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1906年の今日(現地時間では16日)、ベルリン郊外のケペニック市でプロシャ軍将校に扮した人物による有名な詐欺事件がおこる。
フリードリッヒ・ウィルヘルム・フォイクトは1849年、靴屋の息子として生まれる。14歳のとき盗みでつかまったのを皮切りに、泥棒や贋金つくりであわせて25年を刑務所で過ごし、1906年はじめに出所したばかりであった。
その年の10月17日、彼は準備しておいたプロシャ軍大尉の制服を着てケペニック市の軍駐屯地を訪れ、帰隊してきた砲兵小隊を呼び止め、自分についてくるように命じた。将校の命令とあって、下士官も疑問は差し挟まず、言われるままにケペニック市役所まで同行した。
フォイクトは不正経理が行われているといい、市長と会計係を兵隊たちに拘束させ、証拠品として4000マルクあまりを押収した。もちろん受け取り書をつけて。兵隊数名に馬車を徴発させて市長たちをモロトケ将軍のところに連行するように命じ、残りのものには30分間その場を離れぬように告げると、自分は駅舎に向かってそのまま姿を消した。
この事件にはメンツをつぶされた軍も捜査に加わり、フォイクトは10日ほどで逮捕されてしまうが、その大胆な犯行には民衆が快哉を叫び、なにより当時のドイツ皇帝ウィルヘルム二世がフォイクトに感じ入ったようで、4年の刑を宣告された彼を2年足らずで恩赦にしたほどである。
人気者になったフォイクトは出所後、自分の事件を本にして出版し、自ら舞台で演じたり、将校姿の自分の絵をサインつきで売って暮らした。彼の名声はヨーロッパ全体に広がり、その姿はマダム・タッソーの蝋人形館でいまだに見ることが出来る。彼は1910年、ルクセンブルグに家を買ってそこで暮らしたが、第一次大戦後のインフレで財産を失い、貧困のうちに死んだという。
種村季弘氏の「ぺてん師列伝―あるいは制服の研究 」という本の中で、この事件は詳しく解説されていたと思う。軍人というのは何よりもその制服そのものなのだ、ということに気がつく鋭さが、フォイクトの名を歴史に残したわけ。オレオレ詐欺も、この程度の批評性を追及してもらいたいものだ。
投稿者 webmaster : 2004年10月17日 21:20
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でも、ほんとうに”不正経理”のお金だったら、よかったですのにネ!?
投稿者 みんみん : 2004年10月17日 22:40