2004年10月31日  「ロング・グッドバイ」[本とか映画とかTVとか舞台とか]

THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ」(著:矢作俊彦、角川書店)。矢作俊彦19年ぶりのハードボイルド書き下ろし、という触れ込み。あれれ、「ららら科學の子」がこの前出たばかりじゃないか、と思うのだが、「ハードボイルド」では19年目、ということなんだそうだ。

題名を聞いただけで、これはレイモンド・チャンドラーの「長いお別れ("long goodby")」へのオマージュというか、矢作なりのハードボイルド世界の再構築なのだとわかる。通じるのはLとRの区別に弱い日本人だけだろうけど。まして、冒頭で人好きのする酔っ払いと知り合いになる展開をみて、たぶん大筋は一緒なのだろうと想像してしまうのだった。

ハードボイルドミステリというのは、本格推理のように謎そのものをショウアップすることをそれほど追求しないので、ネタバレしたらそれまでということもなく、主人公と登場人物が取り交わす気の利いた軽口だけ読んでいたって充分面白いものだ。私は一度でいいから、あんな風に洒落たセリフを現実生活でつかってみたいものだと常々思っているが、出来たためしはない。

だいぶ前に発見したことなんだけれど、どうしても英語をつかってガイジンと話す必要に迫られたとき、自分がフィリップ・マーロウになったと思って事に当たれば(この際、容貌のことは無視)、不思議なことにそこそこ喋れるだけでなく、結構毛唐相手に間を持たせることが出来るのである。ハードボイルドの視点というのが、英語的発想そのものであるからだと思う。

もちろん私はその手の小説を原著で読んだことなどなく、全部訳書で読んだだけなんだが、それでも充分役に立つから面白い。まして、この「ロング・グッドバイ」の場合、日本人が日本語で書いているのに、その目的にはぴったり。そんな実用目的でハードボイルドを読んでいる人もあるまいと思うが、ホントに役立つからだまされたつもりでお試しあれ。

ところでこの小説、テリー・レノックスの役回りの男が予想通りの現れ方をするのはよいとして、肝腎の犯罪そのものではどんな役回りをしたんだろうか。隠蔽には少なくともかかわっていたみたいだけど。結局誰が誰を殺したのか、というところですでにさっぱり判っていないのである。でも面白いのがハードボイルドのハードボイルドたるゆえん。

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2004年10月30日  火星人来襲の日[今日は何の日]

76年前の今日、アメリカCBSのラジオドラマ、「世界戦争」によってマス・パニックが引き起こされた日。これは当時23歳であったオーソン・ウェルズが企画したもので、火星人による来襲をえらくリアリスティックなドラマ仕立てしたところ、全国家的大騒ぎになってしまったというもの。

番組はゴールデンタイムである午後八時に始まり、まずこれはドラマであることの説明は充分されていたのだが、たまたま同じ時間に始まる人気短編番組があり、多くの人はそれが終わってからCBSにダイアルを合わせたのだった。

そのとき、ウェルズのドラマはすでに導入部を終えており、どこかのクラブの音楽を流すような内容を流していた。そこで、臨時ニュースの形で火星で爆発があったことをつげられ、ニュー・ジャージーに謎の物体が着地し、そこから敵対的存在が出現したことが報じられたのである。はじめからちゃんと聞いていれば勘違いしようはないのだが、途中から聞いた連中はすっかり度を失ってしまったというわけ。

もちろん、当時の世相は来るべき宿敵との対決に緊張を強いられる状況が続いていて、それがたわいのないドラマをパニックに導く主因であったことは間違いない。大体、あの国の人々、昔からそう賢くないわけで。宿敵というのは、そのころは日本帝国、いまならアルカイダというわけですな。似たようなパニックが起こらないよう、願わないでもない。

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2004年10月29日  遺伝子操作低アレルギー猫[医学・科学関連]

今朝の新聞に、カリフォルニアのバイオ企業が遺伝子操作による「低アレルギー猫」の販売予約を始めたという記事が出ていた。ウェブでは今のところここに記事がある。「ジーン・サイレンシング(遺伝子発現抑制)」という技術で、猫の皮膚や唾液腺に含まれるアレルゲン蛋白生成を抑制するのだそうな。

人間にとって都合の悪い蛋白であっても、猫にはなんらかの必要があるから産生しているのではないかなと思うのだが、違うのかな。遺伝子操作というのは理屈はわからんでもないのだが、ネガティブなものは取り除けばいいという単純な発想がバックにあるような気がして、今ひとつ不安である。例えば家を建てるとき、悪臭の原因になるからといって、トイレとゴミ捨て場を設計図から外すのと同じではないのだろうか。

その意味では、クローン技術はちゃんと生存していた個体遺伝子のコピーを作るだけだから、まだ受け入れやすい。もっとも、遺伝子だけいじれば個体が再生できるような、ちょっと魔術的技術として理解されているが、あれは体細胞核を卵細胞の細胞質内に埋め込むという、今のところはかなり当たり外れの大きい作業の結果なのであって、別に遺伝子だけを操作しているわけではない。

恐竜のDNAをカエルの卵細胞に埋め込んだら恐竜が出来るというものではなく、もし似たことをやろうとすると、恐竜の体細胞と恐竜の卵細胞を調達してくる必要がある。そんなことが可能なら、誰もわざわざクローンで恐竜なんか作らないのは当たり前。今のところ、というより多分この事情は、ちっとやそっとの技術革新では乗り越えられないだろう。

記事にはクローン猫をオーダーで作るという商売をもくろんでいるところも紹介してあるが、たしか、そうして作ったクローン猫は、コピー元とはまるっきり模様からして違ったりしたはずである。死んだ愛猫のコピー提供という商売をするつもりだったのに、似ても似つかぬ猫しかできないというのはかなりまずそう。

低アレルギー猫のほうは、いまから金を集めて実際に猫が提供されるのは2007年というのがなんとなく怪しい。ここは多額の予約金(猫一匹が37万円で、予約金が2万6千円)をせしめてドロンするつもりだ、というのに2万6千ガバス。

2004年10月28日  「カウンセラー」って何するの?[社会・歴史]

先の新潟中部地震は予想を超えた激甚災害になり、しかも収まりかけたかなと見えたところでまた激しい余震が来るという、手の込んだ芸風を見せるので、避難している人たちはいまだに家の後片付けも充分に出来ないという状態のようだ。

そんな中、心身の変調を示す人が後を立たないという報道で、その人たちが望んでいるのか、マスコミが必要性を主張しているのかはっきりしないのだけれど、「カウンセラーを派遣しろ」という声が大きいのだという。

私は精神医学業界で働きだしてすでに30年になるのだが、現実の臨床現場でこの「カウンセラー」という人に、リアルタイムで出会ったことがない。それは心理療法士とかが、世の人が「カウンセリング」と理解するような仕事をしている場合はあって、自分でも予診だの経過観察だのを、そちらに回したりすることはないではない。ほとんどその人たちの研修のつもりでやるのだけど。大概は二度手間になるだけで、よけい面倒なのである。

「カウンセリング」というのは一般言語化しているが、業界的にはやはりそれはカール・ロジャースが開発した「来談者中心療法」という「特殊療法」を指している。全くああしろこうしろという指示を行わず、クライアントが語る問題点を整理して受容し、共感的態度で接することでクライアント自身の問題解決能力を導くような態度というか、テクニックである。

先ほど「出会ったことがない」と書いたが、どこからか探し出してそういう人に相談した経験がある人を自分の患者としてみたことは何度かあるのだが、そのほとんどはロジャースも嘆くのではないかと思うような、「未熟精神分析もどき決め付け素人不安惹起無自覚治療妨害者」でしかなかった。

