« 麻原的なるもの | メイン | けがれし魂を許したまえ »
酔っ払ってる頭でNHKスペシャル「よみがえる教室」をみる。ガンで余命幾何もない小学校校長が、独自に展開している特別授業の記録である。この校長が「命の授業」という特別授業をし始めてから、この小学校では授業崩壊もなくなり、不登校児童もいなくなったのだという。
そりゃウソだぞ、私の常識がそう告げる。大体、彼の学校というのが、参観研究を前提にした、特別授業のための実験校で、彼は初代校長なのである。それまで存在しなかった問題を、どうやったら根絶できるのだ。「よみがえる教室」という題名からししてミスリーディングであろう。「見せびらかす教室」というべきではないのかな。
アホらしいので詳しくは見てはいないのだけれど、子供の可能性をどうのこうのという話からして、ウソに決まっているわけである。子供というのはバカなので、大人がちゃんと教えてやるしかないのは当たり前だ。子供がどんな創造性を発揮できるというのだ。ちゃんと読み書きそろばん(これは数学的能力という意味ですよ)を教えておくのが初等教育の役割で、つまらんガキの思いつきなんぞ、大人が気にしてどうするというのだ。まあ、天才というのは時々出てくるので、それには適当にリスペクトしてほしいとは思うが。
何であれ、「死」というのはガキにも大人にもオールマイティの強みを発揮するものらしい。オレはもうじき死ぬぞという姿勢というものは、他者にそれなりの緊張を強いるものであるようだ。考えてみれば、あの麻原も、白装束集団のトップである何とか言うオバサンも、このテクを使っていたわけだ。その意味では、ここにもささやかな麻原的なるものを見つけることが出来るといえるかもしれない。
この校長は今年になって病状が悪化し、死亡されたそうだ。TVに登場していた12月までは、あんなに元気だったのに、そんなに急に悪くなることあるんだなという感じである。もしかしたら、冬休みだから化学療法でもやりませんかという、悪魔のささやきを聞いてしまったのではないかと思ったり。少なくとも、ガンになれば医学的管理下で、なんの役にも立たない規制を受けねばならないという誤解をとくには、かなり役立つ生き様であったと思う。
自分が子供の頃を思い出してみると、あの手の実験教育につき合わされるのは、本当に災厄以外の何者でもなかった。教師がどうでもいい感慨にふけるのは勝手だが、彼らがつまらん会議をしている間は子供は自習させられているのだろう。教師がバカだと(確率は5割というところか)自習のほうが余っ程マシなんだが、子供の方はバカばっかりだから、ちゃんとした秩序が保たれなくて迷惑することがおおかった。そんなこと、あの番組では考えてもいないんだろうな。まあ、TVカメラが入っていればそういう問題もないか。
そういう形式的なことは別にして、「命はつながっている」という死を前にした校長の教え自体についていえば、それもウソだと思う。種としてつながっているは当然だろうが、個別的な命がつながっているわけがないではないか。人はみな孤独に死ぬしかなく、その生きてきた証がちゃんと誰かに受け継がれる保障などない。それは人と人を継ぐ愛というものはありますよ。でも、それは誰にも要求できるものではないだろう。少なくとも、義務教育でそんなこといわれたくない。
子供症例はそんなに専門でもないが、それに関与してくる組織(学校、教育委員会、警察、児童相談所など)の無能さにはほとほとあきれ果てているので、連中に何かが出来るという前提で物を考えることは無意味だと思っている。とりわけ、学校という制度には何も期待できない。つまらん子供支配をやめて、基本的な知識を伝えることと、子供に対する犯罪行為をチェックすることだけはやってほしいとおもう。そもそも、そういう要求すら、本来は余計なものであるのだろうけれど。
投稿者 webmaster : 2004年02月28日 23:17
このエントリーのトラックバックURL:
http://med-legend.com/mt/mt-tbcba.cgi/28