが、それは「皮膚寄生虫妄想」だと決め付けられて向精神病薬の増量につながった。その症状を「皮膚の下を何匹もヤスデが這い回るような……」なんて気色悪い表現をしてしまうので、鈍い医者には妄想と受け取られるのである。

彼女は劇的に改善した。中断していた通信制高校の課題をやり始め、ツンツン髪を栗色に染め直してコンビニでバイトをはじめた。母親との関係にかなりの問題があって、元気になったはなったなりにトラブルが相次ぐため、半年ほどして一人暮らしをはじめた。そのうち、コンビニでは生活できないと、キャバクラで働くようになったのである。

「金のためだと思って割り切っているので平気」だという。結構なじみ客もついた。客の一人に紹介され、映画のちょい役にも出演した。もっと本格的に出演する話もあるのだという。「それ、AVじゃないの?」と尋ねると「やだー、私は明朗健全がモットーなんだから」と笑う。

顧客へのくすぐり用に100円ショップで買ったというチョコレートを一つ診察机の上において、彼女は笑顔で帰っていった。この見事な「社会復帰」をどう評価すべきか?「まあ、金のためだから」、チョコをポケットに収めながら、私はそうひとりごちたのである。

2004年2月13日  ジョージ・ベストの肝臓売ります[ネタ]

私はサッカーに詳しいわけではないが、それでもジョージ・ベストという天才プレイヤーがいたことは知っている。10代であのマンチェスター・ユナイテッドのレギュラーとなり、北アイルランド代表としても大活躍した、60年代の英雄である。

46年に北アイルランドの労働者家庭に生まれたジョージは、60年代、スーパースターとしてほしいままにその伝説を作り続けたのだが、その活躍はピッチのなかだけとは限らず、数々の御乱行でもつとに有名であった。

とりわけその大酒傾向と、酒癖のわるさは世に知られ、自己管理欠除の結果なのか、彼の全盛時代は20台の後半で終わってしまうのである。彼はその後、米国のチームなどを転々としたが、結局83年に引退した。飲酒問題はさらに深刻になり、完全なアル中となったものの、2000年には断酒に成功する。しかし重度の肝障害はのこり、2002年には肝移植を受けている。

そんな彼のファンのためのコレクションアイテムを狙ったのか、2月10日にeBayのオークションに出品されたのがこれ、「ジョージ・ベストの肝臓」である。商品説明にはこうある。「真のサッカー歴史遺物コレクターにとっては必須のアイテム。この肝臓組織は、ロンドンのクロムウェル病院の廃棄物から回収された。それ以来、完璧な状態で冷凍保存されている。完璧というのは全体が揃っているという意味で、肝臓移植や、ベーコンとオニオンソースでの調理には向かない」。

入札開始価格は1ポンド(約200円)であるが、すでに売主自身によって入札停止になったとされている。写真を見る限り、移植が必要な病変があるようにはまったく見えないのが、イギリス式ユーモアとしては手抜きといわざるを得ない。

Posted at 20:45 | トラックバック (0)

2004年2月12日  どうもわからん「白い巨塔」[本とか映画とかTVとか舞台とか]

フジTVで木曜日の10時からやっているドラマ「白い巨塔」、こいつがどうもよくわからない。真面目にずっと見ているわけでもなく、現に今日なんか見もせずにこれを書いているわけで、ちゃんとストーリーを追っていないのだから当たり前とも言えるのだが……。

昔、田宮二郎主演でやっていた「白い巨塔」のほうは、結構ちゃんとみたものだった。研修医だった頃の話だ。山本学が演じた内科の里見助教授の学究ぶりとか、加藤嘉がやった病理教授の変人ぶりが秀逸で、多少のストーリー的な矛盾なんかそう気にもせずみていた。

どんな大学にもある(医学部でなくたって)、教授選のドロドロもそれなりに面白いが、やはり中軸にある医療ミス裁判の展開がこのドラマの見せ所であろう。それが、今回のドラマではどうも裁判に正当性を感じられない。旧田宮版ドラマを見ていた頃は、財前のミスは自明だと思っていたものだったが、今回のドラマを見る限り、なんで財前が訴えられにゃいかんのだよ、と思えてならないのだ。田宮版では、財前と里見が診断レースみたいなことをやり、ガンの判定も治療方針策定もすべて財前がやっていた。でも今回は違う。