先日私のところに来たある「拒食症(実はこれ自体間違いだったのだが)」の女性は、その手の「カウンセラー」に、「あなたたちは母子分離が出来ていない」と決め付けられ、母親ともども説教され続けるという「治療」を5年以上も受けていた。なんだか怪しい通信教育や学校もどきで、そういうことを教えるらしく、この「母子分離が出来ていない」というあまり意味のない指摘は、あちこちでかなりの人に対して無差別になされているようだ。

そういうインチキでなければ、病院で精神科医のアシスタントとして集団療法とか、心理テストをやってる人しか知らないのだから、災害被災地にいって彼らが一体何をするのだろうというのはかなり疑問である。さしあたって現場情報の流れをよくすることとか、被災者どおしの交流を促進して軋轢を回避することなどは仕事になるだろうが、そんなこと、ちょっと気の利いた行政関係者がいれば、十分出来ることである。

ほかにも、PTSDという言葉の安易な使い方とか、気になることは山ほどある。もしかしたら自分が精神医学的知識の埒外にいるのではと不安になってしまうほど。例の救出された2才の子供に、PTSD予防のために精神科医が面接するというのだが、それで一体何をするのだろう。SSRIでものませるのかしら。今出来ることは栄養と休養、そして安全感の確保以外ないと思いますがなあ。仕事しているフリのためにそういう発表しているのなら、ちょっと空しい。

2004年10月27日  Trick and Treat![都市伝説・デマ・トンデモ]

lollipops_s.jpgハロウィンを前に囁かれているという、ちょっと怖い噂を伝えるメールの紹介。
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<一例>重要度:高

ノースリトルロック警察は、管内の小中学校で、何者かがメープルリーフやカボチャ、サンタクロースの形をした棒つきキャンデーを配っていると警告を発している。そのキャンデーには三つのタイプの強力な幻覚性薬剤が入っていて、10代までの子供なら充分に死に至らしめる可能性がある。

当地の警察はテネシー州警察より情報をえている。メンフィスではすでに数人の逮捕者が出ている。キャンデーはアーカンソーのブリザビルで作られていることが判明している。当局はこれが各地に広がることを危惧している。

もしあなたや知り合いに子供がいるなら、この子供たちへの脅威となる情報を知らせてやってほしい。
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写真(クリックで拡大)はメープルリーフ型ではないのだけれど、麻薬取締局で公開している押収違法薬剤の写真には、ちゃんとそういう形のキャンデーもあるので、そういうのをヒントにして書かれたデマメールのようである。ちょうどハロウィンも近いし、それなりに世の親をビビらせるだろという目論見らしい。なお、写真のキャンデーには、こんな形でPCP(いわゆるエンジェルダストという奴)が仕込まれていたらしい。

それにしても、麻薬取締局の押収薬物、人間の創意と工夫の涙の努力の後がよくうかがえるものばかり。プロジェクトXでやってもいいのではと思える。取締りをいくら厳しくやったって、あの努力の前にはまあ無力でしょうな。完全合法化して、自己責任で使いたい人には使わせるしかないだろうというのが私の意見。

元ネタはこちら

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2004年10月26日  「チーム医療」の嘘[医学・科学関連]

私らの業界では、しばしば「チーム医療」の大切さということが叫ばれる。スタッフが対等に意見と能力を出し合い、きめ細かな医療提供に向けて一丸となってあたる、というような内容であるらしい。もしかしたら、私のこういう理解はまるっきり勘違いであるのかも知れないが、朝礼などでの管理者訓示を聞いていると、そう外しているとも思えない。医師が全てを差配していた旧来の医療を、より民主的で患者中心のものに変えていけるという、ある意味イデオロギー的な要素だってありそうな雰囲気すらある。

でも、私はこの「チーム医療」というものは、基本的には形を変えた医療労働者管理の方策でしかないと思っている。大体、誰かが中心になって方針を決めるしかない医療行為において、皆が勝手にああだこうだいってうまく行く訳ないじゃないか。中国人民解放軍だって、階級を廃止したらガタガタになったので、すぐに復活させたのは有名な話。

そりゃいろんな立場からの意見は聞く必要があるだろうが、そのどれを取り上げるかは誰かが判断する必要がある。まして、基本的には仕事が楽になることと、前例のないことはしたくないという原則で動いている人たち(非難しているのではなく、人はみなそんなものだといってるだけ)の意見なんか聞いて、役に立つことなんかまずありゃせんのである。

そんなこと誰もわかっているのにあえて「チーム医療」なんていうのは、少しでも人手不足や低賃金の不満を補うように、スタッフが自分たちの仕事に励み、多少の時間外などはサービスでやってくれることを経営側が望んでいて、スタッフ側の「誇り」という奴をくすぐっているのだ、というあたりが正解であろう。要は、都合よく自分たちから一生懸命働いてくれるようにしようという陰謀といえる。昔、国鉄で組合運動に対抗してやっていた「マル生運動」みたいなものですな。

そりゃ自分の仕事に自信と誇りを持つことは悪いことではなく、ましてそれを楽しめるような境地に達することが出来るなら、それはまことに結構なことである。しかし医師教育は屁理屈で煙に巻く技術をメインにしているようなものなので、実務第一の教育を受けている看護スタッフが多少の正論なんかいったって、対等になんぞなるわけがない。結局、相手に要求される前に向こうに都合のいい行動を提起することが、ここでいわれる「対等」であるのは明らかなのである。

仕事の誇りというなら、命令体系の中で、自分にあたえられた仕事の意味を理解し、それを適切にこなすということでいいではないか、と私は思うのだ。このバカドジデントが、と冷ややかに見下せる視点を手に入れられればそれに越したことはない。管理と支配という方向にしばしば傾く、インチキっぽい医療の理念何ぞに染まらず、病んだ人との縁を取り結ぶ仕事それ自体を誇りにすればいいと思うのだけれど。

なんでこんなこと書き始めたんだろ。はじめはもっと別のこと書くつもりだったのに。

2004年10月25日  もっとも美しいドイツ語[ニュース]

ANANOVAの記事より。

ドイツゲーテ協会とドイツ言語会議はこのたび、ドイツ語圏111カ国2万2千838人の人々から、「もっとも美しいドイツ語」だと思うものを投票してもらうという調査を行った。これはドイツ語はイタリア語やフランス語と同じように、ロマンチックで魅力的な言葉であることをアピールする目的で行われたものである。

ANANOVAの記事では2位以下の順位がイマイチよくわからないので検索してみたところ、オーストリアの報道サイトにその結果が詳述されていたので、以下はそれのいい加減な紹介。

1位になったのは"Habseligkeiten"という言葉。直訳すれば「所有物」とか「財産」ということになるのだけれど、これを推した人によればそういう俗世的な意味ではなく、存在そのものがおのずから示している在りようというようなイメージなのだそうだ。直訳から類推すると、存在の精神性なんて感じか。まあ、Windowsでつかわれる「プロパティ」に近い意味だと思っておけばいいのですかな。これのほうはあんまり美しい言葉とはいえないが。

2位は"Geborgenheit"。意味は「安全」。三位は"Lieben"("Love")。これはまあもっともか。これと一字違いの"Leben"("Life")は上位には入らなかったそうだが。それに続くのは"Augenblick"、「瞬時」という意味。5位は不思議なことに、"Rhabarbermarmelade"という言葉。意味は「ルバーブのマーマレード」なのだが、どうもドイツ語文化圏の人には特別の思い入れがある言葉らしい。なんか下痢しそうだけどね。

以下、"Gemütlichkeit"(快適)、"Sehnsucht"(希望)、"Heimat"(故郷)などが続く。訳文だけ見りゃもっともだと思ってしまうんですが、原語のほうはゴツンゴツンしていて、たとえばゲボーゲンハイトを「美しい」とはとてもいえない気が。ヨーロッパへの劣等感の裏返しなのかも。

