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1955年9月30日の午後5時45分、映画スター、ジェームズ・ディーンはカーレースに出場するため、ロサンジェルスからサリナスに向かって愛車のポルシェ・スパイダー550を走らせていたとき、前方から走ってきたフォードと正面衝突して即死した。享年24。
助手席にはカーメカニックが同乗していたが命は取り留め、相手方のフォードを運転していた人はかすり傷ですんだ。事故は当初、ディーンのスピードオーバーのためといわれていたが、その後の調査で、衝突相手の車がセンターラインを超えてきたことが原因であることが判明している。(再現CGムービーはこれ。QT形式で約750KB)
わずか4本の主演映画を残しただけで、人々につよく記憶されることになったJ・ディーンであるが、その不運な死の経緯は、大破したポルシェの後日談として、幾分かの伝説を今日に残している。
いわく、ポルシェは運転手席側が大きくえぐりとられる形に破壊されていたが、多くの部品は壊れていなかったため、友人の一人がスペア用に買い取った。そこのガレージについたポルシェは、運搬車から下ろす際に不意に落下し、作業員の足を骨折させた。
翌年、二人の車好きの医師がポルシェのエンジンとトランスミッションを買い取り、自分たちのレースカーに搭載したが、はじめてのレースで事故を起こし、一人は死亡し、もう一人は重傷を負った。
無傷のタイヤ二本を買い取った若い男は、それらが同時にパンクしたため、もう少しで致命的な事故を起こすところであった。これらの事件で話題を呼んだこともあり、カリフォルニア警察はディーンの車を、交通安全の催しでの展示に使うことにした。
ところがあるガレージでは展示中、火事が起こり、ポルシェ以外のすべての車が燃えてしまった。サクラメントの高校での催しでは、展示台から車が落ちて、高校生が重傷を負った。
車はサリナスに送られることになったが、その途中運搬車から落下し、運転手を死亡させた。同じような事故は57年、58年にも起こった。59年、展示中にこの車は突然ばらばらに分解してしまった。翌年、車は箱詰され、ロサンジェルスに送られたが、その途中で何処へともなく消えてしまったという。
志半ばで世を去ったJ・ディーンの亡霊が車に乗り移ってこれらの事件を起こしたのだと噂されるというのだけど、私はこういうのを聞くたび、亡霊のために死ぬ羽目になった側が亡霊になって、ディーンの霊に「おまえ、あれはないだろう」と文句をいえばどうなるんだろうと思ってしまいますなぁ。
投稿者 webmaster : 2004年09月30日 21:32
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それはいいですね。更に私の理想に近づいていらっしゃいマス。
究極は、ドクターであり作家のOliverSacks様なのですから!★
投稿者 みんみん : 2004年10月01日 20:13
ホントは越前屋俵太のほうがナンボかいい男です。最近は宮崎駿とか小出監督と言われることが多い。
投稿者 Webmaster : 2004年10月01日 16:31
毎日カキコですみません
すっかり気に入ってしまって。ネットストーカーでしょうか??
先生って、越前屋俵太に似ているのですか。私、実は昔好きだったんです(たしか関西学院大学の人ですか)ああいう、男っぽいタイプの人に憧れていて、他では数学者の秋山仁先生とか大好きなんです。(ここでは関係ないお話でした。)最近もご活躍していらっしゃるのでしょうか。
先生って、とっても賢い人ではありませんか?
(事故のシーンが怖いので、もう見ません。運転免許持ってなくてよかったです。)
投稿者 みんみん : 2004年09月30日 22:00