財前が訴えられるなら、当然里見も共同被告になるべきだ。あの男だけが正義派を気取る理由が全くわからない。佐々木庸平の食道癌をみつけて、転移の確認もせずに手術適応だと判断したのは里見ではないか。それは、外科医というのは単なる切り屋ではないのだから、自分が執刀するにあたって、さまざまな検討を独自にやるのは当然だ。でも、手術をいそがせていたのは里見だし、当然やるべき肺のCTすらその段階でやっていないというずさんさである。

転移があったって、原発巣を切除するという判断は当然ありえるし、そもそも食道癌(たしか田宮版では胃がんだったはず)なら、狭窄が早期に出やすいことから非治癒的切除をしなければならないことも多いのではないだろうか。検査をして、もし転移があれば絶対に手術してはならないことなどないはずで、家族が主張するような「財前に殺された」というような主張はほとんど言いがかりとしか思えない。

もちろん、術前の説明がおざなりだとか、気管支鏡(胸腔鏡といっていたような気もするが、ちらりと示されるCT病変からみれば、胸腔鏡も気管支鏡もうまく届かぬ場所のように思える)検査をやってみることを検討すらしなかったというのは落ち度であって、リスクと可能性をきちんと説明し、術前検査をはしょるならはしょるで、その根拠を述べるべきなのは当然だ。

「助かりたいなら手術をうけろ」なんて説得をする外科医がいたら、ちょっとその感覚は疑われる。もちろん、頭の構造を疑いたいような、「メス持ってればうれしい」お目出度い野郎は一杯いるが。なんであれ、里見の安易な手術依頼を軽々しく受けて、強引に手術に持ち込んでしまったという点では非難されるべきだが、財前だけに責任を押し付けるのはあまりに一方的である。

とにかく、医療側がすべて貫壁に「神の手」を施すべきだという意識に満ち満ちていて、財前の独善性がかすんでしまうのだ。誤解を恐れずいうならば、医療はバクチであって、いい目もでれば悪い目もでる。その賭けをやる主体は患者なので、悪い目がでたのは壷振りのせいだというような非難をしても仕方がない。胴元はただ公正に出目情報をしめし、賭けのリスクと褒賞を理解させるのが仕事なのである。

なんていいつつ、このドラマ最大の注目点は、財前教授はあんなに威厳ある態度をとりながらも、処方箋を書くときは「有Fス」なんて書いているのだろうと想像するところにあるのだが。

Posted at 23:27 | トラックバック (0)

2004年2月11日  アパッチ・ヘリ映像[社会・歴史]

apache.jpg

昨夜書いたことを読み返すと、どうも何のことかわからない。酔っ払っているときに書いた場合は、Draftのままにしておいて、翌日確認してからPublishするようにしているのだけれど、エーイ面倒とそのままアップしてしまった。要は、日露戦争突入の判断はやむを得なかったのかもしれないのだが、だからといってそれを美化するようなことはすべきでない、という程度の総花的な意見だと思っていただきたい。

戦争に関してなにか意見をいうのは苦手である。当事者にならざるを得なかった人々ほどの覚悟がお前にあるのか、安全なところで勝手なこといってるんじゃないといわれたら黙るしかないのである。せいぜい、あんただっておんなじじゃないかという、はなはだ不毛な反論しかできない。

柄に似合わぬ真面目なことをいうのはここまでにして、戦争というものは、要はこういうことなのだなと思わせてくれる映像の紹介を。上の写真は昨年12月はじめ、バグダット郊外で米軍のアパッチ・ヘリから赤外線カメラで記録されたということになっている動画の一部である。すでにあちこちで紹介されているので見られた方も多いであろうが、かなりリンクが消失してきているようなので保存しておいた。リンクはこちら。Windows Media Playerが必要。

3人のイラク人ゲリラ(?)が夜陰に乗じて携帯ミサイルらしきものを運んでいる、という説明なのだが、私にはそうとも見えない。アパッチの射撃手が本部と交信し、攻撃許可をえて30mm機銃をぶっぱなしている。イラク人たちは文字どおりの粉々である。アパッチの30mm機銃は対戦車攻撃用で、人間を撃つには大きすぎるのだが、これがアパッチの一番軽い武装なのだそうだ。

