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2004年05月20日  パンク侍、斬られて候 [本とか映画とかTVとか舞台とか]

毎日新聞の日曜日書評に、町田康の「パンク侍、斬られて候」(マガジンハウス)が激賞されていて、ついついアマゾンに注文してしまった。この人の文章は時々新聞や雑誌で読む事があるのだが、面白いなと思う一方、なんとなく買ってまで読む気はしないというのが本音だったのである。理由はなんとも言いようがないが、こんな風に気になるけれど、まず読まないという作家は誰しもいるものだろう。私の場合は橋本治とか、中島らもとか、この人であった。

それでも、本は火曜日の夕方に届き、読み出したらたちまちハマってしまって、一晩で読んでしまった。中里介山の「大菩薩峠」のパロディではじまり、半村良の「妖星伝」風の味付けやら、企業小説へのおちょくりみたいな雰囲気まであり、最後は永井豪風の全破壊で終わるという、まことに盛り沢山の趣向である。登場人物同士が延々とメタな会話をし続けるのも、単なるお笑いを超えている。

しかもそのほとんどの展開が、まったくその場限りの音韻連合と観念連合の進行に任せて行われているかに見える。一応「時代小説」なので、やたらに難しい熟語や言い回しも混ぜ込まれているのが芸が細かい。「猖獗」なんて言葉、ふつう使わんぞ。だからストーリーというのはあって無きがごときもので、お約束のように流れていくかと思えば、突然「浪人者が飯屋で、『おやじ!酒と飯だ!』といったとき、出てくるものは何か」というような非常に気になるトリビアに引っかかったりするのである。

一応大まかな進行は、掛十之進という超人的な剣の使い手である浪人が、「腹ふり党」という邪教の進入を防ぐといって黒和藩に詐欺的に取り入ろうという話である。隣藩でこの腹ふり党は一時猖獗を極め、危機的な状況をきたした事があるが、掛はこれをアドバイザーとして駆逐した経験があるというのだ。黒和藩には内藤帯刀というキャリア系家老と、体育会系人脈をバックにする大浦主膳という家老の対立があり、内藤はこの掛という詐欺男をつかって大浦を追い落とせると思いつく。

腹ふり党というのは、この世界は間違って作られたうえに、一匹の巨大な条虫に飲み込まれた偽りの世界であるという教義を持った教団である。リズミカルに腹をふるというようなアホらしい行為をこの条虫は嫌うので、一切の秩序を捨ててアホなことをしまくっていれば条虫が苦しがってこの世界から排泄されて、「御糞」という本来の存在になれるというのである。

内藤はすでに鎮圧された隣藩の腹ふり党の元幹部で、内通して司法取引で助命された茶山半郎を掛に命じて連れてこさせ、藩内でやらせの布教活動を行わせる。前もって大浦に腹ふり党対策への反対意見を表明させておき、危機の責任を問うという搦め手作戦である。これは見事に成功し、あわれ大浦は失脚、猿回しをやるための猿まわ奉行なるものに降格されてしまう。

ところが茶山によるやらせ布教は成功しすぎてしまい、黒和藩には近在近郷のアホとバカが集結して、腹ふりをしながら大破壊活動を展開しはじめる。それを鎮圧するために内藤たちは意外な援軍を得て大決戦に及ぶ……、というような話である。こうまとめるとまことに波乱万丈の大活劇のように思われるだろうが、話がそういう具合に進行するための細かな条件というのは全くご都合主義というか、適当なところで超能力者は出てくるし、主要登場人物が幼馴染だったり、なぜか言葉をしゃべる猿がでてくるし、まるっきり必然性などありはしないのである。

その違和感あふれる連続の不連続感を楽しむのが、この小説の醍醐味と言うことなんだろうな、というのが読後感。実に面白かったのだが、正直言って、「一度読めばもういいぞ」というのが冷静な判断である。同質以上の驚きを与えてくれて、しかも別趣向というのを、次々に考え出すというのは絶対無理ではないだろうか。今度この人の本を読むときは、ごく普通の小説を書いたとされる時であろうと思う。

また思わぬことではあったが、かなりはじけた文体だなと、結構興味を持って読んでいた個人サイトのいくつかが、結局この人の文体の真似をしていたのだというのに気づく。書いてあることは全然どうでもよかったが、文体が面白かったから読んでたのに。おかげで、暇つぶしに読みにいくところが少なくなってしまったのが残念。

投稿者 webmaster : 2004年05月20日 22:11

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