本日から一月三日まで、更新はお休みとさせて頂きます。ネットアクセスは出来るので、掲示板やコメントに対してはそれなりの対応は可能です。メールチェックは三日以降になります。
今年も多大なアクセスありがとうございました。よいお年をお迎えください。
CDC(米国疾病予防管理センター)が発行している疫学週報(MMWR)最新号に、プエルトリコにおいてCDCとプエルトリコ衛生当局が共同で行った、大晦日の夜に祝賀目的による発砲に起因する傷害と死亡およびその危険性についての調査内容が報告された。その冒頭部を抄訳。
「祝賀目的での空に向けての発砲は、間違いなく傷害や死亡の原因となる。しかし、この祝賀発砲に関連する傷害の疫学的見地からのデータはほとんど存在しない。プエルトリコではこの祝賀時の発砲はよく行われ、報道機関によれば、毎年大晦日におよそ2名の死亡と25人以上の傷害が発生するとされている。プエルトリコ衛生部はCDCと地域の法執行機関関係者の協力を得て、2003年の大晦日から新年にかけて、この発砲による傷害の実態を調査した。
その報告を要約すると、(1)祝賀発砲によると見られる傷害は19名にのぼり、うち1名が死亡した。(2)傷害を受けた人々は女性と15歳以下である率が、普段の発砲による傷害例より高い傾向が見られ、その多くは首都サンファンの人口密集地で起きた。このような傷害を防ぐためには、安全教育と現行法の強化が必要である。」
以下、傷害はどの身体部位に多いとか、時間別分類とか、被害者の年齢分布の詳細などが続く。中東関係のニュースを見ていると、いろんな節目で空に向けて銃をぶっ放している人の映像を見るのだが、昔からあの弾が下に落ちてきたらどうなるのだろうと気になっていたものだった。理屈から言えば、落ちてきた弾も重力加速度で発射時と同じ速度になっても不思議はない。まあ、空気抵抗があるからまったく同じにはならんだろうけど。どのぐらい減衰するかは知らんが。
幸い日本には祝賀記念に鉄砲ぶっ放す風習はないようなので、こういう事故はまず起こらんのが有難い。中東や中南米方面で正月を過ごされる方がいれば、この報告を思い出して自己責任での危険回避策を取られるよう心がけられたいものだ。
"New Year's Eve Injuries Caused by Celebratory Gunfire --- Puerto Rico, 2003"Morbidity and Mortality Weekly Report: December 24, 2004 / 53(50);1174-1175 n
朝からパラついていた雨が、職場につくころになるとすっかり雪になってしまい、どんどん降り積もっていくばかりである。そもそもほとんど休暇モードになっているので、大雪をいいことに二時間ほど早く帰ることにするが、これは正しい選択であった。もうその時間でも道路はすっかり雪に覆われ、シャーベット状態になってしまっているのである。これで夜までごそごそしていたら、えらいことになっていたかもしれない。
寒冷地で鍛えた逆ハンドル、四輪ドリフトの技を駆使し、明るいうちに無事に家に帰り着いたのはいいが、ホッとしたのもあってついビールなんか飲んでしまい、どうもそのまま寝込んでしまったみたいで、冷え切った夕食の前で目覚めたら12時前になっている。
てなわけで、こうして書く必要もないようなことを並べているのである。それにしても、最近の天気予報って、全然当たらなくなったような気がするんだけれど。あの「気象予報士」という連中がTVに出てくるようになってその傾向が著しいように思うが、関係ないだろうか。
中途半端な半シロートがでかい口をたたくような業界は衰退するというのは、精神医学業界を見るまでもなく明らかだと思うんですがな。まあ、おかげで休みを少し先取りできたのでよしとするけれど。
ジョン・レノンの公式サイトが今なお存在しているのをご存知であろうか。正確にはジョージ・ハリスンとの共同サイトになっているのであるが、少なくとも今年の6月ごろまではちゃんと更新されているのである。しかも、そのサイトは彼らの家族や財団とか、弁護士によって作られているのではなく、彼らの魂そのものがとあるチャネリスト夫妻に働きかけて作られた真正のものであるそうなのだ。
しかも、その"John Lennon and George Harrison's Official Website from the Afterlife"(ジョン・レノンとジョージ・ハリスンの死後の世界の公式サイト)を読んでみれば、ジョンとジョージは「ビートルズ・アンド・フレンズ」というバンドを結成して、死後の世界で今なお活発に音楽活動をしているという。彼らはリンダ・ポーリーとジェラルド・ポーリーという霊能者夫妻を通じて、彼らの死後の作品を我々に伝えようとしているので、その一端を伝えてみたい。
ただ、ジョンはその生前の左翼的言辞と行動を一切自己否定したらしく、米国内では共和党への支持を表明し、英国の労働党政権をなんとか引きずりおろしたいと望み、ブッシュ大統領のイラク政策には全面的な賛辞を送っている。生前彼の妻だったオノ・ヨーコとはその同性愛容認姿勢を理由として公式的に離婚し、神の国で彼のバンドのダンサーをしているマリー・フランセスカと再婚したそうだ。
彼が最近作った作品へのリンクもあるので、ぜひ鑑賞していただきたい。特に「フセインのオケツの歌」は傑作である。「あいつのケツを蹴飛ばした!もいっぺんあいつのケツを蹴飛ばした!フセインはそっくり返って絶対勝つといってたが、俺たちが出かけてあいつをやっつけた。あいつのケツを蹴飛ばした!もいっぺんあいつのケツを蹴飛ばした!」
なんとチャネリストのリンダさんが御自ら歌うWAVファイル(約460KB)まであるので、聞き逃しのないように。生前のジョンの音楽性やメッセージ性はかなり損なわれているように感じるが、これはおそらく神の国という概念に縁のない異教徒ゆえのバチアタリ感想なのだろう。
ジョンとジョージが神の国で演奏や創作活動にいそしむ場面の画像(ある種のオーラでまくりのヘタウマ素描。味あり過ぎ)もたっぷり用意されているので、彼らの地上での栄光をしる人はもちろん、記録でしか彼らに接したことのない人にとっては絶対にはずせない重要物件といえよう。
こちら経由の情報。
毎年暮れになると、薬屋さんとか医療機器関連の業者さんなんかが日記形式になったメモ帳をくれる。今年はなぜかカレンダーをもってきてくれる業者さんがすくなくて、このメモ帳ばっかり溜まってしまった。でも私はこういうのを使いこなせた事が一度もない。
大体、メモしておかないと忘れるような予定はどうせメモしたことも忘れてしまうのだし、どうにも覚えておかないといけないようなことなら、メモなんかしなくても覚えているものなのである。普通そうでしょ。いちいち給料日をメモで確認する人がいるか?
