« 一部体裁変更 | メイン | サイト改装 »

2004年09月02日  チャーチルはフレミングに二度命をすくわれた [都市伝説・デマ・トンデモ]

二次大戦中の英国首相、チャーチルにはこんな逸話が語り継がれているそうだ。彼は子供の頃、スコットランドの湖で溺れ、危うく死ぬところだった。それを救ったのが地元の貧しい農家、フレミング家の息子、アレックスである。チャーチル家はアレックスの両親に、謝礼の金銭提供を申しいれたが彼らは固辞した。そこでチャーチル家は、アレックスの学費を負担することにしたのである。

アレックスは素晴らしい成績で学業をおさめて細菌学者となり、1928年、ペニシリンを発見する。1943年、首相となっていたチャーチルは風邪をこじらせて肺炎になり、危うく命を落とすところであったが、それを救ったのはペニシリンであった。チャーチルは、子供の頃命を助けられたアレックス・フレミングにまたも救われたのである。

この話は1950年にアメリカで出版されたキリスト教系の道徳読本に載っていて、かなり有名なのだというが、「よく出来た話が本当であることは滅多にない」("Too good to be true")という原則からすれば、ガセである可能性はたかい。実際、チャーチル顕彰団体(?)のサイトによれば、これは部分的事実と適当なホラをつなぎ合わせた作り話であるとのこと。

いわく、チャーチルがスコットランドで溺れ死にかけた事実はない。ペニシリンを発見したアレキサンダー・フレミングがスコットランド出身であるのは事実ながら、チャーチルより7歳年下のこの未来の学者とチャーチルが子供時代に出会ったことはない。戦時中にチャーチルがわずらった肺炎はサルファ剤によって治療され、ペニシリンは使われなかった。英国でも少量の精製がやっと可能になったばかりで、首相にも回ってこないほどの貴重品だったらしい。

もっとも、チャーチルはサルファ剤を服用するとき、ウイスキーかブランデーと一緒でないとのまなかったらしい。看護婦には「人は薬のみにて生きるものにあらず」などとジョークを飛ばしていたらしく、「肺炎で危うく死ぬところだった」というのはかなり怪しい。このニュースは南米経由で当時の敵国日本にも伝えられ、「チャーチル ペニシリンで命拾い」という新聞記事が出たそうだ。敵味方とも実用化に向けて必死に開発していたペニシリンだったので、首相たるもの使われたに違いないという憶測がこういう記事になり、めぐりめぐってフレミング博士との因縁話が創作されたのだろう。

じゃあ、二人は全く出会ってもいないのかというとそうでもなく、戦争も終わった1946年、チャーチルはブドウ球菌感染症にかかり、フレミング博士のコンサルテーションを受けたのだそうである。ところが、彼の感染菌はペニシリン耐性であったそうで、このときもペニシリンは投与されなかったということである。

ペニシリンが実用化されてわずか一年かそこらで、すでに耐性菌が存在していたというのがこの話の教訓。
-----------

以上は別館の方に9月2日付けでアップしたが、MT作動不能という状況での緊急避難だったので、こちらに再アップ。別館のほうはバカニュースと、面白ウェブ紹介という方向で特化させようかな、と。

投稿者 webmaster : 2004年09月02日 23:50

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://med-legend.com/mt/mt-tbcba.cgi/201

コメント

こんばんわ。ペニシリンの歴史的発見に触れてうれしいです。
ペニシリンの原料は”あおかび”だときき、真にうけて
風邪を引いた時は「ブルーチーズ」・チーズに青カビをつけて商品化されたもの(わたし、ぜんぜんへいきなんです)を食すのは意義のあることでしょうか???

投稿者 みんみん : 2004年09月23日 20:03