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2004年02月27日  麻原的なるもの [社会・歴史]

オウムの麻原彰晃に死刑判決が出たようだ。私は死刑廃止論者でもないし、まして無限の許しを説くような人間でもないが、いくら被害者、もしくは関係者だからといって、法の名のもとに人を殺す決定(まだ決まったわけではないが)がなされたのを、「よかったよかった」と喜ぶ姿を取材させる心性は理解できない。

もちろん、「ザマをみやがれ。思いっきり苦しんで死ねばいい」という気持は理解できる。でも、それはかなり恥ずかしい感情であるとおもうし、心に秘めておくべきものではないだろうか。それが正義の立場であるかのように語る人々は、むしろ裁かれた側以上の暗黒面に閉ざされているように見えた。その意味では、「違和感はない」とだけ、静かにコメントした河野義行氏が、古来の日本的作法にしたがっていると思った。

人間というのは、正当化できる口実があれば、他人を支配し、その生殺与奪権を握りたいという根本的な欲求があるのだろう。麻原はそれを救済という名目で無差別に実行しようとし、それにたいして正義の名目で「血祭りにあげよ!」と叫ぶ人々もいるというわけだ。たぶんこれは、人類という生物種が存続する限り、永遠に続いていくことなのだろう。もちろん非難しているわけでもなく、そんなものなのだろうなと思っているというだけだ。

実際のところ、最高裁で判決が確定されたとしても、麻原に死刑執行がなされることはないだろう。だって、完全に出来上がってしまっているでしょ。誰が見たって麻原は精神疾患だ。二審以降は密室裁判に徹して、超法規的に短期間で死刑執行という手に出るならともかく、裁判所が正当に法的判断をするつもりなら、とっくに公判停止になっている案件で、裁判所がやっていることは、単なる違法な私的リンチの代行である。

精神疾患といっても、拘禁性精神病だろうから対応は難しく、本人にしてみても正気に戻れば晴れて死刑への道が開けるだけだから、治るに治れずつらいところであろう。弁護団にはおそらく公判停止の要請をする根性はないだろうから、このまま裁判は続けられるだろう。そしてこれは推測だが(確信でもあるけれど)、麻原の急死という形で裁判は頓挫すると思う。ちょっと「と」かもしれないが、裁判の進行経過の背後に、そういう意志を感じるのだ。

世間的にはガス抜きもでき、一連の事件における行政や警備当局の対応のまずさもそう追求される事も無く、教団にとってはうまくいけば殉教者として尊師の神格化もできるし、四方八方丸く収まるというというもの。法的な手続きにちょっと目をつぶればいいだけである。

被害者感情を逆なでするようなことを言い出して、なにか陰謀論みたいな話になってしまったが、麻原的なものが麻原的なものを呼び寄せ、ある意味麻原的な対応によって収束していくのだろうなというのが私の感想というか、予想である。外れていてもまったく責任は持たないが。

投稿者 webmaster : 2004年02月27日 20:36

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