自慢ではないが、私は子供のころから中途半端に記憶力がよくて、学校の授業で「ノートを取る」ということをしたことがない。教師がいったこと、黒板に書いたことは覚えておこうと思ったら全部覚えておけたのである。
だからいつもノートは真っ白けで、たまに熱心な教師がノートのチェックをするようなことがあるとあきれ果てられてしまったものだ。残念なことに、こういう能力は大体18歳ごろをピークにしてあとは落ちるばかりになってしまったが、「ノートはとらない」という癖だけはしっかり残った。メモ帳をうまく使いこなせないのもその影響なのであろう。
だから一時はやったKJ法とかのカードを使う思考法なんかも、まるっきりダメ。そもそも新しいアイディアが、あんな明示的な方法で出てくるとはとても思えない。整理されない雑多なイメージが、旧皮質あたりで絡み合って形になってくるようなプロセスが必要だと信じているので、その手の暗黙知の作用を働かせるために、何に対しても決して努力せずにごろごろして、おのずから知識が自分のものになるのを待つという修行を続けているのである。
さて、そう言いつつも昨今の記憶力低下は覆うべくもない事実であって、ここは主義に反してもメモ帳の助けを借りるべきだと思うようになったのである。薬屋さんからタダでもらったような手帳では有り難味がなくて、どうせ3日ほどでなくしてしまうのは見えているため、金を出して自分で買うべきだと選びに選んだ結果が表題の「必携妖怪暦」である。平成17年度版と書いてあるところをみると、今までも発刊されていたらしい。
ポケットに入れるにはやや大ぶりなのが気になるが、かえってこのサイズぐらいが紛失を防げるかもしれない。日記形式になっているのは普通の手帳と同じだが、日本各地の奇祭とか、妖怪関連の故事、水木しげる氏のありがたいお言葉などがかかれている。末尾には妖怪探索の際の心がけとか、必要機材や服装の注意まで書いてあってまことに実用的である。妖怪探索に出かけることはまずないであろうが。
そんなわけで、こと日常の記録ということに関しては、今までのライフスタイルを転換させる第一歩をここで踏み出すことになった。老化現象対策というやむを得ぬ事情があるとはいえ、これがよりよいQOLをもたらすことを期待するものである。ネタ詰まりの時に妖怪関連の記事が増えるだけかもしれないが。
「四畳半神話大系」(森見登美彦:大田出版)を読む。作者は「第十五回日本ファンタジー大賞」を受賞した人なんだそうで、本屋の店頭に置いてあったら、まずこの帯宣伝に阻まれて買うことはなかったであろう。毎日新聞の書評欄で誉めてあったので、血迷ってアマゾンに注文したような記憶があるが、それを悔やんだほうがいいのかグッドチョイスだったと満足すべきか、イマイチ判断しがたい。
京都大学とおぼしい大学に在籍する21歳の男が、同じおんぼろアパートにすむ怪しい先輩や、妖怪じみた同級生、そこそこ愛らしい女子学生、酔うとすぐに理性を無くす年上の女性などという、限られた登場人物とおりなす、言うならばパラレルワールドSF物語といえる。必要以上に細かな京都の街の道筋の描写と、しつこいまでの繰り返し記述がそれなりのスタイルを作り出しているのだが、どうもどこかで読んだような感覚が付きまとう。というのも、この手の文章スタイルはしばしばネットでお目にかかるからで、これはコピー&ペースト機能が生んだ文体ともいえるであろう。
物語構造は、入学時に勧誘されたサークルの選択で分岐した4つの人生(と言うほどのものではない自堕落な学生生活なのだけど)を、それぞれの可能性が微妙に交じり合い、影響しあうさまを描いたというものだ。ロレンス・ダレルの「アレキサンドリア・カルテット」へのオマージュがこめられたものなのかなと、はじめは思い、今もある程度はそう信じている。何より、主人公はさまざまな可能性の分岐の中でも同じように不細工にのた打ち回る第一人称者ではなく、登場人物たちが暮らしている街=京都であると言うところが同じだと思える。
もっとも、「アレキサンドリア・カルテット」がその舞台の街を、ほとんど架空の都市であるかのごとき理想的な描き方をしたのに対し、こちらは京都を小汚いボロアパートが建つ、バックの書き割りにふさわしい街という程度の正しい描写をしていると言う違いはあるのだけれど。
ここ数ヶ月、まとまった夢を見ることがなかったのに、最近急にストーリー性のある夢を見るようになった。うつ病の人を見ていると、夢が増えるのは一種の抗抑うつ生体反応であるようで、私の場合も体調の崩れが出ているのかな、とちょっと心配。こういう状態でほとんどの身体科医や、精神科医の一部もやってくれる眠剤だけ投与して眠りを確保するという安易な方法をとると、まずうつ症状が悪化するので、我々としては顧客確保に実に役立ってありがたい。
もちろん、事前に抗うつ剤を投与したからといって、別によくなるわけでもないので、一般科医やトロイ精神科医がそう間違った対応をしているわけでもない。その辺はあんまり明らかにすると商売に影響するので、ここではあいまいにスルー。
昨日の夢のほうは定型的で、小便をしたいのにトイレが見つからず、某建物の中を走り回る内容だった。それもある有名公立高校の卒業式にまぎれこみ、あちこちで記念写真をとる生徒とか、卒業式を見学に来たらしき、いかにも俗物っぽい家族どもがウロウロしている校舎の中を、トイレを探して走り回っているのである。
やっとトイレを見つけるのだが、そこには嫌味な父兄がいっぱいいて、小便器だけでなく個室まで完全に塞がっているのである。「おたくは何年度入学の生徒のご家族でしたかなぁ」なんぞと聞かれ、「いえ、私は外部のもので」と言っているのに、冷たい視線を向けてくるだけでなく、やっと見つけた小便器に立った私に対し、なんと隅の便器越しに小便を浴びせてくるのである。
その野郎は「あ、これは失礼」なんぞど謝るのだが、別のオヤジは「##高校の父兄でない人は、ちょっと危機に無自覚ですなぁ」なんぞと不愉快なコメントを発し、トイレは哄笑に包まれるのである。あまりの不愉快さに目が覚め、プンプン怒りながらトイレに走ったのであった。
クソ、百姓どもめ、田舎の有名高校を子供が出たと言うだけのエリート意識に甘んじて、一生補助金当てにして暮らしていればいい、どうせこちらはそういう他力感覚とは無関係に生きてきて、これからも自分の力だけで生きていくんだよと、意味不明な悪態をつきながらまた床に就いたのであった。
GoogleAdSenseを導入して2ヶ月ぐらいになるのだが、予想外の小遣い稼ぎになるという話はこの前書いたとおりである。この程度のアクセスしかないようなサイトで、レンタルサーバーの賃貸料と家庭用の光ファイバー料金ぐらいは充分まかなえるぐらいにはなることもあったりするのだから、まことに結構なことである。
たまに意に反するような広告が表示されるのが難点で、これが個別企業なら選択して遠慮してもらえるオプションがあるのだが、私が気に入らんようなものは公共広告だったりするのでブロックしようがない。例えば骨髄移植登録の呼びかけなんかが表示されていても、私はそれに賛成しているわけではないので御注意を。人の善意を利用して商売するような連中、私は絶対認めません。
それと、表示される広告によって収入に圧倒的な差があるというのも発見した。ちょっと前、なぜか不動産関係の広告が続き、ああいう単価が高いものなら広告料もバカ高であろう、まして成約にでも至れば数%のバックがあるに違いない、こいつは暮れから縁起がいいわい、と思っていたのに収入は驚くべき少なさであった。ネット覗くような人はマンションなんか買わんのね。
また、AdSense側が広告表示内容を決めるプロセスもかなり謎で、さっきのマンションなんかなんでそういう内容になったかサッパリわからん。題目に商品として拾いやすいものを入れておいてもストレートには反映されないようだ。「ワイン」とか「クリスマス」とか「ラーメン」とか、目立たんように潜ませてみたんだが。
今のところ、最大のヒットは「科学者のための豊かに流れる毛髪クラブ」という記事のあと、表示が続いているカツラ関連の広告である。さすがにクリック数は尻つぼみになりつつあるものの、単価もかなり高いようで効率は抜群である。ついつい、カツラにつながるような記事を何とかひねり出そうとする矮小な態度に気がついて、思わず恥じ入るクリスマスイブなのであった。
【問題】以上の文章の中で、筆者がAdSenseに拾ってもらおうというセコイ意図の元に書いたと思われる語句を挙げよ。
死病に取り付かれた人であっても、自分にとって重要な日まで、精神力で持ちこたえることが出来るという巷に広がっている考えは間違っているということが、米国のがん患者に関する研究で示された。大概の人は、強靭な意志で特別な日まで生き延びるという物語を知っているだろう。そして、ごく特別な事例がそういう話を世に広めるのである。
オハイオ州立大学のガン研究者、ドン・ヤングは昨年のクリスマス前に、「医学の常識を越える」ようなガン症例についての物語を書こうとしているリポーターから取材電話を受けたとき、強い疑問を感じた。そこで彼はこれについて調査を開始した。彼は1989年から2000年の間にオハイオ州でガンで死亡した30万以上の症例について、その死亡報告書の解析を行った。そして、クリスマス、感謝祭、そしてそれぞれの誕生日の前後について、死亡率の低下があるかどうかを調べた。
ヤングの仮説は、特別な日まで生き延びるという神話は選択的記憶による、というものだ。特別の愛する人が特別の日まで持ちこたえたという記憶は、叔父が11月半ばにみまかったというものとくらべてより鮮明だろう。しかし、この神話を打ち砕くための解析は、ヤングの考えとは違う反応を引き起こした。
ヤングは言う。「人はこれを不遜な研究だというんだ。私はべつに何のメッセージもこめたつもりはない。この研究は単に、ある重要な日まで人が生き延びられなかったとしても、それはその人の精神力が弱かったというようなことではないと言っているだけなんだ。死はそれ自身の都合で訪れるのであって、人々のスケジュール表にあわせてくれることなんかない」。
以上、ヤングの研究について報じるNature.comの記事の前半をいい加減に約したもの。そのヤングの論文はJAMAの本年度最終号に掲載されている。無料では抜粋しか読めないが、予想されるとおりその主な結論は、クリスマス、感謝祭、誕生日などの特別イベント日の前後のガン死亡率には統計的に有意な差は見られないというものだ。ただ一部の対象においてわずかの変化があったらしいので付記しておくと、黒人の場合は感謝祭前に、また女性の場合は誕生日の前にわずかの死亡率増加が見られたとのことである。何であれ、特別の日まで持ちこたえて、そのあと従容として死を迎えるなんて例は、統計的に言えば偶然以上のものではないようだ。
まあ、日本人の場合、クリスマスや誕生日なんかはテーマにならないにせよ、例えば子供の結婚式だとかのハレの日まで生き延びた、なんて話は時々美談としては聞きますな。でも死生観の違いなのか、その辺に関する意識は欧米人よりはかなりあっさりしているような気もする。当然、それについてまじめに統計的研究をしたような話も聞いたことはない。
Donn C. Young.:Holidays, Birthdays, and Postponement of Cancer Death.;JAMA. 2004;292:3012-3016.
