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私らの業界では、しばしば「チーム医療」の大切さということが叫ばれる。スタッフが対等に意見と能力を出し合い、きめ細かな医療提供に向けて一丸となってあたる、というような内容であるらしい。もしかしたら、私のこういう理解はまるっきり勘違いであるのかも知れないが、朝礼などでの管理者訓示を聞いていると、そう外しているとも思えない。医師が全てを差配していた旧来の医療を、より民主的で患者中心のものに変えていけるという、ある意味イデオロギー的な要素だってありそうな雰囲気すらある。
でも、私はこの「チーム医療」というものは、基本的には形を変えた医療労働者管理の方策でしかないと思っている。大体、誰かが中心になって方針を決めるしかない医療行為において、皆が勝手にああだこうだいってうまく行く訳ないじゃないか。中国人民解放軍だって、階級を廃止したらガタガタになったので、すぐに復活させたのは有名な話。
そりゃいろんな立場からの意見は聞く必要があるだろうが、そのどれを取り上げるかは誰かが判断する必要がある。まして、基本的には仕事が楽になることと、前例のないことはしたくないという原則で動いている人たち(非難しているのではなく、人はみなそんなものだといってるだけ)の意見なんか聞いて、役に立つことなんかまずありゃせんのである。
そんなこと誰もわかっているのにあえて「チーム医療」なんていうのは、少しでも人手不足や低賃金の不満を補うように、スタッフが自分たちの仕事に励み、多少の時間外などはサービスでやってくれることを経営側が望んでいて、スタッフ側の「誇り」という奴をくすぐっているのだ、というあたりが正解であろう。要は、都合よく自分たちから一生懸命働いてくれるようにしようという陰謀といえる。昔、国鉄で組合運動に対抗してやっていた「マル生運動」みたいなものですな。
そりゃ自分の仕事に自信と誇りを持つことは悪いことではなく、ましてそれを楽しめるような境地に達することが出来るなら、それはまことに結構なことである。しかし医師教育は屁理屈で煙に巻く技術をメインにしているようなものなので、実務第一の教育を受けている看護スタッフが多少の正論なんかいったって、対等になんぞなるわけがない。結局、相手に要求される前に向こうに都合のいい行動を提起することが、ここでいわれる「対等」であるのは明らかなのである。
仕事の誇りというなら、命令体系の中で、自分にあたえられた仕事の意味を理解し、それを適切にこなすということでいいではないか、と私は思うのだ。このバカドジデントが、と冷ややかに見下せる視点を手に入れられればそれに越したことはない。管理と支配という方向にしばしば傾く、インチキっぽい医療の理念何ぞに染まらず、病んだ人との縁を取り結ぶ仕事それ自体を誇りにすればいいと思うのだけれど。
なんでこんなこと書き始めたんだろ。はじめはもっと別のこと書くつもりだったのに。
投稿者 webmaster : 2004年10月26日 23:55
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日本の医療はアメリカンなので、細分化されているせいか全人的な治療をほどこすのはむずかしい??(あくまでも理想論))
投稿者 みんみん : 2004年10月28日 14:30
結論の「病んだ人との縁を取り結ぶ仕事それ自体を誇りにすればいい」が、正解だと思います。
私は自然が大好きで、こころがいやされます。
考えが幼いので、社会一般にはびこる権力とか軋轢とかなんかそういうむずかしいことがあまりすきでありません。でも、自然と違って人間は生き方を選べる点が素晴らしいと思います。
チーム医療に関して・他の業種と比較できない点は
本来は自然が一番なのですが、実際は世間と折り合いをつけていかなければいけない点がなやみの原点です。
しかし、医療は、
自然としての”いのち”
これが親交への気づきで一番深いものです。
このいのちの共感の前には社交のテクニックは無用であり、
はだの色、身分や学歴、個性や人となりを越えた
あたたかい親交が可能となります。
ですから、チーム医療は他の業種と違って比較できないものであり、心から満足できるおしごとだとおもうのですが??
投稿者 みんみん : 2004年10月28日 11:38