なお、子供にとっての美しい言葉の1位は、"Libelle"。「トンボ」なんだけど、英語のDragonflyなんかよりも確かに何倍も美しいと思いますね。でもこれ、多分フランス語の"libellule"から来たんではないかと思うけど。

2004年10月24日  有料フェイクサイト[都市伝説・デマ・トンデモ]

あなたは自分の経歴を書き換えたいと思ったことはありませんか?私たちは目で見たものを信じるなと、いつもいわれているものの、人々はそのまま信じているものです。この騒がしいメディアが仕切るハイテク世界では、真実に見えるものが真実なのです。

だから、ひと工夫を加えてあなたの人生をより豊かにしてみませんか?政治家ならとっくにやっています。メディアだってやってます。最近ではあなたが今まで出会った人たちは、あなたの名前をネット検索する傾向がどんどん増してきています。彼らにちょっと面白い情報を提供してやろうじゃありませんか。

想像してみなさい。彼らがあなたの名前を触法精神障害者収容所の収容者の中に見つけた時の驚きを。あるいはチベット仏教の修道院で学んでいるということを見つけた場合も。あなたが誰でも羨むような有名シンクタンクの一員であることを発見させて、驚かせてやってもいい。

こんな宣伝文句で始まるのが、「経歴作成ウェブサイト」と銘打った"Whirled History"。「クラクラ生活史」とでも訳しますか。ここは今のところ二つのウェブサイトを運営していて、一つが"Wakerich Asylum for the Criminally Insane"(ウェイクリッチ触法精神障害者収容所)という精神科治療施設を自称するサイト。もう一つが"Pho Monastery "(フォー修道院)。チベット仏教を学ぶための修道院のサイトとされたものである。

前者は軍人と民間人半々で構成されるスタッフによって運営される120床の治療施設で、犯罪を犯した精神障害者に対して、ロボトミーとか実験的薬物療法をさまざまに試して彼らの社会復帰を追及するところである。ここはニューヨークにあるらしいのだが、フォー修道院のほうはウィンダムという街の郊外にあるらしい。もっとも、この名前の街はアメリカに何ヶ所もあるので、一体どこなのかもわからんのだけど。

先の"Whirled History"によれば、年間9.99ドルの会費で、誰でも好きなほうのサイトのメンバーとして登録できるのだそうだ。"Wakerich Asylum"なら患者として、"Pho Monastery "なら修道僧として。メンバーにはメールアドレスが与えられ、誰にでも閲覧可能なプロフィールを公開する事が出来る。例えば、"Wakerich Asylum"のほうなら、Janet P. Kellyという71年生まれの女性は、91年に殺人事件を起こして入所しているとされる。その診断は急性ストレス障害とパニック障害、分裂性人格障害、薬物依存だそうで、現在幻覚と無関心、恐怖症状に悩まされているそうだ。電気ショック療法と実験的な薬物療法が行われているらしいが、治癒は望めないとのこと。

登録フォームをみれば、カード登録している名前以外は使えない様子で、本当にJanet P. Kellyという女性はいて、自分が殺人のために精神疾患治療施設にいるというインチキ経歴を公開して楽しんでいるということになる。しかも年に10ドル近くの金を払ってね。これがホントに儲かるようなら、当サイトも同じようなインチキ経歴提供サービスを始めようかしら。結構真剣に考えてしまうのだが、どの程度商売になりますかね。

2004年10月23日  MTアップデートとか、地震とか[PC・MT]

相変わらず疲労困憊のままなので、Movable Typeのアップデートなどをゴソゴソと。やる気のないときは単純作業に限りますわ。色々新機能がついているらしいのだけれど、いまひとつ設定方法がよくわからない。指定日時投稿機能なんかは、アリバイ工作に最適なような気がするが、サーバーのcrontab設定をいじれ、なんていわれたらちょっと意欲が失せる。やったとして、その程度のアリバイなんか、どうせすぐバレちゃうんだし。

そんなことをやっていたら、妙に大きな地震がやってくる。これ、二日前ならちょうど震源地で出くわすことになっていたことになる。以前、神戸に所要で行った直後に地震が起こったこともあったなぁ。なんか、多少責任感じたりして。被災者の皆さんにはお見舞い申し上げます。

でも、こういうことがあると、私有拡大にこだわることのクダラなさを達観する契機になるんじゃないかななんて、無責任なことを考えてしまうのですな。日本人ってのは、昔から地震という奴に、ちょっと過激な「社会的公平」の基本イメージを感じていたのも事実であるわけで。残念なことに、現代日本では、鯰が頑張っても、金を絞られるのはもっぱら都市納税者で、受益者は省庁と結びついた業者ばっかり、ってのが困ったところなんだけど。

P.S.ついでにi-mode向けCGIもVer.3対応になったようなので、それも動くようにしておく。どうせ誰も使わないだろうから、URL削除しようかとも思ったのだけれど、まあ、枯れ木も山の賑わい、意味なくたって並んでいるのは景気がよくてよろしい。せいぜい利用してください。

2004年10月22日  携帯電話は子供の脳によい?[医学・科学関連]

携帯電話というものが世の中で使われるようになって以来、それは健康に悪影響を与えるという疑念から自由ではない。マスコミレベルでは「脳腫瘍の原因」とか、「医療器械を誤作動させる」などという危険性がさまざまに語られている。つい先日も、悪性腫瘍ではないものの、良性の聴神経腫と携帯電話使用に相関があるという論文が出版され、一部で議論を呼んでいた。(元論文はこれ(PDF)。初期のアナログ携帯電話のころのデータなのが、ちょっと評価が難しいところである。)

思い出してみれば、TVだって普及し始めたころは、学校の教師から目に悪いから2メートル以上離れて、部屋を暗くしすぎないようにして見ろなんていわれた。たしか、TVからは電磁波もでるから近づくなともいわれたような気もする。まあたしかにそのとおりなんだけれど、その意味ではPCモニターなんかもっと目にも体にも悪いのに、そういうのは大袈裟には主張されない。世の中に出回りすぎてしまうと、メリットとデメリットを勘案し、自己責任で使うというのが当たり前になっていくわけだ。

携帯電話の場合は周囲に電磁波を撒き散らすということから、自己責任というだけではすまないというイメージも強いので、ことさらにその害が強調されるのだろうが、どことなく「伝説」の香りが色濃く残るのも事実である。私みたいに、仕事の関係でいやいや持っていて、自分からかけることなど月に2回ぐらいで、いつも定額分の9割は無駄にしてしまう人間でも、電車の中で携帯をつかうなというJRのアナウンスを聞くとなんだかなと思うし、ましてメールならいいというのに至れば、なんやそれ、としか言いようがない。

さて、こうした「携帯電話の影響」の主張の中で、ついに出るものが出たという気になるのが表題の「子供の脳によい」というものである。携帯電話からでる電磁波は、脳細胞を加熱して神経伝達物質の移動を助け、子供の脳機能を強化すると言うものである。BBCの記事によれば、これは先月開かれた英国自由民主党の大会分科会の場で、英国PTA連盟の会長、デビッド・バトラー氏が主張したもの。この大会のサイトを見ても、"‘MICROWAVE GENERATION"という分科会があったのはわかるのだが、肝腎のバトラー氏の主張はどこにも書かれていないのが残念。この会議は携帯電話会社がスポンサーだったらしいが、さすがにこれはマズイと思ったのかも。