昨日の「サンタクロース症候群」以外に、元のコラムで紹介されていた論文の一覧。
「クリスマスカードへの反応の社会階層的変異」(1)(抜粋):クリスマスカードの送り手と受け手双方にとって、互いの社会的地位をどう感じているかは重要な問題である。著者たちは590のカード送付例を検討し、高い地位にある送り手のカードには、より返答率が高いことを実証した。それは受け手がブルーカラー層の場合、より顕著な傾向を見せた。
「クリスマスによる経済的損失」(2)(全文のPDF):ミクロ経済の観点から見れば、贈り物というものは受け手の好みと食い違うことがありえる。これによって、およそ10分の1から3分の1の経済的富の損失が、クリスマスのプレゼント交換によって生じてていると見積もることが出来る。
「ショッピングモールの観察」(非論文):ニューヨーク、ジックリン経営大学院、J.W.トリンカウスによる観察。「サンタクロースへのお願い」(向こうのデパートとかショッピングモールでは、クリスマス期になるとバイトのサンタにガキがプレゼントのお願いをするようなアホらしい催し物がある)に並ぶ列では、子供よりその親のほうが楽しげな表情をしている。
「クリスマスの危険性・小鳥愛好家肺症とクリスマスツリー」(3)(抜粋):患者は飼っているセキセイインコに近づくと肺症を引き起こしたため、医師たちは鳥に近づかないようにアドバイスし、症状は改善した。しかし、数週間後、この患者の肺症は著明に悪化した。医師たちは何が原因であったかを検討した。患者の家ではクリスマス期になるとツリーを飾ったが、これはそれまでセキセイインコがお気に入りにしていた場所でもあった。鳥のアレルギー抗原がこのツリーに蓄積していたため、症状の悪化が見られたものと考えられたため、患者はツリーを中庭でゆすってホコリを落とすように指示され、副腎皮質ホルモンを投与された後、症状は改善した。
以上。なんか、ノンキでよろしいねという印象。
(1)Kunz J.:Social class difference in response to Christmas cards.;Percept Mot Skills. 2000 Apr;90(2):573-6.
(2)Waldfogel J.:The Deadweight Loss of Christmas.;THE AMERICAN ECONOMIC REVIEW,1993,vol. 83, issue 5, pages 1328-36.
(3)Baverstock AM, White RJ.:A hazard of Christmas: Bird Fancier's Lung and the Christmas tree.;Respir Med. 2000 Feb;94(2):176.
ガーディアンの科学コラムに、クリスマス関連の学術論文が紹介されていたのだが、その中でこいつが一番面白かったので紹介。95年5月、法科学雑誌に寄せられた論文抜粋より。
題して「サンタクロース症候群:煙突に閉じ込められて」。
近年、窃盗目的で煙突経由で家屋に侵入しようとして、そこに閉じ込められたケースが散発的に報道される。これらのケースの多くに見られるのが、窒息や煤の吸入である。こうした家宅侵入の企てと、クリスマスの夜にサンタクロースが家に入る伝統的な方法との類似から、我々は「サンタクロース症候群」という定義を提唱したい。これは煙突にひっかかって出られなくなることによる、体位性呼吸不全と、吸引性気道傷害、および全身の火傷、圧迫性傷害を伴う症候群である。
我々はここに窃盗目的の企てのさい、煙突の中で動けなくなり、体位性低酸素症と、気道および全身の熱傷、圧迫性傷害で後に死にいたった一例を報告する。体力の消耗と体位性呼吸不全、および圧迫性傷害と閉所性低酸素症との関連についても検討する。
以上、引用はこちらから。残念なことに論文全文の閲覧は出来ないようだ。「サンタクロース症候群」なんて言うけど、別にサンタさんは煙突に閉じ込められて死にかけるような目にあったことなんかないと思いますがなぁ。
Boglioli LR, Taff ML :The Santa Claus Syndrome' Entrapment in Chimneys:Journal of Forensic Sciences,Volume 40, Issue 3 (May 1995) .
ちょっと外に出る用事があったので、昼は近所のラーメン屋で済ませようと目に付いた店に入る。サラリーマンやらダンプの運ちゃんでごった返すその店は、この辺ではかなりの人気店であるようだ。
前にも書いたことがあるが、私は異常なまでの早食い人間で、ほかの客より圧倒的に食い物を早く平らげてしまい、実に面はゆい。最近はラーメン屋などでもいろいろなサイドメニューを用意してくれているので、余り値段のはらないのをいくつか注文し、それで何とか時間を持たせることが出来るのでありがたい。
そんなわけで、今日も「温玉丼」というご飯にチャーシューと温泉卵をのっけたミニ丼と、野菜炒めなんかも頼んで滞在タイムを稼ぐ工夫をする。そうは言いつつ、食い物が出てくるのを待つ時間はなかなか過ごしにくいもので、ひまつぶし用に新聞なんかないかと探すのだが、これが一つしかなく、それも斜め前のカウンターでラーメンをすすっているサラリーマンが前に広げているのである。
まあいいだろう。もう半分以上食べているようだから、、すぐに席を立つに違いない。そうしたらあの新聞を取ってこよう。そう思って待っているのだが、そのサラリーマンはいつまでも食いつづけるのである。そのうち、こちらの頼んだものも出てきたので、3品を出来る限りの時間をかけて平らげる。あとは残ったラーメンのおつゆから麺を出来る限りサルベージするだけという局面になり、ふと件のサラリーマンを眺めてみれば、信じられぬことに彼はまだ食いつづけている。それも、私が店に入ってきた時とほとんど同じ段階を続けているとしか見えないのだ。
ちょっと前にも駅の立ち食いうどん屋で同じような体験をし、あまりの不思議さにその出来事を多少の脚色を加えて書いたことがある。今日の体験も、私の貪る心をいましめんとする天のこころづかいなのであろうと、店を出たそのサラリーマンに追いすがり、「まことの御姿を顕したまえ」と懇願しようかと思ったほどだ。もちろんしなかったけど。
私にはあれは奇跡としか見えまへんが、もしあれはごく普通の食い方だというなら、どなたかその技術をじっくりと教えてもらえんでしょうかねぇ。
10月頃からあちこちのニュースサイトや掲示板で、こんな一連の写真がアップされていたのを見られたかたは多いであろう。私もヨーロッパのサイトで見かけたが、全く事件の裏が取れなかったので、ここで取り上げるのは控えた覚えがある。
港に落ちた乗用車を引き上げようとしてクレーン車が来たのはいいのだが、その作業中にクレーンのほうまで落ちてしまうというバラエティならお約束の展開になっていて、どうせなら落ちた方を引き上げようとする一回り大きい方のクレーン車も、結局最後は海に落ちる映像が欲しいところ。
洋の東西を問わず、その欲求は誰しも持つらしく、最近出回っているのがこのシリーズ。フォトショップ細工がちょっと手抜きなのがいかんが、オチはこうあるべきだという見本を、ちゃんと提供している。今後、この事故写真はこの最後の画像つきで流通していくでありましょう。
ところで、この事故は今年の9月はじめ頃、アイルランドのゴールウェイ市コネマラ地区にあるラウンドストーン埠頭で起こったらしいのだけれど、アイルランドの地方紙サイト(例えばここ)を必死になって検索してみても、全く触れられておらず、唯一この地域紹介サイトのようなところで日時も定かでないような記事になっているだけなのが不思議である。死人も怪我人も出なかったからかねぇ。いかにもアイルランド人がやりそうなことだと言われたくなかったので、公式的にはシカトを決めたということかも。
この写真シリーズを紹介しているサイトがそろって、事故が起こったのは「9月頃の土曜日」と書いているのは、あとのほうの記事が8月29日と9月4日の記事の間に日時を示さない形で書かれているからである。土曜日と書いてあるので、おそらく9月4日のことなのだろうけれど。英国の大衆紙、サンが詳しい記事にしたらしいのだが、残念なことに有料アーカイブの方にまとめられてしまっているようだ。詳しい事を知りたい方は、金をはらってそちらを参照していただきたい。