戦争がビデオゲーム化しているなどといわれるが、赤外線画像にいくら抽象化されようと、やはり具体的な殺人行為の積み重ねが戦争なのだと今更ながらに再確認するしかない。そして、これが一番大切なところかもしれないのだが、そう正しく認識しながらも、見ている人間にまで射撃手の快感が伝わり、ある種のカタルシスを与えるのも事実なのである。是非でわりきれぬ思いがいつまでも残る画像であろう。

Posted at 11:33 | トラックバック (0)

2004年2月10日  日露戦争宣戦布告の日[今日は何の日]

今日、2月10日は、日露戦争宣戦布告の日なんだそうである。近代化しつつあった日本が精一杯の軍事的見栄をはり、しかもその一か八かの賭けが成功したという、記念すべき日である。もちろん、百年前にそれを始めたときには、その政策当事者たちはほとんどヤケクソの冒険主義だったわけだが。

この戦争に関しては、相反した評価があると言っていい。一つはアサヒ新聞に代表される民主的リベラリズムのクリシェである。無謀としかいえなかったその戦争開始決定を批判しつつ、幸運な勝利に終わったことが、かえってその後の日本の帝国主義的慢心を決定づけてしまったとする。たしかにその通りである。

もう一つは結構土俗的というか、ある意味多数派を成す意見であって、近代的日本のアイデンティティは、実にあの戦争によって形成されとするものだ。実際、私の乏しい知識からしても、あの時代のロシア南下政策は明白なものであった。開戦直前、ロシア軍は当時の朝鮮領域に進出し、数千の無辜を虐殺する事件をおこしていたはずだ。

この立場からは、朝鮮に軍事進出し、利権を形成しつつあった当時の日本に、それを無視しておとなしく引き下がるという選択枝はなく、朝鮮の人々を守る口実と、日本という国家を守る切実な理由のためにも、対ロシアの戦いは避けるわけには行かなかったとされる。背に腹をかえられぬ戦いとしてあの戦争は戦われ、その幸運な勝利こそが日本の現在の地位を勝ち取った(太平洋戦争の敗北すらチャラにする程度の効果で)とする。ある意味、これも正しい主張であろう。

冷静な結果論からいえば、日露戦争の勝利で守った朝鮮権益なるものは、その後、あらゆる意味で大赤字をこいた。歴史のIFを言い出したらきりがないのだが、ロシアが朝鮮進出を果たしていたとして、それが本当に日本への脅威になったかどうかというのは怪しいと思わないでもない。国内に不穏を抱えていたロシアのこと、朝鮮進出→日本への直接的ちょっかいという風に進めたかどうかは疑問だ。

時間的な問題はあるだろうが、明石大佐がやっていたような、ロシア革命派への援助を大々的にやる政策だってあったのではないかと思う。何ならシベリア鉄道に封印列車を走らせてもよかったのである。そりゃもちろん、一番流れやすいところに歴史は進むわけで、あの時代にはやはりロシアの脅威は切実であり、当時の選択には、そんなのんびりしたものはなかったのだろうけれど。

何であれ、当時の政策決定者も驚いたのだろうが、一応あの戦争は日本の勝利に終わり(といったって、ベトナム戦争における北ベトナムの勝利みたいなものなんだけれど)、日本はアジアの国々から実力以上の畏敬を獲得し、彼らの民族主義にも油を注ぐ結果になった。旧覇権国家からは、それなりの警戒と評価も得て、その後の国家経営にかなりの効果を得たのは間違いない。

だからといって、やはり正当化はできないと私は思う。もちろん、あの戦争がなければ、今の日本という国家はなかったかもしれないという指摘は確かにその通りだ。いまの私が享受している自由と繁栄の生活が、この国家という枠組みに依拠しているのは事実で、旧ロシアやその支配域を受け継いだソ連、もちろん現ロシアであったって、その統治を受けるようなことになっていれば、民族的苦難以外の何者でもなかったと思う。

結局、日露戦争の勝利のためか、太平洋戦争で示した日本人兵士の勇敢さのためなのか、敗戦国としては望外の扱いを得て、そのうえに実力以上の繁栄を手にしたのが我々なのである。いままでのラッキーを噛み締め、先祖の遺産を細々と維持するに控えるべきだと思う。