BBCの記事ではバトラー氏の発言は簡単に触れられるだけで、それを否定する専門家の意見のほうが分量が多いぐらいなのだが、それらの専門家の反駁の内容がそろって、「携帯電話の脳細胞に対する影響など微々たるものだ」というものであるのが面白い。「初期の研究で、携帯電話が認知反応を遅らせるというものはあったが、それは実験室環境での結論で、その後の研究ではそういう影響はほとんど、もしくは全く証明されていない」。

一番面白いのは、そういう反駁をしている専門家が、続けて「子供には携帯電話を出来る限り使わせないようにアドバイスを続けるべきだ」としていること。発達を続ける脳組織には、どんな影響があるかもれないのだからというわけなのだが、実に慎重にして政治的な態度といえる。自己責任で使うにしても、その判断の根拠となる情報が明らかにされないとどうにもならんわけで、バトラー氏の楽観的トンデモ説が、メリット、デメリットを示す根拠なんかほとんどないことを、図らずも明らかにしてしまったといえようか。

元ネタはこちらから。

2004年10月19日  ペプシ・チャレンジ、アカデミック版[医学・科学関連]

10月14日発行の"NEURON"に掲載された論文。

コカ・コーラとペプシ・コーラは化学的にいえばほとんど同じものであるが、人々はそれぞれ強い主観的好みをもっているものだ。この単純な事実から、甘味飲料への好みという点に限っても、飲料の含有物についての文化的なメッセージによって、我々の知覚というものが、どの程度影響されるものなのかという疑問が生じる。

我々はコカ・コーラとペプシ・コーラの主観的好みをしらべる実験を行うとともに、ファンクショナルMRI検査による客観的観察を行った。これは二つの条件で行われた。(1)目隠しでコークとペプシを飲んでもらう。(2)ブランドを示して両者を飲んでもらう。その結果、目隠し検査の場合、大脳腹側正中部の前頭皮質にはどちらを飲んだ被験者にも同じ反応性が観察されたが、ブランド明示の場合は、それぞれへの主観的好みと一致した反応性の差が見られたのである。

元論文(PDF)はえらく長大なので、興味ある方はそれを読んでいただくとして、この論文がいっているのは、要は人はコークとペプシという差など、いわれない限り判りはせず、ただ自分の飲んでいるものが何であるかわかっている場合に限って、好み(だと自分が信じている傾向)に応じて反応性の増強(これだよ、これ!という満足ですな)をしめすのだ、という身も蓋もない結論である。

それも、ブランドを明示した場合、明らかにコカ・コーラの方がファンクショナルMRIで示された神経反応が高値であったというのがなかなか面白い。やはり、歴史的な重みがあるほうが、知覚に対する影響が強いということか。ちょっと前にあちこちでやたらにやっていた、ペプシ・チャレンジという、あのケッタイな飲み比べ催し物は一体なんだったんでしょうな。さて、この論文はコカ・コーラのCMにつかわれるのか、なかなか興味があるところ。

Montague PR. et al:"Neural correlates of behavioral preference for culturally familiar drinks.": Neuron. 2004 Oct 14;44(2):379-87.

2004年10月18日  「生首に聞いてみろ」[本とか映画とかTVとか舞台とか]

生首に聞いてみろ」(法月綸太郎:角川書店) 私はどうも自分の好みだけで読む本を選んでくるということが出来ないので、ちょっと気に入った本があったら、同じ作者のものを全部読むというような読書に傾きがちである。同時に、その作者がほめる別の作者の本も言われるままに読むほうなので、時々、聞いたこともない人の本を読む羽目になり、これもその一つ。ちなみに、ほめていた人は殊能将之さん。もっとも、それだけが理由というわけではなく、この題名に注目したから。

というのは、私が日本の職業作家としてまずナンバー1だと思っている都築道夫の長編に、「なめくじに聞いてみろ」というのがあって、この題名はどう見てもその本歌取り。かの幻の名作といわれた映画、「殺人狂時代」の原作となった(といっても、えらく別の話も混じってたような気が)ものなのだけれど、あれが何らかの形でフィーチャーされているに違いないと思ったわけ。

で、読んでみた結果、都築作品がどこかに引用されている雰囲気を感じ取ることは出来なかったものの、なかなかの物件であったと認めざるをえない。まあ、一言で言うと、「部分と全体の相似」という原則が貫かれているというのが秀逸。導入部の写真展の場面で示されるテーマ、「鏡像」というのが、最後まで繰り返されるわけですな。

殊能将之さんもいうように、「抽象的」で「数学的」な構造には感心するのだが、その分ミステリィとしての強引さには欠けるところがあり、この人が被害者になるのかお気の毒に、と思う人が殺されて、この辺が犯人なのだろうなというあたりがやっぱり犯人という、はなはだ淡々としたつくりになっているのが惜しまれる。人となりがちゃんと描かれていて、かつそう落ち度もない人が殺される話ってのも、あんまり気分よくないし。

犯人側の動機には、ゲージツが絡んでいるんだけれど、どう考えてもあれで危機を感じて人殺しして、その上かなりアブノーマルな迷彩をかましたりする原因になるとは思いがたい。作者と同姓同名の探偵は、物語構造の乱れというものを推理のヒントにする場合が多いのだけれど、そういう意味では犯人側のエートスにはかなりの不連続がありすぎるんではないだろうか。作中で誰かが言う、「猟奇殺人する奴なんだから、一貫してなくて当然(大意)」ということで済ましてしまうのかな。

この物語のあらすじ(ネタばれなし):
探偵「キサマが血に飢えた狂気の殺人鬼だったんだな!なぜあんなことをした!」
犯人「だってオレ、血に飢えた狂気の殺人鬼なんだもん」

2004年10月17日  ケペニック偽将校事件おこる[今日は何の日]

1906年の今日(現地時間では16日)、ベルリン郊外のケペニック市でプロシャ軍将校に扮した人物による有名な詐欺事件がおこる。

フリードリッヒ・ウィルヘルム・フォイクトは1849年、靴屋の息子として生まれる。14歳のとき盗みでつかまったのを皮切りに、泥棒や贋金つくりであわせて25年を刑務所で過ごし、1906年はじめに出所したばかりであった。

その年の10月17日、彼は準備しておいたプロシャ軍大尉の制服を着てケペニック市の軍駐屯地を訪れ、帰隊してきた砲兵小隊を呼び止め、自分についてくるように命じた。将校の命令とあって、下士官も疑問は差し挟まず、言われるままにケペニック市役所まで同行した。

フォイクトは不正経理が行われているといい、市長と会計係を兵隊たちに拘束させ、証拠品として4000マルクあまりを押収した。もちろん受け取り書をつけて。兵隊数名に馬車を徴発させて市長たちをモロトケ将軍のところに連行するように命じ、残りのものには30分間その場を離れぬように告げると、自分は駅舎に向かってそのまま姿を消した。

この事件にはメンツをつぶされた軍も捜査に加わり、フォイクトは10日ほどで逮捕されてしまうが、その大胆な犯行には民衆が快哉を叫び、なにより当時のドイツ皇帝ウィルヘルム二世がフォイクトに感じ入ったようで、4年の刑を宣告された彼を2年足らずで恩赦にしたほどである。

人気者になったフォイクトは出所後、自分の事件を本にして出版し、自ら舞台で演じたり、将校姿の自分の絵をサインつきで売って暮らした。彼の名声はヨーロッパ全体に広がり、その姿はマダム・タッソーの蝋人形館でいまだに見ることが出来る。彼は1910年、ルクセンブルグに家を買ってそこで暮らしたが、第一次大戦後のインフレで財産を失い、貧困のうちに死んだという。

種村季弘氏の「ぺてん師列伝―あるいは制服の研究 」という本の中で、この事件は詳しく解説されていたと思う。軍人というのは何よりもその制服そのものなのだ、ということに気がつく鋭さが、フォイクトの名を歴史に残したわけ。オレオレ詐欺も、この程度の批評性を追及してもらいたいものだ。