参考記事はこちら。
かなり前から、外来で見ているうつ病のおばさんがいる。あちこちの病院を遍歴してさっぱりよくならず、今はそこそこの安定を得ているものだから、私に対して分不相応の帰依を示してくれているのが、かなりわずらわしい面もある人である。その親戚が某有名病院で難病治療を受けているのだが、どうにもつらいので一度見てくれといわれ、専門領域でもないのに見ることになってしまった。
患者さんは50台中ごろの女性で、2年前に自己検診で左側の乳がんを見つけ、その人が暮らしている街では一番の大病院に受診し、すぐに手術を受けたのだそうだ。医者の言うにはまだ初期だが、念のため根治的な手術をするべきだということで、最近ではむしろ珍しいハルステッド術式(乳房全切除にくわえ、同側大胸筋もとってしまう方法)を受けた。さらにその上、「念のため」抗がん剤の投与と放射線療法も加えて、数ヶ月の入院の末ヘロヘロになって退院したのはいいものの、退院後初めての経過観察で手術部位の再発を宣告されてしまったのだと言う。
医師はそれを見るなり、「あ、これは抗がん剤の追加です」といい、またも外来での抗がん剤投与が始まった。手術時にホルモン療法の効果やモノクローナル抗体抗がん剤の投与の是非を判定していなかったとのことで(これのすべてに関しては保険医療では再発時にしかやってはいけないことになっているそうで、遵法精神にあふれている医療機関はそれをやらないそうだ)、いまさら生検をやってまでそれを確認しても仕方がないといわれ、一般的抗がん剤の無差別順繰り投与をすることになった。
それをやるたびに全身の毛が抜け、体調は最悪になったが「癌をやっつけるため」といわれて我慢していた。しかし、それにもかかわらず、右頚部のリンパ節と左腋窩のリンパ節に転移が8ヶ月目に発見され、我慢できない痛みが出るようになった。そこでモルヒネ製剤が投与されるようになったが、「一日2回2錠ずつ飲め」という医師の指示では嘔気と嘔吐が激しくなるため、時間を置いて1錠ずつ飲んで痛みをしのいでいたら、医師は「言うとおり飲まないならモルヒネは出さない」と言い出す。「そのうちモルヒネには慣れるんだ」との御宣託である。
痛みは激しいわ、医者の言うとおり飲めば吐いてしまうわで、兎に角我慢するだけにしていたそうな。最近は左上肢のむくみとビリビリした痛みも加わり(多分、左腕神経叢あたりへの転移であろう)、とてもつらいのだがそれを訴えると「モルヒネを言ったとおりに飲め」だけ。「吐くのは慣れてないだけだ」で終わりにされてしまうそうだ。なんとか、主治医には内緒で今の苦しみを改善することは出来ないかというのが主訴である。
そんなもの、もっとまともな癌専門医を見つけろよで済ましたいのだが、田舎の大病院で実力もないのに傲慢さで無能をごまかすアホたれ医者はたくさんいるわけで、なかなか思うようにならんだろうと考え直し、自分で出来る範囲でこの人の苦痛を除去する手伝いをする決心をする。モルヒネの使用法を説明し、必要に応じてこちらでも副作用の少ない疼痛コントロールを提供することにする。
でも、念のためCTをとったら肺にたっぷり転移と胸水が見られた。主治医はかなりえらそうなことをいう割りに、あまり経過をちゃんと観察しようとせず、CTとったのも久しぶりなのだそうだ。主治医にしてみれば、「標準的治療はしてやったんだから、後は文句言わずにおとなしく早く死ねよ」というところなのだろう。もちろん、本人には言わなかったが。
こんな医療を文句もいわず受けている人もいるのだな、偶然の結果にこだわるバカなマスコミの論調には以前から頭に来ているのだが、こういう医者こそ訴えられるべきだと、自分には似合わず義憤にかられてしまった。一応、私の乏しい知識を総動員し、吐き気や疼痛管理を約束したのだが、60%はこれが最終受診になるのだろうなと思いながら、次回年明けの来院を予約したのであった。
British Medical Journalの最新号、12月18日版に"The Polymeal: a more natural, safer, and probably tastier (than the Polypill) strategy to reduce cardiovascular disease by more than 75%"(1)という、大変長い題名の論文が掲載されている。これは題名の中でもふれられている心血管疾患に対する"Polypill"「多剤投与」という治療戦略に対して、"The Polymeal"「多品目食」という造語をつかったイヤミ論文であるようだ。
もともとの"Polypill"論文(2)は昨年6月、同じBMJに掲載されたものである。スタチン系の高脂血症治療剤に、半量の降圧剤三剤を組み合わせ、それに葉酸と少量のアスピリン(これは抗血栓作用のため)をのむという治療法を行い、11年にわたってその効能を検証したというもの。これによって、55歳以上の中高齢者の心血管疾患イベントを、80%以上減少させることが出来たとのこと。
日本の臨床現場では昔からもっぱら全く別の理由によってこういう総花的投薬が行われているが、そのおかげで平均寿命が長いのかなと、皮肉めいた見方をしてみたくならないでもない物件であるが、やはりこれに一言いいたい人々は向こうにもいたようだ。
今回のPolymeal論文は、1日150mlのワイン、週に4回114gの魚摂取、無糖のチョコレート100g/日、果物と野菜400g/日、ニンニク2.7g/日、アーモンド68g/日を摂取するという個別的なメタアナリシス研究やランダム化対照試験の論文六本をとりあげ、それをメタアナリシス的に結合し、その総合的な効果は約76%の心血管疾患イベントの低下につながったと主張している。
もしかしたらえらく生真面目に検討されたものなのかもしれないが、私には"Polypill"論文に対するイヤミばかりではなく、EBMという考え方とその検証過程にある根本的なウソ臭さについても一太刀浴びせようとしたに違いないと思えるのだ。大体、果物と野菜400g/日をとることの効能をランダム化対照試験で調べるってどうするのさ。対照群には合羽橋で買って来たロウ細工でも食わせるのかね。
別に盲検でなくてもランダム化対照試験は成り立つのかもしれないが、明らかな食生活上の違いを強いて、無作為割付しているから客観的だというのはどこかおかしい。チョコレート100gを毎日食うというのもねぇ。みのもんたにでもきつく言われないと、ちょっと続かんぞ。そういうかなり妙な「EBM」研究成果をあつめ、しかもそれらの主張を結合して、全部やったら効果はスゴイと主張するというのは、ジョークを意図しているとしか思えんのだが。
この論文は次のような言葉で結ばれている。「ここで示した予防戦略はきわめて根底的なものである。科学的予防の成立以後の時代においては、『健康な人間』というのは時代錯誤の概念である。西欧社会では、我々すべてが心血管リスクをしょっていることを認識する必要がある。そしてそれはごく普通に疾患をひきおこし、しばしば致命的なのだ。"Polypill"がいくらかは効果的であることは評価されるべきであろうが、"Polymeal"は非薬物的に効果を期待でき、安全かつ美味に心血管疾患の危険性を低下させ、多くの人に寿命の延長をもたらすのである。」
回りくどい書き方ではあるが、リスクはどこにでもあるのだから、セコイ医学小知恵でがんじがらめになるのではなく、好きなもの食べておいしく暮らそうじゃないかと言っていると思うのですがねぇ。
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管理人宛のフォームメールが使えなくなっていたのを長らく放っておいたが、このたびCGIを入れ替えて復活。CGIは生きているのに送信できないので、これは多分サーバーのsendmailが使用停止になっているのだろうと考えて、直接SMTPにつなぐタイプのCGIを物色して、一番簡単そうなのを据えておいた。
