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TVを見ていたら、鳥インフルエンザ問題の発端となった、京都の養鶏会社社長が逮捕されたというニュースをやっていた。鳥インフルエンザと疑いながら、それを隠蔽した疑いなのだという。国家というものは法によって律せられるべきだと思うのだが、こういう場合に警察が関与して何かメリットがあるのだろうか、まるっきりわからない。大体、お巡りさんたち、あんたらは感染症の専門家なのかね?大体、犯罪行為というなら、危険な感染症の移入を知らせなかった行政の責任はないのだろうか。
これに近い疑問は最近の「事件」に常について回る。例の六本木ヒルズの事件も、確かに痛ましい出来事だとは思うものの、落ち着かないガキが引き起こす可能性は常にあり、かつそれに保護するべき周りの意識が足らないことによる事件だと思う。ガキはバカなので、何をするかわからないのは自明で、大人がそれをコントロールせねばならないのは当たり前だ。危険性なんて、あらゆるものの周辺にある。
アホはそのアホ行動を展開する意味において、常人の考えを大きく超えるアホな行動をとる。商品のレベルで、アホなガキがあらゆる意味で守られるべきだなんて言う奴がいたら、そいつは自分で責任を取ることすら考えられない、単なる無責任野郎である。そんなこと、無理に決まっているではないか。
今回の事件に関連して、「被害者」だと主張する家族の、責任者に対するまるっきり礼を失した態度なんぞを見ていれば、どうせろくな教育をしていないのがうかがえる。別のビルで、勝手に回転ドア内ですっころんだだけのガキの家族までもが被害届けを出すという話を聞くと、慰謝料が沢山もらえたらいいね、でも恥ずかしくないのかいと言いたくなる。
世の中には危険性は満ち満ちていて、それに全ての安全性が保障されるわけがない。そこで自分の家族に最低限の安全性を担保するのが、現実社会での「家長」に課せられた課題だ。その辺がちゃんとやれないヘタレが、社会にその機能を求めるなんてのは、ふざけてんじゃないよと言われても仕方がないと私は思う。
といって、一方では犯罪被害者の側にガマンだけを強いるような世論や実際の行政運用があるという、訳のわからん実態もある。この辺が理不尽な事件に対して、法的対応が人々に信用されていないという内容を反映している理由だろう。何であれ、法的な規定をこえて、つまらん責任者探しをするのは、辞めるべきだ。ごく普通の生活者に、すべての事態展開可能性を知っておく義務を科しても、それは無理というものだ。
昨今の個人的責任をとう風潮が確定したら、一番困るのは行政従事者だと思うのだが、その辺は自覚しているのだろうか。もしかしたら、自分らは関係ないと思っていないだろうか。真面目にやっていたつもりなのだが、こんな結果になるとは思っていなかった、というような事態は全部あんたらの「犯罪行為」として裁かれる可能性があるのですぜ。その辺、わかってるの?
投稿者 webmaster : 2004年03月31日 22:27
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フルフォードのいう泥棒国家ということですね。
投稿者 acacia : 2004年04月01日 05:54
丸山真男は天皇制の「無責任の体系」と、臣民の無限責任とを表裏一体として書きましたが、まさにこの事だなあと思います。
犯罪と非犯罪の線引きなんて、詰めに詰めて行けば根拠が無いに決まっているのですが、そこを敢えて妥当と思える線を引き、虚構であってもそれを正当と認めるのが唯一何とかやって行ける態度だと思います。もちろん線引きの妥当性は議論されるべきでしょうが、どこかに線が引かれるべきだという事は皆が前提とするべきじゃないかなあ、と。
投稿者 宮川拓 : 2004年04月01日 03:15