アホ官僚跳梁の結果、国家なんてものに面倒見てもらうという発想自体、もう現実的ではないと誰もが感じているはずなのだ。野垂れ死にする覚悟をもって、自立を目指す姿勢がないところで、心地よい秩序を求める朝日新聞式リベラリスムのいやらしさには人々はもう聞く耳を持たない。まして国家経営能力のなさを露呈している連中にはとっくに愛想を尽かしている。それなのに、それ以外の選択枝がないことこそ、問題なのだと思う。

Posted at 23:39 | トラックバック (0)

2004年2月 9日  Love That Dare Not Squeak Its Name[ニュース]

gaypenguins_s.jpg

2月7日のニューヨークタイムズに、表題の記事が掲載された。これはNYセントラルパーク動物園に飼われているアゴヒモペンギンのオス、ロイとシロがこの6年間、ずっと同性愛関係にあることを紹介したものだ。

この表題は、かのオスカー・ワイルドが同性愛の罪で裁判にかけられた時、証拠として使われた、彼の愛人とされたアルフレッド・ダグラス卿の詩の一節をもじったものだ。"Love That Dare Not Speak Its Name"、「あえてその名を口にせぬ愛」の、speakをsqueak(キーキー鳴く)にかえてあるわけだ。

検察側はワイルドのハレンチ罪の証拠として提出したのだが、ワイルドはそれは深遠にして高貴な精神的愛の表現だと反論した。結局ワイルドは部分的には勝訴したものの、最終的に無罪を勝ち取れなかった。そうして「あえてその名を口にせぬ愛」という言い回しは、ゲイを文学的に表現したものとして、末永く残ることになったのである。

ニューヨークタイムズの記事は、広く動物界に同性愛とみなせる行動が一定の割合で見られることを指摘し、遺伝学的にもある種の機能を果たしていると主張する学説(といったって、例のうさんくさい利己的遺伝子説の敷衍ですが)もあることを紹介している。その上で、いまだに同性愛を違法とする州があること批判し、ゲイを擁護する内容になっている。

オスカー・ワイルドの故事来歴をふまえた一般教養に加え、洒落た言い換えが気が利いていると思われたらしく、この記事は掲載されたその日のうちに、いろんなところへ転載され、引用されている。Googleで数えてみれば、70近いサイトがそうしているのでちょっと面白い。

ニューヨークタイムズは登録しておかないと(無料だけど)記事が読めないので、そのまま転載しているこちらを紹介しておく。登録している人はこちらをどうぞ。

Posted at 16:30 | トラックバック (0)

2004年2月 8日  「牛転がし」非合法化?[都市伝説・デマ・トンデモ]

アメリカの田舎に住む若者たちには、「牛転がし(cow tipping)」という悪ふざけの伝承があるのだそうである。どんなことをするのかというと、夜中に仲間たちと牧場にいき、立ったまま寝ている牛の群れに近づき、彼らをひっくり返すのだそうだ。牛は寝たままひっくり返るので、自分に起こっていることがわからず、いつまでも立ち上がれない。その様子をみて楽しむという、まことに「牧歌的」な遊びなんだそうな。

そういう遊びが現実にあるわけではなく、一種のホラ話ジョークで、飲み会の余興として「今からcow tippingにでもいくか」と夜中に遠出して騒いだり、ちょっとトロイ仲間をからかったりするために使われるネタであるのだそうだ。こちらにはその解説があるので参照されたい。大体、牛は馬と違って立って寝るわけではなく、そもそも、眠りが浅くて断続的にしか眠らないのだそうだ。

ところが、フロリダ州の州議会に、この、「牛転がし(cow tipping)」禁止法案を提案した州議会議員があらわれ、一時話題となった。提案したのはデーブ・アーロンバーグという民主党議員で、動物への虐待行為を禁止した州法への追加修正案として提出されたものだ。地元新聞の報道によれば、原案はこういうものだった。

牛を転ばせること-訓練、娯楽、スポーツの目的で、ロープ、投げ縄、あるいは尻尾に触れることによって意図的に牛を転ばせる、もしくはそのバランスを失わせるような行為については、第1度の軽犯罪とし、他の法案が定める罰則を適応するものとする。

その記事は、架空の遊びを禁止する法案を提出した州議会議員へのからかいが満ちたもので、最後はこの法案が通過すれば、cow tippingが地下にもぐり、ファイトクラブならぬ、カウ・クラブという秘密カルトが全米に広がっていくのではと結ばれている。

