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どうも自分では読む規準を決められないミステリィ/SFなんだが、殊能将之さんのウェブで4月後半に紹介されていた、クリストファー・プリーストの文庫本「奇術師」(ハヤカワ文庫 FT)、「逆転世界」(創元SF文庫)が近所の本屋においてあったので、早速購入。患者があまり来ない当直の夜に、二冊とも読了。
なにせ少なくとも「奇術師」のほうは、あの殊能将之氏じきじきにお褒めの言葉が出ているのだから、面白いに決まっていると信じたのだ。それも、SFファンにもミステリィファンにもおすすめというようなことが書いてあったように思ったので、必死に読んだのだが正直言って今ひとつであった。
19世紀末から20世紀にかけて、「瞬間移動」ということをネタにした、ボーデンとエンジャという二人の奇術師の反目というか、抗争を軸にした物語なのだが、一部はある意味でのトリックにつながる、入れ子になった叙述構造になっている。ところが、その記述トリックがすでにバレバレで、これはわざとミスディレクションするためなんだろうな、と思っていたら別にそうでもないのだった。
同じに見える人物が、あるところから別のところに瞬間移動するといったら、合理的解決はひとつしかないありえないわけで、ボーデンという奇術師はその古典的な方法で名声を博しているのである。それに対して、反目するエンジャという奇術師は小説の上でしか成り立たない対抗ネタを使ってそれを圧倒し、それゆえに意外なカタスロフ(このあたり、どう言えばいいか微妙)が生じるというような話である。
殊能将之氏は、二人の奇術師の「謎」に対する態度を、SFとミステリィに対する微妙な好みの差に分類するわけだが、正直言ってどちらの好みからみても、そう興味を保てるモノではなかったように思う。あ、よく読めば「本格ミステリ読者もSF読者も、『奇術師』の語りにいらだつかもしれない。本格ミステリ読者はタネが明示されないことに、SF読者は文字どおりに受けとれないことに」と、ちゃんと書いてあるわ。「だからこそ、どちらの読者にとっても読む価値はある小説」だというレトリックだったんだ。
私としては、叙述トリックレベルがミエミエのボーデンのほうの記述にどんでん返しがあるのか、と思って読み続けたので、エンジャのほうの非合理系パートに物語的オチが置かれたのが意外という印象だった。はじめから非合理なんだから、「オチ」の質を期待するほうが無理ということか。「向こうの囲いにUFOが着陸したね」「そうだよ。危険だから近づかないで」「ハイわかりました」、ってな感じか。
純然SFである「逆転世界」のほうは全く語るべきことはない。「奇術師」のエンジャのパートだけが分離したようなもので、SF系屁理屈を展開しているのかと思えば、オチの部分でえらくツマラン事実が解明されるという構造を持つだけの物語である。ハード面の屁理屈展開も今ひとつでありました。表面的合理性がすっきりしていないと、こういうのは面白くないんですよね。
いまどき、こういう話に感心する人がいるんですかな。オチのあとでも矛盾として残る細かな点について、主人公の怒りに満ちたツッコッミ咆哮で済ませるという処理法に関しては納得したのだけれど。「なんでやねん!!」といっておけば、どんな破綻があっても回収しえるということですな。
たしか、社会学系のSFってのがはやった時代があるように思うのだが、こういうのを踏まえてそういうのは生まれたんだろうなという印象。現実は、差し当たっての生存のためと信じることについて、人はアホなことでもやり続けるということは証明済みで、この話なんて案外教訓的ではあるのだけれど。ただし、正しいからといって、面白いわけではないわけで。
投稿者 webmaster : 2004年5月15日 23:58
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