カスタマイズをほとんどしていないので、どこかに不具合があるかもしれないが、そういう場合は御報告を。って、メールが使えにゃ報告できんか。まぁ、ここのコメント欄利用していただいてもいいのだし。このCGIを配布しておられる「小坊主」さんにはただ感謝をささげるのみ。
大泥酔の疲れがまだ取れず、今日はこれだけでおしまい。それにしても、sendmailの件で問い合わせたのに、サーバー会社は返事もしてこないというのはアリかいな。
ワインの瓶底には赤白の種類を問わず、独特のくぼみがついているのはご存知であろう。熟成過程で澱(おり)が出てくるので、ああしてくぼみを作っておけばその周辺に集まり、注ぐときに混じらないでいいからという理由である。そのため、瓶の中で澱ができるほど長期熟成されるワイン→高級なものという部分的には正しい関連付けから、あの窪みが深いものほど高級で値段が張るという説明がされる事がある。
現在は日常的に消費されるようなワインはもちろん、結構高級なものまでまずステンレスタンクで発酵熟成され、十分澱引きされてから瓶詰めされるので、あの窪みの実用的価値は乏しくなっていて、ましてその深さと高級さは関係ないという意見もある。しかし、パッケージとしての差別化という意味もあるらしく、やはり値段と窪みの深さには一定程度の相関があるという印象はつよい。
その辺を実証的に調べたレポートを掲載しているのがこちらのサイト。Itchy Squirrel(痒がりリス?)というペンネームのご仁による、突撃レポート志向サイトのようだ。今のところコンテンツはこのワイン瓶底と値段だけだが。Itchy Squirrel氏は鉛筆にミリ単位のスケールを書き込み、瓶底の深さをはかるゲージを自作してスーパーを訪れ、棚に並んでいるワイン瓶の窪みの深さを実測し、その値段もメモした。そして、それらの相関をグラフにプロットし、近似的一次関数を求めた。それがこちらのグラフである。
得られた関数はこれ。
ワインの値段(UKポンド)=(窪みの深さ<単位:ミリ>+3.49ポンド)÷4.3144
なおこれは赤ワインの場合で、白ワインならこれから1ポンド引いたものが大体の価格になるとのことである。スーパーで調べたからなのか、数百円から高いものでもせいぜい約2000円という価格幅になっているが、確かにこのクラスだと一番はっきり差が出るといえるかもしれない。何ぼ高いものでも、そんなにむちゃくちゃ窪みが深いわけがないのだし。
思わず自分でも近所のスーパーで調べてみようかと思ったが、ヒマがなくて断念。どなたか、追加報告をやってみませんか。ついでにコルク栓の長さと値段の関連も調べてみれば、より趣が増すでありましょう。
元記事はこちら。
職場の忘年会で大泥酔してしまい、更新が出来なかったので、かねてよりごく一部で再録リクエストのあった記事をコピペ。3年前の9月の日記記事である。
知り合いに、学生時代、*核派活動家として、珍しく結構真面目に政治運動をやっていた奴がいて、一時は生死をも知れぬ非公然の闘いに出るのだと、えらく張り切りまくっていた。私みたいに無原則で口も尻も軽いような人間に、そう言う事をペラペラ喋ってしまうあたりがすでにナンだが、とにかく本人は大真面目だったのだ。友人たちと、「祝出征」のタスキでも作って、万歳三唱で送り出そうと提案したが、さすがにそれは却下された。
半年もせぬうちに、そいつはキャンパスに舞い戻った。英霊にもならず、結構なことであったが、彼は何となく照れくさかったのか、今までのようには親密な付き合いは戻らぬまま、卒業してからは音信不通になっていった。
お互いにいい歳になったころ、ひょいとその男から連絡があった。今は雪国で知られる地方に居をかまえ、私なんかよりよっぽど地道に暮していると言う。最近は競技スキーに目覚め、シニアの国体選手も目指すレベルなのだと。オフシーズンのトレーニングについて聞いてくるので、アルペンをやるにしても持久力は大事だから、ランニングが基本だろうな、と答える。スキー場を利用した、クロスカントリー走などは特に効果的だろう、とも言い添える。
その男、しばし沈黙して言うことには、「もと中*派だけに、クロカンだけはご勘弁を」。
このオチ、何人の人に判ってもらえるだろうか。
「科学者のための豊かに流れる毛髪クラブ」("Luxuriant Flowing Hair Club for Scientists™")というのがあるんだそうで、そこがこのたび2004/5年度のメン・オブ・ザ・イヤーとウーメン・オブ・ザ・イヤーを発表したそうな。
男性の部は左の3人組で、ゼンタリス社というカナダ資本のバイオテクノロジー企業の研究部門に働くドイツ人研究者連中。女性のほうはMITとその関連研究企業で働くアメリカ人研究者。写真はこちら。後姿だけにしてほしかった、なんて言ったらいけません。
このクラブ、ホームページがあのイグ・ノーベル賞のサイトにあるので、どういう性格のものかわかるとおもうけど、一応アインシュタインとニュートンへの敬意から、それにあやからんとして作られたものだと自称している。そういえば理科系の若手研究者は長髪の人が多いような気もする。単に散髪屋にいく暇と金がないだけだろうと思っていたのだが、そういう志向が密かにこめられていたのか。
研究者だと自称できる人なら誰でも参加できるようなので、髪の毛に自信がある人は、自分の写真を添えるか、写真のあるページのURLを書いたメールをLUXURIANT HAIR CLUBまで送られたい。もっとも、老婆心から忠告すると、若いうちから髪の毛をうっとおしく伸ばしていたら、歳とってからハゲやすいですぜ。放射線を扱う人は、遮蔽物になるらしいけど。
先日ちょっとふれた、引出しの奥から出てきた反故草稿を読み直して、けっこう楽しめた日曜日であった。さすがにそのまま人目にさらすのはかなりキツイしろものなのだが、当時はそれなりに何か新規なことを見出せたのではないかと錯覚していた。そのあたりをもう一度、反省的になぞってみてもいいのではと愚考する次第。
題材はドイツやフランスの精神病理学派が、一時(っても1930年代だけど)結構取り上げたことのある「カプグラ症候群」である。これは自分の見知っている人物(時には事物、環境それ自体であることもある)が本物ではなく、偽物にすりかわっているという訂正不能な確信におちいる状態をさす。なんで偽物にすりかわっているのか、というところで妄想が形成されていることもあれば、不可思議な体験として困惑するだけの場合もある。
ドストエフスキーの「悪霊」に、スタブローギンの内妻が公衆の面前で夫から知らないふりをされたことでこの状態に陥るくだりがあったし、SF小説でもこの設定というのは結構おなじみで、病的意識でなくともなんとなく感情移入できるような気になってしまう。これと似たような想像は、大概の人が経験あるからである。「すりかわっている」とまでは思わないにせよ、小児期に自分は今住んでいるこの家の子供ではなく、本当の家族はどこかよそにいると考えるありがちなファンタジーのことを、「ファミリー・ロマンス」として描き出したのは、かのS・フロイトである。
だからどうしても今までの精神病理学派は、そういう普通の想像力の視点からこの現象を考えるものになりがちであった。文献的にみても、この症状は精神分裂病に特有の症状と言うよりは、むしろ脳器質的障害を伴う例によく見出されるのであるが、やはりその考察においては、願望充足的な精神力動として解釈され、そこにとどまることがほとんどであった(少なくとも20年ぐらい前はそうだった。今は知らんよ)。
私の草稿はそういう文献的なレビューをしたうえで、当時みていた2例の慢性分裂病の女性症例をしめし、もっぱら家族を対象にした「すりかわり」体験を、そのすりかわった対象と患者がつくる関係性に注目して分析するというものだった。当時はやりだった構造主義的人類学の表面的なシェーマをパクってきて、一知半解的に適用したわけである。こういえばもう私の仮説も大体おわかりであろう。簡単に言えば、本来の対象や様々にすりかわった対象と患者が作る関係性はそれぞれに異なるというものである。
