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フジTVで木曜日の10時からやっているドラマ「白い巨塔」、こいつがどうもよくわからない。真面目にずっと見ているわけでもなく、現に今日なんか見もせずにこれを書いているわけで、ちゃんとストーリーを追っていないのだから当たり前とも言えるのだが……。
昔、田宮二郎主演でやっていた「白い巨塔」のほうは、結構ちゃんとみたものだった。研修医だった頃の話だ。山本学が演じた内科の里見助教授の学究ぶりとか、加藤嘉がやった病理教授の変人ぶりが秀逸で、多少のストーリー的な矛盾なんかそう気にもせずみていた。
どんな大学にもある(医学部でなくたって)、教授選のドロドロもそれなりに面白いが、やはり中軸にある医療ミス裁判の展開がこのドラマの見せ所であろう。それが、今回のドラマではどうも裁判に正当性を感じられない。旧田宮版ドラマを見ていた頃は、財前のミスは自明だと思っていたものだったが、今回のドラマを見る限り、なんで財前が訴えられにゃいかんのだよ、と思えてならないのだ。田宮版では、財前と里見が診断レースみたいなことをやり、ガンの判定も治療方針策定もすべて財前がやっていた。でも今回は違う。
財前が訴えられるなら、当然里見も共同被告になるべきだ。あの男だけが正義派を気取る理由が全くわからない。佐々木庸平の食道癌をみつけて、転移の確認もせずに手術適応だと判断したのは里見ではないか。それは、外科医というのは単なる切り屋ではないのだから、自分が執刀するにあたって、さまざまな検討を独自にやるのは当然だ。でも、手術をいそがせていたのは里見だし、当然やるべき肺のCTすらその段階でやっていないというずさんさである。
転移があったって、原発巣を切除するという判断は当然ありえるし、そもそも食道癌(たしか田宮版では胃がんだったはず)なら、狭窄が早期に出やすいことから非治癒的切除をしなければならないことも多いのではないだろうか。検査をして、もし転移があれば絶対に手術してはならないことなどないはずで、家族が主張するような「財前に殺された」というような主張はほとんど言いがかりとしか思えない。
もちろん、術前の説明がおざなりだとか、気管支鏡(胸腔鏡といっていたような気もするが、ちらりと示されるCT病変からみれば、胸腔鏡も気管支鏡もうまく届かぬ場所のように思える)検査をやってみることを検討すらしなかったというのは落ち度であって、リスクと可能性をきちんと説明し、術前検査をはしょるならはしょるで、その根拠を述べるべきなのは当然だ。
「助かりたいなら手術をうけろ」なんて説得をする外科医がいたら、ちょっとその感覚は疑われる。もちろん、頭の構造を疑いたいような、「メス持ってればうれしい」お目出度い野郎は一杯いるが。なんであれ、里見の安易な手術依頼を軽々しく受けて、強引に手術に持ち込んでしまったという点では非難されるべきだが、財前だけに責任を押し付けるのはあまりに一方的である。
とにかく、医療側がすべて貫壁に「神の手」を施すべきだという意識に満ち満ちていて、財前の独善性がかすんでしまうのだ。誤解を恐れずいうならば、医療はバクチであって、いい目もでれば悪い目もでる。その賭けをやる主体は患者なので、悪い目がでたのは壷振りのせいだというような非難をしても仕方がない。胴元はただ公正に出目情報をしめし、賭けのリスクと褒賞を理解させるのが仕事なのである。
なんていいつつ、このドラマ最大の注目点は、財前教授はあんなに威厳ある態度をとりながらも、処方箋を書くときは「有Fス」なんて書いているのだろうと想像するところにあるのだが。
投稿者 webmaster : 2004年02月12日 23:27
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