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2004年06月07日  「カサブランカ」、レーガン主演予定説の真偽 [都市伝説・デマ・トンデモ]

レーガン元アメリカ大統領死去をうけ、関連の話題を。

かの名作映画、「カサブランカ」は、ハンフリー・ボガードではなく、ロナルド・レーガン主演が予定されていたというのはよくトリビアとして語られる。ちょっと検索してみるだけで、この映画を解説しているいくつものサイトがその説を紹介していて、多少のバリエーションはありながらも、かなり詳しい「予定キャスト」の説明がされている。例えばこちらではレーガンとヘディ・ラマー、こちらではレーガンとアン・シェリダンという配役が予定されていたと記されている。

しかし、こちらの記事によれば、幾度となく映画トリビアとして開陳されたその話は、単なる誤解というか、背景を充分考慮していない短見に基づくものらしい。

映画「カサブランカ」が初めて計画されたのは、1941年の12月のことである。当時、ワーナーブラザースの主任プロデューサーであった、ハル・ウォリスの発案によるものだった。彼の意見でワーナーは、ヴィシー対独協力政権支配にあった仏領モロッコを舞台にした原作、「皆はリックのところに」を2万ドルで買い取った。

ところがウォリスはその2週間後にワーナーを退職し、独立プロダクションを開いて、その施設を使って映画を撮るという契約を、ワーナーと交わしたのである。それまで映画会社のものであった映画制作が、はじめてプロデューサー主導システムにとってかわられたのである。これが多少の混乱を招いた。当然、まだほとんどの映画製作は映画会社が取り仕切っており、「カサブランカ」の場合、初期のプレス発表は映画会社によってなされた。

1942年1月、「ワーナーは仏領モロッコを舞台にした活劇、『カサブランカ』をアン・シェリダン、ロナルド・レーガン、デニス・モーガンらの競演で製作する」というワーナー発の公式記事がでたのは、そういう事情のもとであった。つまり、製作者のウォリスは、まったくこの記事内容にはかかわっていなかったのである。

一方では脚本はこの時点で部分的にも出来上がっておらず、ハル・ウォリスはそのプロデューサーシステム初の作品を二本抱えていたため、配役も当然決まっていなかった。映画会社がその発表でレーガンたちの名を出したのは、上映間近の彼らの主演映画の宣伝のためであった。

しかも、仮にウォリスがレーガンを使おうと考えていたとしても、そのチャンスはなかった。彼はすでに陸軍少尉として招集されており、製作中の映画公開までの一時的猶予でワーナーに在籍していただけで、とてもそれから製作される映画に出演することなど出来なかった。

実際、ウォリスの発言や残されたメモによれば、彼がボガード以外の配役を考えていなかったことは明白であるそうだ。ワーナーのほうは、ウォリスに何度か別の配役を示唆したようではあるが。それまでのシステムでは、俳優たちもそれぞれ映画会社と契約していて、会社側のプログラムに基づいて映画に割り振られていた。契約映画会社が違うと、どんな人気俳優であっても競演することも出来なかった(日本では近年までこのシステムが続いていた筈である)。

それがウォリスのはじめたプロデューサーシステムでは、俳優たちは所属会社から離れて個別の映画制作プロと契約することになった。プロデューサーは自由に配役を企画でき、映画はよりその作品性を高めることが出来るようになったのである。

つまり、レーガンが「カサブランカ」に主演する予定だったという噂の根拠は、それまでの映画会社によるプログラムピクチャー制の名残であった、適当な新聞発表だったわけである。歴史のIFというのはよく語られることで、この噂をもとにして「もしレーガンが『カサブランカ』に出ていたら」という小話もあちこちで語られる。

もしそうなっていたら、誰にも記憶されない冴えないB級メロドラマがひとつ生まれただけのことではないかと思うのだが、中にはレーガンが大スターになって大統領にならないので、冷戦構造も脱却できず、ソ連との一大決戦が勃発する、なんて内容のIFまで出てくるのである。

しかし、この場合に限って、IFはどうも成り立たないようだ。あの映画が名作として人々に記憶され、レーガンが政治家としてのキャリアを歩んでいくには、やはりそれなりの必然があったのである。レーガン氏の、俳優で成功するには不十分ながら、大統領をこなすには必要充分であった演技力と感動喚起力の思い出に。"Here's Looking at You."

投稿者 webmaster : 2004年06月07日 22:57

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