2004年10月15日  「虹色のトロツキー」[本とか映画とかTVとか舞台とか]

何の間違いか、近所のひなびた本屋に、劇画「虹色のトロツキー」(安彦良和:中公文庫版全八巻)が置いてあったので、全巻まとめて買ってくる。10年ぐらい前に、どこかで一部分だけ読んで、あれはどうなったのだろうとずっと気になっていた。戦前、満州国建国のおり、一部の軍人がソ連から追放されて亡命生活を送っていたトロツキーを利用した謀略をくわだてていて、そのために日蒙混血の主人公が波乱万丈の歴史物語に巻き込まれるような内容であった。

これが少しずつ発表されていたころ、「架空戦記もの」という妙なジャンルの物語がはやり、それらが判で押したように、「いい日本軍部」が悪い米英やナチスをやっつけ、世界を和解統一していくというような内容だったのだが、たぶんその類の話なのだろうと思っていたのである。

トロツキーを題名にしながら、全然トロツキー自身が出てこず、多分後半からは登場するのだろう、それにしても満州にトロツキーを登場させてどんなプロットにするつもりなのだろう、もしかして日本と満州を世界革命の根拠地にして、皇軍=反帝反スタ世界赤軍が大暴れ、なんて話しになるのかいな、なんて想像していた。

そんなわけで、今日は仕事を大急ぎですませ、職場某所に隠遁して大読書(漫画ではそう言わないらしい。では、なんと言うのだろう。鑑賞?観劇画?)である。それで判明したことは、この劇画は90年初めにはやっていたような「架空戦記もの」とは何の関係もないということ。本物のトロツキーは結局登場せず、ただトロツキーに仮託されるさまざまな幻想が当時のエリート軍人、官僚、知識人を振り回して行く様が語られるだけで、それゆえに「虹色」と題されていたのであった。

そういう幻想とはほとんど無関係に進行していく歴史の流れの中で、全力をかけて信念を貫こうとする主人公の生き方は実に誠実なのだが、大体様子がわかったところで、訳の分からん謀略からはさっさと逃げ出しゃどうよ、と思ってしまうのがいい加減な読者としての感想。ノモンハン事件にまで付き合うことはないんじゃないかね。

こんなところに、あらすじと御自分の大物ぶりがちゃっかり記された文章があるので参考にされたい。買ってまで読むべき劇画であるかどうかという点はかなり微妙。あの歴史をオタク妄想の題材にするには重過ぎるらしい、というのは良く分かる物件。今回は偶然近所で買えたが、アマゾンでこういう全八巻というような本を注文するのにはかなりめんどうな手順が要るので、なにか改善を図った方がいいのではというのが、いちばん切実な感想。

2004年10月14日  操縦席で悪戯してはいけないわけ[ネタ]

フライトレコーダー記録より:

清掃員1:おい、ボブ。ここは立ち入り禁止じゃなかったっけ。
清掃員2:トニー、何をビビっているんだ。オレたちゃ、この飛行機を掃除しろといわれてここにいるんだぞ。
清掃員1:そうか?操縦席には入るなといわれたたようにおもうけどな。
清掃員2:見ろよ。パイロットはオレだ。(マイクをもち)乗客の皆さん、こちらは機長です。われわれはただいま高度30000フィートを巡航しております。あ、神様、前方に山が!アー!、なんてね(笑)。
清掃員1:やめろよ、おい。そんなところ触るな!「始動ボタン」って書いてあるぞ!
清掃員2:気にするなって。駐機中は切ってあるさ。(エンジン音が響くが、彼らはきづかない)離陸準備よし!っと。ブーーンってね。(スロットルが急にフルになる)ワー!大変だ!
清掃員1:おい、飛行機が動いているじゃないか!
清掃員2:壁にぶつかるぞ!!(操縦席のドアが開けられ、叫びながら逃げる人の声)

そして30秒後。

mishap_out.jpgmishap_in.jpg

引用はこちらから。どうも4年前に起こったこの事故をネタにしてつくられた笑い話のようだ。実際は整備士によるエンジンチェック時の事故だとのこと。ほんの4年前までは、こういう天真爛漫なジョークがまだ通用したんですな。

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2004年10月13日  オレオレ詐欺[社会・歴史]

知り合いが新手の「オレオレ詐欺」にひっかかりかけ、もうちょっとで200万近い金を掠め取られるところであったとのこと。結構新機軸の手口なので、ここで報告しておくのも世のためかと思い、個人情報にふれない範囲で紹介することに。

その一家は、都内の一部上場企業の幹部である父親と、しっかり者の奥さん、そして都内の大学に通う二人の娘という構成なのだが、詐欺の手段につかわれたのは下の娘さんであった。巨大台風が接近中のある日、その娘さんはサークルの合宿で某離島に滞在していた。台風がそちらに向かっているという予報を聞き、母親はなんとなく胸騒ぎを覚えていたのだそうだ。そんな時、その電話はかかってきた。

母親が電話を取ると、押し殺した若い女性の泣き声が聞こえてきた。母親は、離島にいる娘からだと思い込み、「○○ちゃんなの?」と叫んでしまった。しかし相手は泣くばかり。必死に娘の名前を呼び続ける母親に、横柄な感じの男が代わってしゃべりだす。「お宅の○○さんなんですがね。ちょっとまずいことになってまして。私どもはこの方の友人に金を貸してまして、保証人になってもらっておるのです。その友人が金も払わず姿を消しまして、やむなく私どもは○○さんの身柄を押させえさせていただいた、というわけです」。

それを聞かされた母親は半狂乱になって、自分が払うので娘を解放してほしいと懇願した。実際の借金であろうと、本人や保証人を拉致することなど違法であるなどとは考えもしなかったそうだ。「でも、今は島にいるはずなんですけど」とふと浮かんだ疑問を口にすると、「そんなことを言っている場合か!」と言い返され、それもそうだと納得したという。相手は今すぐ「ATMで」金を振り込むようにと要求してきた。元の借金は40万、利息や法定手数料を合わせて200万弱の額であった。

それは金曜日の昼過ぎのことであったので、母親は必死になって近くの銀行に走り、金をおろしてATMの前に移動した。はじめからATMを使えばいいのに、と思う人もいるだろうが、この母親は極端なメカ音痴で、ATMで金をおろしたことがなかったのである。もちろん、振り込んだこともなかったので、振込みの選択することも、教えられた口座番号を入力することも出来ず、ただATMの前でパニックを起こし続けるばかりであった。

母親はやむなく都内の会社にいる父親に電話し、事の次第を報告した。父親は冷静にそれを聞き、何の心配もないといい、自ら本社近くの銀行に出向くと、必要額をおろして指定された口座に「窓口から」振り込んだのであった。なぜなら、父親もまた極端なメカ音痴で、ATMなど使ったことがなかったからである。そうこうするうちに、例の「金融業者」から父親のほうに電話がかかってくる。

「振込みがない」となじる相手に、ちゃんと「窓口から」振り込んだばかりだと父親が返答すると、相手は急に態度を変えた。この一件が全てデタラメであることを自分から白状し、申し訳ないと詫びだしたのである。「ちょっとした出来心だったので、金はちゃんとお返しする。月曜日になったら手数料分を上乗せして振り込むので、警察に通報するのは勘弁してくれ」という。

娘のほうとも別に連絡が取れ、安堵したこともあって父親はえらく寛大になった。金を返すというのだから、その約束が果たされないときに警察に通報すればいいとおもったのである。この話をほぼリアルタイムで聞かされた者たちは、少々あきれ果て、それは金を確保するためのその場限りの口先三寸で、ATMなら即座に金をとれるが、振込みなら翌週までかかるので、その間に捜査の手が伸びないようにと、必死の時間稼ぎをしているだけなのだと説得した。

