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いまパートで週二日、半日だけ行っている職場を変えることにした。思い起こせば10数年前、関西地方でのんべんだらりと暮らしていた私が関東地方に出てきたのが、今の病院を立ち上げる手伝いをするためだったわけで、感慨もひとしおである。
非系列の地方中規模病院で、大学などの全面的なバックアップがあるわけではないので、たとえパートであれ細々と続けていた精神科系医療が途絶えることになり、患者さんたちには多大の迷惑をかけてしまうのがなかなか辞められない理由であったのだが、今とそう遠くない場所にある病院から誘いを受けたため、思い切って移る決心をした。
まあそれでも、お年寄りなんかは簡単に通院先を変えられないだろうし、一部には多大な不具合が出るのはさけられない。私の場合、出来る限り個別的持ち味に頼らない医療というのを意識しているのだが、やっぱり主治医があっさり転勤するというのは、被治療者には見捨てられ体験になってしまうのは否めない。若い頃、基本的な距離を置く訓練が出来てなかったためか、転勤後に患者さんに自殺されるという体験がそう多くないにせよある。本当に自分が転勤したためなのかどうかは、確かめようがないけれど。
一般的にいって、被治療者から過剰な信頼を得るというのは、そう難しいことではなく、また正しいことでもない。フロイトがいった意味とはちょっと違うけれど、「隠れ身の原則」は適切な距離という意味で、何より大事だ。患者と治療者はあくまでゲーム参加者なのであって(対戦者ではないので注意)、友人関係でもなければ、師弟関係でもない。この辺をちゃんとしておかないと、患者さんによくないというより、何よりも治療者のほうが参ってしまうことになる。
何度もいっていることだが、私は境界例人格障害と呼ばれる人を診た事が無い。もちろん、そう呼ばれるような行動パターンを、ほかの治療者の前で繰り広げている例ならいくらでも見る。大概の場合、治療関係の中にある支配関係に無自覚な治療者と、親密性を容易に得られる何らかの魅力とか能力を持っていることを自覚していて、それを武器に最大限の対抗支配を試みる被治療者との抗争として理解できるものだ。治療者との対戦ゲームにしてしまうわけ。それが絶望的な試みであるだけに、そのやり口は自爆テロ的なものになりがちで、あらかたの凡庸な治療者は、BPDという呪いの刻印を相手の額に刻むことしか出来ないのである。
私は自分の凡庸性をよくよく自覚しているので、そのような修羅場を取りまとめる自信などまったくなく、治療ゲームにおける自己決定の原則を相手に守ってもらうことを提案するだけだ。これと似た態度には、きわめて狭い受け入れ原則を守り、それが受け入れられないなら知らんといって突き放すというのがあるが、これでは商売が成り立たないのが欠点。ツマランところにリキいれなくても、いつでも大歓迎なんだよという信号を発しておくことは、世のサービス業の基本であるわけで。
なんていいつつ、ついつい受け入れてしまう細かな無原則が降り積もって高エントロピー状態になってしまったので、ここらで河岸かえにゃやってられないぞ、といういうのがこの転勤衝動の正直なところかもしれない。といって、今診ている患者さんの八割は今度の病院に移ってくれるのだそうで、完全にリセットがかかるわけでもないのだけれど。
投稿者 webmaster : 2004年05月11日 23:23
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