この報道のせいなのか、さすがにアーロンバーグ州議会議員もまずいと思ったらしく、提出法案はすでにかなり修正され、スポーツ興行の場で、牛の尻尾をひっぱってひっくり返すことを禁じるという内容になっている。初めの法案は、cow tippingで牛がひっくり返ったまま起きられないでいると、BSEと間違えられる恐れがあるという狙いだったはずなんだけれど。

Posted at 23:09 | トラックバック (0)

2004年2月 7日  「人体の不思議展」追加[医学・科学関連]

昨日書いた「『人体の不思議展』の不思議」について、掲示板のほうで貴重なご意見をいただいた。まず、東京国際フォーラムであのイベントをおこなった団体と、ヨーロッパでさまざまな批判にさらされているハーゲンス博士(私はハーゲン博士と書いていたが、語尾にSがあるから、当然ハーゲンスですわな)とは、直接関係がないということ、また主催団体に名を出す連中は、いままでかなりうさんくさい商売にかかわっている経歴があるということである。

ただし、ハーゲンス博士が「発明」したという、プラスチネーションという死体保存技術とまったく同じ技術が、国際フォーラムでの展示に使われているのは間違いないとおもう。プラストミックという微妙に違う名前でその技術を呼んで、同じものではないようにごまかしているだけなのだろう。

ハーゲンス博士側のサイトには、東京での展示はイミテーションであるという声明が掲載されているが、それに対して何らかのアクションを起こすようなことは示唆されていない。これはおそらく、ハーゲンス博士が大連で運営している死体処理工房にかかわっていたスタッフが、死体の供給、その処理というノウハウを盗んで、そのまま別のところでやりだしたということだと思う。

なにせ中国である。他人のオリジナリティを尊重するというような風土ではない。まして、ハーゲンス博士のやってること自体、非合法すれすれだと告発されている。どうせ怪しいことをやるなら、ロイヤリティを掠められないように独自にやったほうが儲かるのは当然で、もともとモラルなんかない連中、類は友を呼んで怪しい二番煎じ死体ビジネスをはじめたということだと思う。

掲示板で情報をいただいたPOCHI氏のサイトには、氏が調べられた主催団体についての資料がアップされている。ハーゲンス博士の怪しさのお株を奪う、さらに怪しい詐欺系ビジネスの一端に触れられるので、ぜひご一覧を。

Posted at 23:58 | トラックバック (1)

2004年2月 6日  「人体の不思議展」の不思議[医学・科学関連]

去る2月1日まで、東京国際フォーラムで「人体の不思議展」というイベントが開催されていたのを、ご存知の方は多いであろう。その広報サイトによれば、プラストミックという技術で、人体の水分と脂肪をプラスチックに置き換え、実物と同じ重量と感触を維持しつつ、長期の保存と展示を可能にした死体標本が167点も展示してあるという触れ込みである。

ところがこのイベントの主催団体が今ひとつはっきりしない。「人体の不思議展実行委員会」というのでは何のことかわからないし、併記してある「日本アナトミー研究所」なるものにいたれば、ウェブ上にはこのイベント関連でしか出てこない。監修委員会なるものには、かの「バカの壁」で知られる養老孟司氏をはじめ、有名どころの医学者が、一杯名前を並べているんだけれど。

この国際フォーラムの広報サイトとは別に、もうちょっとショボいつくりの「人体の不思議展」広報サイトが存在し、そちらには今後の予定が書かれている。4月から6月まで札幌に移動し、その後も静岡、沖縄、京都を巡り、その後はオーストラリアに向かうらしい。こちらのサイトはOCNのユーザーサイトにあるという安上がりなつくりだが、まったく自分たちの正体を明かしていない。「日本アナトミー研究所」というような名告りすら上げていないのだ。連絡もただフォームメールがおかれてあるのみ。先の国際フォーラムのサイトURLをwhoisしてみると、どうもチケット販売会社が開設したようで、主催団体とは別らしい。

このイベントを訪問した人が結構自分のサイトに感想を書いていて、それらを総合すると、多少エグめの狙いと学術的な意図がたくみに交じり合った展示がされているらしい。その中に、死体はすべて中国で調達されたものだという記述があって、私のあやふやな記憶の何かにひっかかるものを感じたのである。

