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2004年05月05日  更新再開 [日常]

4日もあった休みが、もう終わってしまった。その間、何かしていた筈なのに、全く覚えがないのが不思議だ。なぜか、サイフだけはどっと軽くなっているんだけどね。MOVABLE TYPE導入以後、はじめて記事更新を休んだので、その間にネタが一杯たまったかというと、じぇんじぇんそうではないのもまた不思議。

休みの間に、ここの記事内容についてちょっと考えてみた。今までさんざんろくでもないことを書き連ねてきたのだが、基本的にはそれは「都市伝説」という形で相対化できるような、一見もっともらしい言説の紹介をしてきたつもりである。事実とされているものは、多様な側面を持つということを具体的に示すという意図である。もちろん、ネタ詰まりの時には単なるジョークの引き写しとか、バカ事件報道紹介というような手に逃げたこともしばしばであった。

そういう時でも、なるべく自分なりの視点からの解説を加え、単なる垂れ流しにはならないようにしようとは意識してきたが、もちろん充分でないことのほうが多い。単にオチをつけようとしているだけ、というのが一番多かったりするし。自分の専門に近い分野のニュースというのも結構触れてきたが、これに関しては自分で理解できる限りの批判的読みをしているつもりである。具体的には、「お笑い」として読むという姿勢ということだ。

いわゆる時事、政治ネタというのには真正面からは触れまいとしてきたが、これは私のような見識のない人間がそういうことにかかわると、どこかから借りてきた類型的な立場の押し付け以上のものにはならないのが見えているからである。それでも一部の問題についてはあえて書いたものもあるが、やはりやめておくべきであったなという反省が残る。

最近の個人サイトやBlogには、「自分の意見」をそれなりの論理で、堂々と展開してあるものが目立つように思う。昔、ESSサークルなんかがやっていた「ディベート」のように、ちゃんと資料を引き、予想される反論に対しては、ところを得た(と観客に納得させてしまうような)ロジックでそれに的確に対応するタイプである。情緒ベタベタの日本的風土に、ようやくグローバルスタンダードな「知性」が根付き始めたのだと、この傾向を寿ぐべきであろうか?

しかも、そういう論調のかなりの部分が、妙にエグゼクティブな視点から語られる。「現実的」国家運営を提言し推し進める、えらく大所高所にたった意見である。私なんかは自分が飯を食っている業界内の問題であっても、無責任なこといって茶化すだけなのに、この人たちはまるで憂国の士のごとく、国家を正道に導くべく、建設的意見を述べてやまないのだ。それも、大言壮語とは無縁の緻密さでそれをやる(お笑いレベルもあるけど)のである。

残念なことに好き嫌いのレベルで語るしかないのだが、私はこの手の風潮は好きでない。若造のくせに、利いた風なこといってんじゃないよ、と思う。功なり名とげて引退でもして、回顧録でも書き、そこで同じようなこといっててるなら許せるけどね。頭の中でこしらえただけの自分の立場や根拠に対して、「懐疑」というものを決定的に欠いた、なんとでもこねられるその手の屁理屈なんぞ、自立的なものになるわけがない。せいぜいがクソ政権延命に利用されるのがオチである。現に例の人質事件では、官邸の情報操作に面白いように踊らされているところが多かった。例を挙げてそのお利口な間抜けぶりを指摘したい衝動に駆られるが、不毛なだけだろう。

たかが個人サイトの記事なのだから、何書こうと勝手なのだが、残念なこととにその手の論理を駆使できる人はそうどこにでもいるというものでもなく、結局付和雷同しか出来ない連中がそれを反復増幅していき、、いつの間にやら一定の「世論」めいたものに誘導される危険を感じてしまうのである。これは旧来のマスコミが、知的な前衛となる役割を、惨めにも果たせなくなった結果の表れであろう。

基本的に私の言っていることは、手垢のついた価値相対論であって、絶対的な価値というものをないがしろにしたオールドファッションな寝言だと言われるかもしれない。しかし、私はそれ以外の立場(といって、自分の立場も相対化する原則放棄やダブルスタンダード何でもあり、という卑怯な『立場』なのだけれど)にはどうやっても立てないので、ご立派なことは絶対に語らず、その場のネタと、そのウケにだけ拘泥する姿勢を貫いて(もちろん、時々都合よくブレつつ)いこうと思う。

なんか、話がとんでもない方向に行ってしまったが、今までどおり、くだらんことを書き連ねていくつもりだよという風にとっていただければ幸だ。卑怯かもしれないが、上に書いたような「ご立派サイト」がどういうところをさすのかは明示しない。間違うと自分もそれに近いことをやりそうだなという、自戒のつもりで書いたのだと受け取っていただきたい。

投稿者 webmaster : 2004年05月05日 22:11

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コメント

>そういう論調のかなりの部分が、妙にエグゼクティブな視点から語られる。
>「現実的」国家運営を提言し推し進める、えらく大所高所にたった意見である。
>頭の中でこしらえただけの自分の立場や根拠に対して、
>「懐疑」というものを決定的に欠いた、なんとでもこねられるその手の屁理屈

本当にそのとおりだと思います。客観的に見れば、彼の視座は、
実際の彼が置かれている位置とはずいぶん離れたところに設定されている。
彼は自分では「現実的」なつもりなんでしょうが、
そのような想像上の視点から眺められる景色は、やはりフィクションです。
彼の提言が「現実的」であるのはフィクションの中の彼にとってだけなんですよね。

投稿者 NarbeQ : 2004年05月07日 22:50