患者は相手をただ闇雲に替え玉だとみているわけではなく、質の異なる関係性が形成されていることを認識していて、その構造的不連続性が顔貌、容貌認知の連続性を断ち切るという根拠レスな決め付けが最後に来るというわけである。いま自分で書いていても若気の至りだとはおもうが、なんとなく捨てがたい主張であるような気もする。
なんでこれを最後まで仕上げなかったか、というようなことは長くなったのでまた後日。
精神科の臨床だけをやっているとまず気づかないが、私みたいに多少はプライマリィケアに関与していると気になるひとつの訴えがある。それは高齢者にしばしば見られる(若い人にもたまにあるが)「手足のほてり」という症状である。例えば今日来た患者さんの訴えを再録すれば、その人は5年来このほてり感に悩まされていて、夜寝るときなどはフトンから足を出して温まらないようにしているのに、夜半にほてりで目覚めるのであまりに気持ちが悪く、台所の板の間にいって裸足で立ち、足を冷やすのが毎夜なのだという。
これを今までかかった医療機関に訴えてきたのだが、医師たちは誰一人それに関心を寄せてくれなかったのだそうだ。「足が冷えて困る人からすれば余っ程まし」といわれるのが精一杯、大概「は?」で終わってしまうそうな。「こんなにつらいのに、『冷えないよりましですよ』といわれるんです。何とかなりませんか」といわれるのだが、確かにこれは難問なのだ。実際こういう訴えを持っている人がいれば、まず医療機関で相手にされなかった経験があるはずだ。
漢方の概念ではこれは血行不良症状の表れとされる。手足の熱を体の中に運ぶ血流が不足している、という理屈である(手足の熱ってなんだよ。大体、運んでいった熱はどうなるんだ?なんて疑問はなし)。冷えのほうは、血流が悪いので手足に熱を運べないのだという言い方になる。どう見ても、ああいえばこういうという屁理屈なのだが、西洋医学がある程度この症状を受け入れてくれる場合も、、これを援用する場合が多いようだ。漢方医学は言うならば根拠なしの実体的屁理屈体系なので、この手の説明論理を見つけてくるのは易しいのである。
カモシカはなぜ早く走れるのだ?→それはひづめが割れているからだよ。→牛ははひづめが割れているのに遅いではないか。→割れていなければもっと遅い。大体、これと同じような「論理」が使われている場合がほとんどだと思っていただいて、まず間違いない。いくら理屈でごまかそうと、そこにある種のパターン化された訴えがあるのは事実なのだが、正直言ってこの訴えで日本のどこの病院にいっても、まず相手にされないし、当然改善も望めない。週刊誌を読んでベスト病院なんか見つけても、少なくとも「足のほてり」を相手にしてくれて、それを治療してくれる医療機関は絶対無いことを保障してもいい。
現にそれがある人はどうすりゃいいんだよ、といわれるかもしれないが、なんせ専門医ではない立場、偉そうなことはいえないのである。普通こういう訴えで受診すると血液検査とかABI検査をされて、コレステロールが高いの血管が硬いのといわれるが、その薬を飲んでもまず絶対に症状が改善しないのが面白い。お前はどうしているんだといわれると、これはやはり同じようなことをしているわけだが(無駄とは知りつつ、多少の検査でもやらないと商売にならんので)、抗不安剤やある種の抗うつ効果のある薬が効果があることがまれにあるのが不思議なところ。
漢方みたいな屁理屈を考えると、血流低下で末梢神経の機能が過敏になるのだろうという推測になり、あくまで推測であることをことわりつつもそういう説明しているが、結構受け入れてもらえるようだ。もちろん推測なんですけど。一般的な医療の場合、血管拡張剤とかビタミン剤を処方されるのがほとんどで、しかもまず効くことはないのが普通。ところが、なぜか先ほどの抗不安剤+抗うつ効果のある薬(私の場合これはドグマチール®ということなんだけど)がそこそこ効くので、かなりの割合でこの「足のほてり」患者を診ているわけですわ。
正直いって、こういう学術的根拠なしに患者側の評価だけでたくさんの症例を見ているのも多少不安なので、どちらさんか、まじめな基礎研究込みでこれを検討していただける人が出てきてくれればホントにありがたい。もちろん、自分でやってることをインチキだと思ってるわけではない、つもり。
メインの職場に新病棟が出来て、ついでに医局も移転することになる。今まで既得権で専用個室が使えていたのに、今度の医局は最近のオフィスによくある、パーティションで区切られたオープンスペースになっている。一応自分の場所はあるのだが、今までみたいにカップヌードルを抱えて部屋に潜み、なるべく見つからないようにするという手が使えなくなってしまった。だらしない恰好で昼寝も出来んぞ。
この機会に不用の書類とかパンフ、読みもせん文献類を整理しようと積み上げられたダンボールを相手に奮闘する。はじめはいらないものをゴミ箱に放り込んでいたが、そのうち文献類の入ったダンボールをそのままゴミ箱にすればいいのに気がつく。なんか身辺がえらくすっきりして、大事業をしたような気分で帰宅。
大かたずけの時、机の奥から出てきた昔の書きかけ論文草稿をみて、ネタを思いついた気分でいたのだが、さあ書き出そうと思うと余りにも壮大な話になりそうで、まとまりそうにもない。草稿自体も限りなく「と」系なので、とても素面では紹介できまへん。仕方なくパクリの記事だけ別館に書いて、今日は早く寝ることに。
某所であるマジシャンが、予言というか読心術というか、客が読んでいる本のページに書かれている内容を当てるネタをやっているのをみる。似たようなマジックをいろいろな演出で見たことがあり、一体どういう仕掛けなんだろうかと興味を引かれ、一時間ほど必死に検索してそのトリックを知ることができた。これは「ブックテスト」といわれるものなんですな。
さまざまなやり方があるそうで、19世紀に初めてこれを演じた人のトリックがその後種々に改良され、いろんなバリエーションが使われるようになっているらしい。大別すれば、本自体にトリックが仕掛けられているもの、サクラをつかうものがあるのだが、簡略化したものでは、たまたまそこにあるような任意の本を使って、ごく簡単な仕込みをしたら、あとはちょっとしたごまかしだけで同じ現象をおこせる。
古典的な方法は、どう考えてもそれ以外ありえないネタなのだが、簡略化ネタのほうはかなりの盲点をつかれたというか、勘ぐりさえはねつけるような効果を持っているように思う。軽薄にも、早速人に演じて見せたら、まあウケたこと。
マジックと本格推理はそのトリック構造がほぼ同じといってよく、例えばハンカチの下で紐の両端を外に出した状態でリングの中に通すようなマジックは、密室殺人事件の仕組みとまったく同じだ。どこかで密室が破れているに決まっているわけで、時間的、場所的な密室の破綻の可能性を考えれば、おのずから答えはみつかるのだが、そこにいろいろな工夫を施して迷彩をかますのが作者の腕で、それはマジックの演者にも同じことがいえる。
では、この読心術風マジックを応用した本格推理トリックは可能だろうかと、小一時間ほど考えてみるがまるっきりアイデアが出てこない。次々に起こる殺人事件を予言していたかのように警察関係者にみせることで、容疑者であることをあえて装い、実際に行う殺人の迷彩にするなんてのはいかんかな。くだくだしいだけか。ここは事務の女の子あたりを相手にした、オヤジ芸の習得というところで満足しておくべきですかな。
ブックテストに関してはこちらを。(ネタバレなし。マジック愛好家のサイトはホントに律儀にこの原則を守っているのがえらい。ネタを知りたい人は本を買うか、英語サイトを丹念に調べるべし。)
11月末ごろ、アフリカの西沖合いの大西洋に浮かぶカナリア諸島に、イナゴの大群が渡来したという事件が報じられたのは記憶に新しい。アフリカ大陸で大発生したイナゴの一部が、海路150kmを越えて息も絶え絶えになってカナリア諸島に現れたというのが、ちょっと可哀想な気もするほど。リゾートとしてはそこそこ有名ではあっても、イナゴが団体で食べるものなんかあそこにはないだろう。必死になって飛んできて、飢え死にするしかないのはお気の毒。こういうとき、動物保護団体ってのは何もせんのかね。