そこで早速検索。それはかなり以前からBBCなどで報じられていた、ドイツの解剖学者ギュンター・フォン・ハーゲン博士が主催する「解剖死体ショー」であった。BBCがこれについて初めて報じたのは2001年の2月である。その記事は、フォン・ハーゲン博士がベルリンで開催した、「人体の世界」という展覧会が、猟奇的で堕落したものだと批判されているというもの。

博士はBBCの取材に答え、「プラスチネーション」という技術(プラストミックとは微妙にネーミングが違う)を使って生々しい展示を可能にしたこと、人体への学術的興味だけでなく、その美しさにも触れてもらう目的があるのだと述べている。その後、BBCの記事を追っていくだけでも、この展示会はさまざまな形で批判や疑惑を呼んでいることがわかる。

例えばロシアにおける遺体盗難事件の黒幕ではないかとか、中国で処刑された死刑囚の死体を使っているといった疑惑である。実際、博士はその死体処理工房を3年前から大連に移していて、献体もほとんど中国の人々から得ていることを認めている。死刑囚を使っているという非難に関しては、一応否定しながらも、すべてを完全にチェックしきれるわけではないと、含みを持たせる返答をしている。(こちらこちら、そしてちょっと変わった演出を紹介しているこちらを参照のこと。大連の死体処理工房に関してはこちら。この博士、どうも帽子がトレードマークらしい。解剖中にかぶってるぐらいで)

BBCの記事の写真やビデオを見る限り、国際フォーラムで展示された死体標本群は、まさしくフォン・ハーゲン博士の「工房」で処理されたものにほかならぬと私には見える。彼のオリジナルな標本はかなりお茶目な演出がしてあって、例えば脳みそむき出しの死体がチェス盤に向き合っていたり、ナポレオンみたいに、いななく馬にまたがらせてみたりといった感じなのだが、日本での展示標本はかなりおとなしくなっているように思える。でも、この標本なんか、どうみてもこちらからチェス盤を取り除いただけなのと違うかねぇ。位置が違うからなんともいえないが。

はっきり言って、かなり怪しいビジネスが大展開されており、この博士一人で切り盛りできるはずもなく、大連の死体工房を維持するだけでもかなりの実働部隊がいるわけで、もしかしたら非合法死体調達組織までそろっている可能性まである。その背景が何であれ、人の興味を満足させる行為というものは、学術とある意味での芸術に寄与するかも知れないのだけれど、何の問題点も報じられずに、純粋な学術団体によるイベントであるかのように装われ、実際に巻き起こっている批判をほっかむりしているのは、かなり問題ではないかと思う。

日本でイベントをやっている団体と、フォン・ハーゲン博士の事業団体が同じものである確証などないのだが、その類似性というか、同一性は誰にも否定できないと思う。報道機関というのは、こういうことを検証して、評価も批判も公平に紹介していくのが仕事ではないかと思うのだが、如何なものだろう。

Posted at 22:28 | トラックバック (7)

2004年2月 5日  RSSって何?[PC・MT]

Movable Typeをバージョンアップして、コメントやトラックバックの設定を元に戻したついでに、更新ごとにPING.BLOGGERS.JPというところにPINGをうつようにした。もう一つその意味がよく判っていないのだが、Weblog内蔵機能をつかって更新連絡を体系的にやるようなものらしい。

その際、どうもRSSという型式の要約ファイルが送られる仕組みになっているようで、以前サーバー負荷を下げるためにヤンペにしていた、Syndicate this site (XML) という謎の機能はこのために必要らしく、仕方なく復活させることにした。

といって、体系的なインストラクションなんか読んではいないので、すべて推量である。どうせここで書き散らしている内容は、皆で意見を交換して高めあうようなものではないので、ちゃんと動かなくたってかまいはしないのだが、せっかく多彩な機能があるのに使いこなしていないというのもなんとなくシャクなのである。

PING.BLOGGERS.JPにpingを送れば、Bulkfeedsというところにも更新情報が送られる仕組みのようだ。ということはBulkfeedsはPING.BLOGGERS.JP以後に出来たサービスってことになるが、そんな風にもみえない。謎が謎を呼ぶばかりである。

