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2004年04月02日  筋弛緩剤事件判決 [社会・歴史]

いささか遅ればせながら、先ごろ一審判決が下った「仙台筋弛緩剤事件」について触れたい。これについては、この事件の実情をあまり知らないまま、欧米でよく起こるこの手の事件とほとんど同一視して、いささか決め付け気味にヒンシュク文章を書いていたこともあり、何らかの意見を追加したいと思う。

あんまり真面目にニュースを追っていないのに、こんな事いうのも何なのだが、検察側はこの事件を単なる「サイコ野郎による愉快犯的行為」として立件したようである。「危機管理のゲームだった」という言葉が端的にそれをあらわしている。待遇や副院長の医療姿勢への不満というのもあげられていたようだが、それが関係ない人を殺してもよいとする理由につながるとはいえず、こいつは訳わからんことする奴なのだ、で済ましているように思えるのだ。

それに対して弁護側は、「事件そのものがなかった」と主張した。突発的急変は全部自然過程や、それにうまく対応できなかった医療ミスが原因だというもの。この主張は、必然性なき殺人という検察の立てた構図に対しては、それなりのインパクトをもつものだと思うが、ほとんど検討されなかったようだ。自白の任意性とか、薬物が検出されたとする鑑定の怪しさなどについては、裁判官というものは警察-検察の言うことを丸呑みしてしまい、あまり自分で考えることなどしないようだ。

正直言って、報道される被告人の態度にも不可思議なところが多い。かなり過酷な取調べがあったようだが、だからといって「やっていない」ことを「やった」と自白する必要はないのではないか。小林多喜二の時代ではあるまいし、違法な取調べに対抗する手段はいくらでもある。ましてかかっている嫌疑は殺人である。警官がどんな甘言を弄しようと、高圧的に出てこようと、ないことを認めてしまえば身の破滅なのである。

これは全くの想像なのだが、被告が患者たちを恣意的に殺傷する観念を持っていたのは事実なのではないかと思う。そう根拠は無いのだけれど、取調べ状況で記憶の再現なり捏造がいったんは成り立ったという経過が、そう判断する理由である。もちろん、実際にそれを実行に移すために超えなければいけない溝はかなり深いわけで、そこにはやはり説得力のある説明がいると思うが、検察の立証や判決の中にはそれは無い。

生殺与奪権の夢想で代償されている屈折した有能感覚というのは、実は結構この業界で目にするものなのである。もちろん、普通は「オレがいるからここの救急患者は死なずにすむ」というような方向で示されるもので、その気になればみんな原因不明で死なせることだって出来るなんて意識する人はいないのだが、基本的にはそれらは同じようなものだ。

医療現場の片隅にいる有能な職人という自己評価が、人の生死を支配できる万能感につながることはありえることで、時にはそれを本当に実行に移す人が出てくるのもまた事実(ここなど参照のこと)。ただ、実行に移すには、それなりの必然性をもったストーリー、もしくは別要因があるはずで、こいつがやったに違いないという決め付けを前提にして、状況証拠を積み重ねればよしとするのは、少なくとも私が考えるような人間理解の態度ではない。裁判とはそういうものなのかもしれないが。

投稿者 webmaster : 2004年04月02日 23:30

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