イナゴの飛来のおかげで観光客が逃げ帰ってしまい、島々は大打撃だったそうだが、それを報じる地元マスコミにちょっとした混乱があったというのが今回の話題。スペインのTV局、Tele5のWebがとんでもない勘違いをしてしまったのである。カナリア諸島にイナゴが押し寄せたという11月24日の記事に、なんとロブスターの写真を掲げてしまったのだ。その記事をみると、カナリア諸島は空飛ぶロブスターの大群が押し寄せ、島は一面ロブスターにおおわれてしまったと読めるのである。そんな事があれば、観光客は逃げ帰ることもなく、ロブスター食い放題の特別サービスを堪能できたはずだけどね。
この記事の間違いはすぐに気づかれ、Webの写真は四時間後にイナゴの写真に差し替えられた(これがキャプチャー画面)。なんでこんなことになったかというと、どうもスペイン語ではイナゴもロブスターも同じ"langostas"という言葉であらわされるのが原因であるようだ。別のスペイン語記事をみても、「ランサローテ島、ランゴスタスに襲われる」とあって、ちゃんとイナゴの写真が掲げられている。AltaVistaで調べてみても、langostasはロブスターだしねぇ。多分、スペイン語圏の人には形容詞やら脈絡やらで両者は区別がちゃんとつくのだろうけれど、前提なしでは間違うこともあるというところだろう。
そもそも、同じような節足動物なのだから、区別つける必要なんかないのかもしれないし。イナゴ好きの某地方の人々も、その辺をよく知っているのかも知れまへん。イナゴ食材に触れる事があったら、これはスペインでは「陸ロブスター」というんだよと、通ぶって食べてみようかなっと考えたりして。
Don Diebel氏は、www.getgirls.comというサイトを運営している「独身の達人アメリカNo.1」であるそうな。その氏がこちら(やはり、独身者に出会いのテクニックを伝授するようなところらしい)で、「トン単位の独身女性を魅了して、デートに持ち込む裏技」を紹介しておられるので、そういうことはまるで無関係であったし、このまま生涯を終わりそうな私も興味を引かれ、ちょっと紹介してみることにする。
これは彼が友人から聞いた「指人形メソッド」であるそうだ。自分の体験といわないところが奥ゆかしい。まず、トイザラスなどの玩具屋に行き、指人形を買う。それをもって女性客がたくさんいるクラブに出かける。これはと思う女性がいたら近づいていき、彼女の肩を指人形でたたき、相手が振り向いたらその人形を顔に向けてこういうのだそうだ。「ハイ、ベッピンさん、ボクと踊らないかい?」あくまで人形が相手に語りかけているように、そして出来るだけ素っ頓狂な作り声でいうのがポイントだとのこと。相手は笑い転げ、仕掛け人を愉快なユーモアセンスのある好ましい人間だと思ってくれ、ダンスの誘いはまず成功するのだそうな。
「バカバカしいと思うかもしれないが、このやり方は友人に対しては魔法のように効果があり、他の人にも効くはずだ。クラブだけでなく、どこでも指人形を持ち歩き、それを使って女性に話しかけて見るといい。私を信じなさい。相手はみなイチコロだから!」とDiebel氏は結んでいる。
グルーチョ・マルクスのモジリではないが、こんな手に引っかかる女性なんぞと付き合いたくなんかない、と言いたい気分。向こうの「Mr.グッドバーを探して」の世界ってのは、滅茶苦茶わびしいもののようだ。そう思わないかい、ウシ君?そうだね、カエル君。
日本ではまだ、感謝祭やクリスマスに七面鳥を食べるという風習までは完全に移植されていないので、少々疎遠な通念というか、ある種の疑似科学的噂話が存在することはそう知られていない。欧米の人間がよく言うのが、「七面鳥には必須アミノ酸であるトリプトファンがたくさん含まれていて、それが脳の中でセロトニンに合成されて抑制作用を示すので、七面鳥を食べるようなパーティの後では眠くなる」という一見科学的な理屈である。「気分を盛り上げてハッピーにさせてくれる」というような、かなり前向きな言い方になることもある。
いわゆるサプリメントの売れ行きでも、七面鳥に多く含まれるトリプトファンという奴は結構向こうでよく売れていた。20年ほど前だったろうか、日本でつくられたトリプトファン製剤に不純物が混じっていて薬害事件を起こした事があり、トリプトファンそのものにも多量に取ると不具合があることが指摘され、サプリメントとしての使用は下火になっている。一時、私も遷延性のうつ状態の人に欧米論文を根拠にしてこのトリプトファン製剤を使っていた事があったので、かなりあわてたものだ(その薬は当時「エルトリップ」という名で保険適用されていたが、今は保険適用を外されている)。
最近主流になっているSSRIという新しいタイプの抗うつ剤も、神経接合部でのセロトニン再取り込みを阻害し、その濃度を上げることでセロトニン作動性神経経路の活動性を高めるというのがうたい文句である。この薬が開発されるまでには、欧米でのトリプトファン-セロトニン効能へのある意味神話的な期待が背景にあったのではないかと思うほどだ。あまり同僚たちは言わないが、私はこのSSRIという薬は日本人にはあまり効かないと思っており、事実これを飲めばうつ病の悩みからはおさらば出来るかのようなTVCMがなされている割には、これを延々と飲まされながらさっぱり改善しない人が山ほどいる。
大体、トリプトファンは必須アミノ酸ではあるが、日本人が主食にしている米に結構含まれている。率はたいしたことないが、米消費量のことを考えれば、必要十分のトリプトファンはそこから取れたはずで、いまさら七面鳥などでおぎなう必要なんかない。普通は肉やナッツ類に含有率が高いといわれるのだが、絶対的摂取量のことを考えれば、どちらから取るほうが合理的かはなんともいえないと思う。肉をたっぷり取る欧米人がさらにトリプトファン摂取にこだわる理由もようわからんのだが、もしかしたらトータルでの摂取量は我々のほうが高いのかもしれない。
確かに七面鳥が出てくるようなディナーを食べていればそのうち眠くなるが、それは当然酒も飲むし、他のものも山ほど食うからであるのは明らかなことである。酔っ払って満腹になればそりゃ眠くもなる。その辺の自己管理のまずさをトリプトファンが云々という、一見科学的な屁理屈でごまかしているのが正しいところであろう。もっとも、そういうこととは無関係に、七面鳥という食材はもっと食べられてもいいものだと私は思うので、多少出遅れた「元気が出る」というデマが理由でいいから、もっとポピュラーになってほしいと願うものだ。私がファーストフード店で唯一行きたいと思うのはサブウェイで、そこのターキーサンドはうまいのになぜかあんまり流行らんようで、近くにあった店もつぶれてしまったしねぇ。
これも、日本人はあんまりトリプトファンに渇望していないからだという、伝統的バックグラウンドがあるからかも知れんけど。なお、簡単なターキー料理はこちらを参照のこと。「ターキーはパサパサでうまくない」なんて思っている人が多いけれど、それは単なる探究心の乏しさの反映。トリプトファンのことは抜きにして、一度自分で工夫して料理してみることをお勧めする次第。
左中指の痛みはさっぱりおさまらず、仕方なく読書にふける日曜日。この前の「ジェイン・エアを探せ!」の続編、「文学刑事サーズディ・ネクスト<2>さらば、大鴉」(ジャスパー・フォード:ソニー・マガジンズ)を読み終える。評価はというと、「面白うてやがて悲しき鵜舟かな」というところか。
第一作の活躍のおかげで、すっかり有名人になって特別捜査局の宣伝に利用されまくるサーズデイ。官僚組織の融通の利かなさや、前作でいい加減やっつけたつもりなのに、なお国家を超えた闇の権力を持ち続けるゴライアス社にいらつく一方で、ランデンと結ばれて幸せいっぱいの生活をおくっている。
そのころシェイクスピアの未発表戯曲が発見され、サーズデイらの調査でも本物であるらしいのだが、どうも怪しい雰囲気が付きまとっている。その捜査を進めるうちに、サーズデイは偶然が連鎖するという奇妙な体験の中で危うく死ぬところだったのを時間旅行者の父親に助けられるが、夫を時間をさかのぼって消されてしまうという危機に陥る。しかも父親によれば、世界そのものの破滅もすぐそこまで迫っているのだという。