Movable Typeをつかっている人のBlogをよめば、Movable Typeそれ自体に関する記述ばっかりであることが多い。日記を書きつづけることはなかなかむずかしいことなので、使っているツール自体への言及という大ネタを用意してくれるという点で、まさにMovable Typeはグーテンベルク以来の大発明といえるのかもしれない。

2004年2月 4日  炎のヨーヨー男[ネタ]

去る1月18日、英国はブリストル市内にかかるクリフトンつり橋で、ジェームズ・マープル(22)という男がちょっとしたスタントを試みた。このつり橋は自殺の名所として知られるが、マープルはそこからバンジージャンプを目論んだのである。(こちらこちらを参照のこと)

午後3時半、マープルは約75mの高さから飛び降りたが、その際にガソリンを自分の体にかけ、火をつけていた。自分が水面に突っ込んだら、その衝撃で火が消えると思っていたのであろう。ところが、バンジー用ロープの長さがちょっと中途半端であった。彼は燃える炎のヨーヨーとなって、ぶら下がりつづける羽目になったのである。

正確には26秒の間、彼はぶら下がっていた。一応ナイフは用意していたが壊れてしまい、予備ナイフを取り出すのに時間がかかったのである。ロープを切り、水に飛び込んだ時に火は消えたが、彼は上半身を中心に広範な火傷をおい、熱傷センターに収容された。

幸いI度の火傷ですみ、警察の取調べを受けるまでに回復しているという。マスコミ取材も受けているが、BBCにインタビュー料を1000ポンド(約20万円)を要求して、あっさり断られたとのこと。英国の医療制度では、こういう自業自得系の傷害の際、支払いはどうなるのかちょっと気になってしまう。

彼の「冒険」は仲間が映像に撮っており、BBC経由で見ることができる。しかしそのリアルプレイヤー映像を見る限り、もう一つ炎の派手さがたらず、かなりショボ臭いのが難点。どうせ馬鹿なことをするなら、もうちょっと映像効果を意識しないと。

Posted at 21:55 | トラックバック (0)

2004年2月 3日  スーパーボウル株式予想[都市伝説・デマ・トンデモ]

去る2月1日、テキサス州ヒューストン、リライアントスタジアムでおこなわれた第38回スーパーボウルは、AFC(アメリカン・フットボール・カンファランス)のペイトリオッツが、NFC(ナショナル・フットボール・カンファランス)のパンサーズを下し、2年ぶりの優勝を果たした。熱狂的なそれぞれのチームのファン以上に、この試合の行く末を真剣に見守っていた人々がおり、それは株式市場の関係者であった、というのはご存知であろうか。

アメリカの国技の一つともいえるフットボール、それも年間の総仕上げであるスーパーボウルに関しては、さまざまな都市伝説がささやかれるので有名だ。いわく、スーパーボウルのハーフタイムには全米のTV観戦者が集中してトイレに立つので、下水システムが一気に破壊される、この試合がある日には、夫による妻へのDV事件が倍増する、この日にディズニーランドに行くと、アトラクションには待たずに入れる、などなど(書くまでもないだろうが、これらはすべて事実ではない)。

中でも特に有名なのが、「その年の株価動向はスーパーボウルの勝利チームによって予言できる」というものである。NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)はAFCとNFCに分かれており、それぞれのリーグ戦で優勝したチームがスーパーボウルで対戦するわけだが、もしNFCのチームが勝てば株価は上がり、AFC側が勝てばその年の株価は低迷するというのである。

1967年にはじまるスーパーボウル37年の歴史を振り返ると、株価動向がその理論どおりになった年は実に30年に及ぶ。的中率は実に81%を超えることになる。試合の前の1月26日に、真面目な経済記事としてこちらで扱われており、最後にいままでの勝者とその年の株価動向(指標はスタンダード&プアーズ500)が表になっているので参照していただきたい。(注:表では2001年の勝者ボルチモア・レーベンズがNFCと誤記されている。)

もっとも、ここ数年はこのスーパーボウル株式予想はあまり当たっていなかったようだ。特に98年と99年、AFCのデンバー・ブロンコスが連勝しているが、両年ともバブルを懸念させる株価上昇の年であった。2000年はNFCのセントルイス・ラムズが勝つが株価は下落、2001年、2002年はAFCチームの勝ちで理論どおり下落。昨年ようやくNFCのタンパベイ・バッカニアーズが勝って、久々の上昇が見られたばかりなのである。

