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2004年05月28日  今日は何の日:水爆特許申請の日 [今日は何の日]

第二次大戦中、米英によって進められていた原爆開発計画、いわゆるマンハッタン計画の中心的存在の一人であった物理学者、クラウス・フックスは、同僚の数学者、フォン・ノイマンとともに、58年前の今日、水素爆弾の特許を申請した。

「今日は何の日」というのはネタ切れの時に使いやすいので、あちこちのBLOG、日記サイトがよくとりあげる。この「水爆の特許申請」というのも、検索すると数ヶ所で取り上げられていて(ただし英語サイト)、どちらかというと、専門バカ科学者の傲慢みたいなニュアンスで扱われている。でも、ちょっと調べてみると、この特許申請には、大量破壊兵器の独占に走る米英に対する、クラウス・フックスの精一杯の抵抗があったようなのである。

クラウス・フックスは1911年、ドイツで生まれた。学業優秀な秀才であったが、彼の学生時代の最大の関心は政治に向いていた。彼はドイツ共産党のメンバーとして早くから活動し、1933年、ヒットラーが政権を握ると弾圧を逃れて英国に亡命する。彼の物理学者としての栄光は、この亡命以後に花開くのである。

1943年、彼は他の英国人物理学者と主に米国に赴き、原爆開発計画に従事する。彼の能力は同僚みなが認めるものであったようで、原爆の具体化に大きな貢献をしたようである。しかし同時に、彼はこの頃からソ連の秘密諜報員と接触しており、完成した長崎型原爆に関する文書をひそかに渡していた。戦争終了後、フックスは、マンハッタン計画の進行中に他の科学者たちがうすうす気づいていたことを完全に理解していた。すなわち、核融合を用いたより大規模な破壊兵器の可能性である。

1946年4月、ロスアラモスで開かれたこの超兵器に関する秘密会議に出席したフックスは、そこに提出された水素爆弾に関する基礎的資料を再検討し、その1か月後の5月28日、フォン・ノイマンと共に、水爆の創始者として特許申請するに至った。これがどのように扱われたのか、調べた限りではどうもはっきりしない。おそらく正式には受理されなかったのであろう。

彼は英国に戻り、再びソ連の諜報員と接触を再開し、核兵器機密を流しつづけた。そうして1949年には機密漏洩罪で逮捕され、14年の懲役をいい渡された。まだソ連は米英と建前上同盟国であった時代なので、反逆罪には問われず、死刑を免れたのだった。

フックスは9年で釈放され、英国を出て東ドイツで余生をおくり、1988年、77歳で一生をおえた。彼は共産主義者としての信念を貫いて、核機密を提供していた。彼にとっての「正義」の側が、この兵器を持っていないと世界の平和は保てないと信じたのであろう。かの「水爆特許申請」も、核兵器技術に対するイニシアティブを握れば、米英による水爆開発の独走を食い止められると思ったのかもしれない。

実際、その後の長い冷戦構造を作った張本人がフックスだと言えるわけだが、結果論からすれば、彼の行動がなければ、50年代、60年代の東西対立、また民族独立運動の過程で核兵器が使用されていたのは間違いないと思われる。そうなっていれば、もっとすっきりした世界になっていたよ、と言えるのかもしれないが。

そんなわけで、この「水爆特許申請」の背後には、かなりの政治的意図があったわけだ。多分私が、ネットで十数分調べて分かるようなこと以上の事情もあるに違いない。それでも何となく間抜けな印象をもつ出来事であるのも事実である。何より、もし特許が認められていたとしたら、その特許料はいったいどういう根拠で算定されるのだろう。敵国破壊により創出される利権や、核威嚇によって得られる経済援助のうち何%といった基準だろうか。そのあたり、考え出したら夜眠れなくなってしまいそうである。

(参考)クラウス・フックスの簡単な伝記はこちら

投稿者 webmaster : 2004年05月28日 23:05

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