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あけましておめでとうございます。本年も当サイトに変わらぬご愛顧をいただけければ幸いです。
なんて書き始めつつ、あまり面白くもない話題からはじめないといけない。私はメインの職場のほかに、自宅近くの救急系総合病院でも週二回の外来を持っているのだが、ここでしばしば依頼されるのが精神科救急への対応である。もちろん、自分がそこに行っているときはできる限りの対応はするが、パート医ができることはしれている。
それに、私が行っているところは妙に律儀に救急を受け入れるものだから、近隣の大学病院などではまず拒否されるような行き倒れ系とか、常習自殺未遂がどんどん運び込まれ、その中には精神科対応が必要な人がやたらに多いのである。単科精神病院というところはたいがい身体管理が充分できないので、念入りに手首を三枚に下ろしているような人とか、呼吸状態もあやしくなるまでたっぷり薬を飲んでくれたような人だと、自分のところで経過を診ていた人であってもまず受け入れない。「身体状態が落ち着いたら連絡ください」といわれるばかりである。
最近増えた精神科・心療内科のクリニックで治療を受けていた人の場合はさらにどうしようもなく、「困りましたね」といわれるのがオチ。確かに、向こうだって対応のしようもない。また、そういうところに限って妙にたくさん自殺企図常習のプロが集まっているのですわ、これが。そういう人は日常生活でちょっとした困難にぶつかると、一種のお払い行事として死のタッチラインを駆け抜けるのを習いとしているらしい。
リストカット常習の人は、ああした行為で自分の生命体としての感覚を取り戻すようなところがあるらしいが、それがもっと派手になってしまったような状態と考えるべきなのだろう。そうした患者さんがICUに収容され、何とか意識を回復してきた状態で面接しても、あまり深刻味のある対応をする人はいない。「別にー。死ねたら死ねたでよかったんだけどねー」というのが、自殺企図プロ患者の代表的な自分の行為への感想である。
つまらん説教しても始まらんし、その人が受けている投薬内容のまとまらなさ(そういう人はまず抗精神病薬と抗うつ剤、抗不安剤の大量多種投薬をうけていて、薬袋の中身はあたかも『日本の精神科治療薬一覧』といった趣をかもしだしている)にため息ついてもさらに始まらない。せいぜい家族に対して、もう少しちゃんとした見通しと治療計画を示してくれる主治医を見つけたほうがいいと説明するぐらいしかすることがないのである。
いわゆる精神運動興奮が激しい人の場合は、外科系救急をメインにしている病院でもさしあたっての対応はそう難しくない。数人がかりで押さえ込み、麻酔をかけて寝させてしまえばいいからである。これなら麻酔に慣れて、呼吸管理もお手の物の身体科医のほうが、トロイ精神科医が下手な向精神薬のヘビー投薬をするよりよっぽど安全といえるだろう。この対応さえしておいてくれれば、週二回しか行かない私でも十分その後の処置は可能なのだが、問題なのは中途半端な愁嘆場を呈して、素人目には言語的介入が必要なのではと思わせてしまうような症例である。
私に言わせれば、精神科医療が言語的な介入をメインにすると思うのはまったくの素人の勘違いであるのだが、このあたりの誤解は一部の精神科医にとってはむしろ利権として機能しているようなところがあり(何の役にも立たんことしか出来んくせに、専門家面が可能ということですな)、なかなか払拭するのは難しい。あえて私がこういう場合の原則だと信じ、実際実践している対応を示すなら以下のようになる。
(1)適切な薬剤を充分な量使用し、さしあたっての急性症状を緩和する。
(2)その患者の人的ハード的環境を把握し、介護介助の限界点を評価する。その上で人的な再配置や補助的手段をアレンジする。
(3)患者の生活環境に当面戻せないと判断し、家族や本人もその判断を受け入れた場合に限り、入院治療を検討する。
家族内の軋轢がさしあたっての危機状況の原因と思われる場合、(2)の作業はちょっと昔によく喧伝された精神科的危機介入("Psychiatric Crisis Intervention")というものとほとんど同じになるのだが、それをちゃんとやるのはなかなか難しい。というのは、例えばぐうたらで無能なオヤジを一目で見抜くのは簡単なようで、世間的常識に惑わされてしまうことのほうが多いからである。
形式的な建前を理由に、そういうクソオヤジにキーパーソンの役割を振ってしまうことはよくあることで、子供は大狂乱、オヤジは「子供のことは任せた」と子供と一緒になって混乱している母親に責任を押し付け、自分は会社に逃亡するなんて図はしょっちゅうみられるが、それはそうなることがうすうす判っているくせに建前だけの指示をする側の責任といってもいい。
ここで私が述べている対象は、もっぱら一過性の精神病反応を示す症例であって、いわゆる分裂病の中核群ではない。しかし、実際の救急場面では、こういう例のほうが派手な登場の仕方をすることが多いのである。こういう例をあまり考えもせずに無理やり精神科病棟に入院させると、言うならば「実存をかけて」不当な扱いに対抗するような反応を引き起こし、治療現場は大混乱ということがよくある。うまくやれば外来で対応可能なのに、わざわざ治療を困難にして予後を悪くさせてしまうわけだ。その点、分裂病は治療に反応しにくいけれど、こんな風にエネルギッシュな自己表現を示すことはそう多くない。
なんだかえらく長くなってしまったので、以下は翌日以降に。
投稿者 webmaster : 2005年01月04日 12:37
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先生の文章 読んでみて ピンとこなかったのですが、4日晩のテレビ『救命病棟24時スペシャル』の 泉谷しげるの演技を見て、「なるほど」っと納得。
泉谷しげるは 自殺失敗で 死に切れなかった人を演じてました。 自殺失敗で 救急病院に運ばれて、そして 生死の境をさまよった後、もう一度 自殺を試みようとする人の役をされていて、好演でした。
投稿者 藍・I : 2005年01月05日 09:49
当方は,本日が仕事始めですが,
Webmaster様が,何故にこの話を正月一番の話題に持ってきたか,
いい意味で邪推しています.
オチは期待していませんが,明日が楽しみです.
精神科救急ですか… 何と難しいテーマを選ばれたことか…
投稿者 同業者 : 2005年01月04日 17:04