株式関係者の願いは、創立8年目のカロライナ・パンサーズが勝って、2年連続の上昇機運を確実にすることだったようだが、結果は先に述べたとおり、2002年の勝者であったペイトリオッツが再び栄冠に輝くことになった。なお、2002年には株価下落率は23.5%を示している。関係者の顔色はあまりさえないに違いない。

というわけで、宗主国アメリカの景気にすべてを負っているわが国の経済に関して言えば、今回のスーパーボウルの結果はまことに遺憾なものであったといえよう。もし株式投資をされていて、この80%の的中率を重く見られる方がいれば、なんとか損失を回避されるよう、売り抜けの工夫をされればと思う。

もちろん、これは面白おかしく伝えられている伝説の類で、しかもこちらはその伝え聞きを書き散らしているだけなので、外れていようが正しかろうが、責任など一切とらないので悪しからず。

Posted at 21:44 | トラックバック (0)

2004年2月 2日  Groundhog day[ネタ]

今日、2月2日はグラウンドホッグの日である。といって、たいがいのかたはなんじゃそれは、と思われるだろう。なぜか当サイトではこの日について何度か触れる機会があって、儀礼的関心以上のものを向けているのである。

これは毎年2月2日、ペンシルバニア州のパンクサトーニーという小さな町で1887年から行われている伝統的な行事だ。正装した役員が、町外れの大木の洞で冬眠しているグラウンドホッグ(ウッドチャックという囓歯類の一種だが、和名はないようだ)を引っ張り出し、そいつが自分の影を見れば春の到来は6週間遅れ、影を見ていないと春は近いと判定するのである。その背景には、ヨーロッパの古い伝承が幾重にも織り込まれているのだろう。私がこの日について初めて知ったのは、TVの洋画劇場でたまたま見た「恋はデジャブ」という映画によってであった。

パンクサトーニーの町当局がつくっているらしき公式サイトをみれば、この「影を見る」というのは、要はその日が晴れているということらしい。曇っていれば影が出来ないので、見ようがないわけ。このサイト、昨年まではたしかかなり地味だったのに、今年の奴はフラッシュ使いまくりの派手サイトになっている。行事も年々派手になっているようで、サイトからもその熱気の一端が知れる。

公式サイトによれば、フィルと命名されたこのウッドチャック(もちろん、けっこう代替わりしているはず)は、いままで116年の間、93回影を見て、14回見なかった(9回は記録が残っていない)。そして、その春の到来に関する予言は「100%的中。当然でしょ」とのこと。全米の主要天気予報会社もこの行事を報道するために集まるようで、大手のWeatherBugの予報官によると、コンピューター予報では当日(日本時間では明日未明)は晴れとなりそうなので、フィルは影を見ることになりそうだとのこと。春はまだ6週間こないということですな。

映画感想のところで書いた、直線的時間と円環的時間のテーマをもう少し展開しようと思ったのだが、思いつきで書くにはちょっと手にあまるのでまたの機会に。節分にかこつけて、磁石つきの海苔巻を売る、あっぱれな商魂をみせるわが国の流通業者も、次はこの行事に目をつけたらどうでしょう。

2004年2月 1日  記事表示を手直し[PC・MT]

個々の日記にリンクをつけるとき、エントリーIDをいちいち確認しないといけなかったので、記事タイトルのまえに■マークをつけ、そこに自己リンクしておくことにした。アーカイブの方もそうしないと意味がないな、というのにはいま気がついたので、これから作業を追加する予定。

それにしても、寝ぼけ眼でアップデートをやり直したのに、表示は2.65のまま。どうなっているのやら。まあ、私がどっかで間違えているということ以外には原因はありえないわけで。

(追記:その後、MT.pmがなぜか二つ別のディレクトリィにあるのを発見し、これを両方新バージョンに入れ替えたら2.661に無事アップデートされた。なんでそんな面妖なことになっているのかは、まったく不明)
(さらに追記:本来のディレクトリィでないほうのMT.pmを削除したが、別に問題なく動作している。一体なんだったんだ)

それと、今月からコメントを受け入れる設定にしたので、記事への直接のご意見などがあればはこちらから。掲示版の方は一般的雑談という方向で、っていったっていま現にそうなんだけど。