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2005年01月10日  精神科救急の難しさ(4) [医学・科学関連]

ダラダラ書き連ねてきて、いい加減結びにしないといけないのだが、結局現実にある某県立病院への悪口で終わるしかないのが生産的でない。でも一応言うだけは言っておくと、全県的な救急ネットワークというものを作って今までの収容所型病院体制とは違うモデルの精神科医療を展開するはずだったのが、結局マンパワーにあふれる個別病院がひとつ出来ただけ、というのが実情なのである。そりゃ、そういう風に熱心に患者を見る事の出来る病院があるというのは、一見結構な事に見えるのだが、その努力がかなり自閉的なのと(なんか客観的に示せる成果と言うものがありますかいな)、しかもそれが大赤字垂れ流しの税金だのみで運営されているというところに、当事者たちの自覚がないのが困りもの。

例えば全県の救急窓口であるはずの、そこが自慢する24時間対応の電話窓口に、私がパートで勤務しているような一般病院から錯乱状態の患者の収容を依頼しても、窓口の返事は「かかりつけ医か地域の担当病院に対応してもらってください」で済まされてしまうのである。そんなもの、全く機能していない現状があるから、お宅の病院が大赤字でもいいからと作られたんではなかったかね。

こういう対応が末端でされている事は幹部医師たちはあまり知らないようで、直接あたってみても「自分たちは次々にやってくる救急患者たちに日夜対応しているのだ」という返事が返ってくるばかり。むしろ下っ端の医者のほうが、事務レベルと同じつれない対応をしていることに自覚的で、かつまったく平気なようだ。そりゃま、そうだろう。現実的に、全県で発生する急性期の精神疾患に、たかが数十床しかない病院が対応できるわけはなく、「ベッドがないから御断り」という、どこの病院もやっている返事しか出来ないのは当然だ。

だったら、そういう救急対応施設を全県的に広げていき、ネットワークを実質的なものにしていけばよさそうなのものだが、行政からすれば先進的に見える施設をひとつ作って、大赤字までこかれている現状では、そんな風に歩みを進めていく根拠なんかなく、ポーズさえ維持出来ればいいのは当たり前。彼らには有効な医療体制なんか興味なく、官僚としての建前がつけばそれでいいのである。

そんなところで必死にがんばる医者もバカバカしいが、それ以上にそういうものが精神科救急だと考えるような下っ端医者がそのうちあちこちの医療機関に出てくるのが恐ろしい。連中は自分のやってることをいろんなレベルで検証するという視点などなくて、官僚みたいに建前ばっかりの自己正当化が得意な医者になって行くからである。彼らにとっては、一生続く精神科疾患という桎梏を抱えた患者は、単にさしあたって3月ほど収容して、その後誰かに押し付ければそれで自分とは関係なくなる無縁の衆生なのである。

A医師の理想はある意味では私もかなり共有するところがあるものなのだけれど、やはり精神科疾患、とりわけ分裂病という厄介な疾患を相手にせざるを得ないこの業界では、森は見ているが木は見ていない方策といわざるを得ないと私は思う。昔ながらの収容所型精神病院に半分以上身を置いて、その限界はたっぷりわかっているつもりの私だが、差し当たって分裂病に関してはそういう古色蒼然たる対応以上のものはなかろうと言うのが(勿論、出来る限りの『地域医療』という奴で頑張るのが前提だけど)、今のところの持論である。

なんであれ、某県立精神科救急センターは病床数を今の5倍にして、全県的な困り者患者を受け入れることだけに専念すべきだと私は思う。それなら税金浪費に文句言う人もいないと思うよ。以上、妙に地域的かつ業界人だけの話題を長々続けたことを詫びつつ、結語としたい。でも、大学病院とか地域の公立有名病院とかで、似たような話はどこでもあると思う。

投稿者 webmaster : 2005年01月10日 23:08

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コメント

この県のすぐ近くでほぼ同じ内容のセンターに数年前まで勤めてました。今はこの県内に勤めております。
なのであまり過激なことはいえませんがまったく同感です。処遇困難事例を県やその他の公立でみなければ今稼動してる民間のべッドも限りがあるし一般患者と上記の患者と合併症がまざってしかも老人で施設などでみることができないかたがあふれていると正直できる仕事の限界をこえてしまいます。
だけど今は公立ですら財源がなくしかも人事のからみでベテランのスタッフが早期に辞めてしまったりして質が低下してます。もう10年もすると今のままではまわらなくなるしこの県だけでなく似たような結果がでるでしょう。

投稿者 看護師 : 2005年01月11日 22:34

山岸涼子作品に、地方の旧家に生まれた青年がちょっとした性犯罪を起こしたのをきっかけに家族の手で座敷牢に閉じ込められ本格的に怪しくなるお話がありました。

当主の死去により解放された青年は老母の手をすり抜けて…という筋立てでした。

投稿者 小狸工房 : 2005年01月11日 19:28

もちろん家族関係なんかがいまさら変わる事はないわけで、我々がアドバイスするとしたら「無駄な努力はしないようにさせる」という点に尽きます。

でも、これはかなり重要なことなのに無視されています。妙な家族カウンセリングなんぞでは、かえって見当はずれの負担を強いられることもあるぐらい。変に責任感を求め、「かくあるべき」という指示を出す人が多いわけ。

コミュニケーションの流れを回復させ、家族成員が自然体で機能分担できるようにするというが目的のはずなんですけどね。

投稿者 webmaster : 2005年01月11日 12:11

私の知りあいにも、躁鬱の人、分裂の人など居ます。
普段は何とかやっていけているのですが、家族の負担は端で見ていて気の毒になるくらいです。
その2で
>> 患者本人だけでなく、その人を支える家族も含めたシステム全体
>> の回復力というものを考え、今後の変化に備える必要があるわけ
>> だ。
と書かれていますが、家族の体制なんて、変えようが無いように思うのです。
かといって家族同然に介入してくれる専門家なんて皆無ですし。
実際どんなふうにするんですかね?

投稿者 ばう : 2005年01月11日 09:50

何となく途中から予想がついたのですが,やはり,私が常勤している病院がある県の話でしたか.
確かにあまりに官僚的な対応に,頭に来たことは幾度となくあります.県外にもその評判の悪さ(態度の大きさ)は伝わっているようで… しかし,公平を期すために付け加えると,当院かかりつけの患者が医療保護入院を要する事態になった時,助けられたこともあります.人間味のあるドクターでした.PSWから頼まれたケース(アルコール依存)をお断りしたこともありますが,そのPSW氏も,よい感じの方でした.
つくづく,制度なのではなく,人なのだ,医療は,と感じました.
この精神科救急センターについてのノンフィクションが出ていますね.本来は良いノンフィクションを書くライターですが,出来が良くない.ただし全部読んだわけではありません.

精神科救急とは,一言で言うと,災い転じて福となす,なのではないかと思います.
精神医療では,良くも悪くも何かのきっかけが,膠着した事態の転機になる場合が多く,そういうチャンスの場が精神科救急なのだと感じています.その意味で,心構えだけはいつでも“救急”の心構えで仕事をしたいものです.日常診療では,いろいろな制約から,そういう揺れ動きをうまく捉え,好機とすることができない場合が多いのですけれど…

投稿者 同業者 : 2005年01月11日 01:01