その後、警察にしぶしぶ届けた父親であったが、「でも、金は返してくれるといってましたよ」と警察官にいったところ、相手は仕事中にもかかわらず、しばし笑い転げてしまい話が出来なくなってしまったという。そりゃそうだ。なお、口座番号特定が出来たにもかかわらず、この事件は解決していないが、銀行の特別計らいで、金だけは取り戻せたそうである。

教訓:詐欺事件において、犯人の最大の協力者は被害者である。

追加:なお、この父親はその勤務先で「危機管理」部門の責任者を務めている。

2004年10月12日  スーパーマンの呪い?[都市伝説・デマ・トンデモ]

クリストファー・リーブの急死で、いまさらのように取り上げられているのが「スーパーマンの呪い」なる噂。昨年3月にでていたCNNの記事のURLがあちこちで紹介されておりました。この記事が出たころ、ワーナーブラザーズは新しい「スーパーマン」シリーズを企画していたのだけれど、予定されていた主役が次々にかわるということがあったんだそうな。その理由として、「スーパーマンの呪い」が持ち出されたというわけ。

記事はまず、クリストファー・リープの事故と、ロイス・レイン役のマーゴット・キダーが躁うつ病に陥ったこと、第3作目に悪役を演じたリチャード・プライヤーが多発性硬化症に罹患して車椅子生活になったことを取り上げている。

その上で、過去に製作されたスーパーマンシリーズの主役たちの運命を紹介している。例えば、40年代末の連続シリーズの主役であったカーク・アラインは、シリーズ終了後新たなキャリアを得ることが出来ず、失意のうちに故郷に帰った、なんていわれるのだがそれを「呪い」といえるものかと少々疑問。なお、この人は78年に製作されたクリストファー・リーブ主演のスーパーマン第一作で、ロイス・レインの父親として出演しているそうだ。

私にも懐かしいのは、日本でも人気になったTVシリーズの主役を演じたジョージ・リーブスである。51年から57年まで続いたそのシリーズ終了後のわずか2年後、彼は自宅で頭を打ちぬかれた死体となって発見されたのである。傍らには拳銃が落ちていたが、不思議なことにそこには彼の指紋はついていなかった。これは自殺として処理され、その真相はいまだに明らかになっていない。

その他、初めてスーパーマンがアニメとして映画館に登場したときの声優が結構若くして心疾患で死亡した例なども引かれているのだが、まあ、ちょっと「呪い」というには弱いですな。実際、ミュージカルとか新しいTVシリーズで結構スーパーマンというのは題材になっているのだが、そこで「呪い」めいたものが起こったような記録はないそうな。世の中、ケッタイな偶然はそう起こらないということでありましょう。

何であれ、クリストファー・リーブには哀悼の意を。「日の名残り」でのこの人の演技はなかなかのものでした。合掌。

2004年10月11日  大統領選三日前に結果を知る方法[都市伝説・デマ・トンデモ]

アメリカの国技の一つといわれるアメリカン・フットボールは、それにまつわるさまざまな都市伝説を抱えていることでも知られる。年度末の王者決定戦であるスーパーボウルに関して、その結果が翌年度の株価指数を決めるという伝説というか、統計的関連性があることについては、こちらでも触れた事がある。

国家的大祭典という意味では4年に一度の大統領選も同じことで、そちらとの関連性についての伝説も存在するはずだと思っていたらやはりというか、こういうものがあるとのこと。それは首都を本拠地とするフットボールチーム、ワシントン・レッドスキンズが、大統領選直前に行われるホーム戦で勝つと、現職与党側が勝ち、逆に負けると挑戦者側が勝つというもの。

今年の場合で言えば、その試合でレッドスキンズが勝つとブッシュさんが勝ち、負けるとケリー候補が勝つということになる。この法則は実に、1936年にレッドスキンズがボストンからワシントンに本拠地を移して以来、15回の選挙で一度も外れたことがないということだ。もちろん偶然に決まっているんだけれど、ここまで一致してしまうと投票動向にも多少の影響を与えてしまうのかもしれませんなぁ。

今年の大統領選挙直前のホーム戦は10月31日、ウィスコンシンのグリーンベイ・パッカーズを迎えて戦われる。選挙結果を三日前に知りたい方は、ぜひこちらこちらのサイトを注目しておかれるべきであろう。私もそうしようと思っているんだけれど、その日まで覚えていられるか、ちょっと自信がない。

2004年10月10日  心中天の網島[本とか映画とかTVとか舞台とか]

昨日は台風22号が接近しているというので、どうしようかとかなり迷いつつ、TVニュースで妙に過剰な危機煽りされている雰囲気を感じたのも気分が悪く、何とでもなるだろうと都内まで観劇にお出かけ。出し物はこれ。すでに買っている切符をみすみす無駄にするのは、とても関西人には不可能というのが一番の理由。

芝居なんか観るのは20年ぶりぐらいだ。予想しなかったような思わぬきっかけが重なってしまった。大体私は狭い座席にちょこんと座って長い間じっとしているということが出来ないので、映画、観劇、コンサート、学会とかシンポジウムがまるっきりダメなのだ。

というわけで、台風を警戒したのもあるが早めに都心に出かけ、豪雨の下北沢で二時間かけてスペイン料理とワインで前投薬処置を済ませておく。おかげで芝居が始まってもそれほど静坐不能とかRestless Legs Syndromeに悩まされることなく大団円にいたる。

芝居のほうはというと、うーん何と言えばいいか、まあ嵐の中出てきた努力を、そう裏切らないものではあった。そりゃね、文句言い出すときりがない。近松の本を現代劇風に脚色しているといったって、ミスマッチを楽しむ趣向以上のものにはなっていない。なんじゃこりゃ、と思いながらも文楽を観るほうが、なんぼか豊かな気分になれることは必定である。

でも、かすかに60年代のかおりを残した彼らの芝居は、そういう一般論を超えた感慨を与えてくれるのもこれまた事実で、いまここで演じられている小奇麗にまとまった芝居とはまた別の何ものかを観ている二時間弱なのだった。そういうところに導いてくれたのは、もっぱら道化役に徹した、悪源太義平の不器用な演技だった。やっぱ、この手の芝居はああいう感じでないといけません。ああいう人、売れると面白いんだがね。

2004年10月 8日  シカゴ大火勃発の日[今日は何の日]

o_leary_cow.jpg1871年、10月8日の夜、シカゴ市南西部に住んでいたオレアリー夫妻の家の納屋から出火。火は二日間燃え続け、シカゴ市の大半を焼き尽くした。この火事のため300人近くが死に、1万人が焼け出され、当時の価値で1億9千2百万ドルの被害がもたらされた。

皮肉なことに、出火元の納屋があったオレアリー夫妻の家は焼け残った。この火事はオレアリー夫人が、納屋で飼っていた牛の乳を搾ろうとして置いた明かり用のランタンを、牛がけっとばして起こったのだという言い伝えがあり、それを歌った童謡まであるそうな。そういえば、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンの実験的アルバム「スマイル」というのに、こういう題の曲があったような気がする。その童謡をアレンジしたのかどうかは知らないが*。

夜遅く、みんなベッドにいるころに
オレアリー夫人は納屋でランタンともしてた
牛がそいつを蹴っ飛ばし、ウインクして言うことにゃ
街はホットな一夜になるぜ!