一方でサーズデイには「脚注電話」なる不思議な方法で弁護士から連絡がくるようになっていて、それによれば彼女は厄介な訴訟の被告人となっているという。どうも前作でフィクションの世界に入り込んだことがきっかけで、彼女は現実とフィクションの両方で危機に陥っているらしい。現実の世界で偶然を操ってサーズデイを危めようとする敵から逃れつつ、フィクションの世界の中でその世界の秩序を守る特殊機関、ジュリスフィクションの一員として虚構世界に招かれる。そこでディケンズ小説の登場人物やら、チェシャ猫の助けを借りて彼女自身の危機と虚構世界、そして現実世界の危機を回避するための大活躍が始まるという筋立て。
実に面白くて、読んでる間は飯食ったり寝たりする時間が惜しいぐらいなんだけれど、あんまりいろいろ詰め込みすぎて、何か消化不良の雰囲気がなくもない。今回の敵なんて、ほとんどキャラになってないぐらいで。大鴉はつるっと触れられるだけだし。それでもカフカの審判やら、ヴォークトの「武器店」ものの筋立てまで器用に詰め込まれ、最後は文学ならぬ「ターミネーター1」の雰囲気で終わっているんだが、これは更なる続編が期待できるということなのだろう。
そんなに面白いのなら、何で「やがて悲しき」なんだといわれるかも知れない。それは結局、サーズデイの世界も虚構だという、至極当たり前の事実に向き合うことになるからだと言っておこう。ま、読んで損はないシリーズであります。
ところで、この本の最後の見開きに"Goliath Book Rating"というのがくっついていて、この本は"Suitable For All"とされているんだが、これは英国の公的な図書評価機関にこんなのがあるということなんだろうか。ちょっと検索してみたが、もう一つよくわからなかった。もし本当にあるのなら、作者が闇の超国家組織にゴライアス社という名前をつけたのは実に気の利いた皮肉。
なんか、突然左手の中指PIP関節(これってどう日常語で言えばいいんだろう?第二関節?)が痛くなり、ぜんぜん曲がらなくなってしまった。整形の同僚に聞いてみたんだが、「なんでしょうね、そこは普通痛みが出ることはないものなんだけど」という意見。普通はないかもしれないが、現にえらく痛いんだけどね。
顔面神経麻痺がきたおばさんに星状神経節ブロックをやろうとして、位置を定めるのが難しいので、かなり不細工な苦労をしてしまう。精神科医は身体処置なんかしてはいけないという、天の啓示かも知れまへん。キー操作もうまくいかないので、今日は指の安静を第一にすることに。中指使わないとやっぱり入力に手間取りますわ。
さる11月、エリザベス女王はケント州カンタベリーのハイランダー大隊を謁見に訪れた。イラク派遣作戦において功のあった将兵に勳章を授けるためである。左の写真(クリックで拡大)は、その時栄誉を授けられた将校たちと撮った記念写真の一つである。
大衆紙のデイリー・メールは、女王の向かって左に座っている将官のキルトがほかの連中よりもたくし上げられていることに注目した。拡大写真はこの記事に関連して、現在ネットに流通しているものであるとのこと。
しかし、デイリー・メール紙に掲げられていた写真は実際はこれと違った。紙面を飾ったのはこちらである。メールの記事では、女王の隣に座ったサイモン大佐がちょっとした悪戯でキルトを持ち上げて、下着を着けていないことを示したとされており、実際、写真を見る限り偶然でああいう風に写ったとは思いがたい。
はじめのほうの写真は、サイモン大佐の悪戯心をさらに誇張して明示的にするため、フォトショップでイチモツを付け加えられたものがネットにアップされたか、いかに大衆紙とはいえ、露骨な画像を示すのをはばかって、見えていたものを削除した可能性の二つが考えられる。
メールの記事がでた翌日、別の大衆紙ミラーがこの「事件」のフォローを行い、サイモン大佐やその部下は意図的であったことを否定していることを紹介しつつも、悪戯であったとするニュアンスの記事に仕立てている。その中でインタビューされている退役軍人である大佐の父親の言が秀逸である。いわく、「キルトの下がどうなっているかということは、極秘事項であり守秘義務がある」とのこと。あのキルトの下にはパンツははかないのが正式だというのは常識だと思っていたが、イギリス国民でもその辺は一般的には謎になっているらしい。どうもそちらの方向に人々の関心は向いていったらしく、サイモン大佐にはとりたてて何のお咎めも今のところはないとのこと。
元ネタはこちらから。
MovableType日本語版がアップデートされていたので、そう根拠もなくそれに追随。何べんもやったから、いい加減作業のやり方ぐらい覚えたろうと向こうは考えているらしく、手順の具体的な解説が全くないというのが大胆。
多分、ダウンロードしたファイルをいままでのと置き換えるだけでいいのだろうと、バックアップもとらずに無知ゼロ解で作業をやる私みたいな人間もいるので、もうちょっと親切な手順説明をしたほうがいいような気もする。
結局mt-upgrade31.cgiとかmt-upgradecheck.cgiなんてファイルは何につかうか判らぬまま削除してしまったが、一応格好はついているようなので一安心。コメント周りにセコいスパム対策を施しているので、そいつをちょっと修正しても、何とかいままでの機能は維持されているようだ。なんで訳もわからずアップデートなんかするのだと言われても、そこに新バージョンがあるからだとしか答えられませんな。
ところで、奈良の小学生誘拐殺人の犯人の血液型はB型なのだそうで、そればっかりニュースで報道されていた。B型はマイペースで協調性がなく、こういう事件を起こすのもうなずけるというような識者の意見が出るかと思って見ていたが、さすがに誰もいわなんだ。まあ、当たり前か。
昨日のオチ不明記事に色々親切な助言をいただき、ついでに別ネタの提示まであったので、ちょっと掲示板でふれたのに、しつこくそれをダーウイン賞サイトから訳出。
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(1998年12月12日カナダ発)ある男がタダでソーダ飲料を得ようとして、自動販売機を揺すっていて、その下敷きになって死亡した。もしあなたがそれを都市伝説だと考えているなら、それは間違いだ!
ケベックの大学生、ケビン(19)はビショップ大学で420キログラムのコカ・コーラ自動販売機を揺すっているとき、その下敷きになって死亡した。彼は友人たちと試験の終了を祝っていた。彼は自動販売機の下敷きになり、窒息死したが、その際血中アルコール濃度は合法的な運転可能レベルを少し超えていた。
ケビンの努力は無駄に終わった。「ひっくり返ったのに、販売機は一本たりともソーダを吐き出さなかった」そう検死官は報告している。ソーダ飲料愛好家は知って置くべきだ。ここ20年の間、ひっくり返った自動販売機が原因になる死亡事故は35例もあり、140人が傷害を負っているのだ。
詳しく知りたい人に、ケビンに捧げられたウェブサイトを紹介したい。そこは適切にもcokemachineaccidents.com と名づけられている(現在そこはオフラインになっているので、ウェブアーカイブで参照されたい)。ケビンの家族はコカコーラ社と、そのときそばにいた2名の友人、ビショップ大学の「重大な注意義務違反」を訴えた。そのウェブサイトは、ケビンの死は彼自身の責任ではなく、自動販売機を揺さぶることは大学でのごく普通の行為であると主張し、不詳の人物が自動販売を用いてケビンを死に至らしめた可能性について述べている。「一人の人間が自動販売機を動かせるはずはない」というのが理由である。
これに対して、コカコーラ社のスポークスマンは、カナダのコーク販売機には、現在「自動販売機をひっくり返したり揺すったりすると怪我をしたり死亡する原因になることがあります」という警告が貼り付けられていると主張している。彼らは、タダで飲み物を得ようとする人に対する対策として、盗難防止装置も取り付けたとのことだ。
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学生時代はこの程度のバカはやるものですがね。ちょっとやりすぎたというところか。昔の赤電話も横倒しにするとお金が落ちず、いつまでも長距離電話がかけられたものだが、少なくとも間違って下敷きになっても死にません。