カイエ・ソバージュ(1)「人類最古の哲学」(中沢新一:講談社メチエ)を読む。そのあと5巻まであるシリーズも半分ほどは読み終えたのだけれど、なんというか、神話の構造主義的読み取りの入門書という感じに終始するのがあっけないほどである。大学の講義をまとめたものらしいので、わかりやすく原則にそって説明したということなのかもしれない。
この第一巻ではもっぱら、民話のシンデレラを題材にし、さまざまな民族に伝えられたそのバリエーションを紹介し、神話的原像をさぐるというかたちで講義が進む。貧富や美醜という現実的な不均衡を媒介するという機能にとどまらず、生と死という絶対的不均衡すら媒介する神話的構造がそこに見え隠れしていることを示すのである。
途中まで読んだ限りでは、後に続く巻もさまざまに題材を変えて、この「対称性の回復」という神話的テーマを解説しているようだ。このシリーズには共通の前書きがあって、著者の全体的な意図を示しているのだが、それによれば新石器革命という人間の基本的文明を作り上げた「野生の思考」という能力は、神話や儀礼のなかに如実に示されており、近代の科学革命もその能力の延長にあるとされる。
そして、新石器的な文明を否定して成立したのが、第一次形而上革命である一神教で、それをさらに否定した第二次形而上革命が、先ほどの科学革命なのだという。そして現在は過渡的であって、科学革命の成果がほぼ出尽くす予感が広がり、第三次形而上革命の可能性をうかがう時代なのだとも。
じゃあ、科学がその原型を借りているという「野生の思考」には限界があるわけね?と聞き返したくなるが、著者は平気なもので、「一神教の開いた地平を科学的思考によって変革することによって」その第三次形而上革命の見通しが得られるようなことをいう。なんかこのあたりは少々混乱してませんかといいたいが、多分こちらの理解力のなさに由来するのだろう。そのへんはあいまいに、神話的思考の原点に立ち戻ることで、現代の閉塞状況に風穴を開けられるというムードで読み続けることにしている。
私なんかは決め付け的に、人間の脳というハードウェアには、世界を対照的バランスをたもった秩序として認知し、その原理にそう価値観をも生む生得的な構造があるのだが、一神教や資本主義経済という現実的非対称性とのミスマッチが、種々の脳内不具合を生むのだろうという「と」理屈を以前からひそかに暖めている。差し当たってのミスマッチを乗り越えるためには、対称性の世界にいったん立ち返るしかないと考えていたりするのだが、いかんせん、近頃の脳科学が次々に脳の非対称的原理ばっかりを発見してくれるので(欲望というのは遺伝子というモジュールに乗っかって、外部からやってくるようなのだ)、どうも旗色が悪い。
私らの分野では、精神疾患の症状論を、神話的な秩序回復を図ろうとする、はかないパフォーマンスとしてまとめなおすことはそう難しい作業ではない。10数年ほど前のニューアカブームの頃には、出来の悪い試みの論文がいくつか出たこともある。業界では皆、なかったことにしているけれど。精神分析と同じように、いかに見事に妄想の構造分析をしてみたところで、別にそれはある種の趣味的解釈の一つになるだけなのだ。間違うと「へたった脳みそのやることは、未開思考に似てしまうんですな」で済まされてしまったりするぐらいで。
そういう個別的分野でのつたない経験があるものだから、中沢がこのシリーズで提唱するように、いまさら構造主義的素養を背景にした神話的思考の回復をしたところで、そんなに「新しい地平」なんてものを切り開けるのかいな、と冷ややかに眺めてしまう。しかし、不徹底なまま放り出した負い目のある立場としては、ついつい気になってこっそり読んで、パクり戻すネタはないかとうかがうのである。そういう成果が得られそうなら、また報告ということで。
投稿者 webmaster : 2004年06月25日 23:49
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