ネットをちょっと一回りすると、このオレアリー夫人の牛の話はかなり有名な伝説であることがわかる(こことかこことか)。シカゴ市当局は大火の翌月から関係者を集めて調査会を開いており、オレアリー夫人は当夜早くベッドに入っていて、火事とは無関係であることを確認しているのである。彼女も、その哀れな牛たちも、無実であることは公式的に証明されている。

しかし、火元でありながら家が焼け残ったという幸運が、人々のやっかみというか、想像力を刺激したらしい。オレアリー家の納屋の焼け跡に、壊れたランタンの残骸があったなどという流言が広がり、それを興味本位に取り上げた新聞記事のおかげで、オレアリー夫人とその牛が大火の原因であるかのような俗説が成立してしまった、ということらしい。

本当の出火原因についてはいろいろと推測されているが、はっきりしたことは判らないらしい。近所の悪ガキが納屋に入り込んでタバコをすっていたからだ、というような説もあり、その悪ガキが責任逃れのために夫人と牛の話をでっち上げたとも言われる。何であれ、人間の想像力は、事実なんていうものよりもよっぽど強力なものだという実例であろう。

なお、火事で焼け落ちたシカゴには、当時の建築家たちが争ってあつまり、シカゴ派と呼ばれるグループを形成し、その後のアメリカ近代都市の原型を作るにいたる。亡くなった方々はお気の毒であるものの、万事塞翁が牛、というやつの典型であろう。馬だったっけ?

*某手段でブライアン・ウィルソンの"Mrs. O'leary's Cow."の試聴用ファイルを手に入れて聞いてみたが、中途半端にプログレッシブな実験曲でした。歌詞もなく、童謡というか伝説ににインスパイアされた、というようなものみたい。
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2004年10月 7日  合衆国皇帝、大統領選に出馬[社会・歴史]

buonaparte.jpgアメリカ合衆国皇帝というと、ノートン一世という不世出の皇帝が世に知られる。1859年9月18日、ノートン一世は新聞社各社に一方的に戴冠宣言を送りつけ、合衆国皇帝に即位したのである。1880年の皇帝崩御の後、その皇統はだれにも受け継がれていない、なんて以前書いたことがあるのだが、貴種がこの世から絶えることなどないようで、1996年、シーザー・セント・オーガスティン・ド・ボナパルトなる皇帝が即位していたのだった。

ロサンジェルスに住むボナパルトは、1996年に時のクリントン大統領に宣戦布告をつきつけた。新聞記事からは宣戦布告の理由がもう一つはっきりしないのだが、クリントン大統領はそれになんら対応せず、ボナパルトは合衆国の統治権は自分に移ったと一方的に宣言し、晴れてアメリカ合衆国皇帝を自称することになったのである。

ボナパルト皇帝によると、彼はすでに1994年の段階で2001年の9・11テロを予見しており、クリントンとブッシュに対して数多くの警告を送っていたのだが、彼らはなんら対策をうとうとしなかった。1996年に即位してからも、彼の統治はなお充分に実現されているとはいえないため、彼は2000年に引き続き、世界史的にも稀な義挙に打って出ることになったのである。

それはアメリカ合衆国大統領選に、合衆国皇帝でありながら出馬するというものである。アキヒト天皇がコイズミさんの対抗馬になるようなものだ。空前絶後といわずしてなんであろう。彼の主張を読んでみても、もう一つ何を言いたいのか判らないが、人々がニセの自由と意識におぼれている現状への、憂国の熱情だけはなんとなく感じないでもない。

合衆国大統領選が、ブッシュ対ケリーだけの問題であるかのように報じているマスコミの偏った報道に毒されることなく、深遠なレベルの選挙戦も戦われていることを少しでも知ってもらおうと筆をとった次第である。それにしても、ボナパルト皇帝のポートレートは、なんか遊園地にあるような、記念写真用に顔だけ出す書割看板で撮ったみたい。

なお、全候補者の一覧はこれ。70人以上も立候補しているんですなぁ。供託金いくらなんだろう。皇帝やら酋長やらがいるなかで、はじめからプレジデントなんて自称しているイカレた野郎がいるわと思っていたら、何のことはないブッシュさんだった。

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2004年10月 6日  ノートPC作動不良[PC・MT]

去年の暮れに例の本の印税で買ったB5ノートPCが、なぜか今日になって起動しなくなってしまう。一昨日の夜、キーボード部分にたっぷり紅茶をこぼしてしまったせいだろう。一応正常作動していたので、念のため起動させたまま二日置いておき、大丈夫らしいとスリープさせたらそれきりになってしまった。

このノートPCを買ったおかげで、私のPCライフは実に自堕落になり、いつもTVを見ながらこいつを操作するだけになっていた。なんせ、キーボードの印字が擦り切れてきたぐらい。デスクトップのほうはほとんど使わないので、最近は起動もさせていなかった。それが今日になってこのザマである。そもそもフロッピーもCDスロットもついていないので、いろいろ工夫してみる余地もない。BIOSも立ち上がらんのだから、どないもこないもならんのだけれど。

デスクトップのほうを急遽立ち上げたのはいいが、どうも準備していたネタを書く気にもならないので、今日はボヤキのみ。私、物の整理ということがまったく出来ないたちなので、PCの保証書なんてどこにあるかわからんのだよねぇ。修理費ン万なんていわれたらどうしよう。

ところで、さっきまでやる気なく「トリビアの泉」を見ていたわけだが、今日のネタはさっぱり面白くなかった。なんか自分たちの無知を、未知のものに対する揶揄みたいなものにすりかえるような姿勢が見えて不愉快なんだけど。うんちく系の言説というのは、その対象に対する畏敬の念が欠けていると、いけすかないエスノセントリズムとかわらない。

それと、来週の予告トリビアでちょっとだけ紹介されていた、「医師免許を持っていると……」というのは、「どの診療科を標榜してもいい」という話になるんだろうな。まあ、麻酔科みたいに学会で標榜医の資格を公認する基準があるところなんかもあるが、別に違反していても罰則があるわけでもないし。最近はまず自分の専門領域の標榜をきちんとするから、まず昔みたいな「外科内科小児科」なんて看板は出しませんけどね。

こんな風に読まれてしまうようなトリビアでは、ちょっと先はきついかも。もっとも、先ほどのネタだってビックリするようなトリビアにつなげられる可能性はあるかもしれないが。「借金は払わなくていい」とか、「いやな野郎を3人まで袋叩きにしてもいい」というような内容であることを期待しよう。

2004年10月 5日  部分禿頭の隠蔽方法について[医学・科学関連]

2004年度イグ・ノーベル工学賞に輝いた禿頭隠蔽法。このアイディアはすでに1977年、合衆国で特許を取得している。特許データベースによれば、この考案は部分禿頭を隠すに当たって、自分自身の残った頭髪を使うところに特徴があり、頭髪移植や部分カツラのように、高額の費用や定期的メンテナンスが不要であるところに新規な工夫があるということである。

要は日本では、「バーコード」と呼ばれている髪型を開発した、と言うこと。世の中の髪の毛にハンディを持っている人々に希望を与えたのは事実であろうが、この特許、どうやって特許料を確保するのであろうか。海原はるかとか、坂口元厚生労働大臣は考案者にロイヤリティ払っているんですかねぇ。なんであれ、特許データベースに記録されている説明画像が、落ち武者の悪霊のように見えるのが怖い。

付記:77年以前だってバーコード髪型をしている人はいたわけだが、あえてそれを特許申請する天衣無縫さがよろしい。もしかして、サブマリン特許の一種か?

