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例の「ミラーマン事件」、私にはかなりの衝撃だった。もちろん、大学教授ともあろうものが……、という驚きではない。私は長らくあのU氏を、まったく別の生活史と人格をもった人として理解していた、ということに気づかされたからである。
U氏はTVのコメンテーターとして高名であるが、私はこの人が出てきた当時から、ちょっと名前が似ていないでもない、「植島啓司」という人物(頭一字しか一致しないけど。あ、四文字だというのと)がマスコミに売れるようになったのだな、と理解していたのである。
植島啓司は比較宗教学者で、いわゆる「ニューアカ」ブームのころその周辺にいて、死とエロスがどうしたこうした、というような難解でありつつも、スケベ趣味からだけでも読めるような文章を大量生産していた人である。私も何冊か、なんじゃこりゃと首をひねりながら読んだものだ。
それがである。TVでは彼は(というか、私はU氏=植島啓司と思い込んでいるので)エコノミストと紹介され、ごく普通の財政出動論というか、要は自民党の野中青木ラインを正当化するような論理を述べるばかりで、国際情勢とか一般的な問題については実に当たり前というか、何の独自の論理もない(掲示板で『模範囚的』という表現があったが、実に的確といえる)常識論を語るのである。
精神の奥底にあるエロスと破壊への誘惑をあれほど強調していた人が、現実的な問題についてはこれほど平板なところに落ち着くのだな、これは当たり前さの中にこそ、狂気のポテンシャルが秘められているという実践的表現なのかもしれん、そんな風に受け取っていたのである。多数派の常識論おそるべし、いつまでも若造っぽい屁理屈なんぞこねていてはいかんのだという、現実の重層性の象徴として、私はあのU氏の言動を捉えていたのである。あの事件のおかげで、私の妙な思い込みは完全に一種の妄想発展であることが明らかになってしまった。ま、訂正可能であるところが、妄想とはちがうのだけれど。
もっとも、平板な常識論的態度にはある種の狂気が秘められているというのは、本物のU氏が身をもって示してくれたことだ。私、ある意味で予言者的な資質があるのかも知れんなぁ、なんて思ってしまったものである。
投稿者 webmaster : 2004年4月17日 23:58
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