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2004年06月20日  春の夜の夢の浮橋とだえして [本とか映画とかTVとか舞台とか]

寝起きの頭で新日曜美術館をみていて、どういう脈絡で出てきたのか、「春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空」という藤原定家の和歌が紹介され、妙に気になったので早速検索。要は、さっぱり意味がわからなかったのである。

すると専門家によるこういう解説ページが出てきた。そこには「新古今和歌集中随一の秘歌とされ多くの秘伝口伝を抱えているいわゆる難解歌」とあるので、私に意味が分からなかったのも当然であろう。解釈についてはさまざまな意見があるようだが、上の句と下の句に時間的ずれがあるとする説が有力らしい。

「夢から覚めて起きだし、明け行く外の景色をながめたら、峰に雲がたなびいていた」ということだと。「枕草子」の「春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる」がこの歌の前提になっているともいわれるらしいが、そういわれればそうかと思いつつ、なんとなくこの歌の奇妙な雰囲気を、屁理屈で説明しただけのように思わないでもない。リンクしたページの著者はもっと深遠な解釈に組するのだが、そちらのほうはなんだかさっぱり分からない。

そういうブンガク的な感慨とは別に一番興味を引かれたのが、定家の孫である藤原為顕によるこの歌の批判であった。為顕によれば、この歌は「乱思病」の典型だというのだ。「乱思病といふは、うたの心も聞こえず、理もなきうたなり」。理がない、つまり論理が一貫していないというのだ。論理を軸にして言葉を飾っていくのが和歌で、「理のきこえざらむは、歌にあらず。よくよく嫌ふべきなり」とまで、大家である自分の爺様を批判するのだからすごい。

為顕はほかにも「同詞の病、同字の病」という和歌の病をあげている。残念なことにこれらについてはちゃんと解説されている文章を見つけることはできなかったが、何となく想像できないこともない。音韻連合の妙で作られたような和歌のことをいうのであろう。駄洒落系和歌というわけね。それも芸のうちではないかとも思うが。

なんでそういう古典文芸論みたいな、柄にも似合わないことに興味を持ったのかというと、これはつまり精神分裂病の症候論に通じるところがあるからだ。分裂病の基本症候には思考障害があって、これは連合弛緩というような堅い言葉であらわされるのだが、要は思考を論理的にまとめることができなくなり、形態や音の類似という、駄洒落っぽい関連に思考内容が引っ張られていく傾向をさしている。まさしく為顕のいう「同詞の病、同字の病、乱思病」なのである。

鎌倉時代の歌人が、分裂病の症候論につうじる記述をしていたというのがまことに感慨深い。もちろん、それは和歌という言語的創作について述べているのであって、分裂病について語っているわけではない。しかし、言語活動というものが陥る可能性のある病的パターンを取り上げたという意味では、分裂病の症候論を完成させたクレペリンやブロイラーに先立つこと六百年である。これで為顕がもっとやわらかい和語でそれらの「病」を命名してくれていたら、業界術語に取り入れるべく微力を尽くすのだがと、少々残念。

元の「春の夜の夢の浮橋とだえして……」に話を戻せば、この歌の持つ奇妙な雰囲気というのは、まさしくその「乱思病」ゆえではないかと思うのだ。目覚めたばかりの軽度意識水準低下状態で、夢の浮橋というようなあいまいな言語イメージが、遠くの峰にかかる雲の形態と混じりあうような思考の解体状態、いうならば日常の意識の中に立ち現れるヌミノーゼ的な瞬間が、うまく表現されているのではないだろうか。

確かに為顕のいうように、この歌は観念連合弛緩の典型なのだが、定家はまさしくそれを描きたかったと思うのだ。それゆえにこそ、この歌が難解といわれつつも名歌として人々に記憶されつづけているのであろう。なんてこといいつつ、私は今朝までまるっきり知りませんでしたが。

投稿者 webmaster : 2004年06月20日 12:05

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