2004年10月 4日  目の前にゴリラ[医学・科学関連]

gorilla_s.jpg2004年度イグ・ノーベル心理学賞受賞論文。この論文は"inattentional blindness"「非注意性盲目(PC的観点からも、あまりさえた訳語とはいえませんな)」という認知上のピットフォールについて検討したもので、要は「注意が向いていないと目の前にあるものも見えない」という、大概の人が経験していることを確かめるという実験研究であるのだが、その実験設定がなかなかハジケていることから受賞に至ったのであろう。(元論文全文。PDF)

著者たちは、70年中ごろから行われてきた非注意性盲目についての先行研究レビューから論をおこしているのだが、ビデオ画像内のゲームを観察させながら、予期しない要素を被験者が正しく発見するかどうかという実験設定が中心のそれらの研究は、正直いって辛気くさいばっかで、そんなもの気がつこうがつくまいがどっちでもいいぞといいたくなる。著者たちも同じ感想だったようで、それらと全く同じ枠組みに依拠しつつ、よりツカミを重視した実験計画を立てるのである。

彼らは228人の大学生を被験者にして、16の条件に分けられたビデオ映像観察の課題を出す。それらは白と黒の衣服で区別される3人のプレイヤーからなるチーム同士が、バスケットボールをパスしあうゲームの75秒の映像である。被検者にはどちらかのチームのパスの数を記憶するように言い渡される。その際、パスすべてを数える簡単コースと、バウンドパスとエアパスを区別する複雑コースの二つの課題がそれぞれ別の被験者に与えられる。

そのゲーム映像には二種類の「予期せぬ場面」が3分の2あたりに挿入されていて、それは一つは女性が傘を開いてプレイヤーの間を歩くのと、もうひとつはゴリラの着ぐるみをきた女性が通り過ぎるという場面である。それぞれの映像には普通のバージョンと、背景にプレイヤーと非予期要素が重ね焼きされた透化バージョンが用意されており、それぞれについて簡単コース、複雑コースの課題が用意される。なお、一人の被検者には一種類の課題しか与えられない。言葉でいうとわかりにくいので、こういう4種類の映像があるとしめしておこう。

こうして、チームの白黒別、パス数え上げの簡単、複雑別、映像4種類という16種類の課題をこなした被検者の答えから、ネタをしっていたり、答えを間違え、明らかにパスのほうに集中していなかった人の答えを取り除き、残りの192の被検者に、はじめに与えられた課題以外の予期しない場面があったかどうかをたずねる。

その結果、傘女、ゴリラ両方の非予期場面を正しく見ていたのは、全体で54%であった。正答率は透化モード、複雑課題、白チームに注目したグループのほうでより低く(一部例外あり)、場面では傘女よりはゴリラのほうがよりわかりにくいという結果になった。例えば、白チームを観察していたグループがゴリラを認める率は、簡単、複雑タスクともわずか8%であった。

著者たちは、傘をもった女性の場合は他のプレーヤーより識別因子が高い位置に来ることや、ゴリラの場合はより基本映像からのコンテキストが外れることからこの結果を説明している。また、非注意性健忘という機序でも同様な結果になりうることを指摘しつつ、記憶の場合、異なった認知をあえて忘れるというのは考えにくいと結論している。

というわけで、人がゴリラの着ぐるみ姿であらわれようと、それを予期していないと見えるはずのものも見えないというのがこの実験の主張。わざわざ別のものにミスリーディングしておいて、ほら見えないでしょ、というのはかなりフェアでない気もするが、そのあたりの香具師系語り口と、ゴリラという道具立てが織り成すかぐわしさが受賞理由というところか。

Simons D."Gorillas in our midst: sustained inattentional blindness for dynamic events";Perception, 1999, volume 28, pages 1059-1074

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2004年10月 3日  自殺に対するカントリー・ミュージックの影響について[医学・科学関連]

2004年度イグ・ノーベル医学賞受賞論文の紹介。残念なことにネットでは要約しか読めないが、それでも充分イグ・ノーベル賞受賞理由が理解できる一品である。以下、要約の要約。

本論文は、カントリー・ミュージックと大都市地区の自殺率との関連を追求したものである。カントリー・ミュージックは、夫婦不和、アルコール問題、失業といった自殺危険率の高い集団に見られる主題を扱うため、自殺へと向かう気分をあおる可能性があるとされる。

49の都市での逆行的分析によれば、カントリー・ミュージックが放送される時間が長ければ長いほど自殺率は増加することが示された。この傾向は他の要因、離婚率、都市の位置、貧困度、銃規制の程度などとは独立したものであった。カントリー・ミュージックのサブカルチャーが存在している場合は、さらにこの関連が強化される。著者たちのモデルは、都市部白人の自殺率変異の51%を説明できる。(以下は繰り返しなので略)

この論文は当時結構論議を呼んだようで、著者たちの示した統計がかなり恣意的で、同じデータを使っても全くカントリー・ミュージックと自殺率増加なんて結論は出ないぞ、という批判論文が出ている。どうも「都市部の自殺率」というあいまいな定義をいいことにして、都合のいいデータばっかり集めたとされるらしい。

同じ著者たちは、2年後、音楽ジャンルを変えて「ヘビーメタル・サブカルチャーと自殺」と言う論文を出している。これは50都市での「ヘビーメタル・マガジン」という雑誌の購読者数と、そこの自殺率を比較するというもので、ヘビメタ・サブカルチャーが強固な都市ほど、若者の自殺率が高くなることを示した。この論文も「著者たちのモデルは、都市部の若者の自殺率変異の51%を説明できる」とされている。

同じ著者は2000年にはブルース愛好者の自殺率を調査し、2002年にはオペラファンの自殺率について検討している。前者には自殺率の増加はないとし、後者には2.37倍の自殺親和性を見出している。なお、著者は自殺率への影響要因として、信仰心をもっとも重視しており、カントリーミュージックやヘビメタの愛好者は信仰心が薄いとし、ブルースの場合はそうではないという。じゅあオペラファンは一番信仰心が乏しいのかということになるのだが、その辺は歯切れが急に悪くなるのが笑いどころですか。


Stack S. et al"The Effect of Country Music on Suicide ":Social Forces, September 1992 71(1):211-218.
Stack S. et al "The heavy metal subculture and suicide":Suicide Life Threat Behav. 1994 Spring;24(1):15-23.
Stack S."Blues fans and suicide acceptability":Death Stud. 2000 Apr-May;24(3):223-31.
Stack S. "Opera subculture and suicide for honor.":Death Stud. 2002 Jun;26(5):431-7.

2004年10月 2日  Google AdSense導入[日常]

どうかと思う面もあったのだが、Google AdSenseに応募したらあっさり承認されてしまったので、利用することにした。サイトの内容から、それに関連付けた広告がされ、クリックされた場合は何がしかの収入になるらしい。最近アクセスが結構増え、貸しサーバーの契約が従量制だったこともあって、思いがけないエクストラ料金(といったって知れてますけど)を請求されることがあるので、せめてその分だけでも取り戻せたら、宇宙的対称性感覚が回復するのではないかという目論見である。

ついでにGoogleのサイト内検索も使わせてもらうことにした。Movable Type付属の検索は旧サイトの方まで及ばないので、まとめて検索できるようにしたかったからである。老眼進行もあるので、フォントをちょっと大きくしたりと、そんなこんなで、イグ・ノーベル賞各賞の論文翻訳は明日以降に延期。

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2004年10月 1日  イグ・ノーベル平和賞は日本人発明家の手に[ニュース]

昨日、2004年度イグ・ノーベル賞がハーバード大学構内で発表された。本年度の平和賞は、日本人発明家である井上大祐氏に贈られた。氏は71年にカラオケの基本的システム、「8Juke」を世に送り出した。平和賞として評価されたのは、カラオケの普及によって、「人々がお互いに堪えながら暮らすことを学ぶ新しい生き方がもたらされた」ため。なお、日本人がイグ・ノーベル平和賞を受賞したのは、2002年度、「バウリンガル」開発で受賞した(株)タカラ社長たちに続いて2度目である。

本日はひとまず速報のみ。明日以後、順次他の部